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Date: 12月 20th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACで、マリア・カラスを聴いた(その9)

「レコードうら・おもて」は1986年に出ている。
32年前に読んでいるわけだ。

そのころの私は23歳。
それほどマリア・カラスの録音を聴いていたとはいえなかった。

「レコードうら・おもて」はそんなころ読んでも面白い本だった。
けれど、今日、改めてマリア・カラスの章だけを読みなおして、
こんなにもおもしろい内容だったのか、と驚くとともに、
マリア・カラスの章に書かれいてることに深く頷くばかりだ。

読みながら、まったくそのとおり、そのとおり、心のなかでつぶやいている。
ようするに、「レコードうら・おもて」を最初に読んだ時、
私はマリア・カラスの熱心な聴き手とはいえなかっただけでなく、
マリア・カラスのほんとうのところをどれだけ聴いていたのか、
それすらも疑問であるような未熟な聴き手だったわけだ。

32年のあいだに、どれだけマリア・カラスの録音を聴いてきたかというと、
熱心に聴いてきた時期もあれば、まったく聴かなかった時期もある。
そうやって32年がすぎて、二週間ほど前にメリディアンのULTRA DACで、マリア・カラスを聴いた。

そして今日「レコードうら・おもて」を読んだ。
ULTRA DACで聴いていなければ、これほど頷かなかったかもしれない。

Date: 12月 20th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACで、マリア・カラスを聴いた(その8)

トゥリオ・セラフィンのことばを、三浦淳史氏の文章を読んだ記憶がある──、
そう書いておきながら、今日帰宅してふと書棚のなかの一冊に偶然目が行った。

あっ、これだ、この本だ、と確信をもって手にしたのは、
「レコードうら・おもて(原題:On and Off the Record)」である。
音楽之友社から出ている。
レッグ&シュヴァルツコップ回想録である。

この本に、ローザ・ポンセルの章とマリア・カラスの章がある。
そのどちらにもセラフィンのことばは出てくる。

マリア・カラスの章から引用しておこう。
     *
 自分をごまかしたり早死したりすると、短い時間に流星のように輝かしいキャリアを築いて早々に引退してしまった一人の有名なオペラ歌手に対する判断を誤ることになる。カラスという名前は、文明社会の到る所で日常的に耳にする言葉の一つだ。聴けばすぐそれと分かる声、人を引きつける個性、夥しい数のレコード、そしてひっきりなしに流されるセンセーショナルなニュースやゴシップ欄の話題のお陰で、カラスの名声は絶頂期のカルーソーすら及ばぬほど大きかった。だが、トゥリオ・セラフィンの慎重な判断を持ち出してバランスを取る必要がある。今世紀最高の歌手たちと六十年にわたって仕事をしてきた人の発言である。──「私の長い生涯に、三人の奇蹟に出会った──カルーソー、ポンセルそしてルッフォだ。この三人を除くと、あとは数人の素晴らしい歌手がいた、というにとどまる。」カラスの最も重要な教師であり、父親の役目も果たし、彼女の比類ないキャリアを築き上げたセラフィンであるのに、彼女を三つの奇蹟に入れなかった。カラスは「数人の素晴らしい歌手」の一人だったのだ。セラフィンの言葉は、本人は気付かなかったに違いないが、アーネスト・ニューマンがカラスのコヴェント・ガーデンへのデビューの際に評した言葉を繰り返していたことになる──「彼女は素晴らしい。だが、ポンセルではない。」
     *
だが、それでもマリア・カラスは女神(ディーヴァ)である。
それは「レコードうら・おもて」の目次からもわかる。

 序文 ヘルベルト・フォン・カラヤン
 はじめに エリーザベト・シュヴァルツコップ
 1 ウォルター・レッグ讃/ドール・ソリア
 2 自伝
 3 フィルハーモニー管弦楽団
 4 回転盤の独裁者──スタジオのレッグ/エドワード・グリーンフィールド
 5 ティッタ・ルッフォ
 6 ロッテ・レーマン
 7 ローザ──八十歳の誕生日を迎えたローザに敬意を表して
 8 エリーザベト・シュヴァルツコップ
 9 トマス卿
 10 オットー・クレンペラー
 11 女神──カラスの想い出
 12 アーネストニューマンとフーゴー・ヴォルフ
 13 ヘルベルト・フォン・カラヤン
 14 引退後の日々
 エピローグ

