Archive for 9月, 2008

Date: 9月 8th, 2008
Cate: コントロールアンプ像

パッシヴ型フェーダーについて(その1)

CDが登場、しばらくして話題になったのがパッシヴ型フェーダー。 
このとき、減衰量によって、出力インピーダンスが変化するから、 
使用に当たっては、フェーダー・パワーアンプ間の接続ケーブルは極力短くと言われていた。 

たしかに−6dBの位置でインピーダンスは最大になる。 
実際にはCDプレーヤーの出力インピーダンスも関係してくるので、厳密に−6dBではないが、
とにかくこのあたりでインピーダンスが高くなるのは、原理的に避けられない。 

でも、この−6dB付近をさけて使用すれば、それほど気にすることもないような気もする。 
むしろ短くしたいのは、CDプレーヤー・フェーダー間のケーブルである。 
そして短くするよりも効果的な接続方法があるのを、気づかせてくれたのは、
ラジオ技術誌に連載されていた富田嘉和氏の記事である。

出力インピーダンスの観点からみれば、 出力ケーブルを短くした方がいいように思えるが、 
アースの観点からみると、違ってくる。 

ボリュウムによって分流された信号が流れるアースと 、
入力と出力を同電位にするためのアースは分離すべきである。 

そのため入力端子は3端子のコネクターを使うのが簡単だけど、 
RCAプラグを使ってもいい。 
内部の配線は、ホット側に関しては、通常と同じ。 
ボリュウムのアースにつなげる端子とRCAプラグのコールド側と接続。 
出力端子のRCAプラグからの線は入力端子のRCAプラグには接続せずに、別途設けたアース端子に接続する。 

アース端子からCDプレーヤーの出力端子のアース側に接続する。 
これでボリュウムの帰還用アースと同電位のためのアースを分離できる。

Date: 9月 8th, 2008
Cate: 瀬川冬樹

たおやか

瀬川先生の求められていた音を簡潔な言葉ひとことで表すと、
なんだろうと、ぼんやり考えていた。

こんなことを考えるのは無理なことだとわかっていても、
あえて、ぴったりの言葉さがしをやってみた。

洗練という言葉が好きだし、剥き出しの音は嫌いだ、と言われている。 
だから「洗練」でもいいのだろうけど、これだけだと足りないものを感じる。
もっと適確で簡潔な言葉はないだろうかとずっと思っていた。

「たおやか」である。 
私がイメージする瀬川先生の音を一言で表すなら、これである(いまのところ)。

Date: 9月 8th, 2008
Cate: 型番

すこし気になっていること

些細なことだが、オーディオ雑誌やネットの記事を読んでいて気になっていることが、すこしある。
まずは、デジタルドメインからSITを使ったパワーアンプ、B-1aのこと。
オーディオ雑誌の紹介記事のなかには、必ずヤマハのパワーアンプのことが書かれている。 
ヤマハのB-1と表記されている。

正しい表記は、B-Iである。コントロールアンプはC-I。 
姉妹モデルとして出たのが、C-2、B-2だったため、
C-1、B-1と勘違いしてもしかたないと思うが、当時のカタログや広告で確認してみてほしい。 
C-I、B-Iとローマ数字になっているのを。 

もうひとつは、チョークコイルのこと。チョークと書いても通じるのに、
わざわざチョークトランスと表記される人がいる。
いったいいつからチョークコイルがトランスに化けたのだろうか。

コイルとトランスの違いを、まったく理解していない人が犯した、もっともおかしな表記の代表といいたくなる。

Date: 9月 8th, 2008
Cate: LS5/1A, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その7)

アルテックの604シリーズは、38cmコーン型ウーファーとホーン型トゥイーターの同軸型で、
クロスオーバー周波数は、モデルによって多少異るが1.5kHz前後。 
中高域はマルチセルラホーン採用なので、水平方向の指向性は十分だろう。 
問題はクロスオーバー周波数から1オクターブ半ぐらい下までの帯域の指向性だろう。 
実測データを見たことがないのではっきりしたことは言えないが、
604の、このへんの帯域の指向性はあまり芳しくないはず。 

BBCモニターのLS5/1Aは、
38cmウーファーとソフトドームのトゥイーター(2個使用)の2ウェイ構成で、クロスオーバーは1.75kHz。
当時すでにBBCの研究所では指向性の問題に気がついており、
ウーファーをバッフルの裏から固定し、バッフルの開口部は円にはせずに、
横幅18cm、縦30cmくらいの長方形とすることで、水平方向の指向性を改善している。 
ユニークなのは、30cm口径よりも38cm口径のほうが、高域特性に優れている理由で採用されていること。 

