音の種類(その1)
突き破れない音、
突き破れる音、
突き破ろうとあがいている音、
突き破りかけている音、
──それぞれがあると感じている。
突き破れない音、
突き破れる音、
突き破ろうとあがいている音、
突き破りかけている音、
──それぞれがあると感じている。
M&KのSatellite-IA + Volkswooferを、
ごくふつうに鳴らした音は、品位に欠ける音、とまず言いたくなる。
使用されているユニットのクォリティがそれほど高くないのだろうか、
最初に鳴ってきた音を聴いた瞬間は、
なぜこのスピーカーが、アメリカで売れているのか、理解できなかった。
コンセプトとしては、おもしろいスピーカーシステムといえる。
サブウーファーに関しては、フィルターの信号処理、
内蔵アンプの高効率化など、1980年のころとは大きく変化している。
BOSEの501は、M&Kに近いスタイルのスピーカーでもあった。
とはいえ、スピーカーは出てくる音がすべて、ともいえる。
出てくる音は、スピーカーの能力だけでなく、鳴らし手の能力も深く関係してるのはいうまでもない。
井上先生の手にかかると、M&Kのスピーカーから品位ある音が聴けるようになるわけではない。
それでもSatelliteスピーカーの結線をあれこれ試して、
Volkswooferの位置、レベルなどを調整されていくと、
不思議と、楽しいスピーカーシステムなんだ、と思えてくる。
聴いていると楽しい、と思う。
オーディオの面白さは、単にクォリティの追求だけではないことが、
井上先生の鳴らすM&Kのスピーカーの音を聴いていると感じる。
オーディオには遊びの要素もあることに気づかされる、ともいえる。
けれど井上先生が鳴らされるM&Kと同じ音を当時、私一人で鳴らせるかといえば、無理だった。
ステレオサウンドの試聴室では、
基本的なセッティングは編集部がやるし、
試聴しながらのチューニングも、井上先生の指示で編集部がやる。
体を動かしていたのは編集部(つまり私)だったけれど、
一度システムをバラして、もう一度セッティングし直して、同じ音を出す自信はなかった。
つまりM&Kのスピーカーを楽しむことを、一人ではできなかった。
いまはどこも輸入していないのだから試しようがないけれど、
M&Kのスピーカーシステムのもつ楽しさを抽き出す自信はある。
そうなると、この項のテーマについても、
20代前半のころといまとでは違っているところも出てきている。
書きたいことは、つねにいくつもある。
にも関わらず、まだ書いていないこともいくつもある。
その書きたいことをどこに書こうか、と迷うからだ。
どのテーマ、どのタイトルのところに書こうと同じであるならば、
思いつくままに書いていくのだが、
書いている人ならば、どのテーマ、どのタイトルに書くかによって、
書き始めは同じでも、途中から変っていくのを感じているはずだ。
このことも以前から書こうと思っていた。
結局、ここに書くことにした。
アメリカにM&Kというスピーカーブランドがある。
1980年代は、三洋電機貿易が輸入元だった。
その後、輸入元がなくなったが、数年前に一時期タイムロードが輸入していた。
M&Kのスピーカーシステムは、Satelliteと呼ばれる小型スピーカーと、
Volkswooferと呼ばれるサブウーファーから成るのが特徴だ。
単独での使用も可能だし、単売していたものの、
実際にはSatellite + Volkswooferの組合せが前提であったし、
ステレオサウンドの試聴室では、いつもこの組合せで聴いていた。
Satelliteスピーカーには二種類あり、主に聴いたのは上級機のSatellite-IA。
13cm口径ウーファーを縦方向に二発、
ドーム型トゥイーターも縦方向に二発配置していて、
それぞれのウーファー、トゥイーターの結線方法を変えることで、
六つの音が楽しめるようになっていた。
これにパワーアンプ内蔵のサブウーファーVolkswooferを組合せるわけだから、
調整の幅は、通常のスピーカーシステムよりも大きかった。
アメリカではけっこうな数売れていたらしいが、
日本での評価は高いものではなかった。
だから輸入されなくなったわけだし、タイムロードもいまは輸入していない。
そんなスピーカーをあえて取り上げているのは、
井上先生が鳴らした場合だけ、このM&Kのスピーカーは楽しい音を聴かせてくれるからだ。
グッド・ミュージックとバッド・ミュージック。
ミュージックのところを別の単語に置き換える。
そうすると、
バッド・ミュージシャンのミュージシャンも、別の単語に置き換えられる。
バッド・ミュージシャンをバッド・リスナーとしてみると、
グッド・ミュージックは、何に置き換えられるのか。
グッド・ミュージックのままでもいいし、
