Archive for category 川崎和男

Date: 9月 20th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その3)

Design Talkというタイトルの下に、こう書いてあった。

ドリームデザイナー
川崎和男

ドリームデザイナーは初めてきく言葉だった。
どういう職業なのか。
言葉通りならば、夢をデザインする人、夢を形にする人になる。

川崎和男、どういう人なのかまったく知らなかった。

いまならば、インターネットで検索して、どういう人なのか知ることができる。
1991年か1992年当時は、そんなことはできなかった。
ただそこに見知らぬ名前があるだけだった。

だがイニシャルがKKだ、と思った。
同じアルファベットがふたつ続く。
グレン・グールドもGG、同じアルファベットがふたつ続く。

Design Talkを読んだ。
私が読んだDesign Talkは一回目ではなかった。
少なくとも数回は連載されていた。
一回目から読まなければ、とも思った。

そして、この人の書くものはすべて読もう、と思っていた。

私にとって五味先生の文章は、オーディオの始まりになった。
いわば第一章のはじまりである。

Design Talkとの出逢いは、第二章の始まりである。

Date: 3月 2nd, 2013
Cate: 川崎和男

川崎和男氏のこと(最終講義)

東京へ向かう新幹線の中で書いている。
大阪大学へ、川崎先生の最終講義を聴きに行った帰りだ。

1994年、草月ホールで聴いたのが、最初だった。
それからは東京での川崎先生の講演は、できるかぎり聴きに行くようにしていた。

東京以外での講演も、何度か行っている。
京都、金沢、兵庫にも行った。

行くたびに、ほとんど毎回のように残念に思っていたのは、
オーディオ関係者が聴きに来ていないことだった。

今日は大阪なのだから、
オーディオ関係者は誰もいない、と思っていた。

最終講義のあとの懇親会で、
よく似た人がいるもんだな、と思っていたら、その人本人だった。

誰なのかは書かないけれど、
オーディオ関係者が、ふたり来られていた。

他の人にとっては、どうでもいいことにすぎないだろうが、
私には、とても嬉しいことだった。

Date: 2月 26th, 2012
Cate: 川崎和男

一度だけの……

オーディオのことで、たった一度だけ神頼みしたことがある。

「音は人なり」だから、神頼みしたところでどうにかなるものではないことは重々承知している。
けれど、あのときだけは「どうか、いい音で鳴ってください」と心の中でお願いしていた。
音が鳴りはじめるまで、何度も何度もそう神頼みしていた。

かけてもらったCDの前奏が流れてきた。
それまでの2曲とは、鳴り方が違う、と感じていた。
私だけが感じていたのか、そのとき、あの場所にいた人たちみながそう感じていたのかは確認していない。
とにかく安堵した。これならば、絶対に絶対にうまく鳴ってくれる、そう確信できた。

カレーラスの歌がきこえてきた。
「川の流れのように」をホセ・カレーラスがうたう。
このCDから、この曲を選んでよかった、と、やっと思えた。

後にも先にも、神頼みしたことは、この一回きりである。
これから先のことはわからない。
けれど、このとき、神はいるのかも……と想っていた。

いまから10年前の7月4日のこと。

Date: 8月 21st, 2011
Cate: 川崎和男, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その49・補足)

以前使っていたブログ・テーマでは、左側のサイドバーに、最新のコメントが表示されるようになっていたが、
いまのテーマでは、下側に表示されるはずなのに、なぜかできない。
けれど、従来通りコメント欄はあり、それぞれのブログ記事のタイトルをクリックしてもらえば、
そのタイトルの記事単独での表示になり、いただいたコメントともにコメント記入欄を表示される。

コメントをいただいた記事は、日付の下に、1msgとか2msgと表示される。

「妄想組合せの楽しみ(その49)」に川崎先生からのコメントがあった。

そこに「ラジオ(太鼓)」とある。
ラジオ(太鼓)?? となられた方もおられるかもしれない。

ラジオ(太鼓)について興味をもたれた方は、ぜひ川崎先生のブログをお読みいただきたい。

今年3月2日の「新しい部族の太鼓か インターネットラジオというメディア」と
翌3日の「ラジオ聴覚メディアの強さは革新された」の2本だ。

Date: 10月 16th, 2009
Cate: 川崎和男, 瀬川冬樹

スケッチ

今日から、Detour展が開催されている。
会場となるMoMA Design Storeには、建築家、映画監督、デザイナー、イラストレーター、
文筆家、音楽家らのノートブックが展示されている。
川崎先生のノートブックも展示されており、スケッチに間近で触れることができる(らしい)。

