Archive for category ショウ雑感

Date: 12月 6th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(その9)

MC3500とMC275は、どちらもマッキントッシュの管球式パワーアンプだが、
それ以外の共通点となるとあまりない。
出力管も違うし、つかっている本数も違う。
だから出力が、MC275は75Wなのに対しMC3500は350Wを誇っている。
この出力の差に見合うだけの規模の違いもある。
MC275はステレオ仕様、MC35000はモノーラル仕様で、コンストラクションもまったく異る。

性能的にもMC3500は管球式パワーアンプの限界に近いのでは、と思わせるだけのものをもっている。
MC3500をつくれるのは、いかにもアメリカのオーディオメーカーだけだろうし、
同じアメリカの、管球式アンプ全盛時代、両雄といわれたマランツでもModel 9はつくっても、
MC3500はつくれるだけの技術力を持っていたとしても、つくりはしなかっただろう、と思えるような、
この時代のアメリカの、マッキントッシュという会社だからつくりなし得たパワーアンプだと思う。

余談になるが、MC3500をはじめて見たのは、赤坂のクラブだった。
まだ18だったころ、アルバイトで行った先のステージの端にMC3500が数台置かれていた。
PA用のアンプとして使っていたのかもしれない。
アルバイトは、不調になったMC3500の引取作業だった。
初めて目にした日に初めて実物に触れることができた。
その大きさ、重さ──、ただただ「アメリカだなぁ」と感じていた。

音は、いまだ聴いたことはない。
聴いてみたいと思うし、もう聴かなくてもいいかなぁ、とも思う気持がある。
もし聴く機会がめぐってくるのなら、MC275といっしょに聴いてみたい。

MC275とMC3500、このふたつのパワーアンプのどちらを選ぶかは、分れると思う。
パワーアンプとして優秀なのは、MC275ではなくMC3500のほうだ。かなりの差がある、といってもいいだろう。

EMTの930stから927Dstに無理して換えたときの、まだ20代なかばだったころの私だったら、
MC275とMC3500を比較試聴したら、MC3500を選んだはずだ。

でも、いまはMC275を選ぶ──、そうすると思う。

Date: 12月 5th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(その8)

つづいて登場するのは、マッキントッシュのMC3500だ。
     *
さて、期待して私は聴いた。聴いているうち、腹が立ってきた。でかいアンプで鳴らせば音がよくなるだろうと欲張った自分の助平根性にである。
理論的には、出力の大きいアンプを小出力で駆動するほど、音に無理がなく、歪も少ないことは私だって知っている。だが、音というのは、理屈通りになってくれないこともまた、私は知っていたはずなのである。ちょうどマスター・テープのハイやロウをいじらずカッティングしたほうが、音がのびのび鳴ると思い込んだ欲張り方と、同じあやまちを私はしていることに気がついた。
MC三五〇〇は、たしかに、たっぷりと鳴る。音のすみずみまで容赦なく音を響かせている、そんな感じである。絵で言えば、簇生する花の、花弁の一つひとつを、くっきり描いている。もとのMC二七五は、必要な一つ二つは輪郭を鮮明に描くが、簇生する花は、簇生の美しさを出すためにぼかしてある、そんな具合だ。
どちらを好むかは、絵の筆法の差によることで、各人の好みにまつほかはあるまい。ただ私の家の広さ、スピーカー・エンクロージァには無用の長物としか言いようのない音だった。自動車にたとえるなら、MC三五〇〇はちょうどレーサーのマシンに似ている。時速三百キロぐらいは出る。だからといって、制限速度はせいぜい百キロ前後のハイウェイや都市を、それで快適に走れるとは限らぬだろう。ハイウェイをとばすにしても、座席のゆったりした、クーラーでもほどよくきいた高級セダンのほうが乗心地はらくだ。そんなような感じがした。
別のエンクロージァで、大邸宅にでも暮らして聴くなら別である。タンノイ・オートグラフが手ごろな私の書斎では、アメリカ人好みのいかにも物量に物を言わせた三五〇ワットは、ふさわしくなかったし、知人に試聴してもらっても、その誰もが音はMC二七五のほうがよい、と言った。
     *
ノイマンのV69について書かれたところに出てくる奈良のN氏は、
ステレオサウンド 47号から再開になった「オーディオ巡礼」に登場する南口氏のことである。
そこで、パッと「五味オーディオ教室」のなかの、この文章に結びつけば、この項の(その6)で引用した
「マランツをマークレビンソンにかえねば出せないような音など、レコードには刻まれていない」
「レコードの特性ではなく音楽を再生する上でマランツ7はもう十分すぎるプリアンプだ」を読んで、
素直に首肯けたことだろう。

