Archive for category 瀬川冬樹

Date: 7月 14th, 2011
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その15)

マイケルソン&オースチンのB200は、M200という型番で実際には販売されていた。
B200は瀬川先生の勘違い、とは言えない。
なぜかというと、「コンポーネントステレオの世界 ’80」の巻頭文の中に、B200という単語は複数回登場する。
当然編集部で原稿を受けとったとき、そして写植があがってきたとき、
そして写真を含めてカラーで見本があがってきた、少なくとも3回の校正を経ているわけで、
いくらなんでもM200なのが、B200のまま出ることはない。
おそらくこの時点ではB200という型番だったのが、なんらかの理由でM200に変更されたとみるべきだろう。

そのB200(M200)の音を、マークレビンソンML2、
6台でバイアンプ(ウーファーはブリッジ接続)との音との比較で書かれている。
     *
近ごろのТRアンプの音が、どこまでも音をこまかく分析してゆく方向に、音の切れこみ・切れ味を追求するあまりに、まるで鋭い剃刀のような切れ味で聴かせるのが多い。替刃式の、ことに刃の薄い両刃の剃刀の切れ味には、どこか神経を逆なでするようなところがあるが、同じ剃刀でも、腕の良い職人が研ぎ上げた刃の厚い日本剃刀は、当りがやわらかく肌にやさしい。ミカエルソン&オースチンTVA1の音には、どこか、そんなたとえを思いつかせるような味わいがある。
そこにさらに200ワットのモノ・アンプである。切れ味、という点になると、このアンプの音はもはや剃刀のような小ぶりの刃物ではなく、もっと重量級の、大ぶりで分厚い刃を持っている。剃刀のような小まわりの利く切れ味ではない。力を込めればマルタをまっ二つにできそうな底力を持っている。
たとえば、少し前の録音だが、コリン・デイヴィスがコンセルトヘボウを振ったストラヴィンスキーの「春の祭典」(フィリップス)。その終章近く、大太鼓のシンコペーションの強打の続く部分。身体にぴりぴりと振動を感じるほどの音量に上げたとき、この、大太鼓の強打を、おそるべきリアリティで聴かせてくれたのは、先日、SS本誌53号のための取材でセッティングした、マーク・レビンソンML2L2台のBTL接続での低音、だけだった。あれほど引締った緊張感に支えられての量感は、ちょっとほかのアンプが思いつかない。ミカエルソン&オースチンB200の低音は、それとはまだ別の世界だ。マーク・レビンソンBTLの音は、大太鼓の奏者の手つきがありありとみえるほどの明解さだったが、オースチンの音になると、もっと混沌として、オーケストラの音の洪水のようなマッスの中から、揺るがすような大太鼓の轟きが轟然と湧き出してくる。まるで家全体が揺らぐのではないかと思えるほどだ。
     *
このあともB200の音の記述はつづく。
この巻頭文のテーマは「80年代のスピーカー界展望」にもかかわらず、
いきなりアンプの話からはじまり、ほぼ1ページ、B200について書かれている。
つまり、それだけB200は、瀬川先生にとって印象深いものを残していったことになる。

Date: 7月 13th, 2011
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

無題

もう何度も書いているから、またかよ、と思われようが、
私のオーディオは、五味先生の「五味オーディオ教室」という本から始まっている。

「五味オーディオ教室」の前に、どこかでいい音を聴いたという体験はなかった。
私のオーディオは、五味先生の言葉だけによって始まっている。

だから私にとって、タンノイのオートグラフの音は、オートグラフというスピーカーシステムの存在そのものは、
五味先生の言葉によって構築されている。
「五味オーディオ教室」「オーディオ巡礼」「西方の音」と読んできて、
やっとオートグラフの音を聴くことができた。

だが、そこで鳴っていたオートグラフの音は、私にとってはオートグラフの音ではなかった。
ここが、私にとってのオートグラフというスピーカーシステムが特別な存在であることに関係している。

五味先生の言葉を何度となくくり返しくり返し読んで、
私なりに構築し、ときには修正していったイメージとしてのオートグラフの音、
これだけが、私にとっての「オートグラフの音」である。

