Archive for category 人

Date: 10月 17th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その5)

「五味オーディオ教室」のしばらくあとにステレオサウンドと出合った。
41号と別冊の「コンポーネントステレオの世界 ’77」である。

この二冊のステレオサウンドで、菅野先生の書かれたものを初めて読む。
他の方の書かれたものもそうだった。

それから42号、43号……、と毎号ステレオサウンドを買っては、
文字通りじっくり読んでいた。

鞄のなかには教科書といっしょにステレオサウンドを必ず一冊いれて学校に通っていた。
休み時間には読んでいた。
学校で読み、家に帰ってからも読み、という学生時代だった。

それだけの読み応えがあった。
これだけ読んでいれば、それぞれのオーディオ評論家の音の好みは、
自然とわかってくる。

「五味オーディオ教室」から二年近く経っていただろうか、
菅野先生の音が、肉体の感じられない、肉体の臭みのない音とは思えない、と。

私がステレオサウンドを読みはじめたのは、1976年12月から。
五味先生が菅野先生のリスニングルームを訪問されてから七年ほど経っている。

七年前と同じ音を鳴らされているわけではない。
としても、整合性がここにはない。
どういうことなのだろうか、と思い始めていた。

ステレオサウンドで働くようになったのは、1982年から。
ここでも二年くらい経ったころに、あるメーカーの人と、この話になった。

その人は、こういっていた。
「五味さんの嫉妬から」だと。

そのころの菅野先生はパイプというイメージがあった。
五味先生は1921年生れ。菅野先生よりも11上である。

その人は、若造(菅野先生のこと)がパイプなぞ吸っている──、
そこが五味さんは気にくわなかったから、あんなことを書いたんだよ、と。

そんなふうに解釈する人もいるんだ、と思いながら聞いていた。
反論する気も起らなかった。

Date: 10月 16th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その4)

井上卓也、岩崎千明、上杉佳郎、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三、
私が読みはじめたころのステレオサウンドのメインは、この人だった。

七人のオーディオ評論家。
私は、菅野先生の名前を最初に知った。
「五味オーディオ教室」で知った。
     *
「オーディオすなわち〝音〟であり、〝音〟をよくすることによって、よりよい〝音楽〟がえられる」——この一見自明である理が、はたしてほんとうに自明のことであるのかどうか、まずその疑問から話を始めたい。
 以前、評論家の菅野沖彦氏を訪れ、その装置を聴いたときのことである。そこで鳴っているのはモニターの鋭敏な聴覚がたえず検討しつづける音であって、音楽ではない。音楽の情緒をむしろ拒否した、楽器の明確な響き、バランス、調和といったものだけを微視的に聴き分ける、そういう態度に適合する音であった。むろん、各楽器が明確な音色で、バランスよく、ハーモニーを醸すなら当然、そこに音楽的情緒とよぶべきものはうまれるはず、と人は言うだろう。
 だが理屈はそうでも、聴いている私の耳には、各楽器はそのエッセンスだけを鳴らして、音楽を響かせようとはしていない、そんなふうにきこえる。たとえて言えば、ステージがないのである。演奏会へ行ったとき、われわれはステージに並ぶ各楽器の響かせる音を聴くので、その音は当然、会場のムードの中できこえてくる。いい演奏者ほど、音そのもののほかに独特のムードを聴かせる。それが演奏である。
 ところがモニターは、楽器が鳴れば当然演奏者のキャラクターはその音ににじんでいるという、まことに理論的に正しい立場で音を捉えるばかりだ。——結果、演奏者の肉体、フィーリングともいうべきものは消え、楽器そのものが勝手に音を出すような面妖な印象をぼくらに与えかねない。つまりメロディはきこえてくるのにステージがない。
 電気で音をとらえ、ふたたび電気を音にして鳴らすなら、厳密には肉体の介在する余地はない。ステージが消えて当然である。しかしそういう電気エネルギーを、スピーカーの紙の振動で音にして聴き馴れたわれわれは、音に肉体の復活を錯覚できる。少なくともステージ上の演奏者を虚像としてではなく、実像として想像できる。これがレコードで音楽を聴くという行為だろう。かんたんにいうなら、そして会場の雰囲気を音そのものと同時に再現しやすい装置ほど、それは、いい再生装置ということになる。
 レコード音楽を家庭で聴くとき、音の歪ない再生を追及するあまり、しばしば無機的な音しかきこえないのは、この肉体のフィーリングを忘れるからなので、少なくとも私は、そういうステージを持たぬ音をいいとは思わない。そしておもしろいことに、肉体が消えてゆくほど装置そのものはハイ・ファイ的に、つまりいい装置のように思えてくる。

