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Date: 1月 1st, 2013
Cate: 老い

50という区切り

1963年の1月1日は火曜日だった。
2013年、今年の1月1日も火曜日だ。
今年50の誕生日を迎える人は、生れた曜日と同じ曜日に50歳になるわけだ。

50という年齢は、ひとつの大きな区切りのように感じていたし、思ってもいた。
そう思うようになったのは、
1989年に創刊されたサライ(小学館発行)に巻頭インタヴューに載っていた安岡章太郎氏の発言からだ。
このことは10ヵ月ほど前にも書いている。

サライの創刊当時の巻頭記事で、安岡章太郎氏につづいて登場した人たちも、
口を揃えて「50をすぎてから面白くなった」と語っていた。

サライの、それらの記事を読んだころは、50のほぼ半分の26
歳だった。
まだまだ先のことだとも思っていたし、それでも50という年齢がどういうものなのか、
そして50になったとき、どんなふうに私自身、変っているのかを想像してみたこともあった。
(まったく想像できなかったし、こんなふうになっているとは思わなかった)

あと数週間で50になる。
やっと50になる。ひとつの大きな区切りを、生れた曜日と同じ曜日で迎えることになるのは、
些細なことではあるし、ほかの人にとっては取るに足らないことであるけれど、
なにか大きな環を一周してきたような感じさえ与えてくれる。

二周目をどのくらい廻れるのかなんて、わからない。
オーディオも、そして二周目にはいるのだろうか。

Date: 12月 31st, 2012
Cate: audio wednesday

第24回audio sharing例会のお知らせ

1月のaudio sharing例会は、1月2日(水曜日)です。

時間はいつもより1時間早めて夜6時、です。

場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 12月 31st, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続・JBLのスピーカー端子のことで思ったこと)

私にスピーカー端子の交換についてきいてきたAさんは、
JBLの4300シリーズに惚れ込んでいる。おそらくこれから先も鳴らし続けられる、と私は勝手に思っている。

でもAさんは、あるところで聴いた音によって、すこし心が揺らいでいるように、傍からはみえる。
新しいスピーカーシステムに換えられることはたぶんないとおもうけれど、
4300シリーズが、いまのところ苦手とする音の良さを、
あるところで聴かれた音に感じとられての迷いであり、
そういうときに愛用のJBLのスピーカー端子がこわれた。

そんなのはたまたまであって、30年以上使ってきたスピーカーなんだから、端子の寿命が来ただけ。
事実としてはそうであっても、
Aさんの心に迷いが出た時に端子がこわれてしまったことに、
なにかJBLのスピーカーがAさんに訴えかけようとしているのではないか、と、
Aさんと別れた後、夜道をひとり歩きながらそんなことを思っていた。

4300シリーズに採用されているスピーカーユニットは、
いまみても良くできている。
もちろんまったく欠点がないわけではない。
それでもアメリカならではの物量を投入した、実にしっかりしたつくりで、
このスピーカーユニットならば信頼できる──、そう使い手に思い込ませる(信じ込ませる)だけの魅力をはなつ。

けれど4300シリーズにしても、スピーカーユニットの能力がフルに発揮されているかとなると、
そうとはいえないところが、やはりある。
4300シリーズのシステムそのものにもそういうところがいくつもあるし、
それだけでなくスピーカーユニットにも、バネ式の端子は使われていて、
若干なのではあろうが、JBLのプロ用ユニットの能力を抑える要因となっている。

つまり、この時機に端子にこわれてしまったのは、
JBLのスピーカーがAさんに対して、細部をもう少しリファインしてくれれば、
Aさんの心を迷わせた音だってかなり出せる。それだけの実力はもっている。
そのためにもこことあそこをどうにかしてほしい──、
そう訴えるためである、と想像してしまう。

Date: 12月 31st, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(JBLのスピーカー端子のことで思ったこと)

「JBLのスピーカー端子がこわれたんですけど、宮﨑さんだったらどうします?」ときかれた。
きいてきた人が使っているのは4300シリーズのモニタースピーカーだから、
もう30年以上が経っている。

この時代のJBLのスピーカー端子は、いまのJBLに使われている端子ではなくバネ式の、
それほど太いケーブル、というより、細いケーブルしか受けつけないタイプのものである。
スピーカーユニットの他の部分にかけられている物量投入ぶりからすると、
なんとも貧弱な感じのスピーカー端子である。

