情報・情景・情操(音場→おんじょう→音情・その9)
ジャーマン・フィジックスのDDD型スピーカーが、
なぜ私にとっての終のスピーカーなのかは、ここでのテーマとも深く関わっている。
ジャーマン・フィジックスのDDD型スピーカーが、
なぜ私にとっての終のスピーカーなのかは、ここでのテーマとも深く関わっている。
ジャーマン・フィジックスのTroubadour 40とともに、
エラックのリボン型トゥイーター 4PI PLUS.2もやって来た。
リボン型トゥイーターといえば、私のくらいの世代では、
まずパイオニアのPT-R7が浮ぶ。まっさきに浮ぶ。
リボン型トゥイーターの音の一般的な印象は、
このPT-R7によってつくられた、といってもけっして大袈裟ではない。
繊細、柔らかい、しなやかといった印象は、まさしくPT-R7の音そのもの。
けれど一方で、どこかはかない音、実体感の薄さ、実像ではなく虚像。
そういう音の印象も、また残している。
そこに登場したのが、アメリカ生れのリボン型トゥイーターのピラミッド T1だった。
当時、PT-R7が83,600円(ペア)だったのに対し、T1は399,000円(ペア)だった。
T1の高能率版T1Hは435,000円(ペア)だった。
T1の登場は衝撃だった。
リボン型の印象ががらりと変った。
とはいえ、T1を聴く機会はなかった。
だからこそ、T1に関する記事は何度も読み返しては、その音を想像していた。
いつかはT1、と夢見ていた。
ピラミッドの製品は、それほど長くは輸入されなかった。
T1もいつごろ製造中止になったのかは、正確には知らない。
PT-R7は上級機PT-R9が登場したものの、T1に迫った、という印象はなかった。
価格が大きく違うのだからないものねだりをしていることは承知しているが、
パイオニア自身、
PT-R7でつくりだしたリボン型の音の印象から脱することができなかったのではないのか。
そんな音の印象を払拭した製品が、日本から登場した。
非常に高価なリボン型トゥイーターで話題になった製品だ。
T1並の物量を投じて、T1よりもずっと精度の高さを誇る。
そういうリボン型トゥイーターなのだが、T1に感じていたワクワク感は、
この製品には感じなかったのは、どうしてなのだろうか。
オーディオの想像力の欠如した者は、終のスピーカーと出逢えない。
昨日、映画「ザリガニの鳴くところ(Where the Crawdads Sing)」を観た。
エンディングのクレジットのところでの歌。
テイラー・スウィフトの歌だとわかる。
テイラー・スウィフトぐらい有名な歌手だと、
クラシックをおもに聴いている私でも、すぐにわかる。
“Carolina”という歌だ。
いい歌だ。
“Carolina”を聴いていたら、パトリシア・ハイスミスの「ふくろうの叫び」を、
「ザリガニの鳴くところ(Where the Crawdads Sing)」の原作者、
ディーリア・オーウェンズは読んだことがあるんじゃないか、そう思った。
「ふくろうの叫び」の主人公は男、
「ザリガニの鳴くところ」の主人公は女。
結末も違う。
それでも世界観に共通するところはある。
“Carolina”は、そのことに気づかせてくれた。
終活という造語を頻繁に目にしたり耳にしたり、というふうになっていたのは、
いつごろからだろうか。
そんなに経っていないはずなのに、それがあたりまえのことのように思われつつあるようだ。
終活の意味について書く必要はないだろう。
私もあと二ヵ月ほどで60になる。還暦だ。
同世代の人たちは、終活ということを真剣に考え、実行に移しはじめているのだろうか。
終活=断捨離みたいにも受け止められている。
けれどほんとうに終活とは、そういうことなのか。
私はむしろ終活とは、残り時間が少なくなってきたのだから、
好きな分野でいままでやってこれなかったことをやるのが終活だと思っている。
そう思っているからこそ、今年はいくつものオーディオ機器がやって来たのだろう。
別項で書いているように、今年はまずGASのTHAEDRAがやって来た。
それからラックスキットのKMQ60(50CA10のプッシュプル)と、
50CA10のシングル自作アンプが夏にやって来た。
そして昨日、終のスピーカー(Troubadour 40と4PI)がやって来た。
けれど、今年やって来たのは、これだけではなく、ここでは何が来たのかはあかさないけれど、
私自身、ちょっと驚くようなモノが来たし、他にもいくつかやって来た。
どうしたんだろう、今年は?
