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Date: 6月 20th, 2019
Cate: 五味康祐

「音による自画像」(その7)

別項「ハイ・フィデリティ再考(ふたつの絵から考える・その7)」で、
マリア・カラスによる「清らかな女神よ」(Casta Diva, カスタ・ディーヴァ)は、
マリア・カラスの自画像そのものだ、と書いた。

このことに気づいてからは、
では、あの演奏家の「自画像」といえる演奏は、あるのかないのか。
あるとしたら、いったいどれなのだろうか、と考えることになる。

グレン・グールドについて、まず考えた。
グレン・グールドの自画像といえる演奏(録音)は、どれなのか。

ゴールドベルグ変奏曲に決っているだろう、という声は多いだろう。
でも、そうだろうか、とおもう。

グレン・グールドはバッハの録音を多く残している。
グレン・グールドはゴールドベルグ変奏曲でデビューして、
死の前年に再録音を行っている。

ゴールドベルグ変奏曲という作品のことを考え合わせれば、
いかにもグレン・グールドの自画像的といえる。

でもなんだろうか、自画像というよりも、肖像画という気がする。

多くの人がそうだっただろう、と勝手におもっているが、
グレン・グールドのブラームスの間奏曲集を聴いた時、
これもグールドなのか、と私は思った。

こういう演奏をする人なのか、と思った。
デジタル録音になってからのブラームスも、私は好きである。

では、これなのか、と自分に問う。
何か違うような、そんなところが残っている感じがする。

意外にも、グレン・グールドの自画像といえる録音は、
音楽作品ではなく、ラジオ番組の録音ではないのか、という気もする。

そんなことを考えていると、シルバージュビリーアルバムこそが、
グレン・グールドの自画像なのかもしれない。

日本ではLP一枚で発売されたが、本来は二枚組である。
二枚目には、「グレン・グールド・ファンタジー」が収められていた。

グレン・グールドの独り芝居が収められている。
これも「音による自画像」といえば、たしかにそうだ。

それでも、私にとって、グレン・グールドはまずピアニストである。
ピアニストとしてのグレン・グールドの自画像は、
私には、ハイドンのように思えてならない。

「グレン・グールド・ファンタジー」でのグレン・グールドだからこそ、
こういうハイドンが演奏できるんだな、とおもうからだ。

Date: 6月 10th, 2019
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(ステレオサウンド 210号・その5)

昨晩の(その4)の最後に、
その気持をずっと持ち続けていた人だから書ける文章がある、と書いた。

ここで「気持」という単語を使ったのは、なんとなくだった。
なんとなくだったけれど、翌朝(つまり今日)になって気づいた。

ここでの「気持」は、川崎先生がいわれる「いのち・きもち・かたち」であることに。
ステレオサウンド 210号と211号に載った「菅野沖彦先生 オーディオの本質を極める心の旅」は、
黛さんの「かたち」である。

Date: 6月 9th, 2019
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(ステレオサウンド 210号・その4)

私がステレオサウンドで働くようになったのは1982年1月の終り近くだった。
ちょうどステレオサウンド 62号の編集作業の真っ只中だった。

ステレオサウンド 62号、63号には、
「音を描く詩人の死」が載っている。
瀬川先生に関する記事である。

この記事を執筆されたのは、編集顧問のYさん(Kさんでもある)だった。

ステレオサウンド 62号、63号が出たとき私は19だった。
黛さんは1953年9月生れだから、28歳だった。
編集次長という立場だった(当時の編集長は原田勲氏)。

あのころは編集という仕事になれることに精一杯のところもあったから気づかなかったけれど、
62号と63号の「音を描く詩人の死」の文章を、
黛さんは自身で書きたかったのではないのか──、
このことに今回気づいた。

黛さん本人に確認したわけではない。
でも、きっとそうであったに違いない、と信じている。

そして、その気持をずっと持ち続けていた人だから書ける文章がある、ということだ。

Date: 6月 4th, 2019
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(ステレオサウンド 210号・その3)

今日(6月4日)は、ステレオサウンド 211号の発売日。
発売日に書店に行き手にする──、
ここ数年、そんなことすらしなくなっているけれど、今回はさきほど購入してきた。

