Archive for 4月, 2010

Date: 4月 9th, 2010
Cate: 4343, JBL

4343における52μFの存在(その29)

まずミッドハイとトゥイーターの保護用として、この52μのコンデンサーを経由しているのであれば、
4343においてバイアンプ駆動、もしくは4340のネットワーク、3140でも、
この52μFのコンデンサーがあって当然なのに、
3140に、52μFのコンデンサーは、ない。

4340は、バイアンプ駆動にも関わらず、
ミッドバスのレベルコントロールを搭載しいてることは、すでに指摘している。
必要のない、それにわずかとはいえ音質を劣化させる要素となる、
そしてわずかとはいえコストアップにもなるミッドバスのレベルコントロールを残しているのだから、
スピーカーユニットの保護用として52μFのコンデンサーを経由させているのであれば、
3140にも、このコンデンサーの存在があってしかるべきだろう。

4343においても、バイアンプ駆動時にも、このコンデンサーを経由させるだろう。

ミッドハイ、トゥイーター用のネットワークは、当然のことだが、
コンデンサーが直列に入っている。
だから52μFという、ミッドハイ、トゥイーター用としては大容量のコンデンサーを経由させたからといって、
特別に保護用ということにはならない。

Date: 4月 9th, 2010
Cate: 4343, JBL

4343における52μFの存在(その28)

4343において、ミッドハイ、トゥイーターは、
本来経由する必要のないコンデンサーの中を音声信号が通過していくことになっている。

なぜなのか?
答えは、開発者のパット・エヴァリッジのみが知るところだろう。
それでも、あえて推測してみる。

佐伯氏は、ステレオサウンドの記事で、この52μFのコンデンサーの挿入位置は、
おかしいとされていたはずだ。

海外での掲示板では、早瀬さんから聞いたところによると、
ミッドハイ、トゥイーターの保護用として、あえてこのコンデンサーを経由させている、とか、
このコンデンサーも、ミッドハイ、トゥイーターのハイパス(ローカット)に関係していて、
このコンデンサーを経由させずに、一般的な接続すれば、スロープ特性が変化する(はず)という意見があるらしい。

ほんとうにそうだろうか。
海外の掲示板での結論らしきものは、どちらも正しいとはいえない。

Date: 4月 8th, 2010
Cate: 4343, JBL

4343における52μFの存在(その27)

やっとここから本題に入っていくわけだが、4343、4341のネットワークの回路図のなかで、
ミッドバスのハイパス(ローカット)フィルターを構成するコンデンサー
(容量:52μF)の位置に注目してもらいたい。

このコンデンサーの挿入位置については、数年前のステレオサウンドに連載されていた、
元ダイヤトーンのスピーカー技術者であった佐伯多門氏による、
4343を現代に蘇らせる、という主旨の記事中でも、問題とされていた。

早瀬さんから聞いた話では、海外のマニアのあいだでも、
この52μFの位置については、掲示板で論議されている、とのことだった。

スピーカー端子から入力された信号は、まずふたつに分かれる。
ひとつはウーファー(2231A)のネットワーク回路へ、
もうひとつは、ミッドバス(2121)以上の3つのユニットへ、と分かれる。

通常4ウェイのスピーカーシステムであれば、入力端子のあとで、
それぞれのユニットのネットワークへ、と4つに分割される。

それが4343(4341)では、まず2分割され、上3つの帯域のユニットへの信号はすべて、
52μFのコンデンサーを経由することになる。
くり返すが、この52μFのコンデンサーはミッドバスのハイパス(ローカット)フィルターを構成する部品であり、
ミッドハイ(2420)、トゥイーター(2405)には、当然だが、それぞれハイパスフィルターをもつ。
この52μFのコンデンサーを経由する理由は、技術的には見当らない。

Date: 4月 7th, 2010
Cate: 4343, JBL

4343における52μFの存在(その26)

