メリディアン ULTRA DACで、マリア・カラスを聴いた(その7)
いつのころからか、Diva(ディーヴァ)、もしくは歌姫という表現を、
頻繁に見かけるようになった。
この人(歌手)もディーヴァなのか、と思ってしまうほどに、ありふれてしまった。
私はグラシェラ・スサーナの歌が心底好きでも、
グラシェラ・スサーナのことを一度もディーヴァとおもったことはない。
それはディーヴァと呼ばれるにほんとうにふさわしい歌い手を知っているからだ。
マリア・カラスは、ほんとうにディーヴァである。
それでもトゥリオ・セラフィンは、
人生における三つの奇蹟として、カルーソー、ルッフォ、そしてポンセルの名を挙げている。
これも三浦淳史氏の文章で読んだと記憶している。
ポンセルとはソプラノ歌手のローザ・ポンセルのことだ。
マリア・カラスではなかった。
奇蹟といえる三人にはマリア・カラスは含まれていない。
マリア・カラスのことは非常に優れた歌い手の一人──、
そんなふうに記憶している。
ローザ・ポンセルの名を知ったのも、この時だった。
ポンセルのCDが、発売にもなっていた。
聴いたけれど、なにしろ録音が古すぎる。
ポンセルは1920年代から30年代にかけて活躍していた。
なので録音も少ないし、当然古い。
セラフィンのことばを疑うわけではないが、これではポンセルの凄さを、
私は感じとることができなかった。
ローザ・ポンセルこそディーヴァだ、とすれば、
マリア・カラスもディーヴァとは呼べない──、
そんなこともいえるのだろうが、
1963年生れの私にとっては、ポンセルもカラスも録音だけでしか聴けない。
これは私だけではない。
ほとんどの人にとっても同じはず。
ポンセルの実演を聴いたことがある人は、どれだけいるのか。
カラスでさえ、そうである。
ポンセルはほんとうに素晴らしいのであろう。
けれど聴けないことには、もう想像するしかない。
ならば、私にとって、そして私だけでなく多くの人にとって、
マリア・カラスこそディーヴァであろう。
もちろんディーヴァは一人だけなわけではない。
それでせ私にとって、ディーヴァと呼べる最初の歌い手は、
ふりかえってみても、マリア・カラスだった。