1980年ごろ登場したチャートウェルのPM450E(LS5/8)は30cm口径ウーファーだが、
バッフルの裏から固定、開口部はやはり長方形となっている。 
LS5/8のネットワーク版のロジャースPM510も、初期のモデルでは開口部は長方形だ。

アルテックがスタジオモニターとして役割を終えた理由として、いくつか言われているが、
指向性の問題もあったのではないかと思う。 
同じことはタンノイの同軸型ユニットについても言える。

Date: 9月 8th, 2008
Cate: 4343, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その6)

JBLの4341(4343)について考えてみる。 
JBLのモニターシリーズには、4333が同時期にあった。 
ユニット構成は、4341(4343)に搭載されたミッドバス2121を除けば、
ウーファーは2231A、ドライバーは2420、トゥイーターは2405と同じ。 
スピーカーの周波数特性としては、エンクロージュアのプロポーション、内容積は異るが、
上限と下限はほぼ同じである。 

4333のウーファーとミッドレンジのクロスオーバーは800Hz。
4341(4343)のウーファーとミッドバスのクロスオーバーは300Hz。 
周波数特性的には4333も4341(4343)も、2231の良好なところで使っているが、
指向性に関しては、4333は多少狭まっている帯域まで使用している。 

スピーカーの指向性は狭い方がいい、という意見もある。
部屋の影響をうけにくいから、ということで。 
けれど、再生周波数帯域内で、指向性が広いところもあれば極端に狭いところもあり、
スコーカーの帯域に行くと、また広がる、そんな不連続な指向性がいいとは思えない。 
狭くても広くても、再生帯域内では、ほぼ同じ指向性であるのが本来だろう。 

4341(4343)から、JBLの真のワイドレンジがはじまった、と言える理由が、ここにある。

Date: 9月 7th, 2008
Cate: EMT

便利な小物

EMTのカートリッジのクリーニングに便利なものが、 
ステッドラー社のファイバーブラシ、 MARS-FIBRASOR。 

EMTのカートリッジ、TSD(XSD)15の、 
トーンアームとのコネクター部分は、すぐに硫化して黒ずんでしまう。
微小信号の通るところだけに、マメにきれいにしておきたいもの。

MARD-FIBRASORで軽く磨くと、きれいになる。液体を使わないのもうれしいところ。 
それにステッドラーもドイツ製というのが、またうれしい。

Date: 9月 7th, 2008
Cate: JBL

マテリアル2ウェイ

JBLのD130、LE8Tのようにセンターキャップがアルミのものを、
一般的にはメカニカル2ウェイのフルレンジと呼ぶ。 
でも、ほんとうにメカニカル2ウェイなのか。 

アルテックのフルレンジユニット420−8Bのように、
コーン紙の中間あたりにコンプライアンスをもたせたコルゲーションを設け、そこを境に高域と低域を分割する。
しかもコーン紙の頂角も高域のコーン(内側)は浅くて、
ウーファー(外側)のコーンの頂角は深いという工夫がこらされおり、
こういう設計思想によるものなら、メカニカル2ウェイと納得できる。 

けれどセンターキャップだけアルミ(金属製)で、
メカニカル2ウェイといえる動作をしているのか。 
420-8Bのセンターキャップとコーン紙のつなぎ目と同じように、コンプライアンスをもたせていれば、わかる。 

D130は38cm口径、センターキャップは10cm、
材質も紙とアルミ(内部音速もかなり違う)だけに、
センターキャップにアルミを採用した良さは、音を聴いても、出ていると感じる。 
大口径のフルレンジ(振動板は紙のもの)は、
真正面で聴けば、それなりに高域は出ているように感じるが、
軸をずらすと、高域が明らかに落ちている印象になったように記憶している。 

だからといってメカニカル2ウェイとは呼びたくない。マテリアル2ウェイと呼びたい。

Date: 9月 7th, 2008
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その5)

