Archive for category テーマ

Date: 4月 12th, 2023
Cate: ディスク/ブック

宿題としての一枚(その12)

瀬川先生からの宿題としての一枚。
コリン・デイヴィス指揮のストラヴィンスキーの「火の鳥」である。

熊本のオーディオ店。
瀬川先生が鳴らされた音。

JBLの4343、
トーレンスのリファレンス、
マークレビンソンのLNP2、
SUMOのTHE GOLD、
これらのシステムが鳴らした音は、忘れられない音だ。
絶対に忘れられない音の記憶である。

別項で書いているように、この時が、瀬川先生が熊本に来られた最後だった。
いつもならば、試聴会の終りに、リクエストはありませんか、といわれるのに、
その日は、具合がひどく悪そうで、「火の鳥」を片面鳴らされたあと、すぐに引っ込まれた。

体調が悪かったのか……、そんなこともあるよなぁ……、
そんな感じで受け止めていたのだけれど、
そのオーディオ店を出て歩いていたら、駐車場から瀬川先生をのせた車が出てきた。

車内で瀬川先生はぐったりされていた。
そうとうに具合が悪いのは、誰にだってわかるほどにだ。

あの時の「火の鳥」の音は、なんだったのか──、と考えることがいまでもある。
高校生のときに聴いた音だから、それ以上の音をそれまで聴いたことがないから、
すごい音と感じたということは否定できないけれど、それ以上の音であったようにも思う。

冷静に聴くことができれば、欠点はいくつか指摘できる音だったのかもしれないが、
あの時の「火の鳥」はそういうことを一瞬にしてどうでもいいことと思わせるほど、
そんなふうな音だった──、といまでもおもっている。

Date: 4月 10th, 2023
Cate: High Resolution

MQAのこと、否定する人のこと(その6)

MQA破綻のニュースを目にして、あれこれ思うのは、個人の勝手である。
喜ぼうが悲しもうが、それは個人によって違ってくる。
けれど決めつけるのは、どうかとおもう。

そこで、その人の人柄(本性)がかいまみえてきそうだ。

Date: 4月 10th, 2023
Cate: ディスク/ブック

音痴のためのレコード鑑賞法(その1)

「音痴のためのレコード鑑賞法」。

五味先生の「いい音いい音楽」に、それは収められている。
     *
 偉大な芸術家ほど、様式は変わっても作品の奥からきこえてくる声はつねに一つであり、生涯をかけて、その作家独自の声で(魂で)何かをもとめつづけ、描きつづけ、うたいつづけながら死んでいる。幾つかの作品に共通な、その独自の声を聴きとることができれば、一応、その作者——つまり彼の〈芸術〉を理解したといえるだろう。

 バッハの場合もこれは変わらない。一千を超えるおびただしい作品群も、注意して聴いてみれば同じ発声と、様式と、語法で——つまり発想で出来上がっている。使用される楽器はちがってもバッハの芸境はひとつだ。
 たいへん深遠で、偉大なそれは境地だから、ちょっと聴いたぐらいではうかがい知れないし、この点、聴く人には耳の訓練と音楽的教養ともいうべきものが、ある程度は必要になる。でもその教養は、教師や教科書が必要なわけではなく、くり返し聴いてさえいればおのずと身につくもので、事実バッハほどになると、はじめは少々退屈でも何度か聴いているうちに、えも言えぬしらべの美しさ、澄みとおった心境、宗教的感動、敬虔な祈りに参加するに似た喜びを感じとれるし、さらには力づよく正しく生きようという意欲がわいてくる。バッハの偉大なゆえんだろうとおもう。
     *
五味先生は「音痴のためのレコード鑑賞法」で、
バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンについて語られている。

バッハならば、
 マタイ受難曲
 オルガンによる「前奏曲(もしくは幻想曲・トッカータ)とフーガ」三十曲余の中のどれか。
 平均律クラヴィーア第一部(第一曲)
 ブランデンブルク協奏曲
 無伴奏チェロ・ソナタ
 フーガの技法
 インベンション
を挙げられている。

ヘンデルはメサイアだ。
ハイドンは、交響曲第四九番と第九五番を挙げられている。

モーツァルトは、
《「魔笛」と「フィガロの結婚」である。大胆な言い方をゆるされるなら、この二曲と、死の直前に書かれた「レクイエム」(モーツァルトの自筆としては未完だが)それに「交響曲第四〇番」(ト短調)を聴けば、モーツァルトの天才のすべてがわかる。》とされている。