でも、当時15の私には、少し無理だった……。

Date: 12月 5th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(その7)

「五味オーディオ教室」には、あまりオーディオ機器の型番は出てこない。
だから、「五味オーディオ教室」に登場してくるオーディオ機器への関心は高くなっていた。

パワーアンプに関しては、当然だけど、マッキントッシュのMC275のことが出てくる。
MC275の他に印象に強く残ったのが、2機種ある。
ひとつは型番が表記してないパワーアンプ。

「メインアンプの性能を向上させるだけでは、家庭で聴く音はかならずしもよくならない」
と題された章で冒頭に、つぎのようにある。
     *
世のオーディオ・マニアは、メインアンプの性能を向上させれば、音がよくなることを知悉している。事実、一九六二年ごろテレフンケンで出した、ノイマンのカッティング・マシンに使用するためのF2a11、EF804s、EZ12という、シロウトの私にはわけのわからぬ真空管を使ったアンプの音を、たまたま奈良のN氏宅で聴いて驚嘆した。
ふつう、ぼくらの知る限り、家庭で聴くメインアンプは(真空管)で最良の音質の得られるのは、マッキントッシュのMC二七五である。ずいぶんいろいろなアンプを私は聴き比べてみたが、従来のスピーカー・エンクロージァを鳴らす限りにおいては、どんな球やトランジスター・アンプよりも、このマッキントッシュMC二七五に、まろやかで深みのある音色、ズバ抜けた低域の自然な豊かさ、ダイナミック・レンジ、高音の繊細さを味わい得た。私だけがそう思うのではなくて、これはオーディオ界の通説だった。
ところがである。N氏宅にも、マッキントッシュMC二七五はあるが、メインを右のわけのわからぬ球のアンプに替えると(プリはマランツ7)、ちょうどラックス級のアンプをマッキントッシュに替えたほどの、すばらしい音色を得られた。たとえば、ジム・ランシングのSG五二〇のもつ音の解像力を、従来のマッキントッシュにプラスしたものと言えばいいだろうか。
     *
当時は、このパワーアンプがいったいなんなのかを知りたかった。
ノイマンのV69だとわかったのは、もうすこし先のことだったが、
五味先生のこの文章を読んだ時、型番もわからぬパワーアンプの姿を妄想していたものだ。

五味先生の文章はまだつづく。

Date: 12月 2nd, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(その6)

ステレオサウンド 47号が出たとき、五味先生のオーディオ巡礼がカラーページに載っていた。
これは、うれしかった。

47号の約2年前に「五味オーディオ教室」を読みオーディオの世界にはいってきた。
それだけ五味先生の影響は大きくて、その五味先生の新しい文章が読める、ということでうれしかった。

しかも登場されている方は、南口重治氏。
そこに五味先生のこんな文章がある。
     *
マランツ7は私の知るかぎり、現在でも最高のプリアンプである。マランツをマークレビンソンにかえねば出せないような音など、レコードに刻まれてはいない。SN比、ボリューム操作に円滑さを欠く二点を除いては、7をLNPに変えて音が良くなるなら、それは、パワーアンプ以下のどこかで不備な点があるからだと私は思っている。それほど、レコードの特性ではなく音楽を再生する上でマランツ7はもう十分すぎるプリアンプだ。
     *
ステレオサウンド 47号は1978年6月に出ている。
私はまだ15歳だった。
いくら「五味オーディオ教室」からオーディオに入ってきたとはいうものの、
このことに関しては、すなおに首肯けなかった。

