Archive for category テーマ

Date: 9月 28th, 2022
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(パラダイムのスピーカーについて・その2)

オーディオアクセサリーの186号の特集「“ペルソナ”を愛する評論家たち」、
この記事の担当者だったら──、そんなことをつい想像してみた。

私だったら、こんな記事は作らない、というのは無しで、想像してみたわけだ。
そのうえで、昨晩、私が書いたことを誰かに問われたとしよう。
なんと答えるか。

「ステレオサウンドとは違います」とまず言う。
「B&Wの800シリーズをあれだけ高く評価しながらも、
ステレオサウンドの評論家は誰も買わないじゃないですか。
うち(オーディオアクセサリー)の評論家は買っていますから」と。

評論家だから(業界の人たちだから)、安く買っているのだろう、と勘ぐることもできる。
実際に、多少は安く買っているはずだ。
定価で購入ということはまず考えられない。

それでも、彼ら六人は導入(購入)しているわけだ。
どんなに記事中で、素晴らしいスピーカーだ、いい音だ、と絶賛しても、
誰一人購入しないのと、六人が購入しているのとでは違ってあたりまえ。

六人のうち数人はメインスピーカーとしての導入ではないようだが、
それでも導入したという事実は、なかなかの説得力をもつことになる。

私のように勘ぐる人にはそれほどの説得力とならないだろうが、
それでも、そんな私でも、こういうことを今書いているわけだ。

私は「“ペルソナ”を愛する評論家たち」はタイアップ記事と受け止めている。
では、ステレオサウンドでのB&Wの800シリーズの記事はなんなのか。
800シリーズを誰も購入しないから、タイアップ記事ではない、ということになるのか。

こんなふうに想像してみると、
「“ペルソナ”を愛する評論家たち」の担当編集者は、
叛骨精神を少しは持っているのではないだろうか。

実際のところなんともいえないのだが、
ステレオサウンドにおけるB&Wの800シリーズと、
オーディオアクセサリーにおけるパラダイムのPERSONAシリーズは、
もしかすると、これから面白い展開になっていくのではないだろうか。

Date: 9月 27th, 2022
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(パラダイムのスピーカーについて・その1)

オーディオアクセサリーの186号を、いまKindle Unlimitedで読んでいるところ。
特集は「“ペルソナ”を愛する評論家たち」である。

ペルソナ(PERSONA)とは、パラダイムのスピーカーシステムの名称。
「“ペルソナ”を愛する評論家たち」には、
PERSONAを導入した六人が誌面に登場している。

PERSONA B導入が五人、PERSONA 3Fが一人である。

読んでいて、すごいなぁ〜、と変な感心をしてしまった。
パラダイムのPERSONAシリーズは、どの機種も聴いていないので、
どのくらいの実力なのかは知らないが、
聴いたことのある友人によると、けっこういいスピーカーだよ、といっていた。

いいスピーカーシステムなのだろう。
それにしても……、と私はやはり思ってしまう。

オーディオアクセサリーの186号の表紙は、PERSONA Bである。
そして特集が「“ペルソナ”を愛する評論家たち」で、
オーディオアクセサリーの執筆者六人の導入記。

この特集記事を、素直に読む(受け止める)人の割合はどのくらいなのだろうか。
私は、すごい(あからさまな)タイアップ記事だなぁ〜、と感心した。

ここまで堂々とやられたら、すごいなぁ〜、と感心するしかない。

もちろん、六人とも、タイアップうんぬんとはまったく無関係で、
PERSONAシリーズを導入したのかもしれない。
その可能性を完全に否定はできない。

けれど、やり方というものがあるだろう。
たとえそうであったとしても、これではタイアップ記事とは思われかねない。

Date: 9月 26th, 2022
Cate: audio wednesday

第二回audio wednesday (next decade)

第二回audio wednesday (next decade)は、10月5日。
開始時間は18時。

今回も参加する人は数人だろうから、詳細はfacebookで。

Date: 9月 26th, 2022
Cate: アンチテーゼ, 平面バッフル

アンチテーゼとしての「音」(平面バッフル・その10)

パワーアンプの出力にコンデンサーをおくことで、
DC成分をカットするということは、
スピーカーのインピーダンスが8Ω、もしくはもっと低い値なために、
大容量でなければならない。

コンデンサーの容量が少なければ、低域のカットオフ周波数は高くなっていく。
十分に低い値のカットオフ周波数にするためには、かなりな大容量となり、
フィルムコンデンサーでは容量的に無理で、電解コンデンサーを使用することになる。

