Archive for category ブランド/オーディオ機器

Date: 12月 18th, 2012
Cate: SME

SME Series Vのこと(その4)

SMEのSeries Vに関しては、絶賛を惜しまない。
Series Vは完成度の高いトーンアームである、からが、その理由だけではない。

1985年からいまだに現役のトーンアームとしてつくり続けてくれていることも大きい。

オーディオに関心をもちはじめた1976年は、
いまほど円高ではなかった。数年後に円高が進んでいくけれど、
まだまだ輸入オーディオ機器は、非常に高価だった。

JBLの4343もペアで約150万円していた。
マークレビンソンのLNP2が118万円していた。
いまのように長期のローンもまだなかった。
おまけに私はまだ中学生。
いつかは4343、いつかはLNP2と思っていても、そう簡単に手に入れられるわけではない。

それこそ高校に行き、大学に行き卒業して就職して……、
そうやって手に入れるオーディオ機器であり、それには最低でも10年は必要だろうな、と漠然と思っていた。

実際はどちらも購入しなかったわけだが、
仮に10年後の購入を目ざしてがんばったところで、
10年後の1986年には4343もLNP2、どちらも現役の製品ではなくなっていた。

4343、LNP2に限ったことではない。
4343、LNP2よりもずっと高価なのに、短期間でなくなってしまうモノも少なくない。

欲しい、と思い購入を決意して、そこに向ってひたすら頑張っても、
かなう前に目的のオーディオ機器が消えてしまっている……。

Series Vは27年間、いまだに現役のオーディオ機器である。
これはほんとうに素晴らしいことである。
倍近い価格に値上がりしたとはいえ、Series Vの購入を決意した人は手に入れられる。

しかも、いまも最高のトーンアームである。
だからSeries Vに関しては、いささかも絶賛を惜しまない。

Date: 12月 18th, 2012
Cate: SME

SME Series Vのこと(その3)

さきほどtwitterを眺めていたら、
Yahoo! オークションで、
オーディオクラフト、サエクのトーンアームがとんでもない価格で落札されたことを知った。

どちらもいまは製造されていないトーンアームだし、
アナログディスク全盛時代のトーンアームである。
オーディオクラフトのAC3000MCか、そのロングヴァージョンのAC4000MCの程度のいいモノがあれば、
私だって欲しい、という気はある。
でも、そんなに無理してでも、というわけではない。
私にとって妥当な価格であって、縁があれば欲しい、のであって、
今回のように40万円をこえる金額で落札されている事実をみてしまうと、
価値観は人それぞれゆえに、私が横からとやかくいうことではないと承知していても、
「40万円……」と思う。

サエクは、ヤマハのプレーヤーGT2000に取付け可能モデルということで、60万円をこえていた。
驚くだけである。

トーンアームはコレクションしたくなるオーディオ機器である。
でもそんなことを無視して、音、使いやすさ、安定度、信頼性、
こういったことを考えると、私はトーンアームはSMEのSeries Vしかない、と思っている。

はじめてステレオサウンド試聴室でSeries Vを聴いた時から、
もうこれをこえるトーンアームは出てこない、と思ったし、事実、そうだ。

Series Vよりも価格の点でこえるトーンアームはいくつかある。
けれど、それらのトーンアームには、ほとんど魅力を感じない。

Series Vも当時は40万円だった価格が、70万円(税別)になっている。
高いといえば高い価格ではあるものの、
当時の40万円よりも、いまの70万円のほうが、他社製の高額なトーンアームが増えすぎたせいと、
アナログディスク全盛時代のトーンアームがほぼ変らぬ価格で落札されていることで、
相対的に安く感じてしまう。

1985年からずっと、最高のトーンアームを手にしたければ、Series V以外にない──、
27年間、これだけは変らぬ結論であり、私がくたばるまで変らぬ結論だ、と断言できる。

Date: 12月 17th, 2012
Cate: D130, JBL

D130とアンプのこと(その27)

JBLのD130は60年以上前に開発・設計されたスピーカーユニットであり、
その、いわば大昔のユニットを、これまた昔の主流であったバックロードホーンにいれる──、
いまどきのスピーカーシステムを志向される人からみれば、
いまさら、なにを……とあきれられることをやろうとしている。

