「オーディオ彷徨」(「いま」読んで…… 補足)
3本目こそが、一条の光だ、と思う。
3本目こそが、一条の光だ、と思う。
「人」という漢字について、よく云われることに、
互いが支え合っているから立てる、というのがある。
現実には2本だけでは立てない。
かろうじてバランスを保つポイントを見つけても、すぐに倒れてしまう。
2本で支え合っている、というのは、あくまでも紙の上に書かれたことでしかない。
「人」が現実においてふらつかずしっかりと立つには、
陰に隠れている3本目がある、ということだ。
この3本目が何であるのかは人によって違うことだろう。
音楽の人もいる。
音楽といっても、ジャズも人もいればクラシックの人もいて、
そのジャズの中でも……、クラシックの中でも……、と、さらに細かくなっていくはず。
「オーディオ彷徨」に「あの時、ロリンズは神だったのかもしれない」がある。
ソニー・ロリンズの「サキソフォン・コロッサス」のことだ。
岩崎先生にとって、「サキソフォン・コロッサス」が3本目だ、と今回読んで気づいた。
振動板のピストニックモーションということでいえば、コンデンサー型スピーカーもより理想に近い。
ゴードン・ガウはXRT20の開発過程で、コンデンサー型によるトゥイーター・コラムを試した、とのこと。
コンデンサー型は基本的には平面振動板だから、そのままでは平面波が生じる。
XRT20のトゥイーター・コラムが目指したシリンドリカルウェーヴには、そのままではならない。
けれど、ビバリッジのSystem2SW-1は、これを実現している。
System2SW-1はステレオサウンド 50号に登場している。
XRT20は60号。ビバリッジのほうが先に出ている。
しかもSystem2SW-1の前の機種でもビバリッジはシリンドリカルウェーブを実現しているから、
ゴードン・ガウが、ビバリッジのこの手法について全く知らなかったということは、可能性はしては小さい。
シリンドリカルウェーブということにだけでみれば、ビバリッジの手法のほうが、
XRT20のソフトドーム型トゥイーターを多数使用するよりも、ずっとスマートだし、理想には近い。
けれどXRT20のトゥイーター・コラムはコンデンサー型の採用をあきらめている。
いくつかの理由は考えられる。
ウーファー、スコーカーがコーン型であるために、音色的なつながりでの整合性への不満なのか、
オリジナルを大事にするというアメリカ人としては、
他社のマネは、それがどんなに優れていてもやらない、ということなのか。
あとは、昔からその時代時代において、ハイパワーアンプを作り続けてきたマッキントッシュとしては、
コンデンサー型のトゥイーター・コラムでは最大音圧レベルでの不満が生じるのか。
なにが正しい答なのかはっきりしないが、
ゴードン・ガウが求めていたのは、理想的なシリンドリカルウェーブではなく、
結果としてシリンドリカルウェーブになってしまったような気がする。
それに、より理想的なピストニックモーションでもなかった、といえよう。
レコードを聴けないなら、日々、好きなお茶を飲めなくなったよりも苦痛だろうと思えた時期が私にはあった。パンなくして人は生きる能わずというが、嗜好品──たとえば煙草のないのと、めしの食えぬ空腹感と、予感の上でどちらが苦痛かといえば、煙草のないことなのを私は戦場で体験している。めしが食えない──つまり空腹感というのは苦痛に結びつかない。吸いたい煙草のない飢渇は、精神的にあきらかに苦痛を感じさせる。私は陸軍二等兵として中支、南支の第一線で苦力なみに酷使されたが、農民の逃げたあとの民家に踏み込んで、まず、必死に探したのは米ではなく煙草だった。自分ながらこの行為にはおどろきながら私は煙草を求めた。人は、まずパンを欲するというのは嘘だ。戦場だからいつ死ぬかも分らない。したがって米への欲求はそれほどの必然性をもたなかったから、というなら、煙草への欲求もそうあるべきはずである。ところが死物狂いで私は煙草を求めたのである。(「シュワンのカタログ」より「西方の音」所収)
*
五味先生の、この文章はしっかりと記憶している。
それだけつよい印象だったからだ。
だから、嗜好品よりも、被災地には先に送るべきものがある、ということは頭ではわかっていても、
こういう状況だからこそ、嗜好品の必要性をどうしても思ってしまう。