そういいたくなるほど、オーディオ機器が集まってきている。
そろそろ本気で引っ越しを考えはじめているところだ。
(その6)で書いているアイディアは実現するのに、けっこうな予算がかかる。
もう少し簡単に同軸型ウーファーの実験が可能になるやり方はないのか。
15インチ口径のウーファーの場合、
ボイスコイル径は4インチ(約10cm)である。
ということはセンターキャップを取り外せば、
露出する磁気回路に小口径ウーファーを接着すれば、簡易的な同軸型ウーファーになる。
小口径ウーファーの磁気回路の径が4インチ以下であれば問題なくつけられるわけだから、
10数cm口径のウーファーまで使える。
10cm口径、12cm口径、16cm口径までウーファーならば実験できる。
もちろん小口径ウーファーにはバックキャビティがないわけだから、
小口径ウーファーの背面の音と前面の音とは干渉するし、
小口径ウーファーの背面の音と大口径ウーファーの前面の音とも干渉する。
けれど小口径ウーファーの背面の音と大口径ウーファーの前面の音とは、
ある程度打ち消しも発生するだろうし、どんな音が鳴ってくれるのかは、
ちょっと想像がつきにくい面もある。
いきなり高価なウーファーでやるのはリスクがあるが、
ほどほどの価格の大口径ウーファーが手に入ったら、まず実験してみたい。
(その13)で、
縁があったから、私のところにやって来た、と私は思っている。
縁をただ坐って待っていたわけではない。
とはいえ積極的に縁をつくろうとしてきたわけではない。
ふり返れば、これらのオーディオが私のところにやって来た縁は、
audio sharingをやってきたから、続けてきたから、そこから生れてきた縁のおかげである。
そう書いている。
今日やって来たTroubadour 40と4PIも、そうだとはっきりといえる。
audio sharingをやってこなかったら、
このブログ、audio identity (designing)をやってなかったら、
Troubadour 40と4PIはやって来ることはなかった。
10月26日夕方に届いたメール。
そこには、「Troubadour 40と4PIを託したい」とあった。
Troubadour 40と4PI、
どちらもいつかは手に入れたいと思い続けてきたスピーカーユニットだ。
この二つのユニットを「託したい」とはどういうことなの?
とにかく急いでメール本文を読む。
すでに書いているように、そこには私にとって夢のような内容だった。
そして今日(11月20日)、メールをくださったSさんのところに行ってきた。
Troubadour 40と4PIが、
私にとっての終のスピーカーがやって来た。
満足のゆく音で鳴らすには、これからいろいろやることがある。
それはそれで楽しい日々のはず。
とにかく今日、終のスピーカーがやって来た、
このことがとても嬉しい。
“Beethoven · Schumann · Franck / Renaud Capuçon · Martha Argerich”、
ヴァイオリニストのルノー・カプソンとピアニストのマルタ・アルゲリッチによるライヴ録音。
TIDALで、MQA(48kHz)で聴いた。
2022年4月23日の録音だから、アルゲリッチは80歳。
でも演奏を聴いていると、とうていそんな高齢とはまったく思えない。
この人は、いったい何歳なのか、とおもってしまう。
みずみずしい。
アルゲリッチには、もっともっと長生きしてほしい。
90歳の演奏、100歳になっての演奏。それらを聴いていきたい。
つい先日、BOSEのSoundLink Revolve IIを聴いた。
個人宅の広いリビングルームのほぼ中央に置かれてあるのを、なんとなく聴いていた。
これが、悪くない音を聴かせてくれる。
一台だけなのでモノーラルで鳴っているのだが、なんとなく聴いていると、
水平方向無指向性ということがうまく効いていて、けっこう拡がってきこえてくる。
音量はBGMとして、会話の邪魔にならないくらいだから、大きかったわけではない。
それでもふとした拍子に、いいかも、と思えるくらいには鳴っていた。
もしこのSoundLink Revolve IIがMQairに対応したらどうなるのだろうか。
そんなことも想像しながら聴いていた。