たださえ出力にコンデンサーをおきたくないのに、
しかも電解コンデンサーということに、ある種のアレルギーに近い反応をする人もいる。

しかし考えてみてほしい。
世の中のパワーアンプの大半はなんらかの保護回路を積んでいる。
保護回路のおかげで、ある程度安心して使えているわけなのだが、
保護回路が音質上好ましくないことは知られているし、
保護回路をなんとかしようと試みている技術者もいる。

ネルソン・パスが発表している一連のアンプには保護回路はない。
出力に入るコンデンサーがあるだけだ。

何度も書いてきているように、どんなことにもメリットとデメリットがある。
メリットだけのことは、まずないと思っていい。

電解コンデンサーが出力に入るデメリットは確かにある。
けれど、保護回路を省けるというメリットもある。

Date: 9月 25th, 2022
Cate: 選択
1 msg

オーディオ機器を選ぶということ(再会という選択・その10)

ロジャースのPM510の登場は1980年。
もう四十年以上前である。

ちなみにPM510は、ピーエム・ファイブ・テンと呼ぶ。

その四十年以上のあいだに、どれだけのスピーカーシステムが登場したのか。
数えたことはない。数えたことのある人は、ほとんどいないだろう。
とにかく多くのスピーカーシステムが世に登場している。

もちろん、それらすべてのスピーカーの音を聴いているわけではない。
それでも、PM510以降、
PM510的な音の世界、美しさを聴かせてくれるスピーカーは、あっただろうか。

PM510よりもあきらかに高性能ぶりを感じさせるスピーカーは、いくつもある。
これからもいくつも登場してくる。
けれど、PM510的な音の世界を響かせてくれるスピーカーの登場となると、
まったく期待できない、と思っている。

期待できないことを嘆きたいわけではなく、
スピーカーが進歩していくのであれば、それはそれで仕方ないこと。

それでも一度でもPM510の音に魅了された人、
PM510を自分のモノとしてきた人ならば、
そしてPM510をなんらかの理由で手離した人は、私だけではないはずだし、
そのうちの何割かは後悔に似た気持を持っているかもしれない。

程度のよいPM510は、ほとんどないのかもしれない。
でも、いつの日か、再会したいと思っているし、再会できるのかもしれない。

Date: 9月 25th, 2022
Cate: Glenn Gould, ディスク/ブック

Gould 90(その5)

日付が変って、今日は9月25日。
グレン・グールドの誕生日であり、グールドが生きていれば九十歳なのだが、
九十歳のグールドというのはなかなか想像がつかない。

今年はグレン・グールド生誕九十年、没後四十年ということで、
ソニー・クラシカルからいくつかの企画モノが発売になる。

いちばんの話題は、
1981年録音のゴールドベルグ変奏曲の未発表レコーディング・セッション・全テイク。
もちろん予約しているが、発売日が変更になり10月だ。

もう少し待つことになるわけだが、
今回の生誕九十年でひとつ期待していることがある。

別項で書いている“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”。
今夏、ようやく発売になった。
TIDALでの配信も始まった。

同時に“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”も新たに配信しなおされた。
TIDALでは、これまでMQA Studio(44.1kHz)だったのが、
“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”の配信が始まったら、
MQA Studio(176.4kHz)に変更されていた。

TIDALではグレン・グールドのアルバムもMQA Studio(44.1kHz)で配信されている。
これらがもしかすると、
MQA Studio(88.2kHz)かMQA Studio(176.4kHz)かになるかも──、
という儚い期待である。

グールドのアルバムは、以前CDボックスが発売された時に、
すべてDSDマスタリングされている。
だから88.1kHz、176.4kHzに期待したくなる。

同時に七年前のことも思い出す。
CDボックスだけでなく、USBメモリー版も発売になった。

この時、amazon、HMV、タワーレコードなどのサイトでは、
24bit/44.1kHz FLACとなっていたが、
ソニー・クラシカルのサイトでは、USBメモリー版はハイレゾ 24bit/96kHz FLACと書いてあった。
結局、ソニー・クラシカルのサイトも44.1kHzになっていた。

このこともあるから、もしかする今回こそ──、と期待してしまう。

Date: 9月 24th, 2022
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(再会という選択・その9)

