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Date: 3月 2nd, 2009
Cate: 川崎和男

川崎和男氏のこと(その24)

菅野先生と川崎先生の対談をお読みになった方ならば、私が持っていったCDは、
ホセ・カレーラスのAROUND THE WORLDであり、
このCDの5曲目は「川の流れのように」であることはご存じだろう。

1曲目は「愛の讃歌」で、こちらも素晴らしい。
それでもホセ・カレーラスによる「川の流れのように」を、川崎先生に聴いていただきたかった。

なぜかという、はっきりとした理由はなかったようにも、いまは思える。
なのに、これしかないと思い込んでもいたわけだ。

前奏が流れてきた。
「いい感じだ、もっともっとよく鳴ってほしい」と、カレーラスの歌が始まるまで祈っていた。

歌が始まった。安堵した。素晴らしい音で鳴っていた。
カレーラスの歌声が、心に沁み込んできた。

川崎先生が、どんな感想を持たれたのかは、わからない。
訊ねもしなかった。

「川の流れのように」が終ったとき、川崎先生夫妻が、
斜め後ろに立っていた、こちらを同時に振り向かれた。

Date: 3月 2nd, 2009
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その16)

私が恵まれていたと感じていたことは、井上先生がやられたことを、自分のオーディオ機器に対してだけでなく、
井上先生が実際に試聴された同じ環境、同じ装置で、同じことをひとりで試せたことだ。

2つの環境で試せた上に、同じ環境でも試せる。
つまり環境が、装置が、条件が違うという言い訳は、もちろん、できない。

井上先生との力量の差、経験の差、そういったもろもろのことを、
ステレオサウンドの試聴室で、ひとりで鳴らしたときの音で思い知らされるわけだ。

それでも、やっていくうちに、井上先生の試聴の時と何が異るのかに、すこしずつ気がついていくようになる。
そして身についていく。

すると、いつごろからだろうか、
井上先生が試聴にあたっての整音の時間が短くなっていくことにも気がついていた。

Date: 3月 1st, 2009
Cate: 瀬川冬樹

サプリーム

サプリームの奥付には、昭和48年12月28日 第三種郵便認可とある。
ということは図書館にもあるのかな、と思っていたら、
さきほど若い友人のKOさんが、神奈川県立川崎図書館にあることを知らせてくれた。

瀬川冬樹追悼号の144号も、もちろんあったとのこと。
おそらく国会図書館にもあることだろう。
すべての図書館にあるわけではないだろうが、いちどお近くの図書館で検索されてみてはいかがだろうか。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その32)

ステレオサウンドの44号、45号は、「フロアー型中心の最新スピーカーシステム」と題し、
61機種のスピーカーシステムをとりあげている。
その中にKEFの105が含まれている(45号に掲載)。

瀬川先生の試聴記を書き写しておく。
     ※
一年以上まえから試作品を耳にしてきたが、さすがに長い時間をかけて練り上げられた製品だけのことはある。どんなプログラムソースに対しても、実に破綻のない、ほとんど完璧といいたいみごとなバランスを保っていて、全音域に亘って出しゃばったり引っこんだりというような気になる部分はほとんど皆無といっていい。いわゆるリニアフェイズ型なので、設置および聴取位置についてはかなり慎重に調整する必要がある。まずできるかぎり左右に大きくひろげる方がいい。少なくとも3メートル以上。スピーカーエンクロージュアは正面を向けたままでも、中音と高音のユニットをリスナーの耳の方に向けることができるユニークな作り方だが、やはりウーファーごとリスナーの方に向ける方がいいと思う。中〜高域ユニットの垂直方向の角度も慎重に調整したい。調整がうまくゆけば、本当のリスニングポジションは、ピンポイントの一点に決まる。するとたとえば、バルバラのレコードで、バルバラがまさにスピーカーの中央に、そこに手を伸ばせば触れることができるのではないかと錯覚させるほど確かに定位する。かなり真面目な作り方なので、組合せの方で例えばEMTとかマークレビンソン等のように艶や味つけをしてやらないと、おもしろみに欠ける傾向がある。ラフな使い方では真価の聴きとりにくいスピーカーだ。
     ※
そして45号には、マーク・レヴィンソンのインタビュー記事が載っている。

Date: 2月 28th, 2009
Cate: 川崎和男

川崎和男氏のこと(その22)

