Archive for category テーマ

Date: 10月 28th, 2013
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」(入力作業をやっていておもうこと・その1)

もうひとつのブログ、the Review (in the past)の入力作業をやっていると、
気がつくことがいくつかある。

入力している文章は、そのほとんどを掲載されているオーディオ雑誌が出た時に読んだものだ。
それをけっこう年月が経ってから入力していると、あれこれ気がつく。
読んでいただけでは気がつかなかったことでもあるし、
私自身が歳をとったから気づくようになったこともあるし、
the Review (in the past)という文章がメインのブログに再構成していることで気がつくこともある。

瀬川先生の製品紹介は、それが新製品であってもほとんど製品の技術的な説明は省かれることが多かった。
それとは反対に井上先生は、ことこまかに製品の技術的な説明を書かれていた。

正直読者だった10代のころは、瀬川先生の文章は楽しみにしていたし、
井上先生の文章にはそれほど関心をもてなかった。
なぜ、この人は、メーカーのカタログや広告をみればわかることを(たとえそれだけではないにしても)、
これだけ書くのだろうか……。
その意図がよくわからなかった。

けれどthe Review (in the past)の入力作業をやり始めたら、
わりと早く気づいたことがある。
こんなふうに掲載誌から、いわば抜きとって別の媒体に再掲載(公開)するときには、
しかもそれが書かれてから十分すぎる時間が経過している場合には、
井上先生の書き方もまたひじょうに大事だということに。

Date: 10月 27th, 2013
Cate: ショウ雑感

2013年ショウ雑感(インターナショナルオーディオショウ講演スケジュール・その1)

数日前に、インターナショナルオーディオショウの講演スケジュールがPDFで公開されている。

ぱっと眺めてまず感じたのは、なんだかスカスカだな、ということだった。
数年前はどのブースも講演スケジュールがけっこうあった、と記憶している。
回数が減っているだけでなく、講演を行う人も減っていることに気がつく。

去年の講演スケジュールのPDFを保存しているわけではないし、
去年は都合がつかずに行けなかったから、ひじょうに曖昧な記憶との比較だが、
去年やっていたけど今年はやらないという人が三人いるようだ。

講演を行うのは、ほとんどがオーディオ評論家と呼ばれている人たち。
この人たちの話を聞きたい、という人も多くいる一方で、
この人たちの話すことは、少し待てばオーディオ雑誌で読めるし、特に興味はない。
それよりもせっかく海外からメーカーの人たちが来てくれているのだから、
その人たちの話を聞きたい、という人も少なくない。

昔のオーディオフェアのように開催期間が一週間ほどあれば、
どちらの希望も満たせるスケジュールも可能だろうが、三日間ではそれは百合だろうし、
だからといってインターナショナルオーディオショウを一週間は無理としても五日間やるというのも、
やはり無理な話であろう。

それにオーディオ評論家と呼ばれている人たちの話もメーカーの人たちの話も、どちらもいらない。
ききたいのは音だ、という人にとっては、
講演によって音を聴く機会を奪われている、ともいえる。

とにかく音を聴くことを第一目的としている人にとっては、講演はよけいなものとなるし、
今年のように講演が少ないことは歓迎していることだろう。

どれがいいのかはなんともいえない。
でも、今年の講演スケジュールをみていると、やはり寂しい気がする。

Date: 10月 27th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その12)

比較的新しいパワーアンプを使っているかぎり、
市販されているスピーカーケーブルの多くは末端処理を特別にすることなく、
そのまま接続できる、といっていいだろう。

それでも、世の中にはわざわざ末端処理をする人もいる。
そのままスピーカーケーブルをスピーカー端子に挿し込んでぎゅっと締めればいいのに、ラグを使っている。

どんなラグであれ、ラグを使えれば、そのキャラクターが必ず音としてあらわれる。
見た目がごついラグであればあるほど、キャラクターは強く出る傾向にあるともいえる。

時には、そういうキャラクターを必要とする場合もある。
とはいえ、この手のキャラクターは、どんな音にものってくる。
うまく効果的に作用してくれるのであればいいけれど、
邪魔になる、耳につくことも多い。
キャラクターは、のる音を選ばない。