つまり、まだ行っていない。
夕方から人と会う約束があったからで、かわりというわけでもないのだが、
瀬川先生のスケッチとメモをいだたいてきた。

スケッチは、プリメインアンプを描かれていて、けっこうな枚数ある。
トレーシングペーパーに描かれているものもあり、昭和49年のものである。

メモは、ひとつは昭和39年に書かれたもので、はしり書きなので、正直かなり読みにくい。
スケッチや回路図も含まれている。
これを、瀬川先生は取って置かれたわけだ。だから、いま私に元にある。
読んでいくと、なぜなのかが感じられる。

そしてもうひとつのメモは、日付はどこにも書かれていないが、内容から判断するに、
1977年(昭和52年)ごろのものと思われる。

ステレオサウンドの原稿用紙に、横書き、はしり書き、箇条書きで、
メモというより、オーディオ誌はどうあるべきか、といった内容である。

私にとって、これらは宝である。

Date: 8月 26th, 2009
Cate: ショウ雑感, 境界線, 川崎和男

2008年ショウ雑感(というより境界線について)

アンプの重量バランスの違いによって生じる音の差だけを、純粋に抽出して聴くことはできない。

アンプの音は、いうまでもなく重量バランスだけによって決定されるものではなく、
回路構成、パーツの選択と配置、筐体の構造と強度、熱の問題など、
さまざまな要素が関係しているのは、
福岡伸一氏のことばを借りれば、動的平衡によって、音は成り立つからだろう。

福岡氏は、週刊文春(7月23日号)で、
「心臓は全身をめぐる血管網、神経回路、結合組織などと連携し、連続した機能として存在している」
と書かれている。

これを読み、じつは「境界線」というテーマで書くことにしたわけだ(続きはまだ書いていないけれど)。

動的平衡と境界線について考えていくと、意外に面白そうなことが書けそうな気もしてくる。

オーディオにおける境界線は、はっきりとあるように思えるものが、曖昧だったりするからだ。

そして境界線といえば、川崎先生の人工心臓は、この問題をどう解決されるのか──。

クライン・ボトルから生まれた川崎先生の人工心臓は、どういう手法なのかは全く想像できないけれど、
トポロジー幾何学で、境界線の問題を解決されるはず、と直感している。

そこからオーディオが学べるところは、限りなく大きいとも直感している。

Date: 8月 1st, 2009
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

オーディオにおけるジャーナリズム(その21)

先週発売になったMACPOWERに掲載されている川崎先生の「ラディカリズム 喜怒哀楽」のなかに、
『「予知」と「勘」』という言葉が、ある。

川崎和男の「予知」と「勘」とは、
エリック・ホッファーの「未来を予測する唯一の方法は、未来をつくる力を持つことである」──、
この言葉そのものであり、川崎先生には、その力があるからこそ、と思っている。

「未来をつくる力」こそ、本来、ジャーナリズムの核なのではなかろうか。

エリック・ホッファーは、こうも言っている。
「真の預言者とは未来を見通す人ではなく、現在を読み解き、その本性を明らかにする人である」と。

Date: 3月 2nd, 2009
Cate: 川崎和男

川崎和男氏のこと(その24)

菅野先生と川崎先生の対談をお読みになった方ならば、私が持っていったCDは、
ホセ・カレーラスのAROUND THE WORLDであり、
このCDの5曲目は「川の流れのように」であることはご存じだろう。

1曲目は「愛の讃歌」で、こちらも素晴らしい。
それでもホセ・カレーラスによる「川の流れのように」を、川崎先生に聴いていただきたかった。

なぜかという、はっきりとした理由はなかったようにも、いまは思える。
なのに、これしかないと思い込んでもいたわけだ。

前奏が流れてきた。
「いい感じだ、もっともっとよく鳴ってほしい」と、カレーラスの歌が始まるまで祈っていた。

歌が始まった。安堵した。素晴らしい音で鳴っていた。
カレーラスの歌声が、心に沁み込んできた。

川崎先生が、どんな感想を持たれたのかは、わからない。
訊ねもしなかった。

「川の流れのように」が終ったとき、川崎先生夫妻が、
斜め後ろに立っていた、こちらを同時に振り向かれた。

Date: 2月 28th, 2009
Cate: 川崎和男

川崎和男氏のこと(その22)

また、すぐに話が始まった。
雑談のようであったけれど、「これは聞き逃せない」とすぐに思い、録音をはじめる。
対談のまとめでは、この部分も使っている。

20分近く話されただろうか、菅野先生の音を聴いていただくことになった。
菅野先生の選曲で、2曲、1曲ずつ、マッキントッシュのシステムとJBLのシステムで鳴らされた後、
「なにかリクエストありますか」と菅野先生が言われた。

すこし間が合った。
だから持ってきたCDを菅野先生にお渡しし「5曲目をお願いします」と言ったものの、
やっぱりこの曲は、すこしまずいかなとも思い、「すみません、1曲目で」と言い直した後に、
それでも、やっぱり、あの曲だと、また「やっぱり5曲目でお願いします」と言ってしまった。

