続・無題(その12)
「西方の音」と「天の聲」。
これまでは、そのままの意味で受け止めていた。
けれど、ここにきて、
五味先生は、「西方の音」へと向っての旅をされていたように感じてきた。
そして「天の聲」へと向っての旅である。
「西方の音」と「天の聲」。
これまでは、そのままの意味で受け止めていた。
けれど、ここにきて、
五味先生は、「西方の音」へと向っての旅をされていたように感じてきた。
そして「天の聲」へと向っての旅である。
ステレオサウンド 55号の原田勲氏の編集後記には、こうある。
*
オーディオの〝美〟について多くの愛好家に示唆を与えつづけられた先生が、最後にお聴きになったレコードは、ケンプの弾くベートーヴェンの一一一番だった。
*
テクニクスのアナログプレーヤーSL10とカシーバーSA-C02、
それにAKGのヘッドフォンを病室に持ち込まれていた。
これに近いシステムで、今日(40年目の4月1日)に、
ケンプの弾くベートーヴェンの作品一一一を聴いた。
iPHone、メリディアンの218、スタックスのヘッドフォンというシステムである。
五味先生はLPだったが、私はMQAで聴いた。
原田勲氏の編集後記には、こうも記してあった。
*
先生は、AKGのヘッドフォンで聴かれ、〝ほう、テクニクスもこんなものを作れるようになったんかいな〟とほほ笑まれた。
*
《ほう、テクニクスもこんなものを作れるようになったんかいな》には、
いい時代になったなぁ、という感慨もあったのではないだろうか。
いい時代になったなぁ、と私はしみじみ感じていた。
私が、今日聴いたシステムも、病室に持ち込める規模だ。
それでいて、どこにも薄っぺらさのない音で、ケンプのベートーヴェンを聴かせてくれる。
ケンプというピアニストの奏でる音と、MQAの本質的なよさは、
互いにソッポを向きあうわけではない。
むしろ、同じ方向の音と響きのようにも感じるから、
よけいにケンプのベートーヴェンが美しくきこえてくる。
いい時代になったものだ。
予定していた4月1日のaudio wednesdayの最後にかける曲は、
ケンプのベートーヴェンのピアノソナタにしようと考えていた。
バックハウスにするか、ケンプにするか、迷っていた。
ケンプに決めたのは、MQAでリリースされているからだ。
バックハウスの演奏は、SACDが発売になっているし、
e-onkyoではDSFでリリースされている。
ケンプはflacとMQA(どちらも96kHz、24ビット)である。
MQAがある、
これだけの理由で、ケンプのベートーヴェンの後期のピアノソナタのどれかをかける予定でいた。
結局、明日のaudio wednesdayは止めにしたので、かけることはなくなった。
2026年の4月1日は、水曜日だ。
あと六年、audio wednesdayを続けていたら、この日にケンプのベートーヴェンをかけたい。
私と同世代、近い世代のオーディオマニアで、
若いころJBLに憧れていた──、そしてJBLのスピーカーを鳴らしている。
けれど、アルテックのスピーカーを、四十代、五十代になって聴いて、
JBLに憧れてはいたけれど、自分が求めていた音は、
JBLよりもアルテックだったのではないか──、
そういう人を、いまのところ三人知っている。
三人が多いのか少ないのかは、なんともいえないが、
この三人のオーディオマニアの気持はわかる、というか、
わかるところがある。
JBLがほんとうに輝いていた時代がある。
その時代を十代のころ、もしくはハタチ前後のころに体験していた人にとって、
アルテックはライバルなのはわかっていても、
輝きは乏しかっただけでなく、輝きを失い始めているような感じさえしていた。
だからこそ、いつかはJBL、と思っていたはずだ。
私もそうだった。
それに、そのころ、少なくとも私が住んでいた熊本では、
JBLを聴く機会は当り前のようにあったけれど、
アルテックのスピーカーとなると、熊本で聴いたことは一度だけだった。
三人のうちの一人は、私よりも少し上だが、
若いころアルテックを聴く機会はなかった、といっていた。
そして、JBLを鳴らしている。
JBLの輝きが強すぎた時代には、
アルテックはくすんでしまったように見えてしまっていた。
聴く機会がなかった、少なかった、ということは、
オーディオ業界全体も、そんなふうに見ていたのかもしれない。