 この危険な倒錯を、どこでくい止めるかで、音楽愛好家と音キチの区別はつくと私は思ってきた。オーディオの世界に足を踏み入れたものなら一度は持ってみたいと思うスピーカー、ジム・ランシング(JBL)のトーン・クォリティを、以前から、私がしりぞけてきたのはこの理由からである。ジムランが肉体を聴かせてくれたためしはない。むろん、人それぞれに好みがあり、なまじ肉体の臭みのない、純粋な音だけを聴きたいと望む人がいて不思議はない。そしてそういう、純粋に音だけと取組まねばならぬ職業の一人が録音家だ。この意味で菅野さんがジムランを聴くのは当然で、むしろ賢明だと思う。
 しかしあくまでわれわれシロウトは、無機的な音ではなく、音楽を聴くことを望むし、挫折感の慰藉であれ、愛の喪失もしくはその謳歌であれ、憎悪であれ、神への志向であれ、とにかく、人生にかかわるところで音楽を聴く人に、無機的ジムランを私は推称しない。むろんこれは私個人の見解である。
     *
ステレオサウンド 16号での「オーディオ巡礼」でのことである。
1970年のことだ。

このときの「オーディオ巡礼」で、瀬川先生のところにも訪問されている。
瀬川先生も、菅野先生のスピーカーとほぼ同じ構成であったころだ。

瀬川先生のところでは、肉体が消えてゆく、ということはなかった。

このことを菅野先生に訊いたことがある。

Date: 10月 15th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その3)

1月14日。
杉並区の中央図書館の視聴覚ホールにて、
オクタヴィア・レコードの江崎友淑氏による講演会「菅野録音の神髄」が行われた。

十年ぶりに、この日、菅野先生と会えた。
短い時間ではあったが、話もできた。

この時、「これが最後かも」という予感があった。
そうなってしまったけれど、人は必ず死ぬ。

世の中に「絶対はない」といわれているけれど、
死は絶対である。

50をすぎたころから、友人たちにもよくいうようになった、
「50過ぎたら、いつ死んでも不思議じゃない」と。

そう思っている私は、今日、菅野先生の訃報をきいても、
頭の中がまっしろになったりはしなかった。
冷静に受け止めていた。

こうやって菅野先生のことを書き始めた。
だからといって感傷的になっていたわけではなかった。

それでも(その2)に、川崎先生のコメントがfacebookであった。
読んでいて、涙が出てきた。

Date: 10月 15th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その2)

同じころだったか、
菅野先生のさみしそうな表情を見ている。

みんな、いなくなった……、
そんなことをいわれての表情だった。

みんなとは、まさしくみんなである。
オーディオの仲間でありライバルでもあった人たち、
同世代の人たち、
1977年に岩崎先生が、1981年に瀬川先生が……、
そうやって菅野先生のまわりから、みんながいなくなった。

若い人たちがぼくの話をきいてくれるのは嬉しい、といわれていたけれど、
みんないなくなってしまったさみしさは、どうにかなるものではない。

最後まで生きていた者があじわうさみしさは、
菅野先生にあった(とおもっている)。

Date: 10月 15th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その1)

不謹慎なヤツとか薄情なヤツとかいわれそうだが、
10月になると、ここ数年、もしかすると……、とおもっていた。

もう十年以上前になる。
菅野先生と話していて、グレン・グールドのことが話題になった。
そのとき、菅野先生の誕生日とグールドの誕生日が近いことを言った。

二人とも1932年9月生れで、
グールドは25日、菅野先生は27日である。

グールドはトロント、菅野先生は東京。
時差はけっこうある。

グールドが何時ごろなのかはしらないが、
もしグールドが26日になる寸前に生れていて、
菅野先生が27日になったと同時ぐらいだったら、ほぼ同時ぐらいではないか、
そんなことを菅野先生に言った。

