Archive for category テーマ

Date: 3月 5th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第二夜(いよいよ明日)

明日(3月6日)は、audio wednesdayである。

今回鳴らすのは、すでに書いているように先月のシステムとほぼ同じ。
D/Aコンバーター兼コントロールアンプが、
アキュフェーズのDC330からメリディアンのULTRA DACにかわるだけなのだが、
そこで鳴ってくるであろう音には、四週間がとても長く感じられたほど、
期待はひじょうに大きい。

開始時間は19時。終了時間は22時。
開場は18時から。

18時から音は鳴らしている。
選曲についてのところで書いているアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの“Moanin’”。
これを一曲目として鳴らすのは19時だが、
それ以前の一時間もあれこれ鳴らしている。

野口晴哉記念音楽室の住所は、
東京都狛江市元和泉2-14-3。
最寄り駅は小田急線の狛江駅。

参加費として2500円いただく(ワンドリンク付き)。

Date: 3月 5th, 2024
Cate: 電源

モバイルバッテリーという電源(その15)

アンカーのモバイルバッテリーのPowerHouse 90を購入された方からの報告があった。
フォノイコライザーに使用したところ、十五分ほどで電源が落ちてしまう、とのこと。

アンカーに問い合せたところ、20W以下の消費電力の機器への供給の場合、
自動的に落ちてしまう設計になっている、とのこと。

先月、サウンドラボのスピーカーを鳴らしたとき、ずっと使用できていた。
どういうことなのだろうか。

私が購入したPowerHouse 90に、その機能が搭載されていないのか、
それともサウンドラボのスピーカーの消費電力が一台あたり10Wを超えていて、
二台で20Wを超える消費電力になっていたのか。

いまのところ、どちらなのかははっきりしない。
明日、そのPowerHouse 90を持ち込まれるので、実際どうなのかを検証できる。

ブラインドフォールドテストとオーディオ評論(その2)

明日(3月5日)発売のステレオサウンド 230号の特集は、
小型スピーカーシステムのブラインドフォールドテストである。

オーディオマニアのなかには、ブラインドフォールドテストこそが絶対で、
それ以外の試聴結果を絶対に認めない人がいる。
そういう人は、ブラインドフォールドテストをやらないオーディオ評論家も信用しない、らしい。

それはそれでかまわないけど、
ブラインドフォールドテストは、決して絶対的なものではない。

その1)ですでに書いているように、
ブラインドフォールドテストで試されているのは、鳴らし手の技倆である。

ブラインドフォールドテストは試聴を行う側のオーディオの力量・技倆が、徹底して問われる。
つまりステレオサウンドにおいては、ステレオサウンド編集部の力量が問われるわけで、
試聴者の力量と同等か、それ以上でなければ、厳密な意味でのブラインドフォールドテストは成立しない。

そのことを理解せずに、ブラインドフォールドテストを絶対視している人は、
それこそ強烈なバイアスを自分にかけていることにもなる。

ブラインドフォールドテストで聴いているのは、何か。
ここのところをはっきりと読み手に伝えなければ、
ブラインドフォールドテストは、あるところ編集部、評論家の自己満足なところがあるし、
一部の読者に媚びているともいえよう。

だからといってブランドフォールドテストを全面的に否定はしない。
正しく、厳密にやれればであるが、これが非常に難しく、
その難しさを理解していない人のほうが、ブランドフォールドテストこそが……、といっている。

そして別項「オーディオ評論家の才能と資質(その6)」で、
助手席に座っているだけで車の評論ができるわけがない、と書いた。

ブラインドフォールドテストは、それに近い性質も持っている。

Date: 3月 3rd, 2024
Cate: 「オーディオ」考

オーディオの罠(その9)

好きという感情は、オーディオという趣味において最も尊いものなのか。

そのとおりだ、と答える人がどのくらいいるのか。
ソーシャルメディアを眺めていると、こちらのほうが多数派のように感じることもある。

そんなことを以前、別項で書いている。

オーディオの罠について考えていると、このこともそうだと思うだけだ。
その結果、耳に近い音だけを求めてしまうようになるだけなのかも。

Date: 3月 2nd, 2024
Cate: 「オーディオ」考

オーディオの罠(その8)

別項で、
覚悟なしな人は、自分のヘソだけを見つめていればいい、と書いた。

心を塞いで、キズつくことを極度に怖れて、自分のヘソだけを見つめている。

これはオーディオの罠なのだろうか。
私は違うと考えている。

他の人はどうおもっているのかは知らないけれども。

Date: 3月 1st, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第二夜・マーラーかワーグナーか

「audio wednesday (next decade)のこれから(その3)」で、
2016年8月3日にやった「新月に聴くマーラー」をもう一度やってみたい、と書いている。

やるつもりなのだが、その時に、どのようなシステムが揃うのかは私にもわからない。
それに「新月に聴くマーラー」までに、一度もマーラーをかけないと決めているわけでもない。

