Archive for category テーマ

Date: 1月 19th, 2023
Cate: 戻っていく感覚

アキュフェーズがやって来た(その1)

先ほどアキュフェーズがやって来た。
CDトランスポートのDP100、
デジタル・コントロールアンプのDC330、
パワーアンプのA20V、
デヴァイディングネットワークのDF35、
この四機種である。

運んできてくれた友人と食事していたこともあって、今日は搬入のみ。
きちんとしたセッティングは週末の予定。

それにしても、と思うことは電源コードが増えたことである。
ステレオサウンドで働いていたころは、
自宅のシステムはCDプレーヤー、アナログプレーヤー、コントロールアンプ、パワーアンプ、
電源を必要とする機器は、これだけだったから、四本で足りていた。
のちにスピーカーをQUADのESLにしたので六本に増えたけれど、それでもこれだけだった。

いまは、というと、ルーター、ハブ、Mac、メリディアンの210と218、
DP100とDC330と、ここまで、つまりデジタル再生系だけで、七本必要となる。
この他にコントロールアンプ、パワーアンプ、
その他の機器(アナログプレーヤー、カセットデッキ、チューナーなど)を含めると、
十本を超えるし、他にもいくつかの機器が待機していて、
これらをすぐに使えるように電源コードだけは挿すようにすれば、二十本ほどになる。

わかっていたことだけれども、こういう時代なのか……、と感じながらも、
iPhoneとヘッドフォンで聴くシステムは、iPhone内蔵のバッテリーのみで動作するから、
電源コードは必要としない聴き方が、一方に厳然としてあることも、
この時代なのか、と感じている。

Date: 1月 19th, 2023
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド

編集者の悪意とは(その26)

ステレオサウンド 69号でのJr.さんのExclusive 2401twin、
というよりも、Exclusive 2401twinに搭載されているTADのユニット群へのおもいは、
深く強かったわけで、だからこそ、Jr.さんはExclusive 2401twinをとびきりよく鳴らしたい──、
そういう気持があった、と思っている。

その意味で、89号でのKHさんのマッキントッシュのXRT18へのおもいもそうである。

二人とも、そこに悪意はなかった。
けれど、Jr.さんはExclusive 2401twinを、
KHさんはXRT18を、よく鳴らしたいという気持は、
他のスピーカーよりもよく鳴らしたい、であったはずだ。

それは善意ではない。
こういう試聴におけるオーディオ雑誌の編集者の善意とは、
すべての機器をきちんと鳴らす、ということであって、
ある特定の機種をよく鳴らす、ということではない。

善意の履き違えが、69号と89号での結果を生んだ、と私はいまも思っているし、
この二つの例も、編集者の悪意につながっていくことだともおもっている。

Date: 1月 19th, 2023
Cate: オーディオ評論

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(その18)

一週間前、「あるスピーカーの述懐(その41)」を書いていて思ったことがある。

なんとなく思っただけであって、確信といえるほどではないのだが、
ここでのテーマであることと、どこかでつながっていると感じた。

ここでのテーマは、あれほどB&Wの800シリーズを絶賛しながら、
なぜステレオサウンドの評論家は誰も買わないのか──、
このことに関して、B&Wの800シリーズは、
スピーカーの音を嫌いな人のためのスピーカーなのではないか。
そんなことをふとおもった。

二日前の「編集者の悪意とは(その25)」を書いたあとステレオサウンド 69号を眺めていて、
傅 信幸氏の文章が目に留った。

「いま、気になるハイエンドオーディオの世界」というタイトルの記事で、
最後の方に、こんなことを書かれている。
     *
 ぼく自身ふりかえってみて、レビンソンのML7Lを手にいれたのは、このプリは中味がカラでボリュウムがついているだけじゃないかとあきれるくらい普通の音だったからだ。自分と7Lとがグッドバイヴレーションした。
     *
《中味がカラでボリュウムがついているだけじゃないか》、
いま聴けば、ML7の音は、もうそう感じないのかもしれないが、
それでも約四十年ほど前、傅 信幸氏にとっては、そうだったわけだ。
だからこそ、ML7を購入されている。

