Archive for category ヘッドフォン

Date: 12月 19th, 2019
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(その5)

火曜日の夜から、ヘッドフォンで聴くようになった。
ここ数年、ヘッドフォン、イヤフォンといえば、
iPhoneに付属の白いイヤフォンだけだったが、
写真家の野上さんから、スタックスのコンデンサー型を格安で譲ってもらった。

最新型のスタックスではない。
1980年代のSR-Λ Pro + SRM-1/MK2 Proである。
SR-Λ Proの振動ユニットは一年ちょっと前に新品に交換されている。

火曜日の晩、帰宅後セットアップ。
といってもヘッドフォンアンプとヘッドフォンだから、楽である。

メリディアンの218の出力をSRM-1/MK2 Proに接ぐ。
SRM-1/MK2 Proに電源を入れた直後の音から聴きはじめる。

よくオーディオマニアのなかには、
電源を入れてすぐの音は、ウォームアップ以前の音だから、聴かないようにしている──、
そんなことをいう人がいる。

リスニングルームに、新しいオーディオ機器を導入したときも、
すぐには音を聴かずにウォームアップが進むまで、他のことをしているらしい。

でも、私は電源を入れた直後の音からしっかりと聴きたい。
自分で使うオーディオ機器のことである。
試聴室で聴くのであれば、時間的制約があるのであれば、そういう聴き方もいいが、
自分で使うのであれば、そのオーディオ機器のすべてを、
できるかぎり知っておきたい、と思うからだ。

電源を入れた直後の音から、
聴き続けることで、どのくらいの時間で、どのような変化をしていくのか。
筐体が冷えきった状態の音は、芳しくないことも多い。

そういう音をみない(きかない)ようにするのが、
オーディオへの愛情なのか──、と思う。
私は、そうではない、と思っている。

そういう人は、愛する人の寝起きの顔や、くたびれた表情はみない人なのだろう。

Date: 12月 16th, 2019
Cate: ヘッドフォン, 世代

世代とオーディオ(スピーカーとヘッドフォン・その6)

昨晩のaudio sharingの忘年会には、
50代二人、60代二人、70代一人が集まって、あれこれ話していた。

話していて、そういえば、と思ったことをきいてみた。
昔、高校に合格したときに、親にステレオを買ってもらった、というのは、
われわれの世代では珍しいことではなかった。

中学入学の時には万年筆を買ってもらった。
高価な万年筆ではなかったけれど、それでも一つ大人へのステップをあがったように感じた。

それまでの筆記具、鉛筆、シャープペンシル、ボールペンなどとは明らかに違う。
手入れも必要となる、その筆記具は小学生が使うモノではない、とその時感じていた。

いまはそのへんどのなのだろう。
中学生になったら、万年筆なのだろうか。
そうでないような気もする。

高校に合格したら、オーディオ?
これこそ、どうなのだろうか。

昨晩、集まった人たちも、みな知らなかった。

高校に合格したら、スマートフォンなのか。
でも、いまでは中学生でも使ってそうだから、
スマートフォンを貰って喜ぶのだろうか。

それこそヘッドフォンとヘッドフォンアンプ、D/Aコンバーターなのか。

高校に合格した祝いに、という発想そのものが、
いまではなくなっているのか、古いのか。

Date: 12月 16th, 2019
Cate: ヘッドフォン, 世代

世代とオーディオ(スピーカーとヘッドフォン・その5)

e☆イヤホンの活気ある店内から出て、
しばらく歩いていて、音元出版が秋葉原にあることを思い出していた。

音元出版は確か最初から秋葉原に会社があったはずだ。
いまも秋葉原にある。これから先もそうなのかもしれない。

ステレオサウンドは何度か引っ越ししている。
六本木周辺の時代が長かったが、今年、世田谷に移っている。

こんなことを書いているのは、オーディオの現場は? ということを考えるからだ。
十年前に「オーディオにおけるジャーナリズム(その33)」で、
オーディオの「現場」は、どこなのだろうか、と書いた。