けれど四十代、五十代になって、何かの機会でアルテックの音を聴く。
そこで、もしかすると……、と思ってしまった人を、三人知っているわけだ。
私と同世代のオーディオマニアにとって、
JBLというスピーカーは、輝いて見えていた。
もちろんアンチJBLの人が少なからずいるのは、
アンチ・カラヤンの人が少なからずいるのと同じかもしれない。
1970年代後半、中学生、高校生だった私の目には、
JBLのスタジオモニターだけでなく、
パラゴンも、過去のモデルとはなっていたがハーツフィールドも、
なにか特別な存在のように映っていた。
JBLのライバル的スピーカーメーカーといえるのが、
アルテックとタンノイだった。
同じアメリカのスピーカーメーカー、それも西海岸のメーカーであり、
その成り立ちをたどっていくと、どちらも同じウェスターン・エレクトリックにたどりつく。
JBLとアルテックは、確かに、あの当時ライバル同士だった。
JBLが4343、4350などのスタジオモニターを出していたころ、
アルテックはどうだったかというと、プロ用としてはA5、A7が現役モデルであったし、
604-8Gを搭載した620、612などだった。
輝いて見える、という点では、
JBLがアルテックよりもはるかに上だった。
私と同じようにそう見ていた人は少なくない、はずだ。
アルテックは、4343の成功に刺激されてだろう、
604-8Hを中心とした4ウェイのスタジオモニター6041を出してきた。
アルテックらしい、といえるし、おもしろい製品ではあったが、
4343ほどの完成度というか、洗練されていたスピーカーではなかった。
4343には4341というモデルがその前にあったし、
上級機として4350があったのだから、6041とはベースが違う。
6041はII型になったが、
4341が4343になったような変更ではなかった。
吉祥寺のハードオフマランツにある未開封のマランツのキット、
Model 7K、Model 8BK、Model 9Kは、まだ売れていないようである。
問合せはある、らしい。
問い合せてくる人のどのくらいなのかはわからないが、
未開封ゆえに、中の状態が気になり、購入に踏み切れないようである。
開封して中の状態を確認して購入したい、という気持はわからないわけではない。
でも、こういうモノは、未開封の状態で買うモノ、買われていくモノと思う。
未開封の箱を、自分の手で開ける。
ダメになっている部品はあるはずだ。
それが多いのか少ないのかはわからないけれども。
そんなもろもろのことをひっくるめての「未開封品」ではないのか。
開ける時のどきどき、わくわくした気持。
これを一人で味わえる。
これもオーディオのロマンのはずだ。
そこにロマンのかけらも感じない人は、手を出さない方がいい。
五味先生、瀬川先生、
ふたりとも結局同じことをいわれている。
五味先生はHBLの4343とタンノイのコーネッタ、
瀬川先生は4343とロジャースのLS3/5Aにおいて、である。
五味先生はJBLに《糞くらえ》と、
瀬川先生は《蹴飛ばしたくなるほどの気持》と。
あのころのJBLのスタジオモニターの最新モデルの4343の実力を認めながらも、
クラシックにおける響きの美しさが、鳴ってこないことを嘆かれている。
コーネッタにしてもLS3/5Aにしても、
4343からすれば、価格的にかなり安価なスピーカーだし、大きさも小さい。
4343を本格的なスピーカーシステムとして捉えれば、
コーネッタもLS3/5Aも、そこには及ばない。
だからこそ、《あの力に満ちた音が鳴らせないのか》と、瀬川先生は書かれているわけだ。
《クラシック音楽の聴き方》は、五味先生、瀬川先生はもう同じといっていいはずだ。
けれど、そこから先が違っている、というのだろうか。
正直、こうやって書いていても、よくわからないところもある。
五味先生と瀬川先生が、
「カラヤンと4343と日本人」というテーマで対談をしてくれていたら──、
そうおもうこともある。
けれど、そういう対談は、どこにもない。
ない以上、考えていくしかない。
カラヤンと4343。
指揮者とスピーカーシステム。
けれど、どちらもスターであったことは否定しようがない。
アンチ・カラヤンであっても、
アンチJBLであっても、
カラヤンはクラシック界のスターであったし、
4343も、少なくとも日本においてはスター的存在であった。
