Archive for 7月, 2013

Date: 7月 16th, 2013
Cate: 「本」

オーディオの「本」(その22)

最近ではあまり使われることが少なくなった気もする言葉に、臨場感がある。
1970年代には、この臨場感はよく目にしていた。

臨場感は必ずしも音場感と完全に一致するものではないにも関わらず、
音場感という言葉が誰もが使うようになってきた1980年以降、
音場感と交代するかのように臨場感の登場回数は減ってきたのではなかろうか。

臨場感にも「場」がついている。
臨場感は、りんじょうかんと読む。
音場を、おんじょうではなく、おんばと読む人でも、臨場感はりんじょうかんである。

「場」をじょう、と読むわけだ。
つまり現場(げんじょう)と同じで、そこで何かが起っている「場」に臨む、
臨んでいるかのような感覚を、臨場感というわけだ。

では、いったい何に臨んでいるのか。どういう「場」に臨むのか。
ここで考えるのは、オーディオについてのことだから、
答は、ひとつしかない、といいきっていいだろう。

ステージ(stage)こそが、「場」(じょう)である。

そう考えていくと、オーディオにおける現場(げんじょう)とは、
ステージであり、ステージのあるところ、であるはずだ。

Date: 7月 15th, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(Saxophone Colossus・その3)

「Harkness」から鳴ってくるSaxophone Colossusを聴いていると、
あの感覚に似ている、と思ってしまう。

いまから20年近く前、1995年の5月、ちょうどジロ・デ・イタリアの初日にあたる土曜日に、
DE ROSAのロードバイクを買った。

初めての、本格的なロードバイクだった。
外国製の自転車も初めてだった。

購入した自転車店からの帰路、
当然、買ったばかりのDE ROSAに乗って帰ったわけだが、
正直、大変なモノを買ってしまった……、と少しばかり後悔していた。
こんなにも、それまで乗っていた、いわゆる一般的な自転車とは異るモノだとは思っていなかった。

それでも乗って帰るしかないわけで、
乗り続けていると、少しずつなれてくる。
この自転車の良さがわかってくる。

無事帰宅できて、ほっとしていた。
にもかかわらず、もう一度乗りたい、とすぐにDE ROSAと出かけてしまった。

こんなふうに私の自転車のつきあいははじまった。

少しずつ走れる距離は伸びてくる。
出せるスピードも増してくるようになる。
そうするとイタリアのロードバイクのもつ性格が、徐々にはっきりとしてくる。

時速20〜30kmくらいで走っている時と、
40km/hをこえたとき、さらに50kmをこえたとき、
それぞれに感じることが違う。

こういう速度で走ることを前提としていることが、はっきりとわかる。
そして、自転車に、あおられる感覚が確かにあった。

この感覚が、D130ソロでSaxophone Colossusを聴いていた時に蘇っていた。

Date: 7月 15th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その12)

ヤマハのNS1000Mも、ダイヤトーンのDS1000も、
どちらも国産のブックシェルフ型スピーカーシステムとして、高性能の実現を目指したものといえる。
けれどNS1000MとDS1000のあいだには約10年が経過している。

あえていえばNS1000Mの高性能は静特性であり、
DS10000の高性能は動特性ということになる。
これは、あくまでも誇張した言い方ではある。

でも、このふたつの価格もサイズも構成もよく似たブックシェルフ型スピーカーシステムを、
私はステレオサウンドの試聴室で何度も聴く機会があった。

NS1000Mは、このスピーカーが世に登場した時は先端の音だったのかもしれないが、
私が1980年代に聴いた時には、こなれた、実にいい音だった。
尖ったところが、うまくぐあいに丸くなってはきているけれど、
それでももともとは尖った性格のスピーカーだっただけに、
最初から柔らかな音を特徴とするスピーカーとは、また違った趣のあるこなれた音だった。

NS1000Mは、こんなにいいスピーカーだったのか、と認識を新たにした。

その点、DS1000は違っていた。
尖っている、といえばそういえなくもないが、NS1000Mの尖っている、とは少し違う意味をもつ。
非常に優秀なスピーカーシステムではあるものの、
その優秀さには、懐の深さがいくぶん足りない、とでもいおうか、
すくなくともスピーカーシステム以前のシステムの不備を、ここまではっきり出さなくても……、
と感じる性格が、DS1000にはあった。

