ステレオサウンド 235号
ステレオサウンド 235号をKindle Unlimitedで読み終って、一つ気にかかることがある。
傅 信幸氏の登場が、かなり少ないことだ。
ステレオサウンド 235号をKindle Unlimitedで読み終って、一つ気にかかることがある。
傅 信幸氏の登場が、かなり少ないことだ。
昨夜の投稿を読まれた方の中には、
ダイナコ SCA35と検索された方もおられよう。
ずいぶん昔のアンプである。
1977年で、62,300円のプリメインアンプで、
外形寸法はW34×H10.8×D26.7cm、重量は8.5kg。
使用真空管は12AX7(二本)、7199(二本)、6BQ5(四本)という構成。
出力は17.5W+17.5Wと、決して本格的なプリメインアンプではなかった。
同時代の、ほぼ同価格の国産アンプにはサンスイのAU607があった。
SCA35を検索して、その写真を見た人は、こんなデザインなのか……、期待はずれだ、と思われたかもしれない。
ダイナコの製品はローコスト機であった。キットも用意されていた。SCA35も、その例に漏れず、お金のかかった作りではない。
おそらく市販のツマミを買ってきてフロントパネルに配置した、それだけのデザインと言えそうな出来だ。
高級感があるわけではない。
そんなプリメインアンプなのだが、専用のウッドケースDW2(7,500円)に収めた姿は、なかなかいい。
私はどちらかというとウッドケースは好まない。
そんな私でもQUADの33とFM3を専用のウッドケースに収めたのと、
このSCA35は例外といえ、SCA35に関してはウッドケース込みでのデザインで受け止めている。
とはいえ実際にDW2に収まったSCA35は、写真でしか知らない。
SCA35は、一時期使っていた。シーメンスのコアキシャルを鳴らしていた。
DW2無しだった。
(その16)にコメントをもらっていた。
そのコメントの最後に《宮崎さんの思う真空管プリメインアンプのベスト・デザインを、ぜひ教えてください。また、その理由についてもお聞かせいただけると嬉しい限りです!》とある。
真空管プリメインアンプのベストデザイン、これがけっこう難しい。
あれこれ、いろんなプリメインアンプの顔を思い浮かべていたのだが、
これこそベストデザインというアンプはない──、
それがいまのところの結論となる。
ベターデザインならば、いくつかある。
その中で、いま手元に置きたいモノというふうに考えてみた。
私が初めて聴いた真空管プリメインアンプは、ラックスのLX38。
熊本のオーディオ店に瀬川先生が来られた時に聴いている。この時、私のリクエストで、スペンドールのBCIIとピカリングのXUV/4500Qとの組合せで、もう一度鳴らしてもらった。
この時のことは別項で書いているので詳細は省くが、瀬川先生から「玄人の組合せ」とお褒めの言葉をいただいた。
だからLX38には思い入れがある。そのデザインもベターデザインとは思っているけど、
ベターデザインと感じているモノの中から、一つだけ選ぶとなるとは、LX38ではない。
ベターデザインの感じているモノの中から一つだけ、ということが、
いわば準ベストデザインとなるのではないか──と考えると、
選ぶのはダイナコのSCA35である。
7月のaudio wednesdayは、第一水曜日ではなく第二水曜日の9日になる。
まだテーマは決めていないけれど、9日の天候(気温)次第では、やりたいことがある。
なので、いま二つのプランを持っている。今月下旬には、はっきりする。
昨晩のaudio wednesdayは、
フランコ・セルブリンのKtêmaを、野口晴哉記念音楽室(野口晴哉氏リスニングルーム)で鳴らした。
私が、野口晴哉氏のこと、そのリスニングルームを初めて知ったのは、
以前も書いているように、1976年12月に発売された「世界のオーディオ」だった。
その一ヵ月ほど前に、私は「五味オーディオ教室」に出逢っていた。
オーディオの知識が、そんなにあったわけではない。
野口晴哉氏がどういう人なのかも、当時、中学二年生の私は全く知らなかった。
最初は、野口晴哉をのぐちせいや、と思っていたくらいだ。
晴哉(はるちか)なのを知ったのは、けっこう経ってからだった。
何の知識もなく、野口晴哉氏リスニングルームの写真を見て、すごい、と思っていた。
その空間で、Ktêmaを鳴らしたことも、私にとっては、オーディオのロマンの一つであった。
今日は、audio wednesdayだった。
野口晴哉氏のリスニングルームで鳴らすフランコ・セルブリンのKtêma。
いろんな曲を聴いた。
どの曲が、印象深く心に響いたかは、人によって違うはず。
私にとっては、カルロス・クライバーとウィーン・フィルハーモニーによるシューベルトの「未完成」が、そうだった。
こんなに美しい響きなのかと陶然となって、聴き惚れていた。
