Archive for 6月, 2012

Date: 6月 20th, 2012
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(続×十一・原音→げんおん→減音)

ネルソン・パスの新しい会社パスラボラトリーズのデビュー作ALEPH 0は,
それまでのスレッショルドのパワーアンプとは外観・機構と回路ともに、
まるっきりといっていいほど異ったモノだった。

ALEPHシリーズの特色は出力段にある。
スレッショルド時代のパワーアンプの特色も出力段にあったわけだが、
ALEPHシリーズの特色とスレッショルド時代の特色は、同じ人間が考えついたものとはすぐには思えぬほど違う。

基本的にトランジスターアンプの出力段はコンプリメンタリープッシュプルである。
いわば+側のトランジスターと−側のトランジスターのペアから構成されていている。
これはほぼすべてのトランジスター式パワーアンプではそうなっている。

ごく一部例外的な回路構成のアンプがあり、そのひとつがSUMOのThe Goldであり、ALEPHシリーズである。
だからといってThe GoldとALEPHの回路構成が似ているかといえば、また異るわけだが。

現在のパスラボラトリーズのラインナップにはALEPHはなくなっている。
Xシリーズ、XAシリーズがある。
これらのシリーズの回路については不勉強でどうなっているのかについてはほとんと知らない。
ALEPHに採用された回路ではないことは確かである。

ALEPHに興味を持っていた私は、その点すこしがっかりしていたのだが、
ファーストワットからSIT1とSIT2を、ネルソン・パスは出してきた。
ALEPHの回路とSITの回路はまた異るものなのだが、
それでもこのふたつのシリーズに流れている考え方には共通したものを感じる。

そしてパスラボラトリーズのXシリーズ、XAシリーズとSITシリーズの違いは、
スレッショルドのパワーアンプとALEPHシリーズとの違いにも似ているもの感じる。

ひとりのアンプ・エンジニア(ネルソン・パス)がこれらのアンプをつくり出している。
ここにオーディオの世界の広さと奥行の深さを感じることができる。
そして個人的には、ALEPHとSITの両シリーズには、減音に関して通じるものを感じとれる。

Date: 6月 20th, 2012
Cate: audio wednesday

第18回audio sharing例会(2002年7月4日)

来月のaudio sharing例会は、
2週間前にも告知したようにちょうど10年目になるので、2002年7月4日のことがテーマです。

2002年7月4日のこと、といわれても「何なの?」「何のことなの?」とわからない方もおられると思いますが、
あえて書きません。わかってくれる方が来てくださればいい、と思っているからです。

場所はいつもと同じ四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行います。

Date: 6月 20th, 2012
Cate: ジャーナリズム

附録について(その1)

昨年末に出たステレオ誌は附録が話題になった。
Dクラスアンプの完成基板とACアダプターがついてきたわけで、
しかもDクラスアンプはラックスの開発によるものだから、
これだけのものがついてきて、いつもの定価よりは倍程度になっていても、お得な買物といえるだろう。
売り切れた書店も多かったようだ。

ステレオはその前からスピーカーユニットを附録としていたことがあった。
今夏もまたスキャンスピーク製のスピーカーユニットが附録となる。
ステレオを出版している音楽之友社では音楽の友にもバッグを附録としている。

附録がついている、ついてくるのは音楽之友社の出版物ばかりでなく、
いま書店に並んでいるオーディオベーシックにはインシュレーターが附録となっているし、
夏に出るDigiFi(ステレオサウンド)には、USB入力のDクラスアンプが附録となる。
ステレオサウンドではHiViにUSBケーブルを附録にする予定。

女性誌の附録の流れが、ついにオーディオ雑誌にも波及してきた、という感じで、
附録のおもしろさを喜ぶ人もいれば、附録に対して否定的な受け止め方もする人もいよう。

オーディオ雑誌の附録は、Dクラスアンプにしても、スピーカーユニットにしても、安いものではない。
本よりも高いものが附録となっている。
だから附録がついている号は、通常の定価よりも高くなる。
それでも附録そのものを欲しいと思っている人にとっては、充分お得な買物だから、通常の号よりも売れるだろう。

でも附録を必要としない人のために、附録なしでも売っているのか、と気になる。
いま売っているオーディオベーシックは、共同通信社のサイトをみるかぎりは、附録なしでは売っていないようだ。
通常1500円のオーディオベーシックを、
今号に限っては附録は要らない、という人でも2000円出して購入しなければならない。
わずか500円の差だから、ともいえる。