再会したいスピーカーといえば、やはりロジャースのPM510である。
PM510はII型も出ているけれど、これを改良モデルとは私はいいたくない。

PM510の音を高く評価していない人は、II型の音を改良された、と評価していた。
けれど、PM510の美点が、ほぼきれいさっぱり洗い流されてしまったかのように、
当時PM510を鳴らしていた私の耳には感じられた。

つまらないスピーカーになってしまった……、
これが私の正直な感想だった。
けれど世評は必ずしもそうではないことも、わかっていた。

瀬川先生が長生きされていたら、PM510の日本での評価も変ってきた──、
とは、だから思えない。
きっと瀬川先生も、II型の音は評価されなかったはず、と思っている。

ステレオサウンド 56号のPM510の記事を何度も読み返したことがある人ならば、
きっとそう思うであろう。

優婉な音。PM510の音は、まさにそうだった。
こんな低音では、ジャズのベースは聴けない──、
そういっていた人がいた。

そうだろうな、とは思っていたけれど、それがどうした! とも思っていた。
この人もII型の音のほうを高く評価していた。

PM510の中古は、一度だけ見たことがあるだけ。
それほど売れたスピーカーではないのだから、中古も出回らないだろう。

私が見たことがあるPM510の中古は、かなりくたびれていた。
PM510は長年使っていると、
ポリプロピレンコーンとエッジとの接着が剥れてしまうことがあるらしい。

ロジャースは、チャートウェルを買収して、LS5/8を出し、
そのコンシューマー版のPM510を出してきた。

ポリプロピレンコーンはチャートウェルが特許を取得していた。
その特許の内容は、どうも接着に関すること、と以前きいたことがある。
確認したわけではないので、はっきりとしたことはいえないが、
確かにポリプロピレンの接着は、当時は困難なことだった、らしい。

なので接着が剥れてしまうのも、しかたないのかもしれない。

Date: 9月 23rd, 2022
Cate: アンチテーゼ, 平面バッフル

アンチテーゼとしての「音」(平面バッフル・その9)

高能率型スピーカーを真空管アンプで鳴らすことには、
いまさらという抵抗感を感じる、という人もいるだろう。

抵抗感はないまでも半導体アンプで鳴らしたい、とうい人もいることだろう。

100dB前後の高能率型スピーカーであれば、
半導体アンプも市販品のそれをもとめるのではなく、自作という手がある。

自作といっても、おおがかりなものではなく、
以前別項で触れたことのあるネルソン・パスが発表しているアンプが、
規模的にも出力的にはぴったりくる。

いまでもキットも出ているし、
中国から買うことに抵抗のない人ならば、AliExpressを検索してみるといい。
プリント基板だけ、とか、部品付きのモノとか、いくつかすぐに見つかる。

自分の自作のレベルに応じて選べばよい。
リニア電源で組むのを大変と感じる人であれば、
ACアダプターを使うという手もある。

ネルソン・パスがやっているAmp Campは、ACアダプターを使ってのアンプ製作だ。

ネルソン・パスのこれらの一連のアンプがいいのは、
プッシュプルもあるけれどシングルのアンプが主で、
回路構成上、出力にコンデンサーが介在する。

いまどきのアンプは、とっくにOCL(出力コンデンサー・レス)だが、
ネルソン・パスのアンプは違う。出力に電解コンデンサーがあり、直流をカットしている。

このコンデンサーの存在が、スピーカーを保護してくれる。

Date: 9月 22nd, 2022
Cate: 情景

情報・情景・情操(音場→おんじょう→音情・その8)

ここにきて、ようやく私にとっての(音場ではなく)音情は、
リアリティに深く結びついていることに気づいた。
同時に、音触が大事だ、ということも。

Date: 9月 22nd, 2022
Cate: アンチテーゼ, 平面バッフル

アンチテーゼとしての「音」(平面バッフル・その8)

友人の一人が、先日、アルテックの604Eを手に入れている。
仮のエンクロージュアであっても、いい音で鳴っている、とのこと。

こんなことをきくと、私も604-8Gを鳴らそうという気が起きてくる。
エンクロージュアはどうするか。

ステレオサウンド 51号のマイ・ハンディクラフトに登場した
ジェンセンのバス・ウルトラフレックス型が第一候補なのだが、
いま、このエンクロージュアよりも平面バッフルで鳴らしたい、という気持が強くなっている。

幸いなことに604-8Gは高能率のユニットである。
小出力の真空管アンプでも、そこそこ鳴ってくれる──、
こんなことを暑い夏が終り、急に涼しくなった日が続くと、
そのおもいは強くなってくるし、くり返しおもうわけだ。

audio wednesdayが終り、これまで毎月一回聴いてきたアルテックの音と縁が切れている。
だからよけいに604-8Gをきちんと鳴らそうというおもいが、今回は例年よりも強い。

