老いとオーディオ(なにに呼ばれているのか・その1)
このごろ芽ばえてきた感覚として、なにかに呼ばれてきたのか、というのがある。
そんな気がするというだけであって、なにに呼ばれているのか、はっきりとしない。
それでも呼ばれていた、呼ばれてきたのだろうと思うようになっている。
それがなんなのか、おそらくわからないであろう。
ただそんな気がしている、というだけのことだ。
このごろ芽ばえてきた感覚として、なにかに呼ばれてきたのか、というのがある。
そんな気がするというだけであって、なにに呼ばれているのか、はっきりとしない。
それでも呼ばれていた、呼ばれてきたのだろうと思うようになっている。
それがなんなのか、おそらくわからないであろう。
ただそんな気がしている、というだけのことだ。
五味先生の「私の好きな演奏家たち」からの引用だ。
*
近頃私は、自分の死期を想うことが多いためか、長生きする才能というものは断乎としてあると考えるようになった。早世はごく稀な天才を除いて、たったそれだけの才能だ。勿論いたずらに馬齢のみ重ね、才能の涸渇しているのもわきまえず勿体ぶる連中はどこの社会にもいるだろう。ほっとけばいい。長生きしなければ成し遂げられぬ仕事が此の世にはあることを、この歳になって私は覚っている。それは又、愚者の多すぎる世間へのもっとも痛快な勝利でありアイロニーでもあることを。生きねばならない。私のように才能乏しいものは猶更、生きのびねばならない。そう思う。
*
《生きねばならない》、
《生きのびねばならない》とある。
長生きする才能とは、生き延びることなのか。
生き延びるとは……、と考えると、
生き残る、生き続けるの違いについて思うようになる。
生き残る才能、生き続ける才能は、同じようでいて、同じなわけではない。
二つをひっくるめての生き延びる才能なのか。
そんなことを考えていると、そういえば、生き抜くもあることに気づく。
別項で、ケイト・ブッシュの“THE DREAMING”を青春の一枚だった、と書いた。
だった、と過去形で書いた。
だった、としたことを取り消そうとしたいわけではない。
“THE DREAMING”は、私にとって青春の一枚だったことは確かだ。
けれど書きながら、
3月6日のaudio wednesdayで“THE DREAMING”を聴いてきた心境を思い出してみれば、
“THE DREAMING”をこういう音で、この歳になっても鳴らせるのか、と思っていたのは事実である。
50をすぎて枯れてしまった、枯れてきている音ではなかった。
実というと、ほかの人よりも、ほかならぬ私自身が、
“THE DREAMING”を最初の曲から聴きはじめたものの、
途中でお腹いっぱいになったように感じてしまうのではないか──、
わずかではあっても、そんな気持があった。
一曲目の“SAT IN YOUR LAP”の冒頭の、あの鞭打を思わせる音を聴いた瞬間から、
もうワクワクしていた。
“THE DREAMING”はどれだけ聴いたか、もうわからない。
“SAT IN YOUR LAP”もどれだけ聴いたろうか。
だから、もしかするともう条件反射のようなものなのかもしれない。
“SAT IN YOUR LAP”の音を聴いただけで、
“THE DREAMING”の世界に入りこめるような錯覚があるのだろうか。
一曲目の“SAT IN YOUR LAP”から二曲目の“THERE GOES A TENNER”を聴いているときには、
老いの実感なんて、その瞬間には関係なくなっていた。
最後の三曲、
“ALL THE LOVE”、“HOUDINI”、“GET OUT OF MY HOUSE”では、
どっぷりケイト・ブッシュの世界だけでなく、
“THE DREAMING”を夢中になって聴いていた、
そして少しでもいい音に、ということで夢中になっていたころとすっかり同じ心境だった。
だからこそ「青春の一枚だった」と書いてしまったのか。
シモーヌ・ヴェイユの「純粋さとは、汚れをじっとみつめる力」と、
中原中也の「汚れつちまつた悲しみに」とが、この歳になって結びつくようになった。
「汚れつちまつた悲しみに」を知ったのは、高校生だったか。
こんな表現は私にはできないな、と衝撃にちかいものを受けたが、
だからといって「汚れつちまつた悲しみに」が表現しようとしている何かを感じとっていたわけではなかった。
それでも「汚れつちまつた悲しみに」は、心に残る。
白状すれば、私は詩が苦手だ。
読むのも書くのも苦手だ。
