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Date: 11月 11th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(続々続々・余談)

現在市販されている、
そしてこれまでに市販されてきたスピーカーのほぼすべてはピストニックモーションによっている、といえる。
それはホーン型であろうとコーン型、ドーム型であろうと、さらにリボン型、コンデンサー型であっても、
ピストニックモーションによって音を出している。
つまり振動板が前後にできるだけ正確に、余分な動きをせずに振動することである。
その実現のためにコンデンサー型やリボン型は振動板全体に駆動力がかかるようにしているし、
振動板全体に駆動力がかからないコーン型やドーム型では、
振動板の素材に、できるだけ軽く硬く、内部音速が速いものを採用している。

けれどスピーカーの動作としてピストニックモーションだけがすべてではなく、
何度か書いているようにドイツではかなり以前からベンディングウェーヴによるスピーカーがつくられてきている。
私はAMT型はピストニックモーションでないことは明らかだし、
その意味でベンディングウェーヴの一種だと認識している。

AMT型ではリボン・フィルムをひだ(プリーツ)状にしている。
この振動板が前後に振動して音を出しているのであれば、AMT型もリボン型の変形・一種といえることになるが、
ADAM社のサイトにある説明図をみても、
それにスピーカーの技術書に載っているハイル・ドライバーの説明図をみてもわかるように、
プリーツ状の振動板が前後に動いて音を出しているわけではない。
ピストニックモーションはしていない。

ここで理解しにくいところなのかもしれない。
私もハイル・ドライバーの説明図を最初みたとき(10代なかばのころ)、
世の中にはピストニックモーションしかないと思っていたため、
すぐにはなぜ音が出るのかすぐには理解できなかった。
ピストニックモーションのほかにベンディングウェーヴがあるということがわかっていれば、
すぐに理解はできたのかもしれないが、
でもおそらく、そのころはベンディングウェーヴを理解することが難しかっただろうかから、
結局は同じことで、すぐには理解できなかったかもしれない。

私がハイル・ドライバーの動作を理解できたのは、入浴中のときだった。
なにげなく左右の手を組んで水鉄砲をやっていて気がついた。
ハイル・ドライバー、つまりAMT型はプリーツ状の振動板をアコーディオンのように伸縮させることで、
プリーツの間にある空気を押し出す。
それは両手の間にある水を押し出すのと同じことである。
これに対してピストニックモーションは手のひらを広げて前に押し出すようなもの。

これは正確な例えではないけれど、AMT型の動作を理解するに好適な例だと思う。
風呂場やプールで手による水鉄砲をやってみれば、
ADAMがAMt型のユニットにX-ART、Accelaratingとつけた理由が理解できるはずだ。

ADAM社のサイトの説明図には矢印がいくつかある。
そのなかの細い矢印は、フレミング左手の法則の、磁界の方向(赤の矢印)、電流の方向(紫の矢印)、
力の働く方向(緑の矢印)をあらわしている。
ピストニックモーションのスピーカーでは力の働く方向がそのまま音の出ていく方向であるのに対して、
X-ART型はそうなっていない。音の出ていく方向と直交している。

ピストニックモーションとベンディングウェーヴについては、まだまだ書きたいことがあるけれど、
別項で書いていくことになると思うので、ここではこのくらいにしておく。
すこし長くなってしまったが、ADAMのX-ARTはあくまでもAMT型ユニットであり、
リボン型、もしくはその変形、一種ではないことはご理解いただけたのではないだろうか。

Date: 11月 11th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(続々続・余談)

テクニクスの10TH1000は、リボン型とは、だから厳密には呼べない。
とはいうものの、リボン型の定義をどうするかによっては、リボン型の変形とも考えられる。
リボン型ユニットが存在し、そこに非常に低いインピーダンスになってしまうという実用上の欠点があったからこそ、
その欠点を解消しようとしてリーフ型トゥイーターは生れてきた、といえなくもない。