でもアンプやスピーカーユニットが附録となると500円程度の差ではなくなる。
DigiFiは通常1300円が2980円になる。これは附録なのか、と思ってしまう。

附録の波は、いまのところステレオサウンド誌にはまだ及んでいないように見える。
でも、オーディオ雑誌で──私がオーディオ雑誌を買うようになってから、ではあるが──最初に附録をつけたのは、
ステレオサウンドだった。
1978年12月に出た49号に、1979年の卓上カレンダーがついていた。
それまでのステレオサウンドの表紙からいくつかを選んでカレンダーに仕上げたものだった。
本の定価は1600円と、いままでと同じだった。

こういう附録は素直に嬉しいものである。
こういう附録の方が私は附録らしくて好感が持てるし、いまもつけてくれたら、と思う。

Date: 6月 19th, 2012
Cate: ロングラン(ロングライフ)

ロングランであるために(その2)

「永遠の価値」とまでいってしまうと、それはもう無理なことではあるけれど、
永く価値あるモノ、価値の変らないモノはあるのだろうか──。
あるとしたら、いったいどういうモノなのか、どういう条件を満たしているモノなのか、
こんなことをステレオサウンドにはいったばかりの頃、先輩編集者のNさんと何度か話したことを思い出す。

彼は瀬川先生のEMT・927Dstを譲ってもらい使っていた。
私もそのころから927Dstが欲しかったけれど手が出せる価格では、もうなくなっていた。
それにいきなり927Dstというのも、
たとえお金があったとしても、段階を踏むこともまた大切であるという考えからみると、手を出すべきではない。
それで930stのトーレンス版101 Limitedを、なんとか購入したわけだが、
このふたつのEMTのプレーヤーは、その価値がこれから先も変らないのか、のも話題になった。

1980年代前半、すでにEMTはダイレクトドライヴの950や948を出していた。
927Dstも930stも製造中止になっていた(はず)。

927も930も原型はかなり古くからある。
しかもほとんど昔から変っていない。
イコライザーアンプが真空管のモノーラルからステレオ仕様になり、トランジスター化されたり、
トーンアームがオルトフォン製からEMT製に変ったりはしているものの、
大きく見た場合、旧態依然のプレーヤーともいえる。

世の中のプレーヤーは大半はダイレクトドライヴであり、クォーツロックまで搭載されていた。
EMTと同じ西ドイツのデュアルも、EMT同様、それまではリムドライヴを一貫して採用してきていたけれど、
ダイレクトドライヴ式のプレーヤーに切り換えていた。
ベルトドライヴはかろうじていくつか現役の製品があっても、
リムドライヴは過去の方式となっていた。

そんな時代に大金を払って、旧型のリムドライヴのプレーヤーを購入したのは、
もちろんEMTのプレーヤーでなければ聴くことができない音の良さ、持ち味に惚れてのことである。
とはいうものの、決してそれだけではなかった。

Date: 6月 19th, 2012
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その4)

「音楽 オーディオ 人びと」の著者、そしてトリオの会長であった中野英男氏が、
ヴァイタヴォックスのCN191を導入されたのは昭和46年5月とある。
それから「五年間私の部屋にあった」わけだから、
本田一郎氏がルーカスのケーブルを持ち出してきたり、
さらにもっと細いケーブルを30m這わせたという話は、1971年から76年にかけてのこと。

このころはマークレビンソンのHF10Cも登場していなかったし、
ケーブルによる音質の変化がオーディオ雑誌でも話題にのぼるようになってきたころと重なる。

ケーブルによる音の違いを言及したのは江川氏だということになっているが、そうとは思えない。
古い本を読んだり、大先輩の方々に話をきいてみると、
かなり以前からケーブルによって音が変化することは当然のこととして認識されていたことがわかる。

どのくらい前から、そうだったのかといえば、かなり古くから、のようである。
菅野先生の著書「新レコード演奏家論」の巻末にインタビュー記事が載っている。
タイトルは「菅野沖彦 レコード演奏家としての70年」で、聞き手はステレオサウンド編集部。

