Archive for 8月, 2011

Date: 8月 10th, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その7)

凄まじいユニット、というのが、私のD130に対する第一印象だった。

HIGH-TECHNIC SERIES 4には37機種のフルレンジが登場している。
10cm口径から38cm口径まで、ダブルコーンもあれば同軸型も含まれている。
これらの中には、出力音圧レベル的にはD130に匹敵するユニットがある。
アルテックの604-8Gである。

カタログ発表値はD130が103dB/W/m、604-8Gが102dB/W/m。
HIGH-TECHNIC SERIES 4には実測データがグラフで載っていて、
これを比較すると、D130と604-8Gのどちらが能率が高いとはいえない。
さらに残響室内における能率(これも実測値)があって、
D130が104dB/W/m、604-8Gが105dB/W/mと、こちらは604のほうがほんのわずか高くなっている。
だから、どちらが能率が高いとは決められない。
どちらも高い変換効率をもっている、ということが言えるだけだ。

だが、アルテック604-8Gの試聴のところには、
D130を印象づけた「エネルギー感」という表現は、三氏の言葉の中には出てこない。
もちろん記事は編集部によってまとめられたものだから、
実際に発言されていても活字にはなっていない可能性はある。
だが三氏の発言を読むかぎり、おそらく「エネルギー感」が出ていたとしても、
D130のそれとは違うニュアンスで語られたように思える。

ここでも瀬川先生の発言を引用しよう。
     *
ジャズの場合には、この朗々とした鳴り方が気持よくパワーを上げてもやかましくならず、どこまでも音量が自然な感じで伸びてきて、楽器の音像のイメージを少しも変えない。そういう点ではやはり物すごいスピーカーだということを再認識しました。
     *
おそらく604-Gのときにも、D130と同じくらいの音量は出されていた、と思う。
なのにここではコーヒーカップのスプーンは音を立てていない。

Date: 8月 10th, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その6)

JBLのD130というフルレンジユニットとは、いったいどういうスピーカーユニットなのか。

JBLにD130という15インチ口径のフルレンジユニットがあるということは早い時期から知っていた。
それだけ有名なユニットであったし、JBLの代名詞的なユニットでもあったわけだが、
じつのところ、さしたる興味はなかった。
当時は、まだオーディオに関心をもち始めたばかり若造ということもあって、
D130はジャズ専用のユニットだから、私には関係ないや、と思っていた。

1979年にステレオサウンド別冊としてHIGH-TECHNIC SERIES 4が出た。
フルレンジユニットだけ一冊だった。

ここに当然のことながらD130は登場する。
試聴は岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹の三氏によって、
1辺2.1mの米松合板による平面バッフルにとりつけられて行われている。
フルレンジの比較試聴としては、日本で行われたものとしてここまで規模の大きいものはないと思う。
おそらく世界でも例がないのではなかろうか。

この試聴で使われた平面バッフルとフルレンジの音は、
当時西新宿にあったサンスイのショールームでも披露されているので実際に聴かれた方もおいでだろう。
このときほと東京に住んでいる人をうらやましく思ったことはない。

HIGH-TECHNIC SERIESでのD130の評価はどうだったのか。
岡先生、菅野先生とも、エネルギー感のものすごさについて語られている。
瀬川先生は、そのエネルギー感の凄さを、もっと具体的に語られている。
引用してみよう。
     *
ジャズになって、とにかくパワーの出るスピーカーという定評があったものですから、どんどん音量を上げていったのです。すると、目の前のコーヒーカップのスプーンがカチャカチャ音を立て始め、それでもまだ上げていったらあるフレーズで一瞬われわれの鼓膜が何か異様な音を立てたんです。それで怖くなって音量を絞ったんですけど、こんな体験はこのスピーカー以外にはあまりしたことがありませんね。菅野さんもいわれたように、エネルギー感が出るという点では希有なスピーカーだろうと思います。
     *
このときのD130と同じ音圧を出せるスピーカーは他にもある。
でもこのときのD130に匹敵するエネルギー感を出せるスピーカーはあるのだろうか。

Date: 8月 10th, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その5)

