Archive for 2月, 2009

Date: 2月 21st, 2009
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その31)

マークレビンソンのコントロールアンプは、型番にLNP(Low-Noise Preamplifier)とつけているだけあって、
SN比の高さは見事だった。

井上先生も、マランツ#7以降、トランジスターアンプの時代になっても、
オルトフォンのSPUをダイレクトに接続できるコントロールアンプは、LNP2が登場するまで、
ほとんど存在していなかった、と言われていた。

LNP2のSN比の高さもさることながら、
真空管式であること、登場は1958年ということを考え合わせると、
マランツ#7のSN比の高さ(聴感上のSN比も含めて)は、驚異的といえるだろう。

カウンターポイントのイメージを、勝手にマークレビンソンと重ね合わせ、
ローノイズを期待していたのは私の一方的な思いにしかすぎないのだが、
それでも、マランツが実現できていたSN比を、
20数年あとのカウンターポイントが、なぜできないのかと思うのは、当り前のことだろう。

Date: 2月 21st, 2009
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その30)

正確に、どのくらい後だったのかは憶えていないが、井上先生から、
マランツの#7に、トランスもヘッドアンプも通さずに、
オルトフォンのSPUをダイレクトに接続したことがあるという話をきいた。

初期の#7だと、SPUのダイレクト接続では発振してしまうが、
位相補正が変更された後期の#7では発振は起こらなかったそうだ。
ただし、すこし不安要素は残っていたようだとも話された。

肝心のSN比に関しては、驚くことに、問題なく鳴ったとのこと。
真空管アンプで、なんらかの昇圧手段を使わずにSPUが使え、鳴ってしまうというのは、
井上先生にとっても考えられなかったことだったらしい。
それでも実際に試されているところが、井上先生のオーディオの楽しみ方のすごいところだ。

マランツ#7でSPUが実用になるのかぁ。
#7は、電源トランス内蔵だし、コントロールアンプとしての機能もきちんと備えているにも関わらず、
ノイズレベルに関しては、ほぼ問題ないわけだ。

なのにカウンターポイントのSA2はなぜ……、と当然だけど、そう思ってしまう。

Date: 2月 21st, 2009
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その29)

High-TechnicシリーズのVol.2をくり返し読んでいた私は、
真空管でヘッドアンプをつくるならば、ノーロイズの真空管の選定のほかに、
2本、3本……と並列接続するんだろうな、と漠然と考えていた。

それに機械的な電極をもつ真空管だから、振動によるマイクロフォニックノイズ対策はしっかりと必要になるし、
ヒーターの電源にも、十分な注意が必要になる。
それにすこしでもノイズレベルを下げるために、誘導ノイズの原因となる電源トランスは外付けにして……、
そんなこと考えているだけで、この頃は楽しかった。

こんなこともあって、ステレオサウンドで働きはじめたばかりのころ、
いきなり聴く機会にめぐまれたカウンターポイントのSA2への期待は、
試聴が始まるまでの、わずか数時間のうちにみるみる高まっていった。

山中先生の試聴だった。
真空管でヘッドアンプは無茶な試みなのか……。
そう感じてしまった。

Date: 2月 21st, 2009
Cate: Mark Levinson, 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その28)

ご存じの方も多いだろうが、
ジョン・カールのローノイズ化の手法は、増幅素子(トランジスターなりFET)を、
複数並列にして使用するものである。

ひとつひとつの増幅素子から発生するノイズは、時間的にランダムな周波数特性とレベルなため、
2個の増幅素子の並列接続では、それぞれの僧服素子から発生するノイズ同士が打ち消し合い、
1個使用時に比べて約3dB、ノイズレベルが低下する。
さらに3個、4個と並列する数を増やしていけば、少しずつノイズレベルは低下していく。

この方式を最初に採用したヘッドアンプが、マークレビンソンのJC1だと言われている。
瀬川先生は、JC1と同時期のオルトフォンのヘッドアンプMCA76、
このふたつの優秀なヘッドアンプの登場が、
1970年代後半からのMC型カートリッジのブームを支えていた、と言われたことがあった。

これらのヘッドアンプと出現のタイミングがぴったりのオルトフォンのMC20は、
いっそう得をした、とも言われていた。
MCA76は、おそらく測定器メーカーB&Kの協力もあっただろうと推測できる。

