瀬川冬樹氏のこと(CDに対して……余談)
瀬川先生が書かれていた「ディジタル・ディスクについて」は、
30年経ったいま、日本の電子書籍の現状のごたごたぶりに、そのままあてはまるのに気がつく。
瀬川先生が書かれていた「ディジタル・ディスクについて」は、
30年経ったいま、日本の電子書籍の現状のごたごたぶりに、そのままあてはまるのに気がつく。
この項の(その8)に、「展く」について書いた。
iPadで、自分でつくったePUB形式の電子書籍を読むのに使っているのは、iBooks。
このソフトウェアは、本棚が画面いっぱいに表示され、そこにインストールした電子書籍の表紙が並べられている。
インストールしている電子書籍の冊数が増えていけば、本棚のイメージはスライド式書棚となっていくだろうし、
さらに増えていけば、それは本棚・書棚から書斎となっていくはず。
さらにもっともっと冊数が増えていけば、小さな図書館となっていく。
電子書籍を収める電子書棚(本棚)から電子書斎、そして電子図書館へと、iPadが展開していく。
iPadで触れられるのは、電子書籍だけではなく、電子図書館まで拡がっていく。
いまは黒田先生の「聴こえるものの彼方へ」の電子書籍の作業を行っている。
岩崎先生の「オーディオ彷徨」も、3月に公開している。
瀬川先生の「本」に関しても、11月と1月に公開していて、いまは最終版となるものにとりくんでいる。
それにaudio sharingというサイトをはじめて10年以上経つから、
いわゆる「紙の本」よりも、ネットや電子書籍、
つまり「紙の本」については、古いもの、と見做している、と思われるかもしれないが、
必ずしもそうではない。
新しい世界と出合うためのものとしては、書店に置かれている本(つまり「紙の本」)の役割は、
新しい世界と出合おうとしている者の年齢が若ければ、つまり知っている世界が狭い者にとっては、
インターネットよりも電子書籍よりも、重要の度合が高くなっていく。
私の田舎は、私がいたころよりも書店の数が減っているらしい。
となると、当時よりも出版点数が増えているいまでは、
オーディオ雑誌はどう取り扱われているのだろうか、と思う。
東京では寂しい気持になることが少しずつ増えてきているけれど、
これが、東京の書店だから、ならばまだいい。
東京の書店において、これである、となると……。
私がオーディオに関心をもちはじめたの1976年だから、オーディオブームのころである。
ブームだったからこそ、小さな田舎町の書店でも、ステレオサウンドだけでなく、ラジオ技術、無線と実験、
初歩のラジオ、電波科学、サウンドメイト、ステレオ、オーディオピープル、FM誌などが並んでいた。
書店に並んでいたから、私はオーディオというものに出合えた、といえる。
もしいま13歳の私が、いまの田舎にいたとしたら、オーディオと出合えただろうか。
いまはインターネットがある、という人もいる。
けれど13歳の小僧が、はたしてインターネットだけで、オーディオという、
それまでまったく知らなかった世界を知ることができるのか、と思う。
それに最初に出合うものは、重要だ。
以前勤めていた会社は新宿が近かった。
新宿には、以前、青山ブックセンターが2箇所あった。
いまのファーストブックセンターがはいっているところが、以前は青山ブックセンターだった。
新宿には、紀伊國屋書店の本店がある。
書店としての規模、それに比例するだけの本の種類、数は青山ブックセンターよりもずっと多かった。
つまりなにかおもしろそうな本を探すという目的には、
青山ブックセンターよりも紀伊國屋書店のほうが適している、といえそうだが、
私は、青山ブックセンターで探すほうが圧倒的に多かった。
すでに買う本を決めているときには紀伊國屋書店のほうが確実に探し出せることが多い。
でも、なにかおもしろい本、ということになると、紀伊國屋書店の規模は大きすぎる。
たまには上の階から順繰りに、あれこれ見てまわることもあるけれど、
そんなことをしょっちゅうやっていたわけではないし、
探し出しという感覚よりも、出合う、という感覚に近い探し方ができるのは、
私にとっては青山ブックセンターだった。
2店舗あるうちのどちらか、気が向いたらどちらも店舗をもみていると、
おもしろそうな本と出合えることが、わりと多かった。
そういった本と出合うことで、こういう世界があるんだ、と知ることになる。
いままで知らなかった世界との出合いにとって、書店の役割は重要だと、いまも思っている。