そのくらい大目にみるよ、的な大らかさは欠けていた。

Date: 7月 14th, 2013
Cate: トランス

トランスからみるオーディオ(3Dとは)

3DはThree Dimensionだから、
平面に奥行きが加わったもの、ということになるわけだが、
ほんとうにそうなのだろうか、と感じてしまうことがある。

X軸とY軸から成る平面にZ軸という奥行きを加えたものは確かに3Dであることは間違いないのだが、
X軸とY軸からなる平面にZ軸として加わるものは、果して奥行きが最初に来るのだろうか。
そう思ってしまうのだ。

2チャンネルのステレオ再生を考えていくと、
左右の音の拡がりは理屈としても感覚的にも理解できることである。
けれど奥行きの再現となると、理屈からは理解し難い。
音像に立体感があることも、理屈からは理解し難い。

けれど入念に調整されたオーディオからは、
2チャンネルの再生であっても奥行きを感じたり、音像の立体を感じる。

そして奥行きの再現が浅かったり、
音像が平面的であることを、音が悪いことの証しのようにも捉えたりする。

なぜなのか、と考えていくと、
Z軸が奥行きとして考えていくよりも、
あくまでも個人的な感覚からいえば、Z軸を時間として捉えた方がしっくりくる。

そして思うのは、3Dプリント技術はたしかに立体物をアウトプットしているわけだが、
これまでの、X軸とY軸からなる紙にプリントされていたものに加わったのは、
奥行きではなく、時間として考えていくものかもしれない、ということである。

Date: 7月 14th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その11)

ダイヤトーンのDS1000に、「高性能」ということを感じたのか。
それは、まず音にある。
それは、井上先生によって鳴らされたダイヤトーンのDS1000の音にあった。

その音を聴いた後で、DS1000に関する技術資料を読めば、
高性能の追求が、変ってきたことがわかる。

アンプにおいては、AGIの511の登場によりスルーレイトという、
それまであまり耳にしたり目にしたりすることのなかった測定項目が注目を浴びるようになった。
そしてマッティ・オタラ博士によるTIM歪の発見と発生メカニズムについての発表があったりして、
アンプの性能の追求は、それまでの静特性の追求から動特性の追求へと移行していった、といっていいだろう。

AGI・511はハイスピードアンプの代名詞のようでもあった。
とはいえ、AGIの登場の数年前からOTTO(三洋電機のオーディオ・ブランド)は、
広告でスルーレイトという技術用語がこれから注目されるだろう、といったことを謳っていた。

アンプにおいては、NFBの功罪を含めて、
動特性が静特性よりも重要視されることになっていったわけだ。

この動きは当然スピーカー、スピーカーシステムの開発にも波及していく。
けれどアンプとほぼ同時期とはならず、数年の遅れが必要であった。

Date: 7月 14th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その10)

ヤマハのNS1000Mは、私がオーディオに興味を持ち始めた時にはすでに定評のあるスピーカーシステムであった。
スウェーデンの国営放送局に正式モニターとして納入された、ということは広告で知っていた。

NS1000Mの登場は1974年だから、
おそらくこのときはスコーカー、トゥイーターにベリリウムを振動板として採用した、
高性能なブックシェルフ型というイメージがあったと思う。

けれど私がNS1000Mを実際に聴いた時には、
ロングセラーの、いいスピーカーシステムであっても、
高性能というイメージを、私は受けることはなかった。

その点、ダイヤトーンのDS1000の登場は、
はっきりと高性能スピーカーが登場した、という印象がとにかく強かった。
しかもフロアー型ではなく、ブックシェルフ型で、価格も109000円(1本)だった。

ダイヤトーンのスピーカーシステムは、DS505から、それまでのスピーカーシステムとは変った。
DS505の次にDS503が出て、フロアー型のDS5000が登場した。
DS5000が登場した時には、ステレオサウンドにいた。
このDS50000がステレオサウンドに搬入されたときのことは割と憶えている。
それだけ、搬入前から話題になっていた。