先月の第一夜、今月の第二夜のスピーカーシステムはサウンドラボのコンデンサー型だし、
パワーアンプはクレルのKMA200である。

実を言うと、ワーグナーをサウンドラボのスピーカーで聴いてみたかったから、
クレルで鳴らしてみたくなったともいえる。

なので、このシステムで鳴らせると決った時点で、ワーグナーかマーラーを鳴らそうと決めていた。
第一夜にはワーグナーのディスクも持っていっていた。
けれど器材の不具合が生じて、ワーグナーをかける時間はなくなったし、
ワーグナーを鳴らそうという気もなくなっていっていた。

第二夜も基本的には同じシステムで、D/AコンバーターがメディアンのULTRA DACである。
そうなるとワーグナーかマーラー、どちらかをかけるしかない。
私自身、とても聴いてみたい。

八年前の「新月に聴くマーラー」では照明をつけずに聴いてもらった。
今回も同じように、マーラーかワーグナーの時は照明を消してもらうつもりでいる。

Date: 2月 29th, 2024
Cate: 「オーディオ」考, モーツァルト

artificial mozart

2006年、金沢に向う電車の車内広告に、目的地であった21世紀美術館の広告があった。
そこには、artificial heartの文字があった。
artificialのart、heartのartのところにはアンダーラインがあった。

artificial heartは、artで始まりartで終ることを、この時の広告は提示していた。
この時の目的地であった21世紀美術館では川崎先生の個展が開かれようとしていた。

2015年12月に「eとhのあいだにあるもの(その5)」の冒頭に、そう書いている。

artificial heartを見て以来、artで始まりartで終るものには、
他に何があるのかを、あれこれ考えていた。

あるとき、これもartで始まりartで終ると気づいた。

artificial mozart。
アーティフィシャル・モーツァルト。

そのころはただ思いついただけだったけれど、
ここ数年、artificial mozartは私にとって、別の意味ももつようになってきている。

Date: 2月 28th, 2024
Cate: ちいさな結論

ちいさな結論(問いつづけなくてはならないこと・その6)

美しく聴く、ということ。
このことを、audio wednesdayに来られた人たちに伝えられているだろうか。

Date: 2月 28th, 2024
Cate: 電源

ACアダプターという電源(その5)

スイッチング電源で試してみたいことの一つが、CR方法である。
CR方法については別項で書いているので省略するが、
リニア電源の電源トランスでは、すでにその効果を確認している。

スイッチング電源にもトランスはある。
リニア電源の周波数、50Hz、60Hzよりもずっと高いためかなり小型のトランスなのだが。
巻線の直流抵抗は、リニア電源の大型のトランスよりもずっと低い。

だからどの程度の効果が得られるのか、なんともいえないが、
音がまったく変化しないということはないはずだ。

Date: 2月 27th, 2024
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(その2から十五年)

2009年1月の(その2)で、羽織ゴロという表現を使った。
それから十五年。

もうそろそろ新しいステレオサウンドが書店に並ぶが、
ひとつ前の229号、その73ページに掲載されている写真を見ていて、
羽織ゴロだな、と思っていた。

誰のことなのか名指しはしない。
私と同じように感じた人もいる。
それはごく少数なのかもしれないが、
昨春、225号をめくっていた一人の女性が、指さしして、
奇妙なものを見つけたみたいな笑いをしていた。

ステレオサウンド・グランプリの選考委員の集合写真である。
笑っていたのは、ポーランドの女性だった。
ほんとうに奇妙な写真に見えたようだった。

そうだろう、と感じるのが、当り前ではないのか。
あえてそう言おう。

なぜ、あのような写真を掲載するのか。
正直、理解できない。

オーディオ業界という狭い社会に向けてのものなのだろうが、
オーディオに関心がない人からすれば……。

そこに気づかないだけならばまだよい。
けれど羽織ゴロっぷりに磨きがかかってきたな、と思わせる写真を、
どうして載せるのだろうか。

あの写真一枚しか撮らなかったわけでもないだろう。
数カット、もっと撮っているのかもしれない。

昔と違い、いまはデジタルカメラなのだから、
フィルム代(枚数)を気にすることなく撮れる。

それで、あの一枚を選ぶのか。

Date: 2月 26th, 2024
Cate: きく

音を聴くということ(グルジェフの言葉・その9)

(その1)で書いていることを、もう一度。

ゲオルギー・グルジェフがいっていた。

人間は眠っている人形のようなものだ、と。
正確な引用ではないが、意味としてはこういうことだ。

人間の通常の意識の状態は睡眠のようなもので、
人間としてのほとんどの活動はすべて機械的なものである、と。

眠っている人形から、目覚めている人間になるには、
それこそ山のような意志力が必要になり用いなければならない、と。

ずいぶん昔に、グルジェフがそういった意味あいのことをいっていると知った。
どうすればグルジェフがいっている意味での目覚めることができるのか。

オーディオにかぎっていえば、心に近い音を──、ということのはずだ。
耳に近い音をどれだけ懸命に追求しても、
実のところ、それは機械的な活動にすぎない。

Date: 2月 25th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第二夜・選曲について

3月6日の第二夜で最初にかけるのは、
第一夜の最後にかけた曲、
アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの“Moanin’”だ。