スピーカーに関して言えば、周波数、ダイナミックレンジの他に指向特性の広さも、
ワイドレンジの実現に密に関係してくると考えている。 

たとえ話として、スピーカーにとって理想の振動板ができたとする。
高剛性で軽量で、内部音速が、従来の素材とは比較にならないほど速いもので、
コーン型フルレンジをつくったとする。 
低域も十分カバーするために口径は38cmとする。
理想の振動板なので、高域の再生限界周波数は20kHzをこえている。
帯域内にピークもディップもない。
これでいい音が聴けるかというと、おそらくだめであろう。 

コーン型スピーカーの場合、
振動板の最外周の長さと、音の波長の長さが等しくなった周波数あたりから、
それ以下の周波数ではきれいに球面上に広がっていたのが、
それ以上の周波数になると、周囲に広がらなくなってしまう。 

38cmのコーン型スピーカーなら、コーンの実際の直径は33cm前後で円周は約1m。
波長1mの周波数は、約340Hz。 
つまり、38cmのコーン型のスピーカーでは、
400Hz以上の周波数になると、指向性が徐々に狭まってくる。 
どんなに理想の振動板を用いても、これでは良質なステレオ再生は望めない。

Date: 9月 7th, 2008
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その4)

多重ループに、外部もしくはオーディオ機器の内部からなんらかの電流が誘起されると、
同相成分(コモンモード)が発生する。 
多重ループの影響から逃れるために、システム全体をシンプルにしろ、というのは
簡単で確実な方法ではあるが、後ろ向きの解決方法であるという印象も拭えない。 

またシンプルを、どう捉えるかも別の問題として浮び上がってくる。

現代のCDプレーヤー、アンプなど電子機器に求められる性能は、
CMRR(Common Mode Rejection Ratio)同相信号除去比の高さだろう。 
比較的低い周波数だけでの高いCMRR値ではなく、可聴帯域をこえて、
かなり高い周波数まで、できるだけフラットで高い値の実現。

現代OPアンプのなかに、数MHzまでフラットなCMRR値を持つものも出てきている。

Date: 9月 6th, 2008
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その3)

AC電源を使ったオーディオ機器のアースの多重ループの観点からみると、
安易なモノーラル構成は、どうかと思う。 

モノーラル化は音の出口に近い方から行なう方が理にかなっている。 
まずパワーアンプ、それからチャンネルデバイダーを使っているならこれ、
そしてプリ・パワー間にイコライザー類を挿入しているのであればモノーラル化する。
そしてコントロールアンプ。

音の入口に近いD/Aコンバーターは最後でいいと考える。
なのに最近の流行なのか、D/Aコンバーターのモノーラル構成のものが出始めているし、
同一D/Aコンバーターを2台用意してモノーラル化される方もいるときく。 

たしかにSACDやDVD-Audioの登場によって高域の再生限界が伸びているため、
従来のCDプレーヤー以上にチャンネルセパレーションを確保するのが難しくなるため、
セパレート化のメリットも多いことは認めるものの、
その前にモノーラル化の順序について、いちどきちんと考えてみてほしい。

Date: 9月 6th, 2008
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その2)

音をよくするため、CDプレーヤーを、CDトランスポート部とD/Aコンバーターに分け、
場合によっては、あいだにアップサンプリングの機械をいれたりする。 
アンプに関しても、同じくセパレート化。

さらにマルチアンプとなるとチャンネルデバイダーが挿入され、
グラフィックイコライザーやパラメトリックイコライザーを使うとなると、
システム全体の規模はかなり大きくなると、アンプ一台では生じなかった問題がある。 

AC電源のオーディオ機器を2台以上つなぐと、電源を通じてアースにループができる。
上記のような構成になると、複雑な多重ループが生れる。 

しかもこのループの問題は、ストレーキャパシティがからんでいるため、
高域再生の上限周波数が高くなるほど問題は大きくなってくる。 
信号がシャーシやACラインに流れてしまうのをすこしでも防ぐためには、
あえてナロウレンジにするという手がある。 

ただし現在のワイドレンジのオーディオ機器の入力にハイカットフィルターを挿入して
ナロウレンジにしたところで、音が良くなるどころ、むしろ劣化することが多い。

Date: 9月 6th, 2008
Cate: ワイドレンジ, 岩崎千明, 瀬川冬樹

ワイドレンジ考(その1)

ワイドレンジの話になると、周波数レンジのことばかり語られることが多い。 
けれども、ワイドレンジ再生とは、
周波数レンジとダイナミックレンジの両方をバランスよく広げることだと考える。 
片方の拡大だけでは、ワイドレンジ再生は成り立たない。 

