Archive for category オーディオマニア

Date: 11月 10th, 2019
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(圧倒的であれ・その4)

11月7日のaudio wednesdayで、圧倒的であれ、がどういうことなのか、
少しは示すことができたと自負している──、
これは、別項で書いているメリディアンの218のことである。

Date: 11月 7th, 2019
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(圧倒的であれ・その3)

ほぼ五年前の(その1)で、
オーディオマニアを自認するのであれば、圧倒的であれ、とおもう、と書いた。

昨晩のaudio wednesdayでは、圧倒的であれ、がどういうことなのか、
少しは示すことができたと自負している。

Date: 10月 25th, 2019
Cate: オーディオマニア

平成をふり返って(その7)

個人情報の保護ということがいわれるようになってから、
病室の入口に、入院している患者の名前のプレートが消えていった。

私が入院していたころは、
どの部屋にどんな名前の人が入院しているのは、
部屋の前を通れば、誰でも知ることが出来た。

個人情報の保護という点では、ネームプレートをなくしたことは間違っていない。
けれど、一方で、患者の取り違えをなくすために、
患者本人に名前をフルネームで、さらに生年月日までいわせるようになっている。

こうすれば患者の取り違えは、まず起らないだろう。
でも、看護婦が患者に、病室の前の廊下で、名前と生年月日をきいているのは、
そばを通っている人の耳には、はっきりと聞こえたりする。

フルネームと生年月日が、第三者に情報が漏れてしまっている。
これで個人情報の保護を行っているつもりなんだろうか。

これがとある大学病院でのことである。
このちぐはぐさはなんだろう、と思う。

個人情報は保護しなければならない、
患者の取り違えは絶対に無くさなければならない。
この二つの重要なことの両立が、
私がたまたま訪れた大学病院ではできていなかった。

(その6)で書いている、昼間でもカーテンを閉めきって、
病室が暗くなっていることも、
入院患者の一人一人が、なんとなくではあるが、
個人情報の保護とプライバシーの確保ということに、
ずいぶん神経質になっているためなのだろうか。

Date: 10月 6th, 2019
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアと取り扱い説明書(その9)

12月に出るステレオサウンドの特集の一つはベストバイである。
マッキントッシュのMA7900はすでに製造中止になっているが、
MCD350は現行製品だから、何人かが点を入れることだろう。

ステレオサウンドの特集で、たとえば総テストだと、
そこでは試聴記とあるように、ステレオサウンドの試聴室で鳴った音について書かれる。

これはこれでいい。
けれど年末のベストバイとなると、ちょっと違ってこなければならないはずだ。

ベストバイである。
ここでは単に音がよいだけではなく、
製品としての安定性とか使いやすさとか、
そういったもろもろのことを含めての判断でのベストバイではないのか。

そして、そこには取り扱い説明書のことも含まれる。
私がベストバイの選者だったら、MCD350の音を仮に気に入っていたとしても、
三つ星をいれることはない。

それはこれまで書いてきていることが理由である。

ベストバイで点(星)を入れる製品すべての取り扱い説明書をチェックするのは、
そんなのは無理だ、とステレオサウンドのベストバイの選者はきっというだろう。

ほんとうに無理なのだろうか。
ベストバイを選出する時期になってから、
ベストバイ候補の機種すへでの取り扱い説明書をチェックするのは時間をかなりとられる。

けれど、ベストバイというのは、一年を通じて接してきたオーディオ機器に、
点を入れる行為である。

ならば最初に接した時に、
ある程度は、その人のなかで今年のベストバイ候補になるのかどうかの判断は、
ついている、と考えられる。

ならばその時点で取り扱い説明書をチェックしておけばいいだけの話だ。

少なくともベストバイで三星を入れるのであれば、
それらの製品だけでもしっかりと取り扱い説明書をチェックしたうえで、
どれだけトラブルに関しても、メーカー側がきちんと考えているのか、
そこまで読み切ってこそのプロのオーディオ評論家なのではないか。