低歪化、ローノイズ化していくアンプの高性能化を確実に測定していくためには、
測定器はアンプよりも低歪、ローノイズでなければ、
アンプの歪を測っているのか測定器自身の歪を測っているのか、ということにもなりかねない。
世界一の測定器メーカーとして知られていたB&Kだけに、そのあたりの技術力、ノウハウは確かなものであったはずで、
その協力・バックアップがあったからこそ、
他のアンプメーカーに先駆けて優秀なヘッドアンプの開発に成功したのだろう。

Date: 2月 21st, 2009
Cate: 真空管アンプ, 長島達夫

真空管アンプの存在(その27)

ステレオサウンド別冊として刊行されていたHigh-TechnicシリーズのVol.2は、
長島先生が一冊すべてを書き挙げられたMCカートリッジの本だ。
すこし脱線するが、世界のMC型のいろいろと題して、
当時発売されていたMCカートリッジの内部構造図が、21機種分掲載されている。
ダンパーの形状、マグネットの形状や大きさ、コイルの巻き方、引き出し線がどこから出ているかなど、
個々のカートリッジの詳細がわかる、
ひじょうに充実した内容で、ここだけでも、この本は価値は十二分にあるといえるものだ。

この内部構造図を、実際にカートリッジを分解して、わかりやすいイラストを描かれたのは、
目次のイラストのところに名前がある、神戸明(かんべ・あきら)さんだ。
瀬川先生のデザインのお弟子さんだった方だ。

長島先生による「すぐれたMC型カートリッジの性能をひきだすための七章」、
 第一章:MC型カートリッジからみたヘッドシェルについて
 第二章:MC型カートリッジとトーンアームの相性
 第三章:MC型カートリッジとヘッドアンプおよびステップアップ・トランス
 第四章:プレーヤーシステムはMC型カートリッジにどんな影響をおよぼすか
 第五章:MC型カートリッジからみた望ましいプリアンプとは
 第六章:MC型カートリッジからみた望ましいパワーアンプとは
 第七章:すぐれたMC型カートリッジの性能を十全に発揮させるためのスピーカーシステムとは

この記事も、オーディオの勉強に役立った。
オーディオに興味をもちはじめて2年目、15歳の時に、この本を読んだ。
中途半端な技術書を、この時期に読んでいなくてよかった、といまでも思う。
私にとって、この本は、絶妙のタイミングで現われてくれた。幸運だった。

第三章:MC型カートリッジとヘッドアンプおよびステップアップ・トランスで、
ジョン・カールが考案したローノイズの手法を紹介されている。

Date: 2月 21st, 2009
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その26)

マークレビンソンのLNP2やJC2に魅力を感じていた私は、
カウンターポイントのデビュー作SA1に期待を寄せていた。

真空管を水平に配置すること、外部電源の採用で、JC2と同じ1Uシャーシー。
ツマミのレイアウトもスマートで好感がもてる。
新鮮な印象をまとまった真空管アンプとして、その音には期待していた。
左右のレベルコントロールのツマミの形状も、マークレビンソンに似ている。
なんとなくではあったが、私の中では、真空管アンプにおけるマークレビンソン的存在だった。

山中先生がステレオサウンドに、新製品紹介で記事を書かれていた。
それを読むと、やはり期待できる感じだ。
ただ動作面に関しては、すこしネガティヴなことも書かれていたように記憶しているが……。

そしてステレオサウンドで働きはじめたばかりの時、
カウンターポイントから真空管でMCカートリッジ用のヘッドアンプを実現したSA2が出てきた。
真空管によるヘッドアンプは、私も、あれこれ妄想したことがある。

Date: 2月 20th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その30)

「器も味なり」には、聴き方に作法があるということ、
作法が必要であり、その作法が音の美を生み出すのだということを、
瀬川先生は語られたかったのではないかと思えてしまう。

「器も味なり」は、オーディオ機器におけるデザインのことだけを指しておられるのではない。

Date: 2月 19th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと, 長島達夫

瀬川冬樹氏のこと(その29)

「オーディオ評論という仕事は、彼が始めたといっても過言ではない。」

長島先生が、サプリームに書かれている。
ほんとうにそのとおりだ。

Date: 2月 19th, 2009
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その13)