このことを教わったのは、
ステレオサウンド43号の「故岩崎千明氏を偲んで」のなかの瀬川先生の文章。
そのところを引用する。 
     *
岩崎さんは、いまとても高い境地を悟りつつあるのだということが伺われて、一種言いようのない感動におそわれた。たとえば──「僕はトゥイーターは要らない主義だったけれど、アンプのSN比が格段に良くなってくると、いままでよりも小さい音量でも、音質の細かいところが良く聴こえるようになるんですね。そして音量を絞っていったら、トゥイーターの必要性もその良さもわかってきたんですよ」 
岩崎さんが音楽を聴くときの音量の大きいことが伝説のようになっているが、私は、岩崎さんの聴こうとしていたものの片鱗を覗いたような気がして、あっと思った。

Date: 9月 6th, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その8)

瀬川先生の最後の原稿は、ステレオサウンド別冊の セパレートアンプ特集号の巻頭の文章だと言われているが、 
レコード芸術で連載がはじまった「良い音とは何か?」の 1回目の原稿のほうが最後の文章の可能性もある。 

その「良い音とは何か?」からの引用。 
     *
ただひとつ、時間、が必要なのだ。
 ひとつの組合せを作る。接続してレコードをかければ、当然音は出る。しかし、それはごくささやかな出発点にすぎない。ここまでにいろいろ論じてきた音の理想像に、わずかでもせまる音を鳴らすためには、時間をかけての入念な鳴らし込みと調整が、絶対に必要なのだ。接ぎっぱなし、ではとうてい、人を納得させるような音は望めない。
 ならば、どれほどの時間が必要か。ぜいたくを言えばまず二年。せい一杯つめて一年。その片鱗ぐらいを嗅ぎとればいい、というのであっても、たぶん三ヵ月ぐらい。毎日毎日、ていねいに音を出し、調整し鳴らし込まなくては、まともな音には仕上がらない。 
 二年、などというと、いや、三ヶ月だって、人びとは絶望的な顔をする。しかし、オーディオに限らない。車でもカメラでも楽器でも、ある水準以上の能力を秘めた機械であれば、毎日可愛がって使いこなして、本調子が出るまでに一年ないし二年かかることぐらい、体験した人なら誰だって知っている。その点では、いま、日本人ぐらいせっかちで、せっぱつまったように追いかけられた気分で過ごしている人種はほかにないのじゃなかろうか。 
(中略) いや、なにも悠久といったテンポでやろうなどという話ではないのだ。オーディオ機器を、せめて、日本の四季に馴染ませる時間が最低限度、必要じゃないか、と言っているのだ。それをもういちどくりかえす、つまり二年を過ぎたころ、あなたの機器たちは日本の気候、風土にようやく馴染む。それと共に、あなたの好むレパートリーも、二年かかればひととおり鳴らせる。機器たちはあなたの好きな音楽を充分に理解する。それを、あなた好みの音で鳴らそうと努力する。
 ……こういう擬人法的な言い方を、ひどく嫌う人もあるらしいが、別に冗談を言おうとしているのではない。あなたの好きな曲、好きなブランドのレコード、好みの音量、鳴らしかたのクセ、一日のうちに鳴らす時間……そうした個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれるためには、少なくみても一年以上の年月がどうしても必要なのだ。だいいち、あなた自身、四季おりおりに、聴きたい曲や鳴らしかたの好みが少しずつ変化するだろう。だとすれば、そうした四季の変化に対する聴き手の変化は四季を二度以上くりかえさなくては、機械に伝わらない。 
 けれど二年のあいだ、どういう調整をし、鳴らし込みをするのか? 何もしなくていい。何の気負いもなくして、いつものように、いま聴きたい曲(レコード)をとり出して、いま聴きたい音量で、自然に鳴らせばいい。そして、ときたま──たとえば二週間から一ヶ月に一度、スピーカーの位置を直してみたりする。レヴェルコントロールを合わせ直してみたりする。どこまでも悠長に、のんびりと、あせらずに……。 
(中略) スピーカーの「鳴らしこみ」というのが強調されている。このことについても、改めてくわしく書かなくては意が尽くせないが、簡単にいえば、前述のように毎日ふつうに自分の好きなレコードをふつうに鳴らして、二年も経てば、結果として「鳴らし込まれて」いるものなので、わざわざ「鳴らし込み」しようというのは、スピーカーをダメにするようなものだ。 
     *
使いこなしということがオーディオ雑誌やインターネットでも頻繁に語られているけども、
買ってきたばかりのスピーカーに対して、 あれこれ使いこなしのテクニックを駆使したり、
いきなりケーブルやインシュレーターなどのアクセサリーを取っ換え引っ換えするのは、 
はたして正しいことなのだろうか、大事なことだろうか。
そんなに急いで音を詰めていく必要があるのかどうか。 