菅野先生も、グールドには、他の演奏家(クラシック、ジャズ関係なく)には感じない、
強いつながり、ひじょうに近いものを感じている、といわれた。

だから10月は気になっていた。
グレン・グールドは10月4日に亡くなっている。

誕生日が近いだけじゃないか──、
それだけのことと思う人はそれでもいい。

でも、私はここ数年、10月の第一週あたりは、特に気になっていた。
今年も何もなく10月の第一週は過ぎた。

少しだけ、ほっとしていた。
けれど、やはり10月だった……。

Date: 10月 15th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと

菅野沖彦(1932年9月27日 – 2018年10月13日)

Date: 9月 1st, 2018
Cate: 五味康祐

「音による自画像」(その6)

左ききのエレン」というマンガがある。

「左利きのエレン」のリメイク版だそうだ。
元の「左利きのエレン」は読んでいないし、知らなかった。

インターネットで土曜日に一話ずつ公開される。
土曜日になった瞬間(つまり午前0時)に更新され公開される。
20ページ程度のマンガなのだが、楽しみである。

43話が公開されている。
ここにも自画像ということばが登場する。

主人公の山岸エレンは、圧倒的な才能をもつ絵描きである。
そのエレンが、43話以前の数話で、岸あかりというモデルと出逢う。

43話の一ページ目には、
 似ているモノが
 2つ並べば
 似ている所より
 違う所が
 目につくものだ
というモノローグがある。

オーディオでも、同じだな、と思いながら、読んでいた。
43話の終り、山岸エレンが岸あかりにいう。

 私と
 お前は
 似ている……

 でも
 まるで違う
 その違いを知りたい

 ずっと避けていたけど……
 お前を通じてなら
 ちゃんと
 描ける気が
 したんだ

 自画像

「左ききのエレン」の43話の山岸エレンのセリフは、
私にとって「音による自画像」についての答だと思った。

そうか、そういうことだったか、と思うと同時に、
これもまた、次の瞬間に問いへとなっている。

Date: 9月 1st, 2018
Cate: 五味康祐

「音による自画像」(その5)

「音による自画像」は、「天の聲」のなかにも出てくる。
「音による自画像」という文章が「天の聲」に収められている。

つまり「音による自画像」を少し手直しされたものが、「五味オーディオ教室」に載っているわけだ。
古くからの五味先生の読者であれば「音による自画像」を先に読まれているだろうし、
「音による自画像」だけを読まれているかもしれない。

私は「五味オーディオ教室」を先に読んで、それから数年後に「音による自画像」という順だった。
「音による自画像」は、こう終っている。
     *
 音楽は、言うまでもなくメタフィジカルなジャンルに包括されるべき芸術であって、時には倫理学書を繙くに似た感銘を与えられねばならない。そういうものに作者の肖像を要求するのは、無理にきまっている。でもトランペットの嫌いな作曲家が、どんなところでこの音を吹かせるかを知ることは、地顔を知る手がかりになるだろう。音譜が描き分けるそういう自画像を、私はたずねてみようと思う。ほかでもない私自身の顔を知りたいからである。
     *
「五味オーディオ教室」でも、このところはほぼそっくりある。
けれど、少し違うところもある。
     *
 音楽は、言うまでもなくメタフィジカルなジャンルに包括されるべき芸術であって、ときには倫理学書を繙くに似た感銘を与えられねばならない。そういうメタフィジカルなものに作者の肖像を要求するのは、無理にきまっている。でもトランペットの嫌いな作曲家が、どんなところでこの音を吹かせるかを知ることは、地顔を知る手がかりにはなろう。音譜が描き分けるそういう自画像を、私はたずねてみようと思う。
 あきもせず同じ曲を毎年くり返し録音することも、そういった作曲家の自画像の探求を通じて、ほかでもない、私自身の顔を残してくれるかも知れない、鏡に写すようにそんな自分の顔が、テープには収まっているかも……とまあそんな屁理屈をいって、結局、死ぬまで私は年末にはバイロイト音楽祭を録音しているだろう、と思う。業のようなものである。
     *
《鏡に写すようにそんな自分の顔が、テープには収まっているかも……とまあそんな屁理屈》とある。
「五味オーディオ教室」のほうが後に書かれている。