けれどADAMのX-ARTドライバー、エラックのJETドライバー、ハイル・ドライバーは、
リボン型の変形とは呼べない。
これらはすべて、いまではAir Motion Transformer型と呼ばれる。略してAMT型である。
ここが、リボン型やリーフ型とは決定的に異る点である。

こう書くと、ADAMのX-ARTは”eXtended Accelerating Ribbon Technology”の略だから、
リボン型ではないのか、という反論される方もおられるかもしれない。
X-ARTのRはたしかにリボンのRであるが、このことが動作方式を表しているわけではない。
そのことに注意してほしい。

ADAM社のサイトには、X-ARTについてふれたページがある。
ここに表示されているFig. 4と本文を読んでいけば、リボン型でないことはすぐに理解できる。

X-ARTのRibbonは、リボン型を表しているわけではなく、振動板(膜)がリボンであることを表していて、
このユニットの方式は、Ribbonの前にあるAcceleratingが表しているし、
本文には、Dr. Oskar HeilとAir Motion Transformerと書かれている。

リボン型ユニットとAMT型ユニットの決定的な違いは、ピストニックモーションであるかどうか、である。
AMT型をピストニックモーションのスピーカーユニットと捉えることが間違いであり、
そう捉えてしまうからこそ、リボン型の一種、もしくは変形だと誤解してしまうことになる。

Date: 11月 11th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(続々・余談)

テクニクスの10TH1000、ADAMのX-ARTドライバー、エラックのJETドライバーは、
なぜトランスを必要としないのか。
これらのユニットを、パイオニアのPT-R7と同じリボン型として捉えていては答は見つからない。

10TH1000は振動板(というよりも膜)にポリイミドフィルムを使い、
その表面にエッチング技術によりボイスコイルを形成している。
このことはX-ART型もJET型、ハイル・ドライバーも基本的には同じである。
振動板(膜)にはフィルム系の素材(もちろん非導体)を使い、
その表面にエッチング技術やアルミ箔を貼りつけてボイスコイルをつくっている。

便宜上、ボイスコイルという表現を使ったが、
一般的なスピーカーユニットのボイスコイルにあたるもの、という意味で使ったものであり、
フィルム振動板の上にコイルがつくられているのではなく、電気信号の通り道である。

リボン型では電気の通る道は、上から下(もしくは下から上)となる。
アルミ振動板の中をジグザグに流すことはできない。
アルミ振動板にスリットをいれていけば不可能ではないけれど、
アポジーのリボン型のウーファー以外、実用例を知らない。

一方、リーフ型やハイル・ドライバーでは非導体の振動板上に電気信号の通り道をつくるため、
自由度は比較にならないほど大きい。
その全長もコントロールできる。
つまりインピーダンスが4Ωなり8Ωにでき、インピーダンスマッチング用のトランスを省ける。

10TH1000の振動板に対し電気信号は、リボン型のように上から下(下から上)といった垂直方向だけでなく、
水平方向にも流れている。
X-ART型、JET型(ハイル・ドライバー)も、その点は同じである。
だからインピーダンスマッチング用のトランスは要らない。

Date: 11月 11th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(続・余談)

リボン型のスピーカーユニットといえば、日本ではパイオニアのトゥイーターPT-R7が、
その代名詞のような存在だった。
PT-R7以前に、イギリスのデッカ(ケリー)からもリボン型トゥイーターは出ていたけれど、
1970年代の日本でリボン型トゥイーターといえば、多くの人の頭にまず浮ぶのはPT-R7だったはず。
私もそうだった。

そのPT-R7より数年おくれて、テクニクスから10TH1000というトゥイーターが登場した。
ステレオサウンドやその他のオーディオの雑誌に紹介された写真をみたとき、
テクニクスが出したリボン型トゥイーターだと思った。
だが、テクニクスは、10TH1000をリボン型とは呼ばず、リーフ型と呼んでいた。

PT-R7の、いわばライバル的存在のトゥイーターだけに、
その対抗心からリボン型と、あえて言わないのか、とそのころの私はへんな勘繰りをしていた。
でもカタログやテクニクスが発表している技術的な内容をきちんと読めば、
テクニクスがなぜリボン型と呼ばずに、リーフ型と名づけたのかが判る。