そして、その行為が、ほんとうに音を詰めていっているのか……。

まずきちんとセッティングする。 
実はこの、きちんとセッティングすることが意外と難しいし、理解されていないように感じることがある。
セッティング、チューニング、エージングを混同しないように。

そのあとは、瀬川先生が書かれているように、 
ゆっくりと好きなレコードを鳴らしていくだけでいいはず。 
そして1年、できれば2年経ったあたりから、
使いこなし(チューニング)を行なうほうがいいのかもしれない。

Date: 9月 6th, 2008
Cate: 五味康祐, 再生音

再生音に存在しないもの(その1)

五味先生は、「フランク《ヴァイオリン・ソナタ》」で次のように書かれている。 
     *
「色はあるが光はない」とセザンヌは言った。画家にとって、光は存在しない、あるのは色だけだと。光を浴びて面がどういう色を出しているかだけを、画家は視ておればいい。もともと、画布が光を生み出せるわけはないので、他のものを借りてこれを現わさねばならない、他のものとは、即ち色だ──「そうはっきり悟ったとき私はやっと安心した」と、ルノアールも言っている。セザンヌの言うところも同じだろう。──この筆法でゆけば、ぼくらレコード鑑賞家にとって音楽はあるが、ヘルツはない、そう言い切って大して間違いはなさそうに思える。演奏はあるが、ナマの音は存在しない、そう言いかえてもいいだろう。 
     *
絵画に関しては素人だが、フェルメールの絵がすごい、のは、 
光が存在しない画布に絵具を重ねただけなのに、
光を感じさせてくれるところにあるのはわかる。 
この一点においてもフェルメールは天才だと思うし、 
素人の私は、ゴッホやピカソよりも天才だと思える。 

再生音にないのは、いったいなんなのか。 
五味先生は上のように書かれている。 
納得できるけれど、なにかすこし違うようにも、これを読んだとき、 
もう20年以上前になるが、その時からそういう思いが続いている。 

再生音にないものをはっきりといえるようになったとき、
大きく一歩前進する、といってもよいだろう。

Date: 9月 6th, 2008
Cate: Wilhelm Furtwängler, 言葉

「比較ではなく没頭を」

「比較ではなく没頭を」──フルトヴェングラーの言葉である。 
「音楽現代」7月号から連載がはじまった「フルトヴェングラーの遺言」(野口剛夫)で、
最初に取りあげられたのが、この言葉である。

1954年11月にフルトヴェングラーは亡くなっているから、残されている彼の録音はモノーラルであり、
夥しいライヴ録音には、けしていい録音とは言えないものも多い。 
にも関わらず、スタジオ録音、ライヴ録音に関係なく、
CD時代になり、リマスター盤が多く出ている。SACDまで出ている。 
マスターテープからの復刻、テープの劣化を嫌って、オリジナルLPからの復刻、
その方法も20ビットハイサンプリングでデジタル化などもある。 
それらすべてを聴いたわけでは、勿論ない。聴くつもりもない。

それでも、いくつかを聴くと、たしかに音は異なる。 
もっともアナログディスクもなんども復刻されている。 

グールドも、リマスターの種類は多い。 

オリジナルLPを含めて、どれがいいのか、どう違うのか、比較するのは楽しいといえば楽しい。 
情報もモノもあふれているいまは、比較をしようと思えばいくらでもできる。
そして、自分なりに感じたその違いを、簡単に公表できる。
これが、比較することをあおっているような気もする。 

レコードに限らない、よりよいモノを求めるために比較する、そんな声がきこえてくる。 
けれど、それは比較することに没頭してしまう罠に嵌ってしまうかもしれない。 

いうまでもなく没頭したいのは、
フルトヴェングラーの演奏であり、グールドの演奏であるのはいうまでもない。 
そして、よりよいモノ、最上のモノを選んだとしたも、
結局、あたえられたものを聴いているのだということに気づいてほしい。