第15回 audio sharing 例会のお知らせ
次回のaudio sharing例会は、4月4日(水曜日)です。
時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
次回のaudio sharing例会は、4月4日(水曜日)です。
時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
昨夜、3月7日のaudio sharing例会のテーマは「岩崎千明氏について語る」と書きましたが、
「岩崎千明氏について語る」は5月2日(水曜日)に行う第16回の例会のテーマとします。
変更の理由は、facebookに書いています。
4月末に第16回 audio sharing 例会の詳細は書きます。
テーマは変更しますが、明後日(7日)、夜7時から四谷三丁目の喫茶茶会記で第14の例会は行います。
今月のaudio sharing例会は、7日(水曜日)です。
3月24日が岩崎先生の命日であり、今年で没後35年。
なので今回のテーマは「岩崎千明」です。
時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
2月1日のaudio sharing例会、13回目のテーマは、
異相の木という視点からのオーディオ(予定)です。
今週水曜日夜7時、四谷三丁目の喫茶茶会記でお待ちしております。
毎月第1水曜日に行っています公開対談ですが、
前回(1月)で12回1年、今度の2月から2年目にはいります。
これまでは公開対談という形式をとってきましたが、これからは対談のときもあれば私ひとりのときもありますし、
それに今年は音を出すことも考えています。
なので、公開対談からaudio sharing 例会、とします。
2月は1日になります。
夜7時から、始めます。
場所はいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行ないますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
昨年秋、ピーター・ガブリエルの「new blood」が出た。
「new blood」、新しい血、である。
組織には新しい血が必要だ、的なことがいわれている。
新卒、中途採用などによって新しい人がはいってきて、定年や自己理由などで出ていく人もいる。
そうやって新陳代謝して組織は生きのびていく、──こんなふうにいわれている。
けれど新しい人がはいってきたから、といって、組織の新陳代謝が行われているのかは疑問だ。
以前菅野先生からこんな話をきいたことがある。
あるオーディオメーカーが、いままでの音から脱却するため、イメージを一新するために、
このメーカーとは異る音を実現しているメーカーから優秀な技術者を引き抜いてきた。
ただ引き抜いてきただけでは、それだけでは不充分だということで、
設計・開発だけでなく、製造に関しても、この彼にまかせたそうだ。
ところが、実際に出来上ってきたオーディオ機器は、
そのメーカーがそれまでつくってきた製品と同じ音のイメージで、
わざわざ引き抜いてきた技術者が以前在籍していたメーカーの音は、そこにはなかったそうだ。
それまでの設計・開発、それに製造まですべて一新して、中心となる人間も引き抜いてきたにもかかわらず、
音は変らなかったのはなぜだろうか。
これはたとえ話ではなく、実際の話である。
他社から引き抜かれてきた技術者は、いわば、新しい血だったはず。
その新しい血にほぼ全権まかせることで組織は生れ変る、と多くの人が思うことだろう。
朱に交われば赤になる、といわれる。
組織という朱に交われば、新しい血も赤になる、ということなのか。
組織とはそういうものなのだろうか。
だとしたら、1977年春に岩崎先生ひとりいなくなっても、
スイングジャーナルにおけるジャズ・オーディオへの取組みは変化するわけがない、といえるのだが、
実際には、またくり返しになるが、
ジャズ・オーディオ雑誌としてのスイングジャーナルは岩崎千明がいなくなり、おわった。
これはどういうことなのかと考えると、”new blood”ではなく、
組織に必要なのは”strange blood”ではないか、ということが頭に浮ぶ。
スイングジャーナルはおわった、と書いたことに異論・反論を抱いた方が多いのか少ないのか、
まったく見当がつかない。
私にとってスイングジャーナルはジャズ雑誌ではなくて、ジャズ・オーディオ雑誌だった。
ジャズ雑誌としてスイングジャーナルはおわっていなかったのかもしれないが、
ジャズ・オーディオ雑誌としては、岩崎先生が亡くなられたことでおわった、と言い切ろう。
