Archive for category ブランド/オーディオ機器

Date: 2月 23rd, 2015
Cate: 4343, JBL

40年目の4343(その7)

ステレオサウンド 58号に4345の記事が載っている。
瀬川先生生が書かれている。
そこにこうある。
     *
JBLのLCネットワークの設計技術は、L150あたりを境に、格段に向上したと思われ、システム全体として総合的な特性のコントロール、ことに位相特性の補整技術の見事さは、こんにちの世界のスピーカー設計の水準の中でもきめて高いレヴェルにあるといえ、おそらくその技術が♯4345にも活用されているはずで、ここまでよくコントロールされているLCネットワークに対して、バイアンプでその性能を越えるには、もっと高度の調整が必要になるのではないかと考えられる。
     *
4343と4345の直接比較による試聴記事。
瀬川先生の文章を何度もくり返し読んだ。
読めば読むほど、4345のプロポーションの悪さが、
自分のモノとしてときにはどう感じるのだろうか。
買えるあてなどなかったけれど、そんなことを想像していた。

4343と4345が並んでいる写真もあった。
4343のままで、4345に近い音がしてくれれば、とも何度も思いながら読んでいたから、
4345のネットワークを4343に換装したらどうなるのだろうか、
JBLは4343の次のモデルで4345のネットワークと同じレベルのネットワークを搭載しないのか、
そんなことも思っていた。

4343は4344になった。
4344は4343の後継機というよりも、私にとっては4345のスケールダウンモデルにしか見えなかった。
4344のネットワークは、発表された回路図をみるかぎりでは、4345のネットワークとまったく同じである。

それならば4345のネットワークはそのまま4343に使っても、いい結果が得られる可能性が高いのではないか。
このころから、私の4343計画は始まっていた、といえる。

Date: 2月 23rd, 2015
Cate: 4343, JBL

40年目の4343(その6)

記事のタイトルが「名作4343を現代に甦らせる」ではなく、
「4343のユニットを現在に使う」とか「4343のユニットの現代的再構築」といった感じであれば、
何も書かなかった。

あくまでも「名作4343を現代に甦らせる」とあったからこそ、ここに書いている。

あれだけの数売れたスピーカーシステムだから、いまも所有されている人はけっこう多いし、
あのころ学生で買えなかった人が、中古の4343を手に入れていることも少なくない。

4343がいまもメインスピーカーである人、
メインスピーカーは別にあるけれども、4343が欲しかったから、という人、
いろいろな人がいる。

その人たちは、いまどういうふうに4343をみているのだろうか。
2016年には誕生40年に迎えるスピーカーシステムである。

いまもメインスピーカーとして使えるだけの実力をもつともいえるし、
細部を検討していくと、部分的にはどうしても……、と思えるところがないわけではない。

実際に行動にうつすかどうかは別として、
4343ユーザーなら、来年の4343誕生40周年を迎えるにあたって、
4343をどうしようか、ということを考えてみてはいかがだろうか。

徹底的にメンテナンスして、できるかぎりオリジナルの状態を保ったままで、これからも鳴らしていくのか。
オリジナルといっても、厳密な意味では発売当時の状態には戻せない。
コーン紙の製造工場も変っているし、工場が同じだとしても、
当時と同じ森林からパルプの材料となる木材を切り出しているわけではない。

細かくみていけばいくほど、1976年当時のオリジナルの状態に戻すことは、はっきりいえば不可能である。
オリジナル度に関しては、本人がどの程度で満足するか、でしかない。

ならば40年を機に手を加えてみる案はどうだろうか。
ステレオサウンドの記事のようにユニットだけを取り出して再利用して、
4343とはまったく別モノのスピーカーシステムに仕上げるのも考えられる。

私がここで書いていきたいのは、4343のアイデンティティを維持したまま、
どこまでやっていけるかである。

Date: 2月 22nd, 2015
Cate: 4343, JBL

40年目の4343(その5)

「名作4343を現代に甦らせる」という記事に対して否定的である私でも、
全面的に否定しているわけではないし、この記事の筆者である佐伯多門氏を否定・批判したいわけでもない。