D101は資料によると”General Purpose”と謳われている。
PAとして使うことも考慮されているフルレンジユニットであった。

よくランシングがアルテックを離れたのは
劇場用の武骨なスピーカーではなく、家庭用の優秀な、
そして家庭用としてふさわしい仕上げのスピーカーシステムをつくりたかったため、と以前は言われていた。
その後、わかってきたのは最初からアルテックとの契約は5年間だったこと。
だから契約期間が終了しての独立であったわけだ。

アルテックのとの契約の詳細までは知らないから、
ランシングがアルテックに残りたければ残れたのか、それとも残れなかったのかははっきりとしない。
ただアルテックから離れて最初につくったユニットがD101であり、
ランシングがアルテック在籍時に手がけた515のフルレンジ的性格をもち、
写真でみるかぎり515とそっくりであったこと、そしてGeneral Purposeだったことから判断すると、
必ずしも家庭用の美しいスピーカーをつくりたかった、ということには疑問がある。

D101ではなく最初のスピーカーユニットがD130であったなら、
その逸話にも素直に頷ける。けれどD101がD130の前に存在している。
ランシングは自分が納得できるスピーカーを、
自分の手で、自分の名をブランドにした会社でつくりたかったのではないのか。

だからこそ、D101とD130を聴いてみたい、と思うし、
もしD101に対してのアルテック側からのクレームがなく、そのままD101をつくり続け、
このユニットをベースにしてユニット開発を進めていっていたら、おそらくD130は誕生しなかった、ともいえよう。

Date: 8月 9th, 2011
Cate: BBCモニター

BBCモニター考(余談・続×十九 K+Hのこと)

30年近く前に読んだ記事の中に、新時代の戦闘機はコンピューターによる制御を組み込むことで、
それまでは腕のいいベテランパイロットにしかできなかったアクロバット飛行が、
ふつうの技倆のパイロットでも安全に可能になる、とあった。

つまりアクロバット飛行は、わざと不安定な飛行状態をつくりだすことによって可能になるもので、
安定に飛行するように設計されているのを、そういう不安定な状態にもっていき制御することの難しさがある。
だからあえて不安定な飛行をする設計をしたうえで、コンピューター制御によって安定な飛行状態にする。
そんな内容だったと記憶している。

それが実現されているのかどうかは、わからないが、
少なくともこの記事は、より高性能を求め実現するためにはハードウェアの進歩だけでは限界があり、
ハードウェアとソフトウェアがひとつになることで進化できる、と、いまだったらそう読み取れる。

私がK+HのO500Cについて触れてきたのは、実のはこのことを、
非常に高いレベルで実現したスピーカーシステムだとみているからだ。

これまでにもアンプをスピーカーシステム内に組込み、それだけでなく電気的な補整を行っているものはあった。
けれど、それらがO500Cのレベルにまで達していたかというと、私の目にはそうは見えない。
多くがハードウェアのみであったり、ソフトウェアでのコントロールを導入していても、
ハードウェアとソフトウェアの融合とまでいえるところには達していなかったのではないか。

私が知らないだけで、他にもO500Cと同じレベルに達しているスピーカーシステムがある可能性はある。
でも、まだごく少ないはずだし、おそらくそれはプロ用のスピーカーシステムであろう、O500Cがそうであるように。

ここまでお読みくださって、なぜドイツのメーカーのK+Hのことを書いているのに、
タイトルは「BBCモニター考」なのか疑問に思われただろう。

あえてこのタイトルにしたのは、O500Cを生み出すに至った測定方法は元をたどれば、
BBCの研究開発にいくつくからだ。
「現代スピーカー考」に書いたこととダブるからこれ以上は書かないが、
BBCに在籍していたショーターが実現を夢見ていたスピーカーシステム像が、
K+HのO500Cによって実現された、と私はそう思っているからだ。

Date: 8月 9th, 2011
Cate: BBCモニター

BBCモニター考(余談・続×十八 K+Hのこと)