オーディオのブームは、ずっと以前のことであり、すでに収束してしまって久しい。
あのころのオーディオブームが、むしろ異状なことであり、いまの、この状況のほうが、
オーディオという趣味の在り方としては、あたりまえ、とか、適正規模に戻っただけ、という声があり、
たしかに、そう思うことはある。
そう思いながらも、でも、といいたい気持がある。
いま書店に行くと、オーディオマニアとしては寂しい気持になることが増えてきている。
まず書店によっては、オーディオ雑誌を置いてないところがある。
まだ、こういう書店は、私の行動範囲ではごく少数だけれども、そういう書店があるのは事実である。
さらに先月号まで並んでいた、あるオーディオ雑誌が今月から並ばなくなった、
平積みされていたのが、そうではなくなった、ということは出てきた。
昨日、四谷三丁目の喫茶茶会記でイルンゴ・オーディオの楠本さんとの公開対談を行ったが、
お見えになった方の身近の書店でもオーディオ雑誌の取扱いが、以前と較べると縮小されている、ときいた。
いま共同通信社からPCオーディオファンというムックがでているが、
いま住んでいるとこの隣駅にある大型書店では、これをオーディオ・音楽雑誌のコーナーには置かずに、
パソコン雑誌のコーナーに置いている。
PCオーディオファンのVol.1のときも、やはり別の書店で、パソコン雑誌のコーナーにしか置いてないのをみている。
いまあげた例とはすこし異る例としては、ステレオサウンドから出たマットンキッシュの別冊号が、
「マッキントッシュ」ということで、これまたパソコン雑誌のコーナーに置かれていた。
オーディオのマッキントッシュとパソコンのマッキントッシュとはスペルが違うし、
ステレオサウンドの別冊の表紙は、だれがみてもパソコンには見えないにもかかわらず、である。
東京の書店において、これである。
いま、私が生れ育った田舎の書店では、
オーディオ雑誌の取扱いはどういうことになっているのだろうか、と思ってしまう。
CDプレーヤーなりアンプなり、スピーカーシステムを買おうとした思い立ったら、
最初から、これしかない、と、ひとつの機種に絞っている人もいれば、
予算内でいくつかの機種を候補として、ひとつずつ落していき、ふたつの残った、どちらにするか迷う人もいる。
選択の楽しみ、面白さがあるから、たとえばステレオサウンドでも、ライバル対決という企画を行ってきた。
58号では、トーレンス・リファレンス:EMT・927Dst、スペンドール・BCII:ハーベス・Monitor HL、
パイオニア・Exclusive P3:マイクロ・RX5000+RY5500、
ソニー:APM8:パイオニア・S-F1などが取り上げられて入る。
どの機種とどの機種を対比させるのか、そして筆者を誰にするのかによって、
この企画のもつ面白さは、大きく変ってくる。
だから興味深く読めるものもあれば、さほど興味をもてないもの、せっかくの対決なのに……と感じるもの、
というふうにバラついてくる。
このライバル機種の対比は、基本的には面白くなる企画である。
ただ、いまやるならば、昔と同じではなく、さらにもう一歩踏み込んでほしい、と思う。
具体的には、こうすればいいのに、と思っていることはある。
そうしてくれれば、この対比の企画はおもしくなる。
「対比」ということでは、いま作業している瀬川先生の「本」に関しても、
瀬川先生と、たとえば菅野先生との対比で書いていくことを最初は考えていた。
瀬川冬樹:菅野沖彦、瀬川冬樹:岩崎千明、瀬川冬樹:黒田恭一、といったふうに、である。
これも、さらに一歩踏み込んでみると、
瀬川冬樹:菅野沖彦:岩崎千明、という三角形が描けることに気がつく。
瀬川冬樹:菅野沖彦との対比、菅野沖彦:岩崎千明の対比、岩崎千明:瀬川冬樹の対比を、
ひとつの三角形にしていけば、さらにおもしろくなると思う。
しかも瀬川先生を頂点のひとつとする三角形は、他にも描ける。
この三角形は、以前のステレオサウンドならば、いくつも描けた、と思う。
瀬川先生を頂点のひとつとする三角形だけでなく、菅野先生を頂点のひとつとした三角形、
岩崎先生を、山中先生を、岡先生を……というふうに描けていく。
いまはどうだろうか。
オーディオ雑誌に書いている筆者の数は、以前よりも増えているように感じている。
人の数が増えていれば、描ける三角形の数も、その三角形の性質の多様性も増えていくはずなのに……、と思う。