第一夜では、後半で器材の不具合が生じて、
アキュフェーズのDC330をメリディアンの818に替えることになってしまった。

当日、鳴らす予定はなかった818は、別室で冷えきっていた。
夕方から鳴らしてきて十分にあたたまっていたDC330から、
冷えきった818への交換。

いうまでも人の身体と同じく、オーディオ機器にもウォーミングアップが必要となる。
冷えきった状態では実力の何割か、半分も出せなかったりする。

案の定、交換直後の音は冴えない。こればかりは何をやっても補えない。
鳴らしていく、つまり時間が経つのを待つしかない。できれば二時間から三時間。
けれど終了時間は22時だから、そんな時間の余裕はない。

冷えきって実力を出し切らない音を聴いて、今日は終りになるのか……、
不完全燃焼での終りか──、そう思っていたほどに、
カザルスの無伴奏チェロ組曲は、このチェロはナイロン弦なのか、そう嘆きたくなる鳴り方だった。
けれど最後のほうのメヌエット、ジーグで、カザルスらしい片鱗が聴こえてきた。

22時までにはあと十分以上あった。あと一曲鳴らせる。
アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの“Moanin’”。
818だから、ここはSACDではなくMQA-CDの再生だ。

当日来られていた方たちの耳にはどう響いたのかは私にはわからないが、
私の耳には、この音をもっと聴きたい、さらにいい音で聴きたい、と思っていた。

万全とはいえないまでも、MQAのよさはよく出ていた。
まだまだの音ではあったけれど、あと一時間あれば──、そう思ってもいた。

MQAの音、特にメリディアンで聴くMQAの音の特長のひとつに、
演奏家がふっと力をぬいた瞬間の表現が実に見事なことが挙げられる。

“Moanin’”がそうだった。
だから、次はULTRA DACでぜひとも聴きたい、そう思った。

第二夜では、DC330がULTRA DACにかわるだけである。
だからこそ一曲目は“Moanin’”をかける。

Date: 2月 24th, 2024
Cate: 電源

ACアダプターという電源(その4)

NUC用のDC19Vの電源を自作してみるのはおもしろいと思いながら、
どんな回路構成にするのか、あれこれ考えているところなのだが、
いまのこの時が、実はいちばん楽しかったりする。

リニア電源といっても、シリーズ型にするのかシャント型するのか。

NUC付属のACアダプターは、19V/4.74A仕様。
同容量の電源をシャント型で作るとなると、発熱量がけっこう大きくなる。
となるとシリーズ型なのか。
でも心情的にはシャント型でやってみたい──、
そんなことを考えているところだ。

実際に作るのかどうか、本人も疑っている。
それでも自作する場合に備えて、一つの基準となる電源が欲しい。

付属のACアダプターを基準(リファレンス)としてもいいのだけれど、
なんとなくスイッチング電源であっても、GaN採用のモノにしたい。

19V/5A以上で、GaN採用のACアダプターは、それほど多くない。
それでも選択肢はいくつかある。
どれにするか。

容量的にも一つの基準として捉えたいので、
付属のアダプターよりも大きいモノにしたい。

さきほど注文したところ。
19V/6.3A仕様である。

付属のアダプターとどれぐらい音が違ってくるのか。
可能性の大きさを感じられれば、積極的に手を加えてみたい。

Date: 2月 23rd, 2024
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(その18)

これこそが自分にとっての終のスピーカーだ、といったところで、
そうやって思い込もうとしたところで、
心に近い音を求めない人には、永遠に終のスピーカーは存在しない。

終のスピーカーとは、そういう存在のはずだ。

Date: 2月 22nd, 2024
Cate: 音楽性

「音楽性」とは(オーディオショウにて・その5)

ナチュラルな音、自然な音といった表現を使う人がいる。
言っている本人は、客観的な意味でのナチュラルな音なのだろうが、
それが多くの人にとって、ほんとうの意味でナチュラルな音であるのは、
どのくらいの割合なのだろうか。

低いのか高いのか。
よくわからない、というのが、私の実感だ。

誰かが、ナチュラルな音ですね、と言う。
その誰かが、たとえばオーディオ業界の名の知れた人だったりすると、
それを受けとめた人の多くは、
なるほど、こういう音がナチュラルな音なのか、と思うようになってしまうかもしれない。

まったく名の知れていない人が、ソーシャルメディアで、
この音こそナチュラルな音と力説したとしても、
君はそういう音をナチュラルと思うのか──、
そんな受けとめ方をされるほうが多いのかもしれない。

オーディオ評論家が、オーディオ雑誌で、スピーカーの存在が消える、と書いたとする。
これをどう受けとめるか。
スピーカーの存在が消えるわけだから、
そのスピーカーから鳴ってくる音こそ、ナチュラルな音というふうに受けとめるのか。