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Date: 3月 5th, 2015
Cate: audio wednesday, 五味康祐

第51回audio sharing例会のお知らせ(五味康祐氏のこと、五味オーディオ教室のこと)

4月のaudio sharing例会は、1日(水曜日)です。

1980年4月1日、五味先生が逝去された。
だから4月1日の例会のテーマは「五味康祐」である。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 2月 10th, 2015
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(続・井上卓也 著作集)

世の中にオーディオの使いこなしの腕を自慢する人は少なくない。
それでお金を稼いでいる人もいる。
ほんとうに的確な使いこなしの腕をもっているのであればいいのだが、
どうもそうではない人が少なからずいるようだ。

そういう人の中に、井上先生のことを「いのたくさん」と呼ぶ人がいる。
井上卓也を縮めての「いのたく」。
井上先生と親しい間柄で、本人をそう呼んでいたのであれば何も言わないが、
その人は一度も井上先生とは会ったことがない、という。

そして、見たことも聴いたこともない、井上先生の使いこなしのことを批判している。
自分はオーディオのすべてをわかっているといいながら、である。

そんな人が、井上先生のことを「いのたくさん」と呼ぶ。
年上の井上先生のことを、彼はなぜそんなふうに呼ぶのだろうか。
オーディオに関する知識も、使いこなしのことに関しても、ずっと上の人のことをそう呼ぶ。

井上先生は、きっと、「そんなやつのことはほっておけ」といわれるはず。
だから、もうこれ以上書かないし、
彼の心の中は、私には知りようがない。ただ私はこの人のことを信用しない。

だけど、こんな人のいうことを信用してオーディオをやっている人が、
井上先生の著作集も買う、という。
まがいものとほんものの見分けもつかずに、である。

つい「おいおい、それはないだろう」といってしまいたくなる。

Date: 2月 10th, 2015
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(井上卓也 著作集)

3月25日にステレオサウンドから「井上卓也 著作集」が出る、とのこと。

私がまだ読者だったころ、井上先生のすごさはよくわかっていなかった。
黒田先生が井上先生のすごさを誌面で語られていても、
それを疑っていたわけではないものの、井上先生の文章から、そのことは伝わり難いことでもあった。

ステレオサウンドで働くようになって、井上先生の新製品の試聴があった。
このときも編集部の先輩から、井上先生のすごさについて聞かされた。
具体的なことではなかったけれど、すごいことは、黒田先生の文章で知っている、と心の中では思っていた。

実際に試聴に立ち会ってみると、そのすごさに驚く。
なぜ、この人は、こんなわずかな音の違いまではっきりと聴き分けられるのか、とも思ったし、
それだけでなく、とにかく驚きの連続だった。

それに井上先生はタフだった。

文字だけの世界では井上先生のすごさ、魅力は伝えるのがほんとうに難しい。
オーディオフェアやショウで、ときどき講演をやられたこともある。
けれど井上先生のすごさを知らない人は、途中で席を立つこともあった。

明瞭にわかりやすく話される人ではなかった。
不特定多数の人を相手に話すのを得意とされていたわけでもなかった。
だから席を立つ人がいるのもわからないわけではない。

でもあとほんのすこし辛抱していれば……、と、そういう場にいると思ってしまう。
オーディオには辛抱も必要である。
その辛抱ができずに出ていってしまう。
そういう人には、井上先生のすごさはわからないのではないか。

「井上卓也 著作集」に、どの記事がおさめられるのかはわからない。
もちろん編集者は、いい記事を選んでいるはずだ。
それでも井上先生と一度も会ったことのない世代に対しては、
井上先生が書かれたものだけでなく、補うものが必要だと思う。

そしてもうひとつ思うのは、私も井上先生の書かれたものをaudio sharingで公開している。
けれどステレオサウンドが一冊の本としてまとめて出すのは、意味合いにおいて違うところがある。