部屋に残響特性がなかったとしたら、
ようするに無響室で聴くのと同じことだから部屋とスピーカーシステムとの相性は存在しなくなる。
でも、誰ひとりとして無響室でスピーカーと向き合って音楽を聴きたいと思っている人はいない。

スピーカーシステムの累積スペクトラムは、スピーカーシステム残響特性だと書いた。
あるスピーカーシステムの累積スペクトラムで、
たとえば100Hzあたりの減衰がなかなかおさまらずに、しかもうねったような感じになっていたら、
そしてそのスピーカーシステムを設置した部屋に100Hzの強烈な定在波が発生していたら……。
部屋の悪いところ、スピーカーシステムのそういう悪いところが一致したら、どうなるかは容易に想像がつく。

ならばスピーカーシステムの累積スペクトラムが、K+HのO500Cのように見事な特性だったら、
部屋のクセがスピーカーのクセを強調するということはなくなる。
それで、その部屋固有の響きが消えてなくなるわけではないけれど、
部屋の悪さがスピーカーシステムによってことさら強調されることはなくなるはずだ。

結局、音が鳴り止んでも、つまりアンプからの入力がゼロになっても、
どんなスピーカーシステムでも、ほんのわずかとはいえ、ユニットからエンクロージュアから音が出ている。
この音が尾を引くようなスピーカーシステムは、部屋の影響を受ける、というか、
部屋の悪さと相乗効果を起しやすいため、場合によっては手がつけられなくなる。
この問題点は、グラフィックイコライザーで、
その問題となっている周波数をぐっとレベルをさげたところで解消されることはない。

グラフィックイコライザーだけでなく、パラメトリックイコライザー、トーンコントロールも含めて、
電気的に周波数特性を変化させることで解消できることはあるし、うまく作用するところもある。
けれどそうでないところも確実にある。
どんなにいじっても電気的には解消できない問題点がひどく発生することもあるし、
そういう電気的な周波数変化でいじってはいけないところがある。

Date: 8月 9th, 2011
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その46)

パワーアンプの出力が管球アンプ全盛時代からすると飛躍的に増え、
しかもウーファーの振幅量(ストローク)も増している。
このふたつの技術背景があるから、サブウーファーのコンパクトになってきている。
私が使っているサーロジックのモノもそういうもののひとつである。
管球アンプの出力では、ストロークのとれないユニットでは、
30cm口径のウーファーから、ここまで出るのかと驚く低域の再生能力は実現できない。

いまの時代だから可能になったサブウーファーだとは認識していても、
エンクロージュアの容積をたっぷりとったスピーカーシステムの軽やかな低音の表出には惹かれる。
無理がない、というのか、透明感が高い、といったらいいのか、不自然さが少ない、とでもいおうか、
なかなかうまい表現が出てこないが、
大口径のウーファーを容積の小さめのエンクロージュアにいれたものより、
大きめ、というよりも、たっぷりとした容積のエンクロージュアにいれたときの音は、
技術の進歩だけではまだまだ到達できない低音の質の違いが存在する、と感じている。

そういうスピーカーシステムを、現代の駆動力の高いパワーアンプで鳴らすのも、また面白いけれど、
ここではそんなに大げさにしたくない。
ここで選んだスピーカーが他社の、もっと違う性格のスピーカーシステムだったら、そんな組合せもやってみたいが、
タンノイのヨークミンスターをあえて選んだうえで、黄金の組合せにしたいわけだから、まとまりを重視したい。

どちらの鳴り方を選ぶかは人によって、聴きたい音楽によっても違ってくるけれど、
私はアンプがヨークミンスターに寄り添うような、そんな印章で鳴らしたいから、
それにヨークミンスターの、上に書いたような低音表現を自発的に鳴らしてみたいから、
ユニゾンリサーチのP70以外のアンプの候補が頭に浮んでこない。

Date: 8月 9th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その22)

エンパイアの4000D/IIIは、いまのカートリッジの値づけからすると10万円くらいということになるのか……、
そう思うと、Anna Logで4000D/IIIが、どういう表情をみせ、
どこまで性能を発揮してくれるのはぜひ一度聴いてみたいけれど、
でももし4000D/IIIをいま自分のモノとして鳴らすとなったら、
Anna Logが4000D/IIIにとって最良のプレーヤーかと思えないところもある。