個人のシステムであれば、そのシステムの所有者がそれで満足していれば、とやかくいうことではない。
けれどステレオサウンドの試聴室は、そういうところではない。
オーディオ機器をテストする場であるから、この手のキャラクターはときにテストの邪魔になる。

もちろんどんなものにもキャラクター(固有音)はあるから、ゼロにはできないのはわかっている。
わかっているからこそ、できるだけ特徴的なキャラクターは避けるように配慮していた。

その点、いまは楽であろう、と思ってしまう。
末端処理に特に気を使う必要はないはずだから。

とにかく、スピーカーケーブルはある時期から太くなっていった。
スピーカー端子もそれに対応していった。
もっともパイオニアのExclusive M5、スタックスが探梅していたスピーカー端子は、
かなり早い時期から太いケーブルへ対応していた。

スピーカーケーブルが太くなった。
太くなったということは、スピーカーケーブルが重くなった、ということでもある。

Date: 10月 26th, 2013
Cate: ワーグナー, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その5)

音楽性、精神性といったことばは、使う時に注意が必要にも関わらず、
そんなことおかまいなしに安易に使われることの多さが、気になってきている。

どちらも便利なことばである。
「この演奏には精神性がない」とか「この音には音楽性が感じられない」とか、
とにかく対象となるものを一刀両断にできる。

しかも、これらのことばを、こんなふうに使う人に限って、
精神性とはいったいどういうことをいうのか、どう考えているのか、
音楽性とはいったいどうことなのか、どう捉えているのかについての説明がないままに、
精神性(音楽性)がない、という。

その反対に、音楽性がある、精神性がある、という使い方も安易すぎるとも感じているが、
少なくともこちらは一刀両断しようとしているわけではない。

とにかく一刀両断的な「音楽性(精神性)がない」の使われ方をする人は、
時間をかけて話していこうとは思わない。

なにも「音楽性(精神性)がない」という使い方が悪い、という単純なことではない。
少なくとも、そこでその人が感じている精神性、音楽性について、
とにかくなんらかの説明があったうえで、こういう理由で「音楽性(精神性)を感じない」といわれれば、
その意見に同意するかどうかは措くとしても、話を続けていける。

ながいつきあいで、音楽の好み、音の好み、どんなふうに音楽を聴いてきたのかを熟知している相手とならば、
一刀両断的な言い方でも、まだわかる。
けれどそうでない人と話す時にこんな言い方をしてしまったら、
そうだそうだ、と同意してくれる人とならばいいけれど、世の中はそうでないことのほうが多い。

こういうことを書いている私も、20代のころは、こんな言い方をしていたのだ。
そして、そんな言い方をしていた20代のころ、私はカラヤンの「パルジファル」を聴くことはなかった。

Date: 10月 26th, 2013
Cate: ショウ雑感

2013年ショウ雑感(1980年当時のショウルームと広報誌)

1980年は、まだオーディオフェアの時代だった。
メーカーのショウルームも、東京にはいくつもあった。

サンスイのオーディオセンターは、西新宿にあった。
テクニクス、オーレックス、ダイヤトーン、ソニー、Lo-Dは銀座に、
トリオは丸の内、フォステクスは水道橋、オンキョーは秋葉原、ラックスは湯島、ビクターは高田馬場、
ヤマハはお茶の水、パイオニアは目黒、アカイは東糀谷、シャープは市ケ谷、オットー、コーラルは末広町に、
オーディオテクニカはショウルームではないものの、
創業者・松下秀雄氏のコレクションの蓄音器のギャラリーが町田(現在もあるはず)だった。

それだけでなくそれぞれのメーカーは広報誌も出していた。
ソニーはES REVIEW、ヤマハはapex、フォステクスはエコーズ、トリオはSUPREME、
サンスイはAudio journal、パイオニアがHIFiWay、オーレックスがAurex Joy。

すべての広報誌を読んだわけではないが、
これらは単なる自社製品の広報だけの本ではなかった。
すべてが無料だったわけではないが、それだけに読める広報誌だった。
おもしろい記事もあった。

