Archive for category Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(45回転LPのこと・その1)

毎月第一水曜日に四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記で行っているaudio sharing例会

夜7時からなのだが、時間が許せば一時間くらい前に喫茶茶会記に着くようにしている。
何もその日のテーマについてじっくり考えておきたいから、ではなく、
店主の福地さんとの話を楽しんだり、
常連のお客さんがいるときに福地さんが紹介してくれて、その方と話がはずむこともある。

先日(5月7日)もそうだった。
18時40分ごろだったか、フルート奏者のMiyaさんという方が来られた。
Miyaさんはそれまでオーディオを介して音楽を聴くことにはあまり関心がなかったけれど、
少し前にステレオサウンドの試聴室において、いわゆるハイレゾ音源を聴く機会があって、
そこからオーディオに目覚めてきた、ということだった。

そういうことで話が弾んだ。
audio sharing例会の19時までは20分ほどだから、あれもこれもというわけにはいかなかったけれど、
CD(デジタル)とLP(アナログ)の音の違いについてきかれた。

この日話したことのひとつだけを書けば、ノイズが関係している、ということについて説明した。
それもaudio sharing例会の開始時間が迫っていたので、充分な説明はできなかった。

翌日、このブログで、ホールのバックグラウンドノイズについて書いた。
ブログにはコメントをなかったけれど、facebookにはコメントがあった。
そこにはアナログディスクのノイズについてのものがあった。

Date: 5月 8th, 2014
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(望むもの・その3)

いわゆる音が収録されているものをなぜ望むのか。
ホールのバックグラウンドノイズを収録したもの (SACDだったりネット配信だったり)を、
そのまま再生して聴こうと考えているのではない。

一度はボリュウムをあげて聴くだろうが、
私が試してみたいのは、メインの2チャンネル(左右)のスピーカーの他に、
最低でも部屋の四隅に別個にスピーカーシステムを設置して、
たとえばウィーンのムジークフェラインザールで録音された演奏を聴くときに、
演奏の音はあくまでもメインの2チャンネルのスピーカーでのみ再生して、
四隅のサブスピーカーから、ムジークフェラインザールのバックグラウンドノイズの再生する──、
こんなことをやってみたいからである。

バイロイト劇場での録音にはバイロイト劇場のバックグラウンドノイズ、
日本のサントリーホールでの録音にはサントリーホールのバックグラウンドノイズ、
こんなことをいくつか試してみたい。

これで何らかの変化が得られるのであれば、
次のステップとしてムジークフェラインザールの録音のときに、
バイロイト劇場とかサントリーホールのバックグラウンドノイズを鳴らしてみたら、
いったいどういう変化が出るのか、
さらには複数のホールのバックグラウンドノイズをミックスしてみたら、いったいどういうことになるのか。

Date: 5月 8th, 2014
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(望むもの・その2)

さまざまなホールのバックグラウンドノイズを収録したものを、いま望んでいる。
人がだれもいないホールにマイクロフォンをたて、
DSD録音、PCm録音ならばサンプリング周波数、ビット数はCDの44.1kHz、16ビットよりも高い値で、
できるだけ録音機材のS/N比の高いものを使って、
ホール特有のバックグラウンドノイズと呼べる領域の音(あまり意識にはのぼってこないような類のもの)を、
そのまま収録してほしい。

どこかひとつだけのホールではなく、
世界各国の、著名なホールのバックグラウンドノイズをおさめたものが出て来てくれないだろうか。

音楽を収録したものにもホールのバックグラウンドノイズは収録されているといえばされている。
けれどあくまでもメインはステージの上で演奏されている音の収録であり、
バックグラウンドノイズは、おそらくステージ上の音によってマスキングされているはず。

その聴こえ難いホールのバックグラウンドノイズに焦点を絞ったものが欲しい。
完全な無音は、世の中に存在しないのだから。

Date: 5月 8th, 2014
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(望むもの・その1)

