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Date: 3月 8th, 2009
Cate: 五味康祐

五味康祐氏のこと(その8)

今日、練馬区役所主催の「五味康祐氏遺愛のオーディオとレコード試聴会」に行ってきた。
午前中に1回、午後3回開催されるほどだから、前回(1月)の試聴会の申込みがいかに多かったのかが、わかる。
年輩の女性同士で来られている方も見かけた。

練馬区役所本庁舎の会議室に、五味先生のタンノイ・オートグラフは設置されている。
部屋に入ると、正面にオートグラフ、
その間に木製ラック、それにEMT930st、マッキントッシュのC22、MC275が収められていた。

五味先生がお使いになっていたラックは、ヤマハ製のものだった。

オートグラフが目にはいった次の瞬間、すぐに探したのは「浄」の書だ。

五味先生のリスニングルームでは、オートグラフに向かって左側の壁、天井近くに飾ってあった。
「浄』は右側の壁に、飾ってあった。

写真で何度も見、目に焼き付けていたつもりだったが、
こうやって、その前に立つと、印象は、ずっと深いものとなる。
たくましく、骨太で、ふしぎな味わいがある。
技巧うんぬんなど、どこ吹く風といったらいいのだろうか。

なぜ、この「浄」なのかが、わかる気がした。
区役所の方の話によると、おそらく中国の石碑からの拓本だろう、とのことだった。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その39)

暗中模索が続き、アンプは次第に姿を変えて、ついにUX45のシングルになって落着いた。NF(負饋還)アンプ全盛の時代に、電源には定電圧放電管という古めかしいアンブを作ったのだから、やれ時代錯誤だの懐古趣味だのと、おせっかいな人たちからはさんざんにけなされたが、あんなに柔らかで繊細で、ふっくらと澄明なAXIOM80の音を、わたしは他に知らない。この頃の音はいまでも友人達の語り草になっている。あれがAXIOM80の、ほんとうの音だと、わたしは信じている。
誤解しないで項きたいが、AXIOM80はUX45のシングルで鳴らすのが最高だなどと言おうとしているのではない。偶然持っていた古い真空管を使って組み立てたアンプが、たまたま良い音で鳴ったというだけの話である。しかしわたくし自身はこの体験を通じて、アンプというもののありかたを自分なりに理解できたつもりであり、また同時に、無責任な「技術の進歩」などという言葉をたやすくは信じなくなった。
     ※
ステレオサウンドの7号(1968年)に、瀬川先生が書かれた文章である。

瀬川先生が理解された「アンプのありかた」、AXIOM80が啓示した「アンプのありかた」──、
これらのことが、瀬川先生とLNP2との出合いにつながっていく。

Date: 3月 6th, 2009
Cate: 井上卓也, 使いこなし

使いこなしのこと(その1)

オーディオにおいて、使いこなしは重要だと、ずっと以前から言われつづけているにも関わらず、
読者側から見て、系統立てて説明し、あらゆる状況に対して応用がきくヒントを与えてくれる記事を、
音の出ない、写真と文字だけの誌面で伝えることは、頭で想像している以上に難しさがある。

私がステレオサウンドで担当した使いこなしの記事のひとつは、ふたりの読者が参加された井上先生によるものだ。
あのときは、まだ22歳だったから、1985年。この取材で、舘さん(早瀬さん)と出会い、
私がステレオサウンドを辞めたあとも、変らぬ態度で接してくれて、
今年の夏で、まる24年のつきあいになる。

去年だったか、インターネットでのオーディオの掲示板で、ステレオサウンドの記事のなかで、
印象に残っているのはどれか、という内容のもので、
この井上先生の使いこなしの記事をあげておられる方がいた。
さらにmixiでも、この記事を、いまも読み返し参考にしているという文章に出合った。

担当編集者としては嬉しい限りではあるが、1985年の記事である……、という思いもある。

いま読み返しても、おもしろいだろう(手もとにその号がないので読み返せないが)。
けれど、こんなことを言ってもどうにもならないが、
いまならば、同じ取材からでも、違う誌面展開で記事をつくる自信はある。

あのころは、使いこなしという言葉の中に、セッティング、チューニング、エージングが含まれ、
それぞれは違い、しかし、その境界は曖昧であることに気がついていなかったからだ。