ローゼ・ポンセルのところにないことばが、マリア・カラスのところにはある。
「女神」だ。

Date: 12月 19th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACで、マリア・カラスを聴いた(その7)

いつのころからか、Diva(ディーヴァ)、もしくは歌姫という表現を、
頻繁に見かけるようになった。

この人(歌手)もディーヴァなのか、と思ってしまうほどに、ありふれてしまった。

私はグラシェラ・スサーナの歌が心底好きでも、
グラシェラ・スサーナのことを一度もディーヴァとおもったことはない。

それはディーヴァと呼ばれるにほんとうにふさわしい歌い手を知っているからだ。
マリア・カラスは、ほんとうにディーヴァである。

それでもトゥリオ・セラフィンは、
人生における三つの奇蹟として、カルーソー、ルッフォ、そしてポンセルの名を挙げている。
これも三浦淳史氏の文章で読んだと記憶している。

ポンセルとはソプラノ歌手のローザ・ポンセルのことだ。
マリア・カラスではなかった。

奇蹟といえる三人にはマリア・カラスは含まれていない。
マリア・カラスのことは非常に優れた歌い手の一人──、
そんなふうに記憶している。

ローザ・ポンセルの名を知ったのも、この時だった。
ポンセルのCDが、発売にもなっていた。
聴いたけれど、なにしろ録音が古すぎる。

ポンセルは1920年代から30年代にかけて活躍していた。
なので録音も少ないし、当然古い。

セラフィンのことばを疑うわけではないが、これではポンセルの凄さを、
私は感じとることができなかった。

ローザ・ポンセルこそディーヴァだ、とすれば、
マリア・カラスもディーヴァとは呼べない──、
そんなこともいえるのだろうが、
1963年生れの私にとっては、ポンセルもカラスも録音だけでしか聴けない。

これは私だけではない。
ほとんどの人にとっても同じはず。

ポンセルの実演を聴いたことがある人は、どれだけいるのか。
カラスでさえ、そうである。

ポンセルはほんとうに素晴らしいのであろう。
けれど聴けないことには、もう想像するしかない。
ならば、私にとって、そして私だけでなく多くの人にとって、
マリア・カラスこそディーヴァであろう。

もちろんディーヴァは一人だけなわけではない。
それでせ私にとって、ディーヴァと呼べる最初の歌い手は、
ふりかえってみても、マリア・カラスだった。

Date: 12月 15th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACで、マリア・カラスを聴いた(その6)

黒田先生は、「オペラへの招待」のカルメンの章の冒頭に、こう書かれている。
     *
「恋って、いうことをきかない小鳥のようなもの、飼いならそうとしたって、そんなこと、誰にもできない」
 カルメンは、そのようにうたう。カルメンがその登場の場面でうたう「ハバネラ」の冒頭である。この歌であきらかにされるのは、カルメンの、大袈裟にいえば人生観、あるいは恋愛観である。
「掟なんて、しったことではない。わたしを好きになってくれなくったって、わたしのほうで好きになってやる。わたしに好かれたら、気をつけたほうがいいよ!」
 カルメンは、「ハバネラ」で、こうもうたう。
 では、カルメンとはなにものか?
     *
カルメンとはなにものなのか?
マリア・カラスによる「ハバネラ」は、この問いへの答を見事に表現している。
今回、ULTRA DACでマリア・カラスの「ハバネラ」を聴いて、実感できた。

マリア・カラスの名前は、クラシックに興味を持つ以前から知ってはいた。
名前だけではある。
カラヤンの名前よりも先に知っていた。

マリア・カラスの録音で最初に買ったのは「カルメン」である。
それでも「カルメン」の録音で、マリア・カラスの「カルメン」よりも、
アグネス・バルツァの「カルメン」の方を聴いた回数は多かった。