けれど、これが、この時代のJBLのスピーカーユニット、スピーカーシステムに使われていた端子であり、
これをオリジナルとすれば、他の、もっと太いケーブルを確実に接続できる端子に変えることは、
オリジナルの姿を変更する、ということにもなる。

いまの状態でも音は出る。
それでも先のことを考えるとなんとかしなければならない。
もともとついているタイプの端子に交換するのか、
それとも別の、確実な端子に交換するのか、
悩むところだと思う。

このことにはついては、オリジナルをどう定義するかによって答は変ってくる。
でも、それについては、ここでは書かない。
ここで書きたいのは、なぜ、この時機に4300シリーズのスピーカー端子がこわれてしまったのか、
そのことについてどう考えるかについて書きたい。

Date: 12月 29th, 2012
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」(その15)

大事なことを混同している人たちは、
自分たちの聴き方が新しくて、
JBLやタンノイといった、古くからあるメーカーのスピーカーを選択する人たちの聴き方をも古いとしてしまう。

音の聴き方に古いとか新しいといったことが、はたしていえるのだろうか。
自分の音の聴き方は新しい、という人の多くは、音場の再現こそが大事だという。

音場とは、音楽再生における場であることだから、
音場の再現は大切なことである、ということには反論はしないし、同意する。

聴感上のS/N比を重視するのも、この音楽の演奏される場を整えていくことであるからだ。

それでも音場の再現が音色の再現よりも上位だ、とか、
音色の再現よりも音場の再現を重視することこそが新しい音の聴き方である、
こんなことをいう人は、ほんとうに「音場」ということを認識しているのだろうか、と問いたくなる。

音場の再現と音色の再現(ここでいう音色とは楽器の音色のことである)は、
深く関わり合っていること、というよりも、同じことを違うことばで表していることに気づけば、
音場の再現がほんとうに良くなっていけば、楽器の音色の再現もそれにつれて良くなっていく。

もし楽器の音色の再現に、どこか不備があるのならば、
そこで鳴っている音場にも、どこか不備がある、といえる。
(ここでいう楽器とはアクースティック楽器のことであり、人の声のことである)

Date: 12月 26th, 2012
Cate: audio wednesday

第24回audio sharing例会のお知らせ

次回のaudio sharing例会は、1月2日(水曜日)です。

何も、年明け早々にやることもないだろうと思いましたし、
来てくださる方も少ないだろうとおもっていますけど、1月2日に行います。

時間はこれまでと同じ、夜7時からを予定していますが、1時間早めて夜6時からにしようかな、とも思っています。
時間は前日か前々日に、またお知らせします。

場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 12月 25th, 2012
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その11)

1980年にはいってからオーディオ雑誌に頻繁に登場するようになった言葉のひとつに、音場と音場感がある。

音場と音場感──、
語尾に「感」がつくかどうかの違いだけで、
意味にも大きな違いはないかのように使われているようにも感じている。
けれど音場と音場感は、決して同じ意味のことではない。

音場とは文字通り、音の場、つまり音の鳴っている場であり、
オーディオは録音された音楽を再生するものであるから、
ここでの音場とは、音楽の鳴っている(鳴っていた)場のことである。

つまり録音された場のことと定義できる。
スタジオであったりホールであったり、ときに個人の家ということもある。
とにかく録音された演奏がなされた場こそが音場であるし、
これはあくまでも「録音の音場」である。

録音に音場があれば、再生側にも音場が存在するわけで、
この再生側の音場の定義は、録音の音場の定義のように簡単ではないところがある。

Date: 12月 23rd, 2012
Cate: Digital Integration

Digital Integration(デジタル/アナログ変換・その2)

今日Twitterを眺めていたら、興味深いことが目に留まった。

いま3Dプリンターがかなり安くなってきている。
3Dプリンターの個人利用も現実のものとなってきていて、
例えば、割れてしまった部品を3Dプリンターで作ることも、もう夢ではなくなっている。

とはいえ、オーディオと3Dプリンターの融合ということを、
今日まで考えたことはなかった。
だから今日Twitterで知った、この利用法には、負けた、と感じてしまった。

どういう利用法かは、このリンク先を見てほしい。
デモの動画がある。

これは3Dプリンターでアナログディスクを出力する、という利用法である。
3Dプリンターだから、ここに接がれているのはコンピューターであり、
音楽信号(もちろんデジタル信号)を、アナログディスクの形に出力(プリント)する、というもの。
つまり、これもデジタル/アナログ変換ということになる。