いまステレオサウンドは岩崎先生、瀬川先生、岩崎先生の著作集を出している。
このことをいまステレオサウンドに書いているオーディオ評論家を名乗っている人たちは、
どう感じているのだろうか。何も感じていないのだろうか。

Date: 1月 13th, 2015
Cate: James Bongiorno

ボンジョルノとレヴィンソン(その3)

2013年、ジェームズ・ボンジョルノが逝った。
ステレオサウンドにボンジョルノの記事が載ることはなかった。

数ヵ月後、ソナスファベールの創業者のフランコ・セルブリンが逝ったときは、
ステレオサウンドに記事が載った。

扱いの違いに、腹が立った。
編集者は何をみているんだろうか、と。

マーク・レヴィンソンは生きている。
ダニエル・ヘルツというブランドを興している。
レヴィンソンもいつかは逝く。
数年後か十年後か、いつなのかはまったくわからないけれど、いつかその日はくる。
ステレオサウンドは、きっとマーク・レヴィンソンの記事を掲載することだろう。

その時は、もう腹を立てることはない。
もうわかっていることだから、……その程度だと。

ジェームズ・ボンジョルノには長いブランクがあった。
一時期忘れ去れていた、ともいえる。
けれど、ボンジョルノによるアンプの音を聴いた者(惚れ込んだ者)は、
そんなときでもボンジョルノのことを忘れてはいなかった。

Date: 1月 9th, 2015
Cate: 瀬川冬樹

1月10日を前にしておもう

その人をどう呼ぶのか、どういう敬称をつけるのか。
先生と呼ぶことに、強い抵抗感をもつ人、
ほぼすべての人に先生とつける人、
先生と呼ぶ人とそうでない人をはっきりと分けている人。

私はいまも「先生」と呼ぶ。
もうその人たちの年齢をこえたいまも先生と呼ぶ。

60、70になっても、その人たちを先生と呼んでいると思う。
先生という敬称を使うことに強い抵抗感を持っている人からすれば、
そんな私は進歩しないヤツとうつるだろう。

もうそれでいい。
いまでも考えるからだ。
生きておられたら、なんと言われただろうか、どう評価されるだろうか、と。

そんなことをどんなに考えたころで、わからないだろう、
お前が答と思ったもの、考えたものは、正しいと誰が判断するのか。
なんと無駄なことを、いつまでやっている……。

それでも考える。
無駄なこととは思っていない。
だから考え続ける。
考え続ける以上は、私にとっては、彼らはずっと「先生」である。

生きておられたら、明日八十になられる。

いつまで私は考え続けられるのだろうか。

Date: 12月 14th, 2014
Cate: 岩崎千明

ナルシスにて

海底に
万雷をきく
めざめかな

スケッチブックに、こう書かれていた。
新宿のナルシスに飾ってあった。
岡本潤氏によるもの。

岡本潤氏のことはほとんど知らない。
岡本氏が、なぜこう書いたのかはわからない。

ただジャズ喫茶の音、
岡本氏の時代のジャズ喫茶の音とは、こういうことだったのか、と勝手に思いながら眺めていた。

大音量ということだけでは、海底には届かない。
ジャズ・オーディオが大音量だった、ということがいまでも語られているが、
大音量という言葉だけで語られるものではなかったと思っている。

単なる大音量では、目から星が出る、という表現を、
菅野先生が岩崎先生の鳴らされる音を聴いて、そう言われるはずがない。

海底にまで届く万雷のようであるからこそ、ではないのか。
そういう音によって、なにかがめざめる。

遠い昔のジャズ喫茶の音はそういうものだったのかもしれない。
そして、岩崎先生の音もそうだったとおもっている。

Date: 11月 6th, 2014
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏のこと(抽き出すについて)