いま三角形は描けなくなった、と私は思っている。
瀬川先生の「本」づくりは、部屋にこもりっきりでやっていた。
部屋にはテレビもラジオもない。
特に用事もなければ出かけることもない。
つまり、しゃべる、ということが極端になくなった生活を送っていた。
心地よい季節のときだと窓を開けているから、外から人の声がしてくる。
でも、もうこんな寒い季節になると窓も開けない。人の声もほとんどはいってこない。
しゃべらない、人の声もほとんどきかない生活は、
無人島でひとりで生きているのに通じるところがあるような気がしてきた。
いまは見かけなくなったが、一時期、音楽雑誌では「無人島にもっていく一枚のレコード」とタイトルの記事を、
わりと定期的に、どこの雑誌もやっていた。
人によって、一枚のレコードはさまざま。
当時は、その記事を読みながら、私なら、何をもっていくだろうと考えても、
思い浮ぶものはなかった。無人島へ、という質問が、あまりにも漠然と感じられたためもあった。
いまこんな生活をしていると、無人島にひとりぽつんととり残されたら、
やっぱり無性に聴きたくなるのは、人の声だと思うようになってきた。
歌のレコードをもっていきたい。
まだ誰のレコードにするかは決めかねているけど、歌のレコードしかないと思っている。
今年になり、2度、見聞きしたことがある。
そこで語られている言葉には多少の違いはあっても、内容はまったく同じことだった。
紙の本(いわばこれまでの「本」)をつくるのは真剣な行為であって、
ネットや電子書籍には、その真剣さがない、お気楽にやっているもの、ということだった。
しかも、これを発言しているのが、オーディオ業界にいる人だった、というのに、
正直がっくりした。この程度の認識なのか……、と思う。
目で捉えることのできない音に向かい合うオーディオなのに、
そこで働いている人たちが、こんな表面的なものの考え方・捉え方をしているところに、
オーディオの将来が、これから先どうなっていくのかが、暗に語られている。
(こんな人たちは、ごく少数だと信じてもいる……)
紙の本、という従来からの形にするという行為は、「残す」ということである。
少なくとも私には、そういう感覚がある。
いま電子書籍の形で、瀬川先生の「本」づくりをしているから、いえることがある。
電子書籍には、紙の本をつくっていたころには感じなかったものが、確実にある。
それは「運ぶ」という感覚。
この「運ぶ」ということは、いうまでもないけれど、
書き手・作り手から読み手へ、という意味ではない。
もっと深い意味で、肯定的な意味での「運ぶ」である。
「残す」という感覚ももちろんあるけれど、この「運ぶ」という感覚がはるかに強い。
何を、どこからどこへ、と運ぶのか、を考えたときに、やはり浮んでくるの「運命」ということばだ。
瀬川先生の「本」の第三弾は、これまでとは違い、
未発表原稿やスケッチ、メモの公開とともに、取材も行い、記事も何人かの方にお願いし、
私自身も書く内容とします。
その取材のひとつとして、瀬川先生が、新宿西口にあったサンスイのショウルームで毎月行われていた
「チャレンジオーディオ」についての取材も考えています。
当時、このショウルームでのイベントの担当をされていた西川さんを招いて、
当時、「チャレンジオーディオ」に行かれていた方々とのやりとりを、ぜひ聞いてみたいと考えています。
私自身は、当時はまだ実家住まいでしたので、「チャレンジオーディオ」に行きたいと思っていても、
結局、一度も行けずに終ってしまいました。
ですから、私自身は、西川さんから当時のことを、引き出していくのが無理ですので、
ここで、当時、通われた方々に、ぜひお集まりいただき、お話しいただきたいと考えた次第です。
場所は四谷三丁目に確保しました。
何人の方が集まってくださるかによって、こまかいことを決めていきます。
当時「チャレンジオーディオ」に行かれていて、取材に協力してくださる方は、
私宛に、メールにてご連絡ください。
よろしくお願いいたします。
瀬川先生の「本」の第2弾を公開しました。
前回同様、今回もEPUB形式です。
前回のものを増強したものです。
ですから、ファイル名もまったく同じです。
前回よりも、iPadでの表示では約900ページ増えています。
今回はアップロード関係上、zipで圧縮してあります。
なので解凍してください。
iPad、iPhoneで、前回の「本」をインストールされている方は、