「オペラへの招待」でも、
黒田先生は「カルメン」の推薦ディスクとしてあげられているのは、
バルツァによるカルメン、カラヤン指揮ベルリンフィルハーモニーによる録音と、
ベルガンサ、アバド指揮ロンドン交響楽団による録音である。

マリア・カラスの録音ではない。
私はロス・アンヘレス、ビーチャム指揮フランス国立管弦楽団による録音も好きなのだが、
バルツァ盤を20代のころ聴いていたのは、録音のよさも関係してのことだ。

そのころの私は、カラスの「カルメン」をそれほどうまく鳴らせていなかった。

そういえばアグネス・バルツァはギリシャ人である。
マリア・カラスはギリシャ系アメリカ人である。
ギリシャの血をひく歌手が、カルメンには向いているのか。

それはともかくとして、今回ULTRA DACで、カラスの「ハバネラ」を堪能できた、とさえ感じている。
これは私だけではなかったようだ。

それでも、まだマリア・カラスをMQAで聴いたわけではない。
e-onkyo musicのサイトでは、マリア・カラスのスタジオ録音がMQAで配信されている

通常のCDとMQA-CDの違いは、すでに知っている。
まだ先がある。

Date: 12月 15th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACで、マリア・カラスを聴いた(その5)

なぜオーディオショウではマリア・カラスがかけられないのか──、
こんなことを書いている私も、ここ十年ほどマリア・カラスを聴いていなかった。

それがここに来て急にマリア・カラスのことが気になってきたのは、
9月のaudio wednesdayで、メリディアンのULTRA DACを聴いたからである。

マリア・カラスのCDを聴いたわけではない。
なのに帰りの電車のなかで、マリア・ラカスを聴きたい、とふと思った。
ULTRA DACで聴いてみたい、と思った。

自分でもULTRA DACの音が、なぜ突然マリア・カラスと結びついたのかはわからない。
とにかくマリア・カラスだ、とおもった。

12月のaudio wednesdayで、マリア・カラスの「カルメン」をかけたのは、
その1)で書いているとおり。
これだけの音で鳴るのならば、
オーディオショウでも頻繁にかけられるようになるのでは──、とおもうほどに鳴った。

「カルメン」ならば、クラシックに関心のない人でも耳にしているだろう。
特にハバネラは聴いたことがない、という人のほうが少ないだろう。

ビゼーの「カルメン」には、「ハバネラ」だけではない。
お馴染みの音楽がかわるがわる登場してくる。
そのお馴染の音楽は、くり返すが、クラシックをさほど聴かない人にとってもそうである。

「カルメン」はオペラの数多い作品のなかでも、とびきりの知名度をもつ。
その意味で、まさにオーディオショウ向きともいえるのに、
不思議なことに、私の知る範囲では「カルメン」も聴いていない。
マリア・カラスの「カルメン」を含めてだ。

Date: 12月 13th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(トランスポートとのこと・その4)

瀬川先生が、ステレオサウンド 52号の特集の巻頭に書かれている。
     *
もうこれ以上透明な音などありえないのではないかと思っているのに、それ以上の音を聴いてみると、いままで信じていた音にまだ上のあることがわかる。それ以上の音を聴いてみてはじめて、いままで聴いていた音の性格がもうひとつよく理解できた気持になる。
     *
アンプの音についてのことだが、同じことは今回トランスポートにも当てはまる、と感じた。
スチューダーD731のトランスポートとしての音はヴィヴィッドだ、と書いた通りだ。

表現を変えるならば、ストレスがないように感じる。
音の出方にストレスを感じないのだ。
だからこそヴィヴィッドに感じるのかもしれない。

それまでのラックスのD38u、パイオニアのPD-D9をトランスポートとして聴いたとき、
ストレスといったものを特に感じることはなかった。

けれどD731とULTRA DACの音を聴くと、
D38u、PD-D9の音には、どこかしらストレス的なものがあったように感じてしまうから、
瀬川先生の書かれていたことを思い出してもいた。

こういう音を聴いていると、EMTの930stの音も思い出してしまう。
EMTのアナログプレーヤーの音が、どこか体に染み込んでしまっているのか。
どこか共通する、ストレス的なものを感じさせないヴィヴィッドな音を聴いてしまうと、
あぁ、これなんだ、と確信に近いものを感じてしまうところが私にはある。

