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Date: 11月 8th, 2024
Cate: 4343, audio wednesday, JBL

audio wednesday (next decade) –第十夜(43年目の4343・その5)

2012年12月に、別項にこう書いた。

ステレオサウンド 61号の編集後記に、こうある。
     *
今にして想えば、逝去された日の明け方近く、ちょうど取材中だったJBL4345の組合せからえもいわれぬ音が流れ出した。この音が先生を彷彿とさせ、話題の中心となったのは自然な成り行きだろう。この取材が図らずもレクイエムになってしまったことは、偶然とはいえあまりにも不思議な符号であった。
     *
この取材とは、ステレオサウンド 61号とほぼ同時期に発刊された「コンポーネントステレオの世界 ’82」で、
井上先生による4345の組合せのことである。
この組合せが、この本の最初に出てくる記事にもなっている。

ここで井上先生は、アンプを2組選ばれている。
ひとつはマランツのSc1000とSm700のペア、もうひとつはクレルのPAM2とKSA100のペアである。

えもいわれぬ音が流れ出したのは、クレルのペアが4345に接がれたときだった、ときいている。

このときの音については、編集後記を書かれたSさんにも話をきいた。
そして井上先生にも直接きいている。
「ほんとうにいい音だったよ。」とどこかうれしそうな表情で語ってくれた。

もしかすると私の記憶違いの可能性もなきにしもあらずだが、
井上先生は、こうつけ加えられた。
「瀬川さんがいたのかもな」とも。

このことがあったから、今回、パワーアンプはクレルのKSA100にした。

Hさんは、クレルのパワーアンプを他にも持っている。
KMA200とKMA100である。
その中でKSA100を持ってきてもらったのは、上記の引用が理由だ。

しかも井上先生の4345の組合せの試聴は1981年の11月6日。
このころの井上先生のことだから、試聴がはじまったのは、
早くても夕方から、大抵は夜になってからで、
4345からえも《いわれぬ音》が鳴ってきたのは、
翌7日の朝早い時間のはず。

今回のaudio wednesdayも11月6日。
無理なこととはわかっていても、できれば朝方まで鳴らしたかった。

Date: 11月 8th, 2024
Cate: 4343, audio wednesday, JBL

audio wednesday (next decade) –第十夜(43年目の4343・その4)

11月6日のaudio wednesdayで鳴らしたJBLの4343は、
宇都宮に住むHさんのモノである。

彼は四谷三丁目の喫茶茶会期からの常連で、当時は名古屋、兵庫から来てくれていた。
audio wednesdayが終ったあと、新宿から深夜バスで帰り、
翌日は、もちろん朝から仕事。若いなぁ──、と思っていた。
彼はまだ30代。今は宇都宮なので、アンプやスピーカーを、
audio wednesdayに持ってきてくれる。

クレルのKMA200、アポジーのDuetta Signatureも、
彼の私物である。

彼が4343を一人でクルマに積み、運んできてくれた。
クルマの後ろの扉を開ける。

横置きで積まれた4343の底板が見える。
4343は1976年登場で、1981年くらいまで製造されていた。
四十年から五十年近く経っているわけだから、
新品同様ということはまずない。
底板は、調整の際、動かすわけだから、多少なりとも傷が残る。

そんな底板を見た時は、それだけの年月が経っていることを感じていた。

それでも運び込み設置。
アンプやその他の器材もセットして結線して──、
けれどすでに書いたように予想外の不具合が発生して、
4343からやっと音が鳴ってきたのは、けっこう時間が経っていた。

やっと落ち着いてソファーに座り、音をきちんと聴く。
その時改めて、4343はスーパースターだ、と、感じていた。

佇まいが、そうだった。
お互い歳をとったけれど、4343はやはりスーパースターのままだった。
様になるスピーカーのままだった。

Date: 11月 7th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) –第十夜(43年目の4343を終えて)

昨晩のaudio wednesdayは、JBLの4343を鳴らした。
予想できなかった、しかも初めての不具合の解消にかなり時間をとられて、
十全な調整が行えたわけではなかったが、
自己採点ではあるが、まあうまくいったと思っている。

それにしても今回の不具合の原因は、意外なところにあって、
それゆえに手間取ったわけだが、大きな経験にもなった。

4343を自分の手で鳴らすのは、ステレオサウンドにいたから以来だから、ほぼ四十年ぶり。
4343の音を聴いたのは2005年、
早瀬文雄さんのリスニングルーム以来である。

1976年に登場した4343だから、五十年近く前のスピーカーとなる。
古いスピーカーといえば、確かにそうなのだが、
だからといって、その一言で切って捨てられるほど、
軟弱なスピーカーではない。

いつもは端っこで聴いているのだが、
今回だけはいちばんいいポジションで聴いていた。

書きたいことはもっとある。
それは個人的な想いばかりだから、この辺にしておく。

Date: 11月 6th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) –第十一夜(BOSE 901 Series Vと現代音楽)