黛健司氏の「菅野沖彦先生 オーディオの本質を極める心の旅 その2」を読みたかったからである。
タイトルは、その2ではなく、後編に変更になっている。

先週公開されたステレオサウンド 211号の告知をみて、
今回も黛健司氏が書かれるんだ、とまず思った。

先月末の日曜日、友人のAさんと会っていた。
私と同じ1963年生まれのAさんも、
「ステレオサウンドの前号(210号)でおもしろかったのは、
黛さんの記事だけだった」といっていた。

「菅野沖彦先生 オーディオの本質を極める心の旅 その1」を読みながら、
Aさんが20代のころ読んでいたステレオサウンドを思い出しながら読んでいた、とのこと。

そのときも、「その2は誰が書くんだろうね、黛さんなのかな、他の人なのかな」と話していた。
その数日後に、黛さんが書かれることがわかった。

読み終えた。
そしておもうことがある──、
ほんとうのことをいえば、黛さんが書くということがわかったときからおもっていることが、
ひとつあった。

Date: 5月 11th, 2019
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(その10・余談)

2007年に瀬川先生の二十七回忌をやったことは、以前書いた通り。
そこに瀬川先生のデザインのお弟子さんだったKさんが来られた。

この時既にKさんは、CDをリッピングして音を聴かれていた。
CDプレーヤーで聴くよりも、リッピングして聴いた方がいい、と、
いまから十二年前に言われていた。

しかもKさんによると、ハードディスクによって音が変る、ということ。
ハードディスクも、そのころはIDEに主流になっていた。
Kさんは、SCSIのハードディスクが圧倒的に音がよい、といわれた。

SCSI(スカジー)といっても、いまではほとんど通用しなくなっていることに、
ちょっと驚くけれど、1990年代ごろからパソコンを使ってきている人ならば、
周辺機器をパソコンに接続する規格は、SCSIが一般的だった。

SCSI用のハードディスクは、IDE用のハードディスクよりも高価だった。
しかも容量も小さかった。
それでもSCSIのハードディスクを使うメリットが、オーディオマニア的にはあったわけだ。

Date: 5月 9th, 2019
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(その10)

その2)で書いていることの数ヵ月後だったか、
長島先生が、ステレオサウンド編集部に立ち寄られた。
秋葉原に行ってきた帰り、ということだった。

カバンの中から、何かを取り出された。
初めて目にするモノだった。

ハードディスクだった。
3.5インチのハードディスクで、
そのころだから容量は20MB程度だっただろう。
それでも薄くはない。
分厚く重かった。

ハードディスクという存在についても、当時はよく知らなかった。
ステレオサウンド編集部には富士通のOASIS 100F(ワープロ)があったけれど、
これは5インチのフロッピーディスクで稼働していた。

長島先生がハードディスクについて説明してくれる。
CDとは違って面ブレを起さない、ともいわれたことを思い出す。

将来、CDに代って、こういうモノで音楽を聴くようになるだろうし、
そうなってこそデジタルの良さが活きてくる、とも話された。
いまから三十数年以上前の話である。

長島先生は、その約十年後の1998年に心不全で亡くなられている。
生きておられたら、「ほらな、言った通りになっただろう」といわれたはずだ。

Date: 4月 6th, 2019
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹というリアル(その1)

駅からの帰り道、
「瀬川冬樹というリアル」、
こんなことを思いついた。

なんのきっかけもなしに頭に浮んできた思いつきである。
思いつきではあるものの、たしかにそうだな、と思いつつ歩いていた。

「瀬川冬樹というリアル」。
「虚構世界の狩人」でもあっただけに、
このことばに、ある種の手応えのようなものを感じてもいた。

同時に、「菅野沖彦というリアル」、
「岩崎千明というリアル」……、などについても考えてみた。

思いつくオーディオ評論家の名前のあとに「というリアル」をつけてみる。
しっくり来る人、来ない人がいる。

少なくとも、現在オーディオ評論家を名乗っている人の名前のあとに「というリアル」をつけても、
なんともピンとこない。

ピンとこない理由を考えてみたわけではない。
私にとってピンとくる人こそがオーディオ評論家(職能家)であり、
ピンとこない人はみなオーディオ評論家(商売屋)ということ、
そのことに気づきながら、
最初におもいついた「瀬川冬樹というリアル」というタイトルで、
なにか書けそうな予感だけはある。