十年経っても、はっきりと答を出せずにいるが、
秋葉原は、いまでも、オーディオの現場といえるのかもしれない──、
e☆イヤホンから出て、そう思っていた。

秋葉原はずいぶん変ってきた。
オーディオの街だったこともある。
ずいぶん昔のことではあるが、それでもオーディオの現場の一つなのだろう、と思う。

音元出版の人たちが、そんなことを考えているのかどうかはわからない。
けれどずっと秋葉原に音元出版はある。

オーディオの現場の一つといえる秋葉原に、音元出版があることは事実だ。

Date: 12月 14th, 2019
Cate: ヘッドフォン, 世代

世代とオーディオ(スピーカーとヘッドフォン・その4)

今日、秋葉原に行っていた。
いくつかの用事をすませて、上野まで歩いていこうと思い立ち、
てくてく細い道を選んで歩いていた。

e☆イヤホンが入っているビルの前を通った。
たまに寄ってみよう、とエレベーターで上の階まで行く。

平日の昼間、一度だけe☆イヤホンに寄ったことはあるが、
土日は初めてだった。

こんなに人が溢れているのか。
そう思わずにいられなかった。

オーディオがブームだったころでさえ、
オーディオ店にこれだけの人は集まらなかったのではないか。

ヘッドフォン祭にはここ数年毎年行っているから、
人は多いだろうな、ぐらいは思っていたが、
ヘッドフォン祭以上の込み具合にも感じられた。

活気がある。
ヘッドフォン祭の会場よりも、こちらのほうがそう感じた。

あとで気づいたのが、秋葉原近くでポタフェスがやっている。
それもあってのことで、人が多かった可能性はあるのだろうが、
それでも人が多いだけでは、ああいう活気は出ないようにも感じる。

Date: 11月 6th, 2019
Cate: ヘッドフォン

優れたコントロールアンプは優れたヘッドフォンアンプなのか(その5)

その4)を書いたのは三年半前。
書くのを忘れていたわけではないが、
ここに来てまた書くようになったのは、
Brodmann Acousticsのヘッドフォン、
そのベースモデルのLB-AcosticsのMysphere 3が出たからである。

別項で書いているように、AKGのK1000の開発者による後継モデルだ。
Brodmann Acousticsのヘッドフォンを、ヘッドフォン祭で少しだけ聴いた。

聴いた印象を書かないのは、聴きなれていないソースだったこともあるけれど、
それ以上にアンプをかなり選びそうように思えたからだ。

構造上もあって、かなりボリュウムをあげることになる。
2時くらいの位置まで上げても、会場が静かではないこともあって、
中音量以下ぐらいにしか感じられなかった。

ヘッドフォンアンプをあれこれ試すことはできなかったし、
Brodmann Acousticsのヘッドフォンを鳴らしているヘッドフォンアンプの力量も、
私は知らない。

なので聴いてどうだったのかについては書かなかったわけだが、
K1000専用のアンプを、AKGはすぐに出していることからもわかるように、
この種のヘッドフォン(イヤースピーカー)は、
それまで使ってきたヘッドフォンアンプに接続して、
うまくいくかどうかはなんとも言えないような気がする。

まずしっかりしたパワーが欲しい、と思ったのは事実だ。
もっといい音で鳴るはず、というこちらの勝手な、一方的な期待を満たしてはくれなかった。

それでもBrodmann AcousticsにしてもMysphere 3にしても、とても期待している。
期待しているからこそ、ヘッドフォンアンプについてじっくり書いてみようという気になった。

Date: 11月 5th, 2019
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(終のリスニングルームなのだろうか・その13)

先週末のヘッドフォン祭には、かなり長い時間会場にいたけれど、
そのほとんどがroonのイベントをきくためだったので、会場はあまりみていなかった。

それでもBrodmann Acousticsのヘッドフォンだけは目に留ったのだが、
実はこのモデル、LB-AcosticsのMysphere 3がベースになっていることを、後日知った。