佐伯多門氏は、いわばダイヤトーン・スピーカーの顏といえる人であった。
私がオーディオに興味をもちはじめた1976年、すでに佐伯氏はそういう人であった。
ダイヤトーン(三菱電機)には、こういう技術者がいるのか、と受けとめていた。

いま佐伯多門氏は無線と実験誌にスピーカーの歴史について執筆されている。
いい記事である。
こういう連載は、一冊の本にまとめてほしいし、
紙の本はどんなに良書であってもいつの日か絶版になる。
佐伯多門氏の連載は十年、二十年……、もっと後になればなるほど資料的には増していく内容である。
だからこそ絶版には基本的にはならない電子書籍でも出版してもらいたい。

佐伯多門氏はスピーカーの技術者である。
スピーカーの技術に関しての理解は、私の及ぶところではない。
けれど、ここがオーディオの難しいところだが、
スピーカーの技術を理解している人だからといって、他社製のスピーカーシステムを理解できるとは限らない。

他社製のスピーカーシステムを技術的に説明することはできても、
製品としてのスピーカーシステムの理解は、また別のものである。

私はそう考えているからこそ、「名作4343を現代に甦らせる」にはもうひとり別の人が必要だった、とする。
スピーカー技術に対しての理解は佐伯多門氏よりも低くていいけれど、
製品としてのスピーカーシステムへの理解が深くしっかりしている人が、最初から必要だったのである。

適任は井上先生だった。
ずっと以前のステレオサウンドに連載されたコーネッタの記事。
これを読み憶えている人は、どうしても「名作4343を現代に甦らせる」と比較してしまう。

そして井上先生の不在の大きさを感じてしまう。
オーディオ評論家を名乗っているだけの人ではだめなのだ。

「名作4343を現代に甦らせる」は、
4343を現代に甦らせることはできなかった意味では失敗ともいえるが、
エンジニアとオーディオ評論家の違いを、そして両者の存在する意味を間接的に語っている。
オーディオ評論家の役目、役割についても、である。

Date: 2月 21st, 2015
Cate: 4343, JBL

40年目の4343(その4)

理解していない、理解しようともしない。
このことはオーディオ評論家にとっても、オーディオ雑誌の編集者にとっても致命的なことである。
理解しようともせずに、オーディオ機器の記事を書いている、つくっている、と告白しているのと同じである。
そのことに、なぜ彼らは気づかないのか。

彼らは、目の前にある4343もどきのスピーカーをどうすればよかったのか。
ハンマーで敲きこわす。
これだけである。

4343を理解していない人には、怒りはなかったのだろう。
そうとしか考えられない。

そして思い出す。
五味先生の文章を思い出す。
     *
 とはいえ、これは事実なので、コンクリート・ホーンから響いてくるオルガンのたっぷりした、風の吹きぬけるような抵抗感や共振のまったくない、澄みとおった音色は、こたえられんものである。私の聴いていたのは無論モノーラル時代だが、ヘンデルのオルガン協奏曲全集をくり返し聴き、伸びやかなその低音にうっとりする快感は格別なものだった。だが、ぼくらの聴くレコードはオルガン曲ばかりではないんである。ひとたび弦楽四重奏曲を掛けると、ヴァイオリン独奏曲を鳴らすと、音そのものはいいにせよ、まるで音像に定位のない、どうかするとヴィオラがセロにきこえるような独活の大木的鳴り方は我慢ならなかった。ついに腹が立ってハンマーで我が家のコンクリート・ホーンを敲き毀した。
 以来、どうにもオルガン曲は聴く気になれない。以前にも言ったことだが、ぼくらは、自家の再生装置でうまく鳴るレコードを好んで聴くようになるものである。聴きたい楽器の音をうまく響かせてくれるオーディオをはじめは望み、そのような意図でアンプやスピーカー・エンクロージァを吟味して再生装置を購入しているはずなのだが、そのうち、いちばんうまく鳴る種類のレコードをつとめて買い揃え聴くようになってゆくものだ。コレクションのイニシァティヴは当然、聴く本人の趣味性にあるべきはずが、いつの間にやら機械にふり回されている。再生装置がイニシァティヴを取ってしまう。ここらがオーディオ愛好家の泣き所だろうか。
 そんな傾向に我ながら腹を立ててハンマーを揮ったのだが、痛かった。手のしびれる痛さのほかに心に痛みがはしったものだ。
(フランク《オルガン六曲集》より)
     *
もちろん、このときの五味先生がおかれていた状況と、
4343もどきのスピーカーを前にした状況は決して同じではない。
けれど、どちらにも怒りがある。
何に起因する怒りなのかの違いはある。