Date: 10月 26th, 2013
Cate: ショウ雑感

2013年ショウ雑感(余談)

今日明日とヘッドフォン祭りが開催されている。
かなり賑わっているようだ。

ヘッドフォン、イヤフォンでのみ音楽を聴く人たちが増えている、とはきいている。
実際にどのくらいの人がいるのかはわからないものの、
ヘッドフォン祭りが春と秋、二回開催されていてひじょうに賑わっているということ、
量販店のヘッドフォン・イヤフォンコーナーの充実ぶりを見ていると、
スピーカーで音楽を聴く人が少なくなっていることは、どうも事実のように思えてくる。

そしてヘッドフォン祭りに行った人たちの感想、
それもオーディオマニアで普段はスピーカーで音楽を聴いている人たちの感想を、
twitterや掲示板などでみかけると、
この中の人たちの何割かでもいいから、スピーカーで聴くことに目覚めてほしい、というのがある。

この感想は、毎回、よくみかける。
私もそう思わないわけではないが、そういえば、と思い出すことがある。
ステレオサウンドにはいったばかりのころ、聞いたことだ。

ほとんどの人が最初はプリメインアンプでスタートするわけだが、
セパレートアンプへ移行する人は早い時期にそうしている。
そうでない人は、プリメインアンプをグレードアップはするものの、セパレートアンプへは移行しない、と。

セパレートアンプへ移行しない人が音に関心がないわけではなく、
セパレートアンプへ移るのか、それともプリメインアンプのままいくのかは、
スタイルの違いなのだと思う。

アンプにおけるプリメインとセパレートという形態の違いと、
スピーカーとヘッドフォン(イヤフォン)の違いは同一には考えられないところもあるけれど、
これまでずっとヘッドフォンだけで聴いてきた人の多くは、これからもそうなのかもしれない。

スピーカーで音楽を聴くようになる人は、うながされることなく、
早い時期にスピーカーを導入しているのではないだろうか。

Date: 10月 26th, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ヒンジパネルのこと・その5)

JBLのコントロールアンプ、SG520のヒンジパネルのサブパネルは黒色であり、
フロントパネルとツートーンを形成している。

ツートーンといえば、デンオンのコントロールアンプ、PRA2000は、
サブパネルはフロントパネルと同じ仕上げで、
境目のところ、フロントパネルの中央を横切るようにラインが設けられているし、
ヒンジパネルを開けると、引っ込んだところはフロントパネル、サブパネルとは違った仕上げになっている。

たいていがサブパネルはフロントパネルと同じ仕上げで、
ヒンジパネル内もフロントパネルと同じ仕上げのものが多いこと。
だからこそSG520、PRA2000のように、ちょっとした何かがあると、
アンプの表情の変化が、同じ仕上げのアンプよりもなんとなく好印象となる。

ヒンジパネル内には使用頻度の低い機能に関するスイッチや端子がおさめられている。
SG520の場合は、左からフューズホルダー、マイクロフォン用ピンジャック、ランブルフィルタースイッチ、
AUXジャック、スクラッチフィルタースイッチ、テストトーンスイッチ、テープモニタースイッチ、
RECアウトピンジャック、PHONO1のレベルバランス調整、アウトプットレベル調整、ヘッドフォンジャックで、
サブパネルを閉じると、テープモニタースイッチは自動的にOFFになる。

日本のコントロールアンプの場合、トーンコントロールやフィルターを含めて、
ヒンジパネル内におさめてサブパネルを閉じた状態で、
シンプルなフロントパネルにしているが、
SG520はトーンコントロール、ラウドネススイッチ、モードセレクターはフロントパネルにある。

そしてSG520はサブパネルの裏側に、それぞれの端子、スイッチの配置のイラストと文字表示がある。
ヒンジパネル内にツマミや端子を収納するのはいいけれど、
使用頻度の低いものだけに、たまに使おうとすると、
どれがどのツマミなのかを、ヒンジパネルをのぞきこむようにして確認しなければならない。

SG520では、そういうことへの配慮がなされていた。

Date: 10月 25th, 2013
Cate: ワーグナー, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その4)

