Archive for category ブランド/オーディオ機器

Date: 4月 20th, 2014
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL 4315(その2)

JBLの4315がいったいどういうスピーカーシステムなのかは、ステレオサウンドだけを読んでいてはわからなかった。
ステレオサウンドがその当時出していたHi-Fi STEREO GUIDEを、その年はじめて買って、やっとわかった。

4ウェイのスタジオモニターだった。
ウーファーは12インチ口径、ミッドバスは8インチ口径、ミッドハイは5インチ口径のコーン型で、
トゥイーターのみがホーン型の2405だった。

JBLのスタジオモニターの4300シリーズのユニットは、
他の機種に関しては型番の表示がHi-Fi STEREO GUIDEに載っていた。
4315に関しては2405の型番しか載っていなかった。

ずいぶん後でわかったことだが、ウーファーは4315専用に開発された2203、
ミッドバスも新開発の、3インチのボイスコイル系の2108、
ミッドハイはユニット単体で発売されていた2105である。

これらのユニットをW52.0×H85.0×D28.0cmのエンクロージュアにおさめ、
クロスオーバー周波数は400Hz、2kHz、8kHzとなっている。
4315もほかの4300シリーズ同様、ウォールナット仕上げの4315WX(470000円)が用意されていた。

4315を知ったばかりの、このころの私には4343のスケールダウンモデルに思えて、
4333Aや4331Aよりも聴いてみたいスピーカーシステムだった。

Date: 4月 19th, 2014
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL 4315(その1)

オーディオに興味を持ちはじめて1年経つか経たないかという私にとって、
ステレオサウンド 43号はいろんなオーディオ機器を知る上でも役に立った一冊だった。

43号の特集はベストバイで、
このころのベストバイはいまのステレオサウンドの誌面構成・編集方針と違い、
ベストバイに選ばれたオーディオ機器については、選んだオーディオ評論家によるコメントがすべてついていた。

ただひとりだけが選んだモノに関しては、
ブランド名、型番、価格と選んだ人の名前だけだった。

それだけでも、世の中にはこんなに多くのスピーカーやアンプ、カートリッジがあるのか、
写真もスペックもないブランド名と型番、価格という、限られた情報からいったいどんな機種なのか、
そんなことを空想もしていた。

スピーカーシステムのベストバイの、この欄にJBLの4315があった。
山中先生だけが選ばれていた。
1977年の4315の価格は455000円。

何も知らない者にとって、4315という型番はブックシェルフ型のようにも思われた。
けれど価格は決して安くない。
4333Aがこのとき559000円、2405がついていない2ウェイの4331Aが488000円。

価格からのみ判断するとフロアー型なのか。
フロアー型とすれば、どういうユニット構成なのかが気になる。

Date: 3月 31st, 2014
Cate: audio-technica

松下秀雄氏のこと(その3)

先週facebookで知ったニュースがある。

オーディオテクニカの創業者、松下秀雄氏のコレクションが福井県に寄贈された、とある。
オーディオに関係するいいニュースだ。

この項の(その2)で「土」について書いた。
これに関連して、別の項でも「土」について書いた。

今回のニュースで思ったのは、松下秀雄氏のコレクションが、
新たな「土」になるであろうことだ。

この「土」はそう広くはないかもしれない。
けれど、大事にしなければならない「土」であるはずだ。

Date: 3月 22nd, 2014
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その7)

たしかに松田聖子の声の質感はガラードとオルトフォンによる音のほうが、滑らかだった。
それでも気になるのは、松田聖子の歌手としての力量をどちらのプレーヤーがより正確に伝えてくれるか、
正確に再現してくれるか、という視点に立てば、私には930stのほうが、より正確に感じられる。