輸入元のブライトーンのMysphere 3を見ると、
AKG K1000のコンセプト構築と開発を指揮した
Helmut RybackとHeinz Rennerは、
彼らの貴重な経験を究極のヘッドフォンである
Mysphere 3の開発に惜しみなく注ぎ込みました。
とある。

ブライトーンのブースは、13階にあったそうだ。
もう少しきちんとみてまわっていればと……、と少し後悔しているものの、
やっぱりK1000の正当な後継機なんだ、とうれしくなるばかりだ。

Date: 11月 2nd, 2019
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(終のリスニングルームなのだろうか・その12)

AKGのK1000は、私にとって理想に近いヘッドフォンである。
K1000が現行製品だったころ、ろくに仕事をしていなかったから、
あきらめるしかなかった。

いつかは買えるだろう、と思っていたら、製造中止になった。
しばらくは忘れていた。

でも、あるきっかけがあってK1000のことをおもいだしてしまうと、
どうしても欲しくなる。

といっても製造中止になってからでもずいぶんの月日が経っている。
中古をみかけないわけではない。

手を出しそうに何度かなった。
でも、あと何年使えるのか……、とどうしても思う。

AKGが修理に応じてくれれば、中古を買ってもいい。
確かめたわけではないが、K1000の修理を、現在のAKGがやってくれそうにはない。
私が勝手にそう思っているだけで、実際は違うのかもしれない。

AKGがK1000の後継機を出してくれないのか。
ヘッドフォンがこれだけブームになっているのだから──、
そんな期待もしているのだが、何年待っても、そんな気配はない。

もうあきらめかけていた。
今日、ヘッドフォン祭に行ってきた。

Roonのイベントが始まるまでのわずかなあいだ、
いくつかのブースを見ていた。

11階のフューレンコーディネイトのところに、
Brodmann Acousticsのヘッドフォンがあった。

プロトタイプとのことで、それ以上の情報は、いまのところない、との説明だった。
すでに会場に手にされた方は気づかれているだろうが、
K1000のBrodmann Acoustics版といえるヘッドフォンだ。

Date: 10月 27th, 2018
Cate: ヘッドフォン, 世代

世代とオーディオ(スピーカーとヘッドフォン・その3)

今日から開催のヘッドフォン祭に行ってきたから、というわけではないし、
以前から書こうと思っていたことのひとつが、
いま別項で書いている再生における肉体の復活には関することである。

どんなにヘッドフォン(イヤフォン)に優れたモノをもってきても、
ヘッドフォンアンプ、D/Aコンバーターを良くしていっても、
プログラムソースを、どんどんハイレゾ化していったも、
そこでの音に、肉体の復活を、聴き手は錯覚することができない。

少なくとも私は、できない。
これから先、技術は進歩していくことだろう。
それでも、肉体の復活を、ヘッドフォンでの再生音に感じることはない、といえる。

だからヘッドフォンはスピーカーよりも劣る、といいたいのではなく、
ヘッドフォンでばかり音楽を聴いて育った聴き手は、
スピーカーからの再生音にも、肉体という夾雑物のない音を求めていくのか。

Date: 5月 7th, 2018
Cate: ヘッドフォン, 世代

世代とオーディオ(スピーカーとヘッドフォン・その2)

先日、ヘッドフォンで比較試聴する機会があった。
ヘッドフォンの比較試聴ではない。

いわゆるPCオーディオ(それにしても他にいい表現はないのか)での、
再生ソフトによる音の違いを、ヘッドフォンで比較試聴した。

差はある。
ここで書きたいのは、再生ソフトによる音の違いについてではなく、
ヘッドフォンでの比較試聴について、である。

ヘッドフォンゆえによくわかる違いもあるのだろうが、
ふだんヘッドフォンを聴かない私は、
ヘッドフォンゆえによくわからない違いがあることの方が気になってきた。

ヘッドフォンで聴きながら、ここはスピーカーで聴いたら、こんな感じになって、
もっと違いがはっきりでるんじゃないのか、とか、
ヘッドフォンで聴いているがゆえに、微妙なところで、もどかしさを感じたりもした。

