Archive for 11月, 2010

Date: 11月 19th, 2010
Cate: ショウ雑感

2010年ショウ雑感(その8)

「音の怖さ」に関連したことでは、「言葉の怖さ」を知らないのか、と、つい思ってしまったブースがあった。

そこでは、あるディスクをかける前に、係の人が、聴きどころ、といおうか、
音の特徴について話したあとに音を鳴らす。
そこでの音の表現──、これが実感できる音が出てくれれば何も言うことはない。
人によって、音の表現は、同じ言葉を使ってはいても微妙に違うところがある。
そんなことは承知のうえで、ある音の表現に対して、こちらも、ある程度の幅をもって聴くようにはしている。

ある程度、そこでの音の表現にひっかかってくる音が出てくれば、納得できる。
でも、今回は、まったくひっかかってこない。

どういう音の表現がなされていたかをここで書いてしまうと、どのブースだったのか、バレてしまうため、
わかりにくい書き方で申し訳ないが、どう好意的に解釈しても、
音を鳴らす前に説明された音とはかなり違う音が鳴っていた。
鳴り終ったあとも、自信あり気に、こうだったでしょう、とくる。

そこではディスクを3枚聴いていたけれど、すべてその調子で、すべて外していた。
すなおにうなずけなかった。

聴くポイントが違っている、という次元ではない。
なにか思い込みだけで、そこで鳴っている音とは無関係に、ただ音を表現する言葉がむなしく響いていた。

Date: 11月 18th, 2010
Cate: ショウ雑感

2010年ショウ雑感(余談)

今年のショウでは、ちょっといい光景があった。

これまでのショウに来ていた人の中でいちばん若い兄妹。
お兄さんは、おそらく小学高学年ぐらい、妹は三年生か四年生かな、というふたりに、
ノアのブースの女性の方がこのふたりに
「今日聴かないと、もう聴く機会のないスピーカーがあるから、どうぞ」と声をかけ、あの重たいドアを開けていた。

“The Sonus faber” のことだ。
このふたりが、どう感じていたのかは知りようがないけれど、
アナログディスクが鳴っていたら、きっとなにかつよく感じるものがあったはず、と思っている。

Date: 11月 18th, 2010
Cate: ショウ雑感

2010年ショウ雑感(その7)

別項の「使いこなしのこと」の最初のほうで書いているブースは、今年は、ひどかった。
昨年は、「おやっ?」と思うほど例年の平均レベルからすると、かなりまともな音を出していたから、
実はすこしは期待していた。今年は、去年と同等か、もしくはもっと良くなっているか、と。

でも、ブースに入った瞬間、すでに鳴っていた音は、そんなかすかな期待を見事に粉砕してくれた。
どこかがこわれているとしか思えない音だった。
後日聞いた話では、故障までいかなくても、装置に不備があったらしい。

だからといって、あの音を聴かせるのはどうか、と思ってしまう。
ショウだから、まともな状態で鳴らすのはたいへんなところもあるのはわかっている。
来場者のほとんどもそのへんのところはわかってくれている。
でも、今回の音は、もう音出しをすべきではない。そう思う。

きちんと説明すれば、楽しみにしてこられた方も納得されるだろう。
とりあえず聴かせればいいや(そういう考えがあったのかどうかはわからないが)、
少なくとも、今年のあのブースで鳴っていた音は、そんなふうにも感じさせる。

装置に不備があったことを知っている人はいい。けれど、知らずに、あの音を聴いていた人も少ない。
「音の怖さ」を、このブースの人たち、それにアナログディスクでなさけない音を出していたブースの人たちは、
身に沁みて知る機会がなかったのだろう、きっと。

Date: 11月 17th, 2010
Cate: ショウ雑感

2010年ショウ雑感(その6)

“The Sonus faber” でつよい印象を残してくれたのはアナログディスクでの音だった。
そして、今年のショウは、昨年よりもアナログディスクの音を鳴らしていたブースが多かった──
たまたま私がそのブースに入ったときに鳴っていただけなのかもしれないけれど──ように思う。

