Archive for 2月, 2011

Date: 2月 12th, 2011
Cate: 音楽性

「音楽性」とは(その11)

ステレオサウンド 54号のころは、まだCDは登場してなくて、プログラムソースはアナログディスク。
プレーヤーシステム、カートリッジ、コントロールアンプ、パワーアンプ、それにそれぞれの接続ケーブル、
こここまではまったく同一条件で鳴らしても、スピーカーシステムだけが変っただけで、
ヘブラーのピアノが、優美に歌いもすれば、おさらい会レベルにまでおちてしまう鳴り方をする。

セッティングによってスピーカーの鳴り方は、ときには大きく左右される。
とはいうものの、セッティングだけの要因によって、ヘブラーのピアノが、ここまで変るわけではない。
あきらかにスピーカーシステムによって、ヘブラーのピアノの歌い方も、
日本のとあるポップス歌手の歌い方も、大きく変ってしまう。

なぜ、こうも変質してしまうのだろうか。

菅野先生が語られていることで、
「バランスとか、解像力、力に対する対応というようなもの以前、というか以外というか」に、
その鍵がある。

なにかスピーカーシステムとしての物理特性に、大きな問題点をあるから、
そういう変質が発生する、とはいえない。
むしろ周波数特性も広く、ほぼフラットといってもいい、歪率も低い値で、指向特性も申し分ない。
とにかく物理特性的にはなんら欠陥らしきものは見当たらないスピーカーシステムであっても、
ヘブラーのピアノを、ときに大きく変質させてしまうものがあらわれる。

ここが、ひじょうにやっかいなところだ。

Date: 2月 11th, 2011
Cate: 音楽性

「音楽性」とは(その10)

音楽性、そして欠陥スピーカーとはいったいどういうものなのかについて考える上で、
いいヒントとなる話を菅野先生が、ステレオサウンド 54号の座談会の中で語られている。

この号の特集は「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」で、
瀬川先生、黒田先生と試聴のあとに、総論といくつかのスピーカーについて話し合われている。
     *
特に私が使ったレコードの、シェリングとヘブラーによるモーツァルトのヴァイオリン・ソナタは、ヘブラーのピアノがスピーカーによって全然違って聴こえた。だいたいヘブラーという人はダメなピアニスト的な要素が強いのですが(笑い)、下手なお嬢様芸に毛の生えた程度のピアノにしか聴こえないスピーカーと、非常に優美に歌って素晴らしく鳴るスピーカーとがありました。そして日本のスピーカーは、概して下手なピアニストに聴こえましたね。ひどいのは、本当におさらい会じゃないかと思うようなピアノの鳴り方をしたスピーカーがあった。バランスとか、解像力、力に対する対応というようなもの以前というか、以外というか、音楽の響かせ方、歌わせ方に、何か根本的な違いがあるような気がします。
     *
これに関連する話を1年ほど前に聞いた。
その話をしてくれた人は、日本のポップス歌手を、歌唱力が全くない、はっきりいって下手だ、と。
かなり強い口調で、なぜ、あの歌手が、歌が巧いといわれるのか理解できない、とも。

その歌手の歌を、私はきちんと聴いたことがない。
テレビもラジオも持っていないし、当該歌手のCDも持っていないからだが、
たまに断片だけを耳にする、その歌手の歌を、その人が力説するほどひどい、とは思わない。

少なくとも、歌がほんとうに好きなんだな、とは感じていた。
もっともCDを買ってきて、きちんと聴くとどう、そのへんの印象が変るかはわからないが、
少なくとも、そこまでひどくは思わないだろう。

ヘブラーと、この歌手の話は、スピーカーによって、
「音楽の響かせ方、歌わせ方」に根本的な違いがあるから、だと思う。

Date: 2月 10th, 2011
Cate: ちいさな結論

続・ちいさな結論(その5)

「ブッダのことば」(岩波文庫)のなかに、
「人が生れたときには、実に口の中に斧が生じている。愚者は悪口を語って、その斧によって自分を断つのである」
とある。

「言」という字は、
辞典にあるように、川崎先生のブログを読まれた方ならすでにご存知のように、
辛(刃物)+口という形象である。

Date: 2月 10th, 2011
Cate: ちいさな結論

続・ちいさな結論(その4)

批評と評論の違いは、「論」のいう字があるかないかにあり、
「論」という漢字に「言」がついているところに、はっきりとある。

評論には、「言」がふたつある。

Date: 2月 9th, 2011
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(番外・その10)