Anna Logで鳴らすことで、30数年前、4000D/IIIを聴いたときに、
その音に惹かれながらも欲しい、とは思わせなかった面がうまく補うように鳴ってくれるかも、という期待はあっても、
このカートリッジの音の性格からしても、もうすこし鮮明さの方向のプレーヤーでまとめたい、という気もある。

このあたりがアナログプレーヤーの面白いところで、
あるカートリッジをうまく鳴らすシステムが、別の個性のカートリッジを必ずしもうまく鳴らすとはかぎらない。
それに高価なモノが、それだけ優れているかというと、決してそうではない面もある。

4000D/IIIには、現行製品のなかから選ぶとしたら、Anna Logよりも、
同じイギリス製のウィルソン・ベネッシュのCircleを選びたい。
アクリル系のターンテーブル・プラッターの、石臼のような形をしたプレーヤーシステムだ。
残念なことに、いま日本にウィルソン・ベネッシュの輸入代理店は存在しない。
でもCircleはいまもつくられている。
輸入されたとしたら、いくらになるのかはわからないが、10年前に40万円を切っていたはず。

サイズはLPレコードとほぼ同じで、トーンアームのベースがせり出しているだけ。
外部電源もない。
Circleはもっと注目されてもいいはずだ。

Anna Logのノッティンガムアナログスタジオといい、ウィルソン・ベネッシュといい、
それにGyrodecのJ.A.ミッチェルといい、古くはゲイルやシネコのプレーヤーがある。
これらイギリスから登場してくるアナログプレーヤーには造形的に、
ほかの国からは出てこない魅力が共通してあるように受け取っている。

Date: 8月 8th, 2011
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(岩崎千明氏とfacebook・余談)

JBLの4343のことは、このブログでよく書いている。
マークレビンソンのLNP2のこともかなり書いている。
他にも1970年代から80年代のオーディオ機器のことを、けっこう頻繁に書いている。

4343やLNP2は、オーディオに関心をもち始めた頃、もっとも話題になっていたモノであり、
そのころのオーディオ界を牽引していたところもあった。
だから、それだけインパクトは強かった、はずだ。

はずだ、などと、他人事みたいに書いてしまうのは、
そのときからずっと4343やLNP2、それにこのブログで登場してくるオーディオ機器が、
ずっと私の心になかにあり、憧れを抱いていたわけではない。

LNP2にしても4343にしても、ひどく色あせて、その音が聴こえて、そのモノまで色あせてしまったときがある。
20代後半のときが、そうだった。
いちど色あせてしまったモノには、ふりむくことはない、と思っていたし、
それからはたしかにそうだった。

それが変化してきたのは、このブログを書き始めてから、である。
LNP2も4343も、いまのオーディオ機器の水準に照らしあわせると、性能的にも古いところがある。
音にしても、現代のオーディオ機器と一対一の比較試聴をしたら、けっしていい印章は残らないかもしれない。

そんなことはわかっているのに、4343、LNP2、それに他にもいくつかのオーディオ機器の存在が、
あのとき以上に大きくなりつつあるのを感じている。

それをノスタルジーというんだよ、と一刀両断に切り捨てる人には、
私が、4343、LNP2などに対する想いは理解できない、といえる。
そういう人を批判するわけではないし、それはそれでいいと思っている。

ただ、なぜ、いまこうなっていっているのか……、そこについての答えを見つけたいだけである。

今朝、このブログで紹介した水上比沙之氏の「音に生き、音に死んだ男の伝説 岩崎千明考」を読んで、
というか、私の場合、入力していてだが、「意識」という表現に出合えた。
そういうことだったのかもしれない、と、そこで思った。

Date: 8月 8th, 2011
Cate: 「ネットワーク」, 岩崎千明

オーディオと「ネットワーク」(岩崎千明氏とfacebook)

今日の未明、facebookで私が管理している「オーディオ彷徨」というページで、
ステレオ誌(1979年5月号)に掲載されていた池上比沙之氏による
「音に生き、音に死んだ男の伝説 岩崎千明考」を公開した。

