Archive for category ブランド/オーディオ機器

Date: 4月 24th, 2014
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL 4320(その5)

「なよなよしたスピーカーはきらい」で、
「背筋がぴんとしていて目がきっとしている……そんなスピーカーにいつも惹かれてきた」黒田先生。

ステレオサウンド 100号の「究極のオーディオを語る」によれば、
ワーフェデールが最初のスピーカーで、次に岡先生から譲られたアコースティックリサーチのAR3。
この次がJBLの4320。

4320の次は同じJBLの4343。
その後、アクースタット、アポジーとつづく。

4320と4343。
同じJBLの、それも同じスタジオモニターとして開発されたスピーカーシステムなのだから、
例えばAR3と4320、4343とアクースタットの違い、アクースタットとアポジーDivaとの違い、
これらの違いにくらべれば、近い音のするスピーカーといえなくもない。

けれどそんな4320から4343へのスピーカー遍歴において、
黒田先生は4320を手元に残されている。

4343からアクースタットModel3へのとき、4343は手離されている。
アクースタットModel6からアポジーDivaへのときも、Model6は手離されている。
その黒田先生が、4320だけは、松島の家で鳴らされているわけである。

ここに4320のというスピーカーシステムの魅力があられわている。

Date: 4月 23rd, 2014
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL 4320(その4)

4320の系譜といえるJBLの2ウェイのスタジオモニターには、4325、4331がある。
4320を含めて中高域には2420コンプレッションドライバーと音響レンズつきの2307-2308ホーンを採用している。
エンクロージュアも共通といえる。

この3モデルの違いは主にウーファーにある。
4320は2215B、4325は2216、4331は2231Aであり、
クロスオーバー周波数は4320と4331が800Hz、4325は1.2kHzとなっている。

いずれも15インチ口径で、コルゲーションがはいったコーン型である。
f0は2215が20Hz、2216が24Hz、2231Aが16Hz。
再生周波数帯域は2215と2216が35~1200Hz、2231Aが25~2000Hz。
出力音圧レベルは2215が94dB/W/m、2216が96dB/W/m、2231Aが93dB/W/m。
磁束密度は2215と2216は11000gauss、2231Aは12000gauss。

参考までに1977年の時点で、2231Aが68000円、2215が82500円、2216が87800円となっている。

こんなスペックを書いたところで、それぞれのウーファーの音の違い、
さらにはこれらのウーファーを搭載した4320、4325、4331の音の違いがはっりきとしてくるわけではない。

それでも4320と4325のクロスオーバー周波数の違いはウーファーの違いに密接に関係していることで、
4320と4325の音の違いでもある。

4325は4320の改良モデルと受けとめている人もいるが、
4320と4325は実際には併売されていた事実からすると、
4325は4320のヴァリエーションのひとつという見方もできる。

4325の音について、井上先生がステレオサウンド 62号に書かれている。
     *
聴感上では、クロオーバー周波数が上がっているため、中域のエネルギーが増加して、いわゆる明快な音になったのが、4325の特長である。しかし、ウーファーを高い周波数まで使っているために、エネルギー的には中域が厚くなっているものの、質的にはやや伴わない面があり、4320ほどの高い評価は受けなかったのが実状である。
     *
もし黒田先生が4320ではなく4325を鳴らされていたら、
4343の導入時に手離されたのではないだろうか。
4331でもおそらくそうだった、と思う。
4320だから、譲るのをやめられたのであり、4320と4331の違いがはっきりとある。

Date: 4月 22nd, 2014
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL 4320(その3)

タンノイ・オートグラフは五味先生、JBL・4343は瀬川先生、マッキントッシュ・XRT20は菅野先生、
ボザーク・B310なら井上先生、エレクトロボイス・パトリシアン600は山中先生、JBL・パラゴンはやはり岩崎先生、
というように(他にもいくつもあげられる)、
私の中ではいくつかのスピーカーは、特定の人と分ち難く結びついている。

