Archive for category アナログディスク再生

Date: 11月 6th, 2013
Cate: アナログディスク再生

アナログディスク再生に必要なこと

[残心]
①不満や未練が残ること。未練。
②武道における心構え。一つの動作が終わってもなお緊張を解かないこと。剣道では打ち込んだあとの相手の反撃にそなえる心の構え、弓道では矢を射たあとその到達点を見極める心の構えをいう。

辞書(大辞林)には、残心について、こう書いてある。

アナログディスク再生に必要なことはいくつもある。
それらひとつひとつをここでは書かない。

オーディオ機器は音楽が鳴っている時、
つまりオーディオ機器が本来の動作をしているときには、聴き手の手からはなれている。
アナログディスクをかけるときもそうだ。

アナログディスクの上に針先を注意深く降ろしたら、
あとはボリュウムを上げるだけ、である。

だからこそ、この残心が求められる、と私は思っている。
ここでの残心は①の意味ではなく、②の意味であり、
その②の意味でも弓道の矢を射たあとの心構えが、
アナログディスクでの残心に近い。

Date: 11月 5th, 2013
Cate: アナログディスク再生

アナログディスクならではの音(その2)

スピーカーシステムとアナログプレーヤーは同一空間に置かれる。
このことがアナログディスクならではの音と深く関係しているのではないか。

少なくとも私は、音響的・振動的に完全に隔離された別々の部屋に、
それぞれスピーカーシステムとアナログプレーヤーを設置した音は聴いたことがない。
このときの音が、同一空間にスピーカーシステムとアナログプレーヤーを設置した音と共通する、
もしくは同じといえる音であるならば、このことは見当外れということになる。

少なくとも同一空間にスピーカーシステムとアナログプレーヤーがあった場合、
スピーカーシステムから空気を伝わってくる音という振動、
床や壁を伝わってくる振動が、アナログプレーヤーを揺さぶっている。

音が空気中を伝わる速度は約340m/secであるから、
スピーカーシステムとアナログプレーヤーとの距離が3.4mならば、
カートリッジが音溝をトレースして、その信号がスピーカーから出てから1/100秒後にはカートリッジを含めて、
アナログプレーヤー全体を揺さぶっている。

それとは別にスピーカーシステムが空気中に浮んでいないかぎり、
スピーカーユニットからの振動はエンクロージュアを伝わり、床を動かす。床からの振動は壁にも伝わる。
空気中を伝わる速度よりも、固体を伝わる速度のほうが速いから、
床を伝わってくる振動は音として伝わってくる振動よりも速くアナログプレーヤーを揺さぶっている。

これらは、いわゆる振動のフィードバックである。

Date: 11月 5th, 2013
Cate: アナログディスク再生

アナログディスクならではの音(その1)

世の中にはいろいろな方式がある。
入力機器となるアナログプレーヤー、CDプレーヤー、チューナー、テープデッキなど、
それぞれの方式の中で機器による音の違いがあるから、
たとえばアナログディスクならではの音、テープ特有の音ということを、
他の要素から切り離してどれだけ正確に認識できるかというと、あやしいところではなる。

けれどもオーディオも長年やっていて、それぞれの方式の、さまざまな音を聴いていると、
なんとなくではあっても、やはり方式固有の音が存在する、という感じが濃くなってくる。

アナログディスクにも、アナログディスク固有、アナログディスクならではの音がある。
それはテープからは出てこない音だし、CDから聴くことはできない。
その逆もまたいえることである。

もうこれは感覚論であって、技術的な裏付けはほんとうにてきるのだろうか、と思う。
それぞれの方式に固有の音があるのならば、それはその技術と密接に関係しての結果であり、
その技術とは科学の裏付けがあってのものだから、本来ならば技術的に説明できることのはず──、
そうなのだろうが、そういうことはメーカーの技術者、研究者におまかせしよう。

