Archive for category オーディオマニア

Date: 10月 3rd, 2019
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアと取り扱い説明書(その7)

昨晩はaudio wednesdayだった。
メリディアンの218をテーマにした音出しだった。

喫茶茶会記のCDプレーヤー、マッキントッシュのMCD350と218を接続する。
なのにロックしない。
ケーブルを替えてみてもダメ。

MCD350のデジタル出力がOFFになっているような感じだった。
MCD350のフロントパネル、リモコンを見ても、
デジタル出力をON/OFFできるボタンは見当たらない。

英文のマニュアルを取り出してもらう。
それらしい記述はどこにもない。

私はセッティングをやらなければならなかったから、
常連のHさんにマニュアルに目を通してもらった。

するとリセットの仕方が書いてある、とのこと。
特定のボタンを二つ同時に長押しすることでリセットできる、らしい。

とにかくリセットしてもらう。
今度はロックできた。

やはりリセットする前のMCD350のデジタル出力は、
なぜだかOFFになっていたようだ。

ソフトウェア的に機能を制御しようとした結果が、これだ、と思う。
プリメインアンプのMA7900でも、同じように感じた。

これが、どこか新しいメーカーの製品のことであれば、
そんなものだよなぁ、と終る。

けれど、目の前にあるのはマッキントッシュの製品である。
信頼性は高かったはずのマッキントッシュである。

しかも以前のマッキントッシュの製品ならば、
こんなトラブルは発生しなかっただろうし、
発生したとしても、マニュアルを取り出してくる必要は、ほぼなかったはずだ。

Date: 7月 12th, 2019
Cate: オーディオマニア

平成をふり返って(その6)

とにかく平成という時代に、インターネットがおそろしいスピードで普及した。
さらにスマートフォンが登場し、
四十年前にウォークマンが登場し、音楽を外へと持ち出せるようになったのと同じに、
インターネットも家でパソコンの前に座って、という接し方から、
手のひらにおさまる一枚のプレート状のモノで、ほぼどこでもいつでも、
しかも高速で接続できるようになった。

このことと関連しているのかどうか、まだなんともいえないが、
東京でもかなり大きな病院の病棟をたずねた。

そこで驚いたのは、皆、ベッドとベッドのあいだのカーテンを、
昼間でも閉めきっていることだった。

私が入院したのも、平成だった。
平成になって二年目だった。

六床部屋だった。
もちろんベッドとベッドのあいだにはナイロン製と思われるカーテンがあった。
けれど、カーテンを閉めるのは、夜だけだった。
私だけでなく、同室の他の人たちもそうだった。

私が入院していた部屋だけではなく、ほかの部屋のそうだった。

だから部屋は昼間は、とうぜんながら明るい。
なのに今回行った病院の入院病棟の部屋は、昼間でも暗い。

六床部屋で皆がカーテンを閉めているのだから、暗くなる。

この病院だけなのだろうか、
それとも、いまでは他の病院でもそうなのか。

Date: 6月 28th, 2019
Cate: オーディオマニア

無為な自由

無為な時間、
無為な日々、
Googleで「無為な」と入力すると、
これらの検索キーワードが自動的に表示される。

無為な時間にしても、無為な日々にしても、
それは捉え方次第では、無為な自由なのかもしれない。

二ヵ月ほど前、
続・何度でもくりかえす」で、
無為に耐えられないのがオーディオマニアなのかもしれないし、
無為に耐えられるようになってこそオーディオマニアだと断言できる、
と書いた。

無為な自由とオーディオマニア。
いま、そんなことを考えている。

Date: 4月 27th, 2019
Cate: オーディオマニア

平成をふり返って(その5)

東芝クレーマー事件の数年前あたりから、
マルチメディアという言葉がよく使われるようになっていた。
CD-ROMが登場してからである。

しばらくしてパーソナルメディアという言葉を、何かで目にした。
アメリカの女性による言葉だった、と記憶している。

マルチメディアにはピンとこなかった私だったが、
パーソナルメディアは、確かにそうかも、と頷けた。

とはいっても、具体的にどういうものがパーソナルメディアなのか、
パーソナルメディアといっても、個人が作れるものなのか、
そんな疑問ももっていた。

そこに東芝クレーマー事件があった。
それまでにも個人サイトはいくつもあった。

それは趣味のことを書いたものであったり、
専門家の個人サイトでは、専門分野のことであったりした。

そこに東芝クレーマー事件の個人サイトが登場した。
東芝クレーマー事件の真相がどうだったのかは、実のところはっきりしないところもある。

それでも東芝クレーマー事件の個人サイトは、
それまで公開されていた個人サイトとは、はっきりと毛色が違っていた。

私にとって、東芝クレーマー事件の個人サイトは、パーソナルメディアの具体例、
それも最初の具体例であった。

東芝クレーマー事件の一年以上前から、
オーディオのウェブサイトをつくろう、と思ってきていた。

ただつくろう、つくりたい、と思っていただけで、
具体的な内容についてはほとんど考えていなかった時期に、
東芝クレーマー事件のサイトの登場であったわけだ。

Date: 4月 25th, 2019
Cate: オーディオマニア

「シャカリキ!」(その1)