「パルジファル」はいうまでもなくワーグナーによるオペラだが、
ワーグナーによる他のオペラ、たとえば「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」には、
歌劇ということばが頭につく。
つまり歌劇「さまよえるオランダ人」であり歌劇「タンホイザー」である。

「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルグのマイスタージンガー」「ニーベルングの指環」は、
歌劇ではなく楽劇「トリスタンとイゾルデ」、楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」、
楽劇「ニーベルングの指環」となる。

「パルジファル」には、歌劇でも楽劇でもなく舞台神聖祝典劇がつく。

この、舞台神聖祝典劇「パルジファル」だけに、精神性を、ほかの作品に求める以上に求めてしまい、
カラヤンの「パルジファル」は精神性が、クナッパーツブッシュの「パルジファル」よりも稀薄だ、
というようなことはいおうと思えばいえなくもない。

だが、ここでいう精神性とはいったいどういうことなのかをあきらかにせずに、
ただ精神性が……、と大きな声でいっても、
それに納得してしまう人もいるだろうが、すべての人がそれに納得するわけではない。

精神性がない、とか、精神性が薄い、といったことを、クラシックの演奏に関していう人がいる。
オーディオに関しては、音楽性がない、とか、音楽性が薄い、というように、
スピーカーから出てくる音に対して、そう評価する人が少なくない。

ここでの精神性と音楽性は、ある意味よく似ている。
使われ方もよく似ている。

Date: 10月 24th, 2013
Cate: アナログディスク再生

「言葉」にとらわれて(トーンアームのこと・その3)

ワンポイントサポートというから、
頭の中だけで考えていると、一点支持ということに気を取られてしまいがちなる。

たしかにレコードの盤面にカートリッジを降ろしていなければワンポイント(一点支持)である。
だが実際に動作は、レコードの音溝にカートリッジの針先を落す。

この状態では、つまりは一点支持ではなく二点支持になっている。
一点はトーンアームの回転支軸の先端が鋭いピボット、
もう一点はカンチレバーの先端についているダイアモンドの針先である。

どちらも先端が尖っている形状をしている。
カートリッジの針先は音溝をトレースするわけだから、先端が下を向き、
トーンアーム回転支軸のピボットは上を向いている。

つまりは、カートリッジを含むトーンアームパイプは、
この二点によって支持されている、と見るべきだし、考えるべきものである。

Date: 10月 23rd, 2013
Cate: ワーグナー, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その3)

クナッパーツブッシュのバイロイトでの「パルジファル」は1962年、
カラヤンのベルリンフィルハーモニーとの「パルジファル」は1979〜1980年にかけての録音。
つまり約20年の隔たりがある。

この20年の隔たりだけが理由とはいえないほど、カラヤン盤はスマートである。
これはカラヤンという指揮者とクナッパーツブッシュという指揮者の風貌もそうであるし、
オーケストラに関してもそういえるところがある。
さらに歌手にもいえる。

クナッパーツブッシュ盤でのグルネマンツはハンス・ホッター、カラヤン盤ではクルト・モル、
クナッパーツブッシュ盤でのアンフォルタスはジョージ・ロンドン、カラヤン盤ではジョゼ・ヴァン・ダム、
クナッパーツブッシュ盤でのクリングゾールはグスタフ・ナイトリンガー、
カラヤン盤ではジークムント・ニムスゲルン、
いずれもカラヤン盤の方がその歌唱もスマートである。

録音に関しても同じことがいえる。
1962年のライヴ録音、しかもバイロイト祝祭劇場でのクナッパーツブッシュ盤よりも、
デジタルによって録音されたカラヤン盤の方が、精妙でスマートである。

そして、この精妙さ、スマートさが、カラヤン盤においては、
往々にして精神性が稀薄という評価につながっていくようでもある。

Date: 10月 23rd, 2013
Cate: 数字

100という数字(その5)

いまスピーカーシステムは、高性能化している、といわれる。
たしかに周波素特性は低域、高域の両端に伸びているし、
しかもただ伸びているだけでなく、一部のスピーカーシステムでは、
以前では考えられなかったほど平坦な周波数特性も実現している。

