1月10日を前にしておもう
その人をどう呼ぶのか、どういう敬称をつけるのか。
先生と呼ぶことに、強い抵抗感をもつ人、
ほぼすべての人に先生とつける人、
先生と呼ぶ人とそうでない人をはっきりと分けている人。
私はいまも「先生」と呼ぶ。
もうその人たちの年齢をこえたいまも先生と呼ぶ。
60、70になっても、その人たちを先生と呼んでいると思う。
先生という敬称を使うことに強い抵抗感を持っている人からすれば、
そんな私は進歩しないヤツとうつるだろう。
もうそれでいい。
いまでも考えるからだ。
生きておられたら、なんと言われただろうか、どう評価されるだろうか、と。
そんなことをどんなに考えたころで、わからないだろう、
お前が答と思ったもの、考えたものは、正しいと誰が判断するのか。
なんと無駄なことを、いつまでやっている……。
それでも考える。
無駄なこととは思っていない。
だから考え続ける。
考え続ける以上は、私にとっては、彼らはずっと「先生」である。
生きておられたら、明日八十になられる。
いつまで私は考え続けられるのだろうか。