望むもの地上のどこにも完全な無音の空間は存在しないわけで、
コンサートに行く、そこでホールに足を踏み入れると、そのホール特有のざわめきがまず感じとれる。

会場直後にホールに入れば、まだ人はまばら。
ざわめきも少なく、そこでの、耳に入ってくる、いわゆるノイズはホール特有のものを、少しとはいえ感じとれる。

ステレオサウンドは1980年代にデジタルディレイを再生系に取り入れたSSSという方式を提唱していた。
菅野先生、柳沢氏のふたりが熱心に取り組まれていた。
同じころ、というか、ステレオサウンドよりも少し早くラジオ技術も同様のことを誌面でたびたび取り上げていた。

このころから30年近く経過して、デジタル信号処理に必要な機器のS/N比は格段に向上している。
あのころはわずかとはいえデジタル特有のノイズを無視できるレベルには至ってなかった。

いまハイレゾという、安易な略語がオーディオマニアの間だけでなく、
一般的な言葉として使われるようになってきた。
ハイレゾリューションといえばいいではないか、と思うし、
このハイレゾリューションにしても、それほどいい言葉とは感じられない。

とにかくデジタル(PCM)に関して、サンプリング周波数は100kHzを超えることが可能だし、
ビット数も拡大してきている。

PCMの場合、ビット数が増えていくことはS/N比の改善になる。
だがサンプリング周波数に関しては安易に高くしていくと、S/N比は劣化していく。
高くするメリットはもちろんあるのだが、ただ高くすればすべて良し、というものではない。

とはいうものの確実にデジタルは高S/N比を実現している。
それにDSDでの収録もいまでは特別なことではなくなっている。

こういう時代・状況になって、ひとつ、この項に関することで望みたいことがある。

Date: 12月 5th, 2013
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その37)

1988年の夏ごろ、フィリップスからノーノイズCDが登場した。
一回目が15枚、二回目以降は8枚ほど発売になっていた。
クラシックを聴いていた人ならば、このうちの数枚は耳にされているかと思う。

ノーノイズ(NO NOISE)はフィリップスの登録商標で、
それまでのアナログによる信号処理では除去できなかったノイズを、
デジタル信号処理によって除去するものである。

このデジタルノイズリダクションシステムは、
アメリカのソニック・ソリューションズ(Sonic Solutions)によって開発されたもの。
具体的にどういうふうに処理をおこなっているのか、技術的なことを知りたい方は、
ラジオ技術1988年6号にくわしい記事が掲載されている。

ステレオサウンドでは、岡先生が88号に5ページにわたる記事を書かれている。

いまでは個人が所有するパソコンでも簡単に短時間で処理できることでも、
1988年当時の処理能力では、このノイズ除去処理は大変な作業であったことがわかる。

このノーノイズCDが登場したときはまだステレオサウンドにいたので、
試聴室で第一回新譜は聴くことができたし、
このノーノイズCDのサンプラーも、
そして特典として用意されていたR.シュトラウス指揮のベートーヴェンの第五交響曲も聴くことができた。

すべてではないが、いくつかのノーノイズCDは購入もしている。

Date: 4月 24th, 2013
Cate: Noise Control/Noise Design
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Noise Control/Noise Designという手法(その36)

ノイズが音の感触を生んでいるかもしれない、と、この項の(その5)で書いた。
2010年2月27日のことだから、もう三年が経つ。

その三年のあいだに、いろいろ書いてきて、この項でもマッキントッシュのMC2300のことを中心に、
マッキントッシュのアンプのツマミの変化についても書いてきて、
ノイズが音の感触に直接関係していることは、もう実感へと、確信へと変ってきた。

そして、ノイズはいくつかの意味での「背景」でもあり、
結局のところ、ノイズがまったく存在しない(zero-noise)再生音は、
それはもう再生音ではなくなってしまう気もしている。

別項で書いている「続・再生音とは……」、
ここで生の音になく再生音にあるもの、
おそらくいくつかあるであろう、これらの中でもっとも重要なのがノイズであり、
ノイズは時として信号を補う存在でもある。

Date: 9月 17th, 2012
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その35)

