ハイ・フィデリティ再考(続×八・原音→げんおん→減音)
21の時、シーメンスのコアキシャル・ユニットを1.8m×0.9mの平面バッフルにとりつけたモノを鳴らしていた。
部屋は6畳弱の洋間。
平面バッフルが、文字通り目の前に聳え立っているなかで、音楽を聴いていた。
CDは登場していたけれど、このときはまだCDプレーヤーに手を伸ばす経済的余裕はなかった。
聴くのはLPのみ。
プレーヤーはEMT930stのトーレンス版の101 Limited。
アンプは伊藤アンプ、といいたいところだが、それはまだ無理な話であって、
ダイナコの管球式のプリメインアンプのSCA35だった。
フォノイコライザーは101 Limited内蔵の155stを使っていたわけだから、
SCA35はレベルコントロール付きEL84プッシュプルのパワーアンプという使い方だ。
SCA35は、コアキシャルとの相性がいい、ということだった。
それもサウンドボーイのO編集長の言葉だから、すなおに信じた。
SCA35の真空管はすべてテレフンケン製かシーメンス製に置き換えていた。
メインテナンスもしっかりなされたものだった。
この組合せは、ステレオサウンド 54号の長谷川氏のシステムをそのままスケールダウンしたともいえる。
9027Dstが930stになり、伊藤アンプがSCA35に、オイロダインがコアキシャルに、
その平面バッフルも2m四方のものが前述したサイズなのだから。
21で、こういうシステムでフルトヴェングラーやカザルスといった演奏家のレコードを聴くというのは、
そのときステレオサウンドで働いていたからこそ、踏み切れた、といえるところもある。
オーディオとは無関係の仕事についていたら、
21の年齢で、このシステムには踏み切れなかったかもしれない。
やはりワイドレンジを目指したかもしれない、と思う。
でも、幸か不幸か、ステレオサウンドで最新のオーディオ機器の聴かせてくれる音にふれることができる。
だから、ステレオサウンドにいては聴けない音を求めていた、というところもあったのかもしれない。
平面バッフルが部屋のサイズに比して大きすぎた。
もうすこし小型の平面バッフルだったなら、
もうすこしながく、このシステムでレコードを聴いていたかもしれない──、
そういう想いがあるけれど、ながくこのシステムを聴かなくてよかったのかもしれない、ともいまは思っている。