セパレートアンプを選ぶ時、コントロールアンプもパワーアンプも、同じブランドで揃えたい、
揃えた方が結果としての音もいいし、もともと組み合わせて使うことを前提につくられているものだから、
あえて他社のアンプとのあれこれ組合せを試みるのは、時間もお金も無駄、という意見もある。

以前は、コントロールアンプを得意とするメーカー、
パワーアンプを得意をするメーカーといったことが言われていた。

そのころからすると、いまの名の通ったアンプ・メーカーには、あまりそういうことはない。
たとえ得手不得手があったとしても、純正の組合せで使うのが、筋が通った音が得られる。
このことが大事だ、という意見には、あえて反論するつもりはない。
私も、そう思うことがあるからだ。

それでも、せっかくコントロールアンプとパワーアンプとにわかれているのだから、
組合せの面白さ(ゆえの面倒くささ)を楽しみたい、という気持のほうが私は強い。

そして筋の通った音を求めるよりも、
あえてすこしだけの異質のものを感じさせるモノ同士を組み合わせることで生れてくる音の緊張感を、
ここでの組合せでは「対決」のためにも積極的に探して、活かしていきたい。

となると、ここから先は実際に聴いていかないと話が進まない。
でも、もとより妄想組合せということ、
それにロックウッドのスピーカーがまず見つけるのが困難ということもあるから、
妄想アクセラレーターをONにするしかない。

Date: 2月 9th, 2011
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(番外・その9)

「対決」する前には、精神を集中させたい、となるはずだ。
だから、ナグラのCDプレーヤーは選ばない。
あのクランパーの精度のひどさが改められていればいいけれど、
以前のまま放置されていたら、「対決」の前に、あの小さなクランパーのセンター出しなどに煩わされたくない。

なにか心地よい緊張感を持たしてくれるモノがいい。
コントロールアンプについても、同じだ。

CDプレーヤーとコントロールアンプだけが、「対決」の前に手を振れる、操作するモノだ。
だからこそ、このふたつのモノのありかたは、音と同じくらい大切なこととなってくる。

ほのかな暖い灯のもとで、ゆったりと音楽を聴くことと正反対の心理を、この組合せには求めているから、
候補となって上ってくるモノも限られてくる。

まず頭に浮んだのは、またか、と言われそうだが、マークレビンソンのJC2だ。
それも初期の、ツマミの長い時期のモノだ。

JC2のツマミは、途中から径が大きく短いものへと変っている。
ML1やML7のツマミと同じものへとなっている。

全体のバランスとしては、こちらのほうが安定感があると私も思うけれど、
あのとんがった印象の強い初期のJC2と較べると、落着いた雰囲気になってしまっていて、
ここでの組合せには向かない。

もっとも初期のJC2があったとしても、ナグラのMPAと組合せとしてうまく馴染むかとなると、
アンプの年代の違いも含めて、無理が生じる気がする。

Date: 2月 8th, 2011
Cate: 情景

情報・情景・情操(その8)

ビバリッジのSystem2SW-1のほぼ2年後にマッキントッシュのXRT20が登場した。
XRT20の使用ユニットはコーン型とドーム型ユニットで、しかもトゥイーターは24個。

正確にはSystem2SW-1のシリンドリカルウェーヴとは異るところもあるけれど、
他の多くのスピーカーシステムの放射パターンとの比較でいえば、System2SW-1のほうに近い。
しかも両者とも壁にくっつけて設置するところも同じだ。

だからステレオサウンドで、XRT20の記事を読んだとき思ったのは、
System2SW-1のような設置の仕方をしたら、いったいどうなんだろうか、ということだった。

これはいちどやってみたかったことだけど、ステレオサウンドの当時の試聴室は、
部屋を横長に使うと、右側の壁は木だけど左側はレコード棚。
縦長に使うと、今度も右側は木の壁となるが、左側はガラス窓。
残念ながら、うまく設置できない。
いったいどういう音場を再現するのだろうか。

