Archive for category ワイドレンジ

Date: 4月 8th, 2012
Cate: 6041, ALTEC, Kingdom, TANNOY, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その76)

このあたりがJBLとアルテックの違いである、と思える。
どちらもアメリカ西海岸にあるプロ用のスピーカーを製造している会社でありながら、
JBLのスピーカーユニットの豊富さとは逆にアルテックのスピーカーユニットの数は少ない。
アルテックにはJBLのようにコーン型ユニットの口径のヴァリエーションが豊富ではない。

だからアルテックが4343と同等かもしくはそれを超えようとする4ウェイのシステムをつくろうとすれば、
604-8Hしかないというのは理解できる。
それに604をシステムの中核に使うからこそ、アルテックの色が濃くなる。

このスピーカーユニットの豊富さの違いは、メーカーの体質の違いでもある。
もしJBLが同軸型ユニットを核にした4ウェイ・システムを開発するのであれば、
現行ユニットだから、とか、会社の顔的な存在のユニットだから、といったような理由ではなく、
最適な口径のユニットがラインナップになければ、新たに開発するであろう。

それに、以前も書いているけれど、6041は急拵えのシステムだと思う。

そうはいいながらも6041には魅かれる。
だから、こうやってあれこれ書いているわけだ。
604-8Hを使い4ウェイ・システムを、完成度を高くまとめていくのであれば、
私ならばウーファーの口径はもっと大きなものにする。
黄金比的にいえばミッドバスが15インチなのだから、24インチ(60cm)口径となる。
現実に、この口径のウーファーとなるとハートレーの224HSがある。
マーク・レヴィンソンがHQDシステムにも採用したハートレーの、このウーファーは、
クラシックをメインに聴く私にとっては、
604と組み合わせる大口径ウーファーとしては、これしかないようにも思う。

とはいえ604-8H(もしくは604-8G)の下に224HS、となると、
エンクロージュアのサイズはかなりの大きさになる。

もうひとつ考えられるのは、18インチ口径のウーファーをダブルで使うことだ。
これもエンクロージュアのサイズはそうとうに大きくなる。

24インチ・ウーファーにするのか、18インチ・ウーファーのダブルか。
18インチ・ダブルの方は、604に合うと思えるユニットが頭に浮ばない。
現行製品だけでなくとも、18インチともなると製品の数も減ってくるし、過去の製品でも思い浮ばない。

604を使いながら4ウェイにしてワイドレンジを狙うのであれば、
私自身の好みをいれると、ハートレーの224HSということになる。
604と224HS──、もうバカげた構成ではあるけれど、試してみたい、と思いつつも、
現実的な構成としては、
タンノイのKingdomの12インチ口径同軸型ユニット18インチ口径ウーファーの組合せは、
うまくオーディオマニアの心をとらえた絶妙な、そしてぎりぎりのサイズ設定だと感じてしまう。

Date: 4月 7th, 2012
Cate: 6041, ALTEC, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その75)

4ウェイのスピーカーシステムにおいて、ウーファーとミッドバスの口径比が成功のカギになっている、
と実例から確信しているものの、なぜ黄金比に近い口径比がうまくいくのか、
その技術的な理由付けについては、いまのところ書いていけない。
ただ、そうだとしか、いまのところはいえない。

この観点からすると、アルテックの6041のウーファーは小さいということになってしまう。
ミッドバスとミッドハイを15インチ口径の604-8Hで受け持たせているわけだから、
ここにサブウーファーとして同口径のウーファーをもってきたとして、うまくいく可能性は低かろう。

もちろん604-8Hの低域をネットワークでカットすることなく、
追加したウーファーの高域のみカットして低域に関しては、
604-8Hのウーファー部とサブウーファーの416SWを並列にして鳴らす、という手段でなければ、
うまくいきそうにないと思えてくる。