高能率型スピーカーを真空管アンプで鳴らすことは、懐古趣味なのだけだろうか。
この時代にきちんと確認しておきたいことの一つである。

Date: 9月 21st, 2022
Cate: 老い

老いとオーディオ(若さとは・その17)

別項でふれているように、ここしばらくシューベルトを主に聴いている。
そのこともあって、しばらくグレン・グールドの演奏を聴いていなかった。

といっても三ヵ月ほど聴いていなかっただけである。
今日、グールドを聴きたくなった。

昨夏よりグールドを聴く、ということは、TIDALでMQA Studioを聴くことに、
すっかりなってしまっている。
さきほども、だからTIDALでMQA Studioで聴いていた。

何を聴こうか、ということよりも、グールドを聴きたかった。
なので目に入ってきたアルバムを選択した。

バッハの平均律クラヴィーア曲第一集を聴いていた。
MQA Studioで聴いたからといって、最新録音のように聴こえてくるわけではない。
いまとなってはもう古い録音である。
テープヒスもきこえてくる。

いまどきのピアノ録音と比較するまでもない。
それでも十分ほど聴いていると、
グールドのバッハが身体にしみ込んでくるような感触がした。

聴きながら、しみ込んできている、しみ込んできている──、
そんなことをつぶやきそうになるくらいにだ。

平均律クラヴィーア曲集は、グールドの演奏をいちばん多く聴いている。
それでも、いままでこんなふうに感じたことはなかった。

これは老いからくることなのだろうか。

Date: 9月 20th, 2022
Cate: ディスク/ブック

ベートーヴェン: ピアノと管楽のための五重奏曲

ベートーヴェンのピアノと管楽のための五重奏曲。
よく聴く曲ではない。
ディスクも持っていないわけではないが、
積極的に購入してのディスクとは言えなかったりする。

前回、この曲の聴いたのはいつだったのか、もう正確には思い出せないほど聴いていない。
今日、ふと思い立ってTIDALで聴いていたところだ。
     *
そして他に、ちょっと変ったところでは、初期の作品で、ピアノと木管のための五重奏曲・変ホ長調・作品16、ピアノをウラディミール・アシュケナージが弾き、ロンドン・ウィンド・ソロイスツとの合奏の1枚だ(SLA6247)。これも、新しい録音ではないし、今、買えるかどうかはわからないが、これは大変録音がいい。アシュケナージも、今とちがって清新で、大家の風格というより、純粋で単純といってよい快演である。
     *
菅野先生が、朝日新聞社が発行していた「世界のステレオ」に、
「ベートーヴェン 私の愛聴盤」のタイトルで書かれていた短い文章に、それは出てくる。

さきほどまで聴いていたのも、アシュケナージとロンドン・ウィンド・ソロイスツによる演奏だ。
「世界のステレオ」は、オーディオブームだったころに出ている。
1970年代後半のオーディオのムックである。

菅野先生の「ベートーヴェン 私の愛聴盤」は、ずいぶん以前に読んでいる。
それでも、この菅野先生の文章に登場するディスクのなかで、
アシュケナージの、このディスク(録音)だけは聴いてこなかった。

特に、これといった理由があるわけではなく、なんとなくでしかない。
アシュケナージも、いつのころからかすっかり大家になってしまっている。

岡先生は、1980年代からのアシュケナージの演奏を高く評価されていた。
岡先生と菅野先生、二人のベートーヴェン対談を聞きたかった。

Date: 9月 20th, 2022
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その25)