System2SW-1もXRT20もだが、もし聴き手がもっと前に坐ったら、
もしくはスピーカーの設置場所をぐっと聴取位置にまで下げてきたら、どう聴こえるのか。

つまり左右のスピーカーを向い合わせに設置して、ふたつのスピーカーを結ぶ直線上の中央で聴くわけだ。
ヘッドフォンを耳から離した状態、とでも言おうか。

この状態でバイノーラル録音を再生すると、どうなるのか。
しかもグールドのSACDには、通常の録音とバイノーラル録音の両方が収録されている。

スピーカーシステムが用意でき、部屋の条件さえ整えば、いちどじっくり試聴してみたい。

Date: 2月 7th, 2011
Cate: 情景

情報・情景・情操(その7)

過去のオーディオ機器、その中でもスピーカーシステムに関しては、
いまでも、というか、いまだからこそ、一度聴いておきたいモノがいくつかある。
そのひとつが、ビバリッジのSystem2SW-1という、コンデンサー型によるメインスピーカーと、
コーン型のサブウーファーから構成される、やや特殊な設置方法を要求するモノ。

ステレオサウンド 50号の新製品紹介欄で、井上・山中両氏によってとりあげられている。

System2SW-1のメインスピーカーユニットは、高さ198.3cmというかなり大型のエンクロージュア内に、
フルレンジのコンデンサー型ユニットをおさめ、その前面に紙にプラスチックを含浸させた素材で、
音響レンズの一種、というか、コンプレッションドライバーのイコライザーに相当するものを配置、
この音道をとおることで、コンデンサー型ユニットから発せられる平面波を球面波へとし、
水平方向180度の円筒状の波形(シリンドリカルウェーヴ)をつくりだしている。

しかも特徴的なことはほかにもある。
設置場所は左右の壁に向い合わせになるように、というのがメーカー側の指示。
シリンドリカルウェーヴのスピーカーならではの設置方法といえよう。
指向特性の狭いスピーカーだったら、こういう置き方には向いていない。

100Hz以下を受け持つサブウーファーは、メインスピーカーの斜め後方、
つまり一般的なスピーカーの設置場所に近いところだ。

System2SW-1がどんな音だったのか、どんな音場を再現してくれるのか、
ステレオサウンドの記事を読みながら、強い関心をもっていたけど、
音どころか、実物を見る機会すらなかった。

前述の記事中では、
井上先生が、音像自体が立体的に奥行きをもって浮び上ってくる、と言われている。
さらに、オペラを聴くと、歌手の動きが左右だけでなく、少し奥のほうに移動しながら、
右から左へと動いた感じまで再現し、その場で実際にオペラを観ている実在感につながる、と。

山中先生も、通常のスピーカーの、通常の置き方よりも、
楽器の距離感を驚くほどよく出し、協奏曲での、独奏楽器とオーケストラとの対比がよくわかる、と。

これを書くためにステレオサウンドを読み返していると、System2SW-1を聴きたい気持が強くなってくる。

Date: 2月 7th, 2011
Cate: D44000 Paragon, JBL

パラゴンの形態(その2)

JBLの、以前のトレードマークは、Jに「!」を組み合わせたものだった。
このとき言われていたのは、「!」はドライバーとホーンの組合せを表している、ということ。

下部の点がコンプレッションドライバーで、上の部分がホーンにあたるわけだ。
そんな視点からパラゴンを見ると、375とホーンのH5038Pは、まさしく「!」そのものだ。

しかもパラゴンのウーファーの音道はJの形をしていて、その開口部に375+H5038Pがある。
このふたつが、JBLの以前のトレードマークそのものになっている。

パラゴンのデザインは、子細に見れば見るほど、凄い! と思うしかない。
アーノルド・ウォルフは、きっとトレードマークを意識してパラゴンをデザインしたのだろう。
そうとしか思えない。

Date: 2月 6th, 2011
Cate: 情景

情報・情景・情操(その6)

われわれが耳にしている音場再生方法は、ほとんどすべて主観的・音響心理的なものである。

よほど専門家でなければ、客観的・物理的な方法による音場再生を聴くことはできない、と思いがちだが、
ひとつある、バイノーラル録音である。

バイノーラル録音されたものをヘッドフォンで聴くことは、まさしく客観的・物理的な音場再生方法である。
客観的・物理的な音場再生方法の重要なのは、
録音時のマイクロフォンと位置と最盛時のスピーカーの位置が相関関係にあることが、第一に挙げられる。

マイクロフォンを4本使って録音したのであれば、スピーカーの4本用意して、
マイクロフォンと同じように設置することが求められる。
前項に引用した文章には記述はないが、
おそらくマイクロフォンの指向性とスピーカーの指向性も近似でなければならないはずだ。
しかも再生する空間は無響室が求められる。