「音による自画像」は、屁理屈なのかもしれない。
それでも「音による自画像」は、いまも私にとっては問いである。

Date: 9月 1st, 2018
Cate: 五味康祐

「音による自画像」(その4)

またか……、と思われようが、しつこいくらいにくり返すが、
私のオーディオは「五味オーディオ教室」から始まっている。

何度も何度も読み返していた。
学校へも持っていってた。
休み時間に、読んでいた。

いくつもの印象に残るところがある。
そのひとつが、これである。
少々長くなるが、引用しておく。
     *
 毎年、周知のようにバイロイト音楽祭の録音テープが年末にNHKからFMステレオで放送される。これをわが家で収録するのが年来の習慣になっている。毎年、チューナーかテープデッキかアンプが変わっているし、テープスピードも曲によって違う。むろん出演者の顔ぶれも違い、『ニーベルンゲンの指輪』を例にとれば、同じ歌手が違う指揮者のタクトで歌っている場合も多い。つまり指揮者が変われば同一歌手はどんなふうに変わるものか、それを知るのも私の録音するもっともらしい口実となっている。だが心底は、『ニーベルンゲンの指輪』自家版をよりよい音で収録したい一心からであって、これはもう音キチの貪欲さとしか言いようのないものだ。
 私の場合、ユーザーが入手し得る最高のチューナーを使用し、七素子の特製のアンテナを、指向性をおもんぱかってモーター動力で回転させ、その感度のもっともいい位置を捉え、三十八センチ倍速の2トラックにプロ用テレコで収録する。うまく録れたときの音質は、自賛するわけではないが、市販の4トラ・テープでは望めぬ迫力と、ダイナミックなスケール、奥行きをそなえ、バイロイト祝祭劇場にあたかも臨んだ思いがする。一度この味をしめたらやめられるものではなく、またこの愉悦は音キチにしかわかるまい。
 白状するが、私は毎年こうした喜悦に歳末のあわただしい数日をつぶしてきた。出費もかさんだ。家内は文句を言った。テープ代そのものより時間が惜しい、と言うのである。レコードがあるではありませんか、とも言う。たしかに『ワルキューレ』(楽劇『ニーベルンゲンの指輪』の第二部)なら、フルトヴェングラー、ラインスドルフ、ショルティ、カラヤン、ベーム指揮と五組のアルバムがわが家にはある。それよりも同じ『指輪』の中の『神々の黄昏』の場合でいえば、放送時間が(解説抜きで)約五時間半。収録したものは当然、編集しなければならぬし、どの程度うまく録れたか聴き直さなければならない。聴けば前年度のとチューナーや、アンプ、テレコを変えているから音色を聴き比べたくなるのがマニアの心情で、さらにソリストの出来ばえを比較する。そうなればレコードのそれとも比べたくなる。午後一時に放送が開始されて、こちらがアンプのスイッチを切るのは、真夜中の二時、三時ということになる。くたくたである。
 歳末には新春用の原稿の約束を果たさねばならないのだが、何も手につかない。翌日は、正午頃には起きてその日放送される分のエア・チェックの準備にかからねばならず、結局、仕事に手のつかぬ歳暮を私は過ごすことになる。原稿を放ったらかすのが一番、妻の気がかりなのはわかっているだけに、時には自分でも一体なんのためにテープをこうして切ったり継いだりするのかと、省みることはある。どれほどいい音で収録しようと、演奏そのものはフルトヴェングラーの域をとうてい出ないことをよく私は知っている。音だけを楽しむならすでに前年分があるではないか、放送で今それを聴いてしまっているではないか、何を改めて録音するか。そんな声が耳もとで幾度もきこえた。よくわかる、お前の言う通りさと私は自分に言うが、やっぱりテープをつなぎ合わせ、《今年のバイロイトの音》を聴き直して、いろいろなことを考える。