いくつかのブースでアナログディスク再生の音を聴いてはっきりするのは、
出展社によるアナログディスク再生の技術にけっこうな差があること。
ディスクの扱い方、カートリッジを盤面におろすときなどを見ていると、
アナログディスク再生にのめり込んだ経験がないのではなかろうか、
とそんなことを感じさせたブースがあったのは、残念だと思う。

もっと残念なことは、そのレベルの未熟さを自覚していない、と思われること。

たまたま私が聴いた、アナログディスクを鳴らしていたブースのなかにはいくつか、
操作面での都合上だろうが、カートリッジを降ろす際に、ボリュウムをあげたままのところがある。
そのことは否定しない。
こういう場において、このときのノイズは、的確な判断材料となるためで、
このときの音は、ボソッ、ボコッ、ボッ、ポコッ、ポッ……とか、じつにさまざまな音であり、
アナログディスク再生にながくつきあってきた人は、どれが好ましい音なのかわかるはずだ。

あるブースでは、実に気持のいい感じで、このときの音が鳴っていた。
そのあとに続いて鳴ってきた音もよかった。

でもあるブースでは、実に汚い感じで、やや間延びしたような、
とにかく耳にした瞬間「あれっ?」と思うような音があった。
案の定、鳴ってきた音は “The Sonus faber” で聴けたアナログディスクの音とは対極の、
死んだような音で、まったく楽しめない。
そのブースで、CDは、まあ、そこそこの音で鳴っていた。
使っていたアナログプレーヤーも、世評の高い、価格もけっこうな額のきちんとしたモノだ。
断定はできないけれども、そのブースのアナログディスク再生に関する知識・技術・ノウハウの不足だろう。

それぞれの出展社の社員のなかには、
自分の意思で聴く音楽を選び、自分のお金でディスクを買うようになったとき、
すでにCD全盛時代のなかで育ってきた世代も増えてきたのかもしれない。
そういう人たちに、きちんとしたアナログディスク再生を望むのは、酷なことだろうか。

アマチュアならば、そういういいわけはできる。
けれど、少なくとも彼らはオーディオのプロフェッショナルであるべきだ。
そして、会社という組織は、プロフェッショナルを育てていくべきである。
そういう余力がないのか。もし個々の会社にそういう余力がなければ、
このショウの主催者である日本インターナショナルオーディオ協議会が協力して、
若い世代たちを、会社という垣根をこえて育てていくべきだ、と私は思う。

Date: 11月 17th, 2010
Cate: 「本」, 瀬川冬樹
2 msgs

瀬川冬樹氏の「本」(お願い・補足)

柴犬さんのコメントを読み、補足します。

私の手もとにあるステレオサウンドは38号から、です。ただし40号と44号が欠けています。
ステレオサウンドの別冊関係では、High-Technicシリーズ(4冊すべて)、SOUND SPACE、
コンポーネントの世界の’77と’78、コンポーネントのすすめ(3冊すべて)、
世界のコントロールアンプとパワーアンプ(’78年号と’81年号)、あとはヘッドフォンの別冊、以上です。

これら以外のステレオサウンドと、
1981年以前に出版された、瀬川先生の文章が掲載されているものを探しています。

レコード芸術、スイングジャーナルとその別冊、週刊FM、FM fanと別冊FM fan、などです。

私の記憶にある範囲では、’80年か’81年の、どの号かはわすれましたが、特選街に、
B&OのBeogram について書かれていたはずです。
それからいまは廃刊になってしまった月刊PLAYBOYの創刊号から数号に亙って、
原稿を書かれているはずです。
それから、ベートーヴェンの「第九」の聴き比べの記事も、PLAYBOYのはずです。

これら以外にも、こういう記事を読んだことがある、とご記憶の方、
情報だけでも、お教え下されば、助かります。

Date: 11月 16th, 2010
Cate: 「本」, 瀬川冬樹
2 msgs

瀬川冬樹氏の「本」(お願い)

瀬川先生の「本」の第二弾の作業にとりかかっていますが、
すでに私の手もとには入力がおわった本しかありません。

国会図書館に足をはこんでコピー、ということも始めましたが、
いまのペースで行くと、第二弾で十分な分量の公開はかなり厳しくなってきました。

瀬川先生の文章が掲載されているステレオサウンド、別冊FMfan、レコード芸術、
その他のオーディオ雑誌のバックナンバーをお貸し出しいただける方はいらっしゃらないでしょうか。