マッキントッシュのアンプにおけるツマミの変化は、
以前、この項で書いている、電気モノから電子モノへの変化と一致していると私はみる。

ノイズそのものが視覚的に捉えることができれば、
マッキントッシュのアンプにおける古いツマミの時代のアンプのノイズと、
新しいツマミになってからのアンプのノイズの質(たち)の違いがわかろうが、
実際にはまだそういう測定技術はない。
なので感覚的な表現になってしまうが、古いツマミのマッキントッシュのアンプのノイズは、
まず新しいツマミになってからのアンプのノイズよりも、粒子が大きい。
しかも、その粒子のマテリアルも違っているように感じる。
古いツマミの方が、より硬い気がする。
この「かたい」は、堅い、固い、とよりも硬いという感じを、私は受ける。
粒子の大きさが違い、しかもマテリアルも違うということは、
たとえ同じノイズ量だとしても、聴感上は古いツマミのアンプの方が多く感じるだろう。

それに、実際には新しいツマミになってからのほうがノイズも減ってきているので、
よけいに聴感上のS/N比は、ツマミの古い新しいで、ずいぶんと違う。

古いツマミのマッキントッシュのアンプ、
そのなかでもMC2300のノイズは、ノイズ総量の質量に手応えのある重さがあるような気もする。
この手応えのある質量感をもつノイズの存在が、
MC2300を電気モノと表現したくなるところへと、私のなかではつながっている。

このノイズのことひとつにしても、マッキントッシュのアンプは、ツマミの変化とともにあきらかに変化している、
ではなく向上している。
アンプの進歩としては確かなものではある。
けれど、この項の(その32)にも書いているように、MC2300とMC2600、どちらを選ぶかとなると、
心情的にはMC2300へと大きく傾く。

ふだん聴感上のS/N比は重要だと何度も書いていながらも、
はっきりとMC2600の方がアンプとして高性能であることは認めながらも、
自分で使うアンプとして選ぶのであればMC2300であり、
なぜなのか、について考えていくことが、この項にも深く関係していくような気がする。

Date: 2月 9th, 2012
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(余談・もう少しツマミのこと)

今日量販店のオーディオコーナーに行ってみた。いくつかのオーディオ機器のツマミに触れて、
「えっ、こんなことになってしまったの!?」といささか驚いてしまった。
それで、ツマミに関しては項を改めて書く、と先日書いたばかりにも関わらず、
どうしても一言書きたくなってしまった。

ツマミが飾りと化しているオーディオ機器がいくつか目についた、ということだ。
いつのころからオーディオ機器もリモコン装備・操作がごく当り前のことになっている。
以前はCDプレーヤーだっけだったリモコンも、いまではコントロールアンプでも、
それにそうとうな高級機器でもリモコンが標準装備になっているのが多い。

個人的にはリモコンがあってもコントロールアンプに関しては、
フロントパネルのツマミに触って操作したい、と思う方だ。
けれど、メーカー側の考えは、今日いくつかのオーディオ機器にふれた感じでは、どうも違うようだ。
いまのところ、ツマミに触って、これはおかしい、と感じたのはまだ少数だった。
私が触れた範囲では、2社だけだった。

この2社の製品(すべての製品ということではない)は、
ツマミを操作する時に指がフロントパネルをこすってしまう。
こすらないようにツマミの、極力、先端を触れるようにするとツマミが短すぎるのと、
ツマミの形状が円柱ではなくテーパーがかけられているため、ひじょうにつまみにくい。
ツマミを操作できるようにつまもうとすると、くり返すが指がフロントパネルをこすることになってしまい、
私はそのことを非常に不愉快に感じてしまう。

これは2社、2つの製品に共通していえることで、
さらに1社ひとつの製品ではフロントパネルに大きくカーヴしているため、
ツマミを大きく回転させようとすると指がフラットなフロントパネル以上に指がこすることになってしまう。

おそらくどちらも製品も、リモコン操作を前提としているのだろう。
操作はすべてリモコンで行ってください、ということで、
フロントパネルのツマミに、その会社の人間は誰も触っていないのでは? 
そんなあり得ないことを想像してしまうほどにおかしなことになっている。