このへんは慣れなのだろう、とは思うが、
それでもどこまでいってもスピーカーとヘッドフォンは、はっきりと違う。

スピーカーはステレオフォニックであり、ヘッドフォンはバイノーラルである。
この決定的な違いが、比較試聴に及ぼす影響は小さくはない。

いいヘッドフォン(イヤフォン)を求めて、
ヘッドフォン(イヤフォン)の比較試聴をするのに、もどかしさはまったく感じない。
だが、ヘッドフォン(イヤフォン)で、比較試聴をするとなると、
ヘッドフォン慣れしていない私は、少しばかりを時間を必要とすることになるだろう。

ということはこれまでずっとヘッドフォン(イヤフォン)で聴いてきている人が、
逆の立場におかれたら、どう感じるのだろうか。

つまりスピーカーでの比較試聴をやってもらったら、
違いがわかりにくい、ということになるのか。

Date: 11月 4th, 2017
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(終のリスニングルームなのだろうか・その11)

話は少しそれるが、今日、ヘッドフォン祭に行ってきた。
行ってきたといっても16時40分ごろに着いて、ぐるっと一周して見てきただけ。

中野サンプラザの6偕、11階、13階、14階、15階を使って展示なだけに、
かなりの数のヘッドフォン、イヤフォン、ヘッドフォンアンプなどが並んでいる。

しかも来場者もヘッドフォン、イヤフォンをしていたりするわけだから、
一周するだけで、どれだけの数のヘッドフォン、イヤフォンを見たのだろうか。

音は聴いていない。
見ただけであるからこそ、ひときわ印象にのこったヘッドフォンがあった。
AKGのK1000である。

AKGのブースにあったわけではない。
すでに製造中止になってかなり経っているのだから。

あるヘッドフォンアンプメーカーのブースに、K1000があった。
K1000が登場した1990年に見た時の印象よりも、
今回の印象のほうがずっと強い。

いまどきのヘッドフォンの中に、ぽつんといたK1000は1990年当時よりも美しく見えた。

Date: 9月 12th, 2016
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(終のリスニングルームなのだろうか・その10)

いかなる方式の、素材を使ったユニットであれ、
固有音から逃れることは完全にはできない。

同じ方式のユニットであっても、構造、素材が違えば、音は同じにはならない。
それでもある種の共通する音が、最後までわずかに残ることがある、ともいえる。

モノ(素材)・コト(方式)には、固有音がそれぞれあり、
その固有音同士の関係・組合せが最終的な音になっている、とも考えられる。

ハイルドライバー(Air Motion Transformer)も、完璧なトランスデューサーなわけではない。
そこにはなんらかの固有音が存在する。

私が気になっているのは、Air Motion Transformerという方式による固有音というよりも、
ダイアフラムに使う高分子フィルムをプリーツ状に加工して動作させることによって、
顕在化してきた固有音のようにも感じている。

細かな改良・工夫によって、固有音を抑えていくことはできる。
ダイアフラムの材質は同じであっても、
そこにプリントする導体によって、音は変化してくるはずだ。

一般的にはアルミ箔が多いようだが、
渡辺成治氏製作のATMユニットは銅箔だった。
アルミ箔と銅箔とでは、わずかに質量も変化するだろうが、アルミと銅の素材としての違いが、
音にあらわれていないとはいえない。

