Archive for category 瀬川冬樹

Date: 11月 8th, 2010
Cate: 瀬川冬樹

続・瀬川冬樹氏の「本」

昨日(11月7日)は、このブログを読み続けてくださっている方には説明はいらないだろうが、
瀬川先生の命日だった。

この日に、とにかく間に合わせるために瀬川先生が書かれたものをできるだけ多くまとめたものを公開したい、
そう思ったのが7月末だった。
これに集中するために、8月で仕事をやめて、最初のうちは独自の記事を加えたものを、
この日までにつくりあげるつもりでいたけれど、
以前書いたようにやっていく途中で構想がふくれあがり、今回は第一弾として公開した。

この二ヵ月はずっと入力作業をしてきた。
じつは今回公開したもの以外にも入力したものはある。
対談、座談会での発言も入力しているし、未発表原稿もじつは入力が済んでいる。
ただ未発表原稿に関しては、どうしても判読できない文字が2、3あって、
それに元の原稿と同時に表示できるようにしたい、とか、そういう想いがあって、今回は発表済みのものだけにした。

結局、10年前に audio sharing をつくったときと同じことをやっていた。
audio sharing を公開して、しばらくしたころからPalmが流行ってきた。
私が最初に買ったのはHandspringのもの。
まだモノクロ画面の、Macでいえば漢字Talk6を思い出させるインターフェースで、
じつはこのとき、Palmの中に瀬川先生、五味先生の文章を収めていた。

audio sharing をつくっておきながら、こんなことを言うのもなんだが、
やはりパソコンの画面で読むことに、なにがしかの、小さな異和感があった。
馴れの問題だけでは片づけられないことで、だから画面が小さくても文字の表示品質は劣っても、
Palmで読んでみたいと思った。

でも、当時のPaimでは、私にとっては、読む、というよりも、
ただ瀬川先生、五味先生の文章を持ち歩けるということだけの満足にとどまっていた。
そのあとにカラー表示のPalmも買った。でも同じだった。

いつか、手にとって読める日がくることを、このときから待っていた。

audio sharing を公開してからちょうど10年目の今年、iPadが発表・発売された。
これだ、と感じた。

友人、知人からは、「iPadって、iPod touch(iPhone)が大きくなっただけでしょ?」ときかれた。
そういうところはあるけれど、そのサイズがの違いこそ、私がずっと待ち望んでいた。
目的に適した大きさは存在する。iPadのサイズが理想なのかどうかはおいておくとしても、
少なくとも、私にとって、瀬川先生、五味先生の文章を読むのに適した大きさである。
(個人的には7インチiPadよりも、もうすこし大きめのモノがほしい)

今回、電子書籍(EPUB形式)に仕上げる作業にとりかかったのは、11月にはいってからだった。
途中途中でどんな感じに仕上るのかを確認することは一度もやらず、
とにかく仕上げたあとにはじめてiPadにインストールした。11月7日の午前3時近くになっていた。

今回のは第一弾ということで、やっている私には、達成感はなかった。
とりあえず、ここまでできた、という感じだけだった……。

でも、iPadに表示してみると、手にとってそれを読みはじめたら、達成感とは違うけれど、
なにか実感がわいてきた。手にとって読んでいる、という実感がたしかにある。

じつは昨日、櫻井さん(瀬川先生の妹さん)から荷物が届いた。
そのなかに、瀬川先生が愛用されていたであろう革製の鞄がはいっていた。
見た瞬間、iPadがおさまる、と思った。実際に、ぴったりの大きさだった。

瀬川先生の文章をおめさたiPadが、瀬川先生の愛用されていた鞄のなかにおさまる。

Date: 11月 7th, 2010
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏の「本」

瀬川先生の「」(電子書籍)を公開しました。
EPUB形式ですので、iPadで読めます。

今回の「本」は第1弾であり、いわば予告的なものです。
いままで入力してきた瀬川先生の文章の大半を、一冊にまとめてあります。
いまiPadで見てみたところ、4000ページをこえています。

そのためか、ページをめくるのは問題ないのですが、
目次のページのスクロールが、かなりもっさりした感じです。

タイトルだけのページもありますが、ひたすらテキストだけの「本」です。
時間の関係で、写真・図版・グラフはいっさい掲載していません。
これらに関しては、来春以降に予定している第3弾にてまとめるつもりです。