この記事の中で、菅野先生が最初に組まれたシステムの話が出てくる。
菅野先生が高校生のときで、自作当初はまだ78回転のSP盤。
すこし菅野先生の話を引用しておく。
     *
パワーアンプは、3極管やビーム管をいろいろ使いました。2A3から始まって6A2、6L6、6B4Gなどという球をプッシュプルで使い、最後のアンプは5932という球だったかと思います……。巨大な電源トランスを使っていました。ダイナミックスの12インチ・ウーファーはフィールド型でしたから、5Z3や80の整流管でフィールド・エキサイターも作りました。別のシャーシに独立させたプリアンプは12AX7と12AU7をズラッと並べた直流点火方式です。あのこはレコード会社によってイコライザーカーブが異なりましたから、あらゆるレコード会社のイコライザーに合わせられるようにターンオーバーとロールオフを個別のロータリスイッチでそれぞれ組み合わせて調整するというものでした。端子類はRCAプラグやXLRキャノンプラグもなかった時代ですから、多治見というメーカーの多ピンのもの、金属のネジで確実に止められるターミナルにしたり、ケーブルも、太いゴムのキャブタイヤケーブル。雑誌からの知識や先輩が教えてくれる、なるべく良さそうなものを選んで電源とフィールド・エキサイター類とプリアンプ部やパワーアンプをつないだんです。
──ケーブルにも凝られていたのですか。
凝ると言っても、今のケーブル事情とはまったく違いますがね。オーディオコンポーネントなどという商品はまったくない時代ですから。近頃のオーディオファイルのケーブルやターミナルに熱中している状況とはおのずと違うでしょう。いずれにせよあのころとしては、考えつくありとあらゆる部分にこだわったものでした。
     *
菅野先生は1932年の生れだから、高校生の時は1947年ごろから1950年ごろとなる。
その時代で、すでにケーブルによる音の違いは認識されていたことが読み取れる。
ただ、いまほど大騒ぎはしていなかっただけのことだ。

いまのケーブルの在り方は、正直なところ、行き過ぎていると感じている。
それでもケーブルによる音の違いを否定するわけではない。
どんなケーブルでも、ケーブルを変えれば音は大なり小なり変る。
SP盤の時代から、そうであるように。

Date: 6月 18th, 2012
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・続余談)

RiceとKelloggによるコーン型スピーカーユニットがどういうものであったのか、
少しでも、その詳細を知りたいと思っていたら、
ステレオサウンド別冊[窮極の愉しみ]スピーカーユニットにこだわる-1に、高津修氏が書かれているのを見つけた。

高津氏の文章を読みまず驚くのは、アンプの凄さである。
1920年代に出力250Wのハイパワーアンプを実現させている。
この時代であれば25Wでもけっこうな大出力であったはずなのに、一桁多い250Wである。
高津氏も書かれているように、おそらく送信管を使った回路構成だろう。

このアンプでライスとケロッグのふたりは、当時入手できるあらゆるスピーカーを試した、とある。
3ウェイのオール・ホーン型、コンデンサー型、アルミ平面ダイアフラムのインダクション型、
振動板のないトーキング・アーク(一種のイオン型とのこと)などである。

これらのスピーカーを250Wのハイパワーアンプで駆動しての実験で、
ライスとケロッグが解決すべき問題としてはっきりしてきたことは、
どの発音原理によるスピーカーでも低音が不足していることであり、
その不足を解決するにはそうとうに大規模になってしまうということ。

どういう実験が行われたのか、その詳細については省かれているが、
ライスとケロッグが到達した結論として、こう書かれている。
「振動系の共振を動作帯域の下限に設定し、音を直接放射するホーンレス・ムーヴィングコイル型スピーカー」
 
ライスとケロッグによるコーン型スピーカーの口径(6インチ)は、
高域特性から決定された値、とある。エッジにはゴムが使われている。
しかも実験の早い段階でバッフルに取り付けることが低音再生に関して有効なことをライスが発見していた、らしい。
磁気回路は励磁型。
再生周波数帯域は100Hzから5kHzほどであったらしい。

実用化された世界初の、このコーン型スピーカーはよく知られるように、
GE社から発売されるだけでなく、ブラウンズウィックの世界初の電気蓄音器パナトロープに搭載されている。

以上のことを高津氏の文章によって知ることができた。
高津氏はもっと細かいところまで調べられていると思うけれど、これだけの情報が得られれば充分である。
Rice & Kelloggの6インチのスピーカーの周波数特性が、やはり40万の法則に近いことがわかったのだから。