10TH1000の振動板の前面にヒレに似た形のイコライザーと思えるものがついている。
だがこれは音響的なイコライザーではなく、磁気回路の一部であり、
リボン型と違い、このイコライザーと思えるものを取去ってしまったら10TH1000は動作しなくなる。

PT-R7はリボン型トゥイーターで、振動板は厚さ9ミクロンのアルミ箔であり、
このアルミ振動板に直接音声信号を通している。
つまりリボン型であるためには振動板が導体であることが必要だ。

PT-R7の振動板の長さは約5cmほど。そのためPT-R7のインピーダンスは0.026Ωと極端に低い。
このアルミ振動板をそのままアンプの出力端子に接続すれば、ほぼショートしているのに等しい。
そのためインピーダンスマッチング用にPT-R7はトランスを使い、
通常のスピーカーユニットと同じ8Ωに仕上げている。
デッカのDK30、London Ribbon、ピラミッドのT1もトランスを搭載している。

テクニクスの10TH1000にはトランスは、ない。
ADAMのX-ARTドライバー、エラックのJETドライバーにも、トランスはない。

Date: 11月 9th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(余談)

ADAMのColumn MK3はトゥイーターとスコーカーに、
同社がいうところのX-ARTドライバーを採用している。
見てすぐにわかるようにエラックのスピーカーシステムに搭載されているJETドライバーと、ほほ同じものである。

ただしADAMがエラックのJET型を採用した、というよりも、
もともとこのドライバーを開発したのはADAMときいてる。
ところが一時期資金難に陥ったADAMがエラックに、このドライバーを売却したらしい。
だからADAMのほうがオリジナルともいえるのだが、
このドライバー(X-ARTと呼ぼうがJETと呼ぼうが)のオリジナルは、ハイルドライバーである。

オリジナルのハイルドライバーはドイツでは製品化されることなく、
開発者のオスカー・ハイル博士がアメリカに渡りESSで製品化している。
このオリジナルのハイルドライバーとADAMが開発したX-ARTの大きな違いは、
ユニットそのものの厚みである。

ハイルドライバーのオリジナルはフェライトマグネットを4本、
これをX字状に配置して、その中央(交叉点)にひだ(プリーツ)状の振動板ではなく振動膜を置く構造。
そのためどうしてもかなり厚みのあるユニットになってしまう。
これをドーム型ユニット並に薄くすることにADAMは成功している。

今回のショウで気になったのは、
このハイルドライバーをリボン型ユニットの一種として受け取っている人が意外にも多かったこと。
それもしかたのないことかな、とは思っている。
私がオーディオに興味をもち始めた1970年代は、オーディオの雑誌だけでなく技術書が豊富にあった。
ハイルドライバーの動作原理も、それらの本で知り得た。

いま、この手の本が少ない。ハイルドライバーについてきちんと解説してある本はあるのだろうか。
だから、ついリボン型のひとつと間違って受けとめてしまいがちなのだろう。

これがユーザー側であればしかたのないことですむが、
オーディオ関係者の中にもリボン型のひとつとして認識している人が少なくなかったのは、
しかたのないことではすまされない、と思う。

Date: 11月 6th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(その3)

優秀録音と名録音をあえてわけるならば、
スピーカーシステムも、優秀なスピーカーシステムと名スピーカーシステムと呼べるものがある。

名スピーカーシステムと呼べるモノの数は少ない。
これに関しては、別項の「名器、その解釈」でこれからふれていく予定である。
すべての現代スピーカーシステムが優秀なスピーカーシステムではないけれども、
その数は名スピーカーシステムよりも、ずっと多い。

優秀であること、とはどんなことなのか。
優秀という言葉は、最優秀という言葉があることからもわかるように、
他のものと比較して優れている、秀でている、ということではないだろうか。

同じ価格帯のスピーカーシステムの中で、物理特性面でも実際に音を聴いても、
その他多くのスピーカーシステムよりもすこし上のレベルにあれば、それも優秀なスピーカーシステムといえる。
もちろん、そこには「ある価格帯での」という条件がつくにしても、
優秀スピーカーシステムは、他のスピーカーシステムよりも優れている。