オーディオ機器の置き方によって音が変化することを最初に唱えられたのは、井上先生だ。

私のほうが先だ、私が最初だ、という人がいるだろうが、断言する、井上先生が最初だ。

スピーカーは、もちろん置き方によって音が変化するのは、周知のとおり。
アナログプレーヤーはハウリングが起きないように設置するのが第一で、
音のことを配慮していたとは言えなかった。
ましてアンプが、置き方や置き台によって、その音が変化することを、
なんとはなく気づいていた人はいたかもしれないが、
はっきりと、井上先生は感じとられていた。

置き方や置き台によって音が、ときには大きく変化することを、
井上先生はサウンドレコパルの読者訪問記事で気がつかれた、と話されたことがあった。

若い読者(たしか高校生のはず)が使っていたのは、普及クラスのオーディオ機器。
なのにひじょうに気持ちのいい、鳴りっぷりのいい音がしていて、驚かれたそうだ。
なにか特別な使いこなしがされている様子でもないのに、
それにいまのように高価なケーブルやアクセサリーがあった時代でもない。

「これかな?」と見当をつけて、アナログプレーヤーの置き方を変えてみたところ、
いたって平凡な音になってしまう。
また元の置き台に設置すると、さきほどまでの音が鳴ってくる。

この若い読者の家は、ゴルフ・クラブを製造する会社で、
プレーヤーの置き台になっていたのは、ゴルフ・クラブのヘッドに使われる、
ひじょうに堅い木の切り株だったとのこと。

その切り株を叩いてみると、ひじょうに澄んだ乾いた音がする。
さっきまで聴いていた音に共通する、その心地よい響きが、
井上先生のそれまでの経験と結びつき、
置き台(材質、構造を含めて)、置き方によって、
それまで思っていた以上に、音が変化することに気がつかれることになる。

Date: 2月 18th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その28)

傅さんが貸してくださったサプリームを、今日も読んでいた。

「ナマ以上に美しい音」「器も味なり」、
このふたつの言葉を、「そうだ、そうだった!!」と思い出した。
つよく感化されてきた言葉を、すこし忘れかけていたようだ。

巷でPCオーディオと呼ばれているものについて、傅さんと何度か電話で話している。
しっくりしないものを感じていることもあって、話が長くなる。

サプリームを読んで気がついた。
「器も味なり」、このことが欠けているのだ。

瀬川先生は、なんと仰るだろうか。

Date: 2月 18th, 2009
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その12)

若いころの、感性の網(クモの巣)はいびつで、キメがものすごく細かい個所もあれば、粗いところもある。
形がいびつと言うことは、鋭く尖っているところがある。
そこのキメが他よりも細かかったりすると、それを本人は「感性が鋭い」などと勘違いしがちだ。
私はそうだった。

そのころ、そう指摘されたとしても、素直に受け入れられるとは思えない。
結局、己で気づくしかないことを、歳を重ねて、知った。
私のことは措いておこう。

井上先生の網の目にひっかかった、オートグラフから鳴った音の何かが、
以前聴かれたロックウッドのMajor Geminiの音と結びついたのかもしれない。
それが井上先生の「オーディオを楽しまれる心」を刺戟したのだろう。
だからMC2300とLNP2Lを組み合わせて、
誰も想像したことのないモニターサウンドを、オートグラフで鳴らされた、と思えてならない。

井上先生の試聴には、ほとんど立ち合っている。
言えるのは、オーディオをつねに楽しまれていることだ。
真剣に楽しまれている。
深刻さは、微塵もない。

そういう井上先生だからこそ、できる組合せ、使いこなしがある。

インフィニティのIRSベータのウーファータワーとBOSEの301も組合せもそうだ。
それから記事にはならなかったが、マッキントッシュの MC275で、
BOSEの901とアポジーのカリパー・シグネチュアを鳴らしたことも、実はある。

BOSEといえば、サブウーファーのAWCSの試聴の時も楽しまれていた。
楽しさに勢いがあったとでも、言ったらいいだろうか。そして、こちらもつられて楽しくなる。

Date: 2月 17th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その27)