スイングジャーナルのオーディオのページは、なにも岩崎先生ひとりだけが書かれていたわけではない。
菅野先生、瀬川先生、山中先生、上杉先生、長島先生、それにときどき黒田先生も登場されていたし、
ほかの方々もおられた。
岩崎先生はそのなかのひとりだろう、そのひとりがいなくなったからといって、
ジャズ・オーディオ雑誌としてのスイングジャーナルがおわるわけはないだろう。
編集部に変化はなかっただろうし、どれだけ岩崎氏がすごい存在であったとしても、
筆者・編集者をふくめて組織というものはそういうものではないはず──。
本来、「組織」とはそういうものでなければならないはず。
それでも一読者としてスイングジャーナルをジャズ・オーディオ雑誌として読めば、
やはり岩崎千明がいなくなり、スイングジャーナルはおわった、というところにたどりつく。
スイングジャーナルにとって、いいかえればジャズ・オーディオにとって岩崎千明という存在について、
スイングジャーナルのその後の変化をみた者としては、なんだったのかを、いま、きちんと見直していく必要がある。
ジャズ雑誌としてのスイングジャーナルについて、私はあれこれいえる資格はない。
ジャズの熱心な聴き手ではないし、ジャズ雑誌・スイングジャーナルの熱心な読者でもなかったから。
これは言い訳半分でもあるし、
だからこそジャズ・オーディオ雑誌としてスイングジャーナルをみることができた、ともいえる。
1970年代のスイングジャーナルのオーディオのページを読んでいて、
そして岩崎先生、菅野先生、それにときどき瀬川先生が参加される座談会を読み、
facebookページ「オーディオ彷徨」のための入力作業を行っているときに思っているのは、
菅野先生の著書「音の素描」の入力作業のときと同じことを感じて、思っている、ということだ。
これはほんとうに20年前、30年前、40年前に書かれた文章、行われた座談会なのだろうか、
と多くの人が思うのではなかろうか。
そこで問題提起されたことは、示唆的なことは、じつはそのまま現在にもほぼ(というよりもそっくり)あてはまる。
オーディオが抱えてきた問題は、じつのところ、なにひとつ変っていない、どころか、
むしろ昔はそういうことがきちんと語られていたのに、いまはどうだろう……。
問題は解決した、という認識なのだろうか、それともただ目をそむけているのか。
もしかするとただ気づいていないだけなのかも……。
すべてがそうだといっているのではない。
明らかに古いと感じさせるところもある。
それにしても、そうでない、むしろいまこそ多くの人に読んでほしいと思えるところが随所にある。
そして密度が濃い。
読み終れば、必ずいくつか心に刻まれる言葉と出くわすはず。
そして考えさせられることにも出会える。
つまり、おもしろい。
そのおもしろさは、つまりは人に通じる。
オーディオのおもしろさは、オーディオ機器のおもしろさだけだろうか。
オーディオ機器のおもしろさは認める。
だが、ほんとうにおもしろいのは、つねに人でしかない。
だから岩崎千明がいなくなり、スイングジャーナルはおわった。
1982年以降、ステレオサウンドで働くようになってからは、
編集部で毎号購入していたのか、それともスイングジャーナル社から届いていたのか、
そのへんは曖昧になってしまったが、毎号読むことはできた。
といっても、しっかり読むというよりも、目を通す、という感じだった。
岩崎先生は1977年3月に亡くなられている。
瀬川先生は1981年11月に亡くなられている。
1982年以降のスイングジャーナルには、岩崎先生も瀬川先生も登場しない。
私がスイングジャーナルの熱心な読者でなかったのは、そういうことも関係している。
スイングジャーナルに対して、そういう読み方(というより接し方)しかしてこなかった私に、
オーディオブームの頃のスイングジャーナルはオーディオ業界に対してステレオサウンドよりも影響力があった、
と会うたびに力説するKさんがいる(ここ2年ほど会っていないけれど)。
Kさんはスイングジャーナル編集部に在籍していた人であるから、
正直なところ、彼がその話をするときは話半分で聞いていた。
私にとって、オーディオ雑誌はステレオサウンドが、ほぼすべてという10代をおくってきたから、
そこでスイングジャーナルのほうが凄かった、と力説されても、素直に頷けない。
それだけステレオサウンドには思い入れがあって読んでいたし、
スイングジャーナルに対しては、上に書いたような読者でしかなかったのだから、
Kさんと私とでは、スイングジャーナルに対する想いには大きなギャップがあって当然のことだ。
Kさんがスイングジャーナル自慢をするたびに、また始まった、と思っていた私でも、