別項「JUSTICE LEAGUE (with ULTRA DAC)」で書いたこと。
JUSTICE LEAGUE(ジャスティス・リーグ)のサウンドトラックの23曲目、
“COME TOGETHER”の抜群のかっこよさは、ストレスフリーといいたくなる音ゆえかもしれない。

こういう音を聴いてしまうと、
ULTRA DACが魔法の箱のようにおもえてしまうし、
思慕の情みたいなものが湧いてくる。

Date: 12月 12th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(トランスポートとのこと・その3)

メリディアンのULTRA DACについて、あれこれ試してみたいことがある。
そう思いながらも、前回もそして今回も聴くと、そんなことをやるよりも、
いろんなディスクを聴く方を優先してしまう。

ずっと、聴いていたい、と思う。
だからチェックしたいことは後回しになる。

前回もやや感じていたことだが、
今回聴いて、そうなのかも、と思っているのは、
ULTRA DACの目覚めの時間がややかかることだ。

ULTRA DACの電源スイッチはリアパネルにある。
ということは基本的に電源を入れっ放しにしておくことが前提なのだろう。

今回ULTRA DACの電源を入れたのは18時ごろだった。
アンプの電源を入れたのは、その少し前。

なので、どちらかがとははっきりいえないところを残しているわけだが、
D731、D38u、PD-D9、もう一度D731とトランスポートを替えていったときの音の変化、
特に二度目のD731との組合せの音は、
48kHzと44.1kHzという違いがあるし、
48kHzの場合は、アップサンプリングの回路を経由しているわけだし、
その違いもあることは考慮しなければならないが、
それでもULTRA DACのウォームアップは、短くはないと感じる。

二度目のD731の時には21時をまわっていた。
これまでのことからアンプのウォームアップはすでに終っている時間だ。
となると、やはりULTRA DACは電源を入れてから本領発揮まで、やや時間を要するのか。

他の機器のウォームアップを終らせてからでないと、
ULTRA DACがほんとうにそうなのか、とははっきりといえない。

それでも、いまのところウォームアップには十分な時間をかけてほしい、と、
これからULTRA DACを試聴する機会がある人にはいっておきたい。

Date: 12月 12th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(トランスポートとのこと・その2)

パイオニアのPD-D9の動作は問題なかった。
安心して、いろんなディスクがかかる。

特に不満もなかったけれど、
スチューダーのD731との組合せの音が耳に残っている。
やはりD731と組み合わせてみたい、とどうしても思ってしまう。

D731のオーナー、Kさんによると、
内部をいじることでデジタル出力を44.1kHzに変更できるはず、ということだった。

D731の内部は、今回初めて見た。
Kさんによると、
メイン基板の横にある小さな基板の電源供給を止めれば変更される──、
ということだった。

その状態ではULTRA DACがロックしない。
メイン基板をよく見ると、44.1kHzという表示がある。
ジャンパーを差し替えることで、48kHzから44.1kHzへの変更が可能になる。

このへんはプロ用機器だな、と感心する。
マニュアルが手元になくても、基板を見ればわかるようになっている。

ジャンパーを入れ替えて、もう一度ULTRA DACと接続すると、今度は44kと表示された。
これでD731とULTRA DACの組合せでMQA-CDが聴けるようになった。

この音は、やはりいい。
KさんにD731をお願いしてよかった、と思える音が鳴ってくる。
それに厳密な比較を行ったわけではないが、
通常のCDを聴く場合でも、デジタル出力は48kHzよりも44.1kHzのほうがよく感じる。

D731のトレイは安っぽい。
国産の、いまどきの高価なCDプレーヤーの造りを見慣れた目には、
ほんとうに安っぽく映る。
もうそれだけでいい音がしそうにないと思う人も少なくないだろう。

それにD731のシャーシーもまた安っぽい。
薄い鉄板だし、ネジの数も少ない。
高剛性の筐体や、アルミの削り出しの筐体ばかりに見ている人には、
もうこれだけでいい音は絶対にしないはず、と決めつけるであろうほどだ。

