Archive for category アクセサリー

Date: 11月 6th, 2016
Cate: アクセサリー

オーディオ・アクセサリーで引く補助線(その1)

少し前にアクセサリーのことを補助線に例えた。
アクセサリーに限らず、音を変えていく行為は、補助線を引く行為だと考えている。

それでもケーブル以外のオーディオ・アクセサリーは、
音を出す上で必要なモノとはいえない。
インシュレーター、フィルターなどなど、
それがなくとも音は出る、というアクセサリーがいくつもある。

それらを購入して、という行為は、
たとえばカートリッジを交換したりする行為とは違う補助線を引くことではないだろうか。

補助線は的確でなければ意味はない、といえるが、
最初からそういう補助線が引けるわけではない。
まぐれで引けることもあろうが、まずは引くことである。
頭の中だけで考えていても始まらない。

とにかく音を変えることをして、補助線を引いていく。
無駄な補助線だったと気づくのは、引くからである。

私もこれまでにさまざまなアクセサリーを使ってきた。
最初に買ったアクセサリーは、シェルリード線である。
理由は、安かったからだ。

ヘッドシェル内のリード線は短い。
シェルリード線以降のケーブル、
トーンアーム・パイプ内の配線、トーンアームの出力ケーブル、
カートリッジがMC型であれば、昇圧トランスを使う。
トランスの内部は巻線だから、これもケーブルである。
その出力ケーブルがあってアンプにたどりつく。
アンプからスピーカーシステムの端子までもいくつものケーブルを通る。

スピーカーの内部にも配線材があり、ネットワークのコイルがあり、
ユニット内部にもコイルがあるわけで、そのトータルの長さからすれば、
シェルリード線の数cmという長さは、無視できる長さのようにも思える。

にも関わらず実際に交換してみると、驚くほど音は変る。
ツボとでもいおうか、あるいはウィークポイントでもいおうか。
かかる費用からすれば、大きな効果といえる。

Date: 7月 24th, 2016
Cate: アクセサリー, 四季

夏の終りに(その4)

2016年のツール・ド・フランスも日曜日に最終ステージである。
今年のツール・ド・フランスに合せたかのように、映画「疑惑のチャンピオン」が上映されている。

癌から生還し、ツール・ド・フランスを七連覇しながらも、
ドーピングの発覚ですべての優勝が取り消されたランス・アームストロングの映画である。

薬物によるドーピングが絶対的悪だとは私は考えていない。
最近では自転車のフレームの中に電動モーターを内蔵した機材ドーピングもある。
こちらは、もう自転車競技ではなくなってしまうから、絶対に認められないドーピングではあるが、
薬物ドーピングに関しては、あれこれ考えさせられるところがある。

そのひとつにオーディオ関係のアクセサリーとドーピングは、
実のところ同じ性質を持っているとも思える。

全体的な傾向としてとして、日本のケーブルメーカーは、
ケーブルそのものが存在しないのを理想としてそこに近づけようとしている。
導体の純度の追求がまさにそうだし、ケーブルの存在(固有の音)をできるだけなくそうとしている。
もちろんそうでないケーブルもあるから、あくまでも全体的な傾向として、ではあるが。

海外の、特にアメリカのケーブルメーカーとなると、
ケーブルもオーディオコンポーネントのひとつとしての存在理由を、
その音づくりにこめているように思える。

日本のケーブルが主張しない方向とすれば、主張する方向とでもいおうか、
ケーブルの存在をなくすことはできないのだから、
ならば発想を転換して積極的に……、とでもいおうか、そういう傾向がある。

そういうケーブルは、どこか薬物ドーピングのように感じてしまう。
ケーブルに限らない、オーディオ・アクセサリーの中には、いわゆる主張するモノがけっこうある。
そして新しいとアピールするアクセサリーが、登場してくる。
そういうのを見ていると、どこが薬物ドーピングと違うのか、と思うのだ。

オーディオのアクセサリーではなく、装飾物としてのアクセサリーを、
これでもかと身に纏っている人もいる。
なぜ、そこまで……、と思うこともあるが、これもドーピングとして捉えれば、
そういうことなのかも……、と思えてくる。