私にとってのオートグラフの魅力は、五味先生の言葉で成り立っている。
オートグラフだけではない、EMTの930stも同じだ。

そしてマークレビンソンのLNP2とJBLの4343の魅力は、
瀬川先生の言葉によって、私のなかでは成り立っている。

それだから、オートグラフと4343を聴くと、私の中で成り立っているイメージとの比較になってしまう。
そのイメージとは言葉だけで成り立っているものだから、虚構でしかない。

オートグラフを自分の手で鳴らすことは、ないだろう、と思っている。
4343はいつか鳴らすことがある、と思っている。

そのとき4343から抽き出したいのは、他のスピーカーシステムを鳴らして求めるものとは、違ってきて当然である。
その音は、あなたの音か、と問われれば、そうだ、と答える。
そのイメージは、私自身が瀬川先生の文章をくり返し読むことで構築してきたものであって、
私だけのイメージ(虚構)であるからだ。

Date: 7月 12th, 2011
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その14)

「コンポーネントステレオの世界 ’80」の巻頭文のタイトルは、「80年代のスピーカー界展望」にもかかわらず、
冒頭はマイケルソン&オースチンのB200の話からはじまる。

当時の輸入元の表記では、マイケルソン&オースチンだったが、
瀬川先生は、ミカエルソン&オースチンとされている。
瀬川先生の、オーディオに関する固有名詞のカタカナ表記へのこだわりは、このMichelson & Austinだけでなく、
いくつかのブランド名、型番でも見受けられることだ。

ミカエルソン&オースチンのデビュー作は、KT88プッシュプルで、出力70Wの管球式パワーアンプで、
出力管が同じで出力もほぼ同じ、さらにシャーシのクロームメッキと共通点がいくつかあったことで、
80年代のマッキントッシュMC275的存在として受けとめられていたし、
実際そのデビュー作TVA1の音は、どんなにトランジスターアンプが進歩しても出し得ないであろう、
音の質量感とでもいいたくなるものがあって、その音の質量感が、スピーカーからはなたれるとき、
音に特有の勢いがあり、真空管アンプならではのヴィヴィッドな感触を生んでくれる。

ミカエルソン&オースチンはTVA1に続き、EL34プッシュプルのTVA10を発表、
そしてEL34を片チャンネル8本使ったB200を出した。

TVA1、TVA10はステレオ仕様だったが、B200ではモノーラル仕様に変更、出力も200Wと、
そのころ発売されていたアメリカのオーディオリサーチのパワーアンプでも、
これだけの出力を実現してはいなかった、と記憶している。

すでに製造中止になっていたマッキントッシュMC3500に次ぐ出力をもつ管球式パワーアンプが、
アメリカからではなく、節倹の国イギリスから登場したことも、このアンプに対する興味を増すことになっていた。

Date: 7月 11th, 2011
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その13)

ヴィソニックとグルンディッヒとでは、あきらかにヴィソニックがオーディオの主流にあるスピーカーで、
グルンディッヒは傍流にいるスピーカー、といってもいい気がする。

瀬川先生も、
ハイファイのいわば主流の、陽の当る場所を歩いていないスピーカーのせいか、最近の音の流れ、流行、
そういったものを超越したところで、わが道を歩いているといった感じがある、とされている。

このグルンディッヒの組合せの取材のすこし前に、4343をバイアンプで、
それもアンプはすべてマークレビンソンで、ウーファー用にはML2をブリッジ接続して、ということで、
計6台のML2を使い、コントロールアンプもヘッドアンプも含めアンプはすべてモノーラル構成で鳴らされている。
詳細はステレオサウンド 53号掲載の「JBL #4343研究」をお読みいただきたい。

つまり瀬川先生自身、ハイファイのいわば主流、それも最尖端の音をこのとき追求され、
ひとつの限界といえるところまで鳴らされている。
その瀬川先生が、同時期に、陽の当らない場所を歩いているグルンディッヒのスピーカーシステムを高く評価され、
もう惚れ込まれている、といってもいいように思える。