それでも、不思議と音はいい。
とにかくヴィヴィッドなのだ。

Date: 12月 11th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(ステレオサウンド 209号)

今日発売になったステレオサウンド 209号は、ほんの少しだけ楽しみにしていたことがある。
特集のベストバイを楽しみにしていた。

メリディアンのULTRA DACの評価が気になっていた。
前回のベストバイの号(205号)はほとんど見ていない。
ULTRA DACは、確かに登場していたはずだが、どういう評価だったのは知らない。

なのでベストバイでのULTRA DACは、どの程度の評価なのか。
そう高くはないだろうことは予想していた。
たぶん、あの人とあの人は点数を入れないだろう、とも予想していた。
この予想は当っていた。

けれど、こんなに評価されていないのか、と驚いた。
点数(一点)を入れていたのは、黛健司氏だけだった。

だから写真もコメントもない。
ただブランド名と型番と点数(評者)があるだけだった。
小さな小さな扱いである。

とはいえ別に落胆はしない。
そういうものか、と淡々と受け止めるだけである。

9月のaudio wednesdayでULTRA DACを聴いた人はみな驚いていた。
12月のaudio wednesdayで聴いた人たちは、もっと驚いていた。

私も12月のaudio wednesdayでのULTRA DACの音に、より驚いた。

ULTRA DACは、だからおもしろい存在になりそうだ。

Date: 12月 10th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(12月のaudio wednesday)

急に寒くなってきた。
12月のaudio wednesdayが先週でよかった、とあらためて思っている。

12月5日は12月とは思えないほど暖かだった。
前日ほどではなかったにしろ、とりあえずエアコンもガスファンヒーターも使うことなく終った。

喫茶茶会記を午前0時ちかくに出たころにはさすがに冷え込んでいたけれど、
それでも音出しの時間は、暖房なしで済んだ。

寒さや暑さを我慢しながら聴くことを、
来てくれている人たちに強要はできない。
それに寒すぎては、スピーカーが特にうまく鳴ってくれない。

人が快適な温度がオーディオにとっても快適である。
それでもエアコン、ガスファンヒーターの動作音は、どうしても耳障りだ。

耳障りな音なしで、ULTRA DACの音が聴けたのは、やっぱりよかった。

Date: 12月 9th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACで、マリア・カラスを聴いた(その4)

ここでもふり返ることで気づくことがある。
オーディオショウで、マリア・カラスを聴いたことがない、ということを思い出す。

少なくとも私が聴いた範囲で、マリア・カラスが鳴っていたことは一度もない。

1981年のオーディオフェアから、いわゆるオーディオショウに行き始めた。
数年後、輸入オーディオショウが始まり、
オーディオフェアは、現在のOTOTENへと、
輸入オーディオショウはインターナショナルオーディオショウへとなっていった。

ステレオサウンド時代は仕事ということもあって毎年行っていた。
辞めてからは足が遠のいた。

インターナショナルオーディオショウに行くようになったのは、
2002年ごろからだ。
私がまったくオーディオショウに行ってなかった時期に、
マリア・カラスがかかっていたとは思えない。
それ以前もそれ以後もかかっていないのだから。

1981年よりも前のことになると、私にはわからない。
マリア・カラスのレコードがかかっていたことはあるのかもしれないが、
私はこれまで一度もオーディオショウで、マリア・カラスを聴いたことはない。

オーディオショウでは、なにも最新録音ばかりがかかるわけではない。
ブースによっては、スタッフの好みからなのだろう、
けっこう以前の音楽(録音)がかかることも少なくない。

アナログディスクをかけるところが増えている。
そういうブースでは、個人所有のディスクがかけられるようで、特にそうだったりする。

それでもマリア・カラスを、オーディオショウでは聴いたことがない。

Date: 12月 8th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACで、マリア・カラスを聴いた(その3)