部屋の響きが、収録されている現場の響きにまじり合うことを拒否してのことであっても、
音楽の、現実的な聴取環境ではない。
たとえ、客観的・物理的な音場再生によって素晴らしい音・音響が得られたとしても、
無響室で音楽を聴きたいとは、これっぽっちも思わない。

バイノーラル録音のヘッドフォンでの再生は、条件のふたつともクリアーしている。
マイクロフォンとヘッドフォンの相関関係は、ほぼ同じ。
さらにヘッドフォンは再生する部屋の影響は関係ない。
無響室ではないけれど、無響ではあることは確かだ。

いわばミニマルな客観的・物理的な音場再生だ。

いま入手できるバイノーラル録音のものは、ここにも書いているグールドのSACDがある。

Date: 2月 5th, 2011
Cate: イコライザー, 瀬川冬樹

私的イコライザー考(その8・続々続々補足)

瀬川先生が、1966年12月に発行された ’67ステレオ・リスニング・テクニック(誠文堂新光社)で、
ビクターのPST1000について、こんなふうに書かれている。
     *
コントロール・アンプとしてこれくらい楽しいものは他にあるまい。使いはじめて間がないので批評めいたことはさしひかえたいが、小生自身はこのアンプを一種の測定器としても使いたいと考えているので、いずれ何らかの発見があると思う。
     *
PST1000は、当時、ビクターがSEA(Sound Effect Amplifier)コントローラーとして発売していた、
7素子のグラフィックイコライザー機能を搭載したコントロールアンプのこと。
7つの中心周波数は、60、150、400、1k、2.4k、6k、15kHz。

いまの感覚からすると7素子はローコストのアンプにでもついてくるようなものととらえてしまうが、
PST1000は、145,000円していた。
マランツの7Tが150,000円、マッキントッシュのC22が172,000円の時代のことだ。

瀬川先生の発言は、コントロールアンプとしてではなく、
グラフィックイコライザーとしてとらえられてのもの、と思う。
このあと、グラフィックイコライザーを積極的には使われていないはずだし、
上の発言は、あくまでも1966年当時のことだから、時代とともに変化していった可能性もある。

もうそのへんのことは確かめようがないけれど、
グラフィックイコライザーを積極的に使うと言う選択も、導入しないという選択も自由だ。
どちらが正解というわけではない。
それでも、一度はグラフィックイコライザーを徹底的に使ってみてほしい、といいたい。

そこには、瀬川先生も言われているように「何らかの発見があると思う」からだ。

スーパーウーファーについて(パラゴンに関しての余談)

仮想音源について考えると、JBLのパラゴンをマルチアンプで、
デジタル信号処理で3つのユニットの時間差を補整して鳴らすのは、果してうまくいくのだろうかと思ってしまう。

パラゴンではウーファーいちばん奥にある。しかも低音のホーンは曲っている。
もうパラゴンを聞いたのはずいぶん昔のことで、しかもまだハタチそこそこの若造だったため、
音源がどのへんにできているかなんて、という聴き方はしていなかった。

低音の仮想音源は、高音用の075の設置場所のすこし手前であたりにできるのだろうか。
低音のホーンはこのへんでカーブを描いている。

そして中音は中央の大きくカーブした反射板をめざすように設置されている。
反射板も、中音に関しては、左右チャンネルの音が交じり合っての仮想音源となっているだろう。

高音と中音の各ユニットは近くに位置している。

パラゴンの図面を眺めるたびに、いったいどこにそれぞれの音域の音像は定位するのだろうか、と考えてしまう。
考えるよりも、実際にパラゴンを聴いた方が確実な答えがでるのはわかっている。
でも、いまその機会はないから、こうやってあれこれ考えている。

私の予想では、やはり075の周辺にうまくできるような気がする。
だとすると、パラゴンを、いまの時代に鳴らすことの面白さが、いっそう輝きを増す。

Date: 2月 5th, 2011
Cate: ユニバーサルウーファー

スーパーウーファーについて(その12)

