50という区切り
1963年の1月1日は火曜日だった。
2013年、今年の1月1日も火曜日だ。
今年50の誕生日を迎える人は、生れた曜日と同じ曜日に50歳になるわけだ。
50という年齢は、ひとつの大きな区切りのように感じていたし、思ってもいた。
そう思うようになったのは、
1989年に創刊されたサライ(小学館発行)に巻頭インタヴューに載っていた安岡章太郎氏の発言からだ。
このことは10ヵ月ほど前にも書いている。
サライの創刊当時の巻頭記事で、安岡章太郎氏につづいて登場した人たちも、
口を揃えて「50をすぎてから面白くなった」と語っていた。
サライの、それらの記事を読んだころは、50のほぼ半分の26
歳だった。
まだまだ先のことだとも思っていたし、それでも50という年齢がどういうものなのか、
そして50になったとき、どんなふうに私自身、変っているのかを想像してみたこともあった。
(まったく想像できなかったし、こんなふうになっているとは思わなかった)
あと数週間で50になる。
やっと50になる。ひとつの大きな区切りを、生れた曜日と同じ曜日で迎えることになるのは、
些細なことではあるし、ほかの人にとっては取るに足らないことであるけれど、
なにか大きな環を一周してきたような感じさえ与えてくれる。
二周目をどのくらい廻れるのかなんて、わからない。
オーディオも、そして二周目にはいるのだろうか。