黒田先生が、「音楽への礼状」でマリア・カラスのことを書かれている。
     *
 日曜日の、しかも午前中のホテルのロビーは、まだねぼけまなこの女の顔のように、どことなく焦点のさだまらない気配をただよわせていました。ぼくは緊張と興奮のなかばした奇妙な気分で、ロビーのすみのソファーに腰かけていました。そういえば、あの朝のぼくの気分は、あれから十年ほどたってからみた映画「ディーバ」で郵便配達のジュールがフェルナンデス粉する憧れのディーヴァに会う前に味わったようなものかもしれませんでした。
 そのときのぼくは、初来日されたあなたへのインタビューを依頼され、もしかしたらおはなしをうかがえるかもしれないといわれ、あなたの宿泊されていたホテルのロビーにいました。しかし、ロビーのすみのソファーに腰かけ、あなたにお尋ねすることを書きつけたノートに目をとおしていたぼくは、招聘元のひとから、今日のインタビューを中止してほしい、というあなたの意向を伝えられました。さらに、招聘元のひとは、あなたが、今日は日曜日なので礼拝にいきたいので、といっていたとも、いいそえました。
 ぼくとしては、休みの日に、朝から、こうやってわざわざきているのに、約束を反故にするとはなにごとか、といきりたってもおかしくない状況でした。にもかかわらず、ぼくは、そうだろうな、と思い、そのほうがいいんだ、とも思って、自分でも不思議でしたが、いささかの無理もなくあなたの申し出に納得できました。ぼくは、それまでも、いろいろな雑誌の依頼をうけて、さまざまな機会に、外国からやってきた音楽家たちにインタビューしてきましたが、そのたびに、いつもきまって、うまくことばではいえないうしろめたさを感じつづけてきました。
 なぜ、ぼくがインタビューをするときにうしろめたさを感じつづけてきたか、と申しますと、ぼくには、どこの馬の骨とも知れぬ人間から根掘り葉掘り無遠慮に尋ねられることを喜ぶ人などいるはずがないと思えたからでした。それに、もうひとつ、ぼくは、音楽家は、ほんとうに大切なことであれば、彼の音楽で語るはずである、とも考えていました。そのように考えるぼくには、音楽家に彼の音楽についていろいろことばで語ってもらうことが、つらく感じられていました。それでもなお、さまざまな音楽家へのインタビューをつづけてきてしまったのは、尊敬したり敬愛したりする音楽家から直接はなしをきける魅力に負けたからでした。
 あなたへのインタビューを依頼されたときにも、ためらいと、あなたから直接おはなしをうかがえると思う喜びとが、いりまじりました。しかも、それまでのあなたの周囲でおきたさまざまな出来事から推測して、あなたがインタビューというジャーナリズムとつきあっていくうえでの手続きを嫌っておいでなのも理解できましたから、ぼくは、招聘元のひとから、あなたが今日のインタビューを中止してほしいといっている、ときかされたときにも、そうだろうな、と思い、そのほうがいいんだ、とも思えました。
 あなたは、第二次大戦後のオペラ界に咲いた、色も香りも一入(ひとしお)の、もっとも大きな花でした。困ったことに、華やかに咲いた大輪の花ほど、ひとはさわりたがります。マリア・カラスという大輪の花も、そのような理由で、いじくりまわされました。その点に関して、当時のぼくは、まだ、かならずしも充分には理解していませんでしたが、あなたがお亡くなりになって後にあらわれた、あなたについて書かれたいくつかの本を読んでみて、あなたが無神経なジャーナリズムによっていかに被害をうけたかを知りました。
 ぼくがあなたの録音された古いほうの「ノルマ」や「ルチア」のレコードをきいたのは、ぼくがまだ大学生のときでした。あなたの、あの独特の声に、はじめは馴染めず、なんでこんな奇妙な声のソプラノを外国の評論家たちはほめたりするのであろう、と思ったりしました。そう思いつつ、あなたのレコードをくりかえしきいているうちに、声がドラマを語りうる奇跡のあることを知るようになりました。その意味で、あなたは、ぼくにオペラをきくほんとうのスリルを教えて下さった先生でした。
 それから後、あなたの録音なさった、きけるかぎりのレコードをきいて、ぼくはオペラのなんたるかをぼくなりに理解していきました。しかし、あなたは、あなたの持って生まれた華やかさゆえというべきでしょうか、歌唱者としてのあなたの本質でより、むしろ、やれどこそこの歌劇場の支配人と喧嘩しただの、やれ誰某と恋をしただのといった、いわゆるゴシップで語られることが多くなりました。多くのひとは、大輪の花をいさぎよく愛でる道より、その花が大輪であることを妬む道を選びがちです。あなたも、不幸にして、妬まれるに値する大輪の花でした。
 予想したインタビューが不可能と知って、ぼくはロビーのソファーから立ち上がりました。そのとき、すこし先のエレベーターのドアが開いて、あなたが降りていらっしゃいました。ぼくは、失礼をもかえりみず、およそディーヴァらしからぬ、黒い、ごく地味な装いのあなたを、驚きの目でみました。これが、あのノルマを、あのように威厳をもって、しかも悲劇を感じさせつつうたうマリア・カラスか? と思ったりもしました。素顔のあなたは、思いのほか小柄でいらっしゃいました。しかし、そのひとは、まちがいなくあなたでした。
 もしかすると、ぼくは、かなりの時間、あなたにみとれていたのかもしれません。あるいは、招聘元のひとがそばにいたので、この男がインタビュアだったのか、と思われたのかもしれません。いずれにしろ、あなたは、ぼくのほうに、軽く会釈をされ、かすかに微笑まれました。あなたの微笑には、どことなく寂しげな影がありました。あれだけ華麗な人生を歩んでこられた方なのに、どうして、この方は、こんなに寂しげな風情をただよわせるのであろう、と不思議でした。
 ぼくは、どうしたらいいかわからず、女神につかえる僧侶の心境で頭をさげました。頭をあげたとき、すでにあなたの姿は、そこにありませんでした。
 あなたは、ノルマであるとか、トスカであるとか、表面的には強くみえる女をうたうことを得意にされました。しかしながら、あなたのうたわれたノルマやトスカがききてをうつのは、あなたが彼女たちの強さをきわだたせているからではなく、きっと、彼女たちの内面にひそむやさしさと、恋する女の脆さをあきらかにしているからです。
 ぼくは、あなたのうたわれるさまざまなオペラのヒロインをきいてきて、ただオペラをきく楽しみを深めただけではなく、女のひとの素晴らしさとこわさをも教えられたのかもしれませんでした。今でも、ぼくは、あなたのうたわれたオペラをきいていると、あのときのあなたの寂しげな微笑を思い出し、あの朝、あなたは神になにを祈られたのであろう、と思ったりします。
     *
マリア・カラスの声は、美しいのか。
一般的な意味での美声ではない。