ベートーヴェンは、
《作品一〇六「ハンマークラヴィア」、作品一〇九(イ短調)、作品一一一(ハ短調)の三曲がそれで、ピアノでつづられた新約聖書とよばれるほど、これらは古今無双の名品だ》とされているし、
《ベートーヴェンの全作品から、一般向けにただ一つを挙げるなら、「第九交響曲」である。これはもう議論の余地はない》とも書かれている。

何にでも物分りのい人間でありたい人は、
なんて極端な意見だ、とあきれることだろう。

極端といえばそういえなくもない。
けれど、ながくクラシックを聴いてきていれば、五味先生が選ばれている曲に頷くはずだ。

五味先生は作曲家の作品を「音痴のためレコード鑑賞法」として挙げられている。
いま、「音痴のためのレコード鑑賞法」について書いているのは、
クラシックの演奏家におきかえても同じことができる、ということである。

Date: 4月 9th, 2023
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その19)

レコード芸術継続の署名は、先ほど確認したら2,980人だった。
四日前の夜の時点で2,500人だったから伸びは鈍化している。

レコード芸術の休刊が発表になった日の、
ソーシャルメディアではかなり話題になっていたけれど、いまの時代、
すぐに次の話題に移っていくだけのことだ。

レコード芸術は創刊70年ほど。
老いていっているのかといえば、確かに老いているといえるけれど、
老いていくことと、(その18)で指摘したゾンビ化は、同じではない。

問題としたいのは、雑誌のゾンビ化である。

いま書店に並んでいるレコード芸術 4月号の特集は「その輝きは色褪ない──神盤再聴」だ。
神盤。
わかりやすくはあるけれど、レコード芸術にしては安直すぎないか、と思うところはあるものの、
企画はしてはおもしろいと感じたが、残念ながらそこまでだった。

特集でとりあげられているのは、
リヒター指揮のマタイ受難曲(1958年録音)、
カルロス・クライバーのベートーヴェンの五番と七番など、十枚である。

「その輝きは色褪ない──神盤再聴」を眺めていてまず思ったのは、
順番が逆だろう、である。
何の順番かといえば、レコード芸術恒例の名曲名盤との順番である。

「その輝きは色褪ない──神盤再聴」を、今回のようなやり方ではなく、
もっとじっくりとやった上での名曲名盤を、なぜやらなかったのか、である。

Date: 4月 7th, 2023
Cate: High Resolution

MQAのこれから

今日の午後、MQAが経営破綻というニュースが流れた。
海外のサイトで発表されているし、
ソーシャルメディアでも話題になっている。

新しい買手が見つからなければMQAという会社は破産することになる。

世の中には、このことを喜んでいる人がやっぱりいる。
MQA破綻のニュースを見て、最初に思ったことが、このことだった。

ショックだとか、これからどうなるんだろうかという不安はなくて、
MQAがダメになる、やったー、と喜ぶ人がいて、
ソーシャルメディアに書きこむんだろうな、と思ったあと、
どこかが買収するだろうから、MQAがなくなることはないだろう、と楽観視している。

といっても、どこかが買収の交渉をしているとか、具体的な情報を知っているわけではなく、
根拠なく、そうおもっているだけである。

六十年間生きていると、予期せぬこと、予測できないことが起るものだとおもうようになる。
なのでなるようになるでしょう、と楽観視しているわけだが、
買収してくれるところが現れない可能性もある。
そうなればMQAという会社は破綻して、これから先MQAの音源はリリースされなくなるだろう。

そのことも考えても、それほど不安とか落胆とか、そういう感情がないのは、
MQAで聴きたいアルバムが、かなりの数、MQAにすでになっているからだ。

2021年にソニー・ミュージック、ソニー・クラシカルが全面的にMQA推しになった。
グレン・グールドの全アルバムがMQA Studioで聴けるようになった。

MQAでグールドが聴ける日が来ることは、まったく期待していなかった。
ソニーからMQA対応のハードウェアは発売されていたけれど、
ハードウェアだけなのだろう、と勝手に思い込んでいたから、あきらめてもいた。