Date: 4月 2nd, 2019
Cate: 五味康祐

続・桜の季節に

五味先生の「花の乱舞」から引用するのは、これで四度目である。
     *
 花といえば、往昔は梅を意味したが、今では「花はさくら樹、人は武士」のたとえ通り桜を指すようになっている。さくらといえば何はともあれ──私の知る限り──吉野の桜が一番だろう。一樹の、しだれた美しさを愛でるのなら京都近郊(北桑田郡)周山町にある常照皇寺の美観を忘れるわけにゆかないし、案外この寂かな名刹の境内に咲く桜の見事さを知らない人の多いのが残念だが、一般には、やはり吉野山の桜を日本一としていいようにおもう。
 ところで、その吉野の桜だが、満開のそれを漫然と眺めるのでは実は意味がない。衆知の通り吉野山の桜は、中ノ千本、奥ノ千本など、在る場所で咲く時期が多少異なるが、もっとも壮観なのは満開のときではなくて、それの散りぎわである。文字通り万朶のさくらが一陣の烈風にアッという間に散る。散った花の片々は吹雪のごとく渓谷に一たんはなだれ落ちるが、それは、再び龍巻に似た旋風に吹きあげられ、谷間の上空へ無数の花片を散らせて舞いあがる。何とも形容を絶する凄まじい勢いの、落花の群舞である。吉野の桜は「これはこれはとばかり花の吉野山」としか他に表現しようのない、全山コレ桜ばかりと思える時期があるが、そんな満開の花弁が、須臾にして春の強風に散るわけだ。散ったのが舞い落ちずに、龍巻となって山の方へ吹き返される──その壮観、その華麗──くどいようだが、落花のこの桜ふぶきを知らずに吉野山は語れない。さくらの散りぎわのいさぎよいことは観念として知られていようが、何千本という桜が同時に散るのを実際に目撃した人は、そう多くないだろう。──むろん、吉野山でも、こういう見事な花の散り際を眺められるのは年に一度だ。だいたい四月十五日前後に、中ノ千本付近にある旅亭で(それも渓谷に臨んだ部屋の窓ぎわにがん張って)烈風の吹いてくるのを待たねばならない。かなり忍耐力を要する花見になるが、興味のある人は、一度、泊まりがけで吉野に出向いて散る花の群舞をご覧になるとよい。
     *
西行は、
 ねがはくは
 花のもとにて
 春死なむ
 その如月の
 望月のころ
そう残している。

桜の季節まで生きていなければ、願いは叶わぬ。
以前はまったく考えもしなかったことだが、
死期がちかくなってくると(身近に感じられるようになってくると)、
せめて桜の咲く季節まで……、と人はおもうようになるのだろうか。

こんなことを考えるようになってきた。
もう一度、桜をみたい──、
その気持がはげみになるのか。

そうおもっていても、叶わぬ人もいれば叶う人もいる。

西行は、満開のときにこの世を去りたい、という願いだったのか。
五味先生の「花の乱舞」を、この季節になると自然とおもいだすようになってきた。

おもいだすから、四回も引用しているわけだが、
《落花のこの桜ふぶき》のもとで、叶うことならくたばりたい、という気持が、
毎年少しずつ芽ばえてきているような気がするといえば、そうなのかもしれない。

病院のベッドの上で、病室の天井を眺めて、だったりするのが現実だ。

Date: 3月 29th, 2019
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

カラヤンと4343と日本人(その4)

(その3)で引用した五味先生の文章には続きがある。
     *
でも、待て待てと、IIILZのエンクロージァで念のため『パルジファル』を聴き直してみた。前奏曲が鳴り出した途端、恍惚とも称すべき精神状態に私はいたことを告白する。何といういい音であろうか。これこそウィーン・フィルの演奏だ、しかも静謐感をともなった何という音場の拡がり……念のために、第三幕後半、聖杯守護の騎士と衛士と少年たちが神を賛美する感謝の合唱を聴くにいたって、このエンクロージァを褒めた自分が正しかったのを切実に知った。これがクラシック音楽の聴き方である。JBL〝4343〟は二基で百五十万円近くするそうだが、糞くらえ。
     *
五味先生の文章で、ここで終る。
五味先生が褒められているIIILZのエンクロージュアとは、
ステレオサウンドの企画で、井上先生が設計にあたられたコーネッタのことである。

