Date: 2月 18th, 2009
Cate: 井上卓也
Tags:

井上卓也氏のこと(その12)

若いころの、感性の網(クモの巣)はいびつで、キメがものすごく細かい個所もあれば、粗いところもある。
形がいびつと言うことは、鋭く尖っているところがある。
そこのキメが他よりも細かかったりすると、それを本人は「感性が鋭い」などと勘違いしがちだ。
私はそうだった。

そのころ、そう指摘されたとしても、素直に受け入れられるとは思えない。
結局、己で気づくしかないことを、歳を重ねて、知った。
私のことは措いておこう。

井上先生の網の目にひっかかった、オートグラフから鳴った音の何かが、
以前聴かれたロックウッドのMajor Geminiの音と結びついたのかもしれない。
それが井上先生の「オーディオを楽しまれる心」を刺戟したのだろう。
だからMC2300とLNP2Lを組み合わせて、
誰も想像したことのないモニターサウンドを、オートグラフで鳴らされた、と思えてならない。

井上先生の試聴には、ほとんど立ち合っている。
言えるのは、オーディオをつねに楽しまれていることだ。
真剣に楽しまれている。
深刻さは、微塵もない。

そういう井上先生だからこそ、できる組合せ、使いこなしがある。

インフィニティのIRSベータのウーファータワーとBOSEの301も組合せもそうだ。
それから記事にはならなかったが、マッキントッシュの MC275で、
BOSEの901とアポジーのカリパー・シグネチュアを鳴らしたことも、実はある。

BOSEといえば、サブウーファーのAWCSの試聴の時も楽しまれていた。
楽しさに勢いがあったとでも、言ったらいいだろうか。そして、こちらもつられて楽しくなる。

Leave a Reply

 Name

 Mail

 Home

[Name and Mail is required. Mail won't be published.]