Date: 6月 18th, 2012
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(続×十・原音→げんおん→減音)

1980年にプロトタイプが発表され、翌年発売になったスレッショルドのパワーアンプSTASIS1の規模は、
いまでも強烈な印象として私の中に残っている。

デビュー作の800Aを聴く機会にあったことから、
それに五味先生がオートグラフと相性のいいトランジスターアンプと書かれていたこともあって、
800Aは憧れのパワーアンプであった。

800Aは、なのに早々と製造中止になり中古として店頭に並んでいるのをまだ見たことがない。
800Aのあとに出た400は、800Aに憧れた者にとっては物足りなさを、
400のパワーアップ版であり、800Aの後継機ともいえる4000には、400とは違う意味での物足りなさを感じていた。
800Aの真の後継機はいつ出るんだろうか、と期待していたところに登場したのがSTASIS1だった。

このSTASIS1は買えるとか買えないとか、そういうこと抜きにして、
800Aを超えるアンプがスレッショルドからやっと登場した、と800Aに憧れ続けてきた者に思わせてくれた。

フロントパネルのデザインも、良かった。
私にとってスレッショルドといえば、800AとSTASIS1だけが、すぐに頭に浮ぶ。

800Aはステレオ仕様だったが、STASIS1はモノーラル仕様。
パワートランジスターの数は800Aが24石、STASIS1は72石と3倍の規模になっている。
出力段はPNP型トランジスターとPNP型トランジスターのコンプリメンタリーとなっているから、
出力トランジスターの24石ならばトランジスターの並列数は12となるわけだが、
800Aは通常のコンプリメンタリーではないため並列数は4である。
STASIS1も通常のコンプリメンタリーとは違い、型番にもなっているステイシス回路のため並列数は12である。
とはいえパワートランジスターの数の多さは、いかにもアメリカ的ともいえる。

個人的にはスレッショルドのパワーアンプの頂点はSTASIS1だったと思っている。
STASIS1以降のスレッショルドのアンプへの興味は、私の中では急速に薄れていった。
もうネルソン・パスは、800AやSTASIS1のようなわくわくさせるような、
才気煥発なところを感じさせるアンプをつくり出さなくなってしまったのか……、そんなふうに思いはじめた頃に、
スレッショルドからではなく新しい会社パスラボラトリーからALEPH 0を出した。
さらに今年ファースト・ワットからSIT1とSIT2を出している。

Date: 6月 17th, 2012
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(続×九・原音→げんおん→減音)

サウンドボーイの編集長だったOさんも、シーメンスのオイロダインにEMTの927Dst、
そしてアンプは伊藤先生製作のコントロールアンプRA1501Aで、
パワーアンプは伊藤先生製作の300Bシングルアンプをそのままそっくりコピーして自作されたもの。

Oさんは最初から、このシステムに辿りつかれたのではない。
話を聞くと、そうとうなオーディオ道楽して、かなりの数のスピーカーを使ってきて、
ときにスタックスにコンデンサー型スピーカーを特注して、
放射状に振動エレメントをいくつも並べて、疑似的にコーン型スピーカー的なものを試されている。

そういうバックボーンがOさんにはある。
ステレオサウンド 54号に登場された長谷川氏にも同じようなバックボーンがある。

この人たちと同じようなことをハタチそこそこの若造がやったところで、
こういうシステムがもつ良さを理解することは、実のところ無理なはず。

最終的に、こういうシステムに行き着くのであれば、
最初からこういうシステムにしたほうが近道ではないか、経済的には無駄が出ないではないか、という考えもできる。
でも、それは決して近道ではなくて、むしろ廻り道ならばまだしも、道をはずれてしまうことにもなりかねない。

こういうシステムは、
いわば五味先生がマッキントッシュのMC275とMC3500について書かれたことに通じるからである。
MC3500の音を、五味先生は「簇生する花の、花弁の一つひとつを、くっきり描いていてる」とされ、
MC275の音を「必要な一つ二つは輪郭を鮮明に描くが、簇生する花は、花の美しさを出すためにぼかしてある」と。