ガラードでの声の滑らかさはよかった。
それでもガラードでの松田聖子は、EMTでの松田聖子ほど歌手として堂々としているようには感じられなかった。

このへんは松田聖子に対する思い入れによっても評価は分れるかもしれない。
松田聖子の声・歌に何を求めたいのか。

松田聖子の熱心な聴き手であれば、親密感を求めるのかもしれない。
930stでの松田聖子は、人によっては立派すぎると感じるかもしれないところもある。
その意味では、親密感は稀薄ともいえよう。

それでもひとりのプロの歌手として松田聖子を聴きたいのであれば、やはり930stを私はとる。
私は松田聖子のレコードをかけたときに、そこに親密感を求めてはいないからである。

ガラードとオルトフォンでの松田聖子は声の質感だけでなく、
930stほど、各演奏者の距離感が適切には表現されていない。
そのため、こじんまりとしたスタジオで録音している雰囲気が漂う。

これもまた親密感ということではうまく働いてくれるのかもしれない。

Date: 3月 19th, 2014
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その6)

EMT・930stで松田聖子の歌が鳴ってきたとき、
少しばかり粗いところが残っている気もした。

でも、聴く前にしばらく930stを使っていなかったことを聞いていたし、
自分でも使っていたアナログプレーヤーであるから、
細かな調整を行うことで、そして通常的に使っていくことで、
いま気になっている点は解消できるという確信があったので、
松田聖子に特に思い入れをもたない聴き手の私は、その点はまったく気にしていなかった。

けれど私の隣で聴いていた松田聖子の熱心な聴き手は、
その点がとても気になっていた、そうだ。

930stからガラード301のターンテーブルの上に松田聖子のLPが載せかえられ、
301とSPUの組合せでの音が鳴った時に、熱心な聴き手の彼は、満足していたようだった。

つまり彼は930stの松田聖子の歌に関しては評価していなかった。
だから、両者の音を聴いた後で、私が「やっぱり930st」といったのをきいて、
「なぜ?」と思ったらしい。

930stがなぜ良かったのかについて、前回書いたことを話すと、彼もそのことには同意する。
それでも松田聖子の歌(声)の質感がどうしても930stのそれはがまんできない、とのこと。

私も彼のいうことは理解できる。
互いに相手のいうこと・評価を理解していても、
松田聖子の熱心な聴き手の彼はガラード301とオルトフォンSPUの組合せによるシステム、
松田聖子の熱心な聴き手ではない私はEMT・930stというシステムを、ためらうことなくとる。

Date: 3月 15th, 2014
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その5)

930stのあとに、ガラード301のシステムで松田聖子を聴いていて、すぐに感じて思い出していたのは、
五味先生が930stについて書かれていた文章だった。
     *
 いわゆるレンジ(周波数特性)ののびている意味では、シュアーV15のニュータイプやエンパイアははるかに秀逸で、EMTの内蔵イクォライザーの場合は、RIAA、NABともフラットだそうだが、その高音域、低音とも周波数特性は劣化したように感じられ、セパレーションもシュアーに及ばない。そのシュアーで、たとえばコーラスのレコードをかけると三十人の合唱が、EMTでは五十人にきこえるのである。
     *
ガラード301にはオルトフォンのSPUがついていた。
SPUもシリーズ展開が多過ぎて、ぱっと見ただけでは、SPUのどれなのかはわかりにくい。
少なくともSPU Classicではなかった。もっと高価なSPUだった。
それにフォノイコライザーに関しても、
930stは内蔵の155stで、ガラード301のほうはコントロールアンプ内蔵のフォノイコライザーであり、
301のほうのフォノイコライザーの方が155stよりも新しい設計である。

155stには昇圧用と送り出しの二箇所にトランスが使われている。
ガラードの301のシステムにはかなり高価な昇圧トランスが使われていた。
このトランス自体も155stに内蔵のトランスよりも新しいモノだった。

だからというわけでもないが、周波数レンジ的にはガラード301+オルトフォンSPUのほうがのびていた。
けれど五味先生が書かれているように、
シュアーのV15での三十人の合唱がEMTでは五十人に聴こえるのと同じように、
私が聴いていたシステムでも、930stの方が広かった。