D130とバックロードホーンの組合せで聴いている人は、
日本においては少数派ではないかもしれない。意外に多いようにも思っている。

でも、ずっと以前から、この組合せで聴いてきた人たちと、
いまごろD130とバックロードホーンの組合せで聴こう、とする私とでは、同じに語れないところもある。

このことは私だけのことでもないし、D130だけにあてはまることではない。
他のスピーカーでも、ほかの人の場合にでも、同じに語れないところがあるからこそ、
スピーカー選ぶことの難しさを感じ、それを面白い、とも思うわけだ。

ずっとずっとD130を鳴らしてきている人に対し、
私は「いいスピーカーを鳴らされていますね」と本音でいう。
そんな人はいないと思うけれど、私が書いたものを読んで、
JBLのD130に興味をもち、鳴らしてみようという人がいたら、
「やめたほうがいいかもしれません」と、やはりこちらも本音でいう。

スピーカーの真の価値は、そういうことによっても変化するものである。

つまり私にD130を鳴らしてきた、いわば歴史がない。
しかも、もう若くはない。
そういう歳になって、こういうスピーカーを鳴らそうとしているわけだから、
D130を鳴らすことにおいて、徹底してフリーでありたい、と思う。
特にパワーアンプの選択に関しては、それを貫きたい。

だからといって、なにも数多くの既製品のパワーアンプをD130で聴きたい、ということではない。

Date: 12月 5th, 2012
Cate: 4345, JBL, 瀬川冬樹

4345につながれていたのは(その4)

ステレオサウンド 61号の編集後記に、こうある。
     *
今にして想えば、逝去された日の明け方近く、ちょうど取材中だったJBL4345の組合せからえもいわれぬ音が流れ出した。この音が先生を彷彿とさせ、話題の中心となったのは自然な成り行きだろう。この取材が図らずもレクイエムになってしまったことは、偶然とはいえあまりにも不思議な符号であった。
     *
この取材とは、ステレオサウンド 61号とほぼ同時期に発刊された「コンポーネントステレオの世界 ’82」で、
井上先生による4345の組合せのことである。
この組合せが、この本の最初に出てくる記事にもなっている。

ここで井上先生は、アンプを2組選ばれている。
ひとつはマランツのSc1000とSm700のペア、もうひとつはクレルのPAM2とKSA100のペアである。

えもいわれぬ音が流れ出したのは、クレルのペアが4345に接がれたときだった、ときいている。

このときの音については、編集後記を書かれたSさんにも話をきいた。
そして井上先生にも直接きいている。
「ほんとうにいい音だったよ。」とどこかうれしそうな表情で語ってくれた。

もしかすると私の記憶違いの可能性もなきにしもあらずだが、
井上先生は、こうつけ加えられた。
「瀬川さんがいたのかもな」とも。

Date: 12月 1st, 2012
Cate: D130, JBL

D130とアンプのこと(その26)

私にとってJBLのD130というスピーカーは、異相の木だと書いた。
この異相の木を、自分の庭(環境)で鳴らしたい、それもそう遠くないうちに──と考えている。

私にとってJBLのD130は、つねにハークネスとともにある。
この異相の木を、どう鳴らしていくか、
平面バッフルに取り付けて、という手もあるけれど、やはりハークネスしかない。

なぜハークネスなのか、は何度か書いてきていることなので、ここでくり返しはしないが、
ハークネスにいれるユニットとして130Aもあるわけだが、
私にとってハークネスにはD130、D130にはハークネスで、これから先もずっと、
私がくたばるまで、これは変ることがない。

ハークネスはバックロードホーンである。CWホーンである。
D130をバックロードホーンで鳴らす。

基本的には私はワイドレンジ志向だから、D130だけで鳴らすことはどうしても高域の不足を感じてしまう。
なんらかのトゥイーターをもってくる必要があるわけだが、
075ではなく、LE175DLHをもってきたい。
075よりも175DLHのほうが、望む音が得られるという予感が、
175DLHの姿をながめていると感じられる。

基本的にはD130とL175DLHとの2ウェイで聴く。
それでも時には、D130をソロで鳴らしたい──、
きっとそう思うはずである。

だから2ウェイでもD130のソロ(つまりフルレンジ)でも、簡単に接続が切りかえられるようにはしておきたい。
それが異相の木としてD130を迎え、異相の木としてD130を聴くために、
私には必要なことだと、いまはおもえるからだ。