われわれ聴き手は、感覚的であっていい。
感覚的であることが嫌な人は、徹底的に究明するか、方式固有の音なんて存在しない、と否定すればいい。

アナログディスクならではの音は、いったいどういうことが関係しているのであろうか。

Date: 11月 4th, 2013
Cate: アナログディスク再生, ショウ雑感

2013年ショウ雑感(アナログディスク再生・その3)

ステラのブースで鳴っていたスピーカーもアンプも、それにAir Force Oneも、
私にとっては初めて聴くモノばかりであった。
そういうシステムで、しかも比較対象がない状況でどれだけ正確に音を判断できるのか。
そのことに疑問を持たれるかもしれない。

アナログプレーヤーを、聴きなれているモノと比較できれば、
より正確にAir Force Oneの実力・素姓は掴める。

今日の音出しは、何ひとつ変えることなく、二時間Air Force Oneによるアナログディスクの再生だった。
同じディスクのCDが再生されることもなかった。

それでもアナログディスクにはスクラッチノイズが、宿命的につきまとう。
そしてこのスクラッチノイズが、こういうなにもかもが聴くのが初めてのシステムであっても、
確かな基準となってくれる。

別のブースでのことだが、ここでもアナログディスクがかけられていた。
高価なカートリッジ、高価なトーンアーム、高価なターンテーブル、
トータル金額はAir Force Oneには及ばないものの、かなり高価なシステムである。
このシステムも、初めて聴くモノばかりで構成されていた。

このプレーヤーでのスクラッチノイズは出方は、
私が良しとするアナログプレーヤーでので方とは異質の出方だった。
ノイズの量としては多くはないけれど、やけに耳につく。
なぜ、そういうノイズになってしまうのか、
そのアナログプレーヤーを自分の手で調整してみて音を聴いてみないとはっきりとしたことは何も言えないが、
ただ単に調整がおかしいだけとは思えない、そんなノイズの出方・質(たち)であった。

Date: 11月 4th, 2013
Cate: アナログディスク再生, ショウ雑感

2013年ショウ雑感(アナログディスク再生・その2)

朝からの用事が予想以上にはやく片づいたので、今日もインターナショナルオーディオショウに行ってきた。
会場に着いたのが13時ごろ。

まずアークのブースに行き、VOXATIVが鳴らされる時間をチェックして、
それまでの間リンのブースに行っていた。
それからアークのブースに15時までいて、
ふと前を通りかかったステラのブースに入ったら、
ちょうど柳沢功力氏によるテクダスのAir Force Oneの音出しが始まるところだった。

一昨年展示してあったAir Force One、
この時は音は聴けなかった。
去年はインターナショナルオーディオショウに行けなかった。
なのでやっと今年、その音を聴くことができた。

最初にかけられたディスクは、柳沢氏ということから、すぐに、あれか、と思われる方も少なくないと思う、
ローズマリー・クルーニーだった。
このローズマリー・クルーニーのディスクは所有していないけれど、
何度か聴いたことのあるディスクである。

ローズマリー・クルーニーのディスクの上にカートリッジの針先が降ろされ、
音が鳴り出すまでのわずかの間、ここから、おっと思わせる。
音が鳴る。
見事だ、と素直に思える音が鳴ってきた。

アナログディスク再生に関しては、これまでいくつかの印象に強く残る出合いがある。
トーレンスのReferenceを初めて聴いたときのこと、
EMT・927Dstを聴いた時、
トーレンス101 Limitedを手に入れての、はじめての音出し。
その101 LimitedにノイマンのDStとDST62を取り付けて鳴らした音、
マイクロのSX8000IIをステレオサウンドの試聴室で初めて聴いた時、
そしてそのSX8000IIにSMEのSeries Vを取り付けて聴いた時、などである。

テクダスのAir Force Oneの音も、そうなる。
特にSeries Vを聴いた時、アナログディスクでもここまで鳴るのか、と、
アナログディスクの仕組み上のあきらめなければならないと思っていたことを、
Series Vは見事に克服していた。

そのSeries Vに感じた、同じことをAir Force Oneにも感じていた。

Date: 11月 2nd, 2013
Cate: アナログディスク再生, ショウ雑感

2013年ショウ雑感(アナログディスク再生・その1)