そこにグールドがMQAで聴けるようになった。
グールドだけではない、カザルスもジュリーニもライナーも、
挙げたい人はまだまだいるけれど、とにかく愛聴盤として大切におもっているアルバムが、
MQAで聴ける、それもかなりの数が聴けるようになった。

2022年は旧EMIの録音がワーナー・クラシックスからMQAでかなりの数出ている。
それまでも積極的にMQAに対応していたけれど、2022年はすごかった。
フルトヴェングラーは2021年リマスター、
デュ=プレは2022年リマスターでMQAで聴ける。

44.1kHz、16ビットのデジタル録音もMQAになっている。
旧EMIに関しても挙げたい人はまだまだいる。
これからはMQAで聴けるわけだ。

TIDALで音楽を聴くようになって、新しい演奏家をかなり積極的に聴くようになった。
いいなぁ、と感じる演奏家も少ない。

それでも、そういった新しい演奏家の最新録音を立て続けに一週間ほど聴いて、
愛聴盤である古い演奏家の古い録音を聴くと、最新の演奏・録音のほうが色褪てしまう。
輝きが鈍ってしまう。

六十年間生きてきたわけだから、あとまともに聴けるのは二十年ほどか。
その二十年で、新たに愛聴盤に加わる演奏家が、何人登場してくるだろうか。
おそらくわずかだろう。

いまの演奏家が古の演奏家と比較して、という話ではなく、
これまで聴いてきた時代が関係してのことだから、
おそらく二十年で大きく変ることはないはずだ。

だとすれば、愛聴盤の多くがすでにMQAで聴けるのだから、
それで満足といえば満足できる。

ただユニバーサル・ミュージックがもう少し本気でMQAに取り組んでくれたら──、
とは思ってしまう。

カスリーン・フェリアーのバッハ・ヘンデル集だけでもいいから、
MQAにしてほしい。
それからヨッフムのマタイ受難曲も。

他にも挙げたいアルバムはあるけれど、この二枚だけはMQAで聴きたい。

つまり私が、いま二十代、三十代だったら、
今回のニュースを知って、驚き慌てたことだろう。

でも、すでに六十である。
残り時間のほうが少ない。
愛聴盤がある、MQAでけっこう数が聴ける。
ならば、それけで満足しようじゃないか。
たとえ最悪の状況になったとしてもだ。

Date: 4月 5th, 2023
Cate: ディスク/ブック

THE DARK SIDE OF THE MOON(Dolby Atmos Mix・その5)

今回の「狂気」Dolby Atmos Mixのイベントが開催されることを知ったのは、
3月20日だった。
映画「BLUE GIANT」を、そろそろ観に行こうかな、と思っていたころだった。

「BLUE GIANT」は世界一のジャズプレーヤーを目指すテナーサックス奏者が主人公である。
だからDolby Atmosでの上映もある。

「BLUE GIANT」はDolby Atmosで観るつもりだったから、先延ばしにした。
「狂気」Dolby Atmos Mixを聴いたあと、
映画館で「BLUE GIANT」をDolby Atmosで観る(聴く)ことで、
確認したいと考えた。

そういうことで今日(4月5日)で、
TOHOシネマズ日比谷でDolby Atmosで観てきた。

都内のDolby Atmos対応の映画館すべてに行ったわけではない。
行ったなかでは、日比谷のTOHOシネマズは好ましいと感じている。

Dolby Atmosで観て良かった、とも感じている。

Date: 4月 5th, 2023
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その18)

別項「TIDALという書店(その16)」で書いたことを、ここでもくり返しておく。

きくところによると、レコード会社はサンプル盤を用意していない、らしい。
すべてのレコード会社がそうなのかどうかまでは知らないが、
けっこう大手のレコード会社でも、そうらしい、ということを聞いている。

以前ならば取り上げてくれる雑誌の編集部には、
発売前にサンプル盤を提供することで、発売日前後の号に取り上げられるようになっていた。
それが、いまではどうも違ってきているようなのだ。

さらに貸出用のディスクには通し番号がふられていて、返却が求められるとも聞いていたから、
レコード芸術の休刊に、驚くことはなかった。

レコード芸術を出版している音楽之友社だけの事情というよりも、
クラシックのレコード(録音物)を出しているレコード会社を含めての事情ともいえよう。

レコード芸術継続の署名は、いまのところ2,500人ほど集まっている。
三日前の月曜日の夜の時点では500人ほどだったから増えているけれど、
昨晩からすると増え方はそれほど伸びていない。