思い出したように、なんらかの詩集を買ってきても、最後まで読み通すのがしんどい。
詩でも、それが歌詞であり、素敵なメロディがついて、情感込められた歌を聴けば、
しみじみいいなぁ、と感じても、
活字での詩を読んでも、そうはなかなかならない。
詩には苦手意識がずっとある。
いまもある。
そんな私でも「汚れつちまつた悲しみに」は、心にひっかかってきた。
何かの拍子に思いだし、言葉にすることがある。
先月も、そんな機会があった。
「汚れつちまつた悲しみに」と話していて、
そういうことなのか、と少しわかったような気がした。
わかったような気がして、中原中也はやはり天才なんだなぁ、と感心していた。
ハタチぐらいのころだから、もう四半世紀前になる。
ピーター・ゼルキンのコンサートに行った。
コンサートのチラシには、長髪の、しかも神経質そうな表情のピータ・・ゼルキンの写真が使われていた。
現代曲中心のプログラムだったような記憶もあるが、正直なところひどく曖昧だ。
コンサートでのピーター・ゼルキンの演奏よりも、
彼の父であるルドルフ・ゼルキンとの風貌の違いが、より印象に残った。
そのころテラークから、
ルドルフ・ゼルキンと小澤征爾によるベートーヴェンのピアノ協奏曲が出て話題になっていた。
ジャケットでのルドルフ・ゼルキンと、
コンサートでのピーター・ゼルキンが親子とは、何も知らなければそうは思わないだろう。
その後、ピーター・ゼルキンは長髪でなくなったことは知っていた。
それでもピーター・ゼルキンの録音に興味を持つことはなかった。
つい先日、たまたまピーター・ゼルキンの近影を見た。
偶然に見かけたものだっただけに、
四半世紀前の印象とあまりにも違いすぎたピーター・ゼルキンに驚くだけでなく、
父と息子は、結局歳を重ねればそっくりになっていくのか、とも感じていた。
親子だから似てくるのは当然なのだが、
それでも長髪のころの印象が強かっただけに、
そのころのピーター・ゼルキンからはいまの風貌は想像できなかった。
そうなると不思議なもので、これまでさっぱり聴いてこなかったピーター・ゼルキンを、
ルドルフ・ゼルキン(こちらもほとんど聴いていない)の演奏とともに聴きたくなってくる。
ことオーディオに限って、には、
オーディオを通して聴く音楽もふくめてのことだ。
狭く・浅いままの世界で、好きな演奏家、歌手を一流と思い込んでしまう。
時には超一流とも思い込んでしまう。
それが趣味の世界だろう、という人がいるのはわかっている。
けれど、それが本当に趣味の世界なのだろうか。
少なくとも、オーディオという趣味の世界ではない。
好きな演奏家、歌手を超一流と思い込み続けるためには、
狭く・浅い世界に囚われたままでいるしかない。
ことオーディオに限っても、若いは狭い(浅い)と、いまはいえる。
狭く・浅いからこそ、確信が持てることがある。
でも、それは狭く・浅いからこその確信であって、
その確信に囚われてしまっては、狭く・浅いままである。
狭く・浅いままの世界は、居心地がいいのかもしれない。
趣味の世界だから──、という人もいよう。
オーディオの世界に限っていえば、狭く・浅いままでいいとは私はまったく思っていない。
趣味の世界であってもだ。
そういう人は、狭く・浅いまま老いていくのか。
今日(1月29日)、ひとつ歳をとった。
56になった。
55も一の位を四捨五入すれば60になる。
それでも55と56の違いは、60という年齢をどれだけ意識するかということでは、
なってみてけっこうな違いのように感じている。
もう60がそこまで来ているようにも感じるし、
まだまだあるような気もしないわけではないが……。
14年前のことを思い出していることも関係しているのかもしれない。
川崎先生が菅野先生にたずねられたことが、よみがえってくる。
「50代をどう生きるべきですか」
そう川崎先生はきかれていた。
川崎先生(1949年生れ)と私(1963年)は14違う。
ちょうど、そのときの川崎先生と同じ年齢になっている。
厳密には川崎先生は2月生れなので、一ヵ月のズレはある。
「50代をどう生きるべきか」
14年前は、まだまだ先のことと思っていたことに、直面している。
(その1)で書いたイベントでは、プレーヤーの傾きもそうだったが、
ハウリングに関しても、ひどかった。
音楽が鳴っているときにハウリングが起っているのが、はっきりとわかるほどのひどさだった。
プレーヤーを操作している人も、ハウリングが起きているのは少しすればわかるようで、