インターナショナルオーディオショウに行ってきた。
今年もアナログディスクをかけることがいくつかあった。

あるブースでもかけられていた。
一枚目は旧い録音で、私は聴くのが初めてのディスクだった。
それでも曲の途中でトレースがおかしくなっているところにすぐ気がついたし、
それが録音に問題があるのではなく、カートリッジを含めてトーンアームの調整に不備があるということは、
すぐに判断できる、そのような不備だった。
しかも、このときの音の不備はふたつあった。
トレース不良と出力レベルの不安定さ、である。

それでもこのブースで音出し(装置の操作)を担当している人は気がつかなかったのか、
二枚目のアナログディスクをそのままかけた。
こちらのディスクは何度も聴いたことのあるディスク。

何曲目を鳴らすのかは事前にはアナウンスはなかったけれど、
鳴り始めたら、すぐに何曲目かはわかるし、
この曲ならば、ここにきたら一枚目よりももっとはっきりと不備が出てくるであろうことは予測できた。

そのとおりに、調整の不備が音が出てしまった。
そしてやっと調整に不備があって、すいませんでした、と担当者がいう。

調整に不備があってはならないこととはいえ、
ああいう会場では何かがおきてもふしぎではないから、
もうすこししっかりしてほしい、とは思いつつも、これを強く非難しようとは思わない。

ただ問題にしたいのは、一枚目のアナログディスクでも軽微とはいえ、
調整の不備による音のおかしさはあらわれていた。
なぜ、ここで担当者、そのブースのにいたほかのスタッフは気がつかなかったのか、ということ、
これについては書いておく。

つまり装置を操作していた担当者は、一枚目のアナログディスクの音をほとんど聴いていなかった、
そうとしか思えない。
きちんと聴いていればすぐになんらかのアクシデントが起っていることはわかるのだから。

にも関わらず二枚目のディスクで、もっとはっきりとあからさまに出て初めて気がつくということは、
聴きに来ている人たちに対して、不誠実だといえなくもない。

Date: 10月 29th, 2013
Cate: アナログディスク再生

「言葉」にとらわれて(トーンアームのこと・その5)

別項の、EMT 930stのこと(その6)で、
レコードが回転しているからこそカートリッジは発電し、音声信号を得られる、と書いた。

つまりトーンアームの実動作時はレコードが回転していることが条件となる。
とするとレコードの回転とはターンテーブルプラッターの回転であり、
回転には回転軸があり、そこは支点であり、
トーンアームの支軸とカートリッジの針先とのあいだの長いスパンよりも、
さらに長いスパン(トーンアームの支軸とターンテーブルプラッターのシャフト)が存在することになる。

Date: 10月 29th, 2013
Cate: アナログディスク再生

「言葉」にとらわれて(トーンアームのこと・その4)

ワンポイントサポートのトーンアームの実動作時には二点支持として捉えると、
その一方の支持でカートリッジ針先、
これはカンチレバーに嵌合されていて、そのカンチレバーの広報にはダンパーがあり、
サスペンションストリングがあり、それらの構造によって定まる支点があるわけだから、
カンチレバーも二点支持ということになる。

つまり長いスパン(トーンアームの支軸とカートリッジの針先)の二点支持の中に、
短いスパン(カンチレバー)の二点支持が存在しているかっこうになる。

Date: 10月 24th, 2013
Cate: アナログディスク再生

「言葉」にとらわれて(トーンアームのこと・その3)

ワンポイントサポートというから、
頭の中だけで考えていると、一点支持ということに気を取られてしまいがちなる。

たしかにレコードの盤面にカートリッジを降ろしていなければワンポイント(一点支持)である。
だが実際に動作は、レコードの音溝にカートリッジの針先を落す。

この状態では、つまりは一点支持ではなく二点支持になっている。
一点はトーンアームの回転支軸の先端が鋭いピボット、
もう一点はカンチレバーの先端についているダイアモンドの針先である。