《JBL〝4343〟は二基で百五十万円近くするそうだが、糞くらえ》、
ここだけに注目すれば、結局五味先生はアンチJBLのままか、と早合点しそうになるが、
ほんとうにそうだろうか。

それにやっぱり五味先生と瀬川先生は、JBLを最終的に認めるかそうでないのか、
そこで決定的に違う──、そんなふうに思い込むこともできないわけではない。

けれどほんとうにそうだろうか。
ここで、思い出してほしい瀬川先生の文章は、
ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’80」の巻頭、
「80年代のスピーカー界展望」である。
     *
 現にわたくしも、JBLの♯4343の物凄い能力におどろきながら、しかし、たとえばロジャースのLS3/5Aという、6万円そこそこのコンパクトスピーカーを鳴らしたときの、たとえばヨーロッパのオーケストラの響きの美しさは、JBLなど足もとにも及ばないと思う。JBLにはその能力はない。コンサートホールで体験するあのオーケストラの響きの溶けあい、空間にひろがって消えてゆくまでの余韻のこまやかな美しさ。JBLがそれをならせないわけではないが、しかし、ロジャースをなにげなく鳴らしたときのあの響きの美しさは、JBLを蹴飛ばしたくなるほどの気持を、仮にそれが一瞬とはいえ味わわせることがある。なぜ、あの響きの美しさがJBLには、いや、アメリカの大半のスピーカーから鳴ってこないのか。しかしまた、なぜ、イギリスのスピーカーでは、たとえ最高クラスの製品といえどもJBL♯4343のあの力に満ちた音が鳴らせないのか──。
 その理由は、まだわたくしにはよくわからないが、もうずっと昔からそうだったし、おそらくこれから先もまだ、この事情が変ることはないだろう。それだからこそ、自分自身がどういう音を求め、どういう音を鳴らしたいのか、という方向を見きわめる努力を続ける中で、そのときそのときの要求に見合ったスピーカーを探し求めることが、どうやら永遠の鍵なのではないだろうか。
     *
瀬川先生ですら
《ロジャースをなにげなく鳴らしたときのあの響きの美しさは、JBLを蹴飛ばしたくなるほどの気持》
とまで表現されている。

Date: 3月 28th, 2019
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

カラヤンと4343と日本人(その3)

五味先生の4343評。
それが読めたのは、「人間の死にざま」を古書店で見つけたであった。
     *
 JBLのうしろに、タンノイのIIILZをステレオ・サウンド社特製のエンクロージァがあった。設計の行き届いたこのエンクロージァは、IIILZのオリジナルより遙かに音域のゆたかな美音を聴かせることを、以前、拙宅に持ち込まれたのを聴いて私は知っていた。(このことは昨年述べた。)JBLが総じて打楽器──ピアノも一種の打楽器であるせんせんの 再生に卓抜な性能を発揮するのは以前からわかっていることで、但し〝パラゴン〟にせよ〝オリンパス〟にせよ、弦音となると、馬の尻尾ではなく鋼線で弦をこするような、冷たくて即物的な音しか出さない。高域が鳴っているというだけで、松やにの粉が飛ぶあの擦音──何提ものヴァイオリン、ヴィオラが一斉に弓を動かせて響かすあのユニゾンの得も言えぬ多様で微妙な統一美──ハーモニイは、まるで鳴って来ないのである。人声も同様だ、咽チンコに鋼鉄の振動板でも付いているようなソプラノで、寒い時、吐く息が白くなるあの肉声ではない。その点、拙宅の〝オートグラフ〟をはじめてタンノイのスピーカーから出る人声はあたたかく、ユニゾンは何提もの弦楽器の奏でる美しさを聴かせてくれる(チェロがどうかするとコントラバスの胴みたいに響くきらいはあるが)。〝4343〟は、同じJBLでも最近評判のいい製品で、ピアノを聴いた感じも従来の〝パラゴン〟あたりより数等、倍音が抜けきり──妙な言い方だが──いい余韻を響かせていた。それで、一丁、オペラを聴いてやろうか、という気になった。試聴室のレコード棚に倖い『パルジファル』(ショルティ盤)があったので、掛けてもらったわけである。
 大変これがよかったのである。ソプラノも、合唱も咽チンコにハガネの振動板のない、つまり人工的でない自然な声にきこえる。オーケストラも弦音の即物的な冷たさは矢っ張りあるが、高域が歪なく抜けきっているから耳には快い。ナマのウィーン・フィルは、もっと艶っぽいユニゾンを聴かせるゾ、といった拘泥さえしなければ、拙宅で聴くクナッパーツブッシュの『パルジファル』(バイロイト盤)より左右のチャンネル・セパレーションも良く、はるかにいい音である。私は感心した。トランジスター・アンプだから、音が飽和するとき空間に無数の鉄片(微粒子のような)が充満し、楽器の余韻は、空気中を楽器から伝わってきこえるのではなくて、それら微粒子が鋭敏に楽器に感応して音を出す、といったトランジスター特有の欠点──真に静謐な空間を有たぬ不自然さ──を別にすれば、思い切って私もこの装置にかえようかとさか思った程である。
     *
意外だった。
4343のことはそこそこ高く評価されるであろう、とは予想していたが、
ここまで高く評価されていたのか、と驚いた。