DS5000を、井上先生が鳴らしたときの音は格別なものを感じた。
とはいえ、DS5000には感じなかった「高性能」ということを、
その後に登場したDS1000には強く感じとっていた。

Date: 7月 14th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その9)

10代、20代のときは、私もスピーカーの擬人化をよくやっていた。
とくに20(ハタチ)前後の時は、そうだった。

そういうときはおもしろいもので、
擬人化がうまくできないスピーカーシステムには対してはあまり、というか、ほとんど関心がなかった。
それに擬人化も、女性に譬えられるスピーカーシステムに関心があったし、
惚れ込むスピーカーシステムも、そうだった。

それがいつしか薄れていった。
擬人化という捉え方をしなくなっていった。
当時は、擬人化をしなくなっていた自分に気づいていなかった。

この時期は、ふり返ってみると、
スピーカーシステムにできるだけ忠実な変換器としての性能を、
それまでよりも強く求めるようになっていたことに気づく。

それはちょうどダイヤトーンのDS1000が出たころ、
井上先生の使いこなしによる音の変化・整えられ方に強く影響を受けていたころと重なっていく。

ダイヤトーンのDS1000は型番からもわかるように、
ヤマハのロングセラー・モデルであるNS1000Mをターゲットにしている。
どちらも3ウェイのブックシェルフ型、しかし開発年代は違う。

DS1000はダイヤトーンがダイヤトーンなりにスピーカーの動作を解析していった結果の、
あの時期の集大成ともいえる面ももっていた。

それだけにDS1000は、鳴らし方の難しいスピーカーシステムでもあった。

Date: 7月 13th, 2013
Cate: 神通力

オーディオにおける神通力(その1)

「終のスピーカー」のところで、神通力ということばを使った。
そんなものオーディオにはない、関係ない、という人もいよう。
神通力、説明できるのか、という人もいよう。

私もまだ神通力の正体がすべてわかっているわけではない。
それでも、あると確信できる体験をいくつもしてきている。

そのことから、いまはっきりといえることは、
神通力のひとつとしてあげられるのは、フォーカスする力、フォーカスしていくことである。
そのために絶対に必要なことは、審美眼であるはずだ。

私は、いまオーディオ評論家と名乗っている人たちの書くものをほとんど信用していない。
ステレオサウンドはもう買ってはいないし、これから先も買うことはないけれど、
手もとには揃っているし、読んではいる。

どうして、この人なのか? と思うことはある。よくある。
この記事(この機種)について、またこの人なのか? となることが多い。
別のひとだったら、もう少し音が伝わってくるかもしれないのに……、と思ってしまう。

なぜかといえば、その人が何にフォーカスしていこうとしているのかが、書いているものから感じとりにくい、
もしくはまったくといっていいほど感じられないからである。

フォーカスしていくのと正反対のところで、
オーディオをしているようにも見受けられる人が少なくないように感じるようになってきた。
以前も、もしかするとそうだったのかもしれない。
昔はインターネットがなかった。
いまはインターネットがこれだけ普及しているから、目につくようになっただけ、かもしれない。

でも、それだけではなさそうである。

Date: 7月 13th, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(Saxophone Colossus・その2)

オーディオにも神通力といえるものはある。

瀬川先生にとって「終のスピーカー」となったJBL・4345を譲られた方、
その人の話をある人を通じてきいたことがある。
瀬川先生が亡くなられて半年間は、ほんとうにいい音で鳴っていたそうである。
ところがパタッと精彩を欠いた音に変ってしまったそうで、
そうなるともうどうやっても、それまでの音は戻ってこなかった、と。
(この人はオーディオマニアではない人だからこそ、その話は信じられる)

同じような話は別の人からもきいたことがある。
譲ってもらったスピーカーは、半年ぐらいはいい音で鳴っていたけれど、
それ以降は前の所有者の神通力といえるものが消えてしまうのか、
それまで鳴っていた、いい音はもう聴けなくなってしまう。

だからこそ、半年過ぎた時から、自分の音にしていく過程が始まる、ともいえる。

オーディオとは、特にスピーカーとはそういうものだと私は思っている。
これから先もずっとそう思っていくことだろう。

岩崎先生が亡くなられてすでに36年が経っている。
半年どころの話ではない。
半年の72倍もの年月がたっているわけで、
岩崎先生にとってJBL・D130がどれほど特別なユニットであっても、
神通力は、もうまったく残っていない──、実は私はそう思っていた。