そうなると15インチ口径のウーファーを2本おさめた形になるわけだから、
6041のエンクロージュア・サイズでは小さい、ということになってしまう。
6041のサイズで中核となるユニットに604-8Hを使うかぎりは、結局のところうまくいきっこない。

タンノイには同軸型ユニットに以前から現在まで3サイズある。
10インチ、12インチ、15インチがあるところが、同じ同軸型ユニットのアルテックと少し異る点である。
アルテックにも以前は12インチ口径の同軸型ユニットが存在していた。
けれど6041が登場するころには15インチの604のみになっていた。

12インチの601シリーズは、604の原型である601と型番は同じだが、
604の原型である601は604と同じ15インチだが、1950年代なかばに登場した601A以降は、
601シリーズは12インチ口径となっている。

601シリーズは、601A、601B、601C、601D、601-8D、601-8Eと変遷をとげ終ってしまっているが、
この後も続いて、601-8Gとか601-8Hといったモデルがもしも存在していたら、
6041はユニット構成は604ではなく601になっていた可能性もあっただろう。
そうだったら6041という型番ではなく、6011となっていた(?)。

Date: 4月 1st, 2012
Cate: ワイドレンジ
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ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その7)

すこし話は前にもどるが、この項を書いていて思い出したことがひとつある。
1988年(だったと記憶している)、
サントリーホールでアルゲリッチとクレーメルのコンサートに行ったときのことだ。
バルトークがプログラムにあった。

サントリーホールには、アルゲリッチ、クレーメルのコンサートの前にも何度も行っていた。
そのあとにも何度も行っているけれど、
アルゲリッチとクレーメルでコンサートでの味わった経験(驚き)は、このときだけである。

アルゲリッチとクレーメルだから、サントリーホールのステージ上にあるのは、ピアノとヴァイオリンだけである。
なのにそれまでオーケストラを何度も聴いてきたけれど、ホール全体が一瞬揺れたと感じたことはなかった。
オーケストラがトゥッティでどれほど大きな音をだそうとも、
サントリーホールという丈夫な建物が揺れるということは起こり得ない。
ホール内の空気が動くということはあってもホールが揺れるということを感じたことはなかった。

だからアルゲリッチひとりが弾くピアノの音によって、
ホールが揺れた(それは物理的に本当に揺れたのではないのであろうが、なぜかそう断言できない)。
その瞬間、思わず視線はステージからはなれてまわりを見廻してしまうほど、現実感のある揺れだった。

このバルトークでのアルゲリッチの放った一瞬のフォルテッシモが、
いま思い返すと、岩崎先生の、これまでに何度も引用している文章につながっていく。
だから、しつこく、また引用しておく。
     *
アドリブを重視するジャズにおいては、一瞬一瞬の情報量という点で、ジャズほど情報量の多いものはない。一瞬の波形そのものが音楽性を意味し、その一瞬をくまなく再現することこそが、ジャズの再生の決め手となってくる。
     *
サントリーホールが揺れたときアルゲリッチが演奏していたのはバルトークであり、
バルトークは、クラシックに分類される音楽であり、ジャズに分類される音楽ではない。
それでも、アルゲリッチの、あの一瞬のエネルギーの凄まじさは、
引用した文章で、岩崎先生が言われていることそのものであったのかもしれない、と20年以上経ったいま、
そうつよく感じている。

Date: 2月 29th, 2012
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その6)

1949年9月29日にランシングは去っていった。
LPの登場が1948年のことだから、ランシングがD130を発表した1947年はまだSPの時代だった。
ランシングがどんな音を鳴らしていたのかは、いま知る術はない。
勝手に想像するしかない。

D130をどんなエンクロージュアにいれていたのか、どんなふうに鳴らしていたのか。
アンプはどういうものだったのか。
当然真空管アンプだが、出力管は何だったのか。それも既製品であった可能性よりも自作であった可能性もある。
音量はどの程度だったのかも知りたい。