それから時代ということも関係してくる。
ある時代における優秀スピーカーシステムは、
その時代の他のスピーカーシステムと比較しての優秀さを認められてのことであり、
そういう優秀スピーカーシステムが、次の時代でも優秀スピーカーシステムであるとはいいがたい。

たとえば演奏家にも、優秀な演奏家と呼ばれる人もいるし、名演奏家と呼ばれる人もいる。
ピアニストであれば、ピアニストとしてのメカニック・テクニック面が優れていれば優秀なピアニストであり、
ピアノ・コンテストで優勝すれば、
それは、少なくともそのピアノ・コンテストのなかでは最優秀ピアニストということになる。

世界的に知られているピアノ・コンテストもあれば、地域での小さなピアノ・コンテストもあり、
それぞれのピアノ・コンテストでそれぞれ最優秀ピアニストが誕生している。
いまピアノ・コンテストだけに限ったとしても、
世界中でどれだけのコンテストが行われているのかまったく想像つかないが、おそらく相当な数だと思う。

毎年、相当な数の最優秀ピアニストが誕生していても、
彼らのすべてが名ピアニストと呼ばれるようになるわけではない。
国を越えて時代を越えて、同時代でも世代をこえて、
多くの人から名ピアニストと呼ばれるピアニストはほんの一握りの人たちだけだ。

名スピーカーシステムもそれに近いモノであるわけで、
私がADAMのColumn Mk3を「いいスピーカーシステム」と呼ぶ理由はここにあり、
「いいスピーカーシステム」は、名スピーカーシステムに次ぐ褒め言葉として、私は使っている。

Date: 11月 4th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(その2)

ずっと以前のオーディオ雑誌、レコード雑誌に載っていたレコード評の多くは、
演奏評と録音評とにわかれていた。

これもよく考えてみれば奇妙なことで、レコード評であるならば、
そしてそこにおさめられている音楽を評価するのであれば、演奏と録音を切り離して捉え評価すること自体に、
本来無理がある、ということはわりと指摘されていたことでもある。

レコード評は本来演奏と録音は密接不可分な関係であるだけに、
「このレコードは演奏はつまらないけれども、録音は素晴らしい」ということはありえない。
レコード評とはそういうものだと考えていても、
やはりつい「演奏は……」といったこともを口にしてしまうこともある。

こんなことをふと思い出したのは、太陽インターナショナルのブースでADAMのスピーカーシステムを聴いたからだ。

昨夜書いているように、ADAMのColumn Mk3よりも優秀なスピーカーシステムはいくつかある。
そういうスピーカーシステムとの比較となると(そういうスピーカーシステムは往々にして非常に高価だ)、
値段の違いを感じさせないわけではない。
Column Mk3よりも、オーディオ的に能力の高いスピーカーシステムを優秀なスピーカーシステムとしたら、
Column Mk3は、やはり「いいスピーカーシステム」と呼びたい。

レコードの録音について、優秀録音と名録音とがある。
このふたつはまったく同じものかというと、そうではない。
人によってことばの捉え方、定義は異ってくるから、
優秀録音と名録音をまったく同じものとして使っている方もいるけれど、
私のなかでは、このふたつの録音のレコードで、愛聴盤となっていくのは名録音だけである。
優秀録音盤が愛聴盤となることは、ない。

それは私のなかでは優秀録音とは、つまり「録音はいいけど、演奏は……」というものだからだ。

Date: 11月 3rd, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(その1)

インターナショナルオーディオショウには約180のブランドが集まっているそうで、
それらすべて聴くことは時間的に無理があるし、気に入った音が鳴っているとついそのブースに留まってしまうと、
聴き逃してしまうモノのほうが多いかもしれない。