井上先生が「ステレオサウンドの一人勝ち」をよくないことと考えられていたのは、
いまにして思うと、オーディオ雑誌(オーディオ・ジャーナリズム)の「役目」と「役割」について、
言葉にしては出されなかったものの、井上先生の中にはなんらかの想いがあったのかもしれない。
いまオーディオ雑誌(オーディオ・ジャーナリズム)は、「役目」についてはっきりと認識しているのだろうか。
これは、ステレオサウンドが、とか、オーディオベーシックが、とか、その他のオーディオ雑誌を含めて、
ぞれぞれが個別に考えてゆくものでもあるし、全体としての共通認識としてもっていなければならないもの。
そのうえで、それぞれの「役割」を考えていくもの。
オーディオ雑誌の「役目」を共通認識としてもち、
それぞれのオーディオ雑誌が、それぞれの「役割」をになっていく。
井上先生は、こういうことを言われたかったのかもしれない。
「ベートーヴェンの音楽は、ことにシンフォニーは、なまなかな状態にある人間に喜びや慰藉を与えるものではない」
と五味先生の「日本のベートーヴェン」のなかにある。
ベートーヴェンの後期の作品もそのとおりだと思う。
五味先生は戦場に行かれている。
高射砲の音によって耳を悪くされた。
そして焼け野原の日本に戻ってこられた。
レコードもオーディオ機器も焼失していた。
そういう体験は、私にはない。
だからどんなに五味先生の文章をくり返し読もうと、
そこに書こうとされたことを、どの程度理解、というよりも実感できているのかは、
なんとも心もとないところがある。
五味先生が聴かれていたようにはベートーヴェンを聴けない──、
これはどうすることもできない事実であるけれども、
そこになんとしても近づきたい、
近づけなくとも、同じ方向を視ていたい、と気持は決して消えてなくなるものではない。
ベートーヴェンの後期のピアノ・ソナタ(30、31、32番)を聴いた。
2日前のことだ。イヴ・ナットの演奏で聴いた。
これらのピアノ・ソナタを、なまなかな状態で聴いてきたことはなかった、と自分で思っていた。
けれど、「いま」聴いていて、いままでまったく感じとれなかったことにふれることができた。
送り出す側のための音楽でもあり、送り出される側の音楽だと思えた。
五味先生の「日本のベートーヴェン」をお読みになった方、
ベートーヴェンの音楽をなまなか状態では決して聴かない人には、これ以上の、私の拙い説明は不要のはずだ。
2005年の6月から8月にかけての約2ヵ月のあいだに、菅野先生の音を3回聴く機会があった。
ステレオサウンドで働いていたときでさえ、こう続けざまに聴けることはなかった。
最初は私ひとりでうかがった。だからリスニングルームには、菅野先生と私のふたり。
2回目と3回目は二人の方をお連れしてうかがったので、4人である。
お客様に音を聴いていただくときは3人を限度としている、と菅野先生が言われていたことを何度か聞いている。
人がはいれば、そのだけ音は吸われる。
菅野先生がひとりで聴かれる音と、ひとりでも誰かがそこに加わった音は、微妙に違ってくる。
ひとりがふたりになり、ふたりが三人になれば、それだけ音の違いもより大きくなってくる。
厳密にいえば、たとえひとりでうかがっても、
菅野先生がひとりで聴かれているときとまったく同じ音は聴けない道理となる。
それでもひとりでうかがったときの音は、菅野先生がひとりで聴かれている音とほぼ同じといってもいいはず。
わずか2ヵ月のあいだで、菅野先生をいれてふたりのときの音、
4人のときの音(これは2回)をたてつづけて聴いて、
菅野先生が、3人が限度と言われているのが理解できる。
もちろん菅野先生の音も毎日同じわけではないし、
うかがうたびに音は良くなっているけれども、この2ヵ月のあいだの変化は、
とくに前回(私がひとりでうかがったとき)から何も変えていない、と言われていたから、
その差は、ほぼ無視してもいいだろう。
となると、私は菅野先生のリスニングルームにおいて、人が増えたときの音の差を確実に実感できていた。
どこがどう違うのかについてはふれない。
言いたいのは、私がひとりでうかがったときの音と、3人でうかがったときの音は、まったく同じではない。
音のバランスに微妙な違いはあったし、ほかにも気がついたことはある。
だが、どちらの音も、見事に菅野先生の音であったということ、を強調しておきたい。