瀬川先生は、抽き出す、と書かれることが多かった。
いつごろからそうなのかわからないが、おそらくつステレオサウンド 16号以降ではないか、とみている。

ステレオサウンド 16号のオーディオ巡礼で五味先生が瀬川先生のリスニングルームに行かれた。
こう書かれてあった。
     *
瀬川氏へも、その文章などで、私は大へん好意を寄せていた。ジムランを私は採らないだけに、瀬川君ならどんなふうに鳴らすのかと余計興味をもったのである。その部屋に招じられて、だが、オヤと思った。一言でいうと、ジムランを聴く人のたたずまいではなかった。どちらかといえばむしろ私と共通な音楽の聴き方をしている人の住居である。部屋そのものは六疂で、狭い。私もむかし同じようにせまい部屋で、生活をきりつめ音楽を聴いたことがあった。(中略)むかしの貧困時代に、どんなに沁みて私は音楽を聴いたろう。思いすごしかもわからないが、そういう私の若い日を瀬川氏の部屋に見出したような気がした。(中略)
ボベスコのヴァイオリンでヘンデルのソナタを私は聴いた。モーツァルトの三番と五番のヴァイオリン協奏曲を聴いた。そしておよそジムラン的でない鳴らせ方を瀬川氏がするのに驚いた。ジムラン的でないとは、奇妙な言い方だが、要するにモノーラル時代の音色を、更にさかのぼってSPで聴きなじんだ音(というより音楽)を、最新のスピーカーとアンプで彼は抽き出そうと努めている。抱きしめてあげたいほどその努力は見ていて切ない。
     *
ここに「抽き出そう」とある。
だからなのではないか。
そうだと私はおもっている。

戻っていく感覚

川崎先生の10月28日のブログ(『「アプロプリエーション」という芸術手法はデザインに非ず』)を読んで、
五味先生の文章を読み返した。

ステレオサウンド 51号、オーディオ巡礼である。
     *
 二流の音楽家は、芸術性と倫理性の区別をあいまいにしたがる、そんな意味のことを言ったのはたしかマーラーだったと記憶するが、倫理性を物理特性と解釈するなら、この言葉は、オーディオにも当てはまるのではないか、と以前、考えたことがあった。
 再生音の芸術性は、それ自体きわめてあいまいな性質のもので、何がいったい芸術的かを的確に言いきるのはむつかしい。しかし、たとえばSP時代のティボーやパハマン、カペー弦楽四重奏団の演奏を、きわめて芸術性の高いものと評するのは、昨今の驚異的エレクトロニクスの進歩に耳の馴れた吾人が聴いても、そう間違っていないことを彼らの復刻盤は証してくれるし、レコード芸術にあっては、畢竟、トーンクォリティは演奏にまだ従属するのを教えてくれる。
 誤解をおそれずに言えば、二流の再生装置ほど、物理特性を優先させることで芸術を抽き出せると思いこみ、さらに程度のわるい装置では音楽的美音——全音程のごく一部——を強調することで、歪を糊塗する傾向がつよい。物理特性が優秀なら、当然、鳴る音は演奏に忠実であり、ナマに近いという神話は、久しくぼくらを魅了したし、理論的にそれが正しいのはわかりきっているが、理屈通りいかないのがオーディオサウンドであることも、真の愛好家なら身につまされて知っていることだ。いつも言うのだが、ヴァイオリン協奏曲で、独奏ヴァイオリンがオーケストラを背景につねに音場空間の一点で鳴ったためしを私は知らない。どれほど高忠実度な装置でさえ、少し音量をあげれば、弦楽四重奏のヴァイオリンはヴィオラほどな大きさの楽器にきこえてしまう。どうかすればチェロが、コントラバスの演奏に聴こえる。
 ピアノだってそうで、その高音域と低域(とくにペダルを踏んだ場合)とでは、大きさの異なる二台のピアノを弾いているみたいで、真に原音に忠実ならこんな馬鹿げたことがあるわけはないだろう。音の質は、同時に音像の鮮明さをともなわねばならない。しかも両者のまったき合一の例を私は知らない。
 となれば、いかに技術が進歩したとはいえ、現時点ではまだ、再生音にどこかで僕らは誤魔化される必要がある。痛切にこちらから願って誤魔化されたいほどだ。とはいえ、物理特性と芸術性のあいまいな音はがまんならず、そんなあいまいさは鋭敏に聴きわける耳を僕らはもってしまった。私の場合でいえば、テストレコードで一万四千ヘルツあたりから上は、もうまったく聴こえない。年のせいだろう。百ヘルツ以下が聴こえない。難聴のためだ。難聴といえばテープ・ヒスが私にはよく聴きとれず、これは、私の耳にはドルビーがかけてあるのさ、と思うことにしているが、正常な聴覚の人にくらべ、ずいぶん、わるい耳なのは確かだろう。しかし可聴範囲では、相当、シビアに音質の差は聴きわけ得るし、聴覚のいい人がまったく気づかぬ音色の変化——主として音の気品といったもの——に陶然とすることもある。音楽の倫理性となると、これはもう聴覚に関係ないことだから、マーラーの言ったことはオーディオには実は該当しないのだが、下品で、たいへん卑しい音を出すスピーカー、アンプがあるのは事実で、倫理観念に欠けるリスナーほどその辺の音のちがいを聴きわけられずに平然としている。そんな音痴を何人か見ているので、オーディオサウンドには、厳密には物理特性の中に測定の不可能な倫理的要素も含まれ、音色とは、そういう両者がまざり合って醸し出すものであること、二流の装置やそれを使っているリスナーほどこの点に無関心で、周波数の伸び、歪の有無などばかり気にしている、それを指摘したくて、冒頭のマーラーの言葉をかりたのである。
     *
読み返して、いま書いていることのいくつかの結論は、ここへ戻っていくんだ、という感覚があった。