 こうして私家版の、つまりはスピーカーの番をするのは並大抵のことじゃない、と思い、ワグナーは神々の音楽を創ったのではない、そこから強引にそれを奪い取ったのだ、奪われたものはいずれは神話の中へ還って行くのをワグナーは知っていたろう、してみれば、今、私の聴いているのはワグナーという個性から出て神々のもとへ戻ってゆく音ではないか。他人から出て神に帰るものを、どうしてテープに記録できるか、そんなことも考えるのだ。
 そのくせ、次の日『神々の黄昏』を録っていて、ストーリーの支離滅裂なのに腹を立てながらも、やっぱり、これは蛇足ではない、収録に値する音楽である、去年のは第二幕(約二時間)でテープが足りず尻切れとんぼになったが、こんどはうまく録ってやるぞ、などとリールを睨んでいる。二時間ぶっ通しでは、途中でテープを交換しなければならない、交換すればその操作のあいだの音楽は抜けてしまうので、抜かさぬために二台のテレコが必要となり、従前の、ティアックのコンソール型R三一三にテレフンケンM28を加えた。さらには、ルボックスA七〇〇を加えた。したがって、テレフンケンとルボックスとティアックと、まったく同じ条件下で収録した音色をさらに聴き比べるという、余計な、多分にマニアックな時間が後で加わる。
 とにかくこうして、またまたその夜も深夜までこれにかかりきり、さてやり終えてふと気づいたことは、一体、このテープはなんだという疑問だった。少なくとも、普通に愛好家が録音するのはワグナーのそれが優れた音楽だからだろう。レコードを所持しないので録音する人もいるだろう。だが私の場合、すでにそれは録音してある。何年か前はロリン・マゼールの指揮で、マゼールを好きになれなんだから翌年のホルスト・シュタインに私は期待し、この新進の指揮にたいへん満足した。その同じ指揮者で、四年間、同じワグナーが演奏されたのである。心なしか、はじめのころよりうまくはなったが清新さと、精彩はなくなったように思え、主役歌手も前のほうがよかった。それだけに、ではなぜそんなものを録音するかと私は自問したわけだ。そして気がついた。
 私が一本のテープに心をこめて録音したものは、バイロイト音楽祭の演奏だ。ワグナーの芸術だ。しかし同じ『ニーベルンゲンの指輪』を、逐年、録音していればもはや音楽とは言えない。単なる、年度別の《記録》にすぎない。私は記録マニアではないし、バイロイト音楽祭の年度別のライブラリイを作るつもりは毛頭ない。私のほしいのはただ一巻の、市販のレコードやテープでは入手の望めぬ音色と演奏による『指輪』なのである。元来それが目的で録音を思い立った。なら、気に食わぬマゼールを残しておく必要があるか、なぜ消さないのか、レコード音楽を鑑賞するにはいい演奏が一つあれば充分のはずで、残すのはお前の未練か? 私はそう自問した。
 答はすぐ返ってきた。たいへん明確な返答だった。間違いなしに私はオーディオ・マニアだが、テープを残すのは、恐らく来年も同じ『指輪』を録音するのは、バイロイト音楽祭だからではない、音楽祭に託してじつは私自身を録音している、こう言っていいなら、オーディオ愛好家たる私の自画像がテープに記録されている、と。我ながら意外なほど、この答えは即座に胸内に興った。自画像、うまい言葉だが、音による自画像とは私のいったい何なのか。
     *
音による自画像、
「五味オーディオ教室」のなかでも、最も印象に残っているものだ。