けれど怒りは怒りであり、その怒りがハンマーをふりおろす。

こんなことを書いていると、またバカなことを……、と思う人はいてもいい。
そういう人は4343というスピーカーシステムを理解していない人なのだから、
そんな人になんといわれようと、気にしない、どうでもいいことだ。

「名作4343を現代に甦らせる」の連載の最後にふさわしいのは、
ほんとうはなんだったのだろうか。
そのことを考えないで、オーディオについて語ることはできない。

Date: 2月 21st, 2015
Cate: 4343, JBL

40年目の4343(その3)

「名作4343を現代に甦らせる」の連載が始まった時、
すこしは期待していた。同時にどうなるのか心配な面も感じていた。
回が進むごとに、ほんとうにこの連載をこのまま続けていくのか、と思うようになっていた。

「名作4343を現代に甦らせる」について、ここで詳細に語りたいわけではない。
「名作4343を現代に甦らせる」が掲載された号をひっぱり出してくれば、
書こうと思えば、どれだけでも書いていける。
そのくらい、「名作4343を現代に甦らせる」にはあれこれいいたいことがある。

だが書くのはひとつだけにしておく。
この記事を読んで感じたのは、
「名作4343を現代に甦らせる」の筆者の佐伯多門氏は、
JBLの4343というスピーカーシステムを理解していなかった人だということ。
理解していなくとも、「名作4343を現代に甦らせる」の連載を続けるのであれば、理解しようとするべきである。
だが理解しようとされなかった。

少なくとも記事を読んで、そう感じられた。
だが佐伯多門氏だけではない。
ステレオサウンドの編集者も4343というスピーカーシステムを誰ひとりとして理解していなかった、といえる。
4343に憧れていた人は、もう編集部にはいなかったのかもしれない。
そうであっても、理解しようとするべきであった。
それがまったくといっていいほど感じられなかった。

新製品の紹介記事や徹底解剖とうたった記事をつくる以上に、
この手の記事では、対象となるオーディオ機器への理解がより深く求められる。
にも関わらず……、である。
そのことにがっかりした。

そして連載の最後、無惨に変り果てた、もう4343とは呼べなくなってしまったスピーカーを試聴した人、
この人こそ、オーディオ評論家を名乗っているのだから、
もっともオーディオへの理解が深い人であるべきだし、
読者、さらには編集者にとっても、理解することにおいて手本となるべき人なのに、
まったくそうではなかったことに腹が立った。

Date: 2月 20th, 2015
Cate: 4343, JBL

40年目の4343(その2)

10年くらい前のステレオサウンドで「名作4343を現代に甦らせる」というタイトルの連載があった。

私が4343というスピーカーの存在を知ったころ、日本ではテクニクスのリニアフェイズ、
それからKEFのModel 105、キャバスのブリガンタンなどが登場していた。
これらのスピーカーシステムは、スピーカーユニットを階段状に配置して、
マルチウェイにおけるそれぞれのユニットのボイスコイル位置を合わせる、というものだった。
実際にはネットワークを含めてのリニアフェイズなのだが。

これらのスピーカーメーカーがカタログ、広告で謳っていることからすれば、
4343の四つのユニットのボイスコイルの位置はバラバラということになる。

これを合わせるにはどうしたらいいのか。
そんなことをしょっちゅう考えていた。

ボイスコイルの位置がいちばん奥まったところにあるのは、
ミッドハイである。ホーン型だから、ホーンの長さの分だけコーン型ユニットよりも奥に位置する。
つまりこのミッドハイのボイスコイルの位置に、ミッドバス、ウーファーのボイスコイルの位置を下げる。
そのためにはどうしたらいいのか。