でも、それは私の間違いだったのかもしれない。
そのくらいSaxophone Colossusの鳴り方は違っていた。

Date: 7月 12th, 2013
Cate: 「本」

オーディオの「本」(その21)

映画館を、私がホームシアターにおける現場(げんばではなく、げんじょう)と考えるのは、
なにも映画館が劇場(げきじょう)と呼ぶからではない。

なぜ映画館は劇場と書いて、げきば、とは読まず、げきじょう、と呼ぶのか。

「現場」をどう読む(呼ぶ)か。
そういえばある映画のコマーシャルで「事件は現場で起っている」というのがあった。
このセリフでは、げんばだった。

だが事件が起っている、つまり現在進行形の場合、げんば、ではなく、げんじょう、と呼ぶときいている。
現場(げんば)は過去形となったときである。

火事でも、火災が発生しているのであれば現場(げんじょう)であり、
火事がおさまった後は現場(げんば)である。

となると録音が行われている場は、録音現場(ろくおんげんじょう)であり、
録音が済んでしまえば、そこは録音現場(ろくおんげんば)となる。

Date: 7月 12th, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(Saxophone Colossus・その1)

「Harkness」が来て明日(7月13日)で二週間。
この二週間で、Saxophone Colossusを三回鳴らした。

一回目のときに、他のディスク(録音)とは明らかに鳴り方が違う! と感じた。
二回目のときも、やはりそう感じた。
三回目の昨晩は、さらに強く感じていた。

これから何度となく鳴らしていくことになるであろうSaxophone Colossus。

いまは私のもとにある、このD130は、どれだけSaxophone Colossusを鳴らしてきたのだろうか。

岩崎先生のところにC40が届いたのは1967年の4月ごろである。
10年間、岩崎先生は鳴らされていたことになる。

その10年間、つねにメインスピーカーであったわけではない。
その後、あれだけの数のスピーカーを手に入れ、鳴らされていた。
それでもD130ソロで聴いていると、Saxophone Colossusの鳴り方は、どこか特別なものを感じる。

それは先入観とか思い入れとか、そういったことではなく、
このD130に、あえていえば、染みついている、とでもいいたくなるほどだ。

Date: 7月 11th, 2013
Cate: wearable audio

wearable audio(その3)

もしステレオサウンドから離れることなく仕事を続けていたら、
ボディソニックの存在を思い出すこともなかったかもしれない。

25でステレオサウンドを辞め、27のときに左膝を骨折した。
八ヵ月後の28のときに、左膝に入っていたプレートを取り除く手術のため、もう一度入院した。

いまだったらiPhoneをもって入院するだろうが、
当時(1990年ごろ)はそんなものはなかった。
入院のあいだの時間つぶしは、本を読むか、テレビを見るかだった。

本は家でも読める。
いまもだが、テレビはもうずっと所有していない。
だからテレビばかり見て、時間をつぶしていた。

9時消灯とはいえ、10時くらいまではイヤフォンをつけてテレビをみていることは黙認されていた。
骨折した時の入院は一ヵ月半くらいだったが、プレートを取り除くだけの入院だから、短い。
続きが気になるドラマはあまり見なかった。

そのときはNHKのニュースを見ていた。
水俣病の女性が登場していた。

消灯時間を過ぎていたから、部屋の電気は消されている。
ベッドに横になって、イヤフォンをつけて見ていた。

こんなにも涙はながれるものか、とおもっていた。
そして、このNHKのニュースを見るために、骨折したのかもしれない──、
そんなふうにも思っていた。

Date: 7月 10th, 2013
Cate: wearable audio

wearable audio(その2)

ボディソニックは、私がオーディオに関心をもち始めた時と同じころに登場したように記憶している。
パイオニアから、当時は出ていた。

いま思うと不思議なのだが、なぜかボディソニックはアメリカ生れの製品で、
パイオニアが取り扱っているだけ──、そんなふうに思い込んでいた。

おもしろそうな製品とは思いながらも、
まずそんなふうに誤解から始まっていたわけで、
あくまでもヘッドフォンで音楽を聴くときの補助的な製品と決めつけていた。

1970年代はオーディオ雑誌にボディソニックの広告が載っていた。
1980年代にはいると見かけなくなったように記憶している。
さほど関心があったわけではないので、載っていたとしても私の記憶に残っていないだけ、ということもありうる。

