オーディオ・アクセサリーとデザイン(その5)
いまもまだいうのだろうか、と思い出したのが、
デコレーションケーキである。
私が小学生のころは、確かにそう呼ばれていたケーキがあった。
熊本に住んでいたころは、
デコレーションケーキという言葉はよく耳にしていたし、目にしていた。
Googleで検索すれば、いまもふつうに使われているようだけれど、
目にすることは、以前にくらべるとずっと減った、と感じている。
デコレーションケーキ、
装飾されたケーキである。
装飾されたお菓子ということで、
ここでも伊藤先生の真贋物語を思い出す。
このころのステレオサウンドを、何度読み返したことか。
伊藤先生の真贋物語もくり返し読んでいた。
だから、こうやって思い出すことになる。
43号の真贋物語に、プリンとホットケーキのことが出てくる。
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カスタード・プッディングはキャラメル・ソースがかかっているだけのが本来なのに、当節何処の喫茶店へ行っても、真面(まとも)なものがない。アラモードなどという形容詞がついて生クリームが被せてあって、その上に罐詰のみかんやチェリーが載っていたりして、いや賑やかなことである。何のことはないプッディングは土台につかっての基礎工事なのである。味は混然一体となって何の味であるかわからないように作ってある。幼児はそれを目にして喜ぶかも知れないが成人がこれを得得として食べている。
カスタード・プッディングは繊細な味を尊ぶ菓子であるだけに悪い材料といい加減な調理では、それが簡単なだけにごまかしが効かない。一見生クリーム風の脂くさい白い泡とまぜて、ブリキの臭いのする果物のかけらと食えば折角のキャラメル・ソースの香りは消え失せて何を食っているのか理解に苦しむ。しかしこうした使い方をされるプッディングは概ね単体でもまずいものであろう。
価格は単体でなく擬装をして手間をかけてまずくしてあるから単体よりも倍も高い。長く席を占領されて一品一回のサーヴ料金を上げなければならないから止むを得ぬ商策であろうが、困った現象である。
ホット・ケーキはホームメイド的で、メープル・シロップをかけてバターを溶かしてなすって食うのが最高である。これも基礎工事につかわれて小倉と名づけた煮小豆がのっていて、一見どら焼風になっていたり、苺とアイスクリームがなすってあったりしてホットの上にアイスが載って冷やしている奇妙なものもある。これも篦棒に高価になっている。朝食にベーコンかハムと一緒に食う本来の姿は何処へやら、堕落したものだ。いやデコレーション・ケーキとなって高級になったのかもしれないが哀れである。
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伊藤先生がステレオサウンドに書かれたものは、
「(続)音響道中膝栗毛」におさめられているが、もう絶版のようだ。
ステレオサウンド掲載時の文章と読み比べてみると、かなり手直しされていることに気づく。
伊藤先生の、この文章はカレーうどんのこと、そばのことへと続く。
この文章には、「絢爛たる混淆」という見出しがついている。