どちらも先端が尖っている形状をしている。
カートリッジの針先は音溝をトレースするわけだから、先端が下を向き、
トーンアーム回転支軸のピボットは上を向いている。

つまりは、カートリッジを含むトーンアームパイプは、
この二点によって支持されている、と見るべきだし、考えるべきものである。

Date: 10月 21st, 2013
Cate: アナログディスク再生

「言葉」にとらわれて(トーンアームのこと・その2)

古くからあるワンポイントサポートのトーンアームは、
いまも現役のトーンアームに採用されることが多い。

それたけこの方式のメリットが多いということでもあるわけだが、
ワンポイントサポートの良さを活かすには、
トーンアームのバランスは、いわゆる前後方向はもちろん、左右方向(ラテラルバランス)もきちんととらなければ、
ワンポイントサポートは構造上、カートリッジに左右の傾きが生じてしまい、
左右チャンネルのアンバランスが起るだけでなく、クロストークが増えてしまう。

簡単な構造だからといって、使い方までもが簡単なわけではない。
だからといって、特に調整が困難なわけでもない。
どういう構造になっていて、その構造ゆえのメリット、デメリットを把握していれば、
どの点に注意して調整しなければならないか、はすぐに理解できるだろうし、
これが理解できなければ、ワンポイントサポートのトーンアームに手を出すのは、少し待った方がいい。

もちろん先に手を出して、実際に使いながら理解していく、という手もある。

オーディオクラフトのトーンアームは、
瀬川先生が高い評価をされていたこと、ステレオサウンドの“State of the Art”賞にも選ばれていること、
アームパイプをいくつも用意して、カートリッジへの適合性に十分配慮されているところ、
さらにはオーディオクラフトから出ていたOF1というアダプターを介さずに、
ダイレクトにオルトフォンのSPUを取り付けられるようにシェルの部分が加工されたストレートパイプまで出すなど、
マニア心がわかっているラインナップなど、
一度は使ってみたいトーンアームの代表格になっていた。

だがラテラルバランスの調整でつまずくのか、
うまく調整できずにいた人も少なくなかった、ともきいている。

Date: 10月 20th, 2013
Cate: アナログディスク再生

「言葉」にとらわれて(トーンアームのこと・その1)

トーンアームの回転支軸にはいくつかの方式があり、その中にワンポイントサポートがある。
日本語にすれば一点支持型ということになる。

構造としてはもっとも単純にできるのが、このワンポイントサポートであり、
構成部品が少ないということは、それだけ精度も出しやすく、共振する箇所もそれだけ少なくなる。

ワンポイントサポートは昔からある。
有名なところではグレイ(のちのマイクロトラック)の206という、
ごついつくりのトーンアームがある。
重針圧カートリッジ専用(オルトフォンSPU専用といってもいいだろう)のトーンアームで、
カートリッジを頻繁に交換する設計にはなっていない。

私も短いあいだだったが所有していたことがある。
SMEのトーンアームのスマートさとは正反対の、この武骨なトーンアームはまず重い。
この重さが、きちんと調整をしたのちに聴くと、
この音にはこれだけの重量が必要なのか、とそんなことを思いたくなるほど、
見た目通りの、腰の坐りのよい音を鳴らしてくれる。

日本製でよく知られるのはオーディオクラフトの製品である。
瀬川先生が自家用としても使われていた、このトーンアームは、
最初の垢抜けない外観から、少しずつ世代(改良)を重ねるごとに、よくなっていった。
SMEと比較してしまうと、まだまだ、といいたいところは残っていたけれど、
最初のAC300からすれば、ずいぶん洗練されたといっていい。

それだけでなくユニバーサルトーンアームとしての改良も加えられていった。
オーディオクラフトでは、AC3000MCのころから、システムトーンアームと呼ぶようになっていた。

Date: 8月 12th, 2013
Cate: アナログディスク再生

一枚のレコード

レコード会社からマスターテープを借り出してきて、
通常のLPよりも厚手のプレスを行ったり、リマスターをすることで高音質を謳うLPが、
複数の会社から登場し始めたのは1980年代からだ。