このことをきっちりと私が認識していたならば……、と思うのだが、いまさら、である。

Date: 3月 3rd, 2009
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その17)

ごくまれなのだが、試聴室にスピーカーの新製品、それもそのメーカーのフラッグシップモデルのとき、
エンジニアや広報の方が来られ、スピーカーのセッティングをおこなわれることがあった。

井上先生に、強い口調で言われたことがある。
「メーカーの人による調整は、しっかり見て聴いておけ。お金を出しても見られるものではないんだから」

たしかにその通りで、しかも井上先生は、後日、どんなふうに調整していたのか、と私に訊いてこられた。

あれだけオーディオのことを知悉され、使いこなしに関しても、いくつも引出しをお持ちなのに、
けっして慢心されることはなかった。

Date: 3月 2nd, 2009
Cate: 川崎和男

川崎和男氏のこと(その24)

菅野先生と川崎先生の対談をお読みになった方ならば、私が持っていったCDは、
ホセ・カレーラスのAROUND THE WORLDであり、
このCDの5曲目は「川の流れのように」であることはご存じだろう。

1曲目は「愛の讃歌」で、こちらも素晴らしい。
それでもホセ・カレーラスによる「川の流れのように」を、川崎先生に聴いていただきたかった。

なぜかという、はっきりとした理由はなかったようにも、いまは思える。
なのに、これしかないと思い込んでもいたわけだ。

前奏が流れてきた。
「いい感じだ、もっともっとよく鳴ってほしい」と、カレーラスの歌が始まるまで祈っていた。

歌が始まった。安堵した。素晴らしい音で鳴っていた。
カレーラスの歌声が、心に沁み込んできた。

川崎先生が、どんな感想を持たれたのかは、わからない。
訊ねもしなかった。

「川の流れのように」が終ったとき、川崎先生夫妻が、
斜め後ろに立っていた、こちらを同時に振り向かれた。

Date: 3月 2nd, 2009
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その16)

私が恵まれていたと感じていたことは、井上先生がやられたことを、自分のオーディオ機器に対してだけでなく、
井上先生が実際に試聴された同じ環境、同じ装置で、同じことをひとりで試せたことだ。

2つの環境で試せた上に、同じ環境でも試せる。
つまり環境が、装置が、条件が違うという言い訳は、もちろん、できない。

井上先生との力量の差、経験の差、そういったもろもろのことを、
ステレオサウンドの試聴室で、ひとりで鳴らしたときの音で思い知らされるわけだ。

それでも、やっていくうちに、井上先生の試聴の時と何が異るのかに、すこしずつ気がついていくようになる。
そして身についていく。

すると、いつごろからだろうか、
井上先生が試聴にあたっての整音の時間が短くなっていくことにも気がついていた。

Date: 3月 1st, 2009
Cate: 瀬川冬樹

サプリーム

サプリームの奥付には、昭和48年12月28日 第三種郵便認可とある。
ということは図書館にもあるのかな、と思っていたら、
さきほど若い友人のKOさんが、神奈川県立川崎図書館にあることを知らせてくれた。

瀬川冬樹追悼号の144号も、もちろんあったとのこと。
おそらく国会図書館にもあることだろう。
すべての図書館にあるわけではないだろうが、いちどお近くの図書館で検索されてみてはいかがだろうか。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その32)

ステレオサウンドの44号、45号は、「フロアー型中心の最新スピーカーシステム」と題し、
61機種のスピーカーシステムをとりあげている。
その中にKEFの105が含まれている(45号に掲載)。