また、すぐに話が始まった。
雑談のようであったけれど、「これは聞き逃せない」とすぐに思い、録音をはじめる。
対談のまとめでは、この部分も使っている。

20分近く話されただろうか、菅野先生の音を聴いていただくことになった。
菅野先生の選曲で、2曲、1曲ずつ、マッキントッシュのシステムとJBLのシステムで鳴らされた後、
「なにかリクエストありますか」と菅野先生が言われた。

すこし間が合った。
だから持ってきたCDを菅野先生にお渡しし「5曲目をお願いします」と言ったものの、
やっぱりこの曲は、すこしまずいかなとも思い、「すみません、1曲目で」と言い直した後に、
それでも、やっぱり、あの曲だと、また「やっぱり5曲目でお願いします」と言ってしまった。

嫌な顔ひとつされず、菅野先生は、5曲目をマッキントッシュのシステムでかけてくださった。

このとき、実は心の中で祈っていた。
「とにかくうまく鳴ってくれ、素晴らしい音で鳴ってくれ」と。

Date: 2月 28th, 2009
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その15)

井上先生の試聴は、きまって「あそこをこうしてみろ」「次はこっちをこうしろ」という指示から始まる。
そうやって音が整っていく。まさしく整音(voicing)だ。
たいてい1時間から2時間かけて、それらを行なった上で、新製品の試聴が始まる(しかも夜遅くから)、
さらに個々の製品に対して、あれこれチューニングをされる。
終るのは午前様になるのは当り前だった。

大変ではあったが、おもしろい。だから、前回の試聴で井上先生がやられたことを、
とにかく見様見真似でやってみる。
わかってやっていたこともあれば、わかったつもりでやっていたこともあるし、
とにかくやってみようということでやっていたこともある。

けれど、そうやって自分でやってみることで、それもステレオサウンドの試聴室だけではなく、
自分のオーディオ機器でもやってみることで、いつのまにか身についていく。

そしてセッティングとチューニングを、それまでごっちゃに捉えていたことに気がついていくことになる。

Date: 2月 27th, 2009
Cate: 川崎和男

川崎和男氏のこと(その21)

暑い日にも関わらず、外で話し込まれる菅野先生と川崎先生。
このまま、ここで対談がはじまってしまうかも……、とちょっとだけ心配になるぐらい話が弾んでいた。

川崎先生のスタッフの方々のおかげで、菅野先生宅の階段も無事クリアーでき、
川崎先生に、菅野先生のリスニングルームに入っていただく。

「戻ってこれたぁ、戻ってきました」

菅野先生・川崎先生の対談のまえがきの書き出しは、この言葉で始めた。
しかも、この言葉を、わずか3行のあいだで、くり返し書いた。

そのわけは、川崎先生が、くり返されたからだ。
川崎先生にとって「生還」だったのだ。

心の中で、「おかえりなさい」と私は言っていた。
言葉にできなかった。

Date: 2月 27th, 2009
Cate: 川崎和男

川崎和男氏のこと(その20)

菅野先生のことだから、川崎先生と25年ぶりの再会だけに、
きっと握手をされるだろう、とは思っていた。

しっかりと力強く握手された。次の瞬間、川崎先生を抱きしめられた。

こみ上げてくるものがあった。川崎先生のスタッフの方々も同じ気持ちだったのではなかろうか。

Date: 2月 26th, 2009
Cate: 川崎和男

川崎和男氏のこと(その19)

対談の開始時間は午後1時30分からだった。
私と友人のフォトグラファー(浜崎昭匡)は、菅野先生の写真撮影もあって、30分前に、
菅野先生のお宅に到着していた。

14年ぶりの、菅野先生のリスニングルームだった。
ステレオサウンド時代に何度もおじゃました、菅野先生のリスニングルームだ。
感慨にひたっている時間的余裕はなくて、撮影の準備をすすめていく。
友人の浜崎がてきぱき手際よく進めてくれたおかげで、川崎先生到着の10分程前には撮影も終了していた。

時計を見て、そろそろお見えになるだろうから、表で持っていようと、ちょうど玄関を出ようとしたところに、
車の到着する音がきこえてきた。

菅野先生のお宅の玄関は2階なので、すぐに降りていく。すこし緊張していた。
菅野先生も降りてこられた。

Date: 2月 25th, 2009
Cate: 真空管アンプ, 長島達夫

真空管アンプの存在(その36)

私にとっての真空管アンプの手本は、まだある。
audio sharingで、その資料集を公開しているウェスターン・エレクトリック、
それからテレフンケン、ノイマンの、真空管全盛時代のアンプ群、
それから長島達夫先生のこともあげておきたい。