この1年、スイングジャーナルのバックナンバー、
つまり岩崎先生が健在だったころのスイングジャーナルをまとめて読んできて、
Kさんが言っていたことは、多少オーバーなところはあったとしても、
確かにステレオサウンドよりも影響力があった部分は、確実にあっただろう、と思っている。
私がそう思うようになったのは、facebookページの「オーディオ彷徨」で公開している座談会を、
どれでもいい、数本読んでみてもらえばおわかりいただけるはず。
明日(1月4日)は今年最初の公開対談(といっても今回はひとりですけど)であると同時に、
昨年2月2日から始めた、この公開対談の12回目である。つまり1クールの最後となる。
1年やりとげられたな、と新年最初の回に思っているわけだ。
前回ひとりで話したときは11月ということで、瀬川先生について語った。
今回は、まだテーマを決めかねている。
何について語ろうか、テーマがまったく思い浮ばないわけではない。
あれについて話そうか、それともこれについて語ろうか、と迷っている。
そういう状態ですけど、
明日夜7時、四谷三丁目の喫茶茶会記でお待ちしております。
毎月第1水曜日に行っています公開対談は、新年4日(水)です。
三が日があけて仕事始めの方もいらっしゃるでしょうが、新年早々ということを考えると、
何人の方が来て下さるのか、まったく予想できず、対談をお願いするのもすこし気が引けるということもあって、
11月につづいて、また私ひとりで行います。
夜7時から、始めます。
場所はいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行ないますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
「オーディオ彷徨」というfacebookページで、
何を公開しているのかはアクセスしてもらえばわかることなので書かない。
facebookページは、facebookのアカウントがなくても見ることはできる。
facebookページの「オーディオ彷徨」のための作業をやっている。
手にする本はスイングジャーナルのバックナンバーがほとんどだ。
それも1970年代のものが、その大半である。
1977年3月に岩崎先生は亡くなっているから、facebookページ「オーディオ彷徨」にとって必要となるのは、
それ以前のスイングジャーナルということになり、バックナンバーによってはすでに40年前の本となっている。
上質紙でないページはすでに変色している。
ノリが硬化してしまってときにはページがごっそり抜け落ちてしまう号もある。
古い本特有の匂いもある。
そんなスイングジャーナルを手にとると、正直「古いな」と感じてしまう。
でもそう感じているのは作業に取りかかる前までのことで、
入力作業を少しでもやっていくと、
そのスイングジャーナルが30数年前、40年前のバックナンバーとは、もう思っていない。
それは、おもしろいからだ。
当時のスイングジャーナルにはほぼ毎号座談会が載っている。
オーディオ評論家による座談会もあれば、
メーカーの技術者を呼んで、オーディオ評論家との座談会もある。
座談会の中には、オーディオ機器の型番が出てくる。
そういう型番は、当時は新製品であってもいまからすると古いモノになってしまっているから、
時代を、そういうときは感じさせるもののの、それはごく一部であり、内容のおもしろさとは直接関係のないことだ。
何度も書いているように私がオーディオに関心をもったのは1976年だから、
それ以前のスイングジャーナルの記事はまったく読んでいなかったし、
1976年以降のスイングジャーナルに関しても、
ジャズの雑誌という認識だったので、ほとんど読んだことはなかった。
だからfacebookページ「オーディオ彷徨」で公開している座談会のほぼすべては初めて読むものばかり、である。
「過去は変えられない」──。
確かに過ぎ去った「こと」は変えることはできない。
どんなに後悔していてもすでに起ったことに対して手を出すことはできない。
もうすでに起ってしまった「こと」なのだから。
でも、だからといって、過去を振り返る必要がないわけでもないはずだ。
過去は変えられないが、過去の意味あいは変っていくものだし、またある意味変えることもできる。
起ってしまったことはどうしようもならない、だからさっさと忘れて先に進もう。
悪い思い出に対して、よく語られる、このこと。
前向きな考えかた・発言のように受け取られているようだが、これはほんとうに前向きなんであろうか。
さっさと忘れてしまっていいものだろうか。
「昔は良かった」──。
それは良かった過去を思い出して、そこから先に進もうとしていないだけ、という見方ができる。