Date: 4月 29th, 2016
Cate: アクセサリー

アクセサリーは何に作用しているのか

オーディオ・アクセサリーには、いろいろな種類がある。
オーディオ・アクセサリーときいて、多くの人が思い浮べるケーブル類は、
信号がとおる経路だけに、直接的に音に影響を与えるアクセサリーである。

カートリッジをとりつけるヘッドシェル、スタビライザー、
インシュレーター、ラックなどの類は、信号系に直接関係してくるものではないが、
音は確かに変る。その意味では間接的に音に影響を与えるアクセサリーといえる。

それから音響パネルとよばれるアクセサリーがある。
上記のアクセサリーはオーディオ機器に関係していたモノに対し、
このアクセサリーはスピーカーから発せられた音に対して作用するアクセサリーである。

これら以外にもうひとつある、といえる。
具体的にあげれば超低周波発生機だ。

このアクセサリーに関しては、まったく効果がないという人と、
意外に効果的であるという人とがいる。

ケーブルでも音は変らないと唱える人は、
超低周波発生機などで音が変るわけがない、と一蹴するはずだ。

ケーブルだけでなくラックなどのアクセサリーで音は変るという認めている人でも、
この超低周波発生機に対しては懐疑的な人もいる。

実際に音は変化するのか。
試したことがないので、どうなのかはわからない。
ただ変るという人と変らないという人がいるということに着目すれば、
この種のアクセサリーは、人に作用するモノといえるのではないだろうか。

超低周波発生機は信号経路に挿入するわけではないし、
オーディオ機器と接しているアクセサリーでもない。
このアクセサリーを導入したからといって、部屋の音響特性が変化するわけでもない。

けれど音の受け手である人に対して作用するアクセサリーだと仮定したら、
人により変る変らないと意見が分かれることも説明がつく。

Date: 12月 1st, 2015
Cate: アクセサリー

オーディオ・アクセサリーとデザイン(その4)

メガネをかけるかかけないかで、顔の印象は違ってくる。
どんなデザインのメガネかによっても、その人に似合っているのかどうかにもよって、
印象の変化も度合も違ってくる。

鼈甲のフレームのメガネを私はかけたことがないけれど、
鼈甲のフレームは装飾品としてのつくりと価格であるから、
かけた時の印象の変化は、そうでないフレームのメガネよりも大きい。

かけてもかけなくても顔の印象がほとんど変らない鼈甲のフレームが仮にあったとしたら、
それはあまり売れない商品になってしまうのかもしれない。

ここでマークボーランドのスピーカーケーブルの話に戻ると、
マークボーランドのケーブルを鼈甲のフレームのように見ているのか……、と思われるかもしれない。

そうともいえるし、そうでないともいえる。
何もマークボーランドのケーブルだけではない。
非常に高価で、そのケーブルに替えると音が大きく変化するという印象を与えるケーブル、
それらをすべてをふくめてのことなのだが、
私にとってマークボーランドがその手のケーブルで最初に聴いたモノだっただけに印象が強い。

スピーカーケーブルがなければ、どんなに高価なアンプであろうと、
どんなに優れたスピーカーシステムであろうと、それらはただの金属の箱、木製の箱でしかない。
スピーカーケーブルで両者が接がれて、
アンプはアンプとしての、スピーカーはスピーカーとしての仕事を果すことになる。

スピーカーケーブルは必需品であり、
その意味では私のように視力の悪い者にとってのメガネと同じともいえなくもない。

その必需品によって顔の印象が変り、音が変化する。
ここにデザインとデコレーションの違いが入りこむような気がする。

Date: 2月 2nd, 2015
Cate: アクセサリー

オーディオ・アクセサリーとデザイン(その3)

以前、メガネを増永眼鏡のMP649にしたことを書いた。
当時は日本橋の三越本店別館のメガネサロンでしか川崎先生デザインのフレームは扱ってなかった。

東京にいったい何軒のメガネ店があるのかしらないが、1998年の時点では、ここだけだった。

ここでメガネをつくったことのある人なら、
その他多くのメガネ店とは雰囲気が違うことを感じとられると思う。

私がMP649を取り寄せてもらうため注文していた横で、
あるご婦人が完成したメガネを受けとっていた。
そのとき支払っていた金額に驚いた。

私が購入しようとしていたMP649とレンズを合わせた値段の約十倍もの金額だった。
MP649が届いて受けとりにいったときも、別のご婦人がメガネを受けとっていた。
その金額は、さらに高額だった。