このころのソニーのスピーカーにSS-G7があった。
このスピーカーのスコーカーとトゥイーターはドーム型で、
ボイスコイル位置が奥にあるのはコーン型のウーファーだから、
SS-G7ではウーファーをすこし前に張り出させることで位置合せを行っている。

ならば4343では逆のことをやればいい。
ウーファーを引っ込めて、ミッドバスはコーンの頂角の違いからもう少し引っ込める。
こんなことをするとウーファーとミッドバスにはフロントショートホーンをつけることになる。

こんなスケッチを当時よく描いていた。
でもフロントショートホーンをつけると、4343はもう4343ではなくなる。
どんなに頭をひねってみても、4343というかっこいいスピーカーは消失してしまう。

それを記事としてやってしまったのが、「名作4343を現代に甦らせる」だった。
唖然とした。

Date: 2月 19th, 2015
Cate: D130, JBL

ミッドバスとしてのD130(その9)

このテーマで書いていると、あれこれ思い出したり想像したりしている。
上杉先生のステレオサウンド 38号でのシステムのこともそうだし、
こんなことも想像している。

岩崎先生と井上先生が対談形式で、D130の組合せをそれぞれつくるとしたら、
どんな記事になるだろうか、である。

井上先生はD130は、マルチウェイシステムのミッドバス帯域(100〜500Hz近辺)用として使うのにも最適だ、
と書かれているから、ここでのテーマ通りの組合せをつくられると仮定する。

岩崎先生はどうだろうか。
平面バッフルに取り付けられる気がする。
予算やスペースの制約がなければ、1m×1m程度の大きさではなく、
2m×2mの平面バッフルにD130をつけ鳴らされるのではないだろうか。

井上先生はマルチウェイで、岩崎先生はフルレンジとしてD130の組合せをつくられる。
そんなことを想像している。

井上先生はウーファーにはどのユニットを使われるのか、
エンクロージュアはどうされるのか、上の帯域はどうされるのか。
アンプはマルチアンプなのか。

岩崎先生は、そのへんどうされるのか。
100dBをこえる能率をもつD130だが、パワーアンプは大出力のモノにされるような気もする。
それこそステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 4でのD130の試聴の際に、
音量をあげていったらコーヒーカップのスプーンがカチャカチャ音を立て始め、
それでも音量をあげていったら……、という瀬川先生の発言を思い出す。

瀬川先生はここで怖くなり音慮を下げられている。
岩崎先生ならば──、
その結果どういう記事ができあがるのか。
そんなことを想像するのは楽しい。

Date: 2月 18th, 2015
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(その17)

株、為替といったものは変動することで利益が生れる。
安定してしまっていたら、これらで利益を得ることはできないのではないだろうか。
そう考えると、いまの資本主義においては、変動こそが利益なのかもしれない、と思ってしまう。

だからそれぞれの業界は変動を必要とする。そうも思えてしまう。
ブームがあるのもそのためではないのか。

私はBBCモニターへの思い入れが強い。
BBCモニターが最高のかたちで復刻されるのは嬉しいし、
さらには新しいBBCモニターが開発されること(おそらくないだろうが)も望んでいる。

そうであるから、昨今のBBCモニターの復刻を好意的にみていきたい、という気持は強い。
それでも、復刻が続いている理由のひとつは、
BBCがライセンス料で稼ぎたいということが大きく絡んでいるような気がするのだ。

BBCモニターのLSナンバーを型番に使うには、BBCにライセンス料を収めなくてはならない。
だから当時は、同クラスのスピーカーシステムよりも、
LSナンバーがつくスピーカーは高価だった。
これはいまもそうだと思う。

もしかすると、いまはライセンス料が撤廃されているのかもしれない。
だとしても、最近のBBCモニターの復刻は、こういう世の中で利益を得るための変動要素なのではないか。
そう思えてしまうところがある。

そんなことはない、と払拭しようとしても、そう思える。
これは何もBBCモニターに関してだけではない、
アナログディスクのブームにも、同じような臭いを感じてしまう。

Date: 2月 18th, 2015
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(その16)