いいわけになりますが、時間の関係で、校正が不十分のままです。
変換ミス・誤入力など気づかれましたら、ご連絡いただければ助かります。

またざっとiPadで見たところ、半角スペースをいれたところで、字間がひらきすぎて、
一部見苦しいところがあります。

とにかく今回のものをベースにして、来春発行予定の第3弾はきちんとします。
ただ、フォーマットに関しては変更する可能性もあります。

第2弾は、1月10日に公開します。
今回の「本」の増強版になります。

私の手もとには、瀬川先生のみ発表原稿、企画書、試聴メモ、写真、デザイン・スケッチなどがあります。
これらの公開は、第3弾にて行ないます。

Date: 11月 2nd, 2010
Cate: 瀬川冬樹, 真空管アンプ

真空管アンプの存在(番外)

瀬川先生とグッドマンのAXIOM80について、いつか書きたいと思っているが、
今日、ステレオサウンド 62号をめくっていて気がついたことがある。

瀬川先生がAXIOM80のためにUX45のシングルアンプをつくられたことは知られている。
     *
暗中模索が続き、アンプは次第に姿を変えて、ついにUX45のシングルになって落着いた。NF(負饋還)アンプ全盛の時代に、電源には定電圧放電管という古めかしいアンプを作ったのだから、やれ時代錯誤だの懐古趣味だのと、おせっかいな人たちからはさんざんにけなされたが、あんなに柔らかで繊細で、ふっくらと澄明なAXIOM80の音を、わたしは他に知らない。この頃の音はいまでも友人達の語り草になっている。あれがAXIOM80のほんとうの音だと、私は信じている。
     *
ステレオサウンド 62号には、上杉佳郎氏が「プロが明かす音づくりの秘訣」の3回目に登場されている。
そのなかで、こう語られている。

「試みに裸特性のいい45をつかってシングルアンプを作って鳴らしてみたら、予想外の結果なんです。
AXIOM80が生れ変ったように美しく鳴るんです。」

45のシングルアンプが、ここにも登場してくる。

瀬川先生の先の文章につづけて書かれている。
     *
誤解しないで頂きたいが、AXIOM80はUX45のシングルで鳴らすのが最高だなどと言おうとしているのではない。偶然持っていた古い真空管を使って組み立てたアンプが、たまたまよい音で鳴ったというだけの話である。
     *
出力管に UX45を使えば、それでシングルアンプを組めさえすれば、
AXIOM80に最適のアンプができ上がるわけでないことはわかっている。
どんな回路にするのか、どういうコンストラクションにするのか、配線技術は……、
そういったことがらも有機的に絡んできてアンプの音は構成されている。

それでも45のシングルアンプ、いちど組んでみたい気にさせてくれる。

Date: 10月 17th, 2010
Cate: 「本」, 瀬川冬樹
1 msg

オーディオの「本」(瀬川冬樹氏のこと)

はっきりと書いているわけではないが、私のTwitterもあわせて読んでいただいている方は、お気づきのように、
いま瀬川先生に関するオーディオの「本」の作業にかかりっきりになっている。

電子書籍として、まず11月7日に、そして来年の1月10日に出す予定で、いまやっている。
おそらく3月ごろまで最終的にかかるだろう。

最初は11月7日までにすべてまとめあげたいと考えていたが、やりはじめると、
せっかくやるのだから、あれもこれもとやりたいこと、おさめたいことが増えていき、
ページ数に制限のない電子書籍だから、すべてやろうと変更したため、11月7日には、
ともかくいま出せるところをダウンロードできるようにする。

とにかくいまは、瀬川先生の文章を集め入力している。

ステレオサウンドから出ていた「世界のオーディオ」シリーズのラックス号に載っていた「私のラックス観」、
これをさきほど入力し了えた。

ステレオサウンドにいた頃、ふるい号を読もうと思えばいくらでも読めた。もちろん仕事の合間にずいぶん読んだ。
でもそれは読んだつもりだった、としか、いまはいえない。
瀬川先生の「私のラックス観」を、なぜか読んでいなかったからだ。

「世界のオーディオ」シリーズは、
Vol. 1・ラックス、Vol. 2・マッキントッシュ、Vol. 3・サンスイ、Vol. 4・アルテック、Vol. 5・ビクター、
Vol. 6・パイオニア、Vol. 7・テクニクス、Vol. 8・ソニー、Vol. 9・オンキョー、Vol. 10・タンノイ、が出ている。