BOSEがMQairに対応するのかどうかはいまのところなんともいえないが、
他社のスマートスピーカーで対応してくるモデルは、いくつか出てくるであろう。
オーディオマニアは、ついこんなモノ……、と捉えがちになるが、
もうあなどれない時代になってきている。
しかもMQairは、確実に底上げしてくれる。
そういう時代になったときのことを、少しは想像してほしい。
いろんなことを想像してみてほしい。
「音は『かたち』なり」と、2008年9月10日に書いていることが、
音は人なりの「人」なのだろう。
火曜日(11月15日)の夜、四人の集まりだった。
あれこれ楽しい会話が続いた。
そこで、好きということについてが話題になり、一つ思い出したことがあった。
いまから二十年以上昔の話だ。
まだスマートフォンは存在していなかった。
インターネットも普及しているとは、まだいえないような、そんな時代のころだ。
夜、電車に乗っていた。
私の近くに、二十代と思われる男女のカップルがいた。
男が、「キューブリック監督のファンなんだ」と女に話した。
女は「キューブリックって、どんな監督? どんな作品が好きなの?」と訊く。
それに対して男は「フルメタル・ジャケット」と答える。
女は「フルメタル・ジャケット?」「他にはどの作品が好きなの?」と。
男は少し間をおいてふたたび「フルメタル・ジャケット」という。
女はさらに「他には?」と。
男は、また「フルメタル・ジャケット」と答えていた。
キューブリック監督のファンとはいえない私でも、
他の作品はもちろんいくつか知っている。
それでも二人は見つめ合っていた。
女があきれた、とか、蔑むように男を見ていたのではなかった。
なんら二人の仲に変化はなかったように見受けられた。
男は、おそらく「フルメタル・ジャケット」しか、
キューブリック監督の作品は観ていないのだろう。
もしかすると、「フルメタル・ジャケット」も観ていないのかもしれない。
「フルメタル・ジャケット」について、何かを話していたわけでもなかったからだ。
笑い話でもあるわけだが、これでもいいようにも、いまは思うことがある。
当人同士が惚れ合っているのだから、それでいいのだろう。
「フルメタル・ジャケット」しか挙げられようでは、
キューブリック監督のファンとはいえない──、そう言うのはできるけれど、
本人が好きだ、というのであれば、周りがとやかくいうことではない。
まして好きということは、比較するようなことではない。
キューブリック監督の作品をすべていえる人は、
そしてすべての作品を観ている人は、電車の男よりも、
一般的にはキューブリック監督のファンということになる。
私も、そう思う。
それでも当人同士がしあわせなのだから、それでいいじゃないか、
本人(男)がキューブリック監督のファンだといい、相手(女)は疑わないのだから。
ヤマハのヘッドフォン、YH5000SEが正式に発表になった。
プロトタイプがヘッドフォン祭で発表展示されていたようなのだが、
ヘッドフォン祭には再開されてからも行っていない。
今年は、このヤマハのヘッドフォンが聴けたのであれば、行けばよかった──、
YH5000SEのプロトタイプの紹介記事を読みながら思っていた。
このヘッドフォンは、ヤマハのフラッグシップ5000シリーズとしての位置づけ。
そうとうに気合いの入ったヘッドフォンのように感じられる。
外観も、写真だけの判断なのだが、精悍な感じが、
他の5000シリーズとはあきらかに違う。ここも気に入っているところだ。
技術内容については、上のリンク先を読んでもらうとして、
以前、別項「オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ヤマハのヘッドフォン)」で、
ヤマハの現行ヘッドフォンのデザインには違和感をおぼえる、と書いている。
今回のYH5000SEには、そういう違和感はないどころか、
むしろ、とてもヤマハらしい、とも感じている。
価格は五十万円ほど、らしい。
とにかくじっくり聴いてみたい、ひさびさのヤマハの新製品だ。
《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる》
終のスピーカーを迎える私は、そういう音をはたして鳴らせるのだろうか。