実はバックロードホーンという形式も、私にとっては異相の木的な存在に近く、
D130の異相の木としての性格を際立たせるために、より濃くしていくためにも不可欠の要素といえよう。

Date: 11月 28th, 2012
Cate: D130, JBL

D130とアンプのこと(その25)

スピーカーのネットワークの並列型と直列型で、
もしこんなことが試されるのであれば──と思っていることがある。

アルテックの同軸型604とタンノイの同軸型を、それぞれ直列型、並列型のネットワークで鳴らしてみる、
ということである。
アルテックもタンノイも15インチ口径の同軸型ユニットを長年つくり続けてきている(いた)。
共通するところもあれば、そうでないところもあるアメリカとイギリスの同軸型ユニットである。

アルテックは低域用と高域用のマグネットを独立させている。
ただし磁気回路の一部は兼用しているので、磁気回路すべてが独立しているわけではない。
タンノイは、マグネットを独立させている同軸型ユニットも存在しているが、
このマグネット独立型のユニットが使われるのは、
同軸型ユニットにウーファーなりトゥイーターをつけ足してワイドレンジ化を図ったモデルであり、
同軸型ユニットのみを搭載したモデルに関しては、一貫してマグネット兼用型のユニットとなっている。
ここにタンノイの見識があらわれている、ともいえよう。

そんな違いのあるふたつの同軸型ユニットを、
直列型ネットワーク、並列型ネットワークで鳴らしてみると、どういう結果になるのか。

マグネットの独立と呼応するように、アルテックは並列型、タンノイは直列型が向いていることになるのか、
意外にもアルテックに直列型に向いていて、タンノイには並列型向いている、という結果になるかもしれない。

これは完全な推測にすぎないのだが、
並列型のネットワークのほうが、いわゆる音の分離、明瞭度は高く、
音の細部の表現においては直列型の上をいくのかもしれないが、
音のまとまり、ハーモニーの美しさ、それに音像のしっかりした感じなどは直列型のほうが優位なのでは……、
そんなふうに想像している。

Date: 11月 28th, 2012
Cate: SUMO

SUMOのThe Goldとヤマハのプリメインアンプ(その11)

アンプの動的ウォームアップはスピーカーを接続して音を鳴らすことでしかすすまないものなのだが、
やっかいなのは電源を入れっ放しにしていて音楽を聴いていて充分に動的ウォームアップがすんで、
いい音で聴ける状態になってきた。

そこで音楽を聴くことを一休みする。
アンプの電源は入れたままで。

アンプによって、その時間は違うから一概にはいえないものの、
たとえば30分、1時間経過して音楽を聴きはじめると、また動的ウォームアップの時間を必要とするアンプがある。
このときの動的ウォームアップにかかる時間は、アンプによって異る。
わりと早く動的ウォームアップがすむアンプもあれば、なかなか目覚めてくれないアンプもある。

この動的ウォームアップは、やっかいというか、聴き手側にとっては面倒なことといおうか、
できれば静的なウォームアップだけで満足のいく音を聴かせてほしいところだが、
アンプの中身のことを考えると、そうもいかないこともわかっているので、
せめて一度動的ウォームアップがすんだら、できるだけ維持できるようにしてほしい。

ウォームアップに時間も手間もかかるアンプを、寝起きの悪いアンプという。
いい音を聴かせてくれるのであれば、寝起きが多少悪くてもがまんしよう。
そのかわり、いちど目覚めたら、ずっと起きていてほしいのだ。
音楽信号が流れてこないと、すぐに寝てしまうアンプ、そしてなかなかしゃきっと目覚めないアンプは、
その分、聴き手の時間を奪っているともいえる。

実際に動的ウォームアップによる音の変化は、はっきりと聴きとれるのか、と疑問に思われる方もいるだろう。
あるレベル以上の音を鳴らしているシステムであれば、はっきりと聴きとれることが多い。

いつ、どんなふうに音が変化するのか、と、まちかまえて聴いているよりも、
ゆったりと音楽に耳をすましている聴き方であれば、
あっ、変った、と感じられる瞬間があるのがわかる。

動的ウォームアップによって、どう音が変化するのかは、アンプによって変ってくる部分もあり、
ここがこんなふうに変りますとはいえない。

でも音楽の鳴り方が明瞭になる、と、これだけは確実にいえる。

Date: 11月 28th, 2012
Cate: SUMO

SUMOのThe Goldとヤマハのプリメインアンプ(その10)