そういうなかで今年最も印象に残ったのは、ドイツのADAMのスピーカーシステムだった。
輸入元の太陽インターナショナル(元・大場商事)のブースの扉をあけたときに耳にはいってきた音が、
印象に残った。
素直に、いい、と思える鳴り方をしている。
何が鳴っているのかとスピーカーシステムの方をみると、初めてみるトールボーイの、
わりと素っ気ない外観の、しかもそれほど高価ではないだろうと思われるモノが立っていた。

私が聴いたのは、3機種ある中のトップ機種のColumn Mk3
価格はペアで税込み1,008,000円。

Column Mk3よりずっと高価なスピーカーシステムはいくつもある。
優秀なスピーカーシステムも、やはりいくつかある。
でも、Column Mk3は、素直に、いいスピーカーシステムと呼べる素性がある、と思う。

太陽インターナショナルのブースの扉をあけたとき耳にはいってきたのは、トランペットの音だった。
聴いた瞬間に、マイルス・デイヴィスだと、マイルス・デイヴィスの熱心な聴き手でない私の耳でも、
はっきりとわかる音を響かせていた。
しかもかけられていたディスクは、私は持っていないマイルス・デイヴィスのディスクだった。
にも関わらず、マイルス・デイヴィスのトランペットだ、と瞬間的に感じさせてくれる表現力をColumn Mk3は、
確実に持っている。

よく聴いている演奏家のディスクが鳴っていても、
いったい誰の演奏なのだろうか……と考え込ませるような音が鳴っていることも意外と多い。
この理由については、あえてここではふれないが、
そういう音があるなかで、ADAMのColumn Mk3は、確実に音楽を捉え鳴らしてくれている。
Column Mk3よりも優秀なスピーカーシステムは、たしかにある。
けれど、音楽を信頼できる音で鳴らしてくれるColumn Mk3より、
いいスピーカーシステムとなると、意外とすくないのが現状かもしれない。

Date: 8月 23rd, 2011
Cate: ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その1・余談 鉄について)

鉄は磁性体だから……、と10代のころは、音に悪影響を与えるものであるし、
システムからできるかぎり取り除けるものであるならば取り除いていくべきのだと信じていた。

だからステレオサウンドにはいったころ、
そのころ田舎で使っていたオーディオ機器は持ってこなかったから、
手持ちのオーディオ機器はSMEの3012Rだけだった。
とにかく、この3012Rに似合うターンテーブルをはやくなんとかしたい、と思っていた。
これはいちど書いているけど、トーレンスのTD124の美品があった。
TD124IIだったら、おそらく買っていた。けれど、そのTD124は最初のTD124で、
つまりターンテーブル・プラッターが鉄でできているものだった。

このときはターンテーブル・プラッターが磁性体だと、
マグネットが大きいMC型カートリッジを使うと、カートリッジからの漏れ磁束と鉄の関係から針圧が増えてしまう、
それに磁性体は音を濁すものだという先入観から、購入はあきらめた。

でも、いまはTD124IIよりも、鉄のターンテーブル・プラッターのTD124を聴いてみたい、と思っている。
良質の鉄のターンテーブル・プラッターの、どういう響きをアナログディスク再生に加味するのか。

使うにあたっては、非磁性体のターンテーブル・プラッターのものより気を使うところは出てくるだろうが、
そんなことは、いまはどうでもいいことだと思っている。
だから、いまは、中途半端な先入観をもっていたため、貴重な経験を逃してしまった、と悔いている。

Date: 4月 14th, 2011
Cate: ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×二十 補足)

A-Z1、S-Z1がいつまにか消えてしまっているのに気がついて、
実のところエソテリック自身も、この2つのモデルに関しては失敗作だと考えているんだな、
と、実は勝手に思っていた。

ところがA-Z1a、S-Z1aとなって復活している。
このことが、A100のデザインに対して感じていた疑問を、確信に変えた。

なぜ、これらを復活させるのか、
もしかするとエソテリックという会社は、A-Z1、S-Z1は出すのが早すぎた。
そのせいでユーザーに受け入れられなかった。
あれから時間も経ち、世の中も変り、A-Z1、S-Z1のデザインも受け入れられるようになった……、
そんなふうにでも考えているのだろうか。