グッド・サウンドでもいいような気がする。
ミュージックもミュージシャン、
どちらもリスナーに置き換えられる。
けれど、
オーネット・コールマンの
「音楽はすべてグッド・ミージックだ、ただしバッド・ミュージシャンがいる」は、
ジャッキー・マクリーンの
「音楽にはグッド・ミュージックとバッド・ミュージックの二つしかない」を受けてのものである。
このことを前提として置き換えるのなら、
グッド・リスナーとバッド・リスナーとして場合に、
バッド・ミュージシャンのところは、どう置き換えるのか。
バッド・リスニング(悪い聴き方)になるのだろうか。
「音楽にはグッド・ミージックとバッド・ミュージックという二つのジャンルしかない」、
いいまわしは微妙に違っていても、わりとみかけることがある。
あの人がいっていたとか、
自分で思いついたように書いてあったりするが、
グッド・ミージックとバッド・ミュージックについて語っているのは、
ジャッキー・マクリーンが、私の知っている範囲ではもっとも古い。
ジャズに明るくない私だから、詳しいことは知らないが、
オーネット・コールマンを迎えたアルバムのライナーノートに、
この言葉は載っている、とのこと。
となると”NEW AND OLD GOSPEL”ということになるのか。
このディスクを持っていないから、確かめようがないが、
そうだとすれば、1968年のこととなる。
どこかで見たことを、自分で思いついたようにいうことを書きたいわけではなく、
そのライナーノートで、オーネット・コールマンは、それを否定していた、ということ。
オーネット・コールマンは、
「音楽はすべてグッド・ミージックだ、ただしバッド・ミュージシャンがいる」と。
そうかも、と思うだけでなく、
ふたりの言葉は、音楽だけでなく、他の分野にもあてはまる。
ある料理を、複数の人で食べたとする。
料理でなくともいい、日本酒であったり、ワインであったり、他の食べ物、飲み物でもいい。
とにかく同じものを、複数の人で食べる(もしくは飲む)。
これは、複数の人が同じ食べ物(飲み物)を食べた(飲んだ)、といえる。
口にいれた食べ物(飲み物)をどう感じるかは、人によって違うところがある。
それでも同じ食べ物(飲み物)を口に入れた、といえる。
音はどうだろうか。
同じ部屋で同じ時間に、ある音を聴く。
座る位置で音は違うから、くり返し同じディスクを鳴らして、
みな同じ位置で音を聴く。
理屈でいえば、みな同じ音を聴いた、といえるのだが、
感覚的に、ほんとうにそういえるだろうか、と思ってしまう。
同じ音を聴いたとしても、感じ方は人それぞれであることは、
食べ物(飲み物)と同じであるのもわかっている。
そういうこととは少し違うところで、人は同じ音を聴けるのだろうか、という疑問がある。
人それぞれ感じ方が違うから、結果として違う音を聴いていた、とはいわない。
それでは食べ物(飲み物)にも同じことはいえる。
いまはまだうまく説明できないのだが、食べ物(飲み物)と同じにはいえない性質が、
音にはあって、そのことによって、同じ音を複数の人が聴くことはできないのではないのか。
(その1)で書いたことは、
自分にとっての「いい音、よい音」である。
「いい音で聴きたい」という気持をオーディオマニアならばみな持っている。
けれど「人よりいい音で聴きたい」という気持もないとはいえない。
この「人よりもいい音」の「いい」には、
どの漢字があてはまるのだろうか。
いい音と書いている。
よい音とは書いていない。
よい音と書くべきか、と迷っているところがある。
よい音だと、
良い音
佳い音
善い音
好い音
いい音だと、
良い音
善い音
好い音
宜い音
まだしばらくは、いい音と書いていく……。
別項「BBCモニター、復権か(音の品位)」の中で、
ステレオサウンド 60号での瀬川先生の発言を書き写しながら、
そういえばオルトフォンのSPUとEMTのTSD15の音の違いにも、同じことがあてはまる、と思っていた。
EMTのプレーヤーにはずっと以前はオルトフォンのトーンアームがついていた。
カートリッジはオルトフォンだった。
EMTのカートリッジの初期はオルトフォンが製造していた。
そんなこともあってEMTのカートリッジはSPUと共通しているところが多い。
もちろん細部を比較していくと違う点もいくつもある。
音も共通しているところもあるし、そうでないところもある。
EMTのカートリッジとのつきあいが長い私には、
SPUの音は、特にSPU-Goldが登場する以前のSPUの音は、
地味ともいえるし渋いともいえる。
SPUにはEMTのカートリッジで同じレコードをかけた時に感じとれる艶が、あまりないように感じてしまう。
私はEMTのカートリッジの音になじんでいるからそう感じるのであって、