アルミ箔でもなく銅箔でもなく、金箔だったら……、とも想像している。

高分子フィルムといっても、さまざまな種類があるだろうから、
微妙に音は違うはずである。

ハイルドライバーはダイアフラムの、この種の違いを聴き分けるのに都合がいい。
磁気回路、フレームはそのままでダイアフラムだけを簡単に交換できるからである。

ダイアフラムがカートリッジ式になっていて、
上部から抜き差しするだけで交換できるのは、エッジやダンパーをもたない構造の特長である。

Date: 9月 12th, 2016
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(終のリスニングルームなのだろうか・その9)

平面スピーカーで知られるFAL(古山オーディオ)では、
ハイルドライバーのトゥイーターを扱っている。
そこにはスイス製のダイアフラム、とある。

FALオリジナルハイルドライバーとある。
ということはダイアフラムだけを輸入して、磁気回路、フレームをつくり、
ATMトゥイーターとして製品化しているのたろう。

どのメーカー製なのか、詳細はないが、もしかするとERGO製なのかもしれない。
ヘッドフォンに使われているダイアフラムを使っていたとしても、ふしぎではない。

ならば逆も可であるのだから──、と考える。
ハイルドライバー(Air Motion Transformer)のヘッドフォンではなく、
AKGのK1000のハイルドライバー版が実現できないのだろうか、と。

ステレオサウンド別冊「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」には、
ESSのヘッドフォンもMK1Sも登場している。
ハイルドライバーのヘッドフォンである。
     *
 スピーカーではすでにトゥイーターとして実用化されているハイルドライバーの応用という特殊型だ。中音域は広い音域にわたって全体に自然だが、高音域のごく上の方(おそらく10数kHz)にややピーク性の強調感があって、ヴォーカルの子音がややササクレ立つなど、固有の色が感じられる。が、そのことよりも、弦のトゥッティなどでことに、高音域で音の粒が不揃いになるように、あるいは滑らかであるべき高音域にどこかザラついた粒子の混じるように感じられ、ヨーロッパ系のヘッドフォンのあの爽やかな透明感でなく、むしろコスHV1Aに近い印象だ。低音がバランス上やや不足なので、トーンコントロール等で多少増強した方が自然に聴こえる。オープンタイプらしからぬ腰の強い音。かけ心地もかなり圧迫感があって、長時間の連続聴取では疲労が増す。直列抵抗を入れた専用アダプターがあるが、スピーカー端子に直接つないだ方が音が良いと感じた。
     *
ESSのラインナップにヘッドフォンはあるが、ハイルドライバーではない。
リエイゾン・オーディオからもATM方式のヘッドフォンは登場している。
こちらは全体域をATMでカバーしているわけではなく、2ウェイとなっている。

私が欲しいのは、くり返すがK1000のハイルドライバー版であり、
ハイルドライバーの同相ダイボール型という特性は、K1000と同じ構造にぴったりといえる。

と同時に、瀬川先生が「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」で指摘されていること。
この点は、ESSのヘッドフォン固有の問題とは捉えていない。

以前エラックのCL310を鳴らしていた。
そのとき、同じようなことを感じていたからだ。

Date: 9月 12th, 2016
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(終のリスニングルームなのだろうか・その8)

ステレオサウンド別冊「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」で、
イエクリン・フロート Model 1が取り上げられている。
瀬川先生の評価は高かった。
     *
 かける、というより頭に乗せる、という感じで、発音体は耳たぶからわずかだか離れている完全なオープンタイプだ。頭に乗せたところは、まるでヴァイキングの兜のようで、まわりの人たちがゲラゲラ笑い出す。しかしここから聴こえてくる音の良さにはすっかり参ってしまった。ことにクラシック全般に亙って、スピーカーからはおよそ聴くことのできない、コンサートをほうふつさせる音の自然さ、弦や木管の艶めいた倍音の妖しいまでの生々しさ。声帯の湿りを感じさせるような声のなめらかさ。そして、オーケストラのトゥッティで、ついこのあいだ聴いたカラヤン/ベルリン・フィルの演奏をありありと思い浮べさせるプレゼンスの見事なこと……。おもしろいことにこの基本的なバランスと音色は、ベイヤーDT440の延長線上にあるともいえる。ただ、パーカッションを多用するポップス系には、腰の弱さがやや不満。しかし欲しくなる音だ。
     *
この試聴の時点で、イエクリン・フロート Model 1の入手は、
オーディオ店に行けば、すぐ買えるというものではなかったようだ。

