私は、マリア・カラス
「私は、マリア・カラス」が12月21日から上映される。
マリア・カラスについては書くつもりはないし、
映画についても、特に書こうと思っているわけでもない。
マリア・カラスの声の再生の難しさを、ずっと感じてきている。
それだけを書きたかった。
1977年に、カラスが亡くなったとき、テレビでもニュースをやったと記憶している。
40年以上前のことだから正確ではないのはわかっているが、
約十年後のカラヤンが亡くなったときよりも、大きく扱われていたような印象が残っている。
マリア・カラスの声は好き嫌いがあるのかもしれない。
嫌いとまではいかなくとも、ちょっと苦手という人がいても、そうかと思ってしまう。
でも、そういう人でも、カラスの声は、記憶に残ってしまう、と思っている。
カラスの再来といわれた歌手もいた。
多くの歌手が登場し、録音し、それらの何割かは聴いている。
それらのなかにあっても、カラスの声(歌)は輝いている。
その独特の輝きによって、脳裏に焼きつくのかも、と思いながらも、
カラスの声は、ほんとうにこんな声なのか、という疑問もつねにあった。
EMIのスタジオ録音でのカラスの声は、LPで聴いてもCDで聴いても、
つねにそんな感じが、つきまとってきている。
あれはいつだったか、カラスのライヴ録音の海賊盤(CD)が出た。
なんとはなしに買って聴いて、これがカラスの声なんだ、と思い、
やっぱり、とも思ったことがある。
特に録音が良かったわけではない、むしろややひどい方だった。
でも、それだけにストレートにカラスの声をとらえていたようにも感じた。
カラスの声についての自分なりの結論が出ているわけではない。
MQAで配信されている。
まだ聴いていない。
12月にはULTRA DACで聴けるであろう。
映画もある。
そのあたりで、結論といえそうなところに行けるだろうか。