Date: 1月 19th, 2023
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その87)

オーディオの想像力の欠如した者には、
ワルター・ギーゼキングがいう《聴覚の体系的な訓練》は無理なのかもしれない。

Date: 1月 18th, 2023
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(圧倒的であれ・その11)

その10)で触れている知人。

この人に私は近寄らないようにしている。
向うは私のことを嫌ってくれているようなので、会うことはまずないのだけれども、
それでも関わりは持たないようにしている。

特別扱いを暗に要求している(私はそう感じている)知人は、
被害者意識も強いように感じてもいる。

自分の望むことがかなわないと、被害者意識をすぐに持つ。
このことは、特別扱いをしてほしいということだろうし、
自分は特別扱いされるオーディオマニアという意識が、どこかにあるからなのだろう。

この人ほどではないにしても、同じような傾向のオーディオマニアは、
ソーシャルメディアを眺めていると、少なくないようにも感じる。

けれど、そんな態度だから、いろんなことがこじれてしまう。
本人がこじらせているだけなのだが、孤立していくことで、ますます悪化もするようだ。

Date: 1月 17th, 2023
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド

編集者の悪意とは(その25)

ここで一つの例として挙げているステレオサウンド 87号での、
マッキントッシュのXRT18のヴォイシングの失敗。

これによく似た例が、もう一つあった。
69号の特集「超大型スピーカーの魅力的世界」であったことだ。

この特集は、タンノイのウェストミンスター、
エレクトロボイスのパトリシアンII、JBLの4355、UREIのModel 813B、
ダイヤトーンのDS5000、パイオニアのExclusive 2401twinを集めての、
試聴と組合せの記事だ。

XRT18と同じようなことはExclusive 2401twinの時に起った。
このときの編集者で、Jr.さん(Nさん)はTADのユニットにベタ惚れだった。
それまでJBLの高能率型ユニットにぞっこんだった人が、TADのユニット、
そして設計者の木下正三氏に急速に惹かれていった。

Exclusive 2401twinの番になったとき、
Jr.さんの心境は、89号のKHさんの心境に近かったのかもしれない。

なのに鳴ってきた音は奇妙な音だった。
1983年のころだから、こまかいことがすこしあやしくなってきているが、
最初にExclusive 2401twinに接続したパワーアンプは、
ソニー・エスプリのTA-N902だったと記憶している。

TA-N902は130W+130Wのステレオパワーアンプだが、モノーラル接続で400Wになる。
この時、なぜかTA-N902の背面のスイッチがMONOポジションになっていた。

たしかスピーカーケーブルの接続はJr.さんだった。
彼が意図的に、こんな接続をするわけがない。
それでもなぜかそうなっていた。
その音が第一声だった。

間違った接続で鳴らしたわけだから、奇妙な音になって当然。
すぐさまどこか間違っているはず、ということで接続をチェックして、試聴が再開した。

89号のXRT18とは違い、その後の試聴は問題なく進んだ。
けれどJr.さんの落ち込みようは、いまもはっきり憶えている。

Date: 1月 17th, 2023
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その20)

その19)でも書いているように、
音楽を聴くのに、TIDALなどのインターネットを介しての聴き方を、
どこか味気ない、空虚だ、と否定する人が、少なからずいる。

そういう人たちは、大人ならば大人らしい音楽の聴き方をすべき──、
そんなことをいってきそうだ。

パッケージメディアにこだわって音楽を聴くのが、
ほんとうに大人らしい音楽の聴き方なのだろうか。
それしか大人らしい音楽の聴き方はないのだろうか。

安き(低き)に流れるのは、大人らしい音楽の聴き方ではない、と私も思う。
だからといって、TIDALで音楽を聴くことが安き(低き)に流れた音楽の聴き方、
大人らしくない音楽の聴き方とは、まったく感じていない。