Date: 10月 13th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その12)

きもちを思い出すとともに、もうひとつ思っていたことがある。

義を見てせざるは勇なきなり、である。

勇(勇気)は、長い時間持っておく必要はない。
川崎先生の正面に座っていたのだから、
そこから川崎先生のところに歩いていき、挨拶をして、菅野先生との対談をお願いするだけ。
時間にすれば、一分とかからない。三十秒もあればいい。
その短い間だけ勇をもっていればいいだけのことである。

だから、川崎先生の話が終った後、二年前にはおじけづいてしまったことがやれた。
それに私が菅野先生と川崎先生の対談をやろうと思った川崎先生の文章のタイトルは「得手」である。

私の「得手」はオーディオである。
「得手」に川崎先生が書かれている。
     *
すでに郷愁かもしれないが、オーディオは私が得意とする分野だ。
 デジタル時代になって、アナログ再生に深く関与できた青春は終わったと思っていた。しかし、今この得意領域に立ち戻るつもりだ。それは、20年間もの醸造時間をかけてきた祈念ですらあるわけだ。
     *
2000年のE-LIVEでは、川崎先生のところへ行き、名刺交換し話されている人たちを羨ましくも思えた。
この人たちは、デザインの仕事をしているんだろうな……、と。

この時気づかなかったこと、
川崎先生の「得手」も私の「得手」もオーディオである。
オーディオマニアとしての川崎先生に、オーディオマニアとして会いに行けばいいことに、気づいた。

「得手」を、川崎先生はこう結ばれている。
     *
 まだまだ不得手なことがあることに気付いた。しかもそれは得手だった音響についてのデジタル化のデザインがテーマだ。最も得手になる、それもトップクラスの得手になる自分を早く発見したい。
     *
「トップクラスの得手になる自分」──、
だからこそDesign Talkとの出逢いは、私にとって第二章の始まりである。

Date: 10月 12th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その11)

三回目のE-LIVEで、川崎先生の講演が終ってすぐに、川崎先生のところに行った。
この日、最前列の中央の席に座っていた。川崎先生にもっとも近い距離の席である。

2000年のE-LIVEのときもそうだったが、講演終了後、何人かの人が川崎先生のところへ行く。
すごい行列ができるわけではないから、しばらく待っていればいいことなのだが、
待っている間に気持が萎えるか、2000年のときのようにおじけづくのをさけるためにも、その席に座っていた。