この時の組合せは、コントロールアンプがGASのThaedra、パワーアンプがマランツのModel 510M、
カートリッジはエンパイアの4000(おそらく4000D/III)だろう)。
ステレオサウンドの試聴室で聴かれている。

アンプが、瀬川先生の好きな組合せだったら……、
カートリッジがエンパイアではなく、ヨーロッパのモノだったら……、
さらに高い評価だったのでは……、とは思うし、
できれば瀬川先生による調整がほどこされた音を聴かれていたら……、
とさらにそう思ってしまうが、
少なくとも4343をJBL嫌いの五味先生は、いいスピーカーだと認められている。

Date: 3月 28th, 2019
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

カラヤンと4343と日本人(その2)

オーディオマニアとしての私の核は五味先生の文章によって、
そして骨格は瀬川先生の文章によってつくられた、としみじみおもう。

そんな私にとって、ここでのタイトル「カラヤンと4343と日本人」は最も書きたいことであり、
なかなか書きづらいテーマでもある。

熱心にステレオサウンドを読んでいたころ、
五味先生は4343をどう聴かれるのか、そのことが非常に知りたかった。

ステレオサウンド 47号から始まった「続・五味オーディオ巡礼」では、
南口重治氏の4350Aの音を、最終的に認められている。
     *
 プリはテクニクスA2、パワーアンプの高域はSAEからテクニクスA1にかえられていたが、それだけでこうも音は変わるのか? 信じ難い程のそれはスケールの大きな、しかもディテールでどんな弱音ももやつかせぬ、澄みとおって音色に重厚さのある凄い迫力のソノリティに一変していた。私は感嘆し降参した。
 ずいぶんこれまで、いろいろオーディオ愛好家の音を聴いてきたが、心底、参ったと思ったことはない。どこのオートグラフも拙宅のように鳴ったためしはない。併しテクニクスA1とスレッショールド800で鳴らされたJBL4350のフルメンバーのオケの迫力、気味わるい程な大音量を秘めたピアニシモはついに我が家で聞くことのかなわぬスリリングな迫真力を有っていた。ショルティ盤でマーラーの〝復活〟、アンセルメがスイスロマンドを振ったサンサーンスの第三番をつづけて聴いたが、とりわけ後者の、低音をブーストせず朗々とひびくオルガンペダルの重低音には、もう脱帽するほかはなかった。こんなオルガンはコンクリート・ホーンの高城重躬邸でも耳にしたことがない。
 小編成のチャンバー・オーケストラなら、あらためて聴きなおしたゴールド・タンノイのオートグラフでも遜色ないホール感とアンサンブルの美はきかせてくれる。だが大編成のそれもフォルテッシモでは、オートグラフの音など混変調をもったオモチャの合奏である。それほど、迫力がちがう。
     *
47号の「続・五味オーディオ巡礼」には、4343のことも少しばかり触れられている。
     *
 JBLでこれまで、私が感心して聴いたのは唯一度ロスアンジェルスの米人宅で、4343をマークレビンソンLNPと、SAEで駆動させたものだった。でもロスと日本では空気の湿度がちがう。西洋館と瓦葺きでは壁面の硬度がちがう。天井の高さが違う。4343より、4350は一ランク上のエンクロージァなのはわかっているが、さきの南口邸で「唾棄すべき」音と聴いた時もマークレビンソンで、低域はスレッショールド、高域はSAEを使用されていた。それが良くなったと言われるのである。南口さんの聴覚は信頼に値するが、正直、半信半疑で私は南口邸を訪ねた。そうして瞠目した。
     *
ここでの組合せのこまかなことはないが、
SAEのパワーアンプは、おそらくMark 2500なのだろう。
だとすれば、ここでの組合せは瀬川先生の組合せそのものといっていい。