嫌な顔ひとつされず、菅野先生は、5曲目をマッキントッシュのシステムでかけてくださった。

このとき、実は心の中で祈っていた。
「とにかくうまく鳴ってくれ、素晴らしい音で鳴ってくれ」と。

Date: 2月 27th, 2009
Cate: 川崎和男

川崎和男氏のこと(その21)

暑い日にも関わらず、外で話し込まれる菅野先生と川崎先生。
このまま、ここで対談がはじまってしまうかも……、とちょっとだけ心配になるぐらい話が弾んでいた。

川崎先生のスタッフの方々のおかげで、菅野先生宅の階段も無事クリアーでき、
川崎先生に、菅野先生のリスニングルームに入っていただく。

「戻ってこれたぁ、戻ってきました」

菅野先生・川崎先生の対談のまえがきの書き出しは、この言葉で始めた。
しかも、この言葉を、わずか3行のあいだで、くり返し書いた。

そのわけは、川崎先生が、くり返されたからだ。
川崎先生にとって「生還」だったのだ。

心の中で、「おかえりなさい」と私は言っていた。
言葉にできなかった。

Date: 2月 27th, 2009
Cate: 川崎和男

川崎和男氏のこと(その20)

菅野先生のことだから、川崎先生と25年ぶりの再会だけに、
きっと握手をされるだろう、とは思っていた。

しっかりと力強く握手された。次の瞬間、川崎先生を抱きしめられた。

こみ上げてくるものがあった。川崎先生のスタッフの方々も同じ気持ちだったのではなかろうか。

Date: 2月 26th, 2009
Cate: 川崎和男

川崎和男氏のこと(その19)

対談の開始時間は午後1時30分からだった。
私と友人のフォトグラファー(浜崎昭匡)は、菅野先生の写真撮影もあって、30分前に、
菅野先生のお宅に到着していた。

14年ぶりの、菅野先生のリスニングルームだった。
ステレオサウンド時代に何度もおじゃました、菅野先生のリスニングルームだ。
感慨にひたっている時間的余裕はなくて、撮影の準備をすすめていく。
友人の浜崎がてきぱき手際よく進めてくれたおかげで、川崎先生到着の10分程前には撮影も終了していた。

時計を見て、そろそろお見えになるだろうから、表で持っていようと、ちょうど玄関を出ようとしたところに、
車の到着する音がきこえてきた。

菅野先生のお宅の玄関は2階なので、すぐに降りていく。すこし緊張していた。
菅野先生も降りてこられた。

Date: 2月 8th, 2009
Cate: 川崎和男

川崎和男氏のこと(その18)

2002年の7月4日は、よく晴れた、暑い日だった。

出掛ける前に、すこし迷ったことがある。
どのCDを持っていこうか、出掛ける寸前で、どうしても迷ってしまった。

1月に聴いて「これだ」と決めたCDを手にしながらも、
ほんとうにこれを持ってきて、これを聴いてもらうのは……、と思いはじめると、
いくつかのことがすごく気になってくる。

これも持っていくけど、もう1枚別のCDも持っていこう、とも思ったが、
やはり、1月、このCDを聴いた時の直観を信じよう、と決め、1枚のみ持って出掛けた。

Date: 1月 20th, 2009
Cate: 川崎和男

いのち・きもち

川崎先生の「いのち、きもち、かたち」を言い換えるとしたら、

「きもち」は「喜怒哀楽」、
「いのち」は「運命、宿命、天命、使命」か。

「かたち」は……。

オーディオにおけるジャーナリズム(その1)

オーディオ評論について考える時、思い出すのが、井上先生が言われたことだ。

──タンノイの社名は、当時、主力製品だったタンタロム (tantalum) と
鉛合金 (alloy of lead) のふたつを組み合わせた造語である──

たとえば、この一文だけを編集者から渡されて、資料は何もなし、そういう時でも、
きちんと面白いものを書けたのが、岩崎さんだ。
もちろん途中から、タンノイとはまったく関係ない話になっていくだろうけど、
それでも読みごたえのあるものを書くからなぁ、岩崎さんは。

井上先生の、この言葉はよく憶えている。
試聴が終った後の雑談の時に、井上先生の口から出た言葉だった。

井上先生は、つけ加えられた。
「それがオーディオ評論なんだよなぁ」と、ぼそっと言われた。

それから、ずっと心にひっかかっている。

岩崎先生は、「オーディオ評論とはなにか」を、以前ステレオサウンドに書かれている。
そのなかで、柳宗悦氏の言葉を引用されている。

「心は物の裏付けがあってますます確かな心となり、物も心の裏付けがあってますます物たるのであって、
これを厳しく二個に分けて考えるのは、自然だといえぬ。
物の中に心を見ぬのは物を見る眼の衰えを物語るに過ぎない」

ふたつの言葉が浮かぶ。

釈迦の「心はかたちを求め、かたちは心をすすめる」と
川崎先生の言葉の「いのち、きもち、かたち」である。