メリディアン ULTRA DACで、マリア・カラスを聴いた(その8)
トゥリオ・セラフィンのことばを、三浦淳史氏の文章を読んだ記憶がある──、
そう書いておきながら、今日帰宅してふと書棚のなかの一冊に偶然目が行った。
あっ、これだ、この本だ、と確信をもって手にしたのは、
「レコードうら・おもて(原題:On and Off the Record)」である。
音楽之友社から出ている。
レッグ&シュヴァルツコップ回想録である。
この本に、ローザ・ポンセルの章とマリア・カラスの章がある。
そのどちらにもセラフィンのことばは出てくる。
マリア・カラスの章から引用しておこう。
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自分をごまかしたり早死したりすると、短い時間に流星のように輝かしいキャリアを築いて早々に引退してしまった一人の有名なオペラ歌手に対する判断を誤ることになる。カラスという名前は、文明社会の到る所で日常的に耳にする言葉の一つだ。聴けばすぐそれと分かる声、人を引きつける個性、夥しい数のレコード、そしてひっきりなしに流されるセンセーショナルなニュースやゴシップ欄の話題のお陰で、カラスの名声は絶頂期のカルーソーすら及ばぬほど大きかった。だが、トゥリオ・セラフィンの慎重な判断を持ち出してバランスを取る必要がある。今世紀最高の歌手たちと六十年にわたって仕事をしてきた人の発言である。──「私の長い生涯に、三人の奇蹟に出会った──カルーソー、ポンセルそしてルッフォだ。この三人を除くと、あとは数人の素晴らしい歌手がいた、というにとどまる。」カラスの最も重要な教師であり、父親の役目も果たし、彼女の比類ないキャリアを築き上げたセラフィンであるのに、彼女を三つの奇蹟に入れなかった。カラスは「数人の素晴らしい歌手」の一人だったのだ。セラフィンの言葉は、本人は気付かなかったに違いないが、アーネスト・ニューマンがカラスのコヴェント・ガーデンへのデビューの際に評した言葉を繰り返していたことになる──「彼女は素晴らしい。だが、ポンセルではない。」
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だが、それでもマリア・カラスは女神(ディーヴァ)である。
それは「レコードうら・おもて」の目次からもわかる。
序文 ヘルベルト・フォン・カラヤン
はじめに エリーザベト・シュヴァルツコップ
1 ウォルター・レッグ讃/ドール・ソリア
2 自伝
3 フィルハーモニー管弦楽団
4 回転盤の独裁者──スタジオのレッグ/エドワード・グリーンフィールド
5 ティッタ・ルッフォ
6 ロッテ・レーマン
7 ローザ──八十歳の誕生日を迎えたローザに敬意を表して
8 エリーザベト・シュヴァルツコップ
9 トマス卿
10 オットー・クレンペラー
11 女神──カラスの想い出
12 アーネストニューマンとフーゴー・ヴォルフ
13 ヘルベルト・フォン・カラヤン
14 引退後の日々
エピローグ
ローゼ・ポンセルのところにないことばが、マリア・カラスのところにはある。
「女神」だ。