三十人が五十人にきこえる、ということは、それだけの広い空間を感じさせてくれるということでもある。
その意味で930stは、録音に使われた空間が広く感じられる。

こう書いていくと、930stが完璧なアナログプレーヤーのように思われたり、
私が930st至上主義のように思われたりするかもしれない。

けれど930stは欠点の少ないプレーヤーではないし、私自身、930st至上主義ではない。
ガラード301とSPUで聴けた松田聖子の声は、実にしっとりとなめらかだった。

Date: 3月 13th, 2014
Cate: LNP2, Mark Levinson

LNP2の音について思ったこと(その2)

はっきりと書いておくが、瀬川先生はLNP2の音を、麻薬的とか魅惑的な音色といったことは書かれていないし、
話されてもいない。

そんなことはない、読んだ記憶がある、という方は、
瀬川先生がLNP2について書かれたものを読み返してみればいい。
the Review (in the past)で読み返されるのもいいだろう。
それに瀬川先生の文章はかなりの分量をePUBにして公開している。
どちらにしても紙の本にはない機能としての検索がある。

LNP2の音を、麻薬的、魅惑的な音色だと思い込んでしまっている人には意外なことになろうが、
LNP2についての文章に、麻薬的とか魅惑的な音色につながるフレーズは出てこない。

少しだけ引用しておけば、おそらくLNP2について書かれたものでは最後になってしまった、
「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」の「いま、いい音のアンプがほしい」には、こうある。
     *
 レヴィンソンがLNP2を発表したのは1973年で、JBLのSG520からちょうど十年の歳月が流れている。そして、彼がピュアAクラスのML2Lを完成するのは、もっとずっとあとのことだから、彼もまた偶然に、プリアンプ型の設計者ということがいえ、そこのところでおそらく私も共感できたのだろうと思う。
 LNP2で、新しいトランジスターの時代がひとつの完成をみたことを直観した。SG520にくらべて、はるかに歪が少なく、S/N比が格段によく、音が滑らかだった。無機的などではない。音がちゃんと生きていた。
 ただ、SG520の持っている独特の色気のようなものがなかった。その意味では、音の作り方はマランツに近い──というより、JBLとマランツの中間ぐらいのところで、それをぐんと新しくしたらレヴィンソンの音になる、そんな印象だった。
 そのことは、あとになってレヴィンソンに会って、話を聞いて、納得した。彼はマランツに心酔し、マランツを越えるアンプを作りたかったと語った。
     *
マランツのModel 7の音について、瀬川先生は「中葉」と表現され、
《JBLよりもマッキントッシュよりも、マランツは最も音のバランスがいい。それなのに、JBLやマッキントッシュのようには、私を惹きつけない。私には、マランツの音は、JBLやマッキントッシュほどには、魅力が感じられない。》
とも続けられている。

そういうマランツのModel 7に近い音であるLNP2には、だからSG520の「独特の色気」はない。

もしLNP2の音に「独特の色気」があったならば、麻薬的とか魅惑的な音色という表現もでてこようが、
これらの言葉は、実際のLNP2の音をあらわしているとはいえない。

なのに、なぜLNP2の音をそう思う人がいるのだろうか。

Date: 3月 12th, 2014
Cate: LNP2, Mark Levinson

LNP2の音について思ったこと(その1)

そういう意図で書いたつもりではないのに……、ということはままある。
そういうとき、私の書き方が拙かったかな、とは一応思うようにしている。
どう書けば、きちんと伝わるようになるのか、そのことを考えないわけではない。

でも、どんなに考え尽くしても、そうして書いた文章を読んだ全ての人に伝わるかといえば、
まずそんなことはない、といえる。

それはお前の文章が拙いだけだろう、といわれるかもしれないが、
これまで五味先生、瀬川先生の文章を読んできたという人と話してみると、
えっ、そこの文章をそういうふうに受けとめるの? と思うことは少なからずあった。