いままで考えもしなかったデジタル/アナログ変換である。

デモの動画で聴けるクォリティは、まだまだ改良の余地が多くある、というレベルだが、
このデジタル/アナログ変換を改良していけば、
カッティングを必要としないアナログディスクづくりが可能になる。

クォリティがもっともっと高くなれば、
アナログディスクに関する実験もできよう。
いままで推測だけとどまっていたことを、家庭で、個人で検証することがある程度可能になる。

Date: 12月 23rd, 2012
Cate: Digital Integration

Digital Integration(デジタル/アナログ変換・その1)

デジタル信号はどこかでアナログへと変換しなければ、
われわれは音として聴くことができない。

一般的にはCDプレーヤーであれば、内蔵されているD/Aコンバーターによってアナログ信号へと変換される。
D/Aコンバーターを別筐体としたものもある。

CDプレーヤーが登場する数年前に、
ビクターはデジタル・スピーカーというプロトタイプを発表していた。
ボイスコイルを複数設けることで、スピーカーのところでデジタル/アナログ変換を行う。

ゴールドムンドはデジタル伝送経路を拡張するために、
パワーアンプへD/Aコンバーターを搭載することもやっている。

とにかく、どこかでアナログへの変換が必要になる。

これらのことはデジタルのなかのPCM信号であり、
デジタルでもDSD信号となると、カッティングヘッドにDSD信号をそのまま入力すれば、
音溝を刻める、ということを以前聞いたことがある。
たしかに、数年前タイムロードのイベントで、
dCSのトランスポートの出力(DSD信号)を直接コントロールアンプのライン入力に接いだときの音を思い出すと、
カッターヘッドにDSD信号を入力する、という、これもひとつのデジタル/アナログ変換ということになる。

ほんとうにカッティングが可能なのか、
可能だとしたら、どの程度のクォリティが得られるのか、興味のあることだが、
個人で実験できることではない。

Date: 12月 22nd, 2012
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その10)

いまではそうではなくなっているのだろうが、一時期のジャズ録音での極端なオンマイクのセッティングでは、
マイクロフォンがとらえることができるのは近接する楽器の直接音がほとんどで、
間接音(演奏の場の反響、残響)はまったくといっていいほどとらえられていない。

だから、そんなジャズの録音は不自然だということになるのだけれど、
そこには演奏の場が、クラシックの録音におけるそれと比較するまでもなく、
ほとんど収録されていない、ともいえるわけで、
こういう録音を再生する場合には、場の再生より楽器そのものの再生というふうに考えられる。

場の再生を考えずにすむということは、
録音の場と再生の場のスケールの違いは、無視していいともいえる。

つまり、そういうジャズの録音では、再生の場に置かれているスピーカーを、
録音の場の楽器に相当するものという考えがあるのなら、
さほど編成の大きくないジャズの録音こそ、クラシックの大編成のものよりもずっと自然といえる。

ステレオ初期にジャズの録音では、ステレオ効果を出すために、
中抜けの、いわゆるピンポン録音が行なわれていた。
ステレオフォニックではなくて、モノーラル再生が2チャンネルある、
といった録音だっただけに、このことも不自然な録音という評価に関係していたのたろうが、
それでもスピーカーを楽器に置き換える、という考えでは、このほうがむしろ自然だったのかもしれない。

それにステレオフォニック再生では、基本的には音像は実音源ではなく、虚の音源、仮想音源である。
ステレオ初期の音がどういうものであったのかは聴いたことがないからはっきりしたことはいえないが、
もしかすると……、と思うことはある。

それまでモノーラルで1本のスピーカーでの再生では音像は実音源であり、
実音源だからこその実在感、迫力が感じられたのが、
ステレオフォニックになりそういったことが稀薄になってしまう。

ジャズにおいて、その稀薄さを嫌い、できるだけ実音源に近い形で再生しようと考えれば、
あえて中抜けの録音にして、左右のスピーカーに完全に振り分けるという手法になる。

これが正しい考え方とはいわないものの、
こういう考え方もできるわけだし、
そういう考え方でみれば、不自然と思えた録音が、別の視点からは自然な音を求めてのものだったことになる。

Date: 12月 21st, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その30)

このころはB&Oの美しいプレーヤーがリニアトラッキングだった、
それからすこし遅れて登場したルボックスのプレーヤーもそうだった。
日本ではマカラ(エアーフローティングを採用した最初のプレーヤー)とヤマハからも出ていた。