音量を少し下げる。
こんな再生環境で、オリジナル盤が音がいい、と、
そのイベントの常連の方たちは、本気で思っているのか。
ハウリングが簡単に起ってしまうような状態で、日常的に音を聴いているのであれば、
それもまたすごいことだし、常連の方たちをみまわすと、
ハウリングが起っていることに、どうも気づいていない感じの人も数人いた。
そういう環境でも、オリジナル盤は音がいい、ということなのか。
なんにしても、イベントの準備の段階でハウリングのチェックはしなかったのか。
ターンテーブルプラッターを停止させた状態で、ディスクに針を降ろす。
そしてアンプのボリュウムをあげていく。
この、アナログプレーヤーの設置において最も基本的なチェックをしなかったのか。
10代のころ、国産の普及クラスのアナログプレーヤーを使っていたときでも、
ハウリングには十分気をつけていた。
ボリュウムが何時の位置でハウリングが起きはじめるのか。
2時の位置でも、なんとか大丈夫だった。
フルボリュウムにすれば、ハウリングを起していた。
もういまではハウリングもハウリングマージンということも忘れかけられているのだろうか。
ステレオサウンドで働くようになって、アナログプレーヤーは替っていった。
マイクロの5000番の糸ドライヴも使っていた。
このときもハウリングマージンは十分に確保していた。
次にトーレンスの101 Limited(930st)の時には、
フルボリュウムでもハウリングは起していなかった。
ハウリングを気にしながら、ボリュウム操作はしたくない。
このことも重要なことだが、
ハウリングが起きやすい状態で聴いていて、音を判断できるのか、と、
ハウリングに無頓着の人に問いたい。
28年前の8月は、今年ほどではないにしても暑かった。
8月下旬に左膝を骨折した。
夜だった。
近くの大学病院(いまニュースになっている大学)は空きがないということで、
翌朝、もう一度来てくれ、といわれた。
独り暮しの部屋に帰り、横になっても寝つけなかった。
5時ごろの日の出が待ち遠しかった。
ふたたび大学病院に行く。
系列の病院に入院しなさい、といわれた。
ほとんどそれだけのために行ったようなものだった。
また帰宅して入院の準備。
紹介された病院へと行く。もう薄暗くなっていた。
退院したのは10月なかば。
すっかり涼しくなっていた。
入院した時はTシャツと短パンだったけれど、それで退院するわけにもいかず、
友人に秋用の服を頼んだ。
水不足の夏だった。
退院のときは、水の心配をすることもなくなっていた。
一ヵ月以上の入院だと季節が変っていく。
春に入院して初夏に退院するのと、
晩夏に入院して秋に退院するのとでは、入院している者の心境は同じとはいえないだろう。
骨折でもそんなふうに感じていた。
一ヵ月、二ヵ月……、入院が長くなれば、夏の暑さは遠いものになってしまう。
冬が近づいていることを感じられていたのではなかろうか。
11月7日に、おもうことに、
8月7日に、おもうことが加わったのは、歳をとったからだ。
岡先生の文章を読んでいると、
8月7日の時点で救急車を呼んでいてもおかしくなかったように思う。
翌朝にしても、そうである。
瀬川先生は独り暮しだった。
8月7日の夜、どんなに長かったろうか、とおもう。
まんじりともせず夜が明けるのを俟たれたのではないのか。
四年前の「続・モーツァルトの言葉(その3)」で、
ネクラ重厚、ネアカ重厚、ネクラ執拗、ネアカ執拗といったことを書いた。
ネアカ重厚、ネアカ執拗で、オーディオ(音)に取り組んでいるつもりだが、
ネクラ重厚ではなく、ネクラ軽薄もあるように、
別項の「時代の軽量化」を書き始めて、思うようになった。
このネクラ軽薄が、(その2)でふれた「深刻ぶっているね」にも関係しているような気がする。
ウエスギ・アンプのU·BROS3とマイケルソン&オースチンのTVA1。
ふたつのKT88のプッシュプルアンプの対比というより、
グラシェラ・スサーナの「抱きしめて」では、二人の女性の対比である。
歌い出しの「抱きしめて」。
その後に続く歌詞。
一人は「抱きしめて」といいながら、
こちらとの距離をぐっと縮めてくる。
「抱きしめて」の歌詞のあとは、すぐそこにいるような錯覚すら起す。
もう一人の「抱きしめて」は、そこに込められている心情は同じであっても、
ずっと控えめだ。奥ゆかしいともいえよう。
実際にこんなシチュエーションがあったなら、
そのあとにとる行動は、男ならみな一緒であろう。