パット・エヴァリッジが手がけた4341(4340)と4343のユニット構成は、
ウーファーからトゥイーターまで、すべて同一。

ネットワークは、4341が3141、4341のバイアンプ仕様の4340用が3140、4343は3143となっているが、
基本的には同じものである。
3140はウーファー用の回路とミッドバスのハイパス(ローカット)の回路を、
3141から取り除いただけで、ミッドバスのレベルコントロールはそのまま生きている。

3143と3141は、バイアンプ使用のための切替えスイッチの有無だけの違いで、
回路構成、コンデンサー、コイルの定数まですべて同じである。

つまり4343と4341は、使用スピーカーユニットとネットワークは同じで、
違うのはエンクロージュアとユニット配置ということになる。

Date: 4月 7th, 2010
Cate: 4343, JBL

4343における52μFの存在(その25)

残念ながら、JBLには、15インチ・ウーファーでコーン紙の裏面にランサプラス処理をしたものは、ない。

JBLのスピーカーシステムで、アクアプラス(ランサプラス)処理のウーファーを採用したものは、
他のJBLの低音の鳴りかたとは、なにか異る性質をもつ。

4350の初期モデル、4311、4345などが、そうだ。
もっとも4350と4311は、ウーファーに対してコイルやコンデンサーといった、
ネットワーク素子が介在せず、パワーアンプと直結されていることで、得られている面もあるのだが。

4343と4345の低音の鳴りかたの違いを、
ウーファーの設計方針の違いだけで捉えることは一面的すぎることはわかっている。

エンクロージュアのプロポーションや設計方針の違い、バスレフポートの位置も、4343と4345では異るし、
ネットワークの設計の違い、それにいちばん大きな違いは、設計者の違い──、
これが有機的に絡み合って違いではあるとわかっていても、
4343に、もう2245Hの15インチ版ウーファーなるものが存在し、装着されていたら……、
設計者のパット・エヴァリッジが描いていた音が、より具現化されていたのではないだろうか。

Date: 4月 6th, 2010
Cate: 4343, JBL

4343における52μFの存在(その24)

2230と2231の、もっとも大きな違いは、
2230が、4ウェイ構成用のウーファーとして設計されていること、
2231は3ウェイ、もしくは2ウェイでも使用可能なウーファーとして設計されていること、だろう。

単体のウーファーとして、どちらか優れているか、
というより、汎用性の高さでは、2231ということになるだろうが、
300Hzあたりをカットオフ周波数の上限とする4ウェイにおいては、
どちらがより適しているかとなると、むしろ2230かもしれない。

4345のウーファーは、18インチの2245Hだから、2231にくらべ口径がましている分だけ、
高域の再生限界は低くなる。
JBLとしても、2245Hを3ウェイや2ウェイ用のウーファーとして使うことは考えていないはず。

2245Hは、最初から4ウェイ専用のウーファー、
つまりカットオフ周波数が300Hz前後で使用するウーファーとして開発されているように思える。

となると2231や2235に採用した質量制御リングよりも、コーンの裏面にランサプラス処理を施したほうが、
目的に合致するのかもしれない。

こんなふうに考えていると、4343に2230がウーファーとして採用されていれば、
どうだったろうか、とついつい思ってしまう。

4343には白いコーンのウーファーは似合わないだろう。
だから、2245Hのようにコーンの裏面に処理を施した15インチのウーファーが、
もし存在していたら……と夢想する。

Date: 4月 6th, 2010
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その30)

ならば、最初から、同軸型のスピーカーケーブルを逆使いにすればいいだろう、
と思われる方もおられるだろう。

でも、決して井上先生は、最初から逆使いにされることはなかった。
最初は指定どおりの使い方、芯線をプラス、シールドをマイナス側にされて、
チューニングをすすめて、かなりのところまできた段階で、最後の詰的な意味合いで、
「変えてみろ」と指示を出される。

こちらも何をすべきかわかっているので、この言葉だけで、
スピーカーケーブルの接続を逆使いに変える。

このときの音の変化を確かめられて、満足されたような顔をされたあと、
ほんの少し、最後の詰を行なわれて、
たいていの場合、ステレオサウンドの試聴室でのチューニングは終ることが多かった。