Date: 10月 5th, 2019
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアと取り扱い説明書(その8)

この項を書くきっかけとなったのも、マッキントッシュのMA7900に関することだった。
MA7900は、その後も、一度ディスプレイに、Firmware updateと表示が出たこともある。

MA7900はスピーカーとCDプレーヤーには接続しているが、
インターネットには接続していないし、そういう端子もない。

にもかかわらず、こんな表示が出る。

どこかが明らかに故障するとか、音がおかしくなっているわけではない。
Firmware updateの表示が出ても、電源を一旦落せば消えてしまう。

とはいえ精神衛生上よくない。
今回のMCD350のデジタル出力のトラブルに関しても同じだ。

リセットすることで、いつもの音になっている。
デジタル出力も使えるようになっている。

けれど、本当にこれでいいのか、と私は思う。
出来の悪いOSで動いているパソコンではないのだから、
不具合が生じたら、一度電源を落せばいい──、
というのは、オーディオ機器の感覚からは離れている。

前回も書いたが、これが登場したばかりのメーカーの製品ならば、
そんなものだろう、とこちらも思うわけだが、
マッキントッシュの製品である。

以前のマッキントッシュならば、
一つのツマミにいくつかの機能を受け持たせるようなことを行っても、
安定していたであろうし、リセットが前提ということはなかったはずだ。

マッキントッシュは堕落し始めている──、
こんなこと思いたくなかったが、
喫茶茶会記にあるMA7900とMCD350を使っていると、否定は出来ない。

そして取り扱い説明書が、また不親切なのだ。

Date: 10月 3rd, 2019
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアと取り扱い説明書(その7)

昨晩はaudio wednesdayだった。
メリディアンの218をテーマにした音出しだった。

喫茶茶会記のCDプレーヤー、マッキントッシュのMCD350と218を接続する。
なのにロックしない。
ケーブルを替えてみてもダメ。

MCD350のデジタル出力がOFFになっているような感じだった。
MCD350のフロントパネル、リモコンを見ても、
デジタル出力をON/OFFできるボタンは見当たらない。

英文のマニュアルを取り出してもらう。
それらしい記述はどこにもない。

私はセッティングをやらなければならなかったから、
常連のHさんにマニュアルに目を通してもらった。

するとリセットの仕方が書いてある、とのこと。
特定のボタンを二つ同時に長押しすることでリセットできる、らしい。

とにかくリセットしてもらう。
今度はロックできた。

やはりリセットする前のMCD350のデジタル出力は、
なぜだかOFFになっていたようだ。

ソフトウェア的に機能を制御しようとした結果が、これだ、と思う。
プリメインアンプのMA7900でも、同じように感じた。

これが、どこか新しいメーカーの製品のことであれば、
そんなものだよなぁ、と終る。

けれど、目の前にあるのはマッキントッシュの製品である。
信頼性は高かったはずのマッキントッシュである。

しかも以前のマッキントッシュの製品ならば、
こんなトラブルは発生しなかっただろうし、
発生したとしても、マニュアルを取り出してくる必要は、ほぼなかったはずだ。

Date: 7月 12th, 2019
Cate: オーディオマニア

平成をふり返って(その6)

とにかく平成という時代に、インターネットがおそろしいスピードで普及した。
さらにスマートフォンが登場し、
四十年前にウォークマンが登場し、音楽を外へと持ち出せるようになったのと同じに、
インターネットも家でパソコンの前に座って、という接し方から、
手のひらにおさまる一枚のプレート状のモノで、ほぼどこでもいつでも、
しかも高速で接続できるようになった。

このことと関連しているのかどうか、まだなんともいえないが、
東京でもかなり大きな病院の病棟をたずねた。

そこで驚いたのは、皆、ベッドとベッドのあいだのカーテンを、
昼間でも閉めきっていることだった。

私が入院したのも、平成だった。
平成になって二年目だった。

六床部屋だった。
もちろんベッドとベッドのあいだにはナイロン製と思われるカーテンがあった。
けれど、カーテンを閉めるのは、夜だけだった。
私だけでなく、同室の他の人たちもそうだった。

