Archive for category 欲する

Date: 5月 25th, 2011
Cate: 欲する

何を欲しているのか(その11)

ステレオサウンドはすでに購入していないから、なんとなくの発言になってしまうが、
いまステレオサウンドで取り上げられるカートリッジは、おそらくほとんどがMC型だと思う。

以前のように、MC型とMM型があって、そのほかにMI型、VM型、コンデンサー型などがあった時代とは、
すっかり違ってしまっている。

普及クラスのMM型カートリッジも、実際には発売されているのだろうが、
ステレオサウンドで取り上げられるクラスのものからは外れてしまっている。

以前のように、メインのカートリッジを決めておいて、音のヴァリエーションを楽しみたいとき、
ふだんあまり聴かないジャンルの音楽をきくときなどに、
メインで使っているカートリッジとは大きく音色的にも異るカートリッジにつけ替える、ということは、
その音楽にふさわしいカートリッジを選ぶ、という意味では、音を良くすることになるけれど、
どちらかといえば、そういうときは、音のヴァリエーションを楽しむ、という面が強かった。
少なくとも、私はそうだった。

EMTのTSD15が必然的にメインのカートリッジになっていたわけだが、
TSD15がニガテとする音の表現を得意とするカートリッジの音は、聴きたくなることがある。
それはどんなにTSD15の調整を追い込んでいっても、決して得られる世界ではない。
TSD15は万能のカートリッジでもなかった。

だからTSD15の音の世界からまったく離れてしまいたいときには、
そういう音の世界のカートリッジに替えてしまうしかない。
そのカートリッジに、ほんのひととき浮気している、ということになるのだろうか。
そういうときは、そのカートリッジの音を、とにかく楽しむ。

いま市場に、どれだけのカートリッジが出廻っているのかすら、きちんと把握するのはたいへんである。
以前だったら、ステレオサウンドが出していたYEAR BOOKがあったから、把握できていた。
そんな具合だから、実際には、昔ほどではないにしても、
音のヴァリエーションはまだまだ広い、といえるかもしれない。
と書きながらも、やはり、いまはカートリッジよりも、ヘッドフォン、イヤフォンのほうが、
音のヴァリエーションを、積極的に楽しめる気がしてしまう。

Date: 12月 18th, 2010
Cate: 欲する

何を欲しているのか(その10)

私は、というとそれほど多くのカートリッジを所有していたわけではない。
学生時代、最初に買ったのはエラックのSTS455E、そのあとにオルトフォンのMC20MKII。
このときも、ほとんどMC20MKIIでだけ聴いていた。
STS455Eに付け替えたのは、ほんの数回だったような気がする。

なにもエラックのカートリッジの音が気にくわなかったわけでもないし、
オルトフォンのほうがすべての点でまさっていたわけでもない。
ときどきエラックの、あの艶っぽさの濃厚な音を聴きたくなっても、
どうしても聴きたい、という気持があるところまでつもってくるまでは交換しなかった。
基本的に、カートリッジを頻繁に交換するのは、好まない。
ひとつの気に入ったカートリッジを、きっちりと調整したら、
できるだけそのままにしておきたい、という気持がつよい。

ステレオサウンドで働くようになってからは、わりと早い時期にトーレンスの101Limitedを手に入れたから、
カートリッジはほぼ自動的に、最初はトーレンスのMCH-I、
それからEMTのTSD15、そのファインライン針版のTSD15SFLになっていった。

仕事で、ステレオサウンドの試聴室でさまざまなカートリッジを聴くことができるということも重なって、
自宅ではEMT以外のカートリッジを取り付けることはほとんどなかった。

それでも、いくつかのカートリッジは試している。
オーディオテクニカからEMTのトーンアーム用のヘッドシェルが出ていたから、
それを使っていくつか気になるカートリッジを使ってみた。
それからフィデリティ・リサーチのFR7のEMT用も試したことがある。

でも結局、EMTのカートリッジがあれば、他は要らない、というわけではないけれど、
これひとつでもいいかな、という気持になっていた。

そんな私でも、カートリッジを交換したときの楽しみは知っているし、
ステレオサウンドで働いてなかったら、もう少し、カートリッジの数は増えていたはずだ。

カートリッジは、スピーカーシステムやアンプなどとは違い、買い換えでなくても、
買い足していくことが、当時の価格であれば、わりと気楽にできた。だからこその、カートリッジの楽しみだった。

それがいまのカートリッジの価格では、あれこれ気軽に買い足していくことはかなりしんどい。
それにカートリッジの音のヴァリエーションも、アナログ全盛時代とくらべると狭くなっている。

Date: 12月 16th, 2010
Cate: 欲する

何を欲しているのか(その9)