JBL・4320はというと、私の中では黒田先生ということになる。
ステレオサウンド 38号をみれば、菅野先生も4320を使われていたことがわかる。
JBLの375+537-500を中心とした3ウェイ・システムの他に、
ブラウン・L710、JBL・L26(4チャンネル用システム)と一緒に4320(2405を追加されている)がある。

菅野先生のリスニングルームは、その後60号に登場している。
このときには4320もL26もL710もなくなっていた。
その後わかったことだが、菅野先生の4320は井上先生のところにいっている。

菅野先生も使われていた4320なのだが、それでも私の中では4320といえば黒田先生がまず浮ぶ。
黒田先生といえば、人によっては同じJBLのスタジオモニターの4343、
4343の後にいれられたコンデンサー型のアクースタット、
さらにその後のアポジーDivaを思い浮べる人の方が多いように思う。

私も、黒田先生といえば、ということになると、4320よりもDivaやアクースタットを思い浮べる。
けれど、ここでは逆である。
JBL・4320といえば……、であるからだ。

ステレオサウンド 100号での黒田先生の文章が強く私の中で残っている。
     *
4343が運び込まれたとき、4320はある友人に譲る約束がしてあって、トラックの手配までしてあったが、なぜか別れ難かった。女房が「こんなにお世話になったのに悪いんじゃないの」と言ってくれたのを渡りに船と、「そうか」と譲るのをやめた。いまも松島の家で鳴っている。
     *
「究極のオーディオを語る」の中での一節だ。

Date: 4月 21st, 2014
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL Studio Monitor (4300series)

このところJBLの1970年代のスタジオモニターのことを立て続けに書いている。
4301、4311、4315、4320のことを書き始めた。

4301のことは昨年のいまごろ、「世代とオーディオ」というテーマで書いている。
(その6)まで書いている。実はこれで4301については終りだった。
それをまたひっぱり出して続きを書き出したのは、ちょうど4301本目だったからである。

2008年9月から書き始めた、このブログも4300本以上になった。
4300という数字は、特に切りの良い数字ではないけれど、
1970年代後半からオーディオに夢中になった者にとって、4300という数字は特別である。
もちろんまったくそんなことは感じないという人も少なくないのはわかっている。
それでも瀬川先生の文章を読み、JBLの4343に夢を抱いてきた私にとっては、
4300台の数字は無視して通りすぎることはできない。

だから4301本目に4301のことを、
4311本目に4311のこと、4315本目に4315のこと、4320本目に4320のことを書き始めた。
4350本目に4350を書き始めるまでは、これが続く。

Date: 4月 20th, 2014
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL 4320(その2)

JBL・4320は、いまのところ聴く機会がない。
4331、4333は何度かあったけれど、4320は見かけるだけで終ってしまっている。

ユニット構成、エンクロージュアから安直に判断すれば4320は、4331を聴けば十分だろう、ということになる。
けれどほんとうにそうのだろうか。

ステレオサウンド 62号には、井上先生による「JBLスタジオモニター研究」が載っている。
4320について書かれている。
     *
 余談ではあるが、当時、4320のハイエンドが不足気味であることを改善するために、2405スーパートゥイーターを追加する試みが、相当数おこなわれた。あらかじめ、バッフルボードに設けられている、スーパートゥイーター用のマウント孔と、バックボードのネットワーク取付用孔を利用して、2405ユニットと3105ネットワークを簡単に追加することができたからだ。しかし、結果としてハイエンドはたしかに伸びるが、バランス的に中域が弱まり、総合的には改悪となるという結果が多かったことからも、4320の帯域バランスの絶妙さがうかがえる。
 ちなみに、筆者の知るかぎり、2405を追加して成功した方法は例外なく、小容量のコンデンサーをユニットに直列につなぎ、わずかに2405を効かせる使い方だった。
     *
このことが、62号を読んだ時にひっかかった。
4320と4331が同じような音(性格)のスピーカーだとしたら、
2405の追加はJBL純正のネットワークでうまくいくはず。
なのに、井上先生は
「例外なく、小容量のコンデンサーをユニットに直列につなぎ、わずかに2405を効かせる使い方」とされている。