パワーアンプのウォームアップには、
静的なウォームアップと動的なウォームアップとがあり、
静的なウォームアップに関しては電源スイッチをオンにしておけばそれで足りるわけだが、
動的なウォームアップとなると、実際に音を出しながら、ということになる。

オーディオには、このように静的なと動的な、と頭につけたくなることが意外にある。

音のクォリティにしてもそうだ。
静的なクォリティと動的なクォリティがある、といえる。

静的なクォリティと動的なクォリティは、いくつかの意味にわけられる、と考えている。
そのひとつとして、ここで書いておきたいのは、
静的な特性、動的な特性とほぼ同じ意味での、静的なクォリティ、動的なクォリティである。

簡単にいってしまえば、動的なクォリティは、ここでは音楽を聴いてのクォリティということになる。
では静的なクォリティとは、なにかといえば、
静的な特性の測定に使われるのがサインウェーヴがメインであるように、
そんな意味での静的なクォリティである。

ケーブルを変えても音は変化しない、と頑なに主張される人の中には、
よく測定結果を持ち出す人がいる。
そして、測定上の差はほんのわずかであり、そのわずかな差は人間の耳では感知できない、という、
非常に乱暴なこじつけでもって、音は変らない、と結論づけられる。

なぜ、わずかな差は人間は感知できない、と言われるのかが、まずわからない。
その人はわからない、のであれば、納得できても、なぜか、すべての人という意味で「人間は」と書かれる。

そしてもうひとつ不思議なのは、測定上の差はごくわずかといわれる、
その測定に使われるのはサインウェーヴがほとんどだということ。

音楽信号を使っての測定方法が確立されていない以上、サインウェーヴ、パルスを使うのはわかる。
でも、あくまでもそれらを使っての測定結果は、音楽を再生したときの結果を反映しているとは、
誰にもいえない、ということである。

サインウェーヴで測定したら、ケーブルを変えた差はごくわずか。
だから音楽を聴いても音は変らない、は、理屈として通らない。
この場合、理屈として通るのは、
サインウェーヴを再生して聴いたら、ケーブルの違いはわからない、ということでしかない。

それならば、私も納得できる。
私だって、サインウェーヴ(たとえば1kHzのみのサインウェーヴ)のみを音源として、
ケーブルの違いを聴き分けろ、といわれたら、自信がない。

だが何度でも書くが、聴くのは(聴きたいのは)音楽である。

Date: 11月 26th, 2012
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その9)

ほんとうのところは、まだまだスピーカーとアンプの関係性について書いていきたいのだが、
そうするといつまでも本題である「瀬川冬樹氏とスピーカーのこと」に移れなくなるのでこのへんにしておく。
けれど、スピーカーのアンプの関係性については書きたいことだけでなく、
考えていきたいとも思っているので、項を改めて書く予定ではある(といってもいつになるかは……)。

なぜ少しばかりの脱線とはいえないくらいアンプのことを書いてきたのは、
瀬川先生が最後に鳴らされていたJBLの4345から、
もしいまも存命だったら絶対に鳴らされているはずのジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットまで、
いったいどのスピーカーを鳴らされていたのかを考えていくのに、
スピーカーのことだけを考えていては、答に近づけないと思うからである。

リスニングルームの条件も考慮しないといけない。
瀬川先生が砧に建てられた家から移られたのは目黒のマンションである。
ここは決して広いとはいえないスペースだった、と聞いている。
そこに4345を置かれていた。

1981年以降、瀬川先生はどの程度のリスニングルームのスペースを確保されただろうか……。
そういうことも勘案していく必要がある。

それにアンプのこともある。

1981年の初夏にステレオサウンドから出たセパレートアンプの別冊の巻頭に掲載されている文章、
いま、いい音のアンプがほしい」を読んでいくと、
瀬川先生が求められている音にも変化があり、
マークレビンソンのアンプの音にも変化があり、
このふたつの音の変化は同じところを向っていないことが感じとれる。