昔、カートリッジは、「音の宝石」とたとえられたこともあった。
針先のダイアモンド、オーディオ・コンポーネントの中でももっとも小さなパーツでありながら、
音を大きく変えてくれるカートリッジは、まさに「音の宝石」といえた。

いまはどうだろう……。

そういった意味よりも、むしろ価格の面で「音の宝石」となりつつある。

以前のように手軽に手を出せる価格のモノが減ってきて、非常に高価なモノの比率が増えてきた。
モノの価格がどうやって決められていくのか、それを知らないわけではないけれど、
いまのカートリッジの高価格化に、誰も疑問を抱かないのだろうか。

カートリッジは、オーディオの中で、数少ない消耗品である。

どんなに高価なカートリッジでも針先のダイアモンドの寿命は、大きく変ってくるものではない。
数万円のカートリッジよりも数十万円のカートリッジは、針先の寿命が10倍になるわけではない。
ほとんど同じである。
カートリッジの針先の寿命は、同じ製品でもバラつきによって異ってくる。

天然ダイアモンドを採用しているならば、カットしたときに生じるバラつきによって、
驚くほど長持ちするモノがあるし、反対にえっ、もう……と言いたくなるほど寿命が短いものもある。

いまはどうなのか知らないが、EMTのカートリッジはとくに、この差が大きかった。
きくところによる、その違いはダイアモンドのカットする時の結晶の方向に関係することらしい。

Date: 12月 15th, 2010
Cate: 欲する

何を欲しているのか(その8)

いま現在市場にでまわっているヘッドフォン(イヤフォン)の数はどのくらいあるのだろうか。
オーディオがブームだといわれた1970年代のころよりも、ずっと多くの機種、
そしてヴァリエーションも豊富になっているように感じられる。

そんな状況をみていて思うのは、
アナログ全盛時代のカートリッジがヘッドフォンに変っていったのではないのか、ということ。
CDが登場するまでは、カートリッジを複数個もつのは、音に関心のある人ならば当り前のことだった。

1個のカートリッジしか所有したことがない、という人はおそらくいないと思う。
少ない人でも数個、多い人では何十個というカートリッジを持っている人もいた。
瀬川先生はヘッドシェルに取り付けて、
すぐに聴ける状態にあるものだけで80個をこえて所有されていた、と書かれている。

製造される国が違い、発電方式もさまざまな違いがあった、それぞれのカートリッジ。

まめな人ならば、レコードごとにカートリッジを交換していた人もいたときいている。
レコードのジャケット裏の片隅にカートリッジの機種名をメモしておいて、
そのレコードを演奏する時には、かならずそのカートリッジにつけかえる。
そこまでまめな人でなくても、常用カートリッジはひとつときめていた人でも、
季節の変り目であったり、気分を大きく変えたい時、あるいはふだん聴かないジャンルを音楽を鳴らすとき、
その音楽がふだん聴いている音楽と大きく異る性質のものであるならば、カートリッジの交換によって、
うまくいけば、その性質の違いは際立ってくることになる。

一部、非常に高価なカートリッジはあったものの、アナログ全盛時代においては、
カートリッジの価格はそう高価なわけではなく、手の出しやすいモノが多かった。

Date: 9月 22nd, 2010
Cate: 欲する

何を欲しているのか(その7)

ブレーキは、スピードをつねに抑えるためにあるものではないはずだ
(車は運転しないので想像が多分に含まれている)。
すくなくともオーディオにおいて菅野先生の言われていた「感覚の逸脱のブレーキ」は、
つねにブレーキを効かせながら安全に、という意味ではない。

オーディオは己の装置で、変化をとことん味わう必要が、必ずある。
なにも常に変化させる必要があるというわけではなく、ある一時期であったり、周期的にでもあったり、
とにかくありとあらゆる変化を経験しておくことは、絶対に無駄にはならない。

だが少しずつの変化なら、元に戻そうと思えばすぐにもどせるだろう、という意識から、
大胆になれない人もいるだろう。いい音を求めたい……、けれど大きく変化させてしまって、
それにより音が以前より悪くなったら、せっかくうまいとこ鳴っていたのに、もう元には戻せそうにない……。
つい臆病になることは、誰にでもあることだろう。

そういう意識が、行動にブレーキをかけてしまっている。
行動だけではなく、考えにもブレーキをかけているかもしれない。

けれどヘッドフォンという「感覚の逸脱のブレーキ」があれば、ときに大きく逸脱してしまったとしても、
修整はそう困難なことではなくなる。
ヘッドフォンは行動のブレーキではない、あくまでも「感覚の逸脱のブレーキ」である。
そのちがいをはっきりと認識したときに、
オーディオへのとりくみは、しずかではあろうが確実に変っていくはずだ。

Date: 9月 21st, 2010
Cate: 欲する
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何を欲しているのか(その6)