でも手掛かりは、いまのところまったくといっていいほどない。

だから想うだけ無駄といえば無駄な時間なのだが、
これだけは確信をもっていえるのは、ランシングはクラシックがよく鳴るスピーカーとか、
ジャズがうまく鳴ってくれるスピーカーとか、
そういうことを目標としてD130をつくったわけではない、ということだ。

1940年代後半という時代で、最高のスピーカーユニットを目指した結果がD130なのである、
というごく当り前のことを、D130の音が強烈なイメージとともに日本では語られることが多いために、
つい忘れてしまいがちになってはいないだろうか。

D130はスピーカーユニットだから、いわば音を出す道具である。
楽器も音を出す道具である。
この意味では、私もスピーカー=楽器という受けとめ方には異論はない。
(ただ、よく語られる意味でのスピーカー楽器論には、いくつか言いたいことがある)

ここで、思い出してほしいことがある。
楽器には、基本的にクラシック用とかジャズ用とかはない、ということだ。
例えばピアノ。
スタインウェイにしてもベーゼンドルファーにしても、クラシック用、ジャズ用とかで売り出したりはしていない。

同じピアノを、クラシックの演奏家が弾けばクラシックを奏でるし、
ジャズのミュージシャンが弾くことでジャズがそこに存在することになる。

Date: 2月 28th, 2012
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その5)

JBLでクラシックを聴くやつは、どこかおかしい、もしくはめずらしい、
というふうに受けとめられていた時代があったことを知る者にとっては、
「いまのJBLはジャズが鳴らない」「ジャズが鳴らないJBLなんて、JBLじゃない」、
こんなことを目にしたり耳にしたりすると、時代が変ったのか、それとも変っていないのか、とふと考えてしまう。

JBLは、いうまでもなくランシングがつくった会社である。
そしてJBL=ジャズという図式が出来上った(浸透した)のは、
実質的な最初のスピーカーユニットと呼べるD130の音が、
日本ではそう受けとめられたことから始まっている、といってもいいはず。

だがランシングは熱心なジャズの聴き手だったのだろうか。

以前、このブログでも取り上げたことのある「Why? JBL」(著者:左京純子、実業之日本社)には、
次のように書いてある。
     *
ランシングの趣味といえば、ゴルフをたしなむ程度で、そのほかのほとんどは、家の中で、書物を読みふけることを楽しみとしていた。好きなミュージックはクラシックで、ときにはダンスミュージックでダンスを楽しむこともあったという。
     *
この短い文章がランシングのすべてを語っているわけではないにしても、
ジャズという単語はここにはなく、好きな音楽としての、クラシックという単語がある。
クラシックだけを聴いていたのではないだろう、ジャズや他の音楽も聴いていたとは思う。
それでも、「Why? JBL」によれば、ジャズや他の音楽よりもクラシックを聴いていたことになる。

ということは、ランシングはD130でクラシックを鳴らし聴いていたわけだ。
そのD130を、日本のジャズ好きな人たちは、ジャズにぴったりのスピーカーユニットとして認識されていった。
なにもこのことをおかしい、とか間違っているとか、そんなことをいいたいのではない。
むしろ、ここのところにスピーカーの面白みがあって、
あえてスピーカー=楽器としてとらえるときの面白みでもある、とそう考えている。

Date: 2月 27th, 2012
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その4)

昔、といってもそんなに大昔のことではない。
JBLのスピーカーはジャズ向きであって、
クラシックの、とくに弦の音なんか聴けたものじゃない、といわれたこともあった。
そういう時代の中でも、JBLのスピーカーでクラシックを聴いている人(鳴らしている人)は少なからずいた。
瀬川先生がそうであったし、黒田先生もアポジーの前のアクースタットのその前はJBLの4343を鳴らされていた。

アルテックの昔のロゴには指揮者のシルエットが描かれていた。
トスカニーニがモデルだと言われていた。
そんなアルテックのスピーカーは、JBLのスピーカー同様、
日本ではジャズのためのスピーカーとして受けとめられることが多かった。