瀬川先生は、アンプは何を選ばれただろうか──、
このことも考えていかなければ、スピーカーに何を選ばれたのかについての確度の高い推察はまず無理であろう。

このスピーカーとアンプの関係性からみていくときに、
この項の(その2)で書いているアルテック620Bとマイケルソン&オースチンのTVA1の組合せ、
それにずっと以前の、604Eをおさめた612AとマッキントッシュのC22とMC275との組合せ、
このふたつの組合せのもつ意味を考えていく必要がある、と私はそう確信している。

Date: 11月 26th, 2012
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その8)

D40は、ステレオサウンド 44号の新製品紹介のページで登場している。
井上先生と山中先生が試聴されていて、次のようなことが語られている。
     *
井上 この場合は、スペンドールのスピーカーを鳴らした場合には、という条件つきでないとこのアンプの本来の姿を見失ってしまいますね。ある一つのスピーカーを鳴らすことに的を絞ってアンプを開発した場合は、特別な回路構成をとらないでも、コントロール機能を必要なものに簡略化してしまっても、スピーカーを含めたトータルな再生音のクォリティは非常に高い水準に持っていけるという好例として注目できます。
     *
私はD40を他のスピーカーで聴く機会はなかった。
でも、聴いたことのある人の話では、BCIIと同系統のスピーカーではよかったけれど、
そうでないスピーカーとの組合せでは、精彩を欠いてしまう、と。

そうだと思う。
一般的なアンプの常識では、優秀なアンプとは考えられない。
D40の音は、不思議にいい音であって、その意味では優秀なアンプとは言い難い。
なのに優秀なアンプで鳴らしたBCIIよりも、BCIIの魅力を抽き出し弱いところをうまく補うアンプはない。

もうすこし引用しておく。
     *
山中 このアンプでスペンドールのスピーカーを鳴らしてみますと、他のアンプで聴いたときの印象と違って、かなり中音域が充実して聴こえます。
井上 そうなんですね。以前にいろいろなアンプで聴いたスペンドールのスピーカーの音は、大変バランスがいいといってもやや中域がエネルギー的に不足している部分に感じられたのです。またそれがデリケートで微妙なニュアンスの再現性に優れた、特有の音色と結びついていたともいえるのですが場合によっては神経質な音といった感じに聴こえてしまうこともありました。このD40で鳴らすとその辺をうまく補って、中域にある種のエネルギー感がついて、全体的な音のまろやかさ、余裕といったものが出てくるようです。
山中 もちろん中域のエネルギー感が加わったといっても大変元気な音になったというわけではないですね。スペンドール独得のひめやかな、雰囲気のある音はやはりベースになっています。
     *
D40は優秀なアンプではないし、アンプの理想像に近いわけでもない。
それでもアンプは単体でなにかをするものではない。スピーカーを鳴らしてこそアンプの存在があり、
つねにスピーカーとの関係において語っていくものとしたら、
スペンドールのスピーカーシステムとD40の関係は、
スピーカーとアンプの関係のひとつの理想に近いものといえるところがある。

Date: 11月 25th, 2012
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その7)

スペンドールのD40は、
スペンドールの設立者であるスペンサー・ヒューズの息子、デレク・ヒューズの設計となっている。

スペンドールのスピーカーシステムの型番は、
たとえばBCシリーズは、
ウーファーの振動板のベクストレンとトゥイーターに採用されているセレッションを表しているし、
小型のSA1は、
自社製のウーファーとフランス・オーダックス製のトゥイーターを採用していることからつけられている。

そういう型番のつけ方をしているスペンドールだから、
D40のDは、デレク・ヒューズの設計を表している、と考えていいはず。

D40はコンパクトなプリメインアンプで、
機能も最小限度のものしかついていない。
入力セレクター、バランサー、レベルコントロールだけ。
外形寸法はW33.2×H9.6×D22.3cm、重量は6kg。
出力は型番からわかるように40W+40W。

回路についての技術的な説明はなにもない。

D40についての製品解説をしようと思っても、あまり書くことが見当たらない、
そういうプリメインアンプである。

けれど、このD40は、スペンドールのスピーカーシステムと組み合わせたとき、
なぜ、こんなつくりのアンプなのに、と思いたくなるほどの音を聴かせてくれる。

私はいちどだけBCIIとの組合せで聴いたことがある。
D40よりも物量を投入したプリメインアンプ、セパレートアンプのいくつかでBCIIを聴いたことはある。
そのどれよりも、D40で鳴らしたときに、BCIIは、こういう音も鳴らせるのか、という驚きがあった。