たしかに、そういう面があるのは否定しない。
でも、早く忘れてしまいたい悪い過去も、できるだけ憶えていたい良かった過去も、
どちらもその人にとっては大きな出来事だったはず。
だとしたら、どちらの過去もそんなに簡単に忘れたり振り払ったりして、いいものだろうか、と思う。
大事なのは、忘れたり振り払ったりして先に進むことなのだろうか。
そうやって先に進むことは、ほんとうに先へ進むことなのだろうか。
大事なのは、悪かった過去も良かった過去もきちんと解釈することのはずだ。
それも1回解釈すればそれで済むこともあれば、また時を経てさらに解釈し直すことも要求される。
生きていればそれだけ過去は溜まっていく。
そうやって溜まっていった過去という「こと」を解釈していくことは時間の無駄だと思う人はそれでいい。
私は解釈しなおすことで「こと」の意味あいが変ってくると考えているし、
つまりはそれは私にとって過去が変ることにもつながっていく。
もちろんすべての過去の意味あいが変ってくるのか、それとも変らない過去の意味あいもあるのか、
それはわからないからこそ、しつこく解釈していくしかない、といまは思っている。
「昔は良かった」──、
これを口にするとき、その良かった昔を自分は体験してきている、と自慢したい人もいるかもしれないが、
私は「昔は良かった」を口にするとき、
とくに、そのときの相手がその良かった昔を体験していない人に対してであるならば、
「昔は良かった……、だから今を良くしたい」という気持をこめているつもりだ。
そのためにはどう昔は良かったのかを、きちんと解釈する必要がある。
それをやらずに「昔は良かった」というつもりはないし、
また解釈もせずに「昔は良かった」なんていうのは後向きの発言でしかない、という人に対して反撥もある。
私が体験してきた昔は1976年以降でしかない。
それ以前のオーディオに関しては人に聞いたり本を読んだりして知っているだけである。
それであっても、「昔は良かった」と断言できる。
1976年からは、ずっとオーディオの変化を見てきている。
なぜそうなったのかについて、いちどきちんと書いていきたいと思っている。
私がaudio sharingをつくった理由のひとつが「昔は良かった」からであり、
それをなんとか今の時代にも、あの時私が感じていた良さ、そしていま振り返って感じている良さを、
少しでも、今感じてほしい、と思ったから、ということがある。
今年になりfacebookを始めた。
最初は放ったらかしたままにしていたが夏から利用し始めた。
facebookの機能であるページとグループを利用して、
「オーディオ彷徨」というページと「audio sharing」という非公開のグループをつくった。
先日の町田さんとの公開対談のとき、この「オーディオ彷徨」のことが話に出た。
なにもサンスイばかりが積極的にショールームを活用していたのではない。
サンスイ以外のオーディオメーカーも、それぞれにやっていた。
サンスイの「チャレンジオーディオ」が私のいちばん行きたかった「場所」だった、ということだ。
とにかく活気はあった。
それはオーディオブームだったから、ともいえるし、
当時のオーディオブームが異状なのであって、
むしろいまの、この状況──オーディオ好きの人だけが残っている──が、
正常な在り方、だという人もいる。
もっともだ、と首肯く人がいるだろうが、私はそうは思っていない。
オーディオブームに否定的な、こんなことを言う人の理屈はこうだ。
ブームがあったからオーディオに関心・興味をもった人たちは根っからのオーディオマニアではない、
単にブームにのっかっただけである──、そういうことだ。
とにかくブームは全面悪的な受けとめ方だ。
たしかにブームには弊害がある。
けれどブームがもたらすものも、また大きい。
それはなにもオーディオの受けとり手側だけでなく、
オーディオの送り手側にもいえることだ。
もしオーディオブームがなかったら、
もしくは私がオーディオに関心・興味をもつ1976年以前に完全に終熄していたら、
オーディオにいずれ関心・興味を持つことになったであろうが、数年先に、なったかもしれない。
それが5年先になっていたら、
私は瀬川先生に会うことはできなかったし、
五味先生のオーディオ巡礼の再開を、ステレオサウンド掲載時にわくわくしながら読むことはできなかった。
そして「出発点」も大きく変っていたはずだ。
私の出発点である「五味オーディオ教室」は、オーディオブームだからこそ出版された本だと思うからだ。
この本と出合ったからこそ、いまがある。
この「五味オーディオ教室」がなかったら、ずいぶん違ったオーディオマニアになっていた可能性もる。