むしろ、パッケージメディアにこだわりすぎてしまうことで、
新しい聴き方に関心の目(耳)を向けようとしない聴き方こそ、
大人らしくない音楽の聴き方ではないのか。

こだわるということは、一種の甘えだったり、楽であることに陥ってしまう。
こだわることがすべてそうだとはいわないが、
自分の殻に閉じ籠もってしまうことのいいわけにしか聞こえないことがあるのも事実だ。

大人らしい音楽の聴き方は、どういうメディアで聴くか、ということで決ることではない。
その先にあることのはずだ。

Date: 1月 17th, 2023
Cate: 「オーディオ」考

オーディオの罠(その5)

続・再生音とは……(その33)」で、
自己模倣という純化の沼にはまってしまったら、
永遠に花を咲かすことはできない、と書いた。

自己模倣という純化の沼にはまってしまった人は、つぼみのままの音を聴き続ける。
音という花を咲かせることはできない。
そのこと、書いた二年前よりも、強く感じるようになってきているし、
つぼみのままの音を愛でることから脱却できない人は、
たがやさせない人でもある。

これも以前書いていることなのだが、
たがやすは、cultivateである。
cultivateには、
〈才能·品性·習慣などを〉養う、磨く、洗練する、
〈印象を〉築く、創り出す、
という意味もある。

Date: 1月 16th, 2023
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(と取り巻いていること・その9)

アナログプレーヤーのセッティングの実例と老い(その6)」で書いたことと関係してくるのだが、
真空管アンプも、部屋が冷え切った状態での電源投入は避けるべきである。

真空管のヒーターは温度によって、内部抵抗が変化する。
冷たい時が抵抗値は低く、温まって熱くなってくると、抵抗値は大きくなる。

真空管のヒーターにかかる電圧は、温度が低い時もそうでない時も同じである。
ということは、温度が低いとき、つまり抵抗値が低いときには、
オームの法則からわかるように電流が多く流れる。

それは規定値よりも大きな電流である。
ラッシュカレントが生じることになる。

これが真空管のヒーターに大きなダメージを与える。
何回もくり返せば、ヒーターの寿命は短くなる、といっていい。

昔から、機器の金属部を触ってひんやりしていたら、
まず部屋を十分に暖めること、といわれていた。
いまはどうなのだろうか。

「アナログプレーヤーのセッティングの実例と老い(その6)」では、
10度よりも低い温度でアナログプレーヤーを使用する人がいることに触れている。

そんなに低い温度では、レコードそのものがまず硬くなっているし、
カートリッジのダンパーやスピーカーのエッジ、ダンパーなどもそうである。
そういう状態で満足な動作は期待できない。

そのことがわからない使い手が増えてきているのだろうか。
同じように低い温度で、真空管アンプの電源を投入すれば、
その度に真空管のヒーターに規定値よりも大きな電流が流れることも、
いまでは忘れられつつあるのだろうか。

とにかく真空管を大事に使いたければ、部屋の温度が十分高くなってから電源投入したほうがいい。

Date: 1月 15th, 2023
Cate: マッスルオーディオ

muscle audio Boot Camp(その21)