4331に2405を追加した4333のネットワークは、そういう仕様にはなっていない。
けれどうまくいっている。
ということは4320と4331は、見た目こそよく似ているけれど、ずいぶんと性格に違いがあるのではないか。

井上先生の記事を読んで、そう思うようになった。

Date: 4月 20th, 2014
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL 4320(その1)

数あるJBLのスタジオモニター、4300シリーズ中、もっとも名が知られているのはどれなのか。

4343の名前を真っ先に挙げたいところだが、
確かに日本のコンシューマー市場においては4343がそうなるだろうが、
世界的に見て、そしてコンシューマー市場だけではなくプロフェッショナルの世界まで含めると、
4320ということになるのではないだろうか。

4320は4300シリーズの最初のモデルである。
1971年に登場している。
4310も、この年である。

ウーファーは2215B、中高域ユニットには2420ドライバーに2307ホーン+2308音響レンズを採用。
2215BはD130に代表されるマキシマム・エフィシェンシー・シリーズではなく、
能率を多少犠牲にしても、
低域のレスポンスの拡大を図ったハイコンプライアンス型のリニア・エフィシェンシー・シリーズに属する。
クロスオーバー周波数は800Hz。

4320は1970年代のプロフェッショナル界において、
スタジオモニター市場をほぼ制圧したといえるほど、成功した(売れた)ときいている。

その後、4320は4325になり、
4320をベースの3ウェイ・モデルの4333と同時に登場した4331へと引き継がれていく。

Date: 4月 20th, 2014
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL 4315(その2)

JBLの4315がいったいどういうスピーカーシステムなのかは、ステレオサウンドだけを読んでいてはわからなかった。
ステレオサウンドがその当時出していたHi-Fi STEREO GUIDEを、その年はじめて買って、やっとわかった。

4ウェイのスタジオモニターだった。
ウーファーは12インチ口径、ミッドバスは8インチ口径、ミッドハイは5インチ口径のコーン型で、
トゥイーターのみがホーン型の2405だった。

JBLのスタジオモニターの4300シリーズのユニットは、
他の機種に関しては型番の表示がHi-Fi STEREO GUIDEに載っていた。
4315に関しては2405の型番しか載っていなかった。

ずいぶん後でわかったことだが、ウーファーは4315専用に開発された2203、
ミッドバスも新開発の、3インチのボイスコイル系の2108、
ミッドハイはユニット単体で発売されていた2105である。

これらのユニットをW52.0×H85.0×D28.0cmのエンクロージュアにおさめ、
クロスオーバー周波数は400Hz、2kHz、8kHzとなっている。
4315もほかの4300シリーズ同様、ウォールナット仕上げの4315WX(470000円)が用意されていた。

4315を知ったばかりの、このころの私には4343のスケールダウンモデルに思えて、
4333Aや4331Aよりも聴いてみたいスピーカーシステムだった。

Date: 4月 19th, 2014
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL 4315(その1)

オーディオに興味を持ちはじめて1年経つか経たないかという私にとって、
ステレオサウンド 43号はいろんなオーディオ機器を知る上でも役に立った一冊だった。

43号の特集はベストバイで、
このころのベストバイはいまのステレオサウンドの誌面構成・編集方針と違い、
ベストバイに選ばれたオーディオ機器については、選んだオーディオ評論家によるコメントがすべてついていた。

ただひとりだけが選んだモノに関しては、
ブランド名、型番、価格と選んだ人の名前だけだった。

それだけでも、世の中にはこんなに多くのスピーカーやアンプ、カートリッジがあるのか、
写真もスペックもないブランド名と型番、価格という、限られた情報からいったいどんな機種なのか、
そんなことを空想もしていた。