組合せだけで音が決まるわけでないことはいうまでもない。
それでも、当時のマッキントッシュのアンプで駆動させた音と、
LNP2とMark 2500での音とは、大きく違う。
方向性が違う。

その方向性が、瀬川先生と同じであるところの組合せを、
五味先生は《感心して聴いた》とされている。

47号を何度も何度読み返した。
読み返すほど、五味先生が4343をどう評価されていたのかを知りたくなった。

Date: 3月 21st, 2019
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その17)

AXIOM 80には毒がある、と(その16)でも書いているし、
他でも何度か書いている。

別項「ちいさな結論(「音は人なり」とは)」では、毒をもって毒を制すことについて書いた。

オーディオ機器ひとつひとつに、それぞれの毒がある。
聴き手にも、その人なり毒がある。

それ以外の毒もある。
いくつもの毒がある。

それらから目を背けるのもいい。
けれど、毒をもって毒を制す、
そうやって得られる美こそが、音は人なり、である──、
そう書いている。

毒から目を背けるオーディオマニアが、いまは大半なのでは……、とそう感じることが増えつつある。
だからこそ、毒を持たない(きわめて少ないと感じられる)スピーカーが、高評価を得る。

長島先生がジェンセンのG610Bからの最初の音を「怪鳥の叫び」と表現されたが、
もう、この「怪鳥の叫び」が本当に意味するところを理解できるオーディオマニアは少数かもしれない。

それが技術の進歩がもたらす時代の変化(音の変化)というぐらいのことは理解できないわけではない。

けれど、そういったスピーカーで、(その15)で書いた「我にかえる」ことにつながっていくだろうか、という疑問が私のなかにはある。
しかもそれが強くなってきている。

Date: 3月 14th, 2019
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その26)

100Hzから4kHzまでの帯域をほぼフラットに再生する、ということ。

ステレオサウンド 70号に、
岡先生の「わが家のJBLスーパーウーファー騒動顛末記」が載っている。

70号は1984年。
このころJBLからは18インチ口径のウーファー搭載のB460、
15インチ口径ウーファー搭載のB380といったスーパーウーファーが登場していた。

当時の岡先生のシステムは、かなり大がかりであった。
詳しいことを知りたい方は、70号をお読みいただきたい。

ここで70号の岡先生の記事を取り上げているのは、
岡先生がシステムのフラットを目指した結果、
100Hzから4kHzまでフラットに仕上げられているからだ。

そこのところを引用しておく。
     *
わが家の場合は100Hz以下は仮に記録紙ではフラットにちかい状態にしても、聴感との折りあいがつかない。同様に、リスニングポジションで5kHz以上を完全にフラットにすると、再生された音楽は極端なハイあがりになってきかれたものではないということは、オーディオをかじっているひとならば常識といえるだろう。高域のロールオフをどのくらいのカーヴにするかはいろいろな説があるが、ぼく自身は経験上4k〜8kHzのオクターヴ間をほぼ3〜6dB、その上は2〜3dBの偏差にはいっているのがいいように考えている。
 一応こういう目標をたてて、マイクの位置と高さをいろいろと試したあげくに、最終的なポイントをきめて、L・Rのバランスも含めて、100Hzから4kHzを1dB以内、100Hzから8kHzのLRのレベルバランスを0・5dBにおさえこむまでに、ものすごく時間がかかってしまった。おかげさまで、歌人から、毎日、ピーピーとんへな音ばかり出しているという苦情が出たほどである。
     *
ここでも、100Hzから4kHzという、40万の法則が出てくる。
当時は、そのことに気づかなかった。
いまごろになって、100Hzから4kHzという帯域がフラットであること、
そこでの40万の法則との関係性について考えることになった。