ツマミが短いタイプは、今日触ってきたオーディオ機器の中に他にもあった。
でもそれらは指がフロントパネルをこすらないような配慮がツマミのまわりになされていた。
そのオーディオ機器にもリモコンはついている。
けれど、リモコン操作だけに頼っていない、ツマミがツマミとして機能している。

ツマミがツマミとしてきちんと機能していない2社のオーディオ機器では、
ツマミがツマミではなく、飾りになりつつある。おかしなことだ。

ツマミについては書くことは、最初考えていた以上にいくつかのことと絡んでいて、
じっくり書いていけそうな気がしている。

Date: 2月 7th, 2012
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(余談・ツマミのこと)

オーディオの機器のツマミについては、あれこれ書きたいことがあるけれど、
このままツマミについて書いて行くと、本題から大きく逸れてしまうので、
いまここでは、すこしだけ書いておく。いずれ、ツマミについては、項を改めて書いていきたい。

ツマミについて、まず書きたいのは、やはりマークレビンソンのツマミについて、である。
それもJC2のツマミについてで、過去2回、JC2のツマミについてはふれている。

JC2の初期のころ注目されていた方だとご記憶だろうが、
初期のモデルについていたのは細長いタイプのものだった。LNP2のツマミは、ほぼ同じものがついていた。
そして、このころのJC2の音は、最尖端(最先端ではなく、あえてこちらを使いたい)のものだった。
LNP2の音は、ずいぶん違う面ももっていた。
そんなJC2も型番の変更はなされていなかったが、何度か改良されていき、
そういう表情は奥にさがり、おだやかな面も聴かせるようになっていく。
音のバランスとしては、あきらかに後期のJC2のほうが、まともである。

初期のJC2の魅力は、いわばアンバランスさが基になっているといえ、
それに惹かれる私のような者もいれば、拒否したいという人もいる。
そんな初期のJC2の音だったから、あの径の細い、そして長いツマミが、
そんなJC2の内面を表しているかのようだった。

JC2のシャーシーの奥行は短い。だから斜めから見れば、ツマミが異様に長く感じられる。
これが中期ごろから、つまり音のバランスが整いはじめたことを示すかのように、
径の太い、短いタイプ、つまりML1と同じツマミへと変更されている。

JC2がML1と型番を変えたころの音には、もう初期のツマミは似合わない音になっている。
このツマミはML7にも引き継がれている。

回路設計がジョン・カールからトム・コランジェロにかわり、
アンプの内部もまったくの新設計、シャーシーも幅、高さは同じでも奥行が伸びているML7は、
初期のJC2の面影はまったくない。至極真当なバランスの最新アンプとして登場した。
ML7にJC2初期のツマミは、JC2初期にML1(ML7)のツマミが似合わないように、似合わない。

マーク・レヴィンソンが、どういう意図でツマミを変更したのかはわからない。
けれどレヴィンソンは、ML6(シルバーのフロントパネル)で、このツマミをまた採用している。
ML6は、JC2(ML1)をベースに、シャーシーから左右チャンネルで完全に独立させ、
ツマミは、入力セレクター(Phono入力とライン入力の2系統のみ)とレベルコントロールのふたつだけ。
これ以上機能を削ることはできないところまで削ぎ落としたML6には、ML1(ML7)のツマミは似合わない。

ML6がもし径の太い、短いツマミで世に登場していたら、ML6に魅了された人は減っただろうと思う。
あのツマミだったからこそ、デリケートな扱いをML6は使い手に要求していたし、
ML6の使い手はそれを喜んで受け入れていた、のではないだろうか。

こういうツマミが、ほんとうに似合うコントロールアンプの登場を望んでいるところが、
三つ子の魂百まで、ではないけれど、いまも私の中にある。

Date: 2月 6th, 2012
Cate: Noise Control/Noise Design
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Noise Control/Noise Designという手法(その34)

ツマミの変更に関しては、コントロールアンプよりもはやくパワーアンプで行われていた。
C26、C28が現役の終りにちかいころに登場したMC2205、MC2125は
すでにC32、C29などと同じツマミを使っていた。
だから不思議なのは、MC2500である。