いまのオーディオ機器の性能は、「音のすみずみまで容赦なく音を響かせる」。
そういう時代にあって、あえて高能率の、ナローレンジのスピーカーを、
真空管アンプ、それも古典的な回路のもので鳴らす、プレーヤーもがっしりした古典的なもの──、
これらでシステムを構築して家庭で音楽を聴くという行為は、
レコードによる音楽の聴き手が取捨選択して音を減らしていくことであるはずだ。

その取捨選択による減音に求められるのはなにか、
これを考えれば私がいいたいことはわかっていただけるはず。
だからいま、この歳になって、
平面バッフルにとりつけたシーメンスのコアキシャル、ダイナコのSCA35、
トーレンスの101 Limitedのシステムから離れてよかった、といえる。

オーディオマニアとしてのバックボーンを築いてこそのシステムなのだから。

Date: 6月 16th, 2012
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(続×八・原音→げんおん→減音)

21の時、シーメンスのコアキシャル・ユニットを1.8m×0.9mの平面バッフルにとりつけたモノを鳴らしていた。
部屋は6畳弱の洋間。
平面バッフルが、文字通り目の前に聳え立っているなかで、音楽を聴いていた。

CDは登場していたけれど、このときはまだCDプレーヤーに手を伸ばす経済的余裕はなかった。
聴くのはLPのみ。
プレーヤーはEMT930stのトーレンス版の101 Limited。
アンプは伊藤アンプ、といいたいところだが、それはまだ無理な話であって、
ダイナコの管球式のプリメインアンプのSCA35だった。
フォノイコライザーは101 Limited内蔵の155stを使っていたわけだから、
SCA35はレベルコントロール付きEL84プッシュプルのパワーアンプという使い方だ。

SCA35は、コアキシャルとの相性がいい、ということだった。
それもサウンドボーイのO編集長の言葉だから、すなおに信じた。

SCA35の真空管はすべてテレフンケン製かシーメンス製に置き換えていた。
メインテナンスもしっかりなされたものだった。

この組合せは、ステレオサウンド 54号の長谷川氏のシステムをそのままスケールダウンしたともいえる。
9027Dstが930stになり、伊藤アンプがSCA35に、オイロダインがコアキシャルに、
その平面バッフルも2m四方のものが前述したサイズなのだから。

21で、こういうシステムでフルトヴェングラーやカザルスといった演奏家のレコードを聴くというのは、
そのときステレオサウンドで働いていたからこそ、踏み切れた、といえるところもある。

オーディオとは無関係の仕事についていたら、
21の年齢で、このシステムには踏み切れなかったかもしれない。
やはりワイドレンジを目指したかもしれない、と思う。

でも、幸か不幸か、ステレオサウンドで最新のオーディオ機器の聴かせてくれる音にふれることができる。
だから、ステレオサウンドにいては聴けない音を求めていた、というところもあったのかもしれない。

平面バッフルが部屋のサイズに比して大きすぎた。
もうすこし小型の平面バッフルだったなら、
もうすこしながく、このシステムでレコードを聴いていたかもしれない──、
そういう想いがあるけれど、ながくこのシステムを聴かなくてよかったのかもしれない、ともいまは思っている。

Date: 6月 15th, 2012
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(続×七・原音→げんおん→減音)

ステレオサウンド 54号は1980年3月の発行だから、私は17ということもあり、
54号に登場された長谷川氏のリスニングルームの写真、それに記事本文には圧倒された、というよりも、
なにか感慨深いものを受けていた。

とはいえ、当時はそれがどういうものなのかははっきりとはわからずにいたけれども、
音楽の聴き手としての、オーディオマニアとしてのバックボーンの深さのようなものを、視ていたのかもしれない。

伊藤先生のアンプ、それに927Dstという組合せは、
オイロダインにとってはひとつのスタンダードな組合せともいえる。
そういう感じは、記事から伝わってきた。

この組合せは、ひとつの終着点のようにも感じていた。
いつか私も、歳をとったら、それまでにあれこれ遍歴を重ねてきたら、
やはりこういう世界に行き着くのだろうか……、そんなことさえも思っていた。