名詞を渡した。
名刺といっても、前日にMacとプリンターでつくったもの。
audio sharingの文字を大きくして、
あとはURLとメールアドレスだけの名刺だった。

そして「オーディオ評論家の菅野先生と対談をしていただけないでしょうか」と切り出した。

この時の川崎先生の表情は、いまもはっきりと憶えている。

──こう書くと、これまでの逡巡は何だったか、と思われるかもしれないが、
実を言うと、まったく迷っていなかったわけではない。

この日、川崎先生は「いのち・きもち・かたち」について話された。
これをきいてしりごみしそうになっていた。

けれど、「いのち・きもち・かたち」が背中を押してくれもした。

「いのち・きもち・かたち」。
川崎先生の話をききながら、自分にあてはめていた。

私のいのちはなにか。
答はすぐに出た。オーディオマニアである。
きもちは──。
すぐに出なかった。
かたちは──。
すぐに出た。audio sharingがそうだ、と。

もう一度、きもちは──、と問う。
audio sharingをつくろうとおもいたったときの「きもち」を思い出した。

Date: 10月 12th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その10)

2001年4月。
あるオーディオ店で菅野先生のイベントがあることを知った。
出掛けていった。またPowerBook G3を携えてである。

この時、菅野先生からaudio sharingでの公開の許諾をいただいた。
菅野先生の連絡先は知っていた。
でも電話や手紙ではなく、直接お会いして、こういうことをやっていると伝えたかったから、こうしたわけである。

菅野先生はaudio sharingのトップページを見て「美しいじゃないか」といわれた。
これは嬉しかった。
みっともないトップページではないとわかっていても、それだけでは足りなかったからだ。

川崎先生はデザイナーである。
だから菅野先生の一言が、嬉しかったし自信にもなった。

E-LIVEは2001年も開催された。
だがこのときは川崎先生ではなく、MAC POWERの編集長がゲストだった。

この年の夏に菅野先生の文章を公開した。
あとは川崎先生に会える機会(E-LIVE)を待つだけである。

2002年6月1日、五反田の東京デザインセンターで、三回目となるE-LIVEが開催された。

Date: 10月 11th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その9)

2000年8月16日に、audio sharingを公開した。

audio sharingは、菅野先生と川崎先生の対談を実現するためにつくった「場」である。
audio sharingをつくった理由はそれだけではない、他にも大きな理由がある。

とにかく「場」をつくらないことには(持たないことには)、対談をやることはできない。
この「場」をつくるために、1999年12月末に仕事を辞めていた。

仕事を続けながら、毎日少しずつこつこつとやっていくのが、
賢明といわれるやり方なのはわかっていたけれど、それではいつになるのかはわからない。
とにかく公開できるようなかたちを早くつくっておきたかった。

2000年5月には人に見せられるぐらいにはなっていた。
ちょうどそのころ、五反田の東京デザインセンターでE-LIVEが開催された。
E-LIVEは、ディスプレイ専門メーカーのEIZO主催で、川崎先生のトークショーがある。

ここで、菅野先生との対談のことを話すことができるのではないか、と考えた。
それでPowerBook G3を携えてE-LIVEに行った。

この日、会場には増永眼鏡のMP690が展示されていた。
アンチテンションのフレームである。

このMP690を見て、おじけづいた。
まだ見せられない、と。

Date: 10月 10th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(余談)

1998年12月に、ひとつだけ実行したことがある。
メガネを川崎先生のデザインのモノにした。

アンチテンションのMP690の発売をきっかけに取扱店が一気に増えたが、
それまでは日本橋の三越本店別館のメガネサロンだけでしか取り扱っていなかった。
十数年前まで、東京でもただ一店のみだった。
(アンチグラヴィティのMP621だけはサングラスとして、六本木AXISのLIVING MOTIFでも取り扱ってはいた)

だから、そこへ行った。
行けばわかるのだが、ここは他のメガネ店とはちょっと違う。
売れているフレームの多くはかなり高価なモノばかりで、
私が行った時も、隣の人が払っていた金額は私が払った金額の約十倍だった。