スピーカーとはいったいなんだろうか。
スピーカーは電気信号を振動に変換するモノである。
入力された信号をあますとこななく、つまり100%振動に変換できるのが理想なのだが、
実際には現在のスピーカーに関しては、どの方式であっても変換効率はかなり低い。
オーディオ用として使われているスピーカーの多くは10%前後の変換効率しかもたない。

そういうスピーカーで、われわれは音楽を聴いたり、
ときには細かな音の差に耳をそばだてたりしては、一喜一憂する。
もし変換効率が50%を超えるようになったら、どんな音が聴けるようになるのか、
そしてそのとき、音の違いは、いままでより明瞭に出てくるようになるであろう。
そんな期待はしているのだが、私がオーディオに興味を持ちはじめて30年以上が経っているが、
スピーカーの能率は高くなる傾向よりも、むしろやや下り気味の傾向が強いままである。

そんな低い変換効率であっても、スピーカーはほんのわずかな音の違いを鳴らしてくれる。
不思議な存在だとも思う。

だとしても10%程度の変換効率は、変換器としては低い、つまりは未熟なレベルということもできる。
しかも低い変換効率(入力信号の大半を熱にしている)の一方で、
どんなスピーカーにも固有音がつきまとう。
入力された電気信号の10%程度しか音にしないのに、入力信号とは別の音を出している。
振動板の分割振動によるものだったり、エンクロージュアの箱鳴り、フレームやエンクロージュア等からの不要輻射、
振動板がピストニックモーションして出てくる音が入力された電気信号が音に変換されたものとすれば、
それ以外の、スピーカーから放射しされる音はすべて、そのスピーカーの固有音である。

スピーカーにはずっとそういうことがついてまわっている。
だからなのか、スピーカーは楽器だ、ということが以前からいわれ続けている。

Date: 10月 29th, 2011
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その3)

ジャズもクラシックも生身の人間が楽器から音をひき出して生れるものである。
どちらも肉体運動の結果としての音が生れている。
つまり音を発するためには、なんらかのエネルギーが費やされていて、
そのエネルギーゆえの音の存在を、私はクラシックにおいてもジャズにおいても感じとりたい。

その意味では、私がオーディオに関心をもち始めたころ(1970年代後半)まで
オーディオ誌でわりとよくみかけていたクラシック向き、とか、ジャズ向き、
といったスピーカーシステムの音の区分けは゛私にとってはどうでもいいこと。

エネルギッシュな音がするからジャズに向いている、
きれいな音が弦に向いているクラシックだ、とか、
いまもそういうふうにスピーカーシステムの音を捉えている人はほとんどいないと思う。
でも、こういうことが以前はいわれていた。

ジャズもクラシックも、アクースティック楽器を演奏しているかぎりは、
演奏者のエネルギーといったものを、音から感じとりたい。
音のエネルギーの総量ということでいえば、オーケストラによる演奏があるクラシックのほうが大きい。

ただオーケストラのエネルギーの総量を、
リスニングルームでそのまま再現することは基本的には無理のあることだから、
響きの美しさの再現が重視されるということはあるかもしれないし、
編成の小さなジャズであれば、ある程度の音量が許される環境であれば、
エネルギーの再現に関しては、ほぼリアルにもっていくことも無理なことではない。

そういうこともあって、ジャズのほうがエネルギーの再現が、
クラシックにおいてよりも重視されがちなのかは理解できなくもないが、
それでも、私はクラシックにおいても、十分なエネルギーを、その音に感じとりたい。
そうでなければ、カザルスが指揮するベートーヴェンを聴く意味がない、とまでいいたくなる。

演奏される場においては演奏者のエネルギーが充ちている、ともいえるし、
そのエネルギーの充ちた感じをできるだけ、自分が音楽を聴く環境でも再現したいのは、
ジャズであろうがクラシックであろうが同じではあるが、違いもやはりある。