どれだけ集まるのかはなんともいえないが、
どんなに署名が集まったところで、継続されるとはとうてい思えないし、
仮に継続されることになったとしても、いずれ近いうちにまた休刊になるはず。

署名を集めるよりも、レコード芸術の名称を音楽之友社と交渉して買い取り、
オンラインのレコード芸術をスタートするためのクラウドファンディングを募らないのか。

レコード芸術だけがそうだというのではない、
いまの時代、多くの雑誌がゾンビ化しているように思えてならない。

雑誌のゾンビ化。
このことに気づかず、目を向けずに、ただ継続だけを主張しても──、である。

Date: 4月 5th, 2023
Cate: High Resolution, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(MQAのこと・その4その後)

その4)で、TIDALではMQAで配信されているのに、
e-onkyoではflacしかない、ということを書いた。

ドイツ・グラモフォン、デッカなどのユニバーサル系はMQAも新しく配信されていたが、
旧EMIに関しては、2022年リマスターを含めて、flacだけでMQAがないということが増えた。
すべてをチェックしているわけではないが、旧EMIに関しては、ほとんどそうである。

Qobuzを運営しているフランスの会社、Xandrieへ譲渡されたあとからそうなったことから、
そしてQobuzがMQAを扱っていないことからも、
e-onkyoの方針ではなく、親会社の方針としてMQAを扱わないようにしているのか──、
そう思えていた。

Qobuzのサービスが日本でも開始になれば、MQAは扱われなくなるだろう、とも思っていた。
事実、今日、そういう発表があった。

MQAだけではなく、WAV、DIFF、MLP(Dolby TrueHD)、32ビット音源の配信が終了となる。
配信終了予定日は4月25日。

Date: 4月 5th, 2023
Cate: audio wednesday

第八回audio wednesday (next decade)

第八回audio wednesday (next decade)は、5月3日。

参加する人は少ないだろうから、詳細はfacebookで。
開始時間、場所等は参加人数によって決める予定。

Date: 4月 3rd, 2023
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その17)

昨年、レコード芸術を読んでいて、
こんなディスクがあるのか、と思ってTIDALで検索して聴いたのは一枚だけだった。

そのディスクも月評で取り上げられていたのではなく、
連載記事の一つで紹介されたのを読んで、である。
Dina Ugorskajaのシューベルトのピアノ・ソナタだ。

この一枚に関してはレコード芸術を読んでいてよかった、と感じた。
一年十二冊のレコード芸術で取り上げられるディスクの数はどれだけなのか。
数えたことはないが、そのうちの一枚は割合としては極々小さい。

一枚でも、そういうディスクをレコード芸術によって知ることができた事実は、
ありがたいことであるし、そういうことがまたあるかも、という期待をこめて、
Kindle Unlimitedでレコード芸術を読んできた。

それも昨年12月からなくなっている。
そのことに淋しさのようなものを感じてもいない。

出逢えるディスクは、遅かれ早かれ、いつかその日が訪れるからだ。

レコード芸術が休刊になることは、昨晩知っていた。
それに今年休刊になる音楽・オーディオ関係の雑誌は、まだある。
どの雑誌がそうなのかも知っているが、まだ発表になっていないので控えておく。

1947年創刊のスイングジャーナルが2010年6月に休刊、
1952年創刊のレコード芸術が2023年6月に休刊。

1966年創刊のステレオサウンドは──。

Date: 4月 3rd, 2023
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その16)

2012年、2022年とKindle Unlimitedで、レコード芸術は読んでいた。
時代は変った、と感じたのは、
レコード芸術の月評で紹介されているディスクを、
ストリーミングを活用している人ならば、かなりの数聴ける(聴いている)ということだ。

TIDALを使っているから、けっこう数のアルバムを、
レコード芸術で紹介される前に聴いている。
それが当り前の時代である。

月評だけがレコード芸術のおもしろさではない。
むしろ特集や連載記事のほうに関心・興味をもって、あのころは買って読んでいた。

それがいつしか興味をそそられる特集記事が減っていった。
テーマはおもしろそうだと思っても、意外にそうでなかったりする。
それは名曲名盤の特集が、いちじるしく顕著だった。