スピーカーの完成度は高くなり、完結しているのが理想ではある。
けれど完成度を高くすることを目指しているうちに、完結することを忘れてしまったスピーカーもある。

そういうスピーカーシステムのつくり手は、もしかすると完結していることを目指していないのかもしれない。
私は完成度の高さとともに完結していることをスピーカーに求めているけれど、
すべてのつくり手がスピーカーを完結させようとしているとは限らないし、
また受け手(鳴らし手)においても、私と同じように完結していることを求めている人もいれば、
ひたすら完成度の高さのみを求める人もいよう。

だから完成度が高く完結していることを理想とするのは、必ずしも一般的な理想とはいえないのかもしれない。
どちらが正しいということではなく、完結であることを求める人とそうでない人とでは、
スピーカーの評価も違ってくる。

BBCモニターは、いうまでもなくモニタースピーカーとして開発されたモノだ。
モニタースピーカーをどう定義するのかについて、ここで書いていくと、
いつまでも先に進めなくなるので割愛するが、
モニタースピーカーに完結していることは求められるのか。

私がこれまでに聴いてきたBBCモニターに感じてきた完結している良さは、
つくり手が意識していたことなのか、それとも聴き手(つまり私)の勝手な解釈にすぎないのか。

LS3/5A、LS3/6、LS5/9と復刻が続いているBBCモニターをじっくりと聴く機会はないものの、
なんとなく感じているのは、このことである。
なんとなくでしかないのだが、完結しているかどうかに関してのつくり手側の意識はないか、
稀薄になってしまったかのように感じてしまっている。

そこで、BBCモニター、復権か、と考えてしまう。

Date: 2月 18th, 2015
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(その15)

菅野先生が、ステレオサウンド 70号の特集の座談会でいわれたことを、いまも思い出す。
特集はComponents of the yearで、ダイヤトーンのDS1000が選ばれていて、
このスピーカーについての座談会で発言されている。

《スピーカーというのは、ものすごく未完成ではあるけれど、
ものすごく完結していなくては困るものだと思うんです。》

未完成であるけれど、ゆえに完結していくこることが求められるオーディオ機器が、
スピーカーシステムであることは、
歳を重ね、さまざまなスピーカーシステムを聴き、
スピーカーの進歩というものにふれていると、つよく実感できる。

ロジャースのPM510は未完成なスピーカーシステムだった。
けれど、PM510よりも完成度の高いほかのスピーカーシステムよりも、完結していた。

このことはLS3/5Aについてもいえる。
当時のLS3/5Aは、こまごまとした欠点を抱えているスピーカーではあったが、
ある条件下での完結した音の世界は確実にもっていたスピーカーであった。

そのことがひとりの聴き手のために親密に鳴ってくれる感じを醸し出していたのかもしれない。

昨秋のオーディオショウで聴いたスターリング・プロードキャストのLS3/5a V2は、
その点で疑問を感じている。
広いスペースでの鳴らし方ということもあったし、じっくり聴けたわけでもなかったので、
はっきりしたことはなんともいえないのだが、音色的にはLS3/5Aと感じても、
30年以上前に聴いて、購入したLS3/5Aに感じた良さはかなり薄れてしまっているかのようだった。

スピーカーとしての完成度はスターリング・プロードキャストのLS3/5a V2は高くなっているのかもしれない。
けれど完結しているということに関しては、いまのところなんともいえない。

Date: 2月 13th, 2015
Cate: KEF

KEF Model 109 “The Maidstone”(その6)

1983年春にステレオサウンド別冊として”THE BRITISH SOUND”が出た。
山中先生がイギリスの各オーディオメーカーを訪問されたのをメインとした本である。

KEFも訪ねられている。
KEFのページに、Model HLMの写真がある。

エンクロージュアの形はアコースティック・リサーチのLSTと同じで、
傾斜している両サイドにModel 105に搭載されているウーファーB300を二発ずつ、計四発、
スコーカー、トゥイーターもModel 105のユニットをそのまま採用している。
スコーカー(B110)は上下に二本、その間にトゥイーター(T52)が配置されている。
3ウェイ7スピーカーの、KEFとしてはかなり大がかりなシステムで、
このようなユニット配置をとったのは、垂直・水平方向の志向特性が対称になるようにである。