そのエネルギーが、音楽のどこに、主に注入されているのか、費やされているのか、ということだ。
そしてエネルギーの表出のされ方の違いもある。

ここにおいて、ジャズとクラシックでは、私のなかでは「いろ」と「かたち」ということになる。
つまりクラシックにおいては、音の造形物のためにおもにエネルギーが費やされ、
ジャズにおいては、一瞬一瞬の情報量(いろ)のために費やされる──、
あくまでもこれは大きくわけたとすれば、ということではあるし、
すべてのクラシックの音楽、演奏家のスタイル、すべてのジャズの音楽、演奏家のスタイルが、
「かたち」と「いろ」のふたつにはっきりとわけられるものではないし、
ジャズでもそこでのエネルギーが「かたち」に、
クラシックでもそこでのエネルギーが「いろ」に費やされることもあるのは承知のうえで、
それでもやはりクラシックでは「かたち」、ジャズでは「いろ」にエネルギーが費やされている、と感じる。

Date: 10月 25th, 2011
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その2)

「よくマンガであるだろう、頭を殴られて目から火花や星が飛び出す、というのが。」
こんな出だしで、菅野先生が話してくださったのは岩崎先生の音について訊ねたときのことである。

「岩崎さんの音をはじめて聴いた時、ほんとうに目から火花が出たんだ。まるでマンガのようにね」と続けられた。
そのくらいの衝撃が、岩崎先生の音にはあったということでもある。

それは単に大音量ということだけにはとどまらない、岩崎先生ならではの音の衝撃なのだろうと思う。
いったいどういう音であれば、それを聴いて、目から火花が出るのを感じられるのだろうか。

大音量再生は、なんどか経験がある。
ただ音量が大きいだけのこともあったし、ひじょうに優れた大音量再生もあったが、
いずれもそれは空気のマスとしての大音量再生であったから、
そこでパルシヴな音が鳴っても、頭をガーンと殴られて目から火花が出る、ということは微塵もなかった。

おそらくこれから先も、そういう音を聴くことはない、と思っている。
それに近い音を聴くことはあるかもしれないが、
菅野先生が体験された岩崎先生の音と同じ衝撃を体験できる音は、
もう岩崎先生がこの世におられないのだから、もう想像していくしかない。

いったいどういう音なのか、は、岩崎先生の文章の中にヒントがある。
というより答そのものである、というべきか。
     *
アドリブを重視するジャズにおいては、一瞬一瞬の情報量という点で、ジャズほど情報量の多いものはない。一瞬の波形そのものが音楽性を意味し、その一瞬をくまなく再現することこそが、ジャズの再生の決め手となってくる。
     *
この岩崎先生ならではの「表現」は、もうなんども読み返した。
別項「40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏)」でも、すでに引用している。
今後も、また引用することになる、と思っている。

これが岩崎先生の音であり、これを実現されていたからこそ、
菅野先生が火花を感じられた、といえるのではないか。

Date: 10月 24th, 2011
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その1)

これまで聴いてきたジャズのレコードは、
これまで聴いてきたクラシックのレコードの10分の1ぐらいでしかない。
しかも1990年以降に録音されたジャズのレコードは一枚ももっていない。

ジャズ好きの方からみれば、その程度のジャズの聴き手にしかすぎないわけだが、
ジャズの魅力は、徹底してインプロヴィゼーションにあることは、充分に感じている。

だから、以前、「使いこなしのこと」の項でも書いたように、
インプロヴィゼーションを大切にしているジャズの聴き手であるなら、
自分のオーディオの調整に誰かにまかせるべきではない。

菅野先生が「レコード演奏」という考えにたどりつかれたのも、
クラシックだけでなくジャズの熱心な聴き手でもあったことが関係しているはず。

ほんとうにジャズにおけるインプロヴィゼーションを大切にしている聴き手であれば、
ジャズのレコードを自分のオーディオ機器で鳴らすという行為は、
自分のオーディオ機器を楽器として、己のインプロヴィゼーションをそこでレコードを借りて演奏することのはず。