私が入院していた部屋だけではなく、ほかの部屋のそうだった。

だから部屋は昼間は、とうぜんながら明るい。
なのに今回行った病院の入院病棟の部屋は、昼間でも暗い。

六床部屋で皆がカーテンを閉めているのだから、暗くなる。

この病院だけなのだろうか、
それとも、いまでは他の病院でもそうなのか。

Date: 6月 28th, 2019
Cate: オーディオマニア

無為な自由

無為な時間、
無為な日々、
Googleで「無為な」と入力すると、
これらの検索キーワードが自動的に表示される。

無為な時間にしても、無為な日々にしても、
それは捉え方次第では、無為な自由なのかもしれない。

二ヵ月ほど前、
続・何度でもくりかえす」で、
無為に耐えられないのがオーディオマニアなのかもしれないし、
無為に耐えられるようになってこそオーディオマニアだと断言できる、
と書いた。

無為な自由とオーディオマニア。
いま、そんなことを考えている。

Date: 4月 27th, 2019
Cate: オーディオマニア

平成をふり返って(その5)

東芝クレーマー事件の数年前あたりから、
マルチメディアという言葉がよく使われるようになっていた。
CD-ROMが登場してからである。

しばらくしてパーソナルメディアという言葉を、何かで目にした。
アメリカの女性による言葉だった、と記憶している。

マルチメディアにはピンとこなかった私だったが、
パーソナルメディアは、確かにそうかも、と頷けた。

とはいっても、具体的にどういうものがパーソナルメディアなのか、
パーソナルメディアといっても、個人が作れるものなのか、
そんな疑問ももっていた。

そこに東芝クレーマー事件があった。
それまでにも個人サイトはいくつもあった。

それは趣味のことを書いたものであったり、
専門家の個人サイトでは、専門分野のことであったりした。

そこに東芝クレーマー事件の個人サイトが登場した。
東芝クレーマー事件の真相がどうだったのかは、実のところはっきりしないところもある。

それでも東芝クレーマー事件の個人サイトは、
それまで公開されていた個人サイトとは、はっきりと毛色が違っていた。

私にとって、東芝クレーマー事件の個人サイトは、パーソナルメディアの具体例、
それも最初の具体例であった。

東芝クレーマー事件の一年以上前から、
オーディオのウェブサイトをつくろう、と思ってきていた。

ただつくろう、つくりたい、と思っていただけで、
具体的な内容についてはほとんど考えていなかった時期に、
東芝クレーマー事件のサイトの登場であったわけだ。

Date: 4月 25th, 2019
Cate: オーディオマニア

「シャカリキ!」(その1)

今日、24年ぶりに少年チャンピオンを買った。
今日発売の21+22号は、創刊50周年の特別企画として、
以前掲載されていたマンガを再掲載している。

21+22号には、曽田正人氏の「シャカリキ!」である。
1992年から1995年まで、私はこの「シャカリキ!」に胸を熱くしていた。

もう30になっていたのに、まだ少年マンガ雑誌を買っていたのか、とバカにされようが、
なんとも思わない。

「シャカリキ!」によってロードバイクに興味を持った。
オーディオもそうだが、自転車も、私の周りにやっている人はいなかった。

オーディオは「五味オーディオ教室」、
自転車は「シャカリキ!」から始まっている。

今回再掲載されたエピソードは、第134話の「坂の求道者」である。
どのエピソードが再掲載されているのかは、買ってみるまでわからなかった。
ページをめくって、やっぱりこのエピソードか、とおもう。