Date: 11月 24th, 2012
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その6)

300Bのアンプのことについては何度か書いてきている。
そのたびに、具体的な300Bのアンプについて書けないもどかしさを感じている。
市販品でなんとかおすすめできる300Bアンプがあれば、そのアンプを例にとって話をしていけるのに……、
というもどかしさがある。

300Bという真空管の名称は、真空管にさほど興味のない方でも、
いちど聞いたことのある、そういう誰もが名前だけは知っている真空管である。
なのに、そのもっとも有名な真空管を使ったアンプの音について、
なんらかの共通認識があるのかといえば、ないとしかいいようがない。

ウェスターン・エレクトリックの、ほんとうの300Bは格別の球であることは断言できる。
だからといって、ほんとうの300Bを出力段に使ったからといって、
それだけでどんなアンプでも、格段の音になるわけではない。

それでも300Bのアンプということが語られ謳われ、私も300Bのシングルアンプという表現を使う。
けれど、それは、おそらくみな違う音のことでもある。
伊藤アンプにかわる標準原器ともいえる300Bのアンプが登場してほしい、と、
300Bという言葉を、ここで書く度に思っている。

300Bのシングルアンプよりも、まだ多くの人が聴いているアンプ、
それも市販されたことのあるアンプで思い出したのがひとつある。
スペンドールのプリメインアンプのD40である。

同じイギリスのスピーカーメーカーであるロジャースのアンプは知っているけれど、
スペンドールもアンプを作っていたの? と思われる方は少なくないだろう。
D40も決して多く売れたアンプではない。

でもスピーカーとパワーアンプの関係について、
パワーアンプに求められる姿について考えていくうえで、
D40はもっとも好適である。

Date: 11月 24th, 2012
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その5)

スピーカーのことについて書いていくのが、パワーアンプのことについて書いている。
もう少しパワーアンプのことにつきあっていただきたい。

パワーアンプの理想とはどういうことなのか。
いかなるスピーカーシステムであろうと鳴らしきることのできるパワーアンプを優秀なパワーアンプということで、
この項を書いてきている。
けれど、その優秀なパワーアンプでは鳴らせない音を、
300Bのシングルアンプのように、優秀なアンプの定義にはおさまらないアンプが聴かせることが、
オーディオには往々にしてある。

300Bのシングルアンプといっても、市販品に推められるアンプがあるからといえば、
そうとうに妥協しても、ない、といわざるをえない。
シングルアンプが無理なら、300Bのプッシュプルアンプでは──、
やはり、ない。
海外のメーカーからも300Bのプッシュプルアンプは出ているけれど、
あのアンプの写真を見たとき、なんというデザインなんだろう……、とひどくがっかりしたものだ。
仕上げはたしかに丁寧であっても、はっきりいってひどいデザインといえる。

でもオーディオ雑誌を読むと、デザインのことで褒めている人が何人かいる。
なんなのだろうか……、と思う。
これがブランド・イメージなのか、とも思う。

音に関しては、特になにもいわないけれど、あのデザインに関してだけは、あれこれいいたくなる。
いいたいことがありすぎる。
書き始めると、それだけでけっこうな文量になってしまうし、
書く方も読まれる方も気持のいいものではないから、具体的にはあれこれ書きはしないものの、
あのアンプのデザインを褒める人の音質評価は、私はもう信じないことにしている。

オーディオ雑誌で書いている人たちは、書きにくいことがあるのは読む方だって承知している。
だからデザインについて悪く書くことができなければ、
デザインについては触れなければいいわけで、それをあえて触れて褒めているということは、
その人は、あのアンプのデザインがいいと思っていることになる。
読者はそう受けとめるだろう。私はそう受けとめた。

Date: 11月 20th, 2012
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その4)

優秀なパワーアンプとは、
スピーカーシステムを鳴らしきれるだけのパワー(単に出力という意味だけでなくパフォーマンスも含めて)をもつ、
ということになるのだろう。

どんなスピーカーをであれ、鳴らしきれるパワーアンプもあることだろう、
一方で、その範囲は狭まるものの、ある種のスピーカーを鳴らしきることのできるパワーアンプもある、といえる。
この場合、前者のパワーアンプの方がより優秀ということに一般的になるけれど、
オーディオを仕事としていなければ、つまりいくつものスピーカーを鳴らすということを目的としていなければ、
自分がそのとき気に入っているスピーカーを鳴らしきってくれれば、充分でありそれ以上を求めるかどうかは、
その人次第でもある。