サプリーム3月号 No.144のタイトルは、「ひとつの時代が消えた 瀬川冬樹追悼号」だ。

目次を書き写しておく。
 池田 圭:瀬川冬樹の早年と晩年「写真の不思議」
 上杉佳郎:瀬川冬樹とオーディオ・アンプ「その影響、その功績」
 岡 俊雄:瀬川冬樹との出合い「”虚構世界の狩人”の論理」
 岡原 勝:瀬川冬樹との論争「音場の、音の皺」
 貝山知弘:瀬川冬樹の批評の精神「その論評は、常に”作品”と呼べるものだった」
 金井 稔:瀬川冬樹とラジオ技術の時代「いくたりものひとはさびしき」
 菅野沖彦:瀬川冬樹とその仕事「モノは人の表われ
 高橋三郎:瀬川冬樹とオーディオの美「音は人なり」
 長島達夫:瀬川冬樹と音楽「孤独と安らぎ」
 坂東清三:瀬川冬樹と虚構の美「器も味のうち」
 前橋 武:瀬川冬樹と熊本大学第二外科「昭和55年12月16日 午前8−午後5時」
 皆川達夫:瀬川冬樹とわたくし「瀬川冬樹氏のための”ラクリメ”」
 山田定邦:瀬川冬樹とエピソード「三つの印象」
 レイモンド・クック:「惜しみて余りあり」
 マーク・レヴィンソン:「出合いと啓示」

 弔詞:原田 勲/柳沢巧力/中野 雄

Date: 2月 17th, 2009
Cate: 傅信幸, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その26)

サプリームと聞いて、トリオ(現ケンウッド)が、1966年に発表した、
コントロールアンプと6チャンネル分のパワーアンプ、それにチャンネルデバイダーを、
ひとつの筐体に内蔵した、マルチアンプ対応のプリメインアンプ、
Supreme 1を思い出す人のほうが多いかもしれないが、
サプリームは、そのトリオが毎月発行していたオーディオ誌の名前でもある。

サプリームの存在は学生のころから知っていた。
KEFのレイモンド・E・クックとマーク・レヴィンソンが、瀬川先生への追悼文を書いていたことも知っていた。
しかし、当時、書店に並んでいるオーディオ誌はひとつ残らず読んだつもりだったが、
クックとレヴィンソンの追悼文が載っている本は手にしたことがなかった。

サプリームに、どちらも載っていたのである。

「サプリームだったのか……」──、
日曜日の夜、傅さんからの電話で、やっと知ることが出来た。

Date: 2月 17th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その25)

「あの時と同じ気持ちだ」──
今日、届いた本を読んでいたら、そう想えた。

ちょうど27年前、ステレオサウンドで働きはじめたばかりの私に出来た仕事は、
原稿を取りに行ったり、試聴の手伝いをしたり、
そしていまごろ(2月の半ば過ぎ)は、写植の会社から上がってきた版下をコピーにとり、校正作業だった。

ステレオサウンド62号と63号には、瀬川先生の追悼特集が載っている。

版下のコピーで、読む。
校正作業なので、「読んで」いてはいけないのだが、読者となって読んでいた。

その時の気持ちだった。
読み耽っていた。
気がついたら正座して読んでいた。

44ページしかない、薄い、中とじの本は、「サプリーム」3月号 No.144。
瀬川冬樹追悼号だ。

Date: 2月 16th, 2009
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その11)

音の聴き方について、以前、話してくださったがある。
「前のめりになって、聴いてやるぞ、と構えてしまうと、意外とだまされやすいし、
そういう人を音でだますのは、そう難しいことではない。構えてしまってはダメ。
むしろゆったりして、網を広げるようにするんだ。
で、その網にひっかかってきたものに反応すればいいんだよ」

例えは網でもクモの巣でもいい。
感性の網なりクモの巣をひろげる。

網(クモの巣)の形も、若いころは、ある部分が突出してとんがってたり、
違う所はひっこんでいたり、また網の目(クモの巣の目)も、ところどころやぶれてたりする。
それらのいびつなところは、音楽を聴き込むことで、いくつもの経験を経ていくことで、
細かくなっていくし、きれいな円に限りなく近づいていき、
また網(クモの巣)そのものも大きくなっていくものだろう。

井上先生の感性の網(クモの巣)は、とびきり大きく、そして円く、キメの細かさも、
これ以上はありえないというほどだった。
だから、その網(クモの巣)にひっかかかる音の数も、ひときわ多く多彩だ。

黒田先生が、「鬼の耳」と言われたのも、当然だ。