偶然、池上氏による「岩崎千明考」を読んだときから公開できるものならば公開したい、と思っていたが、
池上氏とは何の面識もないし、共通の知人はいない、連絡先も知らない。
半ば諦めていた。

7月からfacebookを利用するようにしている。
それでふと、もしかしたら池上氏もfacebookのアカウントをお持ちかもしれない、と検索してみたら、
ネットの利便性はこういうところにあると頭では分っていても、
すぐに池上氏の名前が検索結果に表示されるのを見たときは、拍子抜けしながらも驚く。
早速facebookのメッセージ機能を使い連絡することができ、池上氏から公開の許諾をいただけた。

「オーディオ彷徨」のfacebook上のページは、アカウントをもっていなくても見れるはずである。
多くの人に読んでほしい、と思っている。

Date: 8月 7th, 2011
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(誰かに調整してもらったら……補足)

前回書いたことをお読みになった方の中には、
「お前は、そうやって一度ばらしたオーディオ機器をふたたびセッティングして、
同じ音が出せたと思い込んでいるだけだろう」、
そんなふうに思われる方がいても不思議ではない。

私は、そうやって同じ音が出せた、とは書いていない。
それに最初から、そううまくいくわけではない。

これは以前にも書いていることだが、井上先生の試聴に最初に立ち合えたのは、
ステレオサウンド 64号の新製品の試聴だった。先輩が準備し結線した音を聴かれて、
まずその音の調整から始められた。
たっぷり時間をかけて納得のいく音が出たところから、新製品の試聴が始まったわけだ。
これは毎回同じことが続いた。

そして私が試聴室の準備をするようになった。
試聴のときに井上先生が指示されたことを思い出しながら、機器をセッティングしていく。
それでも簡単に再現できるものではなかった。
やはり試聴のはじまる前にダメだしされて、調整しなおす。
「次回こそ……」と思いながら、井上先生が何を聴かれてどう判断されているのかを、
私なりに考えていっていた。

そんなことをくり返すうちに、井上先生による、試聴が始まる前の調整の時間が短くなってきた。
そういうとき井上先生は何も言われない。
だから、その時間が短くなってきて、最終的には試聴室にこられて、
そのまま試聴を始められるようにまでもっていけるようになっていた。

私は、こういうふうにして使いこなしを身につけてきた。

Date: 8月 7th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その21)

そんなふうにみていくと、現在の50万円以上のカートリッジは30年前ならば、
20数万円から30数万円ということになる。

ステレオサウンドのベストバイの号を振り返ってみると、
43号で選ばれたカートリッジでもっとも高価なのはEMTのXSD15で、69000円。
47号では、ここでもXSD15が……と書きたいところだが、ひとつ例外的に高価なモデルがあった。
グラドがシグネチャー・シリーズと名づけたもので、Signature IIは199000円と、とびぬけて高価だった。
実は、このSignature IIは、瀬川先生が持参されたカートリッジの中に含まれていて、
このときだけではあったが聴くことができた。
これもいま聴いてみたら、どういう感想を抱くのだろうか、という興味がある。

55号ではオルトフォンのMC30が登場して、これが99000円。
そのあとのステレオサウンドをみていっても、カートリッジの最高価格として10万円という線があり、
これを越えたら、高価なカートリッジから、非常に高価なカートリッジ、と受けとめられていたように思う。

10万円の1.65倍〜2倍となると、165000円〜200000円となる。
もういちどステレオサウンド 177号を見直すと、
オルトフォンのSPU Synergyが170000円となっていて、
このモデルが以前のSPU Gold(当時95000円)的な位置づけにあたるカートリッジだとすれば、
1.65倍〜2倍という数字も、目安として使えそうだ。

Date: 8月 7th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その20)

ノイマンのDSTに、エンパイアの4000D/III……、
どちらも旧製品ではないか、現行製品にはないのか、と思われる人もいるだろうな、と思いながらも、
それでも思い浮んできたのは、このふたつの旧製品のカートリッジだった。