「五味オーディオ教室」を読んだ時からの約2年間の間に、瀬川先生の文章も読んできた。
このときはまだLNP2の音を聴いたことはなかったし、マランツModel7の音も、もちろん聴いていなかった。
とはいうものの、LNP2がどういうコントロールアンプで、どういう衝撃を登場した時にオーディオ界に与えたかは、
瀬川先生の、何度もくり返し読んだ文章で知っていた。

五味先生もマランツModel7よりもマークレビンソンLNP2のほうがS/N比は優れている、と認められている。
すくなくともS/N比が優れていれば、Model7では聴こえない、とは言わないまでも聴こえ難い微妙な音は、
LNP2ならば聴き取りやすくはなっているはず。
それによく音が良くなった時の表現として、「レコードにはこんな音まで入っていたのか」というのがある。

だから、いくらなんでもそんなことはないだろう……、と15の私は、五味先生のいわれることを信じながらも、
そんなふうにも思っていた。

けれど、これは、47号が出るまでに何度も読んできた「五味オーディオ教室」に書かれている、
あることへと関連しているのに、すぐには気がつかなかった。

Date: 11月 14th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(その5)

S/N比が高い、ということは、それが物理的であれ聴感上であれ、
音楽のピアニッシモ、音楽の間における静寂感に秀でている、ということである。
音楽が消えてゆくとき、どこまでもどこまでも、
その消えてゆく音を耳で追いかけていけそうな気にさせてくれる。

このとき、消えてゆく音が、
心の奥底に、心のひだにしみこんでくるように音を聴かせてくれるオーディオ機器がある。
そうでないオーディオ機器もある。
どこまでこまかい音を聴かせながらも、それがこちらの心にまでしみこんでこない場合(機器)がある。

このふたつの違いは、もう物理的な、聴感上のS/N比とはすこし違うところに起因することだと思う。
これを、聴感上のS/N比よりも、さらに心理的なS/N比、とでもいおうか、
それとも心情的なS/N比とでもいおうか、とにかく、聴感上のS/N比という言葉が表すものよりも、
ずっとずっとパーソナルなところでのS/N比の良さ(ここまでくると高低ではないはずだ)、
そういった次元のものが存在しているように思えてくるし、そう思わせてくれるオーディオ機器がある。

そういうオーディオ機器は、昔からあった。
数は少ない。しかもそれは私がそう感じるオーディオ機器が、ほかの人もそう感じるのかはなんともいえないし、
そう感じてきたオーディオ機器が、必ずしも聴感上のS/N比において、
現在の優れたオーディオ機器よりも優れているわけではない。
にもかかわらず、現在の聴感上のS/N比の高いオーディオ機器よりも、
ずっと心理的・心情的なS/N比の良さをもつオーディオ機器が存在してきている。

すこし具体例をあげれば、スピーカーシステムでは、
イギリスのそれもBBCモニター系列のモノがすぐに頭に浮かぶ。
スペンドールのBCII、ロジャースのLS3/5A、PM510、KEFのModel 104などである。

このことがどういったことに関係しているのか、正直、いまのところはよくわからないところがまだまだある。
それでも、聴感上のS/N比ではなく、心理的・心情的、さらに情緒的とでもいったらいいのだろうか、
まだまだどういう表現をするのか決めかねているような段階ではあるけれど、
そういうS/N比の良さは、私にとってオーディオ機器を選択するうえで重要なことである。

Date: 11月 14th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(その4)

聴感上のS/N比ということを最初に使われたのは、おそらく井上先生だろう、ということは以前書いた。
1980年代、井上先生は、この聴感上のS/N比をよく口にされ、試聴の時にも重視されていた。

10年ぐらい前からだろうか、
聴感上のS/N比は頻繁に目にするし、聞くことが多くなった。
一般的な評価の基準として認められ広まってきたためであろう。
もっとも井上先生が定義されていた聴感上のS/N比とは、ややずれたところで使われているんじゃないか、
と思いたくなることも少なからずあるけれど、
聴感上のS/N比をどう定義するのかは、人によってどうも微妙に異るところがあるようで、
必ずしも物理的なS/N比のように、高低がはっきりするわけでもない面もある。
つまり人によって、聴感上のS/N比が高いと感じる音が別の人には、
それほど高くない、低いということもありうるわけだ。
また2つのオーディオ機器を聴き比べて、Aという機器を聴感上のS/N比が高い、という人もいれば、
いやBの方が高い、ということも起っている。