よろしくお願いいたします。
こちらまで、ご連絡、お待ちしております。

Date: 11月 16th, 2010
Cate: 「本」, 瀬川冬樹, 言葉

瀬川冬樹氏の「本」(余談)

先週末から、試してみたいことがあって、ある本を電子書籍にする作業にかかっきりになっていた。
スキャナーに附属していたOCRソフトを使えば、どのくらい作業時間を短縮できるのか、がひとつ。
それから、こまかい作り込みをおこなうために、
瀬川先生の「本」では、Sigil(このソフトで作成している)のBook View で行なっていたのを、
今回は Code View も使いながら、タグの編集もやってみた。

約15万字あった本を、瀬川先生の「本」よりもこまかいところまで作り込んで、
入力からすべての作業の終了まで3日で了えた。今回の本に関しては公開の予定はないが、
作業の最後のほうで感じていたのは、既存の本をこうやって電子書籍化することは、
リマスター作業なのではないか、ということ。

これまで「電子書籍化」という言葉を使っていたけれど、なにかしっくりこないものを感じていたし、
「電子書籍化」という言葉だけでは、はっきりしない何かを感じていた。

デジタル化、という言葉も使いたくない。

本のリマスタリング、リマスターブック、とか表現することで、
目ざそうとしているところが、すこしはっきりしてきた感がある。

Date: 11月 15th, 2010
Cate: ショウ雑感
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2010年ショウ雑感(その5)

“The Sonus faber” にしても、XRT28とMC2KWのペア、どちらかが欲しい、というわけではない。
機会があれば、また聴きたいと思っている。

今年の同じ音が聴ける保証はないけれど、
おそらく来年のショウでもXRT28とMC2KWのペアの音は聴けるだろう。
“The Sonus faber” は全世界で限定30セットということで、
すでにほとんどが売れてしまっているということだから、
おそらく聴く機会はない、と思われる。
もういちど、というか、もう数枚、好きなアナログディスクを聴いてみたいという気持はつよくあるけれども、
それでは、”The Sonus faber” を自分のモノに、いつかしたい、という気持はまったくない。

手が届かない価格ということは、もちろんあるけれど、それ以上に、どちらもスピーカーシステムも、
いったいどれだけ広い空間を要求するのだろうか。
そのことを考えると、私の、すくなくともいまの音楽の聴き方には、
このふたつのスピーカーシステムの世界は似合わない。

“The Sonus faber” はエンクロージュアの片側の側面に38cm口径のウーファーがある。
ウーファーを外側にした場合、側面の壁との距離は最低でも1.5mは確保しなければならないらしい。
内側にしたら、最低でも左右のスピーカーの間隔は3mは必要となる。
メーカー側からは、最低でも床面積50㎡は必要、とのこと。

この50㎡は、おそらくぎりぎりのものかもしれない。
昔の感覚でいえば、JBLの4343を6畳間にいれているようなものに近いのかもしれない。

以前にも書いているように、使いたい、鳴らしたいスピーカーシステムであれば、
部屋にはいりさえすれば、かなり大きくても……、という考えをもっていても、
マッキントッシュとソナス・ファベールの、それぞれのシステムは、最低でも30畳、
もっと広い空間を要求してくれように感じている。

たとえそれだけの空間が自由にできる環境にあったとしても、
音楽を親密に聴くために、それだけの空間は、むしろ広すぎるようにも思う。

だから、ショウで1年に一度聴ければ、それで私は満足できる。
そして、その意味で、このふたつのスピーカーシステム、
特にひじょうに高価な “The Sonus faber” は、夢のあるオーディオ・コンポーネントといえるのだろうか。
そういう疑問もわいてくる。

Date: 11月 14th, 2010
Cate: ショウ雑感

2010年ショウ雑感(その4)

“The Sonus faber” を鳴らしていたパワーアンプはソウリューションのモノーラルタイプだったから、
おそらくコントロールアンプもCDプレーヤーもソウリューションだったであろう。
アナログプレーヤーは、トーレンスのTD550だった。