あれほどダメになってしまった特集はない。

いまインターネットで、レコード芸術の継続の署名運動がある。
レコード芸術に書いている人たちが発起人となっている。
どれだけ集まるのだろうか。

かなりの数あつまったとしても、休刊が撤回され継続されるとは思えない。
署名した人たちが毎号定期購読してくれたとしても、である。
広告が増えない限り、その保証がない限り、まず無理であろう。

レコード芸術がなくなると、
クラシックのレコード(録音物)の新譜情報が得られなくなる──、
と心配する人はほとんどいないはずだ。

いまではレコード会社のウェブサイトやソーシャルメディア、
それにタワーレコード、HMVといった大手の販売店のメールマガジンを受けとっていれば、
新譜情報で困ることはない。

Date: 4月 3rd, 2023
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その15)

レコード芸術が、6月発売の7月号で休刊になるニュースを、
すでに目にされた方も多いことだろう。

2010年6月、スイングジャーナルが休刊した。
6月だから、7月号が最後のスイングジャーナルであった。

スイングジャーナルの休刊が発表になったとき、
ソーシャルメディアでは、次はレコード芸術の番と投稿する人がけっこういた。

たしかにそのころからレコード芸術は薄くなっていた。
広告が減っていったからである。

でもスイングジャーナルの休刊から十三年。
レコード芸術を買うことは一度もなかった。

図書館に行けば、レコード芸術は読めたし、
毎号読みたいとも思っていなかった。

レコード芸術を熱心に読んでいたのは、1980年代だった。
あのころはレコード芸術の発売日を楽しみにしていた。

それがいつのころからだろうか、少しずつ惰性で買うようになっていた。
そうなると買っても、熱心に読まなくなっていく。
そして買わない号が出てきて、買わなくなってしまった。

そして書店で手にとることすらしなくなった。

いまはどうだったかといえば、昨年まではKindle Unlimitedで読んでいた。
それも12月発売の2023年1月号から読めなくなった。

もしかするとレコード芸術も、かなり厳しいのか……、
そんなことを思うようになってきたときに、今回の休刊の発表である。

やっぱりそうだったのか──、と思ったし、驚きはなかった。
Kindle Unlimitedで読んでいて、ここまで広告が減ったのか、という驚きはあったけれど。

Date: 4月 2nd, 2023
Cate: High Resolution, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(MQAのこと・その13)

ステレオサウンド 226号がKindle Unlimitedで読めるようになっている。
特集のハイレゾオーディオ2023について書く前に、
新製品紹介で、CHプレシジョンのC1.2のことについて触れておく。

三浦孝仁氏が担当で、
本文中には《本機ではMQAにフル対応していることも大きなトピックといえよう》とある。

けれど続く音についてのところでは、MQAの音についてはまったく触れられていない。
《大きなトピック》だったら、なぜMQAの音について触れないのか。

MQAの音について触れないのであれば、
《本機ではMQAにフル対応していることも大きなトピックといえよう》
と書かなければいい──、個人的にはそう思うのだが。

《本機ではMQAにフル対応している》、そこで終っているだけでいい。
《大きなトピックといえよう》とある。
なのに、実際のMQAの音がどうだったかについて、三浦孝仁氏は一言も書かれていないのをみると、
もしかするとステレオサウンド編集部がMQAを封殺しようとしている──、
そんなふうに勘ぐってしまう。

三浦孝仁氏はMQAの音について書きたかったのかもしれない。
けれどステレオサウンド編集部から、触れるな、というお達しがあったのか。

Date: 4月 2nd, 2023
Cate: ディスク/ブック

THE DARK SIDE OF THE MOON(Dolby Atmos Mix・その4)

会場となったRITTOR BASEの正面はスクリーンがあり、
そこには「狂気」のジャケットが映し出されている。
地下にあるため照明が落とされると、スクリーンの光量だけで、暗い。