聴感上のS/N比は数値で示すことのできるものではないし、
何を持って聴感上のS/N比が高いのかは、まだまだ共通認識といえるところまではいっていないようだ。
おそらくこれからさきも、聴感上のS/N比に関しては、人によって違ったままだろう。

それはともかくとして、聴感上のS/N比は向上してきている、といえる。
そうでないオーディオ機器もあるにはあるけれど、全体的な傾向としては向上してきているし、
聴感上のS/N比は高いにこしたことはない。

いま聴感上のS/N比を確保する手法がかなり確立されてきている、といえるし、
聴感上のS/N比を向上させてきているメーカーは、
聴感上のS/N比を、どういうところに着目して聴いて判断すればいいのかを掴んでいるのではないだろうか。
そうなってくると聴感上のS/N比という、いわば感覚量が物理的な量に近づきつつあるような気もしなくもない。
少なくとも、つくり手側のなかには、聴感上のS/N比を、
そんな感じでとりあつかっているところがあるような気もする。

実は、こんなこともADAMのColuman Mk3を聴いた後で思っていた。
そして、聴感上のS/N比よりも、もっと感覚的な、
さらにいえばもっと個人的なS/N比の高さ(というよりも良さ)を感じさせてくれたような気がしている。

Date: 11月 11th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(続々続々・余談)

現在市販されている、
そしてこれまでに市販されてきたスピーカーのほぼすべてはピストニックモーションによっている、といえる。
それはホーン型であろうとコーン型、ドーム型であろうと、さらにリボン型、コンデンサー型であっても、
ピストニックモーションによって音を出している。
つまり振動板が前後にできるだけ正確に、余分な動きをせずに振動することである。
その実現のためにコンデンサー型やリボン型は振動板全体に駆動力がかかるようにしているし、
振動板全体に駆動力がかからないコーン型やドーム型では、
振動板の素材に、できるだけ軽く硬く、内部音速が速いものを採用している。

けれどスピーカーの動作としてピストニックモーションだけがすべてではなく、
何度か書いているようにドイツではかなり以前からベンディングウェーヴによるスピーカーがつくられてきている。
私はAMT型はピストニックモーションでないことは明らかだし、
その意味でベンディングウェーヴの一種だと認識している。

AMT型ではリボン・フィルムをひだ(プリーツ)状にしている。
この振動板が前後に振動して音を出しているのであれば、AMT型もリボン型の変形・一種といえることになるが、
ADAM社のサイトにある説明図をみても、
それにスピーカーの技術書に載っているハイル・ドライバーの説明図をみてもわかるように、
プリーツ状の振動板が前後に動いて音を出しているわけではない。
ピストニックモーションはしていない。

ここで理解しにくいところなのかもしれない。
私もハイル・ドライバーの説明図を最初みたとき(10代なかばのころ)、
世の中にはピストニックモーションしかないと思っていたため、
すぐにはなぜ音が出るのかすぐには理解できなかった。
ピストニックモーションのほかにベンディングウェーヴがあるということがわかっていれば、
すぐに理解はできたのかもしれないが、
でもおそらく、そのころはベンディングウェーヴを理解することが難しかっただろうかから、
結局は同じことで、すぐには理解できなかったかもしれない。

私がハイル・ドライバーの動作を理解できたのは、入浴中のときだった。
なにげなく左右の手を組んで水鉄砲をやっていて気がついた。
ハイル・ドライバー、つまりAMT型はプリーツ状の振動板をアコーディオンのように伸縮させることで、
プリーツの間にある空気を押し出す。
それは両手の間にある水を押し出すのと同じことである。
これに対してピストニックモーションは手のひらを広げて前に押し出すようなもの。

これは正確な例えではないけれど、AMT型の動作を理解するに好適な例だと思う。
風呂場やプールで手による水鉄砲をやってみれば、
ADAMがAMt型のユニットにX-ART、Accelaratingとつけた理由が理解できるはずだ。