それからもうひとつ言っておきたいのが、どんなスピーカーシステムにでも、
同軸型ケーブルを使われるわけではなかった。

チューニングの途中で、指示を出され、通常の平行型のスピーカーケーブルから変えることになる。

Date: 4月 6th, 2010
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(その3・続×五 補足)

「Don’t think. Feel!」
これは、ブルース・リーの有名なセリフ。

「考えるな、感じろ!」は、オーディオにおける観察にも、そのままあてはまる。

井上先生がよく言われていたのは、
「頭で聴いている人を、音でひっかけるのは、別に難しいことでもなんでもない」

音は耳で聴くものだが、先入観をもって聴いている人をさして、「頭で聴いている人」という。
どんなにオーディオのキャリアのある人でも、うまく先入観をもたせることができたら、
その人の耳を騙そうと思えば、わりと簡単に騙せるわけだ。

わずかばかりの先入観によって、
いま鳴っている音、観察すべき対象を正しく感じとれなくなる危険性がある。

だから「Don’t think. Feel!」を私なりに訳すとしたら、
「まず感じろ、考えるのはそれからだ」としたい。

とにかく感じとることから、はじまる。

感じとる力(感応力)がない人は、技術書に活字として載っていることのみが、
事実となり、己で事実を感じとることができなくなるのだろう。

Date: 4月 5th, 2010
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(その3・続々続々補足)

ある現象に着目し、それを解明していくことこそ、科学的なことだと考える。

まず観察する能力が求められるのではないだろうか。

先人たちが解明したことを、なんとかのひとつ覚えのように、
ただヒステリックに、断片的にさけび、
己の勝手な主張、そして感情を押し通す・押しつけるために、
話をすげ替えていくことが、科学的なことだとはいえない。

オーディオにおける観察する能力とは、
まず音を聴き分ける能力であるし、その観察する環境を整えることでもある。

観察する環境とは、己の環境である。
つまり、観察する環境を整える能力は、セッティングであり、チューニングであろう。

しかもこのセッティングとチューニングにも、当然のことながら、
観察する能力(音を聴き分ける能力)が求められる。

Date: 4月 4th, 2010
Cate: 「介在」

オーディオの「介在」こそ(その1)

小林秀雄氏の「モオツァルト」。
ここに引用するまでもなく、私と同じ世代、そして上の世代の方に、強く刻まれているであろう、
「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追ひつけない。」──。

「疾走するかなしさ」と語られることもある。

いまさら小林秀雄の「モオツァルト」でもあるまい、という世代もいるかもしれない。
それでも、かけがえのない存在、に近いところがある。

瀬川先生は、「モオツァルト」を書き写された。
そう聞いたことがある。だから、私も書き写したことがある。

そうやって読んできた「モオツァルト」を、ほんのすこしオーディオ的な側面から捉えてみると、かなしさの疾走には、風がともなっているはず、だと思えてくる。
疾走することによって、風が興る。

この「風」こそが、オーディオを通してモーツァルトを聴くのに不可欠な要素だと、
私の裡では、そう木霊している。

これが正しいモーツァルトの聴き方、というつもりはまったくない。
といいながらも、「風」を感じられない音で聴いて、何になるのか、ともいっている私が、いる。

Date: 4月 3rd, 2010
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(その3・続々続補足)

このブログにおいてもTwitterでのつぶやきにおいても、
いまのオーディオ評論家とよばれている人たちについて、否定的立場をとっている。

彼らを擁護するつもりはないが、それでもひとつはっきりとさせたいのは、
彼らが、このようになったのは、すべての読み手とはいわないが、
一部の読み手側にも責任の一端がある、ということ。

Date: 4月 3rd, 2010
Cate: オーディオ評論
12 msgs

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(その3・続々補足)

志賀氏の「オーディオの科学」を信じられるのは、いい。
別にそのことは否定しない。
そして、私の、このブログを否定されるのも、いい。
何を信じ、何を信じない(否定するか)は、その人次第だからだ。

けれど、オーディオはまだまだ経験則を、ときとして優先しなければならないときが、少なからずある。
「そんなことはない!!」、と強い口調で、どん吉さんは、おっしゃるかもしれない。