ステレオサウンド 45号の新製品紹介の記事で、
マークレビンソンのML2が登場した。

このころのステレオサウンドの新製品紹介は、
井上先生と山中先生の二人で担当されていただけでなく、
新製品を聴いての全体の傾向などについての対談も掲載されていた。

その対談で、こんなことが語られている。
     *
山中 このパワーアンプを開発するにあたってマーク・レビンソン自身は、本当のAクラスアンプをつくりたい、そこでつくってみたところがこの大きさと出力になってしまった。出力ももっと出したいのだけれど、いまの技術ではこれ以上無理なんだといっているのですが、いかにも彼らしい製品になっていと思います。
 実際にこのアンプの音を聴いてみますと、今までのAクラスパワーアンプのイメージを打ち破ったといえるような音が出てきたと思うのですがいかがでしょうか。
井上 そうなんですね。いままでのAクラスパワーアンプは、どちらかといえば素直で透明な音、やわらかい音がするといわれてますね。それに対してこのアンプではスピーカーとアンプの結合がすごく密になった感じの音といったらいいのかな……。
山中 その感じがピッタリですね。非常にタイトになったという感じ。スピーカーを締め上げてしまうくらいガッチリとドライブする、そんな印象が強烈なんです。
井上 一般的に「パワーアンプでスピーカーをドライブする」という表現が使われるときは、一方通行的にパワーアンプがスピーカーをドライブするといった意味あいだと思うのです。このマーク・レビンソンの場合は対面通行になって、アンプとスピーカーのアクションとリアクションがものすごい速さで行われている感じですね。
山中 ともかく片チャンネル25Wの出力のアンプで鳴っているとは思えない音がします。この25W出力というのは公称出力ですから、実際の出力はもう少しとれているはずですし、しかもインピーダンスが8Ω以下になった場合はリニアに反比例して出力が増えていきますから、やはり電源のしっかりしたアンプの底力といったものを感じますね。
井上 昔から真空管アンプのパワーについて、同じ公称出力のトランジスターアンプとくらべると倍とか四倍の実力があるといったことがよくいわれていますね。
山中 それに似た印象がありますね。
井上 でも真空管アンプというのはリアクションが弱いでしょ。やっぱり一方通行的な部分があって、しかも反応がそんなに速くない。アンプとの結びつきが少し弱いと思うのだけど、この場合はガッチリ結びついた感じのするところが大変な違いだと思います。
山中 とにかく実際にこのアンプを聴いた人はかなり驚かされることになると思います。
     *
パワーアンプの出力インピーダンスが変動しているはず──、
なんてことは、この記事を読んだ時はまったく考えていなかった。

素直にML2はすごいアンプなんだ、
早く聴いてみたい、と思っていた。

実際に聴いたML2の音は、まさにそういう音だった。
そしていま、出力インピーダンスの変動を念頭において読むと、
そういうことか──、というふうにも読める。
そういう読み方が正しいかどうかは措くとしても、
A級アンプの出力インピーダンスの変動が小さいからこそのML2の音の特徴に結びつく。

Date: 1月 15th, 2023
Cate:

オーディオと青の関係(その27)

いまJBLのS9900のサイトを見ていたら、
ブルーのエンクロージュアのS9900があった。

木目だけだと思っていた。
青もあるのか。

ただそれだけのことなのだが、それだけのことでなんだかわくわくしてくる。

Date: 1月 14th, 2023
Cate: 「オーディオ」考

オーディオの罠(その4)

自己模倣という純化の沼のこわいところは、
本人だけが気づかぬまに、
憧れがたてまえの憧れとなってしまうことだ。

そして、そうなってしまった憧れは、憧れがもつ本来の精気、輝きを失う。

Date: 1月 13th, 2023
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(その16)

高校生だった私が、いつかはリファレンスという夢を持てたのは、
リファレンスが限定生産ではなかったからだ。

あのころ、私が憧れていたオーディオ機器は、
JBLの4343、マークレビンソンのアンプ、スレッショルドのSTASIS 1、
トーレンスのリファレンスにEMTの927Dstなど、どれもそうだった。
現行製品で、限定生産品ではなかった。

このことは、とても重要だ。
高価なモノになれはなるほど、限定生産かどうかは、さらに重要なこととなってくる。

作り続けられていれば、いつかは自分のモノとすることができる──、
そういう夢を持てる。

けれど、限定数十台とか、最近の特に高価なオーディオ機器はそんなだったりする。
おいそれとは手を出せない価格というだけでなく、
すぐに決心しないと、買えなくなってしまいますよ、といわんばかりの売り方、
そんなふうに思ってしまうのは、買えない者の僻みとは思っていない。