ADAM社のサイトの説明図には矢印がいくつかある。
そのなかの細い矢印は、フレミング左手の法則の、磁界の方向(赤の矢印)、電流の方向(紫の矢印)、
力の働く方向(緑の矢印)をあらわしている。
ピストニックモーションのスピーカーでは力の働く方向がそのまま音の出ていく方向であるのに対して、
X-ART型はそうなっていない。音の出ていく方向と直交している。

ピストニックモーションとベンディングウェーヴについては、まだまだ書きたいことがあるけれど、
別項で書いていくことになると思うので、ここではこのくらいにしておく。
すこし長くなってしまったが、ADAMのX-ARTはあくまでもAMT型ユニットであり、
リボン型、もしくはその変形、一種ではないことはご理解いただけたのではないだろうか。

Date: 11月 11th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(続々続・余談)

テクニクスの10TH1000は、リボン型とは、だから厳密には呼べない。
とはいうものの、リボン型の定義をどうするかによっては、リボン型の変形とも考えられる。
リボン型ユニットが存在し、そこに非常に低いインピーダンスになってしまうという実用上の欠点があったからこそ、
その欠点を解消しようとしてリーフ型トゥイーターは生れてきた、といえなくもない。

けれどADAMのX-ARTドライバー、エラックのJETドライバー、ハイル・ドライバーは、
リボン型の変形とは呼べない。
これらはすべて、いまではAir Motion Transformer型と呼ばれる。略してAMT型である。
ここが、リボン型やリーフ型とは決定的に異る点である。

こう書くと、ADAMのX-ARTは”eXtended Accelerating Ribbon Technology”の略だから、
リボン型ではないのか、という反論される方もおられるかもしれない。
X-ARTのRはたしかにリボンのRであるが、このことが動作方式を表しているわけではない。
そのことに注意してほしい。

ADAM社のサイトには、X-ARTについてふれたページがある。
ここに表示されているFig. 4と本文を読んでいけば、リボン型でないことはすぐに理解できる。

X-ARTのRibbonは、リボン型を表しているわけではなく、振動板(膜)がリボンであることを表していて、
このユニットの方式は、Ribbonの前にあるAcceleratingが表しているし、
本文には、Dr. Oskar HeilとAir Motion Transformerと書かれている。

リボン型ユニットとAMT型ユニットの決定的な違いは、ピストニックモーションであるかどうか、である。
AMT型をピストニックモーションのスピーカーユニットと捉えることが間違いであり、
そう捉えてしまうからこそ、リボン型の一種、もしくは変形だと誤解してしまうことになる。

Date: 11月 11th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(続々・余談)

テクニクスの10TH1000、ADAMのX-ARTドライバー、エラックのJETドライバーは、
なぜトランスを必要としないのか。
これらのユニットを、パイオニアのPT-R7と同じリボン型として捉えていては答は見つからない。

10TH1000は振動板(というよりも膜)にポリイミドフィルムを使い、
その表面にエッチング技術によりボイスコイルを形成している。
このことはX-ART型もJET型、ハイル・ドライバーも基本的には同じである。
振動板(膜)にはフィルム系の素材(もちろん非導体)を使い、
その表面にエッチング技術やアルミ箔を貼りつけてボイスコイルをつくっている。

便宜上、ボイスコイルという表現を使ったが、
一般的なスピーカーユニットのボイスコイルにあたるもの、という意味で使ったものであり、
フィルム振動板の上にコイルがつくられているのではなく、電気信号の通り道である。

リボン型では電気の通る道は、上から下(もしくは下から上)となる。
アルミ振動板の中をジグザグに流すことはできない。
アルミ振動板にスリットをいれていけば不可能ではないけれど、
アポジーのリボン型のウーファー以外、実用例を知らない。

一方、リーフ型やハイル・ドライバーでは非導体の振動板上に電気信号の通り道をつくるため、
自由度は比較にならないほど大きい。
その全長もコントロールできる。
つまりインピーダンスが4Ωなり8Ωにでき、インピーダンスマッチング用のトランスを省ける。

10TH1000の振動板に対し電気信号は、リボン型のように上から下(下から上)といった垂直方向だけでなく、
水平方向にも流れている。
X-ART型、JET型(ハイル・ドライバー)も、その点は同じである。
だからインピーダンスマッチング用のトランスは要らない。