あれだけ細かい調整をされていると、往々にして人がふえていくことに極端に敏感に反応して、
音が大きく崩れることも、ときにはある。
そんなひ弱さは、菅野先生の音にはなかった。そんな崩れかたはしない。
つまり音の構図がひじょうに見事だからだ。
岩崎先生は、ジャズを聴かれていた。
そのことは文章を読めば伝わってくる。
それはなにも、岩崎先生の文章のなかに、ジャズに関係する固有名詞が登場するからではなくて、
文章そのものが、ジャズでもあったと感じていた。
この点が、クラシックもジャズも聴かれる菅野先生との違いのひとつでもあったと思うし、
だからこそ、ジャズの熱心な聴き手ではない私なのに、岩崎先生の文章を読み終えると、
ジャズが無性に聴きたくなっている。
それは岩崎先生の文章には、ジャズをオーディオで聴く面白さと楽しさがあるからだ。
ステレオサウンドを、オーディオ評論を築き上げてきた人たちは、
岩崎先生を除けばクラシックを主に聴かれる方ばかりだった。
クラシックでもなくジャズでもなく、ロック、ポップスをメインに聴く人は次の世代になってあらわれてきた。
いまのステレオサウンドに執筆している人たちは、
クラシック以外の音楽をメインに聴く人の方が多いようにみえる。
音楽の多様性からみれば当然のことだろう。
だが、岩崎先生のような人がひとりでもいるだろうか、と思う。
つまり文章そのものがジャズであったように、
ロックそのものが伝わってくる文章を書いている人は、いるだろうか(少なくとも私にとっては、いない)。
その文章からロック、ポップスに関する固有名詞を取り去ったあとでも、
ロックを感じさせてくれる文章を書けるオーディオ評論家の登場は、期待できるのだろうか。
それとも、単に私のロックに対するイメージが古すぎるだけなのだろうか。
2000年12月10日に、井上先生が亡くなられた。
その数ヵ月前に電話で話す機会があった。
私が audio sharing をやっていることはご存知で、「いいことやっているじゃないか」と言ってくださった。
井上先生は、ステレオサウンドだけを執筆の場とされていたわけではない。
サウンドレコパル、それにリッスン・ビュー(のちのサウンドステージ)にもよく書かれていた。
「ステレオサウンドが一人勝ちすると、オーディオ界にとってはよくないことだ」
そういう主旨のことを話されていた。
それぞれのオーディオ雑誌がそれぞれの役割をもって成り立つことが、
オーディオ界のためになることだから、依頼があれば応じる、という姿勢を一貫してとおしてこられた。
だからなのか、電話を切るときに「がんばれよ」とも言ってくださった。
私が聞いた井上先生の最後の言葉だ。
グルンディッヒ・Professional 2500の、瀬川先生の評価と菅野先生の評価がどう違うのか、は、
リンク先をお読みいただくとして、このふたりの評価は違いについては、
ステレオサウンド 54号の座談会の中でもとりあげられている。
54号での試聴は、3人の合同試聴ではなく、ひとりでの試聴である。
だから菅野先生のときのProfessional 2500の音と、瀬川先生が鳴らされたときのProfessional 2500の音が、
違っている可能性もあるわけだが、それについては座談会のなかで、
編集部の発言として、
「このスピーカに関しては、三人の方が鳴らされた音に、それほど大きな違いはなかったように思うのです」とある。
だから評価のズレが、鳴っていた音の違いによるものではない、といってもいいだろう。
となると、ふたりの聴き方の違いによる、といえるわけだが、ただそれだけで片付けられることでもない気がする。
瀬川先生の「本」づくりの作業において、書かれたものはすべておさめたいと思っている。
試聴記も含めて、だ。
試聴記といっても、すべてが30年以上昔のものばかりであり、
いま「本」に収録することにどれだけの意味があるのか、という声も実はあった。
でも実際に入力作業を続けていると、試聴記の中に意外な発見があり、おろそかにできない。
たしかにいま現在、その試聴記は試聴記としてはほとんど役に立たない。
でも、瀬川先生が何を求められていたのかは、試聴記から伝わってくることが多い。
なかには意外なモノの試聴記が,思わぬヒントを与えてくれる。
ステレオサウンド 54号に載っているグルンディッヒ・Professional 2500がそうだ。