目を閉じて聴いていると、
「狂気」の冒頭の心臓の音、それから続くいくつかの効果音──、
不気味な映画を目を閉じて聴いている感覚でもあった。

「狂気」50周年ボックスのチラシには、
先に引用した國﨑 晋氏の文章の他に、武田昭彦氏の文章もある。
     *
 ピンク・フロイドは2003年、『狂気』の30周年記念盤となるSACD/CDハイブリッド盤で、ジェームス・ガスリーによる5.1チャンネル仕様のサラウンド音声を発表している。今回のBlu-Rayにもその5.1チャンネル・ミックスは収められているが、新たに制作された7.1.4チャンネルのドルビーアトモス・ミックスは従来のそれとは別物で音の定位や広がり、細部の音の処理などが異なっている。本作はバンド・サウンドに加え、SEが効果的に駆使されているのが大きな特徴だが、ヘリコプターや時計の音、各種アナウンスなどがサイド・スピーカー2本と頭上4本のスピーカーに振り分けられたことで、音の包囲感が高まり聞き手の想像力をいっそう刺激してくれる。
 従来の5.1チャンネル・ミックスがリスナーのリビングルームやプライヴェートな空間を想定した音作りだとすれば、今回のドルビーアトモス・ミックスは映画館ないしコンサート会場を想定したようなスケールの大きさを感じさせる。
     *
今回は5.1チャンネルの音は再生されなかったし、もちろん2チャンネルの音もなしである。
聴いたのはDolby Atmos Mixの音だけである。

すべての音を比較試聴できればさらにおもしろいのだが、
今回のイベントは、そういう試聴会ではなく、
「狂気」Dolby Atmos Mixの鑑賞会といったほうがいいのだから、それを求めてもしかたない。

目を閉じて聴いていると、上に書いたような感覚だったのだから、
武田昭彦氏の文章にあるように、5.1チャンネル仕様の音よりも、スケールアップしたものなのだろう。

けれど《聞き手の想像力をいっそう刺激してくれる》のかは、疑問でもある。
おそらくなのだが、國﨑 晋氏も武田昭彦氏も、
「狂気」をそれこそ数え切れないぐらい聴いてきているのだろう。
そして、これから先も、何度も何度も聴いていく人たちなのだろう。

そうでない聴き手も、一方にいる。
「狂気」発表の1973年、十歳だった男は、同時代に聴いているわけではない。
もちろん世の中は広いから、十歳くらいで「狂気」を聴いて、狂喜した人もいるだろう。

「狂気」の存在を知ったのは、五年後くらいだったか、
その時でも「狂気」を聴いたわけではなかった。
「狂気」を聴いたのは、東京で暮らすようになってからで、さらに五年以上経っていた。

しかも自分で購入し、自身のシステムで、というわけではなく、
知人宅で聴いたのが最初である。

そういう男と、國﨑 晋氏、武田昭彦氏とでは「狂気」への思い入れがまるで違うはず。

Date: 4月 1st, 2023
Cate: ディスク/ブック

THE DARK SIDE OF THE MOON(Dolby Atmos Mix・その3)

だからといって、2チャンネルのみに固執しているわけではない。
ステレオサウンドにいたころは、菅野先生のリスニングルームでSSS方式を何度か聴いている。

多チャンネルの再生方式に関心がまったくないわけではない。
それに2013年、船橋のTOHOシネマズが、
日本で初めてDolby Atmosを導入した時に、スタートレックを観にいっていることは、
別項に書いているとおりである。

このときの驚きは、そうとうに大きかった。
だからDolby Atmosへの期待を書いているし、
Dolby Atmosで観られる映画はできるだけ観るようにしていた。

Dolby Atmosの登場がきっかけとなって、
映画館で映画を観る回数が増えていった。

このころから映画館が輝きを取り戻したようにも感じたから、である。

そのDolby Atmosが音楽再生にも採用されるようになったのは数年前からだ。
関心はあるものの、だからといって積極的に自分で対応機器を購入してまで聴きたい──、
そこまでの積極性は持っていない。

そうであっても、よりよい条件でDolby Atmosで音楽を再生すると、
どういう感じ方になるのかは、一度体験しておきたい。
ここ一、二年はそう思うことが増えてきたからこそ、
今回の「狂気」のDolby Atmos Mixは聴き逃せなかった。

「狂気」のDolby Atmos Mixの試聴会は、さわりだけの試聴会ではない。
アルバムの最初から終りまで聴かせてくれた。

最初に簡単な挨拶があっただけで、すぐに「狂気」がDolby Atmos Mixで鳴ってきた。