Date: 11月 11th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(続・余談)

リボン型のスピーカーユニットといえば、日本ではパイオニアのトゥイーターPT-R7が、
その代名詞のような存在だった。
PT-R7以前に、イギリスのデッカ(ケリー)からもリボン型トゥイーターは出ていたけれど、
1970年代の日本でリボン型トゥイーターといえば、多くの人の頭にまず浮ぶのはPT-R7だったはず。
私もそうだった。

そのPT-R7より数年おくれて、テクニクスから10TH1000というトゥイーターが登場した。
ステレオサウンドやその他のオーディオの雑誌に紹介された写真をみたとき、
テクニクスが出したリボン型トゥイーターだと思った。
だが、テクニクスは、10TH1000をリボン型とは呼ばず、リーフ型と呼んでいた。

PT-R7の、いわばライバル的存在のトゥイーターだけに、
その対抗心からリボン型と、あえて言わないのか、とそのころの私はへんな勘繰りをしていた。
でもカタログやテクニクスが発表している技術的な内容をきちんと読めば、
テクニクスがなぜリボン型と呼ばずに、リーフ型と名づけたのかが判る。

10TH1000の振動板の前面にヒレに似た形のイコライザーと思えるものがついている。
だがこれは音響的なイコライザーではなく、磁気回路の一部であり、
リボン型と違い、このイコライザーと思えるものを取去ってしまったら10TH1000は動作しなくなる。

PT-R7はリボン型トゥイーターで、振動板は厚さ9ミクロンのアルミ箔であり、
このアルミ振動板に直接音声信号を通している。
つまりリボン型であるためには振動板が導体であることが必要だ。

PT-R7の振動板の長さは約5cmほど。そのためPT-R7のインピーダンスは0.026Ωと極端に低い。
このアルミ振動板をそのままアンプの出力端子に接続すれば、ほぼショートしているのに等しい。
そのためインピーダンスマッチング用にPT-R7はトランスを使い、
通常のスピーカーユニットと同じ8Ωに仕上げている。
デッカのDK30、London Ribbon、ピラミッドのT1もトランスを搭載している。

テクニクスの10TH1000にはトランスは、ない。
ADAMのX-ARTドライバー、エラックのJETドライバーにも、トランスはない。

Date: 11月 9th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(余談)

ADAMのColumn MK3はトゥイーターとスコーカーに、
同社がいうところのX-ARTドライバーを採用している。
見てすぐにわかるようにエラックのスピーカーシステムに搭載されているJETドライバーと、ほほ同じものである。

ただしADAMがエラックのJET型を採用した、というよりも、
もともとこのドライバーを開発したのはADAMときいてる。
ところが一時期資金難に陥ったADAMがエラックに、このドライバーを売却したらしい。
だからADAMのほうがオリジナルともいえるのだが、
このドライバー(X-ARTと呼ぼうがJETと呼ぼうが)のオリジナルは、ハイルドライバーである。

オリジナルのハイルドライバーはドイツでは製品化されることなく、
開発者のオスカー・ハイル博士がアメリカに渡りESSで製品化している。
このオリジナルのハイルドライバーとADAMが開発したX-ARTの大きな違いは、
ユニットそのものの厚みである。

ハイルドライバーのオリジナルはフェライトマグネットを4本、
これをX字状に配置して、その中央(交叉点)にひだ(プリーツ)状の振動板ではなく振動膜を置く構造。
そのためどうしてもかなり厚みのあるユニットになってしまう。
これをドーム型ユニット並に薄くすることにADAMは成功している。

今回のショウで気になったのは、
このハイルドライバーをリボン型ユニットの一種として受け取っている人が意外にも多かったこと。
それもしかたのないことかな、とは思っている。
私がオーディオに興味をもち始めた1970年代は、オーディオの雑誌だけでなく技術書が豊富にあった。
ハイルドライバーの動作原理も、それらの本で知り得た。

いま、この手の本が少ない。ハイルドライバーについてきちんと解説してある本はあるのだろうか。
だから、ついリボン型のひとつと間違って受けとめてしまいがちなのだろう。