iPad、iPhone上の「本」、それからiTunes上の「本」を削除した上で、
ダウンロードし解凍したファイルを、iTunesにドラッグして、インストールお願いします。
(FireFoxで開けないという報告がありましたので、手直ししたものを新たに公開しました。
23時以前にダウンロードされた方は、再度ダウンロードをおすすめします。)
次回の更新・公開日はまだ決めておりませんが、
今回の「本」から、ドネーションブックにさせていただきます。
ドネーションブックですから、前回の「本」同様、無料でご覧いただけます。支払いの必要はありません。
ですが、これからの更新作業を確実に、より早く、より良いものにするためには、皆さまが必要です。
もしよろしければ、できる範囲の額のご寄付を、どうかご検討ください。
よろしくお願いいたします。
ご連絡は、私あてにメールでお願いいたします。
瀬川先生の本をiPadで読むことを前提としたものにつくるために、
iPadとは、いったい何だろう? ということをはっきりさせてたくて、考えたことがある。
8月の頃だった。
結論は、「鏡」だった。わりと即、自分の中で返ってきた答だった。
それから三ヵ月経ち、瀬川先生の「本」をつくり、もう一冊つくって思っていることは、
「鏡」であるからこそ、
iPadは、私にとって音を出す道具ではないけれども、オーディオ機器であるといえる、ということ。
柴犬さんのコメントを読み、補足します。
私の手もとにあるステレオサウンドは38号から、です。ただし40号と44号が欠けています。
ステレオサウンドの別冊関係では、High-Technicシリーズ(4冊すべて)、SOUND SPACE、
コンポーネントの世界の’77と’78、コンポーネントのすすめ(3冊すべて)、
世界のコントロールアンプとパワーアンプ(’78年号と’81年号)、あとはヘッドフォンの別冊、以上です。
これら以外のステレオサウンドと、
1981年以前に出版された、瀬川先生の文章が掲載されているものを探しています。
レコード芸術、スイングジャーナルとその別冊、週刊FM、FM fanと別冊FM fan、などです。
私の記憶にある範囲では、’80年か’81年の、どの号かはわすれましたが、特選街に、
B&OのBeogram について書かれていたはずです。
それからいまは廃刊になってしまった月刊PLAYBOYの創刊号から数号に亙って、
原稿を書かれているはずです。
それから、ベートーヴェンの「第九」の聴き比べの記事も、PLAYBOYのはずです。
これら以外にも、こういう記事を読んだことがある、とご記憶の方、
情報だけでも、お教え下されば、助かります。
瀬川先生の「本」の第二弾の作業にとりかかっていますが、
すでに私の手もとには入力がおわった本しかありません。
国会図書館に足をはこんでコピー、ということも始めましたが、
いまのペースで行くと、第二弾で十分な分量の公開はかなり厳しくなってきました。
瀬川先生の文章が掲載されているステレオサウンド、別冊FMfan、レコード芸術、
その他のオーディオ雑誌のバックナンバーをお貸し出しいただける方はいらっしゃらないでしょうか。
よろしくお願いいたします。
こちらまで、ご連絡、お待ちしております。
先週末から、試してみたいことがあって、ある本を電子書籍にする作業にかかっきりになっていた。
スキャナーに附属していたOCRソフトを使えば、どのくらい作業時間を短縮できるのか、がひとつ。
それから、こまかい作り込みをおこなうために、
瀬川先生の「本」では、Sigil(このソフトで作成している)のBook View で行なっていたのを、
今回は Code View も使いながら、タグの編集もやってみた。
約15万字あった本を、瀬川先生の「本」よりもこまかいところまで作り込んで、
入力からすべての作業の終了まで3日で了えた。今回の本に関しては公開の予定はないが、
作業の最後のほうで感じていたのは、既存の本をこうやって電子書籍化することは、
リマスター作業なのではないか、ということ。
これまで「電子書籍化」という言葉を使っていたけれど、なにかしっくりこないものを感じていたし、
「電子書籍化」という言葉だけでは、はっきりしない何かを感じていた。
デジタル化、という言葉も使いたくない。
本のリマスタリング、リマスターブック、とか表現することで、
目ざそうとしているところが、すこしはっきりしてきた感がある。