なにも周波数特性だけではない。
パルスを使った測定で明らかになる累積スペクトラムでも、
見事としか、他にいいようのないくらいに高性能化しているモノもある。

その意味では、はっきりとスピーカーシステムは、高性能化している──、
私もそう思っているし、そういうことがある。

けれどスピーカーはカートリッジと同様、変換器である。
変換器の性能として語られるのは、周波数特性、歪率……といった項目だけでいいのだろうか。

変換器としての重要な項目は、変換効率なのではないだろうか。

真空管からトランジスターへと移行して、大出力が実現し得やすくなっている。
そのこともあって、スピーカーの変換効率は、他の項目を優先するために犠牲になってきている。

周波数特性と変換効率は、今のところ両立し難い。
変換効率を高くしていけば、周波数特性は狭くなる傾向にある。
周波数特性をワイドレンジにしようとすれば、変換効率を犠牲にすることにつながっていく。

アンプのパワーが、実質的には制限なしに得られる状況では、
スピーカーの変換効率は優先順位として下にきてしまうのは、仕方ないことになってしまう。

だが、スピーカーは、あくまでも変換器であり、
変換器にとって、変換効率の高さはどういうことを指すのだろうか。

Date: 10月 22nd, 2013
Cate: ワーグナー, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その2)

赤と青、と対照的なジャケットなのが、
クナッパーツブッシュの「パルジファル」とカラヤンの「パルジファル」である。

「パルジファル」の名盤といえば、このころまではずっとクナッパーツブッシュ盤だった。
他にもいくつかの「パルジファル」のレコードはあっても、
とにかく日本では「パルジファル」といえば、
バイロイトでのクナッパーツブッシュが唯一無二的存在として扱われてきた。

五味先生も、
《クナッパーツブッシュのワグナーは、フルトヴェングラーとともにワグネリアンには最高のものというのが定説だが、
クナッパーツブッシュ最晩年の録音によるこのフィリップス盤はまことに厄介なレコードで、じつのところ拙宅でもうまく鳴ってくれない。空前絶後の演奏なのはわかるが、時々、マイクセッティングがわるいとしか想えぬ鳴り方をする箇所がある。》
と書かれている。

やっぱり「パルジファル」は、とにかくクナッパーツブッシュ盤を最初に聴こう、と思っていた。

そういうクナッパーツブッシュ盤の輝きは、カラヤン盤が登場した時でも、いささかも衰えてはいなかった。
ワグネリアンと自称する人、そう呼ばれる人にとって、カラヤンの「パルジファル」はどう映ったのだろうか。

クナッパーツブッシュとカラヤンは、どちらが優れた指揮者であるとか、
どちらが優れたワーグナー指揮者であるとか、そういったことを抜きにして語れば、
カラヤンはスマートであり、クナッパーツブッシュはそうではない、といえる。

カラヤンの「パルジファル」とクナッパーツブッシュの「パルジファル」もまた、そういえる。

Date: 10月 22nd, 2013
Cate: ワーグナー, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その1)

カラヤンが亡くなって、約四半世紀が経つ。
カラヤンが残した録音の正確な数は、決してカラヤンの熱心な聴き手ではなかった私には、
おおよその数すら知らない。

それにそう多くのカラヤンのレコードを聴いていたわけでもない。
カラヤンのベートーヴェン全集にしても、すべてを聴いているわけではない。

このことには、やはり五味先生の影響が関係している。
五味先生がカラヤンをどう評価されていたのかについては、いまここではあえて書かない。

五味先生の影響をまったく無しで、カラヤンの演奏を聴けているかについては、
いまでも正直自信が、いささかなかったりする。

そんなカラヤンの、偏った聴き手である私でも、いくつかのディスクに関しては、
カラヤンの素晴らしさを素直に認めている。

私が聴いてきたカラヤンのレコードの数はたかが知れている。
そのたかが知れている数の中から、カラヤンのベストレコードとして私が挙げたいのは、
ワーグナーの「パルジファル」である。