12月4日のaudio wednesdayは、
現代音楽をBOSE 901で聴く、がテーマである。

10月に予定していたが諸事情で12月に延期。
現代音楽にうとい私だから、選曲は常連のHさんにお願いした。
なので当日は、私はいつもと違い聴く側にまわれる。

アンプはマッキントッシュのMC275を予定している。
別項で聞いたことがあるように、ステレオサウンドの試聴室で、
CDプレーヤーをMC275に接続し、901を鳴らしたことがある。

その音の記憶があっての、もう一度、聴いてみたいと常々思っていた。

今回は901だけでなく、エラックのトゥイーターも使う。
どんなふうに変化するのか、それも楽しみにしている。

あとひとつ、これは当日、実際に試してみないことにはうまくいくのかどうか、
なんともいえないが、考えていることがある。

そういうことを含めて現代音楽を聴いていく。

Date: 11月 5th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) –第十夜(43年目の4343・いよいよ明日)

明日(11月6日)のaudio wednesdayは、JBLの4343を鳴らす。

パワーアンプは、クレルのKSA100。
D/Aコンバーターは、メリディアンのUltra DACだ。

書きたいことはいっぱいあるけれど、もう書かなくてもいいだろうという気持も強い。

明日、鳴らすだけであるため

開始時間は19時。終了時間は22時。
開場は18時から。

会場の住所は、東京都狛江市元和泉2-14-3。
最寄り駅は小田急線の狛江駅。

参加費として2,500円いただく。ワンドリンク付き。
大学生以下は無料。

Date: 11月 4th, 2024
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その34)

オーディオというシステムのデザインの中心は、コントロールアンプだ、と書いた。

そう考えている私なのだが、自分のシステムに常にコントロールアンプが存在していたわけではない。
いわゆるパッシヴフェーダーを使っていた時期が、二年ほどあった。

そのころはCDばかりだったからではなく、
アナログプレーヤーは、トーレンスの101 Limitedで、
イコライザーアンプを搭載していただけでなく、
CDプレーヤーのスチューダーのA727、どちらもトランスによるバランス出力を備えていたから、
ドイツのエッグミラーのH型を使っていた。

オーディオというシステムのデザインの中心──、
そういうことはまったく考えていなかった時期でもある。

だからといって、個々のオーディオ機器のデザインについては、
あれこれ言ったり思うところもあったりしていたのだから、
いまから見ると、未熟だったなぁ、とも思う。

Date: 11月 3rd, 2024
Cate: 「本」, 老い

オーディオの「本」(ラジオ技術のこと・その3)

ラジオ技術が、いよいよ終りを迎えそうである。
私の中では、終りを迎えている──、
そんな受け止め方をすでにしているが、
どうみても、復活することはないように感じている。

それもきちんとした終りではなく、振り返って、
あれが終りだったのか……、そんな感じにもなりそうである。

個人的には復活してほしい、と思っている。

まだ休刊しているわけではないから、
復活というのはおかしいだろうと指摘があるだろうが、
やはり「復活」である。

Date: 11月 3rd, 2024
Cate: 「かたち」

音の姿勢、音の姿静(その5)

音の姿勢と音の姿静。

10月20日の野口晴哉記念音楽室 中秋会での594Aの音を聴いて、
音の姿勢と音の姿静が、呼吸のように聴こえてきた。

Date: 11月 2nd, 2024
Cate: 1年の終りに……

2024年をふりかえって(その1)

2020年は11月8日から、
2021年は11月1日から、
2022年は11月10日から、
2023年は11月1日から、それぞれこの項を書き始めている。

今年は今日(11月2日)から。

まだ二ヵ月あるから、何が起こるか(起こらないか)は、
まったくわからないけれど、それでもひとつ思っているのは、
オーディオ関係の友人、仲間、知人で亡くなった人がいないことだ。

昨年は、同世代の友人(オーディオ仲間でもある)が亡くなった。
私より少し年上のオーディオ関係の知人、仲間も亡くなった。

だから今年は、誰も亡くなっていないことが、ほっとする。

これから先、何年生きているのかはわからない。
私よりも先に亡くなるオーディオ関係の友人、仲間、知人がいることだろう。

人はみな死んでいくのだから、
嘆いたりはしないが、一人去り、また誰かが去り……、
最後の独りになる可能性もある。

菅野先生が「みんないなくなったよ……」と呟かれたことがあった。
岩崎先生が亡くなり、瀬川先生も、その四年後に──、
1990年代になり、また一人、また一人──と、
菅野先生の周りにいてオーディオ評論家として活躍されていた人が去った。