私が間違って(歪んで)受けとめている可能性もある。
どちらがどうということよりも、五味先生、瀬川先生の文章ですらそうなのだから、ということに少々驚く。

先頃もそんなことを考えさせられることがあった。
マークレビンソンのLNP2を最近聴く機会のあった人が、こんなことをいっていた。
「巷で云われているような、麻薬的、魅惑的な音ではないんですね」

LNP2は、麻薬的でも魅惑的ともいえる音色をもっているアンプではない。
瀬川先生もそういうことは書かれていない。

けれど、「巷で云われているような、麻薬的、魅惑的な音ではないんですね」といった人は、
どうも瀬川先生の書かれたものから、そういうふうに読みとっているように、私には感じられた。

これははっきりと確認したわけではないから、私が話していてそう感じただけのことで、
決してそんなことはない、そういうアンプではない、と言おうかとも思ったけれど、
ここで書くことにした。

Date: 3月 9th, 2014
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その4)

松田聖子は、CBSソニーというレコード会社にとって稼ぎ頭であったはずだ。
であれば、松田聖子のレコーディングには、それなりのお金も手間もかけていたように思う。

昔既オーディオ雑誌で、CBSソニーのスタジオが記事になったことがある。
そこで、かなり広いスタジオがあった、と記憶している。

930stで松田聖子を聴いていて、実はそんなことを思っていた。
CBSソニーは、松田聖子をアイドル歌手としてではなく、稼ぎ頭の歌手として扱っている。
だから録音も丁寧に行っているし、贅沢にも行っている。

930stでの松田聖子では、広いスタジオで歌っているように聴こえるのだ。

だからといって、ここで書いたことが事実なのかどうかは知らない。
松田聖子がどういうスタジオで録音していたのかの詳細は何も知らない。

知らないけれど、そこで鳴っていた音は、そう感じさせてくれたし、
このことがガラード301を中心としたシステムとの、いちばんの音の違いでもあった。

Date: 3月 9th, 2014
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(続々続バッファーアンプについての考察)

瀬川先生はLNP2のトーンコントロールを使われていた。
“EQ”スイッチのポジションは、だからINであったはずだ。

少なくともOUT 0dBポジションでは使われなかった、とみていいだろう。
となると、パッファーアンプを追加したLNP2の場合、
片チャンネルあたり四つのLD2モジュールは、NFBのかかり方が違うことになる。

JC2(ML1)の1dBステップの左右独立のレベルコントロールは、
何度か書いているようにラインアンプのNFB量を増減していて、
NFB量による音の変化を聴くことができる。
LNP2でもインプットアンプのゲインを切り替えることで、NFB量による音の違いを耳で確かめられる。

どのポジション(どのくらいのNFB量)が音がいいのかは、人によって違ってくるようで、
私はJC2を使っていたときは最大にしていたが、ここで絞る(NFB量を増やしてゲインを落す)ほうが、
いいという人もいることは知っている。

とにかくNFB量が変れば音は変化する。

LNP2に、NFB量100%のバッファーアンプを追加することで、
LD2へのNFBのかけ方のヴァリエーションが揃うことになる。
これによりLD2の表情は変化していっている。

つまりバッファーアンプを追加することで、LD2の新たな表情が加わるといえるのではないのか。

こう考えていくと、もし瀬川先生がLNP2のトーンコントロールを使われずに、
“EQ”スイッチをOUT 0dBポジションにされていたならば、
バッファーアンプを追加することで、バッファーアンプが二段重ねになってしまい、
バッファーアンプ追加による音の変化をよい方向とは認められなかった可能性も出てくる。

JC2でもフォノイコライザーアンプとラインアンプでは回路構成が違っていた。
国産、海外のコントロールアンプのほとんどが、そうであった。
その中にあってLNP2はすべてLD2というひとつのモジュールだけで構成していた。