今日、24年ぶりに少年チャンピオンを買った。
今日発売の21+22号は、創刊50周年の特別企画として、
以前掲載されていたマンガを再掲載している。

21+22号には、曽田正人氏の「シャカリキ!」である。
1992年から1995年まで、私はこの「シャカリキ!」に胸を熱くしていた。

もう30になっていたのに、まだ少年マンガ雑誌を買っていたのか、とバカにされようが、
なんとも思わない。

「シャカリキ!」によってロードバイクに興味を持った。
オーディオもそうだが、自転車も、私の周りにやっている人はいなかった。

オーディオは「五味オーディオ教室」、
自転車は「シャカリキ!」から始まっている。

今回再掲載されたエピソードは、第134話の「坂の求道者」である。
どのエピソードが再掲載されているのかは、買ってみるまでわからなかった。
ページをめくって、やっぱりこのエピソードか、とおもう。

「坂の求道者」で、主人公の野々村輝の母親が、心の中で呟いている。
《自転車でしか伝えられない
 この子はそういう子なんだわ》

当時、何度も読み返していた。
一度目、二度目と読み、
三度目くらいで、ふと己をふり返った。

《オーディオでしか伝えられない》ことを持っているだろうか、と。

三年ほど前「会って話すと云うこと(その8)」で書いたころとは、
この時期でもある。

そのころの私は、
「私のオーディオの才能は、私のためだけに使う。」

こんなことをいっていた。
ある知人が、せっかくの才能なんだからオーディオの仕事をしたらどうですか、
何か書いたらどうですか、
そんなことを何度もいっていたから、
それに対して、こう言って返した。

けっこう本気でそう思っていた。
これこそがいちばん贅沢かもしれない、とも思っていた。

そう思い込もうとしていただけかもしれないが……。

「会って話すと云うこと(その8)」でも書いてるが、
「シャカリキ!」とともに、このころ川崎先生のDesign Talkを読んでいた。

読んでいなかったら、そのままでいまもいたかもしれない。
こんなふうに毎日ブログを書くことはやっていない。

《オーディオでしか伝えられない》ことを持っているからオーディオマニアのはずだ。

Date: 4月 24th, 2019
Cate: オーディオマニア

平成をふり返って(その4)

東芝クレーマー事件についての詳細は、検索していただきたい。
私が書きたいのは、
この事件(なのか)の中心人物の個人サイトで公開された音声に関して、である。

東芝の渉外管理室の担当者の電話対応の録音は、衝撃的だった。
暴言を吐かれた、といったことが、そのサイトには書かれていた。
音声を公開しました、ともあった。

最初は聞く気はなかった。
当時はダイヤルアップ回線でインターネットに接続していた。
従量制だったから、そんなものを聞くのに、わざわざ接続するのもなぁ……ぐらいだった。

それに大袈裟に書いてあるものだとばかり思っていた。
先に聞いた友人から、驚くよ、という連絡があった。

ほんとうかなぁ、と疑いつつも聞いてみると驚く。
東芝のビデオデッキを購入し、修理を依頼し、個人サイトを公開した人物と、
東芝のどちらに非があるのか、そういうことは全部吹き飛ぶほどに暴言(恫喝に近い)だった。

この人物が東芝に対して要求していたことは、
クレームだったのか、コンプレイントだったのか。

別項『「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その56)』で書いているように、
クレーム(claim)とは、原語では、正当な主張、もしくは請求の意味であり、
いまの日本で一般的に通用しているクレーム、
つまり英語のclaimではなく、日本語のクレームは、英語のコンプレイント(complaint)である。

コンプレイントは、苦情、不平である。

東芝クレーマー事件の「クレーマー」は、
コンプレイントのほうであろう。
けれど渉外管理室の担当者の暴言によって、
コンプレイントはクレームへとなっていったのか。

東芝クレーマー事件以前にも、同じようなことは、各メーカーでもあったのかもしれない。
けれど、それらは表に出てこなかった。
関係のない人たちが知ることはまずなかった。

けれどインターネットの普及は、そこを変えた。

Date: 4月 18th, 2019
Cate: オーディオマニア

平成をふり返って(その3)

スマートフォンが普及し出したのは、いまから十年も経っていないころからである。
なので平成の終りの三分の一ほどのことではあり、
スマートフォンがなかった平成のほうが長かったのは頭ではわかっていても、
平成という元号の三十年は、電話のパーソナル化の時代だったように感じる。