CDのときとアナログディスクのときとでの音の違いは、
ソウリューションのCDプレーヤーとトーレンスのアナログプレーヤーとの音の差によるものだったのか、
それともアナログディスクとCDという、プログラムソース側の特質の差によるものだったか、
どちらなのかを判断することは、あの場ではできない。

それでも、ただ直感だけでいわせてもらえるなら、
CDとアナログディスクの違いによるものが大きいように思っている。

もちろんトーレンスとソウリューションという違いもそこに加わってものだということはわかったうえで、
それでもトーレンスのプレーヤーでアナログディスクを鳴らしているときの “The Sonus faber” は、
楽しい音、と書くよりも、愉しい音、としたほうがぴったりくる。

さきほど聴いたスピーカーとは思えないほど、その表情が違っている。
私が聴くことのできたアナログディスクは2枚でおわった。
そのあと、またCDで鳴らされている。たしかに、これは、さきほど聴いた音である。

何が悪い、というわけではないけれど、アナログディスクでの音を聴いた直後では、
よけいに魅力を感じにくくなっている。< アナログディスクで鳴っている "The Sonus faber" の音を聴いていて想いだしていたのは、 1980年前後のオーディオの愉しさだった。 なぜだか、あのころのオーディオへのひたむきな気持がよみがえってきたような感じもあって、 「あぁ、これだ!」と心の中でつぶやきながら聴いていた。 それは決して "The Sonus faber" の音が、その当時の音だということではない。 ただ、アナログディスクでの "The Sonus faber" から出てきた音のなにかがトリガーとなって、 そういう気持になっただけのことかもしれない。 さすれば個人的な印象の領域を一歩もでないことゆえに、 読んでくださっている方の参考にはまるでならないことだろう。 それでも......、それだからこそ、今回のショウで聴くことのできた音の中では、 "The Sonus faber" の音がもっとも印象的ではあった。

Date: 11月 13th, 2010
Cate: ショウ雑感

2010年ショウ雑感(その3)

ノアのブースでは、ソナス・ファベールの “The Sonus faber” が鳴っていた。
ノアのサイトでも、ある個人サイトでも書かれているように、
この、全世界で30セットの限定発売のスピーカーシステムが、
今年のステレオサウンド誌のグランプリに選ばれている。

ショウの前にそのことは知らされていたから、やはり興味は増す。
正直にいうと、最初にブースに入ったとき鳴っていたのは拍子抜けするような音で、
早々に他のブースに移ってしまった。
別にどこが悪いとか、欠陥があるとか、そういう意味合いではなくて、グランプリに選ばれた、ということ、
それに1組2千万円という価格──、これらによって期待度は自然とふくらむ。
そうやって聴くものだから、
それにこれだけのシステムがそう易々と本領発揮という鳴り方をするわけでもなかろう。

そんなことはわかっていても、最初に耳にした、その音は、こちらの勝手な期待には達していなかった。

それに、いままでのソナス・ファベールの他のスピーカーシステムとはやや趣がちがって、
武骨な面も外観に感じられて、同社のスピーカーとしては、やや異色な存在とも感じていたところもある。

それでもぐるっと他のブースを廻ったあとで、ノアのブースの前を通ったとき、ドアが開いて音が聴こえてきた。
さっき聴いた音とはあきらかに、感じが違う。そう感じて、ふたたびノアのブースに入っていた。

最初のときは、椅子に空きがあってもべつに坐って聴こう、とは思わなかった。
今度は、空きを見つけて、さっと坐る。

坐ってすぐに気がついたことは、アナログディスクが鳴っていたということ。
さっき聴いた音は、CDで鳴っていた。

Date: 11月 12th, 2010
Cate: ショウ雑感

2010年ショウ雑感(その2)