読んでいたのは、マッキントッシュ、アルテック、タンノイだけだった。
そのあとずいぶん経ってからサンスイとパイオニアを読んだだけだった。
手もとにある本とコピーをあわせると、ビクター以外はすべて読んだ。

そのどれとも、「ラックス観」はちがい、なにかちがうものが現れている。
     *
このメーカーは、ときとしてまるで受精直後の卵子のように固く身を閉ざして、外からの声を拒絶する姿勢を見せることがある。その姿勢は純粋であると同時に純粋培養菌のようなもろさを持ち、しかも反面のひとりよがりなところをも併せ持つのではなかろうか。
     *
これは、ラックスについてのことだけを語られているのではない。
「瀬川冬樹」についても語られている。
この数行前に、こうある。
     *
このメーカーの根底に流れる体質の中にどこか自分と共通の何か、があるような、一種の親密感があったためではないかという気がする。
     *
説明は要らないはずだ。

Date: 10月 8th, 2010
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

確信していること(その6)

むかしたった一度聴いただけで、もう再び聴けないかと思っていたJBLのハーツフィールドを、最近になって聴くことができた。このスピーカーは、永いあいだわたくしのイメージの中での終着駅であった。求める音の最高の理想を、鳴らしてくれる筈のスピーカーであった。そして、完全な形とは言えないながら、この〝理想〟のスピーカーの音を聴き、いまにして、残酷にもハーツフィールドは、わたくしの求める音でないことを教えてくれた。どういう状態で聴こうが、自分の求めるものかそうでないかは、直感が嗅ぎ分ける。いままで何度もそうしてわたくしは自分のスピーカーを選んできた。そういうスピーカーの一部には惚れ込みながら、どうしても満たされない何かを、ほとんど記憶に残っていない──それだけに理想を託しやすい──ハーツフィールドに望んだのは、まあ自然の成行きだったろう。いま、しょせんこのスピーカーの音は自分とは無縁のものだったと悟らされたわたくしの心中は複雑である。ここまで来てみて、ようやく、自分の体質がイギリスの音、しかし古いそれではなく、BBCのモニター・スピーカー以降の新しいゼネレイションの方向に合っていることが確認できた。
     *
瀬川先生のハーツフィールドへの想いは、
もうひとつペンネーム「芳津翻人(よしづはると)」にもあらわれている。
芳津翻人は、ハーツフィールドの当て字だ。

そのハーツフィールドのユニット構成は、初期のパラゴンとほぼ同じだ。
ウーファーは150-4C、中音域のドライバーは375。基本は2ウェイだが、
のちに075を加えて3ウェイ仕様になっている。
エンクロージュアのホーン構造も途中から変更され、すこしばかり簡略化されている。

パラゴンも、初期のものはウーファーには150-4Cが使われていた。
ドライバーは、もちろん375で、パラゴンは初期モデルから3ウェイで、075を搭載。

比較的はやい時期からパラゴンのウーファーはLE15Aに換えられている。
じつはハーツフィールドもウーファーには多少の変更がある。
型番こそ150-4Cと同じだが、コーンアッセンブリーの変更により、
コーン紙の材質の変更、それにともなうf0が低くなり、振幅もオリジナルの150-4Cよりも確保できている、
と山中先生からきいたことがある。

つまりパラゴンのウーファーの変更と、同じ方向の変更がハーツフィールドにも行なわれていたわけだ。

搭載されているユニットの違いは、ハーツフィールドとパラゴンのあいだにはない、といってもいい。
にもかかわらず、瀬川先生にとって、ハーツフィールドとパラゴンへの想いには、相違がある。

Date: 10月 7th, 2010
Cate: D44000 Paragon, 瀬川冬樹

確信していること(その5)

1957年11月に登場したD44000 Paragonは、JBLにとって、ステレオ時代をむかえて最初に発表した、
文字通り、ステレオスピーカーシステムである。
そして60年をこえるJBLの歴史のなかで、もっとも寿命のながかったスピーカーシステムでもある。

パラゴンの前には、D30085 Hartsfield がある。
ステレオ時代のJBLを代表するのがパラゴンならば、このハーツフィールドはモノーラル時代のJBLを代表する。
1955年、Life誌にてハーツフィールドは「究極の夢のスピーカー」として取りあげられている。