ながく生きるとは、そういうことでもある。

Date: 11月 1st, 2024
Cate: アナログディスク再生

Wilson Benesch Circle

アナログディスクを再生することはめっきり減ったのは、
MQAが登場したから、と私の場合はそうである。

いま手元に三台のアナログプレーヤーがあるけれど、ほとんど稼働していない。

メインは、Wilson BeneschのCircleなのだが、
これすらも、ほぼ使っていない──、そんな状況だ。

なので6月末に引越ししてからも、アナログプレーヤーの設置は後回しにしていた。

昨晩、そろそろやるか、とふと思い立って、
ここだな、といえる場所に設置。

その際、今年、ヤフオク!で落札したジュエルトーンのガラス製ターンテーブルシート、GL602Jと組み合わせてみた。

Circleに付属していたのは、粗い感じのフェルトで、
ここだけターンテーブルプラッター、トーンアーム、ベースの質感と、
少しだけ違和感があった。

それを交換したわけだが、それほど期待していたわけではなかったのに、
GL602JをCircleに乗せた瞬間、カッコよくなった、と感じた。

Circleのプラッターは半透明のアクリル製で、
モーターやインナープラッターなどが、
ぼんやりとだが、透けて見える。

いままではフェルトだったから、普段は見えなかった。
GL602Jにすると、そのままというわけではないが、
いい感じで透けて見える。

これが、けっこういい感じで、新鮮なのだ。

改めて、Circleはカッコいいプレーヤーだな、と見直している。

Date: 11月 1st, 2024
Cate: ディスク/ブック

FAIRYTALES(その7)

ラドカ・トネフの“FAIRYTALES”。
このアルバムも、QobuzでもMQAで配信されている。

Date: 10月 31st, 2024
Cate: 表現する

自己表現と仏像(その16)

《自分自身の神性の創造》、
このことを念頭において、手塚治虫の「火の鳥」に「鳳凰」編を読んでほしい。

《自分自身の神性の創造》に必要なのは、
名声なのか、ふたつの腕なのか、恵まれた環境なのか。

Date: 10月 30th, 2024
Cate: 表現する

自己表現と仏像(その15)

別項でも何度も引用しているグレン・グールドのことばを、
ここでも引用することになる。
     *
芸術の目的は、神経を昂奮させるアドレナリンを瞬間的に射出させることではなく、むしろ、少しずつ、一生をかけて、わくわくする驚きと落ち着いた静けさの心的状態を構築していくことである。われわれはたったひとりでも聴くことができる。ラジオや蓄音機の働きを借りて、まったく急速に、美的ナルシシズム(わたしはこの言葉をそのもっとも積極的な意味で使っている)の諸要素を評価するようになってきているし、ひとりひとりが深く思いをめぐらせつつ自分自身の神性を創造するという課題に目覚めてもきている。
     *
《自分自身の神性の創造》、
仏像へと、私の裡ではつながっているといえる。

Date: 10月 29th, 2024
Cate: きく

audio wednesday (next decade) – radio sessionを終えて(その2・補足)

野口晴哉氏は、和室の天井に取り付けたタンノイのMonitor Redを、
どのアンプで鳴らされていたのか。

はっきりとした答は、いまのところないのだが、
10月20日の中秋会で、見つけたものがある。
ラックスのSQ38FDの箱があった。

SQ38FDは、野口晴哉氏のリスニングルームの写真には写っていない。
メインのスピーカーを、SQ38FDで鳴らされていたとは考え難い。
とすれば和室のタンノイ用なのか。

モノーラルのシステムだからといって、
モノーラル録音のディスクばかりかけられていたとは思っていない。
おそらくステレオ録音のディスクもかけられていたはずで、
そのためにはモードセレクターが必要になる。

昔のアンプには、たいていついていた。
SQ38FDにも、もちろんついている。

Date: 10月 28th, 2024
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その35)

10月23日の夜からQobuzを使っている。
23日の時点でroonではうまく使えなかったけれど、
翌日には使えるようになっていた。

23日からの四日間ほどはQobuzばかり使っていた。
TIDALで聴けないアルバムがどれだけあるのかを探るためでもあった。

そして今日、TIDALとQobuzで、同じアルバムをいくつか比較試聴してみた。

同スペックでの配信であっても、TIDALとQobuzの音の違いはある。
Qobuzばかりを集中して聴いての音の印象は、
TIDALと比較しても変わらず。

どちらをとるかと言われれば、どちらもとる、と答える。
Qobuzで聴いた方が映えるアルバム(というよりも録音)があるのも事実。

ハイレゾという言葉を聴いて思い浮かべるイメージは、
Qobuzの方ではないだろうか。

MQAの音に関してもなのだが、若い時に聴いていた音が、
LPだったのか、CDだったのか、
それにLPだったとしても、MM型カートリッジがメインだったのか、
MC型カートリッジだったのか。

もっと言えば国産カートリッジだったのか、海外製のカートリッジなのか。
軽針圧なのか、そうでないのか。

ダイレクトドライヴのプレーヤーかベルトドライヴ、もしくはアイドラードライヴだったのか。

そういったもろもろのことの違いが、かなり影響していると感じている。