実はボディソニックを体感したことはない。
何かの試聴が終った後に、低音再生の話になった時に、
井上先生が「ボディソニックはおもしろいぞ」と言われたことは憶えている。

井上先生は学生のとき、ウーファーを取り付けた箱を椅子にして音楽を聴いていて、
それもなかなかおもしろかった、と話してくれた。

音の振動が直に体に伝わってくる。
これがうまくいったときの快感は「おもしろく」、
井上先生の話をきいていると、楽しそうだったものの、自分でそれを試そうとまでは思わなかった。

1980年代に、一度はボディソニックのことが話題にのぼったものの、
結局そのときかぎりになってしまった。

Date: 7月 10th, 2013
Cate: オプティマムレンジ

オプティマムレンジ考(その7)

ライントランスがある。
ライントランスにはレベルには応じてラインナップが用意されている。

ラインレベルといっても、どこに使われるかによって信号レベルに違いがある。
そのため高めのラインレベルでつかわれるトランスもあれば、
低めのラインレベル用のトランスもある。

高めのラインレベル用につくられているトランスは、総じてナロウレンジである。
周波数特性をみても20〜20000Hzとなっているものは少ない。
けれど、この手のトランスもラインレベルの低いところで使えば、
決してナロウレンジではなく、可聴周波数帯域の20〜20000Hzをカバーしていたりする。

つまり測定時に入力する信号レベルによって周波数特性に差がでるわけである。
真空管式のパワーアンプも出力トランスをしょっているものは、
1Wの出力時の周波数特性と最大出力時の周波数特性は違ってくるアンプが大半である。
最大出力時には大なり小なりナロウレンジとなる。

とはいってもトランスとスピーカーユニットは違う。

でもトランスはtransformerであり、スピーカー(トランスデューサー)はtransducerであり、
transということでは共通している、とこじつけることもできる。

Date: 7月 9th, 2013
Cate: オプティマムレンジ

オプティマムレンジ考(その6)

スピーカーの測定の条件として、アンプの出力は1Wが基準となっている。
HIGH-TECHNIC SERIES 4の実測の周波数特性も1W入力時のものである。
このときD130の音圧レベルは100dBをこえる。

100dBの音圧といえば、かなりの音量である。
いまのところD130を、このレベルでは鳴らしていない。

ふだん聴く音量は、100dBよりもずっと低い音圧である。
そういう音圧時のD130の特性はいったいどうなるのか。

D130をソロで鳴らして、そのことに強い興味をもっている。

いまどきのワイドレンジのスピーカーシステムは総じて能率が低い。
いまや90dBあると能率が高い方に分類されるくらいで、
当然だが入力1Wでは80dBとか85dBとか、D130の100dB越えの音圧からすると、
20dB前後の差のある、低い音圧である。

同じ条件(入力:1W)で測定しているとはいえ、
これは別の見方をすると同じ条件とはいえない面ももつ。
条件を同じするということは、入力を1Wにするだけでなく、
たとえば同じ音圧での周波数特性を測定してみることでもあるはずだ。

つまり現代の、決して能率の高くないスピーカーシステムを、
D130の1W入力時で得られる音圧と同じレベルまであげてみての測定、
それからD130への入力をぐっと小さくして、
現代の低能率スピーカーシステムの1W時の音圧レベルと同じになるまで入力を絞っての測定。
すくなとも、これらの測定を行ってほしい、と思う。

そうしたときにD130の周波数特性は、
現代のスピーカーシステムの周波数特性は、
それぞれどういう変化をみせるのか、
それともまったく変化しないのだろうか……。

すくなくともD130の小音量時の周波数特性は、
1W入力(100dBの音圧)時の特性とは違うカーヴを描いているような気がしてならない。

つまりアルミ製ドームの共振は、1W入力時のように明確に発生しているとは考えにくいのだ。
すくなくとも、いま私の目の前にあるD130を聴いているかぎりでは。