ハーツフィールドとパラゴンは、デザインにおいても大きな違いがある。
どちらが優れたデザインかということよりも、
はじめて見たとき(といってもステレオサウンドの記事でだが)の衝撃は、
私にとってはハーツフィールドが大きかった。

はじめて買ったステレオサウンド 41号に掲載されていた「クラフツマンシップの粋」、
そのカラー扉のハーツフィールドは、美しかった。たしか、ハーツフィールドがおかれてある部屋は、
RFエンタープライゼスの中西社長のリスニングルームのはずだ。

こんなにも見事に部屋におさまっている例は、
しばらくあとにステレオサウンドで紹介された田中一光氏のハークネス(これもまたJBLだ)だけである。

ハーツフィールド(もしくはハークネス)が欲しい、と思うよりも、
この部屋まるごとをいつの日か実現できたら……、そんな想いを抱かせてくれた。

若造の私も魅了された。
ハーツフィールドと同じ時代をすごしてこられた世代の人たちにとっては、
私なんかの想いよりも、ずっとずっとハーツフィールドへの憧れは強く、熱いものだったろう。

瀬川先生にとってハーツフィールドは、
「永いあいだわたくしのイメージの中での終着駅であった」と書かれている。
(「いわば偏執狂的なステレオ・コンポーネント論」より)

Date: 10月 5th, 2010
Cate: D44000 Paragon, 瀬川冬樹

確信していること(その4)

じつは、この項に関しては、つづきを書くつもりはなかった。
最初に書いた3行だけだったのだが、デッカのデコラのことが頭に浮かんできて、
その次に、JBLのパラゴンのことが、ふいに浮かんできた。

デコラは浮かんできたことについて、すんなり理解できるものの、
パラゴンに関しては、ほんの少しのあいだ「?」がついた。

でも、そうだ、パラゴン「!」に変った。

じつは以前から、瀬川先生のパラゴンについて書かれたものを読むとき、
どこかにすこしばかり「意外だなぁ」という気持があった。
同じJBLのスピーカーとはいえ、瀬川先生が愛用されていた4341、4343といったスタジオモニター・シリーズと、
D44000 Paragon ずいぶん違うスピーカーシステムである。
もっともパラゴンは、他のどんなスピーカーシステムと比較しても、特異な存在ではあるけれど、
どうしても瀬川先生が指向されている音の世界と、そのときは、まだパラゴンの音とが結びつかなかったから、
つねに「意外だなぁ」ということがあった。

工業デザイナーをやられていたことは、けっこう早くから知っていたので、
パラゴンに対する高い評価は、音に対すること以上に、
そのデザインの完成後、素晴らしさに対することへのものが大きかったからだろう……、
そんなふうに勝手な解釈をしていたこともあった。

けれど、いくつかの文章を読めばわかることだが、パラゴンに関しては、絶賛に近い書き方である。
デザインだけではないことが、はっきりとしてくる。

Date: 10月 4th, 2010
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その3)

デッカ・デコラについて語られている文章では、
ステレオサウンド別冊の「サウンドコニサー」に載っている五十嵐一郎氏の書かれたものが、いい。

デコラという電蓄がどういうものか、がはっきりと伝わってくる。

五十嵐氏は、デコラの音を、「風景」ということばを使いたい、とされている。
     *
「風景」が見えるような感じで、冬に聴いていますと、夜など雪がしんしんと降り積もっている様子が頭にうかびます。夏に聴けば、風がすーっと川面を渡っていくような感じ、春聴けば春うららっていうような感じ。自分の気持ちのもちようにとか四季のうつりかわりに、わりと反応するような気がする。
     *
そして「ホカホカの日だまり」という感じとも表現されている。

池田圭氏は「ハイもローも出ないけど諦観に徹している」、
大木恵嗣氏は「これは長生きできる音だなぁ」、
両氏の表現も、五十嵐氏の文章のなかに、そうある。

デコラをは、2回、これまで聴く機会があった。
時間は短かったけれど、五十嵐氏、池田氏、大木氏のことばのとおりである。

五十嵐氏の文章の題名は、
幻の名器研究 デコラにお辞儀する、だ。

レコードを鳴らす器械が蓄音器と呼ばれていた時代だからこそ、
そういう時代に意を尽くして作られたモノだからこそ、「お辞儀をする」ということばが似合う。

デコラを、瀬川先生は聴かれたことがあるのだろうか。
どこかに、デコラについて書かれている文章はあるのだろうか。

Date: 10月 3rd, 2010
Cate: 瀬川冬樹
2 msgs

確信していること(その2)