東芝ライフスタイルから、TY-XKR1というラジカセが先日発売になった。

ラジカセといっても、いまではCDラジカセが一般的になり、
カセットテープがついていないモノもある。

TY-XKR1は文字通りのラジカセ(ラジオとカセット)で、
スピーカーは10cm口径のコーン型が一発。モノーラル再生仕様である。

外形寸法はW26.5×H12.3×D10.0cmと、むしろ小型。
私が中学生の頃、使っていたラジカセよりも小さい。

価格は八千円ほど。
ちょっと買ってみようかな、という気持になった。

ここ二年ほど、グラシェラ・スサーナのカセットテープ(ミュージックテープ)を、
十本ほどヤフオク!で落札している。

これらスサーナのテープを、いまTY-XKR1で聴いたら、どんな感じなのだろうか。
TY-XKR1にドルビーはついていない。そうだろう、と思う。

いまドルビー搭載のラジカセ、カセットデッキの新製品はないのだから。
ドルビーなしでも、まったくかまわない。

私が落札したスサーナのミュージッテープのうち、ドルビーなのは一本だけ。
あとはドルビーはかかっていない。

それにTY-XKR1は外部入力端子がついている。
ここに、iPhone+PAW S1の出力を接続して聴いてみるのもいいかも──、
そんなことも想像している。

TY-XKR1の音に期待しているわけではない。
それでも、カセットテープをモノーラルで再生して、いまどう感じるのか。

三年前の7月のaudio wednesdayで、
グッドマンのAXIOM 150でのモノーラル再生を行っている。

ソニーのカセットデッキにマッキントッシュのプリメインアンプ。
モノーラル再生とはいえ、そこそこのシステムでの音だった。

TY-XKR1は、ラジカセ。
比較にならないほど貧弱なシステムといえる。

その音は、三年前の音ともずいぶん違うはず。
四十数年前、ラジカセで聴いていた音と、どれだけ違うのだろうか。

違いを聴きたいのではなく、どう感じるのかの違いを知りたい。

Date: 9月 19th, 2022
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(50CA10単段アンプ・その11へ、さらに補足)

武末数馬氏のECC81、上杉先生のECC82、
どちらも八本のプッシュプルのパワーアンプに以前から関心を持ちながらも、
今回50CA10の単段シングルアンプを優先して作るのには、
手元に来たある人の50CA10のシングルアンプという、いわば素材となるアンプがあるからだ。

それでもECC81、ECC82の八本パラレル・プッシュプルアンプを作ろうと思えば、
ある程度の部品は揃っている。

なのに単段シングルアンプにこだわるのは、
信号経路をかなり短くできるということが、もう一つの理由といえなくもない。

真空管のパワーアンプで信号経路を極力短くすることに、どれだけの意味があろうか。
出力トランスの巻線の長さを考えれば、
入力から出力トランスの一次側巻線までの信号経路を短くしても、
割合で考えればあまり意味のある、効果のあることではないのではないか。

そうは思いながらも、単段シングルアンプならば入力端子から出力トランスまでの信号経路は、
わずかばかりで仕上げることはできるわけでは、
例えばシェルリード線を交換した時の音の違いの大きさを思い浮べたりもする。

カートリッジ内の巻線、トーンアーム内の配線、トーンアームからアンプまでのケーブル、
これらトータルの長さからすればシェルリード線の割合はわずかだ。
なのにシェルリード線を交換すると、少なからぬ音の違いが生じる。

だからいまでもシェルリード線は各社から発売されている。
この経験があるからこそ、その先に長いもの(出力トランス)が存在していても、
そこまでの配線をできるかぎり短くすることが、決して無意味とは思えないし、
シェルリード線のように、割合からするとかなりの音の違いになってあらわれるかもしれない。

ECC81、ECC82八本パラレルのアンプも単段構成にすることはできる。
それでも信号経路は、どうしても長くなってしまう。

長くなってしまうことよりも、短い信号経路は長い信号経路が混在することになる。

Date: 9月 17th, 2022
Cate: 五味康祐, 情景

情景(その12)

リアルとリアリティについて考えていると、
別項「新月に出逢う」で書いているEn氏の人形に、
なぜこれまほどまでに惹かれるのか、その理由の輪郭がはっきりしてきそうである。

つまり、私はリアリティのある人形に惹かれているのであり、
リアリティを感じさせる人形を欲しい、と思っているのだろう。

En氏のつくる人形よりも、ずっとリアルな人形は世の中にたくさんあるだろう。
そういう人形を欲しい、と思わない。
欲しいのは、リアリティのある人形であり、
そのことは私にとっては、いまのところEn氏の人形であるが、
このことは、あくまでも私にとって、である。

私以外の人は、En氏の人形にリアリティを感じないのかもしれないし、
私と同じように強くリアリティを感じて惹かれる人もいることだろう。

この項の(その2)、(その3)で書いているように、
「五味オーディオ教室」を読みながら、中学二年だった私は、
ハイ・フィデリティよりもハイ・リアリティを、と思うようになっていた。

とはいっても、その時点では、あくまでも言葉の上だけでしかなかった。
それから四十年以上が経ち、ようやくハイ・リアリティとは──、
ということが摑めてきている。