デジタル信号処理がオーディオ機器の中に取り込まれたことで、
アナログだけの時代では困難だったことも可能になり、しかも価格的にも身近になっている。

エレクトロニッククロスオーバーネットワークに搭載された時間軸の調整がある。
これによりスピーカーの個々のユニット配置の自由度が増した、と一般には言われている。

コーン型ウーファーと大型ホーン型の中高域の組合せだと、たいていホーンの長さの分だけ、
ドライバーの位置は後ろになる。
いうまでもなくウーファーから出た音とドライバーから出た音は、聴き手の耳に到達するまでの距離が異る。
それをデジタル信号処理で補整することができるわけだから、ユニットの配置の自由度が高まる、といわれている。

けれど、この項の(その1)でも書いたように、音源には実音源と、もうひとつ、いわば仮想音源がある。
とくにホーン型、それも大型のホーンになれば、この仮想音源の問題が浮上してくる。

ホーンのどの位置に音像が定位するのか。
たとえば、もうJBLもやらなくなってしまったが、スラントプレートの音響レンズや、
多孔型の音響レンズ(いわゆる蜂の巣状のもの)がホーンの前面についていると、
音響レンズのあたり、つまりホーン開口部あたりに音像はできる。

そういうホーンがある一方でノドの奥に音像ができるものもある。

いまのデジタル信号処理では、この仮想音源の位置までは補整できない。
つまりいかにデジタル信号処理を導入しようとも、仮想音源の位置合せは使い手側に要求される。

音響レンズ付のホーンであれば、ウーファーと同一平面状にマウントされた状態で、
ほぼ仮想音源の位置は揃うことになる。
このままではホーンの長さによってはドライバーの位置がウーファーよりも後ろにくることが多いので、
ウーファーにその分だけのディレイをかければいい。
実際には厳密な距離分だけの時間差の補整ではなくて、最終的には細かな詰めは求められるけど、
デジタル信号処理のメリットがうまくいきるケースといえる。

ノドの奥に定位しがちのホーンでは、ウーファーとホーン開口部を同一平面にしたままでは、
実音源の時間差は補整できても、
仮想音源の位置の補整はできないままなので、物理的な位置合せが求められる。

つまりデジタル信号処理があっても、各ユニットの配置の自由度が増すとはいえない。

Date: 2月 4th, 2011
Cate: 「介在」

オーディオの「介在」こそ(ヘッドフォンで聴くこと・その7)

この項の(その3)で、音楽を聴く、という行為は本来孤独なものである、と書いた。
言うまでもないことだが、孤立と孤独は同じではない。

孤立した聴き手と孤独な聴き手の音楽への接し方は、
そのままオーディオへの接し方の違いとなって反映されよう。

Date: 2月 4th, 2011
Cate: 「介在」

オーディオの「介在」こそ(ヘッドフォンで聴くこと・その6)

日本で、東京で暮していると、建物のすぐ隣に別の建物があり密集している。
住宅地でも一戸建ての家のとなりにはマンションが建ってたりする。
都心に行けば、さらに高層マンション、高層ビルが建っている。

足もとはたいていアスファルトかコンクリート、といった固い地面。
それらに囲まれながら、の、あらゆる音にとり囲まれている。

こういう環境もあれば、360度見渡すかぎり地平線という広大なところに住んでいる人とでは、
日常の雑多な音は、まったく異っている。

それに同じような環境下でも、気候、とくに湿度が大きく違うところでは、やはり違ってくる。
たとえばカリフォルニアの湿度の低さは、日本に住んでいる者には想像できないほどで、
静電気によってスピーカーのボイスコイルが焼き切れることもめずらしいことではない、と聞いている。

そこまでカラカラに乾いた空気のもとでは、反射してくる音も直接伝わってくる音も、
高温多湿の日本とでは、どれだけ違ってくるのだろうか。

そういうふうに、われわれの周りにある音は、
まざり合っているというよりも、絡み合って存在しているように思える。

スピーカーから出てくる音も、そういう音と絡み合うことになる。
だから、スピーカーの音は、環境と切り離すことのできない性質のもの、といえ、
音と風土の関連性が生れてくるのかもしれない。

結局のところ、音も人の営みによって生れ出てくるものだけに、
スピーカーから、ヘッドフォンから出てくる音だけを、
人の営みによって生み出されてくる音と隔絶してしまうことは、もっとも不自然なことであり、
それは音楽を「孤立」させてしまうことになる、そんな気がする。

音楽を孤立させてしまい、その孤立した音楽を聴いている者も、また孤立してしまう。
それは、自分が住んでいる世界に対して、耳を閉ざしている行為に見えてしまう。