Date: 3月 13th, 2019
Cate: 五味康祐

avant-garde(その5)

ステレオサウンド 70号の編集後記、
Jr.さん(Nさん)は、こんなことを書かれていた。
     *
 燃上するアップライトピアノに向って、消防服に身をかためた山下洋輔が、身の危険がおよぶ瞬間まで弾き続けるというイベントがあったのは何年前だったろう。
 たとえば、火を放った4343にじっと耳を凝らしつつ、身にかかる火の粉をはらい落としながら、70年代オーディオシーンの残り音を聴くという風情が欲しい。かつて五味康祐氏が、御自慢のコンクリートホーンをハンマーで叩き壊したように、徹底的に破棄するということもまた限りなくクォリティオーディオなのではないか。いじらしくブチルゴムをはってみたり、穴を埋めるよりは、よほど教訓的な行為だと思うが……。
     *
書き写していて、当時のことをいくつかおもいだしていた。
ブチルゴムとプチブルがなんとなく似ているということ、
しかもそのことブチルゴムがオーディオ雑誌にも登場しはじめていたこともあわせて、
あれこれ話してこともあった。

Jr.さんが、いじらしく──と書いているのは、
68号掲載の「続々JBL4343研究」のことである。

サブタイトルとして、
「旧アルニコ・タイプのオーナーにつかいこなしのハイテクニック教えます」とついて、
講師・井上卓也、元ユーザー・黒田恭一とある。

Jr.さんが、そう書きたくなる気持もわからなくもないが、
オーディオはいじらしいことの積み重ねで音が良くなっていくのも、また事実であり、
68号の「続々JBL4343研究」は測定データを示しての、使いこなしの記事である。

ただ68号の記事を読んで、表面的にマネしただけでは、
ほとんど効果は得られないし、そんなマネゴトよりは、
確かに「教訓的な行為」といえるのが、
コンクリートホーンをハンマーで敲きこわす行為であり、
4343に火を放って、火の粉をはらい落しながら聴く行為なのは、同感である。

この項でも、別項でも取り上げている十年以上前のステレオサウンドの、
「名作4343を現代に甦らせる」という記事。

この連載で最後に完成(?)した4343のユニットを使っただけの、
どう好意的に捉えようとしても、4343を現代に甦らせたとはいえない──、
そんなスピーカーの試聴を行ったオーディオ評論家(商売屋)の耳には、
「70年代オーディオシーンの残り音」を聴こえてこなかったのか、
風情もなかったのか。

「名作4343を現代に甦らせる」から教訓的なことを得られた人は、いるのか。

Date: 3月 7th, 2019
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(ステレオサウンド 210号・その2)

ステレオサウンド 210号、
黛健司氏の「菅野沖彦先生 オーディオの本質を極める心の旅 その1」。

ステレオサウンドのウェブサイトの告知で、その1とあったから、
短期連載になることはわかったし、
だからそれほどページ数を割いているわけではないだろうなぁ──、
そんなふうに勝手に思っていた。

そう思ったのは、209号掲載の柳沢功力氏の追悼文にもある。
209号には、原田勲氏の弔辞も掲載されていた。

けれど追悼文は柳沢功力氏だけだった。
柳沢功力氏の追悼文を読んで、これで終りなの?……、とおもっていた。

私と同じように感じていた人は、周りに少なからずいる。
210号以降で、菅野先生のなんらかの形で掲載されるだろうことは、予想できていた。

それでも追悼文があのくらいだったから……、
そう感じていたから、さほど期待していなかったところもある。

なので、黛健司氏の
「ベストオーディオファイル賞からレコード演奏家論へ」には驚いた。

「ベストオーディオファイル賞からレコード演奏家論へ」はサブタイトルである。
おそらく「菅野沖彦先生 オーディオの本質を極める心の旅 その2」では、
黛健司氏ではなく、他の方が書かれるのだろうか。

私個人としては、その2も黛健司氏に書いてほしい、と思っている。
どちらになるのかはわからない。

その2以降、書き手が変っていくのであれば、
誰であろうと、大変だろうな、と思う。