そんな三越のメガネサロンに、たしかに川崎先生のフレームが並べられていた。
けれどお目当てのフレームはなかった。
店員にたずねた。
増永眼鏡に問い合せてくれて、どのフレームなのかを確認して取り寄せてもらうことになった。

私が欲しかったのはMP649。
それまでMP649は入荷していなかった。店員も知らなかったそうだ。

私が注文して初めて入荷したことになる。
つまりMP649に関しては、東京でのただ一店の取扱店ですら初めての入荷ということは、
私が少なくとも東京では最初に手にしたことになる。
しかも、おそらくしばらくは他の人は誰もMP649をかけていなかった。

Date: 10月 10th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その8)

ステレオサウンド編集部にまだ勤めていたら、この人に会えるのに……、と思った日がもう一度あった。
1998年11月18日である。
毎月18日はMAC POWERの発売日である。
12月号のDesign Talkは、「得手」とつけられていた。

ここでオーディオについて書かれていた。
いつになくオーディオについて長く書かれている、嬉しいな、と思いながら読み進めていくうちに、
「レコード演奏家」という言葉が出てた。そして「オーディオ評論家のS・O氏」ともあった。

オーディオ評論家のS・O氏、菅野先生のことである。
     *
同氏には、車・パイプ・西洋人形という収集品についても彼なりの美学を聴かせていただいた。生意気盛りの私は、そこからモノの美学性を衝撃的に学ぶことができた。
 S・O氏からいただいたLPレコードは宝モノになっている。また、日本でもトップのミキサーである彼の推薦新譜批評は読み続けてきた。いずれ、また会える機会が必ずあると思って楽しみにしている。
 当時はイヤなオーディオ評論家もいた。そんなやつに限って私のデザインを全面否定した。否定されたからイヤな評論家だというのではない。その評論家の趣味性や音・音楽・音響の「得意」性を疑っていたのだ。S・O氏は、初対面でこの人はデザインが語れると直感できた人物である。
 もう私などS・O氏には忘れられてしまっているかもしれない。オーレックス(’70年代の東芝のハイファイ・システム)ブランドで、エレクトレットコンデンサー・カートリッジのアンプ「SZ-1000」のデザインについてアドバイスをいただいた。その機種が私の東芝時代最後のデザインとなった。
     *
MAC POWER、1998年12月号のDesign Talkを読んで、もう一度そう思ったわけだ。
ステレオサウンド編集部にいたら、すぐさま菅野先生と川崎先生の対談を企画するのに……と。

なんとかして自分で対談を実現したい気持とともに、
おそらくMAC POWERかステレオサウンドが先に実現してしまうだろうな、とも思っていた。

だが一年建っても、どちらの編集部もやらなかった。
やらなかったから、やろう、とようやく決心した。
1999年が終ろうとしていた。
草月ホールで川崎先生の講演から五年半が経っていた。

Date: 10月 7th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その7)

五味先生がオーディオマニアの五条件として、
金のない口惜しさを痛感していることを挙げられている。

ハイドンの交響曲第四十九番について書かれている。
こう結ばれている。
     *
少々、説明が舌たらずだが、音も亦そのようなものではないのか。貧しさを知らぬ人に、貧乏の口惜しさを味わっていない人にどうして、オーディオ愛好家の苦心して出す美などわかるものか。美しい音色が創り出せようか?
     *
金のない口惜しさは、それまでも何度か痛感している。
それでも、このときほど、痛感したことはなかった。
いままでの痛感は、痛感といえるほどではなかった、と思うほど、
この日、Design Talkを読みながら、金のない口惜しさを痛感していた。

同時に、五味先生が書かれていた「金のない口惜しさを痛感していること」は、
こういうことなのかもしれない、ともおもっていた。

そういえば、あの日も雨が降っていたな、と思い出していた。

名古屋市立大学に行きたい……、けれど無理である。
また遠く感じた日だった。