1980年から1981年にかけて登場したMC2300の後継機MC2500のツマミは、
すでにアンプもチューナーも新しいツマミに統一されていたにもかかわらず、MC2300と同じツマミのままだった。
最初MC2300と同じシルバーパネルだったMC2500はしばらくしてブラックパネルになったものの、
ツマミはそのまま。管球式のMC3500からのツマミから変更なし。
このシリーズのツマミが変更されたのは、MC2600になって、である。
MC2205の登場は1973年ごろ、MC2600は1990年。
17年かかって、パワーアンプすべてのツマミが変更されたことになる。

このことは、ツマミだけからとらえてみれば、
MC2300の一連のシリーズが改良モデルではなく、新モデルとして登場したのはMC2600ということになるのか。
たしかにMC2300とMC2300の外観上の違いは、ツマミの数が3つから4つに増えたこと、
あとMC2300の天板に印刷されてあったブロックダイアグラムとスペックがなくなってしまったぐらいである。
MC2600では、メーターの位置がそれまで左寄りだったのが中央に配されて、
それにともなっての変更が加えられている。

当時聴いた音の印象(といっても同時比較試聴ではなく記憶の上での比較)では、
MC2300とM2600のちょうど中間にMC2500が、というよりも、
MC2600寄りにMC2500(特にブラックパネル)は位置する、と感じていた。

それでも、あえてツマミにこだわれば、
MC2105がMC2205に、MC2505がMC2125に、C28がC29に、C26がC27に変ったと同じ変化は、
MC2600になってから、というのが、もしかするとマッキントッシュの見解かもしれない。

ツマミが変り、コントロールアンプもパワーアンプも新しい世代になったということであり、
同時にマッキントッシュのアンプのノイズの粒子も、新しい世代になっている。

Date: 2月 4th, 2012
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その33)

MC2300と同時代のコントロールアンプとしては、C28とC26がある。
C26は1967年か68年、C28は1970年ごろの発売である。
マッキントッシュは、1970年代後半に、それぞれの後継機としてC29、C27と、最上級機としてC32を出した。

フロントパネルを見ればすぐわかるように、C28の後継機がC29、C26のそれがC27で、
フロントパネルのレイアウトは基本的には同じであるが、見た印象は異るところもある。

C26、C28は古きよきアメリカの製品という印象を、私などは受けて、
それが少々鼻につく感じもする。ほんの少しでいいから、控え目であってほしいと思う。
C29とC27は、アメリカのアンプという感じを持っていても、C28、C26に比べれば、すっきりした印象がある。
パネルレイアウトは同じでもツマミに変更が加えられているため、である。

C26、C28のツマミは管球時代のC22、C20など同じもので、ツマミ全体がシルバーで仕上げられている。
C27、C29のツマミは、C28、C26のツマミと同じくローレットが入れられたものでも、
ツマミの平面部分(円柱の頭頂部)の仕上げが違う。ここのところが光沢のある黒になっている。
たったこれだけのことではあっても、C28(C26)とC29(C27)から受ける印象は、
マッキントッシュのデザイン(アピアランス)にやや拒絶したいものを感じていた私にとっては、
うれしい変更であった。

それにC27の音は、いまでも印象に残っている。
マッキントッシュのコントロールアンプで、欲しい、と思ったのはC27だけである。

C28、C26の傾向とは、C27の音は、なにかマッキントッシュが変った、時代が変ったことを思わせるような、
みずみずしさが魅力となっていた。
マッキントッシュのアンプの音を語るときに、みずみずしい、という表現が自然に出てくるのは、
最近のマッキントッシュのアンプはじっくり聴いていないのでなんともいえないが、
すくなくとも1990年までに登場したものでは、C27だけ、といっていい。

C29、C27に採用されたツマミは、C27のすこし前に登場したC32でも採用されている。
ただC32はフロントパネルに並べられたツマミの多さからもわかるように、
C28、C26の時代にはなかった機能フル装備のアンプで、C27との音の魅力とはやや違うものの、
マッキントッシュのコントロールアンプの新しい世代は、C32から始まっている、といえる。