私は、同世代の友人と二人で、その吉祥寺の中華屋に行った。
夜からしかやっていない店だった。
二人ともお酒は飲まないから、チャーハンだけを注文した。
(その1)で書いているように、味は最高だった。
店のオヤジは、痩せていて無愛想だった。
でも、そんなことは気になるほどのことではなく、
二人で、チャーハンの美味しさに驚いていた。
店を出てからも、美味しかったな、と話すぐらいだった。
菅野先生が「ひどいめにあったよ、なんだ、あの店(店主)は」といわれたのをきいて、
まず思ったのは、店が汚いからなのか、だった。
(その1)で書いているが、確かに汚い。
カウンターで食べていたけれど、小さなゴキブリが一匹這っていた。
でも、汚い店だということは事前に伝えてあった。
菅野先生は奥さまとお嬢さまと三人で行かれた。
菅野先生もお酒は飲まれない。
家族三人で行って、チャーハンが目的とはいえ、
チャーハンだけというのは失礼だ、と思い、ほかの料理も注文されたそうだ。
にもかかわらずオヤジの機嫌を損ねてしまった、ときいた。
おそらく、われわれがお酒をのまなかったからだろう、と菅野先生はいわれた。
汚い店である。
場末の中華屋という感じの店である。
けれど店主は、きちんとした中華料理店という意識なのだろう、
そこに家族三人で行って、お酒を頼まずに料理だけ、というのが、
機嫌をそこねた理由なのだろう、とのことだった。
それでも料理に手を抜かれたわけではなく、
チャーハンは絶品だった、といわれた。
また食べたいけれど、もう二度と行きたくない、とも。
吉祥寺のハードオフマランツにある未開封のマランツのキット、
Model 7K、Model 8BK、Model 9Kは、私のなかでは井上先生のモノと確信している。
とはいってもなんら確証はない。
それでも吉祥寺のハードオフには、これも井上先生が使われていたモノのはず、
そう思えるモノが複数ある。
単なる偶然の可能性もあるのはわかっていても、
これとあれ、それにあれもある。他にもある。
そのうちの一つは、めったに中古が出てこない機種である。
それがある。
私がそう思い込もうとして、ハードオフの店内を見てこじつけているだけかもしれない。
傍からみれば、きっとそうであろう。
それでも私には、これは絶対井上先生のモノ!、
そう確信できるモノが並んでいる。
店員に訊いたところで教えてくれるわけではない。
訊くつもりも毛頭ない。
ここを読まれている方のなかで、井上先生のモノという確証があれば買う、という人がいるかもしれない。
でも確証なんて、何もない。
確信があるだけだ。
それも私だけの確信があるだけだ。
ステレオサウンド 49号の巻末に近いページに、
「マランツ♯7K/9Kキットの意味あいをこう考える」という記事が載っていた。
マランツから、Model 7とModel 9のキットが発売になった。
1978年のことだ。
好評だったようで、しばらくしてからModel 8Kも発売になった。
キットといっても、ダイナコやラックスキットとは難易度が違う。
ラックスキットも真空管アンプは初心者にはちょっと無理なモノもあったが、
マランツのこれらのキットはさらに難しい、
おそらくこれまで発売されたオーディオのキットのなかで、最も大変なキットといえる。
高校生だったけれど、欲しい、と思った。
とはいえ手が出ない価格だった。
仮に買えたとしても、きちんと完成させられるかといえば、まず無理だった。
それでも欲しい、と思ったのは、
いいかげんなメインテナンスがなされた中古のマランツを買うよりも、
じっくりと時間をかけて組み立て技術を磨いていけば、
いいコンディションのマランツのModel 7を自分のモノとすることができる──、
そう思ったからだ。
今日、吉祥寺のハードオフをのぞいてみたら、
なんとマランツのこれらのキット、それも未開封のモノがあった。
Model 7K、Model 8BK、Model 9K、
すべて揃っていた。
未開封なので、箱のままの展示である。
四十年ほど保管されていたモノだ。
中がどんな状態なのかは、買った人でなければ確かめられない。
ついていた価格は、ほぼ発売時の価格と同じだった。
お買い得ともいえるし、そうでない可能性もないわけではない。
こんなことをなぜ書いているか、というと、
このマランツのキットは、もしかすると井上先生が所有されていたモノかもしれない──、