そうとでも考えないかぎり、A-Z1、S-Z1を復活させる意味が理解できない。
これを堂々と復活させる感覚は、あきらかにおかしい。

Date: 3月 4th, 2011
Cate: ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×十九 補足)

エソテリックのA-Z1、S-Z1が出た時に、これらのデザインについて否定的なことを書いていた人を知らない。
ほとんどの人が、いいデザインと評価していた。
なかには、エソテリックの資料からまる写し的な感じで、
パネルの加工には数時間を要する、だから素晴らしいみたいなことを書いている人もいた。

加工に時間のかかるパネルであることに間違いはないだろう。
だが手間、時間をたっぷりとかけて作られたから、優れたデザインというわけではない。
ていねいな仕上げが、いいデザインなわけではない。

それに、あのパネル・デザインに、まったく疑問を感じずに、
素晴らしい、とか、美しい、と平気で文字にできる感性はいったいどうなっているのだろうか。

私は、落胆した。
なぜこれだけの時間とお金をかけて、こんなふうにしてしまのうか、と。
なぜエソテリックはこれを製品化し発売したのか。

A-Z1、S-Z1を優れたデザインと認めてしまう組織なのか……。

A-Z1、S-Z1は、私の目にはそれほど話題にならず消えていってしまった、と映っていた。
やっぱりエソテリックも、失敗作だと思っていたのか、と実はすこし安心もしていた。

A-Z1、S-Z1に較べるとA100はまだまともとはいえ、
A100のパネルは、頬のこけた人の顔に見えてしまう。

A100もA-Z1、S-Z1同様、ていねいに仕上げられている。
でも、そこで満足してもらっては困る。

Date: 11月 19th, 2010
Cate: ショウ雑感

2010年ショウ雑感(その8)

「音の怖さ」に関連したことでは、「言葉の怖さ」を知らないのか、と、つい思ってしまったブースがあった。

そこでは、あるディスクをかける前に、係の人が、聴きどころ、といおうか、
音の特徴について話したあとに音を鳴らす。
そこでの音の表現──、これが実感できる音が出てくれれば何も言うことはない。
人によって、音の表現は、同じ言葉を使ってはいても微妙に違うところがある。
そんなことは承知のうえで、ある音の表現に対して、こちらも、ある程度の幅をもって聴くようにはしている。

ある程度、そこでの音の表現にひっかかってくる音が出てくれば、納得できる。
でも、今回は、まったくひっかかってこない。

どういう音の表現がなされていたかをここで書いてしまうと、どのブースだったのか、バレてしまうため、
わかりにくい書き方で申し訳ないが、どう好意的に解釈しても、
音を鳴らす前に説明された音とはかなり違う音が鳴っていた。
鳴り終ったあとも、自信あり気に、こうだったでしょう、とくる。

そこではディスクを3枚聴いていたけれど、すべてその調子で、すべて外していた。
すなおにうなずけなかった。

聴くポイントが違っている、という次元ではない。
なにか思い込みだけで、そこで鳴っている音とは無関係に、ただ音を表現する言葉がむなしく響いていた。

Date: 11月 18th, 2010
Cate: ショウ雑感

2010年ショウ雑感(余談)

今年のショウでは、ちょっといい光景があった。

これまでのショウに来ていた人の中でいちばん若い兄妹。
お兄さんは、おそらく小学高学年ぐらい、妹は三年生か四年生かな、というふたりに、
ノアのブースの女性の方がこのふたりに
「今日聴かないと、もう聴く機会のないスピーカーがあるから、どうぞ」と声をかけ、あの重たいドアを開けていた。

“The Sonus faber” のことだ。
このふたりが、どう感じていたのかは知りようがないけれど、
アナログディスクが鳴っていたら、きっとなにかつよく感じるものがあったはず、と思っている。

Date: 11月 18th, 2010
Cate: ショウ雑感

2010年ショウ雑感(その7)

別項の「使いこなしのこと」の最初のほうで書いているブースは、今年は、ひどかった。
昨年は、「おやっ?」と思うほど例年の平均レベルからすると、かなりまともな音を出していたから、
実はすこしは期待していた。今年は、去年と同等か、もしくはもっと良くなっているか、と。