クレデンザでもいい、HMVの♯202(203)でもいい、どちらかの音、そのよさをそのままに、
周波数特性(振幅特性、位相特性ともに)だけでなく、ダイナミックレンジ、それに指向特性までふくめて、
ワイドレンジにすることは、ほんとうにできるのだろうか、
そういう音は、じつは聴き手の中にしか存在しない音なのかもしれない。
それでもけっして無理なことではないはず。

そう気づいたときに、「虚構世界の狩人」ということばの重みが変ってきた。

「虚構世界の狩人」という題名をつけられたのは、音楽之友社の佐賀氏だ、と同著のあとがきにある。
佐賀氏が、何故、この題名にされたのかはわからない。
ただ瀬川先生自身、この「虚構世界の狩人」を気に入っておられたことは、わかる。

いま、この「虚構世界」が、アクースティック蓄音機の音をワイドレンジにする、という、
およそなしえないことのようにおもえる「音」の世界に重なってきてしまう。

アクースティック蓄音機は、機械仕掛けの音である。
現在のオーディオは、電気仕掛け(むしろ電子仕掛けといいたいくらい)と機械仕掛け、
それも電気仕掛けのウェイトがあきらかに大きい。

アクースティック蓄音機に対して、電蓄と呼ばれていたころのモノとは大きく違ってきている。

電蓄という言葉がつかわれていたころの、代表的なモノが、デッカのデコラである。
「デッカの電蓄」といえるデコラの音は、アクースティック蓄音機の音を、
電気仕掛けのなかに、すこしだけワイドレンジ化することにうまくいった、そういう音だと感じている。

とはいっても、デコラはワイドレンジというよりも、むしろナロウレンジではある。
それほど高音も低音も伸びていないし、ダイナミックレンジもむしろ抑えぎみといった印象を受ける。

それでも、アクースティック蓄音機よりは、やはりワイドレンジになっている。

Date: 10月 1st, 2010
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その1)

瀬川先生が追い求められていた音とは、
クレデンザ、HMVの♯202、203といったアクースティック蓄音器の名器の音を、
真の意味でワイドレンジ化したものだった、と確信している。

Date: 8月 28th, 2010
Cate: 瀬川冬樹

語り尽くすまで(続・8月7日、そして11月7日)

今日、荷物が届いた。
ダンボール箱の中身は、数冊の本と、オーディオに関心のない人にとっては、古びた紙の束。
けれど、その「古びた紙の束」は、私にとっての宝である。

送ってくださったのは瀬川先生の実妹の櫻井さん。
古びた紙の束は、瀬川先生の原稿執筆のためのメモであったり、試聴テストの際のメモであったり、
スケッチであったり、そして未発表の原稿でもある。

ひとつひとつをじっくりとはまだみていないが、それでもざっとひととおり見て思うのは、
瀬川先生のオーディオ評論家としての誠実さである。

オーディオ評論家としての資質、才能、情熱、知識だけでなく、瀬川先生には「誠実」がそこに加わる。

なぜそう感じたのかについては、まだ書かない。
いずれ、別の「かたち」で書いていく。

Date: 8月 12th, 2010
Cate: 朦朧体, 瀬川冬樹

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(余談)

オーディオ機器への関心はあっても、
知識はほとんどなかったころに読んだ「コンポーネントステレオの世界 ’77」でも、
なんどか読んでいるうちに、おぼろげながらではあるけれど、他の方たちにくらべて、
瀬川先生のつくる組合せには、なにか違うものがあるように感じていた。

「コンポーネントステレオの世界」はその後も、暮に出ていた。
それを読んでも、ステレオサウンド本誌上での組合せや、そのことに関する発言を読んでいても、
よい悪いではなく、他の人と、あきらかに組合せのセンスが違う、という印象は深まっていっていた。

そうともいえるし、一方で、瀬川先生の組合せの感覚が、私に「合った」ということだけともいえる。

組合せをつくるうえで大事なのは、各コンポーネントの相性であり、
これはつまり「合う」か「合わないか」ということになるだろう。
でも、ある形をしていたものが、ぴったり合わせるという意味での「合う」「合わない」ではなく、
あくまでも個人個人の感覚による「合う」「合わない」であり、
このスピーカーとこのアンプは合う、いいかえれば相性がいい、と感じるのは、
その組合せ(つまりスピーカーとアンプの相性)がぴったりなのではなく、
あくまでもそのスピーカーとアンプが鳴らす音と、それをよいと感じた「私」との相性がいいことになる。