どちらも鼈甲のフレームだった。
鼈甲のフレームは、こんなにも高額なのか、と驚きながらも、
ふたりのご婦人にとってメガネはアクセサリー(装飾品)でもあることに気づいた。

私の視力は左右とも0.1くらい。
メガネがないと不便である。
つまり私にとってメガネは医療機器であり、生活必需品である。
そこに装飾品の要素は求めていない。

けれど世の中には装飾品としてのメガネを買う人もいる。
そんなことを書きながらも、お前も川崎先生デザインのフレームというこだわりをもっているじゃないか、
と読まれている方にいわれそうだが、ここにデザインとデコレーションの違いがあると考える。

Date: 2月 2nd, 2015
Cate: アクセサリー

オーディオ・アクセサリーとデザイン(その2)

マークボーランドがどういう会社なのか、いまも詳しくことはしらない。
最初なんとなくアメリカの会社なのかなぁ、と思っていたけれど、どうも日本で作っていたようだ。
その後、どうなったのかも知らない。

私が聴くことができたマークボーランドの製品は、
朝沼予史宏さんがステレオサウンド試聴に持ち込んだスピーカーケーブルだけである。
このケーブルの型番すら知らない。

外観はおよそ30万円もするケーブルには見えなかった。
それでも朝沼さんは自信たっぷりにみえた。
とにかくマークボーランドのケーブルを、何も知らないわれわれ編集部に聴かせたかったようだった。

当時使っていたケーブルからマークボーランドのケーブルに変える。
その音の違いは、それまで聴いてきた、さまざまなケーブルの音の違いよりもはるかに大きかった。
これだけはっきりと音が変化すれば、ケーブルで音は変らないと頑なに主張しつづけている人でも、
あっさりとケーブルによる音の変化を認めるであろう。
そのくらいの違いがあった。

逆にいえば、スピーカーケーブルを変えただけでこれだけの音の変化があることが不自然に思えるほどだった。

スピーカー側からみれば、アンプとはスピーカーケーブルを含めた範囲であり、
パワーアンプ側からみればスピーカーとはスピーカーケーブルを含めたものが負荷となる。
だからスピーカーケーブルが変ることでアンプにとっての負荷も変動する。

マークボーランドのスピーカーケーブルに変えての音の差は、
アンプの動作が、それまでのスピーカーケーブル使用時とは違ってきているような、そんな印象さえあった。

だからといってすべての点で、それまで使っていたケーブルよりも良かったのかというと、
そこに関しては保留をつけたくなっていた。
それに30万円という価格にも、当時はかなりの抵抗を感じていた。

Date: 2月 1st, 2015
Cate: アクセサリー

オーディオ・アクセサリーとデザイン(その1)

デザインとデコレーション。
デコレーションとは装飾である。
装飾品はアクセサリーである。

オーディオにもいくつものアクセサリーが存在する。
ケーブルもそのひとつだし、インシュレーター、スタビライザー、クリーナー、その他多くのジャンルのモノが、
いまオーディオ・アクセサリーとして流通している。

オーディオアクセサリーは音元出版の季刊誌の誌名なので、
ここではオーディオ・アクセサリーと表記する。

以前はオーディオ・アクセサリーは地味な存在だった。
いわば陰の存在のようでもあった。
価格もそれほど高価なモノはほとんど存在しなかった。

スピーカーケーブルにしても、ほとんどのケーブルが1mあたり数百円だった。
そこにマークレビンソンのHF10Cが登場した。
1mあたり4000円だった。

ステレオサウンド 53号に瀬川先生が「1mあたり4千円という驚異的な価格」と書かれているくらい、
当時としては非常に高価なスピーカーケーブルであった。
いまでは安価なスピーカーケーブルということになってしまうけれども。
これが1979年だった。

1980年代の後半になって、朝沼予史宏さんがステレオサウンドの試聴室に、
マークボーランドという、初めてきくブランドのスピーカーケーブルを持ち込まれた。
長さは3mくらいだった。
朝沼さんによると、ペアで30万円ほどだということだった。

3mだとしよう。
HF10Cだと片チャンネル12000円、ペアで24000円。
マークボーランドのスピーカーケーブルはHF10Cの十倍ほどの価格である。