ステレオサウンド 53号の記事の終りに書かれている。
     *
だが、音のゆきつくところはここひとつではない。この方向では確かにここらあたりがひとつの限界だろう。その意味で常識や想像をはるかに越えた音が鳴った。ひとつの劇的な体験をした。ただ、そのゆきついた世界は、どこか一ヵ所、私の求めていた世界とは違和感があった。何だろう。暖かさ? 豊饒さ? もっと弾力のある艶やかな色っぽさ……? たぶんそんな要素が、もうひとつものたりないのだろう。
     *
そしてグルンディッヒProfessional BOX 2500の組合せが載っている
「コンポーネントステレオの世界 ’80」の巻頭には、マイケルソン&オースチンのB200について書かれている。

Date: 7月 10th, 2011
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その12)

Professional BOX 2500とProfessional 2500の外観の変更は小さくないし、悪い方向に行ってしまっていても、
「コンポーネントステレオの世界 ’80」とステレオサウンド 54号の瀬川先生の試聴記を読むかぎりでは、
音の上での変更点はないようにも感じられる。

話は少しそれるが、ステレオサウンド 54号で、このスピーカーシステムに対する菅野先生の評価がむしろ低いのは、
外観も影響しているように、私は思っている。
Professional 2500の外観こそ、菅野先生がもっとも嫌われるもののひとつであるからだ。

それからもうひとつ、Professional 2500という型番は、どうも日本だけのもののような気もする。
正式な型番は、おそらくSUPER HIFI BOX 2500(Professional BOX 2500)と
SUPER HIFI BOX 2500a(Professional 2500)と思うが、ここでは日本での表記に従う。

グルンディッヒの、このスピーカーシステムの音は、どういうものなのだろうか。
「コンポーネントステレオの世界 ’80」では、
新品の状態で届いたProfessional BOX 2500を箱からとりだして鳴らした音は、どこかくすんだようだったのが、
鳴らしていくうちに、
だんだんとみずみずしい、本当の音の中身のつまったいい音になってきた、とまず語られている。

同じドイツ製の、ほぼ同価格の、しかも同じ3ウェイ構成のヴィソニックのExpuls 2と比べると、
周波数レンジの広さ、高域での細やかな音の表現ではヴィソニックのほうがまさっていて、
グルンディッヒからヴィソニックに切り替えると、音場感が拡がりしかも音が薄くなることはない。

一聴すると、どことなく古めかしい印象が残るのに、
種々なプログラムソースに対する適応性では、グルンディッヒのほうが幅広いのではないか、とされている。

このことは、とても重要なことだ。

Date: 7月 10th, 2011
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その11)

「コンポーネントステレオの世界 ’80」に登場しているProfessional BOX 2500の外観は地味な印象で、
好感の持てる、音が気に入れば手に入れたい、と思わせてくれる。
なのにステレオサウンド 54号に登場のProfessional 2500は安っぽい感じが漂っていて、
しかも、なぜこんなことをするんだろうという外観で、
これでは音が気に入ったとしても、目の前には置きたくない。
もし使うのであれば、サランネットは絶対に外さない。
そう思わせるくらい、なぜこうまで外観を下品に変えてしまっている。

Professional BOX 2500は木目のエンクロージュアに、ウーファー、スコーカー、トゥイーター、
それぞれのユニットのまわりのアルミ製と思われるフランジで、
ユニットの取りつけビスはいっさい目につかないようになっている。

ウーファーは19cm口径のコンケーブ型で、
下側のウーファーの横に、グラフが表示されているネームプレートがあり、
これにはここまで大きくしなくてもいいだろうに……、
そのぐらいは思うものの、嫌みな自己主張の感じられない仕上りとなっている。
これだったらサランネットをつけたままでも、外した状態でも、目の前にあっても気になることはない。

それなのにProfessional 2500では一変している。
使用ユニットに基本的な変更はないものの、ウーファーの外観が大きく変っている。
コンケーブ型からコーン型になり、コーン中央は白い縁取りにマークが表示されている。
それだけではない。SUPER HIFI BOX 2500a PROFESSIONAL 120/80 WATT の文字が、
フレームを一周するように、3度くり返されている。
もちろん下側のウーファーの横にはネームプレートがある。
なのにこんなに型番を連呼しなくてもいいだろうに、と厭味のひとつもいいたくなる。

店頭に目立つようにとのことだろうが、これを買った人にまで、常時型番を訴えかける必要はないのに。
買ってくれた人のことを、まるで考えていない、としか言い様がない。

Professional BOX 2500では隠してあったユニット取りつけネジは、
Professional 2500ではメッキが施され、ユニットのフレームが黒なだけに目立つようになっている。
エンクロージュアの仕上げも、モノクロ写真で見るかぎり、素っ気ない黒。