私もマリア・カラスの歌を初めて聴いた時は、黒田先生と同じように感じた。
《あの独特の声に、はじめは馴染めず、なんでこんな奇妙な声のソプラノ》と思ったりした。

そして、これもまた黒田先生と同じように、
マリア・カラスのレコードをくり返し聴いているうちに、
美しい、と感じるようになってきた。

それでも……、というところは残っていた。
ULTRA DACでマリア・カラスを聴いて、
「それでも……」が完全に払拭された。

《色も香りも一入(ひとしお)の、もっとも大きな花》である。

Date: 12月 8th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACで、マリア・カラスを聴いた(その2)

こんな話を、帰りの電車のなかで、Hさんにした。
Hさんは11月のaudio wednesdayに初めて来てくれた。
豊田市から深夜バスで来て帰っていく若者。

どうも豊田市というと、東京の中央線の豊田駅周辺と勘違いしていた人がいたけれど、
豊田駅周辺は日野市であり、東京には豊田市はない(いうまでもなく愛知県の豊田市)。

深夜バスで帰るHさんと新宿まで一緒だった。
四谷三丁目の駅から新宿駅までは十分もかからない。
電車を待つあいだをいれても十分程度である。

なので(その1)でのことを、さらにおおまかなことに話した。
翌日、彼からのメールには、音楽に対する「想像と解釈」、とあった。

マリア・カラスの「カルメン」におけるULTRA DACのフィルターの選択は、
まさに、音楽に対する「想像と解釈」によって、三つのうちのどれを選ぶかが違ってくる。

想像だけでもない、解釈だけでもない。
想像と解釈によって決る。

Date: 12月 7th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(トランスポートとのこと・その1)