瀬川先生の試聴記を書き写しておく。
     ※
一年以上まえから試作品を耳にしてきたが、さすがに長い時間をかけて練り上げられた製品だけのことはある。どんなプログラムソースに対しても、実に破綻のない、ほとんど完璧といいたいみごとなバランスを保っていて、全音域に亘って出しゃばったり引っこんだりというような気になる部分はほとんど皆無といっていい。いわゆるリニアフェイズ型なので、設置および聴取位置についてはかなり慎重に調整する必要がある。まずできるかぎり左右に大きくひろげる方がいい。少なくとも3メートル以上。スピーカーエンクロージュアは正面を向けたままでも、中音と高音のユニットをリスナーの耳の方に向けることができるユニークな作り方だが、やはりウーファーごとリスナーの方に向ける方がいいと思う。中〜高域ユニットの垂直方向の角度も慎重に調整したい。調整がうまくゆけば、本当のリスニングポジションは、ピンポイントの一点に決まる。するとたとえば、バルバラのレコードで、バルバラがまさにスピーカーの中央に、そこに手を伸ばせば触れることができるのではないかと錯覚させるほど確かに定位する。かなり真面目な作り方なので、組合せの方で例えばEMTとかマークレビンソン等のように艶や味つけをしてやらないと、おもしろみに欠ける傾向がある。ラフな使い方では真価の聴きとりにくいスピーカーだ。
     ※
そして45号には、マーク・レヴィンソンのインタビュー記事が載っている。

Date: 2月 28th, 2009
Cate: 川崎和男

川崎和男氏のこと(その22)

また、すぐに話が始まった。
雑談のようであったけれど、「これは聞き逃せない」とすぐに思い、録音をはじめる。
対談のまとめでは、この部分も使っている。

20分近く話されただろうか、菅野先生の音を聴いていただくことになった。
菅野先生の選曲で、2曲、1曲ずつ、マッキントッシュのシステムとJBLのシステムで鳴らされた後、
「なにかリクエストありますか」と菅野先生が言われた。

すこし間が合った。
だから持ってきたCDを菅野先生にお渡しし「5曲目をお願いします」と言ったものの、
やっぱりこの曲は、すこしまずいかなとも思い、「すみません、1曲目で」と言い直した後に、
それでも、やっぱり、あの曲だと、また「やっぱり5曲目でお願いします」と言ってしまった。

嫌な顔ひとつされず、菅野先生は、5曲目をマッキントッシュのシステムでかけてくださった。

このとき、実は心の中で祈っていた。
「とにかくうまく鳴ってくれ、素晴らしい音で鳴ってくれ」と。

Date: 2月 28th, 2009
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その15)

井上先生の試聴は、きまって「あそこをこうしてみろ」「次はこっちをこうしろ」という指示から始まる。
そうやって音が整っていく。まさしく整音(voicing)だ。
たいてい1時間から2時間かけて、それらを行なった上で、新製品の試聴が始まる(しかも夜遅くから)、
さらに個々の製品に対して、あれこれチューニングをされる。
終るのは午前様になるのは当り前だった。

大変ではあったが、おもしろい。だから、前回の試聴で井上先生がやられたことを、
とにかく見様見真似でやってみる。
わかってやっていたこともあれば、わかったつもりでやっていたこともあるし、
とにかくやってみようということでやっていたこともある。

けれど、そうやって自分でやってみることで、それもステレオサウンドの試聴室だけではなく、
自分のオーディオ機器でもやってみることで、いつのまにか身についていく。

そしてセッティングとチューニングを、それまでごっちゃに捉えていたことに気がついていくことになる。

Date: 2月 27th, 2009
Cate: 川崎和男

川崎和男氏のこと(その21)

暑い日にも関わらず、外で話し込まれる菅野先生と川崎先生。
このまま、ここで対談がはじまってしまうかも……、とちょっとだけ心配になるぐらい話が弾んでいた。

川崎先生のスタッフの方々のおかげで、菅野先生宅の階段も無事クリアーでき、
川崎先生に、菅野先生のリスニングルームに入っていただく。

「戻ってこれたぁ、戻ってきました」

菅野先生・川崎先生の対談のまえがきの書き出しは、この言葉で始めた。
しかも、この言葉を、わずか3行のあいだで、くり返し書いた。

そのわけは、川崎先生が、くり返されたからだ。
川崎先生にとって「生還」だったのだ。

心の中で、「おかえりなさい」と私は言っていた。
言葉にできなかった。

Date: 2月 27th, 2009
Cate: 川崎和男

川崎和男氏のこと(その20)