昭和の終りごろに登場した携帯電話は、肩から下げるタイプで、大きく重かった。
高価だったから触ったことはないが、
一度だけ駅のホームで話している人をみかけたことがある。

料金は高かったはずだ。
その人は「これから帰ります」と手短に話して通話を切っていた。
これが昭和の携帯電話だった。

昭和の時代、電話は一人一台というモノではなかった。
一家に一台というモノだった。

それがいまでは掌におさまるサイズで、
この進歩は真空管式ラジオがトランジスター式ラジオにかわり、
さらにIC化されカードサイズになっていったのをはるかに超えている。

私が通っていた小学校には、教室に真空管式のラジオがあった。
もちろん飾りではなく、いちおう動作していた。

私が通っていたころに創立百周年をむかえるくらい古くからの学校だから、
設備も、このラジオの例のように部分部分で古かった。

なにか特別な放送だったのだろう、
皆でラジオを聞こうということになったが、ほとんど使っていない古いラジオゆえに、
うまく受信できない。

誰かがラジオから出ているアース線の先端を口にくわえた。
するとそれまでノイズに音声が埋もれていたような受信状態がかなりよくなって、
音声が聞き取れるようになった。

そんなこともあった。
それがいまやスマートフォンで、そんなことをせずにノイズなく聞ける。

携帯電話とともにインターネットもパーソナル化されていった結果といえよう。
インターネットのパーソナル化で思い出すのは、
1999年の、東芝クレーマー事件と呼ばれる出来事だ。

Date: 4月 17th, 2019
Cate: オーディオマニア

平成をふり返って(その2)

西荻窪にはつねというラーメン店がある。
良く知られている店だ。

ステレオサウンドにいたころ、西荻窪に住んでいた。
会社の帰りや行きに、
オーディオ評論家のところに資料を届けたり、原稿を受けとったりするのに便利ということもあっての、
西荻窪という選択だった。

私がいたころのステレオサウンドは10時出社18時退社だった。
忙しい時期は無理だけど、残業のない時期は、18時ぴったりに会社を出れる。

そのころのはつねは19時閉店だった(いまは17時閉店)。
寄り道することなくまっすぐ西荻窪を目指せば、19時の閉店に間に合う。
それに、いまのように行列もなかった。

はつねの閉店に間に合う時期には、週二回は行っていた。
三回の時もあったほどに気に入っていた。

西荻窪を離れてからは足が遠のいた。
それに行列店になってしまったし、閉店の時間も早まった。

ここ数年、思い出して行っている。
今日も17時になんとか間に合った。
最後から二人目の客になった。

店の雰囲気は、昔とほとんど変らない。
以前は七席あったと記憶していたが、いまは六席である。

私の分が出来上るまでの待ち時間、気づいたことがある。
満席だった客、誰もスマートフォンを触っていないことに気づいた。

食べている人はもちろんだが、待っている人誰もスマートフォンを触っていない。
私は昔と同じように店主がつくるのを眺めていた。

途中で、私のあとに入ってきた本日最後の客となった人がスマートフォンを取り出すまで、
はつねの店内は昭和のようだった。

Date: 3月 31st, 2019
Cate: オーディオマニア

平成をふり返って(その1)

SNSを眺めていたら、今日(3月31日)で、平成が終る、と勘違いしている人が、
少ないながらもいるらしい、ということを知った。

あと一ヵ月で平成が終る。

三十年ちょっと続いた平成は、
私にとっては名刺を持たなかった三十年である。

ステレオサウンドで働くようになって、初めての名刺。
そのこと自体が、とても誇らしく感じられた。

ステレオサウンドは平成元年1月20日付けで辞めている。
とはいっても有給休暇が残っていたので、12月下旬で辞めていた、といっていい。

だから平成になってからステレオサウンドの名刺を使うことはなかったし、
新しい名刺を持つこともなかった。

それでも一度だけ、名刺を作ったといえば作っている。
2002年に、自宅でクラリスワークスで名刺をレイアウトして、
名刺用のプリント用紙に印刷しての名刺だ。

私自身の名刺というより、audio sharingの名刺であり、
川崎先生に渡すための名刺として、であった。

一枚のプリント用紙で、十枚の名刺ができた。
その十枚だけが、平成の時代に作った名刺のすべてであり、
使ったのは川崎先生に渡した一枚だけだった。

「仕事は?」と誰かにきかれると、
「オーディオマニア」とこたえる私だから、これでいいんだろう。

Date: 3月 24th, 2019
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その40)

つきあいの長い音は、原風景へとなっていくのか。

Date: 11月 30th, 2018
Cate: オーディオマニア

ドン・ジョヴァンニとマントヴァ侯爵(その3)