B&OのBeogramは、オーディオのことは何もまだ知らない少年の目にも、美しい、と映った。
こういうプレーヤーが採用しているのだから、それだけでもリニアトラッキング型のトーンアームは理想と思えた。
ルボックスB790とB&Oとでは、同じリニアトラッキング型でも実現のための方式は違っていた。

ヤマハのリニアトラッキング型を採用したPX1のデザインは、
B&Oとは大きく違っていて、
PX1がプリメインアンプのCA2000、CA1000と同系統のデザインだったら……、とそんなことを思ってしまうほど、
路線が変ってしまっていたプレーヤーの姿だった。

マカラのプレーヤー4842Aは、メカニズムというつくりで、B&Oとは正反対のプレーヤーであった。
ある部分EMT的でもあったし、とにかくそれまで日本のプレーヤーではあり得なかった造形であった。
4842Aはなかなか実物を見る機会もなかった。
製造中止になってかなり経って、やっと見ることができた。
でも、音は聴けなかった。
完動品があれば、一度は音を聴いてみたい機械である。

1970年代も終り近くになると、
リニアトラッキングは高級プレーヤーだけのものではなくなっていた。
ダイヤトーンからは縦置きの普及クラスのプレーヤーに、
テクニクスではLPジャケットサイズのプレーヤーSL10に、リニアトラッキングを採用していた。

リニアトラッキングは、もう特殊なトーンアームではなくなりつつあった。
これは、スピーカーにおいて平面型振動板が一時期流行したことと、
すくなくとも日本では同じ現象でもあったと思う。

そして1980年代のなかごろに、海外の小さなメーカーから、
リニアトラッキング型のトーンアームがいくつか登場してきた。
ゴールドムンド、エミネント、サウザーなど、である。

Date: 12月 21st, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その29)

物量を投入したプレーヤーでなければ聴けない音があることは、何度か書いてきている。

私が小さいころには、テレビから「大きいことはいいことだぁ」というコマーシャルが頻繁に流れていたし、
EMTの930st、927Dst、トーレンスのリファレンス、
マイクロのRX5000 + RY5500、SX8000IIといったプレーヤーの音に惹かれてきたからこそ、
いまでもそう思ってしまうのだろうが、
そう思う理由は、カッティングマシーンという存在にあるのではなかろうか。

カッティングマシーンといえば、1990年頃だったと記憶しているが、
ある人から、「カッティングマシーンの出物があるけど、買わない?」という話が来た。
価格は驚くほど安かった。
無理すれば買えない金額ではなかった。
けれど、設置場所のことを考えると、購入したところで結局は手離すことになってしまう。
それに、カッティングマシーンが再生用のレコードプレーヤーとして理想的なものかというと、
決してそうでないことを知っていたので、買わなかった。

そのころは、カッティングマシーンへの憧れは持っていなかった私も、
オーディオに関心をもちはじめたころは、そうではなかった。
カッティングマシーンこそが、再生においても理想的なマシーンである、と盲目的に信じていた。
だからトーンアームは一般的な弧を描くタイプではなく、
リニアトラッキング型こそが理想である、と信じていた。

まだリニアトラッキング型のトーンアームを備えたプレーヤーの音を、
なにひとつ聴いたことがなかったにもかかわらず、である。

Date: 12月 21st, 2012
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その9)

クラシックの録音でも比較的楽器の近くにマイクロフォンを設置するということもあるが、
大編成のオーケストラの録音においては、録音会場となるホールの残響(間接音)を含めての収録となる。

つまり演奏(録音)される場として、ひじょうに広い空間があり、
その広い空間の特質をも録音時にとらえているわけである。

その録音を、われわれは狭い部屋では4.5畳くらいから広い部屋でも20〜30畳くらいか、
よほど恵まれている人であれば、もっと広い部屋での再生ということになるけれど、
それでも録音の場となった大ホールからしてみれば、4.5畳も20畳も50畳の部屋であっても、
そうとうに縮小された空間ということになってしまう。

録音と再生における、このスケールの違いは、
考えようによってははなはだ不自然なことといえる。

しかも100人もの人間が演奏(運動の結果)して出す音をそのまま再生することは、
まだまだ無理があるのが現状であるし、
これから先、どれほど技術が進歩しようとも、
オーケストラの再生を、音量を含めて、サイズの縮小をせずに実現することは、
2チャンネルのステレオ再生(2本のスピーカーシステム)ではかなり困難であるはず。