菅野先生のことだから、川崎先生と25年ぶりの再会だけに、
きっと握手をされるだろう、とは思っていた。

しっかりと力強く握手された。次の瞬間、川崎先生を抱きしめられた。

こみ上げてくるものがあった。川崎先生のスタッフの方々も同じ気持ちだったのではなかろうか。

Date: 2月 26th, 2009
Cate: 川崎和男

川崎和男氏のこと(その19)

対談の開始時間は午後1時30分からだった。
私と友人のフォトグラファー(浜崎昭匡)は、菅野先生の写真撮影もあって、30分前に、
菅野先生のお宅に到着していた。

14年ぶりの、菅野先生のリスニングルームだった。
ステレオサウンド時代に何度もおじゃました、菅野先生のリスニングルームだ。
感慨にひたっている時間的余裕はなくて、撮影の準備をすすめていく。
友人の浜崎がてきぱき手際よく進めてくれたおかげで、川崎先生到着の10分程前には撮影も終了していた。

時計を見て、そろそろお見えになるだろうから、表で持っていようと、ちょうど玄関を出ようとしたところに、
車の到着する音がきこえてきた。

菅野先生のお宅の玄関は2階なので、すぐに降りていく。すこし緊張していた。
菅野先生も降りてこられた。

Date: 2月 25th, 2009
Cate: 真空管アンプ, 長島達夫

真空管アンプの存在(その36)

私にとっての真空管アンプの手本は、まだある。
audio sharingで、その資料集を公開しているウェスターン・エレクトリック、
それからテレフンケン、ノイマンの、真空管全盛時代のアンプ群、
それから長島達夫先生のこともあげておきたい。

長島先生は、マランツの#7と#2の組合せを使っておられた。
その長島先生が設計・監修をなされたのが、
SMEから1986年に出たフォノイコライザーアンプSPA1HLと
翌87年に登場のラインアンプSPLIIHEの2機種である。

もちろん、どちらも真空管式で、マランツ#7への長島先生の恩返しでもある。

SMEのアンプは長島先生の設計だ、というウワサを耳にされた方は少なからずおられるようで、
私も数回、訊ねられたことがある。そのときはすっとぼけていたが、
ステレオサウンド別冊「往年の真空管アンプ大研究」のなかで、是枝重治氏が272ページに書かれている。
     ※
本誌創刊(註:「管球王国」のこと)前の『真空管アンプ大研究』の取材時の出来事ですが、帰路の車中で長島達夫先生が発した「僕が設計した某ブランドの球プリアンプは、マランツ#7への恩返しだった」とのお言葉は、今でも耳に残っています。
     ※
「マランツ#7への恩返し」は、私も長島先生から直接聞いている。

Date: 2月 24th, 2009
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その14)

井上先生が、ステレオサウンドでの試聴室での試聴に求められていたのは、
再現性であったように思っている。

ここでいう再現性とは、CD、アナログディスクに記録されている音楽の再現性の高さという意味ではなく、
同じ機器をセットしたら、基本的に同じ音を出せるするという意味での再現性である。

試聴室では、リファレンススピーカーのJBLの4344と言えど、他のスピーカーを聴くときには、
当然だが、試聴室の外に移動する。
そして、アンプやCDプレーヤーなどの試聴の時に、またいつもの位置にセットする。
CDプレーヤーもアンプも、リファレンス機器は決っていたが、
試聴室からまったく移動しないのは、アナログプレーヤー(マイクロのSX8000II)だけだった。

他の機種はなんであれ、他の機種の試聴の時には、移動し、また元に戻す。
何度も機器の移動、設置をくり返す。

ここで大事なのは、つねに70点くらいの音を出せるようにすることだ。
時には100点に近い、素晴らしい音を出せるけど、
違う日には、40点とか30点のひどい音でなることもある。
そういう再現性の不安定さは、試聴室では厳禁である。
それこそ、何を聴いているのかが、不明瞭になってしまう。

とにかく70点前後の音を、機器の移動をしようと、つねに維持していなくてはならない。
そういう再現性が必要なのだ。

もちろんつねに100点近い音を維持できるのが最良なのはわかっている。
けれど、試聴室はひとつの組合せを、長期間にわたってじっくり鳴らし込む環境ではない、
ということを理解しておいていただきたい。

ここで大事なのは、セッティング、チューニング、エージングを混同しないことだ。