オーディオマニアとして、高音質盤というのを無視できない。
当時はステレオサウンドにいたこともあって、こういったレコードを聴く機会はめぐまれていた。

すべてのディスクを、
オリジナル盤もしくはレコード会社からその時点で入手できる盤との直接比較を行ったわけではない。
そういったことを行わずとも、首を傾げたくなるレコードが少なからずあった。

あるレーベルの、ブラームスの交響曲のディスクは、全体的に乳白色の膜が張り付いたような、
聴いていてもどかしさを感じる。
この指揮者が、こんな気の抜けたような演奏をするわけがないのに……、
そう感じてしまうほど、変質していた。
でも、アメリカでは、そのレーベルのリマスターは高く評価されていた。

ひどい例は他にもあったけれど、
上記のレコードは、私が好きな指揮者の、好きな作曲家のレコードであっただけに、
悪い印象が、他の盤よりも強く刻まれてしまっている。

このときから10数年後、あるところで偶然、このLPを聴くことがあった。
変っていないのだから、当然なことなのだが、音の印象はそのままだった。
これを高く評価するということは、
そこに刻まれている音楽と完全に乖離したところでの音だけの評価ということになる。

そういう楽しみ方がオーディオにはあることはわかっていても、
少なくとも私は、この盤を出していたレーベルを信じることは絶対にない。

悪い盤ばかりではなかった。
いいな、と思うものもあった。
その中で、いまも強烈に記憶に刻まれているのは、1987年ごろリンから出ていた盤だ。
エーリッヒ・クライバーによるコンセルトヘボウ管弦楽団を指揮したベートーヴェンの第五番だ。
1949年のライヴ録音。

この録音を聴くのも初めてだった。
1949年のライヴ録音だから、優秀録音なわけはないのだが、
そこに刻まれている音楽と一体になった音は、良い録音というべきだろう。

そしてカルロス・クライバーの前には、エーリッヒという父がいたことを意識せざるを得ない、
そういうすごい演奏だった。

リンによるLPから鳴ってきた音も見事だった。
こういうレコードをつくれる会社なんだ、と、それからはリンを信用できるようになった。

口幅ったい言い方になってしまうが、
この会社、すくなくともレコードをつくっている部門は、音楽をわかっている──、
そう感じさせてくれたからこそ、いまも強烈な印象のままなのだ。

Date: 8月 10th, 2013
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(RS-A1のこと・その6)

ラジオ技術 1997年1月号のベスト・ステレオ・コンポ・グランプリを読むと、こうある。
     *
菅野 基準というなら、このアームの音は、僕はもとのテープの音に近いと思いましたよ。
若林 おっしゃるとおり。ほんとうにそう。音の世界がぜんぜん違うんだけど、いいですよ。
菅野 自分が録音したレコードをかけてみたんですが、ディスクにするときに考えていたつもりの音が、もとのテープの音へ戻っちゃった(笑)、という感じなんだね。
高橋 よくわかります。
若林 とにかくもとに音に近いですよ。今までのアームとは音の出かたぜんぜん違う。
     *
いうまでもなく菅野先生も若林氏も録音の仕事をやられてきている。
そのふたりが口を揃えて、RSラボのトーンアームで聴くアナログディスクの音は、
「もとのテープの音」に近い、といわれていることに注目したい。

とにかくこれまでのトーンアームの音とはまったく異ることがわかる。
だから長岡鉄男氏は、こう語られている。
     *
長岡 僕はRS-A1に辛い点をつけましたが、家でテクニクスのアームと比べたんです。で、そのアームを基準にすれば、これはダメだし、逆にこれを基準にすればテクニクスはダメなんですね。音がまるで違うんですよ。
     *
長岡氏のいうテクニクスのアームとは、おそらくEPA100のことだろう。
チタンをアームパイプに採用したモノで、1976年に出ている。