この特殊性も、バッファーアンプ追加による音の変化と少なからず関わっている、といえる。

Date: 3月 9th, 2014
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(続々バッファーアンプについての考察)

LNP2のアウトプットアンプはトーンコントロール機能をそなえている。
高低音域だけでなく中音域もコントロールできる3バンドのトーンコントロールであり、
このトーンコントロールもNF型のはずだ。

ということはトーンコントロールを使うことで、
この段のLD2にかかるNFB量は変化していく。

LNP2には”EQ”というスイッチがある。
3ポジションで、トーンコントロール機能のON/OFFにあたるINとOUTのポジションの他に、
OUT 0dBというポジションもある。

OUT 0dBのポジションにすれば、トーンコントロールの三つのツマミをフラットにしていても、
アウトプットアンプのゲインに違いがでる。

いいかえればOUT 0dBポジションで使えば、
アウトプットアンプがバッファーアンプということになる。

バッファーアンプとは、buffer amplifierであり、bufferとは緩衝もしくは緩衝装置ということになる。
そしてバッファーアンプのゲインは0dBであることが特徴だ。
LNP2のように他のアンプ段と同じモジュールを使う場合、
100%NFBをかけることで、ゲインを0dB(増幅度:1)にする。

Date: 3月 9th, 2014
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(続バッファーアンプについての考察)

LNP2のフォノイコライザーはNF型である。
つまりNFB量に周波数特性をもたせることで、RIAAカーヴを実現している。

そのため周波数によってNFB量に違いが生じることになる。
仮にLNP2のモジュール(LD2)のオープンループ(NFBをかける前)の周波数特性が20kHzよりも延びていれば、
NF型の場合、1kHzを基準とすれば20Hzでは約20dB、NFB量が少ないし、
20kHzでは約20dB、NFBが多くかかることになる。
20Hzと20kHzとでは、この場合、NFB量に約40dBの違いが生じている。

ただ実際にオープンループの周波数特性が、20kHzまでフラットだったとは、
この時代のアンプという前提に立てば考えにくい。

LD2はオープンループゲインはそこそこ高いはずである。
インプットアンプのゲインは時期によって違うが、40dBまであげることができた。
ということはNFBをかけ40dBのゲインがあるということで、
十分なNFBをかけているのであれば、LD2のオープンループゲインはもっと高くなければならない。

それを裏づけることとして、JC2(ML1)のラインアンプモジュールをLNP2に挿すと、
うまく動作しない、ときいている。
反対にLNP2のモジュールLD2をJC2(ML1)に挿しても問題は生じない、らしい。

ということはJC2のラインアンプモジュールとLNP2のLD2モジュールは、
オープンループゲインがかなり違うのではないか、ということになる。

おそらくLD2のオープンループの周波数特性は可聴帯域のあるところから下降しているはず。
そうなると、周波数によるNFB量は、上に書いたようにはいかず、
20Hzと20kHzにおけるNFB量の違いは、40dBよりも小さな値になる。

フォノイコライザーにつづくインプットアンプは、
NFB量を変えることでゲイン切換が可能になっている、いわゆるフラットアンプである。

Date: 3月 8th, 2014
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(バッファーアンプについての考察)

LNP2のバッファーアンプ追加による音の変化については、もう少し書いていくが、
それとは別になぜLNP2にバッファーアンプを追加することで、音が良くなる可能性があるのかについて、書いてみたい。

オーディオの常識(それがどういうものかについてもほんとうに書くなのだろう)では、
ゲインが足りているのであれば、アンプの数は少ない方が、音の鮮度、透明感といった面では有利だし、
物理特性の面でも、どんなアンプでも無歪、無雑音ではないわけだから、
アンプの数が増えることで、音が良くなる可能性については、ないといえるし、理由もみつからない。