BBCの第4スタジオに、Model HLMはおさめられている。
けれど、このスピーカーシステムが製品化されることはなかった。

聴いてみたいとも思っていたけれど、
Model 105と使用ユニットは同じとはいえ、コンセプトは大きく違っているスピーカーシステムだけに、
そして写真でみる限り、いい音がしそうに思えなかったこともあり、
聴きたくないような気持もあった。

BBCの第4スタジオは、ロック・ポップス録音用のスタジオであることも、
Model HLMに、何かModel 105とは違う血筋のようなものを感じていた。

結局、KEF(レイモンド・クック)の1980年代以降の集大成となると、Uni-Qなのだろう。

Date: 2月 13th, 2015
Cate: KEF

KEF Model 109 “The Maidstone”(その5)

ステレオサウンド 54号。スピーカー特集でとりあげられたKEF Model 105SeriesIIの、
瀬川先生の試聴記。
     *
 数ヵ月前から自宅でリファレンス用として使っているので今回の試聴でも物差しがわりに使った。とくに、音のバランスが実によく練り上げられている。しかしこのスピーカーの特徴を聴くには、指定どおり、いやむしろ指定以上に、中〜高音域ユニットと聴き手の関係を、できるかぎり正確に細かく調整する必要がある。左右のスピーカーの正しい中央に坐り、焦点が合うと、スピーカーの内中央に歌い手が確実にそしてシャープに定位し、たとえば歌手の声(口)の位置と伴奏との、音源の位置──左右、奥行、そして(信じ難いことだが)高さの相違まで、怖いようなシャープさで鳴らし分ける。ただこのスピーカーの音色は、やや抑制の利いた謹厳実直型、あるいは音の分析者型、で、もう少し色っぽさやくつろぎが欲しくなることがある。また、ポップスではJBL的なスカッと晴れ渡った音とくらべると、ちょっと上品にまとまりすぎて物足りない思いをする。それにしても、価格やサイズとのかねあいで考えれば、たいした製品だ。
     *
このスピーカーシステムを指定以上に正確に細かく調整された音を、
しかも左右のスピーカーの中央で聴いた人はそういない、と思う。
聴いていない人は、この試聴記に書かれていることを信じられないかもしれない。

《焦点が合うと、スピーカーの内中央に歌い手が確実にそしてシャープに定位し、
たとえば歌手の声(口)の位置と伴奏との、音源の位置──左右、奥行、
そして(信じ難いことだが)高さの相違まで、怖いようなシャープさで鳴らし分ける。》
こう書いてある。

でも、これは決して誇張でもなんでもない。
私が熊本のオーディオ店で、瀬川先生が調整されたModel 105で聴いたバルバラのレコードは、
まさにここに書かれているとおりの音だった。

KEFのmodel 105を、
瀬川先生は《敬愛してやまないレイモンド・クックのスピーカー設計理論の集大成。》とされている。
(ステレオサウンド 47号より)

Model 105はレイモンド・クックの集大成といえるスピーカーシステムである。
1970年代までのクックの集大成である。

では1980年代以降の集大成は……、となる。

Date: 2月 12th, 2015
Cate: KEF

KEF Model 109 “The Maidstone”(その4)

1999年、36歳だった私も、今年は52歳。
それだけ歳をとれば同じモノをみても捉え方に変化を生じもする。
誰もそうであるように、変ったところもあれば、変らないところもある。

ワディアのPower DACについて書くためにステレオサウンド 133号をひっぱり出したついでに、
特集のComponents of the year賞のページを読みなおした。
“The Maidstone”は賞に選ばれている。

井上先生と菅野先生が次のように語られている。
     *
井上 オーディオ心をくすぐる快感があります。ナチュラルとはいわないけど。
菅野 そう。だけどとても印象に残る音なんだよ。肉付きもいいし。
井上 オープンな鳴り方でスケールが大きい。ここはかつてのKEFとはまったく違うところですね。それから、マルチウェイなのに、まとまりがいいですね。同軸一本が鳴っているような感じすらある。
     *
改めて読むと、”The Maidstone”を無性を聴きたくなった。
Model 105では、こういう音はしなかった。
どんなにアンプの選択を注意深くやろうとも、
オープンな鳴り方で肉付きのいい音は、Model 105からは出せなかった、と思う。