現行製品で使ってみたいカートリッジがないわけではない。
数は少ないけれどある。
けれど、ステレオサウンドのベストバリュー(以前のベストバイ)に選ばれているカートリッジの中にはない。
177号に載っているカートリッジは写真付きコメント付きで紹介されているのが12機種。
ブランドと型番、価格、それに点数だけが載っているのが17機種。
これらの価格を眺めていると、わかっていることとはいえ、
改めて50万円超えのカートリッジが複数機種あるのには、なんともいえない感情を抱いてしまう。
そうかと思えば、デンオン(いまはデノンなのはわかっいても、やっぱりデンオン)のDL103R、DL-A100、
オーディオテクニカのAT-OC9/III、AT33PTG/IIに対する感情は、以前とは違ったものになってくる。

カートリッジの市場規模を考えれば、以前と較べて価格が上昇してしまうことは理解できる。
理解はできる、と書いたものの、それにはやはり限度というものが、それぞれ受け取る側にある。
限度は人によって違う。だから50万円のカートリッジをあたりまえのこととして受けとめる人がいるし、
疑問に思う人もいて、当然のことだ。

物価も変動している。だから以前と較べて、どのくらいがカートリッジの適正価格なのかを決めるのは困難だし、
無理なことなのかもしれない。
それでもひとつの目安として、デンオンのDL103Rの価格は33,000円(税込み)。
このDL103RはDL103をベースにしていて、変更点は発電コイルの線材を6N銅線にしただけである。
つまり以前のDL103とほぼ同じモノといえる。

1977年当時、DL103は19,000円していた。
33年経ち、約1.73倍の価格になっている。以前は消費税はなかったから税抜きの価格では約1.65倍。
大ざっぱに言って、30数年前のカートリッジの価格は、
いま1.6倍から2倍程度には上昇しているとみていいように思うし、それが目安となるだろう。

Date: 8月 6th, 2011
Cate: デザイン

日米ヒーローの造形(その1)

先日、ふと気づいたことがある。
オーディオとは関係のないことなのだが、アメリカン・コミックスのヒーローと
日本の代表的なヒーロー(ウルトラマン、仮面ライダー、キカイダーなどなど)との造形に違いには、
能という伝統芸が日本にあることと関係しているのではないか、ということ。

アメリカン・コミックスの代表的な、もっとも有名なヒーローはスーパーマン。
スーパーマンのように素顔のまま活躍しているヒーローは多い。
仮面を被っていたとしてもバットマンがそうであるように、口元と目はこちら側から見えていて、
そこには表情の変化がはっきりと出ている。
顔全体をすっぽり覆ってしまったヒーローもいる。アイアンマンやスパイダーマン。
映画で観るかぎり、このふたりもたびたび素顔を出すシーンが多い。

そんなアメリカン・コミックスのヒーローとは対照的に日本のヒーロー、
ウルトラマン、仮面ライダーには仮面によって表情の変化は一切ない。
だからといって無表情かというと、そうともいえない。

能では仮面をつける。目の開口部も必要最小限に抑えられていて、演じる人の表情はほとんどつかめない。
だからといって表情の変化を能では表現していないのかというと、そんなことは、もちろんない。
わずか所作、陰影によって表情を生み出している。
それを観客は暗黙の了解のうちに読みとっていく。

そういう能と、日本のヒーローを完全に同一視できないところはあるだろうが、それでも無関係とも思えない。
仮面ライダーはマンガが原作である。マンガではコマの中にあるのは静止画だ。
カラーページであることもそうあるわけではない。
ほとんどがモノクロで描かれている──、これらの制約の中でキャラクターは無表情にとどまっているわけではない。

何がいいたいかというと、そんな寡黙の中に表情をもたせてきている日本なのに、
なぜか音、とくにスピーカーシステムは、ある時期まで饒舌で陰影についても排除していたことについてである。
なぜこれほど視覚と聴覚で、その世界が極端に違ってくるのか。

Date: 8月 6th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その19)