スピーカーシステムのベストバイの、この欄にJBLの4315があった。
山中先生だけが選ばれていた。
1977年の4315の価格は455000円。

何も知らない者にとって、4315という型番はブックシェルフ型のようにも思われた。
けれど価格は決して安くない。
4333Aがこのとき559000円、2405がついていない2ウェイの4331Aが488000円。

価格からのみ判断するとフロアー型なのか。
フロアー型とすれば、どういうユニット構成なのかが気になる。

Date: 3月 31st, 2014
Cate: audio-technica

松下秀雄氏のこと(その3)

先週facebookで知ったニュースがある。

オーディオテクニカの創業者、松下秀雄氏のコレクションが福井県に寄贈された、とある。
オーディオに関係するいいニュースだ。

この項の(その2)で「土」について書いた。
これに関連して、別の項でも「土」について書いた。

今回のニュースで思ったのは、松下秀雄氏のコレクションが、
新たな「土」になるであろうことだ。

この「土」はそう広くはないかもしれない。
けれど、大事にしなければならない「土」であるはずだ。

Date: 3月 22nd, 2014
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その7)

たしかに松田聖子の声の質感はガラードとオルトフォンによる音のほうが、滑らかだった。
それでも気になるのは、松田聖子の歌手としての力量をどちらのプレーヤーがより正確に伝えてくれるか、
正確に再現してくれるか、という視点に立てば、私には930stのほうが、より正確に感じられる。

ガラードでの声の滑らかさはよかった。
それでもガラードでの松田聖子は、EMTでの松田聖子ほど歌手として堂々としているようには感じられなかった。

このへんは松田聖子に対する思い入れによっても評価は分れるかもしれない。
松田聖子の声・歌に何を求めたいのか。

松田聖子の熱心な聴き手であれば、親密感を求めるのかもしれない。
930stでの松田聖子は、人によっては立派すぎると感じるかもしれないところもある。
その意味では、親密感は稀薄ともいえよう。

それでもひとりのプロの歌手として松田聖子を聴きたいのであれば、やはり930stを私はとる。
私は松田聖子のレコードをかけたときに、そこに親密感を求めてはいないからである。

ガラードとオルトフォンでの松田聖子は声の質感だけでなく、
930stほど、各演奏者の距離感が適切には表現されていない。
そのため、こじんまりとしたスタジオで録音している雰囲気が漂う。

これもまた親密感ということではうまく働いてくれるのかもしれない。

Date: 3月 19th, 2014
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その6)

EMT・930stで松田聖子の歌が鳴ってきたとき、
少しばかり粗いところが残っている気もした。

でも、聴く前にしばらく930stを使っていなかったことを聞いていたし、
自分でも使っていたアナログプレーヤーであるから、
細かな調整を行うことで、そして通常的に使っていくことで、
いま気になっている点は解消できるという確信があったので、
松田聖子に特に思い入れをもたない聴き手の私は、その点はまったく気にしていなかった。

けれど私の隣で聴いていた松田聖子の熱心な聴き手は、
その点がとても気になっていた、そうだ。

930stからガラード301のターンテーブルの上に松田聖子のLPが載せかえられ、
301とSPUの組合せでの音が鳴った時に、熱心な聴き手の彼は、満足していたようだった。

つまり彼は930stの松田聖子の歌に関しては評価していなかった。
だから、両者の音を聴いた後で、私が「やっぱり930st」といったのをきいて、
「なぜ?」と思ったらしい。

930stがなぜ良かったのかについて、前回書いたことを話すと、彼もそのことには同意する。
それでも松田聖子の歌(声)の質感がどうしても930stのそれはがまんできない、とのこと。