まったく理解できない変更である。

Date: 7月 9th, 2011
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その10)

瀬川先生は、グルンディッヒのProfessional 2500を聴かれたのは、ステレオサウンド 54号が最初ではない。
その前に、ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’80」で、予算50万円の組合せで、
このグルンディッヒのスピーカーシステムを使われている。
でも、これも最初ではなく、この記事の中にあるように、別の雑誌の企画で聴かれたのが最初である。

その雑誌とは、おそらくレコード芸術のことだろう。
このとき、レコード芸術で瀬川先生は連載で、「音と風土を探る」という記事を2年ほど続けられている。
連載のタイトルからもわかるように、この連載では毎号国別にスピーカーシステムを集めて試聴するというもので、
ドイツ製のスピーカーシステムが集められた回に、グルンディッヒが登場したのだろう。
あいにく、レコード芸術の連載は数号分しか手もとになく、ドイツのスピーカーシステムの号は未読だ。

グルンディッヒは、レコード芸術の取材では、はじめたいして期待もせずに聴いた、とある。
それでも、鳴らすうちにその素晴らしさに驚いて、今度の企画(コンポーネントステレオの世界 ’80)で、
ぜひ聴きなおしてみようと、ノミネートした、と語られている。

ということは、おそらくステレオサウンド 54号のスピーカーの特集に登場しているのも、
瀬川先生の推しがあったからなのかもしれない。

厳密には、54号のグルンディッヒは、Professional 2500で、
「コンポーネントステレオの世界 ’80」のグルンディッヒは、Professional BOX 2500となっている。
単に表記の違いだけのようにも思われるが、写真を見ると基本的には同じスピーカーシステムではあるが、
見た目の印象はずいぶん異る印象を与えるだけの違いが両者にはある。

Date: 7月 3rd, 2011
Cate: PM510, Rogers, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ロジャース PM510・続補足)

アルテックの620Bの組合せの中に、そのことは出てくる。

620Bの組合せをつくるにあたって、
机上プランとしてアルテックの音を生かすには新しいマッキントッシュのアンプだろう、と考えられた。
このころの、新しいマッキントッシュとはC29とMC2205のことだ。
ツマミが、C26、C28、MC2105のころから変っている。
C29+MC2205の組合せは、ステレオサウンドの試聴室でも、瀬川先生のリスニングルームでも、
「ある時期のマッキントッシュがもっていた音の粗さと、身ぶりの大きさとでもいったもが、
ほとんど気にならないところまで抑えこまれて」いて、
マッキントッシュの良さを失うことなく「今日的なフレッシュな音」で4343を鳴らしていた。

なのに実際に620Bと組み合わせてみると、うまく鳴らない。
「きわめてローレベルの、ふつうのスピーカーでは出てこないようなローレベルの歪み、
あるいは音の汚れのようなもの」が、620Bでさらけ出されうまくいかない。

瀬川先生も、4343では、C29+MC2205の
「ローレベルのそうした音を、♯4343では聴き落して」おられたわけだ。

620Bの出力音圧レべは、カタログ上は103dB。4343は93dB(どちらも新JIS)。
聴感上は10dBの差はないように感じるものの、620Bは4343よりも高能率のスピーカーである。
ロジャースのPM510は、4343と同じ93dBである。

つまり4343では聴き落しがちなC29+MC2205のローレベルの音の粗さの露呈は、
スピーカーシステムの出力音圧レベルとだけ直接関係しているのではない、ということになる。

これはスピーカーシステムの不感応領域の話になってくる。
表現をかえれば、ローレベルの再現能力ということになる。

PM510は4343ほど、いわゆるワイドレンジではない。
イギリスのスピーカーシステムとしてはリニアリティはいいけれど、
4343のように音がどこまでも、どこまでも音圧をあげていけるスピーカーでもない。
どちらが、より万能的であるかということになると4343となるが、
4343よりも優れた良さをいくつか、PM510は確かに持っている。

このあたりのことが、927Dst、A68、A740の再評価につながっているはずだ。

Date: 7月 3rd, 2011
Cate: PM510, Rogers, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ロジャース PM510・補足)