全体的にインフレ傾向にあるといえる、いまのこのオーディオの状況の中で、
しかもながくオーディオをやってこられて、こつこつシステムを改良・構築してこられた人にとって、
10万円では、直接、そのシステムの音を良くするものを、何かひとつでもいいから購入しようとしても、

いったい何があるんだろうと、考え込んでしまう。

でも自作や録音であれば前述したように、10万円あれば本人にやる気さえあればかなり楽しめる。
その経験は、直接的にはないが間接的には、
いま鳴らしているシステムの音を確実に次の段階にすすめる何かへと、
その人の中で変化して実を結んでいく、と信じている。

10万円では、いまの、このような状況下では、新品で、キャリアの長いオーディオマニアを満足させるものが、
はたしていくつあるのだろうか。

ひとつある。ヘッドフォンがあった。
10万円の予算があれば、最高価格のものはヘッドフォンといえど無理だが、
そうとうにいいモノを手にいれられる。
ヘッドフォン端子のないアンプを使われている方も、いまや少なくないだろう。
でも、ヘッドフォン、イヤフォンがブームになっているおかげで、
ヘッドフォン用アンプというジャンルが確立されてきている。

量販店のオーディオのコーナーに行くと、人が少ない。
けれど隣にあるヘッドフォン、イヤフォンのコーナーは人があふれている。
いろんな人が来ている。

スピーカーの鳴らすステレオフォニックなイメージと、
ヘッドフォンのバイノーラルなイメージはいっしょくたにできるのではないが、
スピーカーの調整、とくに帯域バランス調整の確認には、いいヘッドフォンは役に立つ。

部屋の音響特性の影響を受けないヘッドフォンが、音の理想再生とは私はいわないが、
部屋の影響を受けずに聴くことが可能なヘッドフォンの音は、参考になる。

ずっと以前に菅野先生は、ヘッドフォン(そのときはスタックスの製品をとりあげられていたはず)を、
「感覚の逸脱のブレーキ」と表現されていた。

ブレーキがあれば、思い切ったことに挑める。ここが最も肝要なことではないだろうか。

Date: 5月 30th, 2010
Cate: 欲する

何を欲しているのか(その5)

録音器を買っても、とくに録音したいものはないから……、という声がすぐに聞こえてきそうだが、
なにも音楽でなくてもいいではないか。

ふだん聞きなれているものを録音してみる。
たとえば家族の声を録ってみる。
リスニングルームの、左右のスピーカーの中央に立つなり坐ってもらい、
歌でもいいし、なにかを朗読してもらい、録音してみる。
そして再生する。同一空間における録音と再生を、とにかく体験できる。

スピーカーから鳴ってきた、ふだん聞きなれている人の声が、
どう変化して、どういうところが同じに聴こえるのか。
そして、次はマイクロフォンの位置を工夫して録る。また再生してみる。

リスニングルーム内で、ある程度満足のいく音がとれるようになったら、
リスニングルームとは別の空間で録ってみる。
またひとりの声ではなく、複数の人の声を録ってみるのもいい。

これらのことをくり返していくうちに、音の変化を体験として、自分の中に蓄積していける。

再生側では、チューニングによる音の変化をあたりまえのこととして、蓄積していっていても、
録音のこととなると、機会がないため、ほとんどのかたが未体験であろう。

確かにプロの演奏家をプロ用機器で、コンサートホールなりスタジオで録音するという機会は、まずない。
でも、身近な音であれば、いまやそれほど費用をかけなくても録音できる。

録音と再生は、つねに一対のものであること──。
菅野先生が、以前よく言われていたことを実感できる。
もし実感できないとしたら、実感できるまでやってみてほしい。

Date: 5月 29th, 2010
Cate: 欲する

何を欲しているのか(その4)

自作とはすこし異るけれど、10万円で可能なことのひとつに、録音することがある。

昔流行ったナマ録は、オープンリールデッキに、プロ用のマイクロフォン、密閉型のヘッドフォンの三点セットが、
本格的なことを目指す者にとって、ひとつの憧れとして存在していた。
そこまでいかなくとも、ナマ録に必要な機材を揃えるのは、決して手軽なことではなかった。
それだけの機材を揃えてしまったら、何を録るのか、ということが、大きなウェイトを占めてくるようになるだろう。
立派な機材に見合う音源、ということになると、そうかんたんに機会はないだろう。

手身近なところで録音しながら、録音技術を身につけていくことも大事なことのはずなのに、
機材が立派すぎると、そういう身近なものを録るのが恥ずかしく思えてくるような気もしないではない。

そのころに較べると、いま録音機材(テープレコーダー)の現行製品は、ほとんどない。
だが、当時では考えられなかったほど、手軽に録音できるモノが登場してきている。
マイクロフォンまで内蔵しており、メモリーに録音してタイプのものが、ソニーやローランドから出ている。
ソニーのPCM-M10にいたっては、96kHz、24ビットのPCM録音が可能で、実売価格は3万円前後。
その上級機のPCM-D50でも、約2倍程度の価格で購入できる。