まぁ、でも、これだけの広さのリスニングルームでオイロダインを鳴らすことは、
たぶん無理だろうな……とも思っていたけれど。

54号の記事を読めばわかることだが、長谷川氏はこの組合せまでには、そうとうにすごいことをやられている。
たとえばアンプ。
真空管のOTLアンプ、それもそうとうに大規模なもの──、
6336Aを10本パラレル接続にして消費電力4.5kVA。
発熱量もそうとうなものだから、アンプ室は別に設けた、とある。
このころの長谷川氏はスイングジャーナル別冊 最新ステレオ・プラン(1970年号)に登場されている。
スピーカーシステムはパラゴン。

ステレオサウンド 54号の記事では、5年以上前にオイロダインを手に入れた、とあるから、
パラゴンの次がオイロダインなのだろう。

長谷川氏は言われている。
     *
自分で考えた部屋で、これはと思うアーティストを選んで聴くとなると、妥協ができない。もう妥協なんてなくして、取り組んでしまうんだなあ。まあこれが道楽というのかなあ。変電所のようなアンプや、いじくり廻したスピーカーで鳴らした揚句たった10Wのアンプで化物みたいなスピーカーを鳴らしているいま、考えて見るとなんだか原点に帰ったという感じだね。伊藤さんが、「私は最新式の回路も、自分で考えた工夫も絶対にやらない」と言っているから、この装置だってなにも新しいものじゃないんだね。
     *
長谷川氏は、はじめから、オイロダインに伊藤アンプと927Dstにされたわけではない。
手巻き蓄音器から音楽を聴き始めて、さんざん道楽した末の「原点」である。

Date: 6月 14th, 2012
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(余談・原音→げんおん→減音)

シーメンスの直熱三極管Edを使ったアンプを聴いたのは、伊藤先生の仕事場での一度きり。
Edのプッシュプルアンプの音も、ほかの人が作ったアンプのことは聴いたことがない。
自分でEdのアンプを作ったわけでもない。

だから、こういう傾向がEdの音とは、当然いえない。
いくつかの経験があったとしても、出力管だけで真空管アンプの音がすべて決ってしまうわけではないから、
実のところ、Edの音に関して確実なことはいえない。
それでも伊藤先生はEdを使ったアンプを、
サウンドボーイ1983年8月号に発表されたEdのシングルアンプの前に、
自己バイアスと固定バイアス、それぞれのプッシュプルアンプを作られているからこその伊藤先生の、
Edの印象は的確である、と私は信じている。

伊藤先生はEdについて「こんなに美しい球を見たことがない」と表現されている。
そして「ソケットに差し込んで動作させるのが勿体ないくらいの佇まいである」とも。
「音響道中膝栗毛」に、そう書かれている。

伊藤先生も、Edという真空管の美しさに惚れられていることがわかる。
そういう真空管が、シーメンスのEdである。

Edのシングルアンプのあとに300Bシングルアンプを聴いた私の心には、
Edへの失望が生れなかったわけではない。でも、それでもEdは美しい、と思いつづけていた。

それは伊藤先生も同じだったのではないか、と思う。
むしろ実際にEdのアンプを、動作条件をいくつか変えながら作られているのだから、
私なんかよりももっともとEdの美しさに惚れ込まれていたはず。

だから1984年に、無線と実験にプッシュプルアンプを発表されている。
トランス結合ではなく抵抗結合で、シャーシーはシングルアンプ用のものを流用されている。
そのためアンプそのものの佇まいは、いささか損なわれている。

伊藤先生の製作記事には、アンプの音そのものについてはほとんど書かれない。
けれど、このアンプの音については「音響道中膝栗毛」のなかで、こう書かれている。
     *
この装置は想像以上に美しい音を出す。Edの本当の味が出て、他の球では絶対に味わえぬ繊細な音に加えて相当の迫力も出す。
     *
このアンプは初段がE82CC、そしてE82CCによるP-K分割、そのあとにE80CCがくる。
無線と実験の記事には「抵抗値を変化させて種々実験した結果はかなり厖大なデータになりました」とある。
それは「Edの音、それを100%味わいたい一心」からなのである。
伊藤先生にして、ようやくEdの美しさそのままの音を出すに到られた、ということだと思う。

この抵抗結合のEdの音を聴いていたら、Edのアンプを作ることになっていたかもしれない。
もしくは、この抵抗結合のEdプッシュプルアンプの電圧増幅段の定数を参考にして
Edシングルアンプを設計したかもしれない。

「音響道中膝栗毛」は1987年に出ている。

Date: 6月 13th, 2012
Cate: D130, JBL

D130とアンプのこと(その13)