今日は、この曲だけで、もう充分だ、と思うほどに、美しいのは、この部屋のおかげなのだろう。
陶然となりながら思い出していたのは、数ヵ月前に読んだ内田光子のインタビュー記事だった。
「神の存在は信じないけれど、シューベルトを演奏してる時は、もしかしたらいるのかもしれないと思ってしまいます」
そんなことを語っていたと記憶している。
明日(6月4日)のaudio wednesdayでは、これまで四回鳴らしてきているフランコ・セルブリンのKtêmaを、
これまでの空間ではなく、故・野口晴哉氏のリスニングルーム(野口晴哉記念音楽室)で鳴らす。
どういう音(響き)で鳴ってくれるのか、
なんとなく予想できると言えばできなくもないが、
それでも音は実際に鳴ってきたのが、全てで、
それがたまたま予想の範囲、もしくは延長線上にあるのか、
そうでないところで鳴ってくれるのか、
私自身、とても楽しみにしている。
今回もリクエストを受けつける。
Speaker System: FRANCO SERBLIN Ktêma + ELAC 4PI PLUS.2
Control Amplifier: EINSTEIN The Tube II
Power Amplifier: Viola Forte
CD Transport: Accuphase DP100
D/A Converter: Meridian ULTRA DAC
開始時間は19時。終了時間は22時。
開場は18時から。
会場の住所は、東京都狛江市元和泉2-14-3。
最寄り駅は小田急線の狛江駅。
参加費として2,500円いただく。ワンドリンク付き。
大学生以下は無料。
この項を書き始めた時から、同時に考えているのは、編集者の善意である。
誌面から感じられるものなのだろうか。
今月のaudio wednesdayは、これまで通り第一水曜日ですが、
7月のaudio wednesdayは諸般の事情により、第二水曜日の7月9日に行います。
すでに告知している通り、6月4日のaudio wednesdayは、
野口晴哉記念音楽室で、フランコ・セルブリンのKtêmaを鳴らすわけだが、
私は、このことを贅沢なことと受け止めているし、貴重な経験へとつながっていくことだとも思っている。
私だけがそう思っているのかもしれない。
またKtêmaを鳴らすのか、ただ部屋が変るだけだろう、
そんな捉え方もできるし、そう思う人もいるのはわかっている。
同じオーディオという趣味をやっていても、それこそ価値観は、まるで違ったりする。
感性だけでなく、価値観が違う。
それが当たり前であって、感性も価値観も同じ人と出会えるのは、そうそうない。
とにかく今回、Ktêmaを、野口晴哉氏のリスニングルームだった空間で鳴らす。
(その3)で指摘していることは、何もJBLだけのことではない。
マッキントッシュのスピーカーシステム、ML1 Mk IIは、
もっとひどいというかあからさまというか、
とにかく品がない。
このことはML1 Mk IIが発表になった時に書こうと思っていたが、
近年のマッキントッシュのデザインのひどさについて、続けて書いていただけに、
今回は書かずにおこう、とやめていた。
けれどJBLの新しいSummitシリーズを見て、共通するひどさを感じたから、結局、こうやって書いている。
ML1 Mk IIは専用スタンドのベースに、“McIntosh ML1”と大きく入っている。
サランネット下部中央には、“Mc”とある。
スタンドにまで入れることはないだろう、とここまででも思うのに、
サランネットを取ると、トゥイーター、スコーカーをマウントしているサブバッフルにも、“McIntosh”と入れている。
ここまでしつこくしなくても思う。けれど、また先がある。
この“McIntosh”のロゴは、サランネットを装着していても、透けて見える。
このことについて、オーディオ評論家は、何か言っているのだろうか。
以前書いているように、私が育った熊本の田舎町でも、書店の数は多かった、と言っていいだろう。
徒歩十分ぐらい以内に五店舗あった。さらに五、六分歩けば二店舗あったし、貸本屋もあった。
そんな田舎も、書店の数は減っている。東京でも減っているのだから、仕方ないのだろうが、
それでも実家から一番近い書店は、まだ現在だった。
もともとは文具店だった。なのでいまでも、店名に文具店とつく。
今回帰省して、ここの書店は他と違っていたことに、いまさらなのだが気づいた。
この店には書棚があまりない。壁面にあるくらいで、雑誌は全て大きな平台に置かれている。
測ったわけではないので正確とは言えないが、幅は2mくらい、奥行きは4mほどは、最低でもある。
この平台の上に雑誌が置かれる。
店舗も個人商店だから、大きいわけではなく、この平台がかなりの面積を占めていた。
子供のころは、一番近いと行くことで、頻繁に買いに行っていた。父や母に頼まれた本を買いに行ったりしていたので、