それでも音が良ければ(良くなれば)、オーディオの世界ではよし、とされるところもあるから、
LNP2にモジュールをもう一組追加してパッファーアンプを通すことにまったく価値・良さを見いだせない人、
瀬川先生のように音質が向上すると認める人がいても、それでいい世界である。

それでもLNP2にバッファーアンプを追加することで、音が良くなる要素はほんとうに何もないのだろうか。

LNP2はフォノイコライザー、インプットアンプ、アウトプットアンプ(トーンコントロール)を、
すべてLD2という同じモジュールで構成している。
パッファーアンプもLD2を使う。

実はこのことが音が良くなる理由につながってくるような気がする。
つまりNFBのかけ方が、すべて違ってくるからである。

Date: 3月 6th, 2014
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その3)

EMTの930stで聴いた松田聖子のレコードは、
それぞれの演奏者が適切な位置関係で鳴っている、という感じがあった。

松田聖子がアカペラで歌っていたら、
930stとガラードの301を中心としたプレーヤーシステムのどちらがいいのかを判断する時には、
松田聖子の熱心な聴き手ではない私でも、松田聖子の声のみにフォーカスすると思う。

けれどこの時聴いた松田聖子のレコードは、そんなアカペラのレコードではなかった。
(松田聖子にアカペラの曲があるのかも実は知らない)

当然楽器の演奏者が複数いる。
松田聖子は歌手だから、中央に位置しているし、しかも横一列の中央ではなく、
バックの演奏者、という表現がすでに示しているように、
彼らよりもすこし前に位置している。

その上で、松田聖子のバックにそれぞれの演奏者がいる。
この位置関係が、そしてそれぞれの距離関係が、930stで聴いていると、実に適切であるように聴こえる。

実際のレコーディング風景を知っているわけではないから、
930stが提示する松田聖子のレコードでの位置関係が、ほんとうに正しいものかどうかは断言はできない。
それでも930stが示す位置関係を聴いていると、そこに不自然さは感じないどころか、
くり返しになるが、適切な位置関係と感じられる。

そしてこのことと関係して、広いスタジオで歌っている感じが伝わってくる。

Date: 2月 28th, 2014
Cate: JC2, Mark Levinson

Mark Levinson JC-2(続×十・モジュール構成について)

手に入れなかったという、いわば不完全燃焼からの未練もないわけではない。
でも、それよりもずっと強いのは、私にとっての、あの時代のマークレビンソンのアンプは、
すべて瀬川先生と、その文章と深く結びついているということである。

ステレオサウンド 41号の瀬川先生のLNP2、JC2に関する文章。
     *
最近の可変抵抗器に新型が採用されたLNP2やJC2では、従来の製品よりもいっそう歪みが減少し解像力が向上し、音がよりニュートラルになっていることが明らかに聴きとれ、パーツ一個といえども音質に大きな影響を及ぼすことがわかる。レベルコントロールのツマミの向う側に何もついてないかのようにきわめて軽く廻ることで見分けがつく。
     *
ツマミの向う側に何もついてないかのようにきわめて軽く廻る──、
このことを確認できたのは三、四年後だった。

熊本に新しくできたオーディオ店にLNP2が置いてあった。
「触らないでください」とは、どこにも書かれていなかった。
それでもこっそりとLNP2のレベルコントロールのツマミを廻してみた。

確かに瀬川先生の書かれていたとおりに、何もついてないかのように軽く廻る。
たったそれだけのことでどきどきしていた時期があった。
まだ音は聴いたことがなかった。

こんなふうにして、
瀬川先生がマークレビンソンのアンプについて書かれたことを確認していくことが始まった。

ようするに私にとって、この時代のマークレビンソンのアンプに触れ、その音を聴くことは、
記憶を喚起すること以上に、記憶そのものといえるところがある。

いわば、この時代のマークレビンソンのアンプは外部記憶なのだろう。
ゆえに未練が断ち切れない、断ち切れるはずがない。