五味先生は《答はすぐ返ってきた。たいへん明確な返答だった》と書かれている。
確かにそうだろう。
バイロイト音楽祭の録音テープを残すのは──、という自問に対しての明確な答ではある。

けれど、中学二年の私にとっては、それはいまも続いている問いである。
五味先生にとっても、音による自画像は、すぐ返ってきた明確な返答であったろうが、
次の瞬間からは、音による自画像は問いになっていたのではないのか。

Date: 8月 24th, 2018
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その30)

ステレオサウンド 59号で《まして、鳴らし込んだ音の良さ、欲しいなあ》と、
瀬川先生が吐露するような書き方をされていた。

瀬川先生がJBLのパラゴンを自分のモノとされていたら、
どんな組合せで、どんな音で鳴らされただろうか。

リスニングルームがどうであったかによっても音量は変ってくるのはわかっている。
音量を気にせずに鳴らされる環境であっても、
瀬川先生はパラゴンを鳴らされる時、じつにひっそりした音量だったのではないか、と思う。

LS3/5Aが鳴らす世界を、ガリバーが小人の国のオーケストラを聴いている、と表現されたように。

パラゴンとLS3/5Aとでは、スピーカーシステムとしての規模がまるで違う。
搭載されているユニットを比較しても明らかである。

それでもパラゴンにぐっと近づいての、ひっそりした音量で聴く──。
椅子に坐ってであれば、斜め上から小人のオーケストラを眺めるような感じで、
床にじかに坐ってならば、小人のオーケストラのステージに顎を乗せて向き合う感じで。

そんな聴き方をされた、と思う。
だからアンプは精緻な音を出してくれなければならない。

そういえば瀬川先生はパラゴンの組合せとして、
マークレビンソンのLNP2とスレッショルドの800Aというのが、
「コンポーネントステレオのすすめ・改訂版」にあったのを思い出す。

Date: 8月 23rd, 2018
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(その10)

1978年の終り近くに「オーディオ彷徨」が出た。
ステレオサウンド 49号に黒田先生による書評が載っている。

そこに、こう書いてある。
     *
 目次の前に、「愛聴盤リスト」がのっています。これは、この本を編集を担当した細谷信二さんに個人的にたのんで、のせてもらったものです。岩崎さんの書き残されたものを読みたいと思うんなら、岩崎さんがどんなレコードを日頃おききになっていたのかを知りたいにちがいないと考えたからです。かくいうぼく自身が、それを知りたいと思いました。ですから、まずそれを、じっくりながめました。
     *
五年前に「良い音とは 良いスピーカーとは?」が出た。
いまも書店に並んでいたりする。
一年ほど前に手にとって奥付をみたら、三刷とあった。
売れているのだろう。

けれど、「良い音とは 良いスピーカーとは?」には瀬川先生の「愛聴盤リスト」は載ってない。

Date: 8月 7th, 2018
Cate: 瀬川冬樹

8月7日

体感気温が40度を超える日が続いていた。
今日は過しやすかった。
今日は8月7日である。

ステレオサウンド 61号に岡先生が書かれている。
     *
 八月七日、本誌第六十号のアメリカ・スピーカー特集のヒアリングの二日目、その日の夕刻から急にくたびれた様子が目立っていた彼の夕食も満足にできないという痛痛しい様子に、早く寝た方がいいよと思わずいってしまった。翌朝、彼は必死の気力をふりしぼって病院にかけつけ、そのまま入院した。それから、一進一退の病状が次第に悪化して、ちょうど三ヵ月目に亡くなった。
     *
37年前の8月7日はどうだったのだろうか。
こんなには暑くなかったはずだ。

以前は11月7日に、おもうことがあった。
ここ数年は、8月7日に、おもうことがあるようになっている。

Date: 8月 1st, 2018
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その16)

AXIOM 80には毒がある、と書いてきている。
その毒はどこから来ているのか。

ひとつには独自の構造から来ているとも書いている。
AXIOM 80は通常のエッジではないし、通常のダンパーではない。
それの実現のために、独自の構造、
つまりフレームの同軸構造ともいえる形態をもつ。

メインフレームから三本のアームが伸び、サブフレームを支えている。
このサブフレームからはベークライトのカンチレバーが外周を向って伸び、
メインコーンの外周三点を支持している。

AXIOM 80の写真を見るたびに、
このユニットほど、どちらを上にしてバッフルに取り付けるかによる音の変化は大きい、と思う。
そんなのはユニット背面のAXIOM 80のロゴで決めればいい、悩むことではない、
そんなふうに割り切れればいいのだが、オーディオはそんなものじゃない。

独自のフレームとカンチレバー。
この部分の面積は意外にあるし、この部分からの不要輻射こそ毒のうちのひとつであり、
同じ構造を気現在の技術で現在の素材でつくるとなると、
サブフレーム、三本のアームの形状は断面が四角ではなく、違う形状になるはずだ。

少なくともコーンからの音の邪魔にならないように設計しなおされる。

でも、それだけでは根本的な解決にはいたらない。
AXIOM 80の現代版は、フレームの同軸構造を内側から外側へと反転させる。
サブフレームはメインフレームよりも小さいのを、メインフレームよりも大きくして、
メインフレームの外側に位置するようにしてしまう。