であるなら、そこでのオーディオ機器は、ジャズの演奏家にとっての楽器と同じである。
誰かに自分のオーディオ機器を調整してもらうということは、
己のインプロヴィゼーションを、
自分の楽器を赤の他人に渡して代りに演奏してもらう、ということではないだろうか。

このことを改めて考えていて思ったのは、
ジャズにとってのワイドレンジと、クラシックにとってのワイドレンジは、
共通するところもありながらも、そこにインプロヴィゼーションに関係する違いがはっきりとあり、
また別項「ベートーヴェン」のところでふれた動的平衡とも関係する違いがあり、
これは「いろ(ジャズ)」のワイドレンジと、
「かたち(クラシック)」のワイドレンジということがいえるはず、ということだ。

Date: 8月 20th, 2011
Cate: Kingdom, TANNOY, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その74)

JBL4343のウーファーとミッドバスの口径は15インチと10インチ、
タンノイのKingdomの弟分として登場したKingdom 15は、
型番の末尾の数字があらわしているようにウーファー口径がKingdomの18インチから15インチへ変更されている。
この変更にともないミッドバス、ミッドハイをうけもつ同軸型ユニットの口径も、
Kingdomの12インチから10インチと、ひとまわり小さくなっている。
コーン型のウーファーとミッドバスの口径は4343と同じになっている。

これは単なる偶然なのだろうか。

何度も書いている瀬川先生の、
ステレオサウンド別冊のHIGH-TECHNIC SERIES 1に掲載されていた4ウェイ構想の記事を読んだとき、
なぜJBLの4343のミッドバスは10インチであって、8インチにしなかったのか、と疑問に思ったことがあった。

ウーファーとのクロスオーバー周波数がかなり低いのであれば口径がある程度あった方が有利なのはわかるが、
4343では300Hzである。8インチ(20cm)口径のユニットでも十分だし、
口径が小さくなった分だけ中高域の特性はよくなるし、
瀬川先生の記事にもフルレンジの20cmから10cm口径の良質なものを選ぶことから始める、とあった。

そう思ったのは、いまから34年前の話。
4343への関心が強くなっていくほどに8インチじゃなくて、10インチを選択したことを自分なりに納得がいった。

4343(その前身の4341を含めて)が成功したのは、いくつかの要因がうまく関係してのことであろうが、
そのひとつにウーファーとミッドバス、
このふたつのコーン型ユニットの口径比は大きく関係している、と思っている。

だから、Kingdomが成功したのは、このウーファーとミッドバス(同軸型ユニット)の口径比のおかげだ、
という短絡的な断言はしないけれど、それでもこれ以外の口径比で成功はありえなかったはず、だ。

Date: 6月 18th, 2011
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その73)

JBLの4343を例にとると、改めて書くまでもないことだと思うが、
ウーファーは15インチ、ミッドバスは10インチで、ほぼ黄金比となる。

少しばかりミッドバスが大きい、だから黄金比なんてのはお前のこじつけだ、と言われる方がいるかもしれない。
これもいうまでもないことだが、コーン型のスピーカーユニットの口径は、公称口径であって、
振動板の有効径ではない。
有効径は大略では、38cm口径だと33〜34cm、25cm口径だと20〜21cmあたりになる。
34cmで黄金比を出してみると、21.01cmとなる。

4343のウーファー2231Aとミッドバスの2121の有効径がどれだけなのか正確にはわからないけれど、
公称口径よりも有効径のほうが、より黄金比に近づいているはずだ。

4343(4341)が、4ウェイという難しい構成で成功をおさめた理由のひとつは、
このウーファーとミッドバスの口径比にある気がしてならない。

4343のウーファーとミッドバスのクロスオーバー周波数は300Hz。
300Hzだったら20cm(8インチ)口径のコーン型ユニットでも問題なくカヴァーできる。
そこに25cm(10インチ)口径をもってきている。