レコード芸術では、4343をスチューダーA68やルボックスのA740で鳴らすと、
4343の表現する世界が、マーレレビンソンの純正組合せで鳴らしたときも狭くなる、と発言されている。

このことだけをとりあげると、ロジャースのPM510の表現する世界も、4343と較べると狭く、
だから同じ傾向のA68、A740とうまく寄り添った結果、うまく鳴っただけのことであり、
スピーカーシステムとしての性能は、4343の方が優れている、と解釈される方もいるかもしれない。

4343とPM510では価格も違うし、ユニット構成をふくめ、投入されている物量にもはっきりとした違いがある。
PM510はイギリスのスピーカーシステムとしては久々の本格的なモノであったけれど、
4343やアメリカのスピーカーシステムを見慣れた目で見れば、
あくまでもイギリスのスピーカーにしては、ということわりがつくことになる。

だがスピーカーシステムとしての性能は……、という話になるとすこし異ってくる。

BBCモニター考」の最初に書いたことだが、
私の経験として、4343では聴きとれなかった、あるパワーアンプの音の粗さをPM510で気がついたことがあった。

「BBCモニター考」ではそのパワーアンプについてはっきりと書かなかったが、
このアンプはマッキントッシュのMC2205だった。
MC2205以前のマッキントッシュのパワーアンプならまだしも、MC2205ではそういうことはないはず、
と思われるかもしれない。私もMC2205にそういう粗さが残っていたとは思っていなかった。

しかもそのローレベルでの音の粗さが4343では聴きとれなかったから、
PM510にしたとき、MC2205の意外な程の音の粗さに驚き戸惑ってしまった。

そのときは、だれも気がついていないことを発見したような気分になっていた。
でもいま手もとにある、ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’80」の中で、
瀬川先生がすでに、MC2205のローレベルの音の粗さは、すでに指摘されていた。

Date: 7月 2nd, 2011
Cate: PM510, Rogers, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ロジャースPM510・その5)

ロジャースのPM510も、スペンドールのBCII、KEFのLS5/1A、105、セレッションのDitton66、
これらは大まかにいってしまえば、同じバックボーンをもつ。
開発時期の違いはあっても、スピーカーシステムとしての規模もそれほどの違いはない。

なのにBCII、Ditton66、それにLS5/1Aだけでは……、
PM510が登場するまではEMTの927Dstを手放そう、と思われたのはなぜなのか。
スチューダーのA68にしてもそうだ。
PM510が登場してきて、A68の存在を再評価されている。
なぜ、LS5/1A、BCII、Ditton66といったスピーカーシステムでは、
そこまで(再評価まで)のことを瀬川先生に思わせられなかったのか。

一時は手放そうと思われた927Dst、
アメリカのアンプばかりメインとして使ってこられた瀬川先生にとってのA68、
このふたつのヨーロッパ製のオーディオ機器の再評価に必要な存在だったのがPM510であり、
実はこのことが、瀬川先生に「PM510を『欲しい!!』と思わせるもの」の正体につながっているはずだ。

そして、このことは、このころから求められている音の変化にもつながっている、と思っている。

Date: 7月 2nd, 2011
Cate: PM510, Rogers, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ロジャース PM510・その4)

瀬川先生はスピーカーに関しては、システム、ユニットどちらもヨーロッパのモノを高く評価されている。
それに実際に購入されている。

音の入口となるアナログプレーヤーもEMTの930stを導入される前は、
トーレンスのTD125を使われているし、カートリッジに関してもオルトフォン、EMT、エラックなど、
こちらもヨーロッパ製のモノへの評価は高い。

けれどアンプとなると、すこし様相は違ってくる。
アンプは自作するもの、という考えでそれまでこられていた瀬川先生が最初に購入された既製品・完成品のアンプは、
マランツのModel 7であり、その#7の音を聴いたときの驚きは、何度となく書かれている。
このとき同時に購入されたパワーアンプはQUADのIIだが、こちらに対しては、わりとそっけない書き方で、
自作のパワーアンプと驚くような違いはなかった、とされている。