133号を読んで、こういうKEFもいいじゃないか。
こういう音はModel 105のようなエンクロージュア形態からは出しにくいのでは、とも思った。
幅広のバッフルがミッドバスと同軸型ユニットのところにあるからこその、”The Maidstone”の音だと思えば、
これはこれでいいな、と思えるようになっている。

もしレイモンド・クックが長生きして”The Maidstone”の開発に携わっていたら、
同じになっていたかもしれない、とも思うようになっている。

Date: 2月 12th, 2015
Cate: KEF

KEF Model 109 “The Maidstone”(その3)

レイモンド・クックも老いたな、と思えたのが気にくわなかった。
昔のクックなら、同じユニット構成でも、違うエンクロージュア構成としたはず、という確信があった。
そして、もしかして……、と思った。

調べたらレイモンド・クックは1995年に亡くなっている。
“The Maidstone”の形に納得できた。
クックが携わっていたのではなかった。

これで”The Maidstone”への興味はしぼんでいった。
聴きたい、という気持もなくなっていた。
あれば、どこかへ出掛けてでも聴いていた。

“The Maidstone”が気にくわなかったのには、もうひとつ理由がある。
なんとなくJBLの4343を模倣したようなところが感じられるからである。

4343を、JBLのスタッフがS9500のスタイルでつくりなおしたとしたら、
“The Maidstone”のような形になるのではないか。
そんなふうにも捉えていた。

4343も”The Maidstone”も、ウーファーは15インチ、ミッドバスは10インチ。
4343も”The Maidstone”も基本的にはインライン配置。
バスレフポートの位置と数も4343と”The Maidstone”は同じである。

4343はウーファーとミッドバスのあいだにスリットがある。
このスリットは4343のデザインになくてはならないものである。

“The Maidstone”もエンクロージュアが独立構造としたため、自然とスリットが生じる。
外形寸法も4343の横幅は63.5cm、”The Maidstone”は60cmと近い。

1999年の私は、レイモンド・クックが携わっていなかったというだけで、
“The Maidstone”から積極的に良さを見つけようとはしなかった。

Date: 2月 11th, 2015
Cate: KEF

KEF Model 109 “The Maidstone”(その2)

“The Maidstone”はエンクロージュアが独立している。
15インチ口径のウーファーをおさめたエンクロージュアの上に、10インチ口径のミッドバスのエンクロージュア、
さらにその上に6.5インチ口径と1インチ口径のドーム型の同軸型ユニットのエンクロージュアが乗っている。
親亀、子亀、孫亀といったところで、孫亀の上にはスーパートゥイーターがちょこんと乗っている。

Uni-Qを搭載したModel 105とでもいおうか。
ただModel 105はスコーカー、トゥイーターをおさめているエンクロージュアは横幅を狭めていた。
だから階段状になっていた。

“The Maidstone”でも同じことはできたにもかかわらず、
それぞれのエンクロージュアの横幅は同じである。
だから堂々とした体躯のスピーカーに仕上っている。
Model 105とは、ここが違う。

けれどModel 105には思い出がある。
熊本のオーディオ店に瀬川先生が来られた時に(それまでの定期的に来られていたのはまた違う企画だった)、
このModel 105を聴いた。
この時瀬川先生が、ちょっと待ってて、行って席をたち、
Model 105の調整をされた。おもにスピーカーの振りの調整だった。
女性ヴォーカルのレコードをかけて、スピーカーの向きをまずあわせ、
それからスコーカー・トゥイーターの振りと仰角の調整。
手際よくやらていた。
時間にすれば10分くらいだった。

そしてここに坐ってごらん、といい、その席を譲ってくれた。
ここまで見事に音像は定位するものだ、と体験できた。

このことがあるからことさらModel 105への思い入れは強い。
だから、なぜ”The Maidstone”は、ミッドバス、同軸型のエンクロージュアの横幅を狭めなかったのか。
それが気になっていた。そして気にくわなかった。