私も彼のいうことは理解できる。
互いに相手のいうこと・評価を理解していても、
松田聖子の熱心な聴き手の彼はガラード301とオルトフォンSPUの組合せによるシステム、
松田聖子の熱心な聴き手ではない私はEMT・930stというシステムを、ためらうことなくとる。

Date: 3月 15th, 2014
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その5)

930stのあとに、ガラード301のシステムで松田聖子を聴いていて、すぐに感じて思い出していたのは、
五味先生が930stについて書かれていた文章だった。
     *
 いわゆるレンジ(周波数特性)ののびている意味では、シュアーV15のニュータイプやエンパイアははるかに秀逸で、EMTの内蔵イクォライザーの場合は、RIAA、NABともフラットだそうだが、その高音域、低音とも周波数特性は劣化したように感じられ、セパレーションもシュアーに及ばない。そのシュアーで、たとえばコーラスのレコードをかけると三十人の合唱が、EMTでは五十人にきこえるのである。
     *
ガラード301にはオルトフォンのSPUがついていた。
SPUもシリーズ展開が多過ぎて、ぱっと見ただけでは、SPUのどれなのかはわかりにくい。
少なくともSPU Classicではなかった。もっと高価なSPUだった。
それにフォノイコライザーに関しても、
930stは内蔵の155stで、ガラード301のほうはコントロールアンプ内蔵のフォノイコライザーであり、
301のほうのフォノイコライザーの方が155stよりも新しい設計である。

155stには昇圧用と送り出しの二箇所にトランスが使われている。
ガラードの301のシステムにはかなり高価な昇圧トランスが使われていた。
このトランス自体も155stに内蔵のトランスよりも新しいモノだった。

だからというわけでもないが、周波数レンジ的にはガラード301+オルトフォンSPUのほうがのびていた。
けれど五味先生が書かれているように、
シュアーのV15での三十人の合唱がEMTでは五十人に聴こえるのと同じように、
私が聴いていたシステムでも、930stの方が広かった。

三十人が五十人にきこえる、ということは、それだけの広い空間を感じさせてくれるということでもある。
その意味で930stは、録音に使われた空間が広く感じられる。

こう書いていくと、930stが完璧なアナログプレーヤーのように思われたり、
私が930st至上主義のように思われたりするかもしれない。

けれど930stは欠点の少ないプレーヤーではないし、私自身、930st至上主義ではない。
ガラード301とSPUで聴けた松田聖子の声は、実にしっとりとなめらかだった。

Date: 3月 13th, 2014
Cate: LNP2, Mark Levinson

LNP2の音について思ったこと(その2)

はっきりと書いておくが、瀬川先生はLNP2の音を、麻薬的とか魅惑的な音色といったことは書かれていないし、
話されてもいない。

そんなことはない、読んだ記憶がある、という方は、
瀬川先生がLNP2について書かれたものを読み返してみればいい。
the Review (in the past)で読み返されるのもいいだろう。
それに瀬川先生の文章はかなりの分量をePUBにして公開している。
どちらにしても紙の本にはない機能としての検索がある。

LNP2の音を、麻薬的、魅惑的な音色だと思い込んでしまっている人には意外なことになろうが、
LNP2についての文章に、麻薬的とか魅惑的な音色につながるフレーズは出てこない。