MC2KWで鳴らされるXRT28の音を聴きながら思い出していた瀬川先生の文章の次のものだ。
    *
中でもアメリカ東海岸で作られるスピーカーにこの手の音が多いと私は感じる。東海岸というとボストンで作られるKLHやアドヴェント、ボーズなど。それにニュージャージイで生れるボザークなどだ。また、これらのスピーカーは、日本の六畳や八畳ていどのせまい部屋で鳴らすと、いっそう精彩を欠いた、ディテールの反応の鈍い音がする。鈍重でしかも乾いているというのでは、全くとりえがなさそうに思えそうだ。ところが、これらのスピーカーをライヴな広い部屋に入れて、部屋いっぱいを満たすような音量で鳴らすと、実に豊かで朗々とよく響く、耳当りの柔らかくしかも充実感のたっぷりした気持の良い音を聴かせる。
     *
後半部分に書かれている東海岸生れのスピーカーの良さ──、
それがマッキントッシュ・ジャパンのブースではたしかに鳴っていた。

パワーアンプの出力はどの程度必要か、ということは、
使用するスピーカーシステムの能率、部屋の広さ、響きの多い少ない、
鳴らすプログラムソースや聴く音量によって、その値は大きく異ってくる。

2kW(2000W)もの出力が、必要なのかどうかは、少なくともいまの私には不要なほどあまりある大出力だが、
この日のマッキントッシュ・ジャパンのブースでは、その必要性だけで優位性が、音として鳴っていたと思う。

ショウという条件下で、あれだけ朗々とよく響く、気持の良い音を出していたことは、
それだけでたいしたことではないだろうか。
まったく不満を感じさせない音なわけではない。
それでも、このアメリカ東海岸の音の特質を、これだけきちんと響かせていたこと、
そしてそれも1970年代までの、色濃い東海岸の音、
高域のレベルをあきらかにおさえていた時代の乾いた音ではない。

高音域の繊細さをことさら強調しないという意味では、
高域をややおさえているということにつながるのだろうが、
少なくとも帯域バランス、音色上のバランスで、
はっきりとした東海岸サウンドの特徴は、もうほとんどないのだろう。

だからなのだろう、もうひとつの特徴である部屋いっぱいを満たす豊かさが洗練されてきている。
そんな感じを受けていた。

マッキントッシュという会社は、
真空管アンプの時代から、つねにその時代時代において大出力アンプをつくってきた。
いまさらだが、このことも東海岸サウンドとつよく結びついているということも感じていた。

ただこのシステムを、狭い空間にはもち込むのはやはり無理があるだろう。

’70年代には、アルテックのA5を6畳間で鳴らしていた人がいたということを瀬川先生が書かれている。
小音量でひっそりとA5を、その人は鳴らし、飼いならされていた、とあった。
そういう鳴らし方も、XRT28とMC2KWの組合せは可能だろう(ただし電力線を引き込む必要はあるだろうが)。

でも、今回のショウで耳にすることのできた、あれだけの大音量でも耳当りの柔らかく充実した音を聴いたあとでは、
それだけの空間が得られないかぎり、別のスピーカーシステム、アンプの組合せを選ぶ。
その意味では、私個人の生活には無縁ということになる。

それだからこそ来年もマッキントッシュ・ジャパンのブースで、
今回の音が聴けることを、できれば上廻る音が聴けること望んでいる、また楽しみにしている。

Date: 11月 11th, 2010
Cate: 瀬川冬樹
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瀬川冬樹氏の「本」(補足)

瀬川先生の「」は、EPUB形式です。
私はiPadで読んでいますが、iPadをお持ちでない方から問合せがありましたので、
それ以外の表示手段について書いておきます。

Mac、Linux、ウインドウズで表示するには、Calibre という電子書籍管理ソフトウェアで可能です。
このソフトを使えば、AmazonのKindle用のフォーマットへの変換も可能です(試してはいませんけど)。

Adobeの電子書籍リーダー、Digital Editions では、目次は表示できるそうですが、本分はすべて文字化けするそうです。

友人のYさんは、ブラウザーのFireFoxにEPUB用のプラグインをインストールして読んでいる、とのことです。

iPad以外でも読めますが、機会がありましたら、
ぜひいちどiPadにインストールして手にとって読んでみてください。

Date: 11月 11th, 2010
Cate: ショウ雑感

2010年ショウ雑感(その1)

今年は、ぎりぎりまで瀬川先生の電子書籍つくりにかかりっきりだっため、
インターナショナルオーディオショウへ行けたのは、最終日の13時すぎだった。
しかも今年は、17時終了でいうこともあって、会場にいたのは、わずか数時間。
すべてのブースには入れなかった。