SPUを選びSPUの音になじんでいる人からすれば、EMTのカートリッジは派手とか過剰気味ということになる。
瀬川先生が語られていた
《そのシャープさから生まれてくる一種の輝き、それがJBLをキラッと魅力的に鳴らす部分》、
これと近い性質がEMTのカートリッジにある。
なぜこんなことを書いているからというと、
今日twitterでデンマークの風土について書かれたものを読んだからだ。
北緯55度、そういうところにあるデンマークでは真昼でも太陽は地を這うようだ、とあった。
年によって快晴の日が一日もないこともある、とデンマークに住んだ経験のある人が書いていた。
これを読んで私はSPUの音のことを思い出していた。
デンマークはそういう風土の国だからこそ、SPUの音が生れてきたのだ、とひとり合点した。
スピーカーの振動板が前に動いたときに、
振動板の前面にある空気を押し出しているのであれば、
振動板の動くスピードが速ければ速いほど、
押し出される空気のスピードも増す事になる。
それがもし音だとすれば、
音速が周波数や振動板の振幅に関係なく、同じであることと矛盾することになる。
こんな簡単なこと、基本的なことが、
オーディオに関心を持ちはじめたころ、すぐには理解できなかった。
どうしても振動板が前に動く、
空気が押し出される、
それが音になる、と捉えてしまっていた。
振動板の動きがどうして音となるのか。
それは水面に、何か小さな物が落ちたときに生じる波紋を思い出せばいい。
波紋が周囲に広がっていく。
けれど中心にあった水が波紋とともに周囲に移動しているわけではない。
あくまでも波紋が周囲に広がっていく(伝わっていく)。
音も同じである。
これにすぐには気づけなかった。
まわりにオーディオ、音に詳しい人がいれば、
疑問をぶつけることもできたのだが、当時の私のまわりには誰もいなかった。
だから自分で考えて気づくしかなかった。
音速は、空気中では秒速約340mである。
温度によって多少変化するけれど、空気中であるかぎり340mからそう大きくは違ってこないし、
20Hzの低音も20kHzの高音も、音速は同じであって、
高音のほうが音速が速い、ということはない。
こんなことは音の、ごく基本的なことである。
けれど、いまから30数年前、
つまりオーディオに興味を持ちはじめたころの私は、
ある疑問に悩んでいた。
スピーカーは振動板を前後(ピストニックモーション)させて、
空気の疎密波をつくりだす。
このことは20Hzの音を出しているとき、
振動板は一秒あたり20回ピストニックモーションする。
20kHzでは20000回のピストニックモーションである。
ということは高音になればなるほど、振動板の振動回数は増えていく。
つまりは振動板の動くスピードが増していくことになる。
これだけではない。
ウーファーの場合、大口径ウーファーと小口径ウーファーとでは、
低音に関して同じ音圧を得るには、小口径ウーファーは振幅が大きくなる。
20Hzで、同じ音圧を得ようとしたら、小口径ウーファーは大口径ウーファーよりも、
大振幅で動くことを求められるから、そのストロークが長くなった分だけ、
振動板の移動距離は長くなっている。
つまり大口径ウーファーよりも小口径ウーファーは、
振動板が速く動く必要がある。
振動板がどんなに速く動こうとも、音速は変わらない。
ようするに、振動板は振動板の前面にある空気を動かしているわけではないからだ。
あくまでも振動板をピストニックモーションさせることで、疎密波を作り出しているだけである。
自分が何がわかっていて、何がわかっていないのか、
それを正しく知ることの難しさだけでなく、
同じ趣味をもつ人と話していて、目の前の人が何がわかっていて、何がわかっていないのか、
これを正しく知ることはもっと難しいことなのかもしれない。
それでも会話は成り立つ。
成り立っているようではあるけれど、どこかで食違いが発生したりすることだってあろう。
そんなつもりで話したのではないのに、
別の解釈で受けとめられ、それがいいほうへの理解へと変っていったり、
そのことがこちらへの刺戟(気づき)ともなったりするのだから、
会話はおもしろい。
とはいえ、話していると、私にとって常識であり、
オーディオマニアにとっては多くの人にとっても、そのことは常識である、
そう思っていたことが、意外にもそうではなかった、ということが何度かある。
これはもう話してみるからわかることである。
話してみないことにはわからない。
オーディオマニアすべての人にとっての常識なんてものは、世の中には存在しないのかもしれない。
ここでは、音について書いていこう、と考えている。
何人かの人と話していて、あっ、と気がついたことに音の性質に関することがあったからだ。