それでも控えめな「抱きしめて」のあとには、
こちらから近づいていく必要はある。
(その6)で上杉先生の、ステレオサウンド 60号での発言を引用している。
ここでは、もう引用しないが、つまりはそういうことだ。
控えめな「抱きしめて」でも、そういうことである。
肝心なところは同じであり、そういう違いをTVA1とU·BROS3には感じる。
若いころならTVA1を迷うことなく選ぶ、と(その7)で書いている。
そのころから30年が経っている。
どちらの「抱きしめて」も、いい。
聴き手のこちらの心情も、いつも同じなわけではない。
TVA1の「抱きしめて」でなければならない時もある。
U·BROS3の「抱きしめて」こそ、と思うときもある。
歌っているのはグラシェラ・スサーナである。
一人の歌手なのに、アンプというシステムの内面が変ることで、
「抱きしめて」も、それに続く歌詞も、
込められている心情は変らずとも表現はまるで違ってくる。
アンプの違いが、心情の違いになってしまっては困る。
なんともつまらない「抱きしめて」になってしまうアンプもある。
そんなアンプなら、「抱きしめて」を誰かと一緒であっても聴けよう。
けれど、心情をきちんと歌にのせてくれるアンプであるなら、
TVA1にしてもU·BROS3にしても、これはやはり独りで聴くしかない。
誰かと一緒でも聴ける、という人は、
「抱きしめて」に込められている心情がわかっていない。
それだけだ。
私はそれほど多くのオーディオマニアを知っている(会っている)わけではない。
私より、ずっと多くのオーディオマニアを知っている人は、多い、と思う。
そんな経験のなかでの話だが、
オーディオマニアのなかには、深刻ぶっている人がいる。
「深刻ぶっているね」と、本人に向って言うわけではないが、
そういうオーディオマニアといっしょにいると、
真剣と深刻の違いについて考えたくなる。
私が勝手に「深刻ぶっているね」と感じているだけで、
本人にしてみれば、真剣にやっているんだろうな、とは頭では理解できる。
それでも、やっぱり「深刻ぶっているね」と感じてしまうことがある。
その人が不真面目にオーディオに取り組んでいるから、
「深刻ぶっているね」と感じるわけではない。
真剣と深刻を取り違えている──、
そう感じるのだ。
その人は、真剣と深刻を取り違えるのは、何かが欠けているからなのか。
若いころは、余裕がない人が深刻ぶるのかな、と思ったことがある。
そうかもしれない。
そうだとすると何故余裕がないのか(持てないのか)。
戯れること、戯れ心が欠けているから、のような気がする。
病院では多くの人が働いている。
大学病院と呼ばれる規模のところでは、
いったいどれだけの人が働いているのだろうか。
医師、看護師、検査技師、事務関係に就く人たちは、
病院が雇っている人たちである。
この人たちの他に、
調理・配膳、掃除、ゴミ回収、リネン関係、ヘルパー、補修関係、警備などの人たちがいる。
これらの仕事に就く人たちを、病院側は外部の業者に委託していることが多い。
病院での掃除、ゴミ回収、補修関係を引き受けている会社の人から聞いた話では、
高齢化が進んでいる、ということだった。
若い人も積極的に採用している。
18歳の人もいるけれど、ある大学病院で働いている、
その会社の人たちの平均年齢は50代後半である。
若い人がいても、その数は少なく、
70をすぎても働いている人が少なくないから、である。
若い人が集まらない、らしい。
だから高齢の人たちに頼るしかない。
この会社だけではなく、リネン関係でも同じような状況らしい。
若い人がまったくいない。
ある年齢以上の人たちしか集まらない。
リネンを請け負っている会社の人たちの平均年齢も高い、とのこと。
この人たちがいなければ、病院は機能しなくなる。
汚れ物やゴミはすぐに溜ってしまうし、
病室も汚れたままになってしまう。
通院、入院している人たちは、そういう人たちの存在にあまり気が向かない、と思う。
病気、けがを治したくて通院、入院しているだから、
医師、看護師といった人たちには注意がいっても、
そうでない人たちのことは特に意識することはなくても不思議ではない。
だから気づきにくいのかもしれない。
このまま、いまの状況が進んでいくと、どうなるんだろうか。
改善される、とは思えない。
同じようなことは、実は他の業種・業界でも起っていて、進んでいるのかもしれない。
オーディオ業界も例外ではない──、そんな気がする。