日本にはアンチ・カラヤンの人がいる。
そういう人たちからすればカラヤンのベートーヴェンは……、ということになるし、
おそらくカラヤンのワーグナーに関しても、カラヤンのベートーヴェンと同じ扱いになっていることだろう。

カラヤンの「パルジファル」のレコードが出た時、私は18だった。
若造だった。
「パルジファル」の全曲盤をたやすく買えるわけでもなかった。
五味先生の影響も受けていた私にとって、
カラヤンの「パルジファル」は、狐にとって手の届かない葡萄と同じだったのかもしれない。

カラヤンの「パルジファル」なんて……、と思い込もうとしていた時期が、私にはあった。

Date: 10月 21st, 2013
Cate: アナログディスク再生

「言葉」にとらわれて(トーンアームのこと・その2)

古くからあるワンポイントサポートのトーンアームは、
いまも現役のトーンアームに採用されることが多い。

それたけこの方式のメリットが多いということでもあるわけだが、
ワンポイントサポートの良さを活かすには、
トーンアームのバランスは、いわゆる前後方向はもちろん、左右方向(ラテラルバランス)もきちんととらなければ、
ワンポイントサポートは構造上、カートリッジに左右の傾きが生じてしまい、
左右チャンネルのアンバランスが起るだけでなく、クロストークが増えてしまう。

簡単な構造だからといって、使い方までもが簡単なわけではない。
だからといって、特に調整が困難なわけでもない。
どういう構造になっていて、その構造ゆえのメリット、デメリットを把握していれば、
どの点に注意して調整しなければならないか、はすぐに理解できるだろうし、
これが理解できなければ、ワンポイントサポートのトーンアームに手を出すのは、少し待った方がいい。

もちろん先に手を出して、実際に使いながら理解していく、という手もある。

オーディオクラフトのトーンアームは、
瀬川先生が高い評価をされていたこと、ステレオサウンドの“State of the Art”賞にも選ばれていること、
アームパイプをいくつも用意して、カートリッジへの適合性に十分配慮されているところ、
さらにはオーディオクラフトから出ていたOF1というアダプターを介さずに、
ダイレクトにオルトフォンのSPUを取り付けられるようにシェルの部分が加工されたストレートパイプまで出すなど、
マニア心がわかっているラインナップなど、
一度は使ってみたいトーンアームの代表格になっていた。

だがラテラルバランスの調整でつまずくのか、
うまく調整できずにいた人も少なくなかった、ともきいている。

Date: 10月 20th, 2013
Cate: アナログディスク再生

「言葉」にとらわれて(トーンアームのこと・その1)

トーンアームの回転支軸にはいくつかの方式があり、その中にワンポイントサポートがある。
日本語にすれば一点支持型ということになる。

構造としてはもっとも単純にできるのが、このワンポイントサポートであり、
構成部品が少ないということは、それだけ精度も出しやすく、共振する箇所もそれだけ少なくなる。

ワンポイントサポートは昔からある。
有名なところではグレイ(のちのマイクロトラック)の206という、
ごついつくりのトーンアームがある。
重針圧カートリッジ専用(オルトフォンSPU専用といってもいいだろう)のトーンアームで、
カートリッジを頻繁に交換する設計にはなっていない。

私も短いあいだだったが所有していたことがある。
SMEのトーンアームのスマートさとは正反対の、この武骨なトーンアームはまず重い。
この重さが、きちんと調整をしたのちに聴くと、
この音にはこれだけの重量が必要なのか、とそんなことを思いたくなるほど、
見た目通りの、腰の坐りのよい音を鳴らしてくれる。

日本製でよく知られるのはオーディオクラフトの製品である。
瀬川先生が自家用としても使われていた、このトーンアームは、
最初の垢抜けない外観から、少しずつ世代(改良)を重ねるごとに、よくなっていった。
SMEと比較してしまうと、まだまだ、といいたいところは残っていたけれど、
最初のAC300からすれば、ずいぶん洗練されたといっていい。

それだけでなくユニバーサルトーンアームとしての改良も加えられていった。
オーディオクラフトでは、AC3000MCのころから、システムトーンアームと呼ぶようになっていた。