となると、瀬川先生のつくる組合せに魅力を感じていたわけだが、それはいま思うと、
たしかに「合っていた」ところもあっただろうが、
瀬川先生の感覚に「合わせよう」としていたところが、むしろ大きかったのかもしれない。

それでも、やはり瀬川先生の組合せのセンスは、なにか光るものがあった。

オーディオ評論家は、音をうまく表現する能力だけではなく、この組合せをつくる能力・感覚において、
他のひととは違う、その人だけの光るものもてるように磨いていくべきではなかろうか。

Date: 8月 7th, 2010
Cate: 「本」, 瀬川冬樹

語り尽くすまで(8月7日、そして11月7日)

29年前の今日(8月7日)、瀬川先生は入院された。

ステレオサウンド創刊15周年記念の特集「アメリカン・サウンド」の取材の途中で倒れられたのが、前日の6日。
ちょうど三カ月後の11月7日、8時34分に亡くなられた。

その約二カ月後、ステレオサウンド編集部で働くことになった。
そのとき、ステレオサウンドから遺稿集が出版されるものだと思っていた。

七年後、ステレオサウンドを離れてからのことだった。
もう出す術もないのに、瀬川先生の遺稿集をどうにかしたいと思っていた。
想うだけだった……。

それから十年後、遺稿集ではないものの、瀬川先生の書かれたものをインターネットで公開することも思いつく。
これだけはなんとか実現できた。

また十年経った。それが今日。

ふりかえると瀬川冬樹について語ることは、私にとってオーディオ評論についての考えを述べることでもあり、
オーディオそのものについて考えさせられることでもある。

だからこそ瀬川冬樹について語り尽くそう、と思い今日まで来た。
今年の11月7日に、ひとつのくぎりをつける。
ひとつのかたちにする。

Date: 7月 2nd, 2010
Cate: オーディオ評論, 五味康祐, 瀬川冬樹

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(その15)