もちろん会場についた時点で、まず駆け足ですべてのブースにとにかく入ってみるつもりでいたし、
実際そうしたけれど、いくつかのブースには、もう人がいっぱいで中に入れなかった。

私が居た時間帯で、もっとも人が集まっていたのは、フォステクスのブースだった。
今年初参加で、しかもスペースもそれほど広くないということもあってだろうが、ドアの外まで人があふれていた。
こんなに人が集まっていたブースを見たのは、ここ数年、他のブースではなかったように思う。

入れたブースの音のじっくり聴いたわけでもない。
それでも、入った瞬間に、惹きつける音をだしているところがあり、
今年、私が聴いたなかで印象に残ったブースは、マッキントッシュ・ジャパンとノアだった。

マッキントッシュ・ジャパンでは、MC2KWで鳴らされていた。

この音を聴く12時間前まで瀬川先生の電子書籍の作業をしていたこともあってか、
瀬川先生が書かれていたアメリカ東海岸の音についての文章が浮んできた。

1970年代の東海岸サウンドとは、音のバランスは違う。
以前も書いたように、KLHのスピーカーシステムのレベルコントロールの表示に、
FLATとNORMALの、ふたつのポジションがあり、
トゥイーターのレベルをやや下げた状態を”NORMAL”とする東海岸特有の音のバランスは、もうない。

なのに私が東海岸サウンドと、つよく感じたのは、音の余裕度について、である。

Date: 11月 10th, 2010
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

確信していること(その7)

ハーツフィールドとパラゴンはユニット構成もほぼ同じうえに、エンクロージュアの形式も、
言葉の上だけでは、オールホーン型ということで同じ面を持つ。

もっとも中音のホーンに違い、低音部のホーンの構造の違い、
それにモノーラル時代につくられたハーツフィールド、ステレオ時代につくられたパラゴン、
そういう違いはあるものの、たとえば同じJBLのスタジオモニター・シリーズと比較すれば、
ハーツフィールドとパラゴンは、ひとくくりにされるかもしれない。
いわば旧い世代のスピーカーシステムに属している。

ハーツフィールドとパラゴンの、瀬川先生にとっての相違点はどこにあるのか。
そして、もうひとつハーツフィールドよく似たスピーカーシステムで、
瀬川先生が「欲しい」と書かれているモノがある。

イギリス・ヴァイタヴォックスのCN191 Corner Horn だ。

Date: 11月 9th, 2010
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(その32)

オーディオの使いこなしには、いくつかの難しさを含んでいる。
そのひとつが、オーディオを音楽を聴くための道具だとしたときに、他の道具との違いとして、
その道具としての働きをしているとき(つまり音楽を鳴らしている音)、
道具の使い手(聴き手)の「手」から離れているところにある。

オーディオに関心のある人は、オーディオにとって使いこなしが大切であることは理解されているけれど、
そうでない人たちにとっては、オーディオの使いこなしへの理解はほとんどないのではなかろうか。
おそらくオーディオも、テレビ、ラジオなどの他の家電製品と同じようにみられていると思う。

このことと、オーディオの使いこなしの難しさは、手から離れてしまうことにおいて関連している。

他の道具──、たとえばオーディオとの引き合いによくだされるカメラや車、
身近なものでは筆や万年筆、それからものをつくる工具類。
オーディオにある意味、近いものでは楽器もそうだ。
これらの道具は、その働きをしているとき、使い手の中にあり、
こちらの身体動作に対してリアルタイムでなんらかの反応を返してくる。

第二の脳、といわれる手になんらかの反応がある。

ところがオーディオは、スピーカーの位置や角度を調整する。
アナログプレーヤーなら、トーンアームの高さ、カートリッジの針圧など、そういったことがらを調整しているとき、
もちろんなんらかの反応(というよりも感触)はあっても、それは「音」ではない。

使いこなしの結果としての「音」が返ってくるとき、使い手は椅子にすわり「聴き手」になっている。
ここに、わずかな時間が生じる。そしてその結果の音は、手ではなく耳で受けとる。