これがユーザー側であればしかたのないことですむが、
オーディオ関係者の中にもリボン型のひとつとして認識している人が少なくなかったのは、
しかたのないことではすまされない、と思う。

Date: 11月 6th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(その3)

優秀録音と名録音をあえてわけるならば、
スピーカーシステムも、優秀なスピーカーシステムと名スピーカーシステムと呼べるものがある。

名スピーカーシステムと呼べるモノの数は少ない。
これに関しては、別項の「名器、その解釈」でこれからふれていく予定である。
すべての現代スピーカーシステムが優秀なスピーカーシステムではないけれども、
その数は名スピーカーシステムよりも、ずっと多い。

優秀であること、とはどんなことなのか。
優秀という言葉は、最優秀という言葉があることからもわかるように、
他のものと比較して優れている、秀でている、ということではないだろうか。

同じ価格帯のスピーカーシステムの中で、物理特性面でも実際に音を聴いても、
その他多くのスピーカーシステムよりもすこし上のレベルにあれば、それも優秀なスピーカーシステムといえる。
もちろん、そこには「ある価格帯での」という条件がつくにしても、
優秀スピーカーシステムは、他のスピーカーシステムよりも優れている。

それから時代ということも関係してくる。
ある時代における優秀スピーカーシステムは、
その時代の他のスピーカーシステムと比較しての優秀さを認められてのことであり、
そういう優秀スピーカーシステムが、次の時代でも優秀スピーカーシステムであるとはいいがたい。

たとえば演奏家にも、優秀な演奏家と呼ばれる人もいるし、名演奏家と呼ばれる人もいる。
ピアニストであれば、ピアニストとしてのメカニック・テクニック面が優れていれば優秀なピアニストであり、
ピアノ・コンテストで優勝すれば、
それは、少なくともそのピアノ・コンテストのなかでは最優秀ピアニストということになる。

世界的に知られているピアノ・コンテストもあれば、地域での小さなピアノ・コンテストもあり、
それぞれのピアノ・コンテストでそれぞれ最優秀ピアニストが誕生している。
いまピアノ・コンテストだけに限ったとしても、
世界中でどれだけのコンテストが行われているのかまったく想像つかないが、おそらく相当な数だと思う。

毎年、相当な数の最優秀ピアニストが誕生していても、
彼らのすべてが名ピアニストと呼ばれるようになるわけではない。
国を越えて時代を越えて、同時代でも世代をこえて、
多くの人から名ピアニストと呼ばれるピアニストはほんの一握りの人たちだけだ。

名スピーカーシステムもそれに近いモノであるわけで、
私がADAMのColumn Mk3を「いいスピーカーシステム」と呼ぶ理由はここにあり、
「いいスピーカーシステム」は、名スピーカーシステムに次ぐ褒め言葉として、私は使っている。

Date: 11月 4th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(その2)

ずっと以前のオーディオ雑誌、レコード雑誌に載っていたレコード評の多くは、
演奏評と録音評とにわかれていた。

これもよく考えてみれば奇妙なことで、レコード評であるならば、
そしてそこにおさめられている音楽を評価するのであれば、演奏と録音を切り離して捉え評価すること自体に、
本来無理がある、ということはわりと指摘されていたことでもある。

レコード評は本来演奏と録音は密接不可分な関係であるだけに、
「このレコードは演奏はつまらないけれども、録音は素晴らしい」ということはありえない。
レコード評とはそういうものだと考えていても、
やはりつい「演奏は……」といったこともを口にしてしまうこともある。

こんなことをふと思い出したのは、太陽インターナショナルのブースでADAMのスピーカーシステムを聴いたからだ。

昨夜書いているように、ADAMのColumn Mk3よりも優秀なスピーカーシステムはいくつかある。
そういうスピーカーシステムとの比較となると(そういうスピーカーシステムは往々にして非常に高価だ)、
値段の違いを感じさせないわけではない。
Column Mk3よりも、オーディオ的に能力の高いスピーカーシステムを優秀なスピーカーシステムとしたら、
Column Mk3は、やはり「いいスピーカーシステム」と呼びたい。