54号では、瀬川先生のほかに、菅野先生、黒田先生の試聴記が載っている。
Professional 2500に高い評価を与えられているのは、瀬川先生ひとり。
菅野先生の評価は、かなり低い。
ここに、瀬川先生の求められている音、
つまりこの項の(その1)に書いたことが顕れている。
瀬川先生が、1966年12月に発行された ’67ステレオ・リスニング・テクニック(誠文堂新光社)で、
ビクターのPST1000について、こんなふうに書かれている。
*
コントロール・アンプとしてこれくらい楽しいものは他にあるまい。使いはじめて間がないので批評めいたことはさしひかえたいが、小生自身はこのアンプを一種の測定器としても使いたいと考えているので、いずれ何らかの発見があると思う。
*
PST1000は、当時、ビクターがSEA(Sound Effect Amplifier)コントローラーとして発売していた、
7素子のグラフィックイコライザー機能を搭載したコントロールアンプのこと。
7つの中心周波数は、60、150、400、1k、2.4k、6k、15kHz。
いまの感覚からすると7素子はローコストのアンプにでもついてくるようなものととらえてしまうが、
PST1000は、145,000円していた。
マランツの7Tが150,000円、マッキントッシュのC22が172,000円の時代のことだ。
瀬川先生の発言は、コントロールアンプとしてではなく、
グラフィックイコライザーとしてとらえられてのもの、と思う。
このあと、グラフィックイコライザーを積極的には使われていないはずだし、
上の発言は、あくまでも1966年当時のことだから、時代とともに変化していった可能性もある。
もうそのへんのことは確かめようがないけれど、
グラフィックイコライザーを積極的に使うと言う選択も、導入しないという選択も自由だ。
どちらが正解というわけではない。
それでも、一度はグラフィックイコライザーを徹底的に使ってみてほしい、といいたい。
そこには、瀬川先生も言われているように「何らかの発見があると思う」からだ。
スーパーウーファーの使いこなしに苦手意識をもっている人は、
実際に確かめたわけではないが、スピーカーの自作の経験のない人かもしれない、と思うことがある。
そのスピーカーの自作も、いきなり2ウェイなり3ウェイといったマルチウェイからとりかかるのではなくて、
最初はフルレンジからはじめて、トゥイーターを追加して2ウェイ、さらにウーファーを追加して3ウェイ、
こんなぐあいに段階を踏んでマルチウェイのスピーカーの自作のことだ。
たとえばカートリッジを交換する、CDプレーヤーを交換する、アンプを交換する、
交換によって生じる音の違いには、エネルギーの総体量の変化は、基本的にはないといっていいだろう。
厳密にいえばワイドレンジのカートリッジもあればナローレンジのモノもある。
アンプにしても、古い古典的な、トランスを多用した管球アンプと、最新のソリッドステートアンプとでは、
やはり周波数特性も違うし、ノイズレベルも異るから、エネルギーの総体量は、決して同じではない。
でも、フルレンジのスピーカーにトゥイーターを足したり、
メインのスピーカーシステムにスーパーウーファーを足すのに較べると、
その差は、ないとはいえないまでも少ない。
つまり上に書いたスピーカーの自作の経験のある人は、エネルギーの総体量の変化に対して、耳が馴れている。
ない人は、スーパーウーファーの使いこなしに対して、臆病になっている、そういう面がありはしないだろうか。
ここから話はズレるけれど、
フルレンジからスタートしたスピーカーに、次の段階としては、
ふつうトゥイーターを追加することが一般的ではないだろうか。
少なくとも、私はそう思っていたし、これは瀬川先生の4ウェイ構想の影響でもあるけれど、
私には、ウーファーを、まず追加する、という発想はなかった。
いま瀬川先生の「本」に関連した作業で、
岩崎先生の文章を先日入力していた。
パイオニアのスコーカーPM12Fについて書かれた文章を読んで、岩崎先生らしい、と思った。
*
これをフルレンジとしてまず使い、次なるステップでウーファーを追加し、最後に高音用を加えて3ウェイとして完成、という道を拓いてくれるのが何よりも大きな魅力だ。
*
こういう驚きは、気持がいい。