瀬川先生は五味先生のことを、どう想われていたのか。
ステレオサウンド 39号に載った「天の聲」の書評を読んでおきたい。
     *
 五味康祐氏の「天の聲」が新潮杜から発行された。言うまでもなくこれは「西方の音」の続編にあたる。《西方の音》は、おそらく五味氏のライフワークとして、いまも『芸術新潮』に連載中だから、まだ続編が出ることであろうし、そうあることを期待している。実をいえば私は『芸術新潮』の方は、たまに店頭で立読みするだけで、それだからなおのこと、こうして一冊にまとまった形でじっくり読みたいのである。
 五味康祐氏とお会いしたのは数えるほどに少ない。ずっと以前、本誌11号(69年夏号)のチューナーの取材で、本誌の試聴室で同席させて預いたが、殆んど口を利かず、部屋の隅で憮然とひとりだけ坐っておられた姿が印象的で、次は同じく16号(70年秋号)で六畳住まいの拙宅にお越し頂いたとき、わずかに言素をかわした、その程度である。どこか気難しい、というより怖い人、という印象が強くて、こちらから気楽に話しかけられない雰囲気になってしまう。しかしそれでいて私自身は、個人的には非常な親近感を抱いている。それはおそらく「西方の音」の中のレコードや音楽の話の書かれてある時代(LP初期)に、偶然のことにS氏という音楽評論家を通じて、ここに書かれてあるレコードの中の大半を、私も同じように貧しい暮しをしながら一心に聴いていたという共通の音楽体験を持っているからだと思う。ちなみにこのS氏というのは、「西方の音」にしばしば登場するS氏とは別人だがしかし「西方の音」のS氏や五味氏はよくご存知の筈だ。この人から私は、ティボー、コルトオ、ランドフスカを教えられ、あるいはLP初期のガザドウシュやフランチェスカフティを、マルセル・メイエルやモーリス・エヴィットを、ローラ・ボベスコやジャック・ジャンティを教えられた。これ以外にも「西方の音」に出てくるレコードの大半を私は一応は耳にしているし、その何枚かは持っている。そういう共通の体験が、会えば怖い五味氏に親近感を抱かせる。
 しかし内容についてそういう親近感を抱かせながら「西方の音」は私にとってひどく気の重くなる本であった。ひと言でいえばそれはオーディオに関してこういう書き方があったのかという驚きであると同時に、しかし俺にはとてもこうは書けないという絶望に近い気持であった。オーディオについていくらかは自分の世界を築いてきたというつもりが実は錯覚であって、自分の世界など無きに等しい小さな存在であることを思い知らされたような、まるで打ちのめされた気持であった。ごく最近に至るまで、オーディオについて何か書こうとするたびに、「西方の音」が重くのしかかっていたことを白状しなくてはならない。
 とてもこうは書けないという気持は、ひとつは文章のすごさであり、もうひとつは書かれている内容の深さである。文章については、文学畑の人の文章修業のすさまじさを知れば知るほど、半ばあきらめの心境でこちらはしょせん素人だと、むろん劣等感半分で開き直ってしまえばよいが、オーディオの、ひいては音楽の内容の深さについてはもう頭が上がらない。
 ひとつの観念をできるかぎり正確で簡明なしかも格調の高い言葉に置きかえるという仕事を、近代以降の日本では小林秀雄がなしとげている。その名著「モオツァルト」について、文章のうまいというのは得ですね、と下らないやきもちを焼いた音楽評論家の話はもはや語り草だが、「西方の音」や「天の聲」も、オーディオでものを書く人間には、一種の嫉妬心さえ煽り立てる。それくらい、この行間には美しい音が、ちりばめられ、まさに天の聲のような音楽が絶え間なく鳴ってくる。まさしく五味康祐氏の音が鳴ってくる。
 先に上梓された「西方の音」には、しかしオーディオへの積年のうらみが込められていたように私には思える。それは決して巷間言われるコンクリートホーンを作った技術者へのうらみではなく、筆者をそれほどまで狂おしい気持にさせ、そこまでのめり込ませずにおかないレコードとオーディオへのうらみであった。したがってそこには、オーディオ機器を接ぎかえとりかえ調節しては聴きふける筆者の生々しい体臭があった。
「天の聲」になると、この人のオーディオ観はもはや一種の諦観の調子を帯びてくる。おそらく五味氏は、オーディオの行きつく渕を覗き込んでしまったに違いない。前半にほぼそのことは述べ尽されているが、さらに後半に読み進むにつれて、オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる。しかもこの音楽は何と思いつめた表情で鳴るのだろう。ずっと昔、まだモノーラルのころ、ヴァンガード/バッハギルドのレコードで、レオンハルトのチェンバロによる「フーガの技法」を聴いたとき、音楽が進むにつれて次第に高くそびえる氷山のすき間を進むような恐ろしいほどの緊迫感を感じたことがあった。むろんこのレコードを今聴いたら違った印象を持つかもしれないが、何か聴き進むのが息苦しくなるような感覚があった。「天の聲」の後半にも、行間のところどころに一瞬息のつまるような表現があって、私は何度も立ちどまり、考え込まされた。
     *
ここにでてくるふたりのS氏──、ひとりは新潮社の齋藤十一氏、
もうひとりの、瀬川先生にとってのS氏、音楽評論家のS氏は西条卓夫氏のことだ。

Date: 6月 24th, 2010
Cate: ジャーナリズム, 瀬川冬樹
2 msgs

オーディオにおけるジャーナリズム(特別編・その9)

1981年に菅野先生との対談で語られていることがある。

「ぼくはいま辻説法をしたいような、なんかすごいそういう気持でいっぱいなんです。」

なにを、なのか。
なぜ、なのか。

「実際の音を聴かないで、活字のほうで観念的にものごとを理解するというような現状があるでしょう。これは問題だと思うんですよ。ぼくはほんとうに近ごろ自分でもいらいらしているのは、地方のユーザーの集まりなどに招かれていって、話をしたり、音を鳴らしたりしてきたんだけれども、オーディオってね、やっぱりその場で音を出していかないとわかり合えないものじゃないかという気がするんですよ。オーディオの再生音というのは、おんなじ機械を組み合わせたって、鳴らす人間のちょっとしたコントロールでいかに音が変わるかなんていうのは、もはや活字で説明は不可能なわけ、その場でやってみせると、端的にわかるわけですよ。」

いらいらされていたのは、文章で音を表現することの「もどかしさ」だけからなのだろうか。

辻説法は、瀬川先生の決意だったように思えてならない。