そして次は、JBLのプリメインアンプSA600の音の凄さに驚かれている。
SA600を聴かれたの、ステレオサウンドが創刊したばかりのことだから、1966年。
このとき1週間ほど借りることのできたSA600を、
「三日三晩というもの、仕事を放り出し、寝食を切りつめて、思いつくレコードを片端から聴き耽った」とある。

このSA600のあとにマッキントッシュのMC275で、アルテックの604Eを鳴らした音で、
お好きだったエリカ・ケートのモーツァルトの歌曲を聴いて、
この1曲のために、MC275を欲しい、と思われている。

それからはしばらくあいだがあり、1974年にマークレビンソンのLNP2と出合われた。
そしてLNP2とSAEのMark2500の組合せ、LNP2とML2の組合せ、ML6とML2Lの組合せ、となっていく。
SAEが出るまでは、パイオニアのExclusive M4を使われた時期もある。

瀬川先生のアンプの遍歴のなかに、ヨーロッパ製のアンプが登場することはない。
KEFのLS5/1Aの音に惚れ込みながらも、
ことアンプに関しては、惚れ込む対象となるヨーロッパ製のアンプはなかったとしか思えない。

Date: 7月 1st, 2011
Cate: PM510, Rogers, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ロジャース PM510・その3)

ステレオサウンド 56号、レコード芸術11月号(1980年)のころ、
瀬川先生は世田谷・砧にお住まいだった(成城と書いている人がいるが、砧が正しい)。

その砧のリスニングルームには、メインのJBL4343のほかに、
瀬川先生が「宝物」とされていたKEFのLS5/1A以外にもイギリスのスピーカーシステムはいくつかあった。
スペンドールのBCII、セレッションのディットン66、ロジャースのLS3/5A、
写真には写っていないが、ステレオサウンド 54号ではKEFの105を所有されていると発言されている。

それにスピーカーユニットではあるが、グッドマンのAXIOM80も。
イギリス製ではないけれどもドイツ・ヴィソニックのスピーカーシステムも所有されていた。

これらのスピーカーシステムを鳴らすときに、どのアンプを接がれて鳴らされたのか。
ステレオサウンド別冊「続コンポーネントステレオのすすめ」に掲載されているリスニングルームの写真では、
アンプ関係は、マークレビンソン、SAE・Mark2500、アキュフェーズC240、スチューダーA68がみえる。

アナログプレーヤーは、EMTの930stと927Dst、それにマイクロのRX5000+RY5500。
アナログプレーヤーは、マイクロがメインとなっていたのか。

ステレオサウンド 56号、レコード芸術11月号を読んでいると、そんなことを思ってしまう。
もうEMTのプレーヤーもスチューダーのパワーアンプも、もう出番は少なくなっていたのか、と。

ロジャースのPM510は、EMTの魅力を、ヨーロッパ製のアンプの良さを、
瀬川先生に再発見・再認識させる何かを持っていた、といえまいか。

聴感上の歪の少なさ、混濁感のなさ、解像力や聴感上のS/N比の高さ、といったことでは、
EMTでは927Dstでも、マイクロの糸ドライヴを入念に調整した音には及ばなかったのかもしれない。
アンプに関しては、アメリカ製の物量を惜しみなく投入したアンプだけが聴かせてくれる世界と較べると、
ヨーロッパ製のアンプの世界は、こじんまりしているといえる。

そういう意味では開発年代の古さや投入された物量の違いが、はっきりと音に現れていることにもなるが、
そのことはすべてがネガティヴな方向にのみ作用するわけでは決してなく、
贅を尽くしただけでは得られない世界を提示してくれる。

なにもマークレビンソンをはじめとする、アメリカのアンプ群が、
贅を尽くしただけで意を尽くしていない、と言いたいわけではない。
中には意を尽くしきっていない製品もあるが、意の尽くした方に、ありきたりの表現になってしまうが、
文化の違いがあり、そのことは音・響きのバックボーンとして存在している。

Date: 6月 30th, 2011
Cate: PM510, Rogers, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ロジャース PM510・その2)

レコード芸術の1980年11月号に、PM510の記事が載っている。
瀬川先生と音楽評論家の皆川達夫氏、それにレコード芸術編集部のふたりによる座談会形式で、
PM510とLS5/8の比較、PM510を鳴らすアンプの比較試聴を行なっている。
PM510というスピーカーシステム、1機種に8ページを割いた記事だ。