「坂の求道者」で、主人公の野々村輝の母親が、心の中で呟いている。
《自転車でしか伝えられない
 この子はそういう子なんだわ》

当時、何度も読み返していた。
一度目、二度目と読み、
三度目くらいで、ふと己をふり返った。

《オーディオでしか伝えられない》ことを持っているだろうか、と。

三年ほど前「会って話すと云うこと(その8)」で書いたころとは、
この時期でもある。

そのころの私は、
「私のオーディオの才能は、私のためだけに使う。」

こんなことをいっていた。
ある知人が、せっかくの才能なんだからオーディオの仕事をしたらどうですか、
何か書いたらどうですか、
そんなことを何度もいっていたから、
それに対して、こう言って返した。

けっこう本気でそう思っていた。
これこそがいちばん贅沢かもしれない、とも思っていた。

そう思い込もうとしていただけかもしれないが……。

「会って話すと云うこと(その8)」でも書いてるが、
「シャカリキ!」とともに、このころ川崎先生のDesign Talkを読んでいた。

読んでいなかったら、そのままでいまもいたかもしれない。
こんなふうに毎日ブログを書くことはやっていない。

《オーディオでしか伝えられない》ことを持っているからオーディオマニアのはずだ。

Date: 4月 24th, 2019
Cate: オーディオマニア

平成をふり返って(その4)

東芝クレーマー事件についての詳細は、検索していただきたい。
私が書きたいのは、
この事件(なのか)の中心人物の個人サイトで公開された音声に関して、である。

東芝の渉外管理室の担当者の電話対応の録音は、衝撃的だった。
暴言を吐かれた、といったことが、そのサイトには書かれていた。
音声を公開しました、ともあった。

最初は聞く気はなかった。
当時はダイヤルアップ回線でインターネットに接続していた。
従量制だったから、そんなものを聞くのに、わざわざ接続するのもなぁ……ぐらいだった。

それに大袈裟に書いてあるものだとばかり思っていた。
先に聞いた友人から、驚くよ、という連絡があった。

ほんとうかなぁ、と疑いつつも聞いてみると驚く。
東芝のビデオデッキを購入し、修理を依頼し、個人サイトを公開した人物と、
東芝のどちらに非があるのか、そういうことは全部吹き飛ぶほどに暴言(恫喝に近い)だった。

この人物が東芝に対して要求していたことは、
クレームだったのか、コンプレイントだったのか。

別項『「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その56)』で書いているように、
クレーム(claim)とは、原語では、正当な主張、もしくは請求の意味であり、
いまの日本で一般的に通用しているクレーム、
つまり英語のclaimではなく、日本語のクレームは、英語のコンプレイント(complaint)である。

コンプレイントは、苦情、不平である。

東芝クレーマー事件の「クレーマー」は、
コンプレイントのほうであろう。
けれど渉外管理室の担当者の暴言によって、
コンプレイントはクレームへとなっていったのか。

東芝クレーマー事件以前にも、同じようなことは、各メーカーでもあったのかもしれない。
けれど、それらは表に出てこなかった。
関係のない人たちが知ることはまずなかった。

けれどインターネットの普及は、そこを変えた。

Date: 4月 18th, 2019
Cate: オーディオマニア

平成をふり返って(その3)

スマートフォンが普及し出したのは、いまから十年も経っていないころからである。
なので平成の終りの三分の一ほどのことではあり、
スマートフォンがなかった平成のほうが長かったのは頭ではわかっていても、
平成という元号の三十年は、電話のパーソナル化の時代だったように感じる。

昭和の終りごろに登場した携帯電話は、肩から下げるタイプで、大きく重かった。
高価だったから触ったことはないが、
一度だけ駅のホームで話している人をみかけたことがある。

料金は高かったはずだ。
その人は「これから帰ります」と手短に話して通話を切っていた。
これが昭和の携帯電話だった。

昭和の時代、電話は一人一台というモノではなかった。
一家に一台というモノだった。

それがいまでは掌におさまるサイズで、
この進歩は真空管式ラジオがトランジスター式ラジオにかわり、
さらにIC化されカードサイズになっていったのをはるかに超えている。

私が通っていた小学校には、教室に真空管式のラジオがあった。
もちろん飾りではなく、いちおう動作していた。

私が通っていたころに創立百周年をむかえるくらい古くからの学校だから、
設備も、このラジオの例のように部分部分で古かった。

なにか特別な放送だったのだろう、
皆でラジオを聞こうということになったが、ほとんど使っていない古いラジオゆえに、
うまく受信できない。

誰かがラジオから出ているアース線の先端を口にくわえた。
するとそれまでノイズに音声が埋もれていたような受信状態がかなりよくなって、
音声が聞き取れるようになった。

そんなこともあった。
それがいまやスマートフォンで、そんなことをせずにノイズなく聞ける。

携帯電話とともにインターネットもパーソナル化されていった結果といえよう。
インターネットのパーソナル化で思い出すのは、
1999年の、東芝クレーマー事件と呼ばれる出来事だ。

Date: 4月 17th, 2019
Cate: オーディオマニア

平成をふり返って(その2)

西荻窪にはつねというラーメン店がある。
良く知られている店だ。

ステレオサウンドにいたころ、西荻窪に住んでいた。
会社の帰りや行きに、
オーディオ評論家のところに資料を届けたり、原稿を受けとったりするのに便利ということもあっての、
西荻窪という選択だった。

私がいたころのステレオサウンドは10時出社18時退社だった。
忙しい時期は無理だけど、残業のない時期は、18時ぴったりに会社を出れる。

そのころのはつねは19時閉店だった(いまは17時閉店)。
寄り道することなくまっすぐ西荻窪を目指せば、19時の閉店に間に合う。
それに、いまのように行列もなかった。

はつねの閉店に間に合う時期には、週二回は行っていた。
三回の時もあったほどに気に入っていた。

西荻窪を離れてからは足が遠のいた。
それに行列店になってしまったし、閉店の時間も早まった。

ここ数年、思い出して行っている。
今日も17時になんとか間に合った。
最後から二人目の客になった。

店の雰囲気は、昔とほとんど変らない。
以前は七席あったと記憶していたが、いまは六席である。

私の分が出来上るまでの待ち時間、気づいたことがある。
満席だった客、誰もスマートフォンを触っていないことに気づいた。

食べている人はもちろんだが、待っている人誰もスマートフォンを触っていない。
私は昔と同じように店主がつくるのを眺めていた。

途中で、私のあとに入ってきた本日最後の客となった人がスマートフォンを取り出すまで、
はつねの店内は昭和のようだった。

Date: 3月 31st, 2019
Cate: オーディオマニア

平成をふり返って(その1)

SNSを眺めていたら、今日(3月31日)で、平成が終る、と勘違いしている人が、
少ないながらもいるらしい、ということを知った。

あと一ヵ月で平成が終る。

三十年ちょっと続いた平成は、
私にとっては名刺を持たなかった三十年である。

ステレオサウンドで働くようになって、初めての名刺。
そのこと自体が、とても誇らしく感じられた。

ステレオサウンドは平成元年1月20日付けで辞めている。
とはいっても有給休暇が残っていたので、12月下旬で辞めていた、といっていい。

だから平成になってからステレオサウンドの名刺を使うことはなかったし、
新しい名刺を持つこともなかった。

それでも一度だけ、名刺を作ったといえば作っている。
2002年に、自宅でクラリスワークスで名刺をレイアウトして、
名刺用のプリント用紙に印刷しての名刺だ。

私自身の名刺というより、audio sharingの名刺であり、
川崎先生に渡すための名刺として、であった。

一枚のプリント用紙で、十枚の名刺ができた。
その十枚だけが、平成の時代に作った名刺のすべてであり、
使ったのは川崎先生に渡した一枚だけだった。

「仕事は?」と誰かにきかれると、
「オーディオマニア」とこたえる私だから、これでいいんだろう。

Date: 3月 24th, 2019
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その40)

つきあいの長い音は、原風景へとなっていくのか。