ダンピングファクターは値が高けれどいいのか、というと、必ずしもそうとはいえない、と考えている。

まずダンピングファクターにも周波数特性がある。
良心的なメーカーは、ダンピングファクターの値の横に、たとえば50Hzとか100Hzとか書いている。
これは50Hzなり100Hzにおけるダンピングファクターの値である、ということ。
ダンピングファクターは高域にいくにしたがって、その値は小さくなる。
つまり出力インピーダンスは高くなる。

NFBを多量にかけてダンピングファクターの値を良くしているアンプの多くは、
低域においては非常に高い値を示すけれど、それ以上の周波数においては低下していく。

さらに良心的なメーカーだと、数ポイントのダンピングファクターの値を表示しているところもある。

けれど、ただ値だけを表示しているメーカーの方が多い、といえよう。

ダンピングファクターが重要になるのは主に低域においてだから、それでも充分だろう、という意見もきく。
果してそうだろうか、と私は思っている。
できるだけ可聴周波数帯域では一定のダンピングファクターのほうが好ましいのではなかろうか。

それに同じ値のダンピングファクターであっても、
NFBを多量にかけてその値を実現したアンプと、
出力段の規模を大きくして物量を投入することで、それほどNFBをかけずに同じ値を実現しているアンプとでは、
スピーカーに対する駆動力は、当然のことながら同じとはいえない。

ダンピングファクターの値=スピーカーに対する駆動力と考えたいのだが、現実には必ずしもそうではない。
さらにダンピングファクターが同じであっても、
トランジスターアンプと出力トランスを搭載する真空管アンプとでは、また少し違ってくる。

出力トランスの存在は、そのトランスの2次側の巻線(ここには直流抵抗が存在しているが)によって
スピーカーをショートさせていることになるからだ。

ダンピングファクターはわかりやすい数値のようでもあるが、
実際にはアンプを比較する上でそれほと役に立つ数値ではない。
とはいえ、マランツの管球式パワーアンプのようにひとつのアンプで、
ダンピングファクターが変えられるとなると、話は違う。

Date: 6月 13th, 2012
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(続×六・原音→げんおん→減音)

伊藤先生は「Edは音がつめたいんだなぁ」と言われた。
そうかもしれないと思って、その言葉を聞いていながらも、
それは300Bと比較しての話であって、それほどつめたい音ではないはず、とも思っていた。

でも伊藤先生の仕事場のシーメンスのWide Angleから鳴ってきた音は、いわれるとおりの音だった。
がっかりしていた、と思う。
だからなのかEdを指さして「さわってみな」と言われた。

Edを見るのも聴くのも初めてとはいうものの、動作中の真空管がどのくらい熱くなっているのかは知っていた。
だから、すぐには手を出せなかった。
伊藤先生は「大丈夫だから」とつけ加えられた。

さわってみた。
これがEdの音に深く関係しているのか、と思いたくなるほど、Edは熱くならない。

そして伊藤先生は300Bシングルアンプにされた。
プレーヤーもコントロールアンプもスピーカーも同じ、
パワーアンプだけが、Edのシングルアンプから300Bシングルアンプに変った。
音も大きく変った。

この瞬間から、300Bシングルアンプの音にまいってしまった。
伊藤先生の300Bシングルアンプの音にまいってしまった。

伊藤先生アンプを知ったのは、Edのプッシュプルアンプだ、と書いた。
その次に知ったのはステレオサウンド 54号に載った300Bシングルアンプだ。

そのころのステレオサウンドには「ザ・スーパーマニア」という記事が連載されていた。
54号に登場されたのは長谷川氏。
シーメンスのオイロダインを2m四方の平面バッフルに取り付けられ、
プレーヤーはEMTの927Dst、アンプは伊藤先生のコントロールアンプと300Bシングルだったのだ。

Date: 6月 12th, 2012
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(続×五・原音→げんおん→減音)

「人間の死にざま」を読めば、五味先生も300Bシングルアンプを晩年は愛用されていたことがわかる。
300Bシングルアンプは、いわば直熱三極管シングルアンプの代名詞ともいえる。