そのためユニット全体の口径は振動板の大きさからすれば、ひとまわり大きくなるが、
そうすればカンチレバーもメインフレーム外側にもってくることができ、
バッフルに取り付けた正面は、一般的なダブルコーンである。

サブフレームとカンチレバーは、バッフルに取り付けた際に、
バッフルに隠れるし、この部分からの不要輻射はバッフルが抑える。

Date: 7月 27th, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その18)

その10)で引用した
青山ホールの《響きをとったわけじゃない》という菅野先生の発言。

ホールの響きをとらないのに、スタジオではなくホールなのか。
ステレオサウンド 49号で、そのことについて語られている。
     *
菅野 ただね、エコーがなくても、空間感というのは、必要なんですよ。よくジャズだから、エコーいらないのだから、そんな広いホールでやる必要ないという人がいますが、実はそうではないのてす。やはり、ホールの持っている容積は、そこで出る音を決定的に左右するわけなんです。必ずしもエコーだけのためでなく、ある空間の中でのびのびした音というようなことから使うわけです。
保柳 のびのびというのかな。
菅野 要するに、音の抜けがよくなる。そんな意味からも使う。デッドであっても、容積の大きなホールは、音が抜けるということもあるし、逆に小さなところであれば、抜けが悪く飽和して、モヤモヤになってしまう。まあ、音楽の性格を考えたとき、必ずしもエコーを必要としなくても、ある容積を持ったホールを使うことになります。
保柳 よくいうんですけれど、アコースティック楽器というのは、ある空間を初めから、計算に入れて作られていますね。
菅野 そうそう、だから大きすぎるのも困る。
保柳 ヴァイオリン一つにしても、スタジオでとると、これはという音がなかなかとれない。確かにある水準はとれる、いいスタジオであれば。しかし、どこか違う。抜けというか、ほんとうのヴァイオリンの音になってこない。その同じヴァイオリンがホールへ持っていくと不思議とヴァイオリンの音になってくるんですね。
     *
ここでのエコーは、その前の発言で、
保柳健氏がいわゆるエコーをつけることを語られているため、
電気的なエコーと録音空間の残響とが一緒くたになっているようだ。

空間の大きさと空気の硬さとの関係は、何も録音の現場だけでの話ではなく、
再生の場、つまり家庭での空間についても、ひとしく同じことがあてはまる。

昔から、小さな空間は空気が硬い、といわれていた。

Date: 7月 11th, 2018
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

カラヤンと4343と日本人(その1)

昨年12月に別項で、このタイトル「カラヤンと4343と日本人」で書き始めたい、とした。
タイトル先行で、どんなことを書くのかはその時点ではほとんど考えてなかった。
半年経っても、そこは変らない。

でも何にも書いていかないと、書こうと決めたことすら忘れがちになるので、
思いついたことから書き始める。

五味先生と瀬川先生は、本質的に近い、と私は感じている。
それでもカラヤンに対する評価は、違っていた。

五味先生のカラヤン嫌いはよく知られていた。
瀬川先生はカラヤンをよく聴かれていた。

ここがスタートである。
カラヤンといえば、黒田先生が浮ぶ。
音楽之友社から「カラヤン・カタログ303」を出されている。

瀬川先生も黒田先生もJBLの4343を鳴らされていた。
この二人は、朝日新聞が出していたレコードジャケットサイズのオーディオムック「世界のステレオ」で、
カラヤンのベートーヴェンの交響曲全集の録音について対談されている。

JBLの4343という、フロアー型の4ウェイ、しかもペアで100万円を超えるスピーカーシステムが、
驚くほど売れたのは日本であり、
カラヤンのレコード(録音物)の売行きでも、おそらく日本が一番なのではないか。

こう書いてしまうと、日本人はブランドに弱いから、としたり顔で、
わかったようなことをいう人がいる。
そんな単純なことだろうか。

ステレオサウンドに書かれていた人では、岡先生もカラヤンを高く評価されていた。
1970年代、岡先生はARのスピーカーを鳴らされていた。

岡俊雄、黒田恭一、瀬川冬樹。
この三人の名前を並べると、ステレオサウンド別冊「コンポーネントの世界」での鼎談である。
「オーディオシステムにおける音の音楽的意味あいをさぐる」である。

この鼎談は、瀬川冬樹著作集「良い音とは 良いスピーカーとは?」で読める。