菅野沖彦氏のこと(ステレオサウンド 210号・その4)
私がステレオサウンドで働くようになったのは1982年1月の終り近くだった。
ちょうどステレオサウンド 62号の編集作業の真っ只中だった。
ステレオサウンド 62号、63号には、
「音を描く詩人の死」が載っている。
瀬川先生に関する記事である。
この記事を執筆されたのは、編集顧問のYさん(Kさんでもある)だった。
ステレオサウンド 62号、63号が出たとき私は19だった。
黛さんは1953年9月生れだから、28歳だった。
編集次長という立場だった(当時の編集長は原田勲氏)。
あのころは編集という仕事になれることに精一杯のところもあったから気づかなかったけれど、
62号と63号の「音を描く詩人の死」の文章を、
黛さんは自身で書きたかったのではないのか──、
このことに今回気づいた。
黛さん本人に確認したわけではない。
でも、きっとそうであったに違いない、と信じている。
そして、その気持をずっと持ち続けていた人だから書ける文章がある、ということだ。