私にとっては、いまでは直熱三極管といえばウェスターン・エレクトリックの300Bのことである。
ずっと以前はシーメンスのEdだった。

伊藤先生の存在を知ったのも、1977年ごろの無線と実験に掲載されたEdのプッシュプルアンプからだった。
伊藤アンプに、そのときに惚れた。同時にEdという、300Bとは形も精度感も異る、
いかにもドイツの真空管と思わせるEdの姿に惚れた。

Edを見たあとでは300Bは古めかしくみえた。
だからステレオサウンドの弟分にあたるサウンドボーイに、
伊藤先生のEdのシングルアンプの記事が載ったときは、うれしかった。
このアンプをいつか作ろう、とまた思ってしまった。

無線と実験に載ったプッシュプルアンプはトランス結合による固定バイアスだった。
そっくりそのまま作りたかったのだが、UTCのチョーク(円柱状のCG40)が入手困難だった。
インターステージトランスも出力トランスもUTCだった。
それに平滑コンデンサーにオイルコンデンサーが使われていた。

これらをそっくり同じパーツを手に入れるのは、ステレオサウンドで働くようになってからでもかなり大変だった。
だから、ずっと部品を集めやすいEdのシングルアンプの発表はうれしかったわけだ。

しかも、このEdのシングルアンプを伊藤先生の仕事場で聴くことができた。

このとき、たしか伊藤先生に、サウンドボーイのO編集長に頼まれて何かを届けに行ったのだと記憶している。
O編集長は、事前に伊藤先生に私がEdに惚れ込んでいることを伝えてくれていたようだ。
だからこそ、伊藤先生はEdのシングルアンプを用意して、「Edは見た目はほんといい球なんだ……」と言われた。

伊藤先生の言葉を信じないわけではなかったけれど、
当時はまだ若かったこともあって、心の中では、わずかとはいえ反撥したい気持もあった。

Date: 6月 11th, 2012
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その3)

トリオの会長だった中野英男氏の著書「音楽 オーディオ 人びと」からは、何度か引用している。
中野氏はプロの書き手ではないけれど、「音楽 オーディオ 人びと」は最初読んだ時、面白いと感じた。
五味先生、瀬川先生、岩崎先生の本ほどは読み返していなけれども、
ときどき書かれていることを思い出しては、そのことを確認する意味もあって、
ところどころ拾い読みをすることは、いまでもある。

アキュフェーズの会長だった春日二郎氏の著書とともに、これらの本はもっと広く読まれてもいいと思うし、
読まれるべきだと思うこともある。

「音楽 オーディオ 人びと」のなかに「本田一郎君登場」という章がある。
ここにルーカスのスピーカーケーブルのことが出ている。

本田一郎氏がどういう人なのかは、「音楽 オーディオ 人びと」を読んでもわからない。
中野氏も「本田君の歳の程はわからない。生まれ、育ちなど、その前半生の軌跡また定かでない。」と書かれている。
この本田氏が中野氏にルーカスのスピーカーケーブルを推められている。

ルーカスのスピーカーケーブルはどうだったのか。
中野氏はこう書かれている。
     *
私のシステムに関する限り、彼の説は一〇〇%正しく、ルーカス線でアンプとスピーカーを結んでスイッチ・オンした途端、我々は思わず顔を見合わせて笑い出してしまったのである。音の変化はそれほど著しかったし、メーカーの責任者でありながら、今迄なんという音で聴いていたのか、という自嘲を込めた感情が、笑いという形で噴出したのであった。
     *
このころの中野氏はヴァイタヴォックスのCN191に苦労されていたようで、
さらに本田氏によるCN191の鳴らし込みについてもふれられているので、引用しておこう。
     *
その時、本田君が示したクリプッシュ・ホーン対策は際立ったものであった。まず、厚さ一〇センチ余り、重量一〇〇キログラムを超える衝立うふたつ作ってスピーカーの背面に立て、壁と衝立の距離、スピーカーと衝立のギャップを微妙に調整した。さらに、アンプとスピーカーの間を三〇メートル位の長さの細いワイヤーで結び、その長さを一〇センチ単位で調整した。
     *
これらのことによりそれまで冴えた音を出すことがなかったCN191が75点くらいの音をだすようになった、そうだ。

ひとつ断わっておくが、スピーカーケーブルの長さ「三〇メートル」は「三メートル」の間違いではない。
中野氏はリスニングルームは30畳ほどの広さにおいて、
あえて30mの長さの、しかも細いスピーカーケーブルなのである。