長島先生は、マランツの#7と#2の組合せを使っておられた。
その長島先生が設計・監修をなされたのが、
SMEから1986年に出たフォノイコライザーアンプSPA1HLと
翌87年に登場のラインアンプSPLIIHEの2機種である。

もちろん、どちらも真空管式で、マランツ#7への長島先生の恩返しでもある。

SMEのアンプは長島先生の設計だ、というウワサを耳にされた方は少なからずおられるようで、
私も数回、訊ねられたことがある。そのときはすっとぼけていたが、
ステレオサウンド別冊「往年の真空管アンプ大研究」のなかで、是枝重治氏が272ページに書かれている。
     ※
本誌創刊(註:「管球王国」のこと)前の『真空管アンプ大研究』の取材時の出来事ですが、帰路の車中で長島達夫先生が発した「僕が設計した某ブランドの球プリアンプは、マランツ#7への恩返しだった」とのお言葉は、今でも耳に残っています。
     ※
「マランツ#7への恩返し」は、私も長島先生から直接聞いている。

Date: 2月 24th, 2009
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その14)

井上先生が、ステレオサウンドでの試聴室での試聴に求められていたのは、
再現性であったように思っている。

ここでいう再現性とは、CD、アナログディスクに記録されている音楽の再現性の高さという意味ではなく、
同じ機器をセットしたら、基本的に同じ音を出せるするという意味での再現性である。

試聴室では、リファレンススピーカーのJBLの4344と言えど、他のスピーカーを聴くときには、
当然だが、試聴室の外に移動する。
そして、アンプやCDプレーヤーなどの試聴の時に、またいつもの位置にセットする。
CDプレーヤーもアンプも、リファレンス機器は決っていたが、
試聴室からまったく移動しないのは、アナログプレーヤー(マイクロのSX8000II)だけだった。

他の機種はなんであれ、他の機種の試聴の時には、移動し、また元に戻す。
何度も機器の移動、設置をくり返す。

ここで大事なのは、つねに70点くらいの音を出せるようにすることだ。
時には100点に近い、素晴らしい音を出せるけど、
違う日には、40点とか30点のひどい音でなることもある。
そういう再現性の不安定さは、試聴室では厳禁である。
それこそ、何を聴いているのかが、不明瞭になってしまう。

とにかく70点前後の音を、機器の移動をしようと、つねに維持していなくてはならない。
そういう再現性が必要なのだ。

もちろんつねに100点近い音を維持できるのが最良なのはわかっている。
けれど、試聴室はひとつの組合せを、長期間にわたってじっくり鳴らし込む環境ではない、
ということを理解しておいていただきたい。

ここで大事なのは、セッティング、チューニング、エージングを混同しないことだ。

Date: 2月 23rd, 2009
Cate: Mark Levinson, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その33)

マーク・レヴィンソンは、1982年に、追悼文を書いたと、サプリームの発行日からも、そう思われる。

サプリームの「瀬川冬樹追悼号」を、私はいま読んでいる。そのことを幸運だと思ってもいる。
82年春に読んでいては、レヴィンソンにとって、1981年がどれだけ大変な1年であったのかが、
その時は伝わってこなかった情報によって、わからなかったからだ。

1981年は、瀬川先生の死だけではなく、彼自身の会社(MLAS=Mark Levinson Audio Systems)が、
マドリガル・オーディオ・ラボラトリーズのマネージメント下におかれることになり、
マーク・グレイジャー、フィリップ・ムジオ、サンフォード・バーリンによって、
すべてのエンジニアリングは管理・指揮されるシステムへと変わっていたのだ。

そして1984年、マーク・レヴィンソンは、MLASを離れる。
社名も、マドリガル・オーディオ・ラボラトリーズ・インクとなり、
マークレビンソンはブランド名となってしまう。

なぜ、この年だったのか……。
契約上、決ってきたことなのか、それとも他に理由があるのか。

私は思う──、1983年秋に、LNP2の製造が打ち切られている。
この決定によって、レヴィンソンは、自らつくった会社を離れる決心をしたのだ、と。

Date: 2月 22nd, 2009
Cate: Mark Levinson, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その32)

レヴィンソンが、瀬川先生と最後にあったのは、ひな祭りのときだとあるから、
1981年3月ごろのことだろう。

レヴィンソンは、この時、MLASの販売部長のリンダ・マリアーノと、
瀬川先生の新築なったばかりの、世田谷に建てられた、瀬川先生のリスニングルームを訪ねている。

「相当の労力が注ぎ込まれたことは明らかであり、設計や建築にあたって、
細心の行きとどいた配慮がなされていること」が一目瞭然の、
その「簡素で優雅なたたずまい」のリスニングルームに、ふたりは感銘を受けている。