レコードの録音について、優秀録音と名録音とがある。
このふたつはまったく同じものかというと、そうではない。
人によってことばの捉え方、定義は異ってくるから、
優秀録音と名録音をまったく同じものとして使っている方もいるけれど、
私のなかでは、このふたつの録音のレコードで、愛聴盤となっていくのは名録音だけである。
優秀録音盤が愛聴盤となることは、ない。

それは私のなかでは優秀録音とは、つまり「録音はいいけど、演奏は……」というものだからだ。

Date: 11月 3rd, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(その1)

インターナショナルオーディオショウには約180のブランドが集まっているそうで、
それらすべて聴くことは時間的に無理があるし、気に入った音が鳴っているとついそのブースに留まってしまうと、
聴き逃してしまうモノのほうが多いかもしれない。

そういうなかで今年最も印象に残ったのは、ドイツのADAMのスピーカーシステムだった。
輸入元の太陽インターナショナル(元・大場商事)のブースの扉をあけたときに耳にはいってきた音が、
印象に残った。
素直に、いい、と思える鳴り方をしている。
何が鳴っているのかとスピーカーシステムの方をみると、初めてみるトールボーイの、
わりと素っ気ない外観の、しかもそれほど高価ではないだろうと思われるモノが立っていた。

私が聴いたのは、3機種ある中のトップ機種のColumn Mk3
価格はペアで税込み1,008,000円。

Column Mk3よりずっと高価なスピーカーシステムはいくつもある。
優秀なスピーカーシステムも、やはりいくつかある。
でも、Column Mk3は、素直に、いいスピーカーシステムと呼べる素性がある、と思う。

太陽インターナショナルのブースの扉をあけたとき耳にはいってきたのは、トランペットの音だった。
聴いた瞬間に、マイルス・デイヴィスだと、マイルス・デイヴィスの熱心な聴き手でない私の耳でも、
はっきりとわかる音を響かせていた。
しかもかけられていたディスクは、私は持っていないマイルス・デイヴィスのディスクだった。
にも関わらず、マイルス・デイヴィスのトランペットだ、と瞬間的に感じさせてくれる表現力をColumn Mk3は、
確実に持っている。

よく聴いている演奏家のディスクが鳴っていても、
いったい誰の演奏なのだろうか……と考え込ませるような音が鳴っていることも意外と多い。
この理由については、あえてここではふれないが、
そういう音があるなかで、ADAMのColumn Mk3は、確実に音楽を捉え鳴らしてくれている。
Column Mk3よりも優秀なスピーカーシステムは、たしかにある。
けれど、音楽を信頼できる音で鳴らしてくれるColumn Mk3より、
いいスピーカーシステムとなると、意外とすくないのが現状かもしれない。

Date: 8月 23rd, 2011
Cate: ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その1・余談 鉄について)

鉄は磁性体だから……、と10代のころは、音に悪影響を与えるものであるし、
システムからできるかぎり取り除けるものであるならば取り除いていくべきのだと信じていた。

だからステレオサウンドにはいったころ、
そのころ田舎で使っていたオーディオ機器は持ってこなかったから、
手持ちのオーディオ機器はSMEの3012Rだけだった。
とにかく、この3012Rに似合うターンテーブルをはやくなんとかしたい、と思っていた。
これはいちど書いているけど、トーレンスのTD124の美品があった。
TD124IIだったら、おそらく買っていた。けれど、そのTD124は最初のTD124で、
つまりターンテーブル・プラッターが鉄でできているものだった。

このときはターンテーブル・プラッターが磁性体だと、
マグネットが大きいMC型カートリッジを使うと、カートリッジからの漏れ磁束と鉄の関係から針圧が増えてしまう、
それに磁性体は音を濁すものだという先入観から、購入はあきらめた。

でも、いまはTD124IIよりも、鉄のターンテーブル・プラッターのTD124を聴いてみたい、と思っている。
良質の鉄のターンテーブル・プラッターの、どういう響きをアナログディスク再生に加味するのか。

使うにあたっては、非磁性体のターンテーブル・プラッターのものより気を使うところは出てくるだろうが、
そんなことは、いまはどうでもいいことだと思っている。
だから、いまは、中途半端な先入観をもっていたため、貴重な経験を逃してしまった、と悔いている。