そのことはマッキントッシュ自身がいちばんよくわかっていたことだから、
そして狙っていたことでもあることだから、ツマミの変更をあえて行ったのだろう。

Date: 2月 3rd, 2012
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その32)

パワーアンプの選択肢が、マッキントッシュのMC2300、MC2500、MC2600だけしかなかったら、
3機種のどれを選ぶかは、条件によって私の場合は変ってくる。

パワーアンプはその1台だけ、他のパワーアンプを所有することができなければ、MC2600を選ぶ。
けれど、他にメインとして使っているパワーアンプがあったうえで、ということなら、こんどはMC2300を選ぶ。

私が求めている音にとって、MC2300は個性が強いし、その個性の方向も違う。
だからよりしなやかさを身につけ、音の表現力の幅がひろがったMC2600を使うことを、
条件によっては選ぶことになる。

けれどサブ的な(およそサブ的な大きさと重量ではないけれど)パワーアンプとして使いたいのは、
MC2600との比較でも武骨で、しなやかさもいくぶん欠けぎみであってもMC2300を選ぶわけだ。

発表されたのはMC2300は1973年ごろ、MC2600は1989年か90年だから、15年以上の期間がある。
アンプは、そのあいだ、ずいぶん進歩している。
その進歩は、出力にも表われている。
同じ筐体ながら、型番が示すようにMC2300の出力は300W×2、MC2600は600W×2。2倍に増えている。

けれど、実際に聴いてみると、マッシヴなパワー感はMC2300の方に強く感じる。
このことは実際の出力の大きさとは、ほぼ無関係ともいえるし、
そういうパワー感だからこそ、MC2300の音には、ある種の凄みを感じることもある。

MC2300とMC2600の、こういう音の感じ方の違いは、ノイズと密接に関係しているような気もする。
この項の(その31)にも書いたように、
MC2300のノイズは電気モノという感じであり、MC2600のノイズは電子モノという感じである。
つまりノイズの粒子が、MC2300ではやや大きく、MC2600ではかなり細かくなっている、ともいえる。

Date: 12月 16th, 2011
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その31)

そんなMC2300を見ながら、
そういえば瀬川先生がステレオサウンド 43号に書かれたことを思い出してもいた。
     *
300W×2というパワー自体はいまやそう珍しくないが、製品を前にしてその偉容に打たれ、鳴らしてみると、その底力のある充実したサウンドは、並の300W級が色あせるほどの凄みを感じさせる。歪感が皆無とはいえないが、なにしろ物凄いアンプだという実感に、こまかいことはどうでもよくなってくる。
     *
いまこうやって書き写してみても、たしかにMC2300はそういうアンプだと思い出される。
瀬川先生はMC2300の音を「サウンド」と表現されている。
これもわかる。
「こまかいことはどうでもよくなってくる」も、よくわかる。

MC2300も初期のものと後期のものとでは細部の変更・改良が加えられていてようだが、
それでも1980年の終りごろに後継機のMC2500が出るまで、
マッキントッシュ・パワーアンプの旗艦として存在していた。
MC2300とMC2500の外観上の違いはツマミがMC2300の3つから4つに増えたことぐらいで、
あとはMC3500から続いているイメージのままだ。
MC2500は数年後にパネルがシルバーからブラックにかわり、それにともない細部も改良されている。
さらにMC2600となり、出力は300W、500W、600Wと、シャーシは同じでも増えていっている。

このMC2300、MC2500、MC2500(ブラックパネル)、MC2600への変化は、
電気モノから電子モノへの移り変りのように、私は感じている。
この変化は、ノイズの粒子感、質量感、実体感といったこととも関係している、はずである。

Date: 12月 16th, 2011
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その30)

マッキントッシュのMC2300が登場したのは、たしか1973年ごろのはず。
私がオーディオに興味をもった1976年には、すでに新しいタイプのパワーアンプではなかった。