さらに「このような品位の高さは、氏自身の資質をそのまま反映したもの」とも言っている。
このリスニングルームで、瀬川先生の音を聴き、いくつかの新旧のオーディオ機器の比較試聴をすることで、
ふたりとも「同じような聴き方をしているように」感じ、
「また録音や機器の評価の観点が、まったく同じであること」に、気づく。

瀬川先生の所見は「正鵠を得たもの」とし、このとき瀬川先生が語られた言葉は
「音楽の再生という仕事──の本質について、
生涯を賭した深い省察と緻密な研究にうらづけられた、真髄を衝いたもの」だったとしている。

Date: 2月 22nd, 2009
Cate: Mark Levinson, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その31)

「瀬川さんと私のめぐりあいは、私が1975年、日本を初めて訪問したときのことでありました。」

マーク・レヴィンソンは、瀬川先生への追悼文「出合いと啓示」を、こう書き出している。
レヴィンソンは、1949年、カリフォルニア州オークランドで生まれているから、25、26歳だったわけだ。
すでにLNP2を発表していたし、この年、JC2とLNC2を出している。

この時の出合いでは、レヴィンソン自身が若すぎたためと言葉の壁があり、
瀬川先生の本質を十分に理解できなかった、としている。

それでも瀬川先生のことを「優しさと重厚さが稀有な結びつきを示した、おだやかな人柄」と評している。

その後、レヴィンソンは日本を訪れるたびに、瀬川先生と会い、
レヴィンソンにとって、瀬川先生は、
「もっとも鋭敏な感性と豊かな敬虔を兼ね備えたオーディオ界の巨匠の一人として、
当時、この複雑にして精緻な世界に、ほとんど経験もなく、ただ理想に燃えて足を踏み入れた
若輩の私に多くの啓示を与えてくれた」人であった。

瀬川先生が亡くなられる6年の間、「お互いが同じ言葉が話せたら、もっとたくさんのことを、
オーディオ以外の人の世の様々なことを、語り合うことができるのに」という瀬川先生の想いを、
レヴィンソンは、いつも気づいていた。

残念なのは、瀬川先生とレヴィンソンが、オーディオ以外のことで、
お互いが心を触れ合うようになったのは、最後に訪ねたときだった……。

Date: 2月 21st, 2009
Cate: 真空管アンプ, 長島達夫

真空管アンプの存在(その27)

ステレオサウンド別冊として刊行されていたHigh-TechnicシリーズのVol.2は、
長島先生が一冊すべてを書き挙げられたMCカートリッジの本だ。
すこし脱線するが、世界のMC型のいろいろと題して、
当時発売されていたMCカートリッジの内部構造図が、21機種分掲載されている。
ダンパーの形状、マグネットの形状や大きさ、コイルの巻き方、引き出し線がどこから出ているかなど、
個々のカートリッジの詳細がわかる、
ひじょうに充実した内容で、ここだけでも、この本は価値は十二分にあるといえるものだ。

この内部構造図を、実際にカートリッジを分解して、わかりやすいイラストを描かれたのは、
目次のイラストのところに名前がある、神戸明(かんべ・あきら)さんだ。
瀬川先生のデザインのお弟子さんだった方だ。

長島先生による「すぐれたMC型カートリッジの性能をひきだすための七章」、
 第一章:MC型カートリッジからみたヘッドシェルについて
 第二章:MC型カートリッジとトーンアームの相性
 第三章:MC型カートリッジとヘッドアンプおよびステップアップ・トランス
 第四章:プレーヤーシステムはMC型カートリッジにどんな影響をおよぼすか
 第五章:MC型カートリッジからみた望ましいプリアンプとは
 第六章:MC型カートリッジからみた望ましいパワーアンプとは
 第七章:すぐれたMC型カートリッジの性能を十全に発揮させるためのスピーカーシステムとは

この記事も、オーディオの勉強に役立った。
オーディオに興味をもちはじめて2年目、15歳の時に、この本を読んだ。
中途半端な技術書を、この時期に読んでいなくてよかった、といまでも思う。
私にとって、この本は、絶妙のタイミングで現われてくれた。幸運だった。

第三章:MC型カートリッジとヘッドアンプおよびステップアップ・トランスで、
ジョン・カールが考案したローノイズの手法を紹介されている。