なぜ、ご自身の耳を優先されないのか。そこが、私の知りたいところである。

そして、聴いても、ケーブルの方向性によって、音の変化はない、という言われるだろう。
それもまた、どん吉さんにとっての事実である。
私にとっての事実ではない。

どちらが「真実」かといっているのではない、ということを理解してほしい。

Date: 4月 3rd, 2010
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(その3・続補足)

ケーブルの方向性による音の変化が起きることに、
それがなぜなのか、理屈では説明できないところがあったからだ。

技術者の方も、ケーブルの方向性によって音が変化することは確認されていた。

こう書くと、たぶん、どん吉さんは、その技術者もオカルトであり、
そのメーカーもオカルトだと断定されるだろう。

そうされたければ、ご自由・ご勝手に、というしかない。
人の意見を耳を貸す心のゆとりがまったくない人ならば、自分の意見をいうのは控えるべきだ。

ケーブルの方向性が発生する理由について、彼らもあれこれ探っている、と話してもらえた。
いくつかの理由が候補としてあるけれども、実際の製造・出荷の過程を考えると、
それらが理由とは断言できない、ということだった。

ケーブルの方向性によって音が変わる理屈が、現時点では見つからないから、といって、
なぜ「オカルト」だと断言できるのか、私には、そのことが「オカルト」であるし、
「複雑な幼稚性」と言いたい。

オーディオは科学技術の産物である、が、その「科学」がすべて解明しているわけではない。
なぜ、この大事な前提が、すっぽり頭から抜け落ちているのだろうか。

Date: 4月 3rd, 2010
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(その3・補足)

この項の(その3)に対して、コメントがあったので補足しておく。

まずはっきりとしておきたいのは「オーディオの科学」を否定しているわけではないということ。

コメントをしてくださったどん吉さんは、私が「オーディオの科学」を否定している、と受けとめられているが、
そんなことはない。

感情的にならず最初からきちんと読めば、わかってもらえるはずだ。

それに志賀氏の経験が足りない、などはひと言も書いていない。
どうして、そう受けとられたのか、正直、少々理解に苦しむ。

ここでもういちどくり返すことになるが、
私が言いたいのは、「読み手」について、なのである。

だからこそ、「有機的な体系化」を自分自身で行なわなければならない、と書いている。

はっきりと書くが、ケーブルの方向性について、頭から「オカルトだ」と否定する人がいる。
どん吉さんもそのひとりだが、なぜ「オカルト」なのかについては説明されていない。

ケーブルの方向性については、ステレオサウンドにいる時に、
大手のケーブルメーカーの技術者の方に、「どう思うのか」ときいたことがある。

Date: 4月 2nd, 2010
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その29)

1980年代、日立電線からLC-OFCを線材としたスピーカーケーブルが数種発売されていて、
そのなかに、同軸型の、やや太めのものがあった。
そのスピーカーケーブルを、指定通りに使うと(つまり芯線をプラス側、シールドをマイナス側)、
どんなスピーカーシステムであろうと、低域と高域が聴感上いくぶん持ち上がって聴こえる、
いわゆるドンシャリ傾向の音になる。

井上先生が、なんどかステレオサウンドに書かれたり発言されているが、
このスピーカーケーブルを通常と反対の使い方をする。
芯線をマイナス側に、シールドをプラス側に接続してみる。
すると、ドンシャリ傾向はきれいに影をひそめる。そして音の密度感、勢い、
エネルギー感という言葉で表現される性質のものが、
低域から高域まで、全帯域でグッと密度が増した印象となる。
音楽が身近に感じられるようになる。聴きごたえのある音へと変る。

もっとも、いいかげんなセッティング、チューニングの段階で、こういう使い方をしても、
その変化量は大きくはない。しっかりと音を詰めていった段階で、この接続にすれば、
ほとんどの方が、驚かれるぐらいに音は変化する。

逆にいえば、通常の使い方とこの使い方の音の差が、あまり明確に出てこないようであれば、
セッティング、チューニングはまだまだだ、ということになる。