ローランドの製品にしても、ソニーの製品にしても、一台だけで録音ができる。しかもサイズの面でも魅力がある。
もっとも小型のPCM-M10は、単三の電池込みの重量が187g。ポケットに収まるサイズだ。

Date: 5月 28th, 2010
Cate: 欲する

何を欲しているのか(その3)

10万円でできることのひとつに、何かをつくる、という選択肢もある。
凝ったモノ、贅を尽くしたモノをつくることは無理だが、オーディオの勉強の意味合いのつよい自作であれば、
かなり楽しめるし、役に立つことになるものがつくれるだろう。

アンプ(真空管アンプでも、ディスクリート構成の半導体アンプが無理なら、OPアンプでもいい)でも、
スピーカーシステムでもいい。
とにかく、まずつくってみること。それもキットではなく、できれば自分で、簡単でもいいから図面を描いて、
できるかぎりの範囲でいいから、自分の手を使ってつくってみる。

工具を所有していない人ならば、最低限の工具をそろえるだけでけっこうな金額になるだろうから、
実際につくるものに、それほど予算は割けなくなるだろう。それでも、つくってみる。
コストの制約を強く受けたなかでも、工夫してみることができるからだ。

自作することで、いま所有しているオーディオ機器よりも優れたモノ、いい音を出すモノをつくるというのではなく、
あくまでも、モノづくりがどういうことなのか、そしてオーディオとはどういうものかを識るために、つくる。

人によっては、もうモノを欲しているのではないのかもしれない。
欲しているのは、つくることで手に入れられる「モノ」なのかもしれない。

Date: 5月 19th, 2010
Cate: 欲する

何を欲しているのか(その2)

10万円で何を買うかとなると、現状の手持ちのオーディオ機器の鳴らす音に、そう不満のないときには、
憧れの、というよりも、オーディオをはじめたころ、憧れていたオーディオ機器を、中古で購入するという案もある。

そのころ欲しかったものは、当時としては高価だったとしても、
それから10年、20年、もしくはそれ以上の年月が経っていれば、たいていのモノは、もうそれほど高価でもない。
中古でも入手がきわめて難しいモノもあるが、昔憧れていた機種は、ひとつではない人ばかりだろうから、
そんななかのひとつぐらいは、これだけネットが普及して、検索も容易になった世の中だから、
あせらなければ見つけ出すことはできるだろう。

そういったスピーカーシステムなりアンプを手に入れて、手入れして鳴らす、
というよりも身近に置いておく、という楽しみはある。

基本性能のしっかりしたもので、程度のいいモノならば、いまのプログラムソースやアンプやスピーカーで鳴らすと、
こんなに古いモノが! とちょっとばかりの驚きをもって鳴ることもある。
とくにスピーカーシステムに関しては、現在の優れたアンプで鳴らしてみると、当時は抽き出せなかった、
気がつかなかった魅力に、聴き惚れることもあるかもしれない。

それでも、憧れだったモノは、ほんとうに、欲していたモノだったのか、という気持を消しされるだろうか。

Date: 5月 18th, 2010
Cate: 欲する

何を欲しているのか(その1)

オーディオに関するもので、いま何を最も欲しているのだろうか。

たとえば宝くじで、思わぬ大金を手にしたとする。
億を超える金額を手にしたら、リスニングルームを建てることもできる。
欲しいと思ってきたオーディオ機器の大半を、見つけ出せれば手にすることもできる。

そんな大金ではなく、その10分の1ぐらいの1千万円の臨時収入があったとしたら、どう使うか、を考える。
1千万円も十分な大金だが、いまのオーディオ機器も、かなり高価なモノが多くなっている。
1千万円では、トップクラスのモノを集めての組合せには、足りない金額となることも多い。

億を超える金額から1千万円に減ることで、そのお金の使い手に求められることが、あるはずだ。
浮上してくる、といいかえていいだろう。

1千万円の10分の1の百万円の場合だったら、どう使うか。
オーディオを長年やってきて、ある程度の装置をそろえてしまっている人にとって、
百万円では、新規のアンプやスピーカーシステムを購入しても、
いま使っているモノよりも必ずしも優れていることにはならないだろう。
グレードアップにはならないこともあるはずだ。
そうなるとふだん手を出しにくい、非常に高価なものが増えすぎたケーブルに手を出すのか、
それともメインのオーディオとは傾向の異るサブシステムを揃えるために使うのか。

さらに10分の1の10万円になってしまったら、どうするか。
オーディオ機器を購入するには難しい金額になってしまった。
インシュレーターやケーブルなどの、いわゆるアクセサリーを試しに買ってみるのか。
それともコンサートに行くのか、CDをまとめて購入するのか。