でも、ブースに入った瞬間、すでに鳴っていた音は、そんなかすかな期待を見事に粉砕してくれた。
どこかがこわれているとしか思えない音だった。
後日聞いた話では、故障までいかなくても、装置に不備があったらしい。

だからといって、あの音を聴かせるのはどうか、と思ってしまう。
ショウだから、まともな状態で鳴らすのはたいへんなところもあるのはわかっている。
来場者のほとんどもそのへんのところはわかってくれている。
でも、今回の音は、もう音出しをすべきではない。そう思う。

きちんと説明すれば、楽しみにしてこられた方も納得されるだろう。
とりあえず聴かせればいいや(そういう考えがあったのかどうかはわからないが)、
少なくとも、今年のあのブースで鳴っていた音は、そんなふうにも感じさせる。

装置に不備があったことを知っている人はいい。けれど、知らずに、あの音を聴いていた人も少ない。
「音の怖さ」を、このブースの人たち、それにアナログディスクでなさけない音を出していたブースの人たちは、
身に沁みて知る機会がなかったのだろう、きっと。

Date: 11月 17th, 2010
Cate: ショウ雑感

2010年ショウ雑感(その6)

“The Sonus faber” でつよい印象を残してくれたのはアナログディスクでの音だった。
そして、今年のショウは、昨年よりもアナログディスクの音を鳴らしていたブースが多かった──
たまたま私がそのブースに入ったときに鳴っていただけなのかもしれないけれど──ように思う。

いくつかのブースでアナログディスク再生の音を聴いてはっきりするのは、
出展社によるアナログディスク再生の技術にけっこうな差があること。
ディスクの扱い方、カートリッジを盤面におろすときなどを見ていると、
アナログディスク再生にのめり込んだ経験がないのではなかろうか、
とそんなことを感じさせたブースがあったのは、残念だと思う。

もっと残念なことは、そのレベルの未熟さを自覚していない、と思われること。

たまたま私が聴いた、アナログディスクを鳴らしていたブースのなかにはいくつか、
操作面での都合上だろうが、カートリッジを降ろす際に、ボリュウムをあげたままのところがある。
そのことは否定しない。
こういう場において、このときのノイズは、的確な判断材料となるためで、
このときの音は、ボソッ、ボコッ、ボッ、ポコッ、ポッ……とか、じつにさまざまな音であり、
アナログディスク再生にながくつきあってきた人は、どれが好ましい音なのかわかるはずだ。

あるブースでは、実に気持のいい感じで、このときの音が鳴っていた。
そのあとに続いて鳴ってきた音もよかった。

でもあるブースでは、実に汚い感じで、やや間延びしたような、
とにかく耳にした瞬間「あれっ?」と思うような音があった。
案の定、鳴ってきた音は “The Sonus faber” で聴けたアナログディスクの音とは対極の、
死んだような音で、まったく楽しめない。
そのブースで、CDは、まあ、そこそこの音で鳴っていた。
使っていたアナログプレーヤーも、世評の高い、価格もけっこうな額のきちんとしたモノだ。
断定はできないけれども、そのブースのアナログディスク再生に関する知識・技術・ノウハウの不足だろう。

それぞれの出展社の社員のなかには、
自分の意思で聴く音楽を選び、自分のお金でディスクを買うようになったとき、
すでにCD全盛時代のなかで育ってきた世代も増えてきたのかもしれない。
そういう人たちに、きちんとしたアナログディスク再生を望むのは、酷なことだろうか。

アマチュアならば、そういういいわけはできる。
けれど、少なくとも彼らはオーディオのプロフェッショナルであるべきだ。
そして、会社という組織は、プロフェッショナルを育てていくべきである。
そういう余力がないのか。もし個々の会社にそういう余力がなければ、
このショウの主催者である日本インターナショナルオーディオ協議会が協力して、
若い世代たちを、会社という垣根をこえて育てていくべきだ、と私は思う。