「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」の推薦機種のところで、
《残念ながら入手が不可能らしいイエクリン・フロート》と書かれている。

Jecklin Floatはスイスのブランドだった。
正確にはどう発音するのか。
イエクリン・フロートなのか、ジャクリン・フロート、それともエクリン・フロートなのか。
ここではイエクリン・フロートを使う。

「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」が出た時点で、
イエクリン・フロート Model 1の製造中止のように思われていたが、
海外ではあたりまえに入手できていた、ともきいている。

イエクリン・フロート Model 1は、聴きたかったヘッドフォンであり、
聴けなかったヘッドフォンである。
イエクリン・フロート Model 1はコンデンサー型で、
のちのAKGのK1000の原型と捉えることもできなくはない。
つまりヘッドフォンというよりは、イヤースピーカーと云った方が、より近い。

イエクリン・フロートはその後、いろいろあったようで、ERGO(エルゴ)というブランドに変り、
コンデンサー型からAMT(Air Motion Transformer)へと変っている。

Date: 7月 11th, 2016
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(終のリスニングルームなのだろうか・その7)

いま、オーディオの世界でESSといえば、
D/Aコンバーターのチップで知られるESS Technologyを指すようだが、
私くらいの世代まで上ってくると、ESS Labsのことである。

このESSには、ずっと以前ネルソン・パスとルネ・ベズネが働いていた。
ESSのロゴはルネ・ベズネのデザインである。

ESSはハイルドライバーで有名になったメーカーだ。
ESSのスピーカーは、ブックシェルフ型の普及クラスのモデルから、
フロアー型のフラッグシップモデルまで、すべて2ウェイでトゥイーターはハイルドライバーを採用していた。
いまではハイルドライバーよりも、AMT(Air Motion Transformer)のほうが通りがいい。

ESSのスピーカーの上級機種になると型番はamtから始まっていた。
ESSはヘッドフォンもつくっていた。MK1Sというモデルで、もちろんハイルドライバーを使っている。

1970年台の終りころ、日本では平面振動板のスピーカーが、一種のブームになった。
各社からそれぞれに違った構造、違った素材の振動板の平面型スピーカーが登場した。

コーン型につきものの凹み効果が発生しない平面振動板。
さらに振動板のピストニックモーションを考えても、
スピーカーとしての理想に確実に近づいた印象を私は受けてしまった。

当時は田舎町に住む高校生。
平面振動板のスピーカーシステムは、どれも聴く機会はないまま、
あふれる情報によって、それがあたかも理想に近いモノとして認識しようとしていた。

けれど数年後、実際の音を聴き、オーディオの経験を積んでいくうちに、
振動板の正確なピストニックモーションが、部屋の空気をそのように振動させているわけではない、
そのことに気づくようになってきた。
このことは以前書いている。

部屋の空気を動かすことに関して、平面振動板が理想に近いとは思わないようになってきた。
だからといって平面振動板のスピーカーシステムが聴くに値しない、といいたいのではない。
振動板の動きイコール空気の振動ではない、ということだけをわかってほしいだけである。

そう考えるようになってハイルドライバーのことが気になってきた。
ハイルドライバー(AMT)は振動板を前後にピストニックモーションさせているわけではない。

Date: 4月 23rd, 2016
Cate: ヘッドフォン

優れたコントロールアンプは優れたヘッドフォンアンプなのか(その4)