だからといって伝送系の数を増やす(つまりマルチチャンネル化)していくことで、
再生できるエネルギー量は増す方向に進むものの、
そうなればなるほど、元のスケールとの差がよけいに気になってくるのではなかろうか。
つまり、オーケストラの再生を家庭で行うことそのものが、
不自然な行為であることを強く意識するようになるのではなかろうか。

結局、2チャンネルだから、スピーカーが目の前の2本だけだからこそ、
聴き手は、そこに虚構のオーケストラを聴いている(感じている)のだと思う。

オーケストラの録音・再生は不自然なことという大前提があり、
そのなかで、われわれは、この響きは自然だ、とか、不自然である、とか、いっている、ともいえる。

Date: 12月 20th, 2012
Cate: オーディオ評論,

オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」(賞について・その1)

いま別項で、オーディオ機器に与えられる賞について書いている途中だが、
10年ほど前から思っていることがあって、
それは、なぜオーディオ雑誌による賞はオーディオ機器にのみ与えられるのか、
オーディオ評論を対象とした賞がないのか、なぜなのか、である。

こんなことを考えるのは、
私がステレオサウンドを、
以前も書いていたように、オーディオ評論の雑誌としてとらえているところが大きいと思う。

オーディオ機器を紹介するオーディオ雑誌であれば、
オーディオ機器を対象とした賞だけでもいい。
けれど、ステレオサウンドは、もともとはそういうオーディオ雑誌ではなかった。

そんなオーディオ雑誌だったとしたら、五味先生が原稿を書き続けられることはなかったのではなかろうか。
五味先生の文章が巻頭にあることが、
ステレオサウンドが、他のオーディオ雑誌と最も異るところであった。
だから、ステレオサウンドは、ある時期まで成功した、といえよう。

あのころといまとでは、オーディオ評論家と呼ばれる人たちが、まったく変ってしまった。
ステレオサウンド創刊当時に書かれていた人たちは、みないなくなってしまった。
菅野先生の不在は、ほんとうに大きいと思う。

だからこそ、と思う。
該当者なしの年も出てくると思うけれど、
1年を振り返って、もっとも精力的に活動した人、
読み手の心に残る文章を書いてきた人、
オーディオ界をよくしていこう、と尽力してきた人、
とにかく、人を対象とした賞があってもいい、というよりも、
いまは必要なのかもしれない、と考える。

実際にやろうとしたら、
どんな人たちが選考委員となるのか、
どこまでを対象として、選考基準をどうするか、など、
いろいろと詰めていかなければならないこともたくさん出てくるであろう。

毎年が無理であれば、オリンピックのように4年に一度でもいいではないか。
オーディオ機器の賞とは別に、人を賛える賞が、なぜないのか。

Date: 12月 19th, 2012
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(聴かない、という選択・その7)

スピーカーシステムの欠陥として考えられることといえば、どんなことであろうか。

周波数レンジが狭い──、というのは欠陥ではなく欠点である。
耐入力があまりない──、これも欠陥とはいわない、欠点である。
能率が低い──、どの程度低いかによるけれど、
それこそ1kWのパワーアンプをもってきても蚊の鳴くような音しか出せない極端に能率の低いものならば、
さすがに欠陥といえなくもないけれど、かなり低いものであっても欠陥ではなく欠点ということになる。

……こんなふうに見ていって、
アナログプレーヤーの規定の回転数を出せない、といったレベルでの欠陥は、
スピーカーシステムの場合、考えられるのは帯域の一部がごそっと抜け落ちている、とか、
スピーカーの歪が音として変換されるレベルよりも大きい、
こんなことが考えられるが、そんなスピーカーシステムは市場にはない。

その意味では欠陥スピーカーシステムなど、市場には存在しない、ともいえる。
そんな、誰の耳にもはっきりとわかる欠陥をもつオーディオ機器は、
スピーカーだけでなく、アナログプレーヤーでもアンプでも、
これだけ広い世の中だから、日本に輸入されていないモノのなかに、ひとつやふたつぐらいはあるかもしれない。

仮にあったとしても、それらはすぐに市場から消えてゆくことだろう。
すくなくとも、ある一定期間、市場に残っていて日本に輸入されるオーディオ機器には、
欠点をもつモノはあっても、欠陥といえるモノはない──、たしかにそういえる。

だから、私は、「欠陥」スピーカー、と書いてきているのだ。