9月のaudio wednesdayでは、トランスポートにはメリディアンのCDプレーヤー508を使った。
今回はスチューダーのD731である。

D731のピックアップメカニズムは、フィリップスの最後のスイングアーム方式である。
デジタル出力はAES/EBUである。

508はコンシューマー用、D731はプロフェッショナル用という違いもある。
トランスポートして見ても、両者の違いは大きいし、多い。

それらの違いが、ULTRA DACと組み合わせたときにどう音に反映してくるのか。
それを確認したかった。

12月5日のaudio wednesdayでは、まずD731単体の音を聴いた。
それからULTRA DACと接続する。

ここで気づいた。
通常なら、ULTRA DACのディスプレイには、44kと表示されるはずなのに、
なぜか48kと出ている。

508との組合せでは、44kと表示されていたのに、
D731で48kとなる。

音は問題なく出る。
この状態で通常のCDをかけながら、
ULTRA DACの三種類のフィルターを聴き比べをした。

何枚かのCDを聴いて、いよいよMQA-CDをかける。
ここでD731のデジタル出力のサンプリング周波数は、
ULTRA DACのディスプレイの表示通りに48kHzなことがわかる。

D731は放送局用でもあるため、標準では48kHz出力になっているようだ。
この状態ではMQA-CDの再生はできない。

なので、ここで急遽、喫茶茶会記にある、以前使っていたCDプレーヤーをひっぱり出してきた。
最初にラックスのD38uを接続した。

現在の、マッキントッシュのMCD350の前まで使っていた機種だが、
この一年ほとんど使っていないことと、
もともとトレイの調子が悪くなっていたことが重なってか、
ディスクのTOCを読み込む前にトレイが出てきて、ディスクを排出してしまう。

強引にトレイを押し込めば、うまく行くこともあるが、
うまくいかないことの方が多い。

次にパイオニアのPD-D9にした。

Date: 12月 6th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACで、マリア・カラスを聴いた(その1)

別項「私は、マリア・カラス」で、ULTRA DACでマリア・カラスを聴きたい、と書いた。

昨晩のaudio wednesdayで、マリア・カラスの「カルメン」を聴いた。
通常のCDだから、ULTRA DACのフィルターを切り替えながら聴いた。

まずshortで聴いた。
それからlongにして、mediumにした。

どの音をとるのかは、人によって違うだろうし、
聴き方によっては、その日の気分によっても、どれを選択するかは変ってこよう。

マリア・カラスの声、そして歌い方に焦点を、そこだけにあわせて聴くのであれば、
圧倒的にshortがいい。

プロの歌手を目指している人であれば、shortの音をとるはずだ。
そう思えるほど、よくわかる。

よくわかるだけに、どうしても耳の焦点は、マリア・カラスのみにあわせてしまう。
マリア・カラスの独唱のみならば、これでもいい、と思う。

でも「カルメン」はいうまでもなくオペラである。
オペラという舞台を聴きたい、と思うのであれば、shortの音はマリア・カラスに近すぎる、と感じる。

もう少し引いて距離をとりたい、と思わなくもない。
longにすれば、その傾向になる。
けれど、shortを聴いたあとだけに、よけいにその距離がやや取りすぎたようにも感じる。

longの音だけ聴いていれば、これで満足しただろうに、なまじshortの音を聴いているだけに、
距離とディテールの再現が反比例するかのようにも受けとれる。

mediumの音が、昨晩の音では、「カルメン」というオペラが楽しめる音だった。
マリア・カラス一人だけのオペラではない。

ドン・ホセ役のニコライ・ゲッダ、エスカミーリョのロベール・マサール、
ミカエラのアンドレア・ギオーなどがいて、コーラスも加わる。

そういう舞台を楽しみたいのであれば、mediumの距離感が、私にはちょうどいい。

もちろん、これはあくまでも、
マリア・カラスの「カルメン」を、しかも喫茶茶会記のシステムで鳴らして、の話である。

他の録音、他のシステムでは、その選択も変ってこよう。