ここまで書いてやっと、この項の(その1)で紹介した高橋氏の問いかけに答えられる。

「死ぬまでに一度、聞いてみたいアナログ・カートリッジか、プリアンプはありますか?」

これを見たときに真先に浮んだモノは、実はふたつあった。
ひとつはすでに書いているように927DstとDSTの組合せ。
もうひとつは、これもすでに製造中止になってしまっているカートリッジではあるが、
エンパイアの4000D/IIIである。

DSTはいま中古の状態のいいものを買おうとすれば、数十万必要となるようだが、
4000D/IIIはDSTのような存在ではない。
当時の価格は58000円(1977年)。
同じころ、オルトフォンのSPU-G/Eが34000円、MC20が33000円。
EMTのTSD15が65000円で、XSD15が69000円だったから、1970年代の高級カートリッジのひとつではあったが、
特別高価というわけでもない。

4000D/IIIの音を聴いたのは、当時住んでいた熊本の販売店に瀬川先生が来られたときだった。
4000D/III以外にオルトフォン、ピカリングのXSV/3000、XUV/4500Q、
エレクトロ・アクースティック(エラック)STS455E、EMTのXSD15など10機種ほどの、
ご自身でお使いのカートリッジを持参されての試聴会だった。

とにかく、このときの4000D/IIIの音は、いまでも耳に残っている。
クラシックやヴォーカルをかけたときにはまったく魅力を感じなかった4000D/IIIだったのに、
ジャズ(記憶に間違いがなければ、菅野先生録音の「ザ・ダイアログ」)で一変した、その音は、
ヨーロッパ系のカートリッジでは絶対に鳴らせない領域ようにも感じていた。

レコードで、スピーカーから鳴ってくるドラムスの音が、こんなに気持ちいいのか、
湿り気のまったくない乾いた、というよりも乾ききった明るい音は、音を決めていく。
そう、音が決る、という感じで、目の前にストッストッストーン、と音が展開していった。

日常的に聴きたい音ではなかったけれど、「ザ・ダイアログ」のためだけに欲しい、と思ったことは、
いつまでたっても忘れようがないほど、刻みつけられている。

Date: 8月 5th, 2011
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その45)

ユニゾンリサーチのP70の出力管をKT88に換えたい、というと、
五味先生の影響だろう、と思われ方もいらっしゃるかもしれない。

五味先生はタンノイ・オートグラフをマッキントッシュのMC275で鳴らされていた。
いうまでもなくMC275の出力管はKT88である。
ただ晩年は、カンノ製作所の300Bのシングルアンプにされることも多い、と、
新潮社から出た「人間の死にざま」の中で書かれている。

MC275のことがまったく頭にない、といえば、それはウソになるけれども、
私がステレオサウンドの試聴室やそれ以外の機会で聴くことができたタンノイのスピーカーシステムと、
管球式のパワーアンプの組合せを振り返ってみると、偶然、というか、できすぎ、いおうか、
KT88のパワーアンプが圧倒的に多かった。
マイケルソン&オースチンのTVA1がそうだし、ジャディスのJA80などが、MC275とともに浮ぶ。

もちろん、このことは私が聴き得た範囲内のことであり、
私がタンノイに求めている音のイメージからそう判断していることにしかすぎないのだが、
あえて言わせていただければ、タンノイにはビーム管が合う、と。

だからビーム管(6550A)を採用したP70を、EL34(5極管)のP40ではなく、組み合わせたいと思ったわけだ。
そしてさらに、良質のKT88が入手できれば……という条件つきになってしまうが、
6550AからKT88に差し換えてみたいなぁ、と思ってしまうのは、
私が興味をもつ以前、
タンノイのIIILZとラックスのSQ38FDとオルトフォンのSPUは黄金の組合せ、といわれていた。

黄金の組合せの音は聴けずにここまできてしまったけれど、
そう表現したくなる組合せを、
当然のことながらタンノイのスピーカーシステムを使ってつくってみたい、と思っていた。

だからP70の登場を知ったとき、これは意外にもヨークミンスターとで黄金の組合せになってくれるかもしれない、
そういう、なんら根拠のない可能性を勝手に感じているだけの話でもある。