鳴らしきれるスピーカーの範囲が広かろうと、ある程度限られていようと、
鳴らしきることのできるパワーアンプからすると、決して優秀とは呼びにくいパワーアンプがあることも事実である。
けれど、そういうパワーアンプのすべてが、いい音がしないわけでは、決してない。

たとえばウェスターン・エレクトリックの300Bのシングルアンプ。
このアンプを優秀なアンプとは呼びにくい。

もちろん300Bのシングルアンプといってもピンからキリまであるのだから、
あくまでもここでいう300Bのシングルアンプとは、私にとっては伊藤先生の300Bシングルアンプであり、
すくなくとも同等のクォリティをもった300Bのシングルアンプということに限らせてもらう。

出力が小さいからそれに見合うだけの高能率のスピーカーと組み合わせれば……、というとこになるだろうが、
それでも感覚的には、スピーカーを鳴らしきる、というイメージにもったことはない。
鳴らしきっている、というより、うまく鳴らしている、といった感じなのである。

300Bのシングルアンプは、一方の極にある。
もう一方の極には、いかなるスピーカーであろうと鳴らしきるだけの優秀なパワーアンプ。

パワーアンプという括りではいっしょにできないほど、このふたつの極のアンプの性格は違う。

マッキントッシュのMC275は登場したときは、優秀なパワーアンプの極に属していた、ともいえる。
けれどMC275の登場から50年以上が経ち、
いまでは300Bのシングルアンプの極にぐっと近い位置にいるといえる。

Date: 11月 19th, 2012
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その3)

マイケルソン&オースチンのTVA1が現代のMC275と、当時いわれたのは、
なにもKT88のプッシュプルで出力がほぼ同じということだけでなく、
シャーシーがどちらもクロームメッキ処理されているということもあった。

KT88とクロームメッキ、ということでいえば、1983年に登場したフランスのジャディスのJA80もまた、
KT88にクロームメッキ・シャーシーの組合せだった。
JA80は、けれどAクラス動作(MC275、TVA1はABクラス)で80Wの出力を得るために、
KT88を4本使用したパラレルプッシュプル。

いま、これら3機種を集めて聴き較べをしてみたら、どういう結果になるんだろうか、と関心がある。
どれも、個性の強い(というより濃い)音を特色としている。
そういう音をベースにしていても、意外にも一色に塗ってしまう音とは違う。

しなやかさをきちんと持っている。
コントロールアンプを替えれば、カートリッジやCDプレーヤーを替えたりすれば、
その音色の違いを、それぞれのアンプ固有の音色の中に反映させる、という意味でのフレキシビリティの高さがある。

意外に思われるかもしれないけれど、MC275もフレキシビリティの高いアンプである。
これは以前書いていることだが、ステレオサウンドの試聴室で、MC275を鳴らしたことがある。

鳴らしたスピーカーシステムはBOSEの901に、アポジーのCaliper Signature、
コントロールアンプはあえて使わずにCDプレーヤーを直接接続。
音量調整はMC275の入力レベルコントロールで行った。

901とCaliper Signatureは、ずいぶんと異る面をいくつも持つスピーカーシステムで、
およそ共通するところはないように見える、このふたつのスピーカーをMC275を実にうまく鳴らしてくれた。

Caliper Signatureはインピーダンスが低いため、
トランジスターアンプでは大型の電源トランスと大容量のコンデンサーによるしっかりと余裕のある電源、
それに低インピーダンス負荷においても十分な電流供給能力をもつ出力段、
そういったことが要求されるわけで、必然的に大型パワーアンプと組み合わされることが多かった。

そういったアンプからみれば、MC275の出力は少ないし、規模も小さい。
リボン型の低インピーダンスのスピーカーシステムを鳴らしきるアンプとは思いにくい。

その印象はそう間違ってはいない。
Caliper Signatureに合うパワーアンプが鳴らしきる、という印象の音なのに対し、
MC275での音には、鳴らしきっている、という印象はない。
けれど、うまく鳴らしてくれる。
鳴らしきるパワーアンプでは聴けない表情をCaliper Signatureから抽き出してくれた。