少しだけ引用しておけば、おそらくLNP2について書かれたものでは最後になってしまった、
「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」の「いま、いい音のアンプがほしい」には、こうある。
     *
 レヴィンソンがLNP2を発表したのは1973年で、JBLのSG520からちょうど十年の歳月が流れている。そして、彼がピュアAクラスのML2Lを完成するのは、もっとずっとあとのことだから、彼もまた偶然に、プリアンプ型の設計者ということがいえ、そこのところでおそらく私も共感できたのだろうと思う。
 LNP2で、新しいトランジスターの時代がひとつの完成をみたことを直観した。SG520にくらべて、はるかに歪が少なく、S/N比が格段によく、音が滑らかだった。無機的などではない。音がちゃんと生きていた。
 ただ、SG520の持っている独特の色気のようなものがなかった。その意味では、音の作り方はマランツに近い──というより、JBLとマランツの中間ぐらいのところで、それをぐんと新しくしたらレヴィンソンの音になる、そんな印象だった。
 そのことは、あとになってレヴィンソンに会って、話を聞いて、納得した。彼はマランツに心酔し、マランツを越えるアンプを作りたかったと語った。
     *
マランツのModel 7の音について、瀬川先生は「中葉」と表現され、
《JBLよりもマッキントッシュよりも、マランツは最も音のバランスがいい。それなのに、JBLやマッキントッシュのようには、私を惹きつけない。私には、マランツの音は、JBLやマッキントッシュほどには、魅力が感じられない。》
とも続けられている。

そういうマランツのModel 7に近い音であるLNP2には、だからSG520の「独特の色気」はない。

もしLNP2の音に「独特の色気」があったならば、麻薬的とか魅惑的な音色という表現もでてこようが、
これらの言葉は、実際のLNP2の音をあらわしているとはいえない。

なのに、なぜLNP2の音をそう思う人がいるのだろうか。

Date: 3月 12th, 2014
Cate: LNP2, Mark Levinson

LNP2の音について思ったこと(その1)

そういう意図で書いたつもりではないのに……、ということはままある。
そういうとき、私の書き方が拙かったかな、とは一応思うようにしている。
どう書けば、きちんと伝わるようになるのか、そのことを考えないわけではない。

でも、どんなに考え尽くしても、そうして書いた文章を読んだ全ての人に伝わるかといえば、
まずそんなことはない、といえる。

それはお前の文章が拙いだけだろう、といわれるかもしれないが、
これまで五味先生、瀬川先生の文章を読んできたという人と話してみると、
えっ、そこの文章をそういうふうに受けとめるの? と思うことは少なからずあった。

私が間違って(歪んで)受けとめている可能性もある。
どちらがどうということよりも、五味先生、瀬川先生の文章ですらそうなのだから、ということに少々驚く。

先頃もそんなことを考えさせられることがあった。
マークレビンソンのLNP2を最近聴く機会のあった人が、こんなことをいっていた。
「巷で云われているような、麻薬的、魅惑的な音ではないんですね」

LNP2は、麻薬的でも魅惑的ともいえる音色をもっているアンプではない。
瀬川先生もそういうことは書かれていない。

けれど、「巷で云われているような、麻薬的、魅惑的な音ではないんですね」といった人は、
どうも瀬川先生の書かれたものから、そういうふうに読みとっているように、私には感じられた。

これははっきりと確認したわけではないから、私が話していてそう感じただけのことで、
決してそんなことはない、そういうアンプではない、と言おうかとも思ったけれど、
ここで書くことにした。

Date: 3月 9th, 2014
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その4)

松田聖子は、CBSソニーというレコード会社にとって稼ぎ頭であったはずだ。
であれば、松田聖子のレコーディングには、それなりのお金も手間もかけていたように思う。

昔既オーディオ雑誌で、CBSソニーのスタジオが記事になったことがある。
そこで、かなり広いスタジオがあった、と記憶している。

930stで松田聖子を聴いていて、実はそんなことを思っていた。
CBSソニーは、松田聖子をアイドル歌手としてではなく、稼ぎ頭の歌手として扱っている。
だから録音も丁寧に行っているし、贅沢にも行っている。

930stでの松田聖子では、広いスタジオで歌っているように聴こえるのだ。

だからといって、ここで書いたことが事実なのかどうかは知らない。
松田聖子がどういうスタジオで録音していたのかの詳細は何も知らない。

知らないけれど、そこで鳴っていた音は、そう感じさせてくれたし、
このことがガラード301を中心としたシステムとの、いちばんの音の違いでもあった。