こう発言されている長岡氏だが、あとの発言を読めば、RS-A1を評価されていないわけではないことはわかる。
ただ何を基準にして評価するのかをはっきりさせた上で、
長岡氏は自宅で使用されているEPA100を基準としての評価というだけの話だ。

長岡氏は、こうも発言されている。
     *
長岡 1つの方法としては、カートリッジは完全に固定してレコードを動かすとういのがあるけど、RS-A1を聴くと、このフラフラでもいいのかなという気もするね。
     *
RS-A1は、それまで登場してきたトーンアームと同じ評価基準では判断を誤ってしまうかもしれない、
そういう難しさと同時に、使い手がいくつかの意味で試されているところをもっている。

Date: 8月 8th, 2013
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(RS-A1のこと・その5)

RSラボの回転ヘッドシェル、RS1が登場したのはいつだったか。
1980年代の後半だったか。
とにかく、その頃の私がつかっていたアナログプレーヤーではRS1は使えない。
なので、友人に買わせた。

オーディオテクニカのヘッドシェルをベースに回転ヘッドシェル改造したものだから、
オーディオテクニカのヘッドシェルよりも高かった。
自分で買ったものでもないということもあってうろ憶えだが、一万円くらいしたのではなかったか。

それでも、友人はノってくれた。

RS1のシェルリード線は、細い。
オーディオテクニカのヘッドシェルにもともとついていた線よりもずっと細くしなやかである。
カートリッジの取り付け時にうっかりすると断線させてしまう人もいるかもしれない、
と思うほどの細さのように記憶している。

とにかく友人の標準カートリッジを取り付けて、レコード盤面に針を降ろす。
音溝に対して接線方向にカートリッジが向く。

頭でわかっていたことでも、こうやって目の前で回転ヘッドシェルが動作しているのをみてしまうと、
カートリッジには、これだけの力が加わっていることを視覚的に確認できる。

音は、通常のヘッドシェルに取り付けた時の音とは、あきらかに違うものを感じさせる。
そのころのラジオ技術では、発案者の三浦軍志氏だけでなく、
ほかの方たちも追試の実験、記事の発表をやられていた。

RS1の音(回転ヘッドシェルの可能性)を聴いてしまうと、
そういう気持になるのもわかる気がした。

Date: 8月 7th, 2013
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(シェルリード線のこと・その5)

電源コードを交換すれば音は変る。

家庭用のAC100Vが発電所から部屋のコンセントに届くまでのあいだに、
どれだけの距離を通り、どれだけのものを通っているのかを考えれば、
いくら電源コードが1mとか2mとか、シェルリード線に比べれば長いとはいえ、
発電所からの長い距離の中で見れば、その割合はシェルリード線よりも小さい。
にも関わらず電源コードを交換すれば、音は変る。

AC100Vに関しても、理想をいえば100Vの発電機が近くにあり、
その発電機のコイルから直線銅線がのびていて、途中ブレーカーやコンセントなとの接点を経由せず、
できれば発電機から伸びてきている銅線で、電源トランスの一次側のコイルを巻く、ということになる。

こんなことは実際にはできないことだけど、これを理想とすれば、
現実の電源の供給には、途中途中にいくつものものが挿入されている。
カートリッジの信号をアンプの入力端子に伝送する系と同じように、だ。

だからこそ、電源コードで音が変るのだ、と私は考えている。

つまりどちらも理想の状態からは遠く離れている。
いくつものモノが挿入されている。そのことによって崩れているなにかがある。

つまり、私達がリスニングルームでやっていること、
シェルリード線を交換すること、電源コードを交換することは、
なんとか整合性をとろうとしている、つじつまをあわせそうとしている、
そういう行為のように感じている。

全体からみれば、そんな細かい(短い)ところを交換しても……、
とこんなふうにケーブルの交換に昂ずるのを批判的に見ている人もいるけれど、
そうとも一概にはいえない。

昂じている人がどういう意識でやっているのか、
傍から見ていてはわからないところもある。
ただ音の変化を楽しんでいるだけなのかもしれないし、
無謀ともいえるかもしれない整合性の確保、つじつまあわせをしているのかもしれない。