こういう置き方が当たり前のこととして受け止めていた。
この書店では、だから平積み、面陳列、棚差しといった扱いの違いはない。
ここで扱っている全ての雑誌が平積みである。
でも、ここにはオーディオの雑誌はなかった。
この店がオーディオ雑誌を扱っていたら、オーディオへの関心をもっと早くに持つことになったかも──、
そんなことを今回の帰省で思っていた。
6月4日のaudio wednesdayでは、この項で書いている同軸スピーカーケーブルの逆接続を、
スーパートゥイーターのエラック、4PI PLUS.2で、その音の違いを聴いてもらおうと予定している。
4PI PLUS.2への接続による音の変化は、小さくない。
スピーカーケーブルが変れば、もちろん変るし、接続の仕方によっても変ってくる。
5月の会では、それまでとは違うスピーカーケーブルを使っていた。長さの関係でパワーアンプから、というわけにはいかず、
フランコ・セルブリンのKtêmaのスピーカー端子から接いでいた。
今回もたぶんそうなると思う。その上で同軸スピーカーケーブルの正接続、逆接続の音を聴いてもらう。
これまでは、その月のaudio wednesdayが終ると、翌日には次回の告知をしていた。
5月の会を終えても6月の会の告知をしなかったのは、父の容態があったからだった。
なんとなくだが、6月は中止もしくは延期になる可能性が高い、と感じていた。
父の葬儀も終え東京に戻って来ているので、6月4日にaudio wednesdayを行う。
今回は、野口晴哉記念音楽室でフランコ・セルブリンのKtêmaを鳴らす。
これまで鳴らしてきた空間も、天井が高く十分に広かったが、
野口晴哉記念音楽室は、さらに広く天井も高い。
空間の大きさだけでなく、オーディオ機器の設置も変ってくる。
野口晴哉記念音楽室には、オーディオ機器の設置に最適と言いたくなるところがある。
CDトランスポート、D/Aコンバーター、コントロールアンプ、パワーアンプまでが置ける。
代わりに電源周りがやや不利になるけれど、それでもこれまで四回鳴らしてきたKtêmaの鳴り方が、どう変化するのか。
実を言うと5月の会の時、野口晴哉記念音楽室で鳴らすことも考えたが、
エアコンのない、この空間だとまだ寒く感じた。
6月4日だと、そういうことはないだろう。
父は、長いこと中学校の英語の教師だった。
キャリアの終りには小学校に移り、教頭、校長をつとめていた。
生徒から慕われていたと思う。
年に一回か二回ほど、教え子が数人で遊びにくることが、
ほぼ毎年あった。
そういうことが当たり前だと思っていた。
東京で暮らすようになって、知り合った同年代の人たちにその話をすると、
先生の家に遊びに行くなんてしなかった、という返事ばかりだった。
そういうものなのか、たまたま私が話をした人たちだけがそうだったのか。
母は、嫌な顔ひとつせず生徒たちをもてなしていた。
母からは、以前、教師になって欲しかった、と言われたことがある。
私もそんな父を見ていたから、中学の頃までは先生になりたい、と思っていた。
長男だし、実家から出ることなく、中学校の理科の先生になって──、
人生設計みたいなことをまじめに考えていた。
五味先生の「五味オーディオ教室」と出逢った。
最初のころは、趣味としてオーディオを楽しむことを、あれこれ思っていた。
住む家はあるし、稼ぐようになったら、リスニングルームを作って、スピーカーはJBLの4343にして──、
そんなことを夢想していた。
オーディオにのめり込まなかったら、そんな人生をおくっていたことだろう。
「五味オーディオ教室」を暗記するほど読んで、そこから外れていった。
たぶん父も、私に教師になって欲しかったように思う。
でも父の口から、聞いてはいない。
オーディオにのめり込むほどに、学校の成績は落ちていっても、
父はオーディオに関しては、何も言わなかった。母もそうだった。
私とオーディオのことを父がどう思っていたのかは、もう訊けない。
去年の11月、父は90になった。その数日後に倒れ、救急車で運ばれ、そのまま入院することになった。
5月22日朝、母からの電話があった。
この時間に電話ということは、父の死を伝えることだった。
昨年末に、父と会って話をしなさい、と母から言われていて、1月に帰省しようかと考えていたが、
今年になってコロナ禍がひどくなり、家族でも面会禁止になったため、
母と弟も、死に目には会えなかった。
家では黙って本をよく読んでいた父だった。部落問題に対しても活動していた。地元では有名な教師だったようで、
私が中学、高校に入学した時は「彼が宮﨑先生の息子か」的な視線があった。
これは家庭訪問の時に担任から言われたこと。
その「宮﨑先生の息子」は、オーディオにますますのめり込んで、成績を落としていっていたのに、父は何も言わなかった。
当時は、そのことに対して何も思わなかったけれど、いまは感謝している。