アナログディスク全盛時代、カートリッジを複数個もつ人は特に珍しいことではなく、
オーディオマニアであればそれが当然のことでもあった。

私がオーディオにこれほどのめり込むきっかけとなった「五味オーディオ教室」には、こう書いてあった。
     *
 ある程度のメーカー品であれば、カートリッジひとつ替えてみたところでレコード鑑賞にさほど違いがあるわけはない、とウソぶく者が時おりいる。
 レコード音楽を鑑賞するのは本当はナマやさしいことではないので、名曲を自宅でたっぷり鑑賞しようとなんらかの再生装置を家庭に持ち込んだが最後、ハイ・フィデリティなる名のドロ沼に嵌まり込むのを一応、覚悟せねばならぬ。
 一朝一夕にこのドロ沼から這い出せるものでないし、ドロ沼に沈むのもまた奇妙に快感が伴うのだからまさに地獄だ。スピーカーを替えアンプを替え、しかも一度よいものと替えた限り、旧来のは無用の長物と化し、他人に遣るか物置にでもぶち込むより能がない。
 ある楽器の一つの音階がよりよくきこえるというだけで、吾人は狂喜し、満悦し、有頂天となってきた。そういう体験を経ずにレコードを語れる者は幸いなるかなだ。
 そもそも女房がおれば外に女を囲う必要はない、そういう不経済は性に合わぬと申せるご仁なら知らず、女房の有無にかかわりなく美女を見初めれば食指の動くのが男心である。十ヘルツから三万ヘルツまでゆがみなく鳴るカートリッジが発売されたと聞けば、少々、無理をしてでも、やっぱり一度は使ってみたい。オーディオの専門書でみると、ピアノのもっとも高い音で四千ヘルツ、これに倍音が伴うが、それでも一万五千ヘルツぐらいまでだろう。楽器でもっとも高音を出すのはピッコロやヴァイオリンではなく、じつはこのピアノなので、ピッコロやオーボエ、ヴァイオリンの場合はただ倍音が二万四千ヘルツくらいまでのびる。
 一番高い鍵を敲かねばならぬピアノ曲が果たして幾つあるだろう。そこばかり敲いている曲でも一万五千ヘルツのレンジがあれば鑑賞するには十分なわけで、かつ、人間の耳というのがせいぜい一万四、五千ヘルツ程度の音しか聴きとれないとなれば、三万ヘルツまでフラットに鳴る部分品がどうして必要か——と、したり顔に反駁した男がいたが、なにごとも理論的に割切れると思い込む一人である。
 世の中には男と女しかいない、その男と女が寝室でやることはしょせんきまっているのだから、汝は相手が女でさえあれば誰でもよいのか? そう私は言ってやった。女も畢竟楽器の一つという譬え通り、扱い方によってさまざまなネ色を出す。その微妙なネ色の違いを引き出したくてつぎつぎと別な女性を男は求める。同じことだ。たしかに四千ヘルツのピアノの音がAのカートリッジとBのとでは違うのだから、どうしようもない。
     *
この文章についていた見出しは「よい部品を求めるのは、女体遍歴に通ず」だった。
「なにごとも理論的に割切れると思い込む」人は、
カートリッジを複数個もつことは、無駄なことでしかなかったはず。
いまならカートリッジはヘッドフォン、イヤフォンに置き換えることができる。

カートリッジにしても、ヘッドフォン、イヤフォンも場所はそれほどとらない。
これがアンプ、さらにはスピーカーシステムとなると、場所もとる。
それでもアンプもスピーカーも複数所有している人はいるし、
所有したいと思っている人はもっと多いだろう。

オーディオに関心のない人からすれば、いいモノをひとつ選んで他は処分すればいいのに……、となる。
確かにアンプにしてもスピーカーにしても複数所有することは機能の重複である。
そんなことはオーディオマニアはわかっている。

それでも複数所有するのは、性能の重複ではないからだ。
重複するのは何なのか。
ここのところを、はっきりと家族に理解してもらうのは大事なことだ。