もちろん、その理由は音を聴いてのものであるけれど、それだけだろうかとも思う。

4341も4343もミッドバスの2121とミッドハイの2420+2307-2308はインラインで配置されている。
2121のフレームは八角形。正八角形ではなくフレームの外形横幅は260.4mmと236.5mmで、
4343、4341のユニットの取り付けだと横幅は236.5mmである。

そのすぐ上に配置されているスラントプレートの音響レンズ2308の横幅は254.0mm。
236.5mmと254.0mmで、その差は17.5mm。

これがもし20cm口径のミッドバスだとしたら、2115Aの寸法を187.3mmと209.6mm。
187.3mmと254.0mmの差は66.7mm。

2121と2308の横幅はほぼ同じなのに対し、2115Aと2308だと2308がずいぶん大きい。
この横幅がほぼ揃っていることが4343、4341のデザインを、
特に4343のデザインの完成度を高いものにしている。

ここは4343において、絶対に変更してはいけないポイントでもある。

Date: 6月 16th, 2011
Cate: Kingdom, TANNOY, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その72)

4ウェイといっても、そのシステム構成の考え方はひとつではない。
3ウェイのスピーカーシステムに、スーパートゥイーターもしくはサブウーファーを足すかたちのものもあれば、
2ウェイのスピーカーシステムをベースに、高低域両端に専用のユニットを追加するかたちもあり、
JBLの4343やアルテックの6041、タンノイのKingdomは後者である。

3ウェイをベースにスーパートゥイーターを加えるものだと、
ユニット構成は、国産の3ウェイスピーカーシステムの多くの例からすれば、
コーン型の採用はウーファーだけ、ということも十分ありうる。

同じ3ウェイ・ベースでもサブウーファーをつけ足すのでは、コーン型ユニットは最低でも2つ使われることになる。
2ウェイ・ベースでもそれは同じ。コーン型ユニットが、最低でもウーファーとミッドバスに使われる。

これから書くことになにひとつ技術的な根拠はない。
感覚的な印象ではなるが、コーン型ユニットがウーファーとミッドバスに使われた場合、
このふたつのユニットの口径比は4ウェイ・システムの成否に深く関わっているように思う。

ウーファーに対してミッドバスの口径が大きすぎる(もしくは小さすぎる)と感じられるスピーカーシステムと、
うまくバランスがとれていると感じられるスピーカーシステムがある。

ウーファーに対して大きすぎる口径(小さすぎる口径)のミッドバス、
反対の言い方もとうぜん可能で、ミッドバスの口径に対して大きすぎる口径(小さすぎる口径)のウーファー、
──そんなものは人それぞれの感覚によって違ってくる、とは思っていない。

ここにはひとつの最適解がある、はずだ。

黄金比がある。
計算してみると、18インチに対しては11.12インチとなる。46cmで計算すると28.43cm。
15インチでは9.27インチとなり、38cmでは23.49cm、となる。

Date: 6月 10th, 2011
Cate: Kingdom, TANNOY, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その71)

Kingdomと同じ18インチ口径のウーファーの4ウェイ・システムにJBLの4345があるが、
Kingdomは規模としては、4345というよりも4350に相当する、といってもいい。

4350の外形寸法はW1210×H890×D510mmで、重量は110kg。
横置きスタイルの4350を縦置きにしてみてならべてみると、横幅(4350の高さ)が狭いだけで、
あとはKingdomのほうが大きいから、その大きさがより実感できると思う。

ミッドバスを受け持つユニットの口径は12インチで、4350もKingdomも同じ。
低域は4350は15インチ口径が2発、Kingdomは18インチ口径が1発だから、
振動板の面積は4350のほうが大きいが、振動体積という点からみれば、
15インチ2発と18インチ1発は、ほぼ同じくらいのはずだ。