そう思えたからだ。
ステレオサウンドにいたころ、何度かマランツの話を井上先生からきいている。
キットのこともきいている。
すべて持っている、と話されていた。
でも買ったままだ、ともきいている。
いつか暇になったら作ろう、と思っている──、
そんなこともきいている。
結局作られなかったのだろう。
そういえば昨年、井上先生所有のオーディオ機器が売りに出された、というウワサを耳にした。
ほんとうかどうかはわからない。
そんなことがあったから、ハードオフにあったマランツのキットを見て、
私がまず思ったのは、そういうことだった。
三年ほど前の「ステレオサウンドについて(続・瀬川冬樹氏の原稿のこと)」で、
瀬川先生の未発表原稿の公開は、10,000本目で行う、と書いている。
忘れているわけではない。
1月10日、瀬川先生の誕生日に公開する予定でいる。
ただし、このブログではなく、facebookグループのaudio sharingでの限定公開とする。
10日だけの公開で、削除する。
18日に出たのはわかっていながら、書店に寄ったのは今日だった。
「菅野沖彦のレコード演奏家訪問〈選集〉」を買った。
最初は買うつもりはなかった。
選集だから、というのが理由だ。
この選集に載っているレコード演奏家訪問が掲載された号は持っている。
それを読めばいい──、
そんなふうに思っていたところがあった。
でも書店で手にしてパラパラめくっているうちに、
こみあげてくるものを感じていた。
おそらく菅野先生と会われた方はみなそうではないのか。
亡くなられて一年が経つ。
この本を手にして、ふたたびそのことを強く意識していた。
もう菅野先生とは会えない、どうやってもあえない。
そう感じない人がいると思えない。
菅野先生と話す機会のあった人、
幸運にも菅野先生のリスニングルームで音を聴かれた人、
その人たちは、この本を手にして何かを感じているはず、と信じている。
選集だから、初めて見る・読む記事は一本もない。
それでも、こうやって一冊にまとまっていると、
菅野先生の存在と不在を、強く感じざるをえない。
これまでも菅野先生について触れてきている。
これからもそうである。
それでも書いていることよりも書いていなことの方が多い。
これから書いていくこともあれば、書かないこともある。
誰か親しい人と、菅野先生について語ることがあれば、その時は話すかもしれないが、
そういうことは書かない。
そしてあれはどういう意味だったのか、と思い出すこともある。
「菅野沖彦のレコード演奏家訪問〈選集〉」は、よい本だ。
1989年春、朝日ジャーナル増刊として「手塚治虫の世界」が出た。
手塚治虫は1989年2月9日に亡くなっているから二ヵ月ほどで出ている。
短期間で編集されたとは思えないほど素敵な本である。
いまも手離さずに持っている。
菅野沖彦著作集だけでなく、
「手塚治虫の世界」のような「菅野沖彦の世界」を出してほしい、と思う。
(その1)の冒頭で引用したことを、また書き写しておく。
*
暴言を敢て吐けば、ヒューマニストにモーツァルトはわかるまい。無心な幼児がヒューマニズムなど知ったことではないのと同じだ。ピアニストで、近頃、そんな幼児の無心さをひびかせてくれたのはグレン・グールドだけである。(凡百のピアニストのモーツァルトが如何にきたなくきこえることか。)哀しみがわからぬなら、いっそ無心であるに如かない、グレン・グールドはそう言って弾いている。すばらしいモーツァルトだ。
(五味康祐「モーツァルト弦楽四重奏曲K590」より)
*
《ヒューマニストにモーツァルトはわかるまい》とある。
そう書いている五味先生が、「モーツァルト弦楽四重奏曲K590」を書いている。
(その10)で引用しているように、
五味先生は、モーツァルトの弦楽四重奏曲第23番 K.590を聴かれていない。
なのに三万字をこえる「モーツァルト弦楽四重奏曲K590」だ。
五味先生はヒューマニストでないから書けたのか。
ジェームズ・ボンジョルノは2013年に亡くなっているから、
MQAの音は聴いていない。
昨年秋からMQAの音をいろんな機会で聴くたびに、
いい方式が登場してくれた、と思う。
それだけに、ここでMQAやメリディアンのことについて書くことが多くなっている。
書いていて、ふと思った。
ボンジョルノはMQAをどう評価するのだろうか、と。