もちろん、高価なオーディオ機器はずっとつくり続けなければならないとはいわない。
けれど、限定生産ということはやらないでほしいし、
一年や二年で製造中止にすることもやめてほしいだけである。

オーディオ機器は、一部の人にとっては投資の対象となっているようだ。
以前、この項で取り上げたナカミチのTX1000の例は、まさにそうだといえる。

2019年にヤフオク!に8,500,000円で出品した人、
8,500,000円で落札した人、
2020年に10,000,000円で出品している人がいる。

TX1000のアナログプレーヤーとしての実力を知っているならば、
この価格がいかに法外か、ということはわかる。

けれど、そんな実力とは無関係なところで、投資の対象となってしまえば、
こんなことになってしまう。

Date: 1月 12th, 2023
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(その15)

瀬川先生がステレオサウンド 56号のリファレンスの記事の最後に、
こう書かれている。
     *
であるにしても、アーム2本、それに2個のカートリッジがついてくるにしても、これで〆めて358万円、と聞くと、やっぱり考え込むか、唸るか。それとも、俺には無縁、とへらへら笑うことになるのか。EMT927までは、値上げになる以前にどうやら買えたが、「リファレンス」、あるいはスレッショルドの「ステイシス1」あたりになると、近ごろの私はもう、ため息も出ない、という状態だ。おそろしいことになったものだ。
     *
56号は1980年秋号である。もう四十年以上前のことではあるけれど、
オーディオ機器ひとつの価格が3,580,000円というととんでもない価格であり、
「おそろしいことになった」と私も感じながらも、
それでもいつの日か、リファレンスを買える日が来るのではないか、とも思っていたのは、
単に高校生で、アルバイトはやっていたものの、
社会人としてお金を稼ぐことがなかったためだろうか。

トーレンスのリファレンスは買えなかったけれど、
EMTの927Dst(すでに製造中止になっていたので中古だったが)は買える日が来た。

このころは3,580,000円がオーディオ機器の最高価格といえた。
いまならいくらぐらいに相当するのか。

2021年夏に、四十年のうちに、
同クラスといえる製品の価格帯は二倍から三倍あたりに移行している──、
大雑把に、そう捉えてもいいであろう、と書いた。

だいたいそのくらいだと感覚的にもそう判断している。
だとすると、リファレンスはいまでは8,000,000円前後となる。

いまでも、この価格はそうとうに高価だ。
けれど、実際には、もっと高価なアナログプレーヤーがあるし、
アンプにしても、スピーカーシステムにしても、
その数倍、もしくは十倍以上の価格のモノがある。

しかも、その非常に高価な製品が、いくつも登場してきているのは、どうしてなのだろうか。
売れるから、なのだろう。

けれど、あのころのトーレンスのリファレンスやスレッショルドのSTASIS 1と、
いまの非常に高価な製品の違いは──、と考えると、
リファレンスもSTASIS 1も、限定生産ではなかったことだ。

Date: 1月 12th, 2023
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その41)

オーディオ評論家も、そうだ、といっていい。
スピーカーの音を好きなオーディオ評論家がいれば、
スピーカーの音を嫌いなオーディオ評論家もいる。

スピーカーの音を嫌いな、とするのが言い過ぎなら、
スピーカーの音を好きじゃない、といいかえてもよいが、
とにかく、そういうオーディオ評論家がいることは確かだ。

スピーカーの音が好きなオーディオ評論家の書くものを、
スピーカーの音が好きなオーディオマニアが読む、
スピーカーの音が好きなオーディオ評論家の書くものを、
スピーカーの音が嫌いなオーディオマニアが読む、
スピーカーの音が嫌いなオーディオ評論家の書くものを、
スピーカーの音が好きなオーディオマニアが読む、
スピーカーの音が嫌いなオーディオ評論家の書くものを、
スピーカーの音が嫌いなオーディオマニアが読む、
こんな組合せが、現実にはある。