4350はJBL初の4ウェイ・システムであり、Kingdomはタンノイ初の4ウェイ・システムであり、
システムの規模のほぼ同じといえる。

JBLは4350の1年後に4341(4340)を発表している。
タンノイもKingdomの翌年に、Kingdom 15を出している。

この4341(4343といっていい)とKingdom 15が、
4350とKingdomと同じように、対比できる、ほぼ同じ規模のスピーカーシステムとなっている。

4343は15インチ口径のウーファー、10インチ口径のミッドバス、
Kingdom 15は型番が示すようにウーファーが15インチになり、同軸型ユニットは10インチと、
Kingdomよりもひとまわりちいさくまとめられている。

このウーファーとミッドバスの口径比は偶然なのだろうか、と思えてくる。

Date: 6月 5th, 2011
Cate: Kingdom, TANNOY, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その70)

1996年に、タンノイ創立70周年モデルとしてKingdomが登場した。
バッキンガムの登場からほぼ20年が経過して、やっと登場した、という思いがあった。

バッキンガム、FSM、System215と、
同軸型ユニットとウーファーの組合せに(あえてこういう表現を使うが)とどまっていたタンノイが、
トゥイーターを追加して4ウェイのシステムを手がけた。

しかもFSMやSystem215と違う、大きな点は、その時点でのタンノイがもつ技術を結集した、
といいたくなるレベルで、Kingdomを出してきてくれたことが、なにより嬉しかった。

瀬川先生は、JBLから4350、4341が発表されたときに、
「あれっ、俺のアイデアが応用されたのかな?」と錯覚したほどだった、と書かれている。
Kingdomが出たときに、さすがにそうは思わなかったけど、
それでも同軸型ユニットを中心とした4ウェイ構想は間違っていなかった、
それがKingdomで証明されるはず、と思ってしまった。

Kingdomは12インチの同軸型ユニットを中心に、
下の帯域を18インチ口径のウーファー、上の帯域を1インチ口径のドーム型トゥイーターで拡充している。

Kingdomの外形寸法はW780×H1400×D655mmで、重量は170kg。
タンノイのこれまでのスピーカーシステムのなかで、もっとも大型でもっとも重い体躯をもつ、
このスピーカーシステムこそ、私はオートグラフの現代版として捉えている。

同時に、アルテックの6041の行きつく「形」だとも思っていた。

Date: 6月 3rd, 2011
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その69)

UREIの813BxとタンノイのFSMは、見た目、よく似ている。

どちらもユニット構成は15インチの同軸型で、同口径のサブウーファーを追加した3ウェイということ。
同軸型ユニットの横に、どちらもレベルコントロール用のパネルがあり、
エンクロージュアの寸法も、813BxがW711×H908×D533mm、FSMがW716×H1112×D541mmで、
FSMが少し背が高いくらいで、しかもどちらも袴(台輪)つき。
重量も813Bxは85kg、FSMは83kg。

だからといって後に出たタンノイのFSMが813Bxを真似たわけでもなく、
たまたま偶然似た仕様になっただけのことだろう。
FSMは、1990年ごろ、MKIIに改良されている。

けれど813BxもFSMも、あまり注目はされていなかった印象がある。
私自身、同軸型ユニットを中心とした4ウェイ構成を頭のなかでは思い描きながらも、
3ウェイとはいえ、同軸型ユニットをベースとした、これらのスピーカーシステムにあまり関心をもてなかった。

トゥイーターがなくて、3ウェイだったから──、そんな単純な理由からではない。
結局、聴き手のこちらの心をとらえる音が、そこから得られなかったからだ。

優れた同軸型ユニットの存在がなければ、同軸型ユニットを中心にしたシステムは、当然だが成り立たない。
その同軸型ユニットは、他のウーファーやトゥイーターにくらべて、構造が複雑化するためもあって、
このころは種類もごく限られていた。
1980年代に新たに登場した同軸型ユニットとなると、ガウスのものしか思い浮ばない。

いつしか私の中で、同軸型ユニットを中心とした4ウェイ構成は薄れていってしまった。