比較試聴に使われたアンプの組合せの以下の通り
QUAD 44+405
アキュフェーズ C240+P400
スレッショルド SL10+Stasis2
マークレビンソン ML6L+ML2L
マークレビンソン ML6L+スレッショルド Stasis2
マークレビンソン ML6L+スチューダー A68
マークレビンソン ML6L+ルボックス A740

この座談会の中にいくつか興味深いと感じる発言がある。
ひとつはマークレビンソン純正の組合せで鳴らしたところに出てくる。
     *
しばらくロジャース的な音のスピーカーから離れておりまして、JBL的な音の方に、いまなじみ過ぎていますけれども、それを基準にして聴いている限り、EMTの旧式のスタジオ・プレーヤーというのは、もうそろそろ手放そうかなと思っていたところへ、このロジャースPM510で、久々にEMTのプレーヤーを引っ張り出して聴きましたが、もうたまらなくいいんですね。
     *
ステレオサウンド 56号の記事をご記憶の方ならば、そこに927Dst、それにスチューダーのA68の組合せで、
一応のまとまりをみせた、と書かれてあることを思い出されるだろう。

このレコード芸術の記事では、スチューダー、ルボックスのパワーアンプについては、こう語られている。
     *
このPM510というスピーカーが出てきて、久々にルボックス、スチューダーのアンプの存在価値というものをぼくは再評価している次第です。
(中略)JBLの表現する世界がマークレビンソンよりスチューダー、ルボックスでは狭くなっちゃうんですね。ところがPM510の場合にはルボックスとスチューダー、それにマークレビンソンとまとめて聴いても決定的な違いというようなものじゃないような気がしますね。コンセプトの違いということでは言えるけれども、決してマークレビンソン・イズ・ベストじゃなくて、マークレビンソンの持っていないよさを聴かせる。たとえばスレッショルドからレビンソンにすると、レビンソンというのは、アメリカのアンプにしてはずいぶんヨーロッパ的な響きももっているアンプだというような気がするんですけれども、そこでルボックス、スチューダーにすると、やっぱりレビンソンも、アメリカのアンプであった、みたいな部分が出てきますね。

Date: 6月 29th, 2011
Cate: PM510, Rogers, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ロジャース PM510・その1)

瀬川先生の「音」を聴いたことのない者にとって、
その「音」を想像するには、なにかのきっかけ、引きがねとなるものがほしい。
それは瀬川先生が書かれた文章であり、瀬川先生が鳴らされてきたオーディオ機器、
その中でもやはりスピーカーシステムということになる。

となると、多くの人がJBLの4343を思い浮べるだろう。
4341でもいいし、最後に鳴らされていた4345でもいい。
ただ、JBLのスピーカーシステムばかりでは、明らかに偏ってしまった想像になってしまう危険性が大きい。

どうしても、そこにはイギリス生れのスピーカーシステムの存在を忘れるわけにはいかない。

ここに書いているように、瀬川先生はロジャースのPM510に惚れ込まれていた。

瀬川先生ご自身が、PM510を「欲しい!!」と思わせるものは、一体何か? と書かれているのだから、
第三者に、なぜそれほどまでにPM510に惚れ込まれていたのか、のほんとうのところはわかるはずもない。
それでも私なりに、瀬川先生の書かれたものを読んでいくうちに、そうではないのか、と気づいたことはある。

Date: 3月 10th, 2011
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その9)

グルンディッヒ・Professional 2500の、瀬川先生の評価菅野先生の評価がどう違うのか、は、
リンク先をお読みいただくとして、このふたりの評価は違いについては、
ステレオサウンド 54号の座談会の中でもとりあげられている。

54号での試聴は、3人の合同試聴ではなく、ひとりでの試聴である。
だから菅野先生のときのProfessional 2500の音と、瀬川先生が鳴らされたときのProfessional 2500の音が、
違っている可能性もあるわけだが、それについては座談会のなかで、
編集部の発言として、
「このスピーカに関しては、三人の方が鳴らされた音に、それほど大きな違いはなかったように思うのです」とある。
だから評価のズレが、鳴っていた音の違いによるものではない、といってもいいだろう。
となると、ふたりの聴き方の違いによる、といえるわけだが、ただそれだけで片付けられることでもない気がする。