管球式のパワーアンプ、MC3500のイメージをそのまま受け継いだかたちのシャーシとパネル・フェイスで、
MC3500はモノーラル仕様で出力350W、MC2300はステレオ仕様で300Wの出力をもつ。
MC2300が新製品として登場したころは300Wという出力は珍しかったのであろうが、
1976年ごろになると300Wクラスの出力をもつパワーアンプは各社から出ていた。

正直、MC2300を欲しいと思ったことはない。
当時はまだ音を聴いたことはなかったけれども、写真から伝わってくるMC2300の雰囲気は、
私が求めているものとは方向性が違っている、と語っていた。
こんなことを書いておきながら、矛盾することを書いてしまえば、MC2300は好きなパワーアンプのひとつである。

MC2300にスマートさは感じられない。いわば武骨なパワーアンプと思う。
そこが欲しい、と思わない理由でもあり、好きな理由でもある。

MC2300を聴いたのは、ステレオサウンドで働くようになってから。
ステレオサウンドの試聴室で聴いたことはない。
編集部の先輩だったNさんのところで聴いたのが、最初だった。

Nさんのところには数回行っている。
いつも仕事の後だった。だから夜遅い時間ばかりで、とうぜんボリュウム全開とはいかない。
ひっそりと鳴らす(あくまでもMC2300としては、ではあるが)と、空冷用のファンはまわらない。
静かなものである。
Nさんのところで他のアンプと聴きくらべたわけではないから、MC2300を聴いたといっても、
あくまでもそれはMC2300を含めてのNさんの音であって、
MC2300の音(というよりもイメージ)は、Nさんの音と重なってしまうところが大きい。

NさんのところではMC2300の下に板が敷いてあった。
米松合板だったと記憶している。

いまでこそアンプの下になんらかのベースを敷くのは、いわばチューニングのための基本のようになりつつあるが、
このころはそんなことはなくて、訊ねてみると、
MC2300の梱包用資材のひとつだということがわかった。

MC2300の重量は約60kg。そのため底部には米松合板がボルトでMC2300に固定された状態で運搬される。
Nさんはそれをつけたまま設置していたわけである。

この米松合板を見たとき、ダンボール箱と発泡スチロールで運ばれてくる他のアンプとは、
明らかに違う何かを感じたのか、音とともに、これが記憶に残っている。

Date: 11月 30th, 2011
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その29)

何かが加われば、それに起因する新たなノイズが発生することになるのは、
1982年以降、CDプレーヤーが登場し、それまでアナログだけだった再生系にデジタルが加わることによって、
ここでも新たなノイズが発生することになった。

こんなふうに書いていくと、
なんだ、アクースティック蓄音器のモノーラル再生がいちばんノイズが少ないのか……、
ということには当然だからならない。
新しい技術が加わることで改善されていくところもあるわけで、トータルとしてのノイズ量は減少に向いている。
減少に向いているからこそ、新たなノイズ(量は少ないにしても)がクローズアップされることにもなる。
そしてノイズの性質(たち)も変化している。
アナログディスクからCDになって、大きなノイズの変化はあったし、
たとえばアンプだけをとってみても、ノイズの性質は変化してきている。

大ざっぱな区分けでしかないが、トランジスター初期のころのアンプや真空管アンプのノイズと、
たとえばコントロールアンプでいえばマークレビンソンのLNP2が登場したあたり以降のノイズとでは、
量(S/N比)だけでなく、性質的にも変化してきている、といえる。

私の感覚的な捉え方だが、
以前のノイズは電気的だったのに対して、途中から電子的なものに変化していった気がする。
アナログディスクのノイズとCDのノイズの違いにも、多少そんなところがあるような気がする。

アクースティック蓄音器を除けば、オーディオは電源を必ず必要とする。
だから電化製品とも呼べるし、電子機器とも呼べる。

電気的と電子的、それから電気モノと電子モノ──、
そんなのは単なる言葉遊びに近いのではないか、といわれるかもしれないし、
その違いについて問われた時、うまく説明はできないものの、
あえて具体例をあげれば、マッキントッシュの以前のパワーアンプのMC2300は、電気モノ、と私は捉えている。