昨晩の飲み会で、「本当の恋愛」ということが話題にのぼった。
「本当の恋愛」というのは、どういうことなのか。

よく「本当の恋愛をしたことがあるのか」と問われるシーンが、
物語のなかにあったりする。
実際に、先輩からそういわれたことがある人もいる。

そう問うた人は、本当の恋愛がどういうものなのか、
きちんと説明できるのかどうか。

本当の恋愛……、
そんなことがあっただろうかと思い出すまでもなく、
なかった、とすぐに思っていた。

結局のところ、私にとって本当の恋愛とは、
オーディオよりも常に優先する恋愛なのかもしれない。
だから、本当の恋愛はなかった──、とそんなことを話していた。

Date: 9月 18th, 2018
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアと取り扱い説明書(その6)

その2)で、MA7900のUSB端子によるデジタル入力を使うには、
入力セレクターをまわしていけばいいというものではないことを書いた。
バランス入力に関しても同じある。

入力セレクターどれだけまわしても、バランス入力になるわけではない。
ここでまた取り扱い説明書が必要になる。

しかもMA7900の取り扱い説明書は印刷物を綴じているわけではない。
一枚一枚バラバラの状態である。
こうなると、さらに面倒に感じてしまう。

それでもわかりやすい取り扱い説明書ならば、ここにこんなことを書きはしない。
いまではオーディオ機器がどんどん高価になっていっている。
そんな状況では、マッキントッシュのMA7900は、さほど高価とはいえなくなっているのかもしれない。
それでも現実には、数十万円の出費を要する。

そういうオーディオ機器の取り扱い説明書が、これなのか、と少々がっかりもする。
MA7900は、その機能の割にフロントパネルのツマミが少ないのは、
その3)でも書いているように、整理と省略を意図して、のはずだ。

私はMA7900に触れるのはaudio wednesdayで、月一回だけである。
そのくらいの頻度だから、バランス入力に切替えるにしても、
取り扱い説明書が必要になるし、その取り扱い説明書のどこに書いてあるのかをまず探す。
それから取り扱い説明書を見ながら、いじるわけだ。

一回やれば、難しいことではない、のはわかる。
ければ、月一回しか触らない私には、
次に同じようなことをやろうとしたときには、また忘れたりする可能性もある。

さすがに、今回のことで、入力セレクターに関しては、忘れないだろうが、
こんな感じで触っていると、ちょっといらいらする。
いらいらしながら、これはマッキントッシュの製品なのだろうか、と悪態をつきたくなる。

以前のマッキントッシュならば、こんなことを思いはしなかったはずだ。
そういえば、そのころのマッキントッシュの取り扱い説明書は、どんなふうだったのだろうか。
いまごろになって気になっている。

Date: 7月 29th, 2018
Cate: オーディオマニア

夏の終りに(情熱とは・その4)

今日(7月29日)で、2018年のツール・ド・フランスは終る。
昨日の個人タイムトライアルが終了した時点で、総合優勝は決っている。

夏はまだまだ続くが、ツール・ド・フランスは今日で終る。
20年前のツール・ド・フランスのことは、いまも思い出す。

マルコ・パンターニが総合優勝した。
1994年のツール・ド・フランスでのパンターニの走りを知ったときから、
パンターニを応援していたものの、
1998年も前年の優勝者ヤン・ウルリッヒが勝つものだと思っていた。

けれど20年前の7月27日。
悪天候の中のレースで波瀾があり、パンターニが総合首位に立った。

レースの途中で、テレビ画面の下に、誰がトップを走っていて、
後続とのタイム差はどのくらいなのか、そういった情報が表示される。

パンターニが山岳コースでアタックをかけてどのくらい経ったのか、
そこに暫定マイヨジョーヌとしてパンターニの名前が表示された。

心の中で歓声を挙げた。
そんなことを思い出しながら、
パンターニは、山岳のしんどさから少しでも早く抜け出したがっていたことを、
ずいぶん後のインタヴュー記事で知る。

自転車で走ることは楽しい。
速く走れることも楽しい。
けれど、しんどいことから逃れられるわけではない。
登坂ではしんどさは増す。

山岳を誰よりも速く走ることは快感でもあったはず。
パンターニがどう感じていたのかは、いまとなっては確認のしようもないが、
山岳のしんどさから速く抜け出したい──、
という気持と同じ気持をまったく持っていないと言い切れるオーディオマニアはいるのか。

抜け出したい──、
そうどこかで思っているオーディオマニアも、情熱的と周りから思われているのではないか。

Date: 7月 26th, 2018
Cate: オーディオマニア

All Day I Dream About Sound

昨晩、近所を歩いていてすれ違った人のTシャツに、
All
Day
I
Dream
About
Sport
とあった。

adidasのTシャツだった。
adidasの社名の由来は違うのだから、
後付けで、別の